神様ムーブは疲れます 作:ゴリランド
白亜の神殿、その正門を一人でくぐる。
広大な回廊は、不自然なほどの静寂に包まれていた。
天翼種も祈りを捧げる者もいない。あるのは、柱の間を流れる淡い光と、私の足音だけだ。
高くそびえる円柱が幾重にも並び、その影が赤い絨毯のように床を染める。
天井には黄金の翼と幾何学模様が絡み合った装飾が施され、微かに光を反射して揺らめいた。
私はその中央を、悠然と歩む。
「……フフ、やはりこの玉座への道は、こうでなくてはな」
わざと歩幅を一定に保ち、ローブの裾が静かに揺れるよう演出する。
誰も見ていなくても、この振る舞いは崩さない。
(……いや、なんで今こんな芝居してんだ俺。事態はわりとガチでヤバいってのに……)
足音が神殿の奥へと吸い込まれていく。
その響きが、まるで私が世界の律動を刻んでいるかのように錯覚させる。
こういう演出は、ゴクウブラックをモデルにしたこのアバターならではの“様式美”だ。
……もっとも、これは神殿という舞台があってこそ映えるものなのだが。
回廊を抜けると、明かりのない下り階段が現れる。
その先から吹き上がる冷気が、頬を撫でる。
私はためらいもなく足を踏み入れる。
やがて空気はさらに冷たく、重くなった。
音は一切なく、時折、奥から水滴が落ちる音だけが響く。
ここは神殿の最深部――誰も立ち入らぬ領域。
そして、行き止まりに現れたのは、光を飲み込む黒曜石の壁。
私はその前で立ち止まり、ゆっくりと深呼吸する。
「フ……我が玉座よ。私は戻ったぞ」
(……いや、本当に今こんな芝居してる場合じゃないだろ)
この漆黒の壁の向こうには、本来《Eidolon Frontier》の運営スタッフしか触れることのできない、世界の根幹を支配する絶対権限――にアクセスできる管理者コンソールがある。
かつて、私だけが自作MOD《Kernel Access Bridge》でその聖域へ侵入し、世界の骨組みを好き勝手に書き換えてきた。
NPCの挙動も、天候も、経済も、天翼種の戦闘パラメータすら――全て私の掌の中だった。
私はゆるやかに頭上の光輪へ指先を伸ばした。
冷たい金属のような手触り――いや、これは演算の象徴だ。
回転方向を逆へと変え、速度をぴたりと一定に保つ。
3.21秒――それは、この世界の奥の奥へ潜るためのパスフレーズであり、過去、私はこれで幾千回も壁を溶かしてきた。
「……開け」
低く威厳ある声が、石壁に反響して最深部の空気を震わせる。
ゆるやかに片手を掲げ、光輪を逆回転させる動作は、まるで儀式そのもの。
しかし――反応はない。
私は顎に手を添え、ゆっくりと頷いた。
「……ふむ。やはり、そう来たか」
あたかも全てを予見していたかのように、神の微笑みを浮かべる。
(いやいやいや、来なくていいだろ! なんで開かねぇ!? 昨日まで普通に動いてただろ!? たのむよ。神様!!)
同じ動作を二度、三度。
外面では顎に手を添え、まるで全てを見通していたかのように微笑む。
「……なるほど。舞台の裏側が閉ざされたか。試練としては、いささか陳腐だな」
その声音は静かで、威厳を帯びた絶対神の響き。
だが内面では、血の気が引く音が聞こえるほどの冷や汗を流していた。
(試練じゃねぇ……これは、もっと根の深いバグか……?)
(まずトリガージェスチャー――逆回転速度は3.21秒、物理検知の閾値は120%突破。ジェスチャー判定のヒットフラグも返ってきてる。動作精度は完璧だ)
(なら原因は《Kernel Access Bridge》か……? いや、あれはLKM(Loadable Kernel Module)として常駐、プロセスキルや物理削除はできない構造にした。カーネル層のハンドオフ経路も多重化して、CRC破損チェックも
すり抜ける仕様だ)
それでも――開かない。
(可能性を洗え。一、転移時のI/Oエラーでシステムコール階層が破壊され、コンソール呼び出し先が消滅している。一時的なファイルハンドル喪失……いや、それならリブートで再マウントできるはずだ)
(二、権限テーブルが改竄され、俺のUIDが管理者グループから完全に抹消された。いや、これも微妙だ。権限剥奪だけなら、別ルートから昇格できるバックドアを仕込んである)
(三、《Kernel Access Bridge》の常駐プロセス自体が実行されておらず、カーネル層へのパイプが切断されている。だがこれは、パイプ先の“受け側”が存在しない場合にしか起きない……)
脳内で全ルートを走査し、最後の結論に突き当たる。
――四、そもそもここは《Eidolon Frontier》のサーバー上ではない。
――物理基盤ごと、まるごと別の世界に移動している。
(……そうか。だからだ)
ここには、管理者コンソールという“プロセス”が存在しない。
コンソールを動かす仮想化基盤も、シャードも、メモリ上のサービスすらもない。
あったのは、あのゲーム世界を構築するためのサーバー群の内部構造――そして今、その全てが切り離され、俺は「現実」という別のOS上に立っている。
黒曜石の壁は、もう舞台裏への扉ではない。
ただの石だ。
どれだけ完璧な手順で解錠の儀を再現しても、先につながるパイプ自体が――どこにも存在しない。
私は吐息と共に微笑を深めた。
それは――絶対神として振る舞ってきた自分が、漆黒の扉の前で、ただの無力な一人の人間へと引きずり戻される感覚だった。
舌打ちしそうになるのを堪え、代わりに魔力を練る。
「……ふむ。ならば、我が創りし神技で、この閉ざされた扉を打ち破ればよい」
深呼吸一つ。肺の底に冷たい空気を沈め、意識の中心に火点し――魔力、点火。
舞空術――起動。
……沈黙。足裏に浮力の兆しすらない。床石の冷たさがそのまま返ってくるだけ。
瞬間移動――詠唱完了。
……不発。視界も色温度も、ひとしずくも揺れない。
ブラックかめはめ波、気功波、大鎌生成、空間切断、ロゼ、ロゼ3――
コマンドのたびに体内がじゅっと焼け、魔力が吸われる感覚だけが残って、結果はすべて無反応。
光も音も立たない虚無の発動。黒曜石の壁は、私の努力を完璧に無視する。
視界の隅で、数値が乾いた点滅をはじめた。
【MP:72 / 100】→【41 / 100】→【19 / 100】→【7 / 100】→――【0 / 100】
(……全滅。くそ、やはりか。トリガーは通ってるのに、効果処理が全部スキップされてる。いや――違う、スキップじゃない。条件不達成で“空振り”だ)
額の内側が熱い。呼気が少し乱れる。
(これらは全部、俺がMODで実装した追加スキル。呼び出し条件は――習得可能レベル到達。今の俺は……レベル1)
指をわずかに握りしめる。黒曜の壁が、わずかにこちらを嗤った気がした。
(《Omniplus》があれば能力値は即カンスト……だがアレは“能力値”の上限突破アイテム。スキル開放条件そのものを踏み倒す仕様じゃない。つまり、指輪を取り戻しても――未習得の技は未習得のまま)
その時だ。
胸の奥、中心点に温かい泉がぽっと湧いた。臍下に灯がともり、そこから微細な光が血管を巡るように全身へひろがっていく。
切り取られた空洞に、清水が差し込むような充足。視界の隅の数値が、ゆっくりと戻り始める。
【MP:0 / 100】→【12 / 100】→【27 / 100】→【41 / 100】
(……来た。神霊種の固有だ)
私は自分で設計した仕様書を、脳内でめくる。
《神霊種》――既存データベースから外した、俺の自作オリジナル種族。Fate系の神霊“神核”の概念をベースに、MMOの最上位耐久種族の自己再生をハイブリッドした、我ながら狂気の産物。
固有特性【神威循環】――戦闘行使・術式行使によるHP/MP消耗を、世界側のマナ/神気に直接アクセスして高速回復する常時パッシブ。演算表現ではなく“存在の自律回復”。
副特性【神格耐性】――精神干渉・状態異常・概念系を根本層で棄却する耐性フラグ。
(つまり――俺の“種族特性そのもの”は生きてる。少なくとも、この世界は俺の設計した神霊種の仕様を“現実の法則”として承認している)
試しに、もう一度だけ舞空術を軽く撫でる。
術式起動の直前で止め、消費負荷をミニマムにして様子を見る。――やはり、エフェクトは立たない。
代わりに数値が微かに削られ、また【神威循環】が自動で補填する。
(結論。MODスキルは“死んで”いない。起動のフックは生きていて、消費系の計算も通る。けど、レベル解放条件を満たしていないから効果処理に到達しない。今の俺は――鍵束は手にしているが、扉の穴に届く身長が足りてない)
さらに、別の懸念にも手を伸ばす。
(転移の瞬間にONだったMODパッケージ群――《AvH Expansion》《Flügel Arsenal》《Spectacle》――この三つは、明らかに世界側へ“馴染んで”いる。UIからの直接制御が利かない。
前は管理者権限コンソール経由で演算ノードを再配置できたが、今は呼び出し先ごと消えてる。つまり、MODはオブジェクトとして“外付け”ではなく、この世界の“内側”へ取り込まれた。ガワじゃなく、ルールとして同化。制御権はユーザーの俺ではなく世界そのものが持っている)
喉奥がからからに乾く。思わず笑いそうになって、笑えない。
(そしてとどめ。レベリング加速用の《EXP Kernel Booster》――オートフック起動……沈黙。やっぱり管理者権限依存。一般権限じゃプロセスが立ち上がらない)
無音。冷気。黒い壁。
私は吐息を長く落として、言葉をひとつだけ零した。
「――なるほど。ならば道は一つだ」
(レベルを上げる。地道に。泥臭く。クエストと狩りと探索で、経験値バーを一本ずつ埋める。……神の皮を被った、ただの初心者として、だ)
視界の隅で、MPがさらにじわじわ戻る。
【MP:41 / 100】→【58 / 100】→【73 / 100】
それは慰めであり、同時に宣告でもあった。
――“土台”は残っている。神霊種という種の設計は、今も完璧に機能している。
だが、そこに積み上げるべきスキル群は、ゼロから再習得だ。
(……フ。滑稽だな。絶対神を気取り、宇宙を演出する舞台監督を気取り、結局やることはスライム殴って木の実拾って焚き火で寝る、だ)
それでも、ローブの裾を整え、私は黒曜の壁に背を向ける。
姿勢だけは崩さない。誰も見ていなくとも――いや、誰も見ていないからこそ、演じる。
「私は堕ちぬ。堕ちるのは、この世界の方だ。……まずは、格を取り戻すための手順から、だがな」
(まずチート指輪の所在確認……いや、インベントリにはない。落としたのか、消えたのか、それすら不明だ。
それから、レベリングのルート――《EXP Booster》が死んでいる今、効率動線は手動で組むしかない。低リスク高回転。ドロップで最低限の装備を整え、MP回復は【神威循環】に任せてスキルの試技を繰り返す。
……ふふ、私が神である本質は揺るがない。力は失われたのではなく、ただ眠っているだけ。すべてを再び掌中に収める日は、必ず訪れる)
私はゆるやかに背筋を伸ばし、片手を天に掲げ、もう片方を胸元へ。
黒曜の壁に映る自分の姿は、まるで神話から抜け出した絶対者。
「ふふ……ふはははは。耳を澄ませ、愚かなる世界よ――」
私は両腕をゆるやかに広げ、天井の見えぬ闇に向けて掌を掲げる。
指先がゆるやかに震え、まるでこの瞬間、天そのものから祝福を受けているかのように演出する。
わずかに顎を上げ、視線は誰もいない空間を貫き、その先にあるはずの“世界”を見下ろしていた。
「貴様らが這いつくばり、泥にまみれ、空を仰ぐその瞬間――その蒼穹の彼方から、私が再び降臨する」
片足を半歩前に出し、背を反らせ、光輪がわずかに揺らめくのを計算した角度で立ち止まる。
わざと声を低く抑え、最後の語尾だけを強く響かせた。
「その時、天も地も、命も理も、すべてが私の意志の色に染まるのだ……喜べ……この私に支配されるという唯一無二の祝福を享受する刻が、確実に訪れる」
言葉の余韻を残したまま、私はそっと瞼を閉じ、ゆっくりと口角を上げる。
――完璧だ。今の自分は間違いなく、神そのものだった。
(……うん、言ってる内容はただの落とし物探しなんだけどな)
視点は神殿の外へ――さらに高度を上げ、雲海を突き抜け、陽光が海原のように広がる上層へ。
はるか遠方、白銀の空を背景に、数百の天翼種が整然と列を成して舞い上がっていく。
初動は一糸乱れぬ密集陣形。しかし合図とともに、光輪が同時に輝きを増し、群れは四方八方へと弾けるように散開した。
ある者は雷鳴を引き裂く勢いで上昇し、ある者は弧を描くように降下して雲海の狭間へ潜り込む。翼の羽ばたきは嵐のうねりのように空気を震わせ、反射する陽光が編隊全体を一つの巨大な宝石のように煌めかせる。
それぞれが半径数十キロにおよぶ索敵範囲を持ち、互いの結界と情報を重ね合わせながら、空域を網の目のように塗りつぶしていく。上空から地上へ、海原から山脈へ――視界の隅々まで、光輪が描く幾何学紋様が刻まれ
ていった。
だが、その壮観な群れに混じることなく、ただ一人、別軌道を描く影があった。
ジブリール――それは、かつて《Black》と名乗っていた頃、彼が全存在を懸けて生み出した、唯一無二の戦姫である。
本来、天翼種は《Flügel Arsenal Overhaul》のパッケージ強化によって一括調整される設計だった。だが、彼はそこに満足しなかった。
「FFの裏ボス・ヤズマット並み、いや、それを超える存在を作る」――その野望だけを胸に、彼は既存のゲームシステムの枠組みを破棄。MODコードを一行一行、手で組み上げ、演算負荷とメモリ限界を騙し、幾度もサーバーを落としながら調整を繰り返した。
速度は閃光を凌ぎ、火力は戦場を一撃で焦土に変え、耐久は連続百時間のレイドを想定して設計された。既存の計算式では処理不能な性能を持つ、終末兵器の化身――それがジブリールだった。
彼にとってはただのNPCではない。魂を削って作り上げた、芸術品であり、誇りであり、天翼種という種そのものの頂点に立つ存在。
そして今、彼女は群れから離れ、ただ一人で天空を滑空していた。
光輪が回転を速め、その中心から十数個の光球が射出される。真下の大地へと降り注ぐそれらは、衝撃波を伴って森を揺らし、同時にソナーのように共鳴波を放つ――地平線のかなたまで、容赦なく。
それらは隕石のように雲を貫き、大地や海、峡谷や密林へと突き刺さっていく。
――次の瞬間、世界が低く唸った。
光球は大地そのものを震わせる波動を発し、地殻を舐め、海底を揺らし、森の根を震わせ、果ては地平線の彼方まで到達する。
それは物理的な振動と魔力波動が重なった二重のソナー。
当然、地上では山肌が崩れ、小動物が巣穴から飛び出し、湖面が揺れて波が立ったが――そんなことは誰一人、気にも留めない。
ジブリールはそのすべての共鳴を、光輪の回転速度をさらに上げて収束させる。
やがて、半径数百キロを超える範囲の三次元地図が宙に立ち上がった。
山脈は白銀の稜線として浮かび、川は流れる光の糸、森は翠玉の霧の塊。
そして――その中に、三つの異質な光点がぽつり、ぽつり、ぽつりと瞬いた。
人間の背丈にも満たない、小さな輝き。
しかしその魔力波形は、この世界の既知生物データには存在しない。
未知の――そして、主の《Omniplus》の反応と一致しない“別の何か”だった。
「ふむ……分類不能の生命体?」
ジブリールの視線は、浮かび上がった光点のひとつを鋭く射抜いていた。
「体格は私たちとほぼ同じ。しかし魔力反応があまりにも貧弱で、まるで枯れかけた灯火ですね」
隣を旋回してきた天翼種の一人が、首をわずかに傾げる。
「形態は直立二足歩行にゃ。でも魔力反応があまりにも貧弱……この世界の環境で、よく生きてるにゃ」
「魔物の幼体かとも思ったけれど……」
ジブリールは光輪を回転させ、魔力波形を多重解析に切り替える。
脳裏に走ったデータは、奇妙な“ノイズ”を含んでいた。
「……知性反応がある。微弱だけど、確かに。これは……へぇ、珍しい」
その口元が、わずかに笑みに歪む。
「魔力量も存在強度も、塵芥(ちりあくた)同然……ですが、利用価値があるなら利用してやってもいいでしょう」
「使えなきゃ?」と、もう一人が問いかける。
「風に飛ばされる前に潰して終わりです」
淡々と告げるその声は、温度も感情も含まない純粋な選別者のものだった。
次の瞬間、ジブリールの光輪が閃光を放ち、空間がわずかに軋む。
視界の彼女は一瞬で掻き消え――続く瞬間には、鬱蒼とした森の上空へと転移していた。
下方、濃緑の樹海を縫うようにして、小柄な影が三つ駆けていくのが見える。
裸足に毛皮、粗末な石槍を握りしめ、息を切らせながら何かを追っている。
その足取りはぎこちなく、だが確かに“狩り”をしていた。
ジブリールの視線は、その未熟な獲物たちに注がれたまま、冷え切っていた。
「……ウィーアー・バック・トゥ・ストーンエイジ。これは面白い発見ですよ、マスター」
小さな影たちの動きは拙く、息遣いは荒い。魔力量も雀の涙。だが、それでも石槍を握りしめ、必死に獲物を追う姿には、原始の生命力があった。
だが、ジブリールはそのまま観察をやめ、視線をゆっくりと背後の茂みに滑らせる。
そこから漂う魔力の揺らぎは、指輪の反応ではない。彼女自身、それは理解していた。
――にもかかわらず、好奇心が瞳の奥で静かに灯る。
「……ふふ。指輪とは関係ないでしょうけど……これは、少し“試して”みたくなりますね」
その声は、獲物を弄ぶ捕食者特有の愉悦を含んでいた。