神様ムーブは疲れます 作:ゴリランド
雲の端が、銀糸の刃となって大地を剃る。
日輪は白金の環を残し、遥かな樹海のうねりを、点描のように突き刺していた。
高空では風が層ごとに分断され、音は奪われ、ただ光だけが支配していた。
その“無音の層”に、ひとり立つ影があった。
ジブリール。
天翼種の番外個体。
頭上に回転する光輪を掲げ、翼を畳み、空間の密度を自らのために整えて――
まるで天地を切り分ける“境界線”そのもののように、空に立っていた。
光輪の角速度が、わずかに上がる。
即座に視界がシャープに変化する。
緑の海は血管のような葉脈に、獣道は蜘蛛糸のように細く、そこを走る熱源は小さな光点となって立ち上がった。
三つ――人間の生命反応が、彼女の意識に浮かび上がる。
(バイオシグナル、タイプ:スモール。うん、プリミティブ……とってもプリミティブ)
直立二足、毛皮のような布切れ、削った石の先端。
追い、転び、立ち上がり、走る。
魔力はフラット。感情は三色しかない――恐れ、空腹、警戒。
「ふむふむ、これで“文明”って言うんです?
ミュージアムのデッドゾーンに転がってる骨の方が、まだ知性ありますけど?」
飄々とした独白が、風に乗って消えていく。
そして――彼女は動いた。
光輪が一閃。
空間が、音も気流もなく“折れた”。
ジブリールの身体が、空から滑り落ちるように消える。
次の瞬間、彼女は地上の樹冠――そのほんの隙間に、現れていた。
葉一枚、揺らさず。空気を一滴も乱さず。
湿った土の匂いが立ち上がる。
その場にいた三体の人間が、動きを止めた。
“それ”は、明確に異質だった。
言語よりも早く、反射が働く。膝が震え、視線が下がり、石槍が地を叩く。
その鈍い音が、まるで儀式のはじまりを告げる鐘のようだった。
ジブリールは、微動だにせず、ただ一歩。
滑るような無音の移動。
光輪が幾何学模様を描き、木漏れ日の斑点を侵食してゆく。
三人の顔から、まるでインクを吸い取るように“血の色”が抜けていった。
「コンニチハー、ローカル・スペシーズ。ごきげんいかがで?」
声はやわらかく、響きは美しい――だが、その意味は猛毒そのものだった。
甘く飴を舐めさせるように差し出しておいて、その中身は硫酸。そんな声音。
ジブリールは地には降りない。
純白の翼をゆったりと広げたまま、彼らの頭上を占める位置に漂い続ける。
羽ばたくわけでもないのに、羽根の縁がかすかに震え、周囲の空気が密度を増していく。
それは“上”から注がれる圧迫感――ただ見上げることすら、現地民にとっては苦行だった。
彼らは言葉を返せない。
視線を上げることすらできず、呼吸の音だけが喉から洩れる。
一歩でも近づけば、そのまま頭蓋ごと握り潰される――そんな予感が全身を縛る。
ジブリールはしばし無言で彼らを見下ろし、観察するように瞳を動かす。
そして、何かを思い出したようにゆるやかに目を細めた。
「んーー……あれれ? おかしいですね?」
わざとらしく、しかし優雅に首をひねる。
その仕草ひとつで、場の緊張がさらに締め上げられる。
「……ヘッドが。高い、ですねぇ?」
口元だけがにっこりと弧を描く。
瞳の奥は、氷よりも冷たい。
「ヒ・ザ・マ・ズ・ケ、雑種!」
言霊。
それは音ではなく、空間に焼きつく“命令”。
瞬間、空気が硬化し、重力のベクトルが歪む。
膝が折れ、背が丸まり、額が地に沈む。意思は必要ない。命じられたから、そうなっただけだった。
ジブリールは、両手を合わせてぱちんと拍手。
「グレイシャス! すばらしいですねぇ、あなたたち。
ちょっとだけ、インテリジェンスあるのかと思っちゃいましたよ?」
ジブリールはごきげんに拍手しながら、くすりと微笑む。
唇に人差し指を添えるその仕草は、どこか天使の絵画めいて優美だった。
だが――その美しさの裏に、完全な支配の気配が張り付いていた。
「このまま“おすわり”と“伏せ”もレクチャーしてあげたいですけど……その前に、ちょっとだけ、インタビュー・タイムです♪」
彼女はゆっくりと右手を上げ、薬指と親指で円を作ってみせた。
「このような“リング”。輪っか。メタリックな輝きで、ゴットなオーラを放つ“ザ・アーティファクト”。このへんで、見たことありません?」
音ではなく、視線の圧力が問いかける。
その問いに、震える手が一本。ひとりの青年が、足元に巻いた“骨の輪”をそっと示す。
蔓で締めただけの、脛当て代わりの装飾。それは――
「……それ?」
ジブリールの視線が、骨の輪に触れた瞬間――ほんの一拍、沈黙が落ちた。
そして、笑顔のまま、声だけが鋼より冷たくなる。
「――フフ。プリミティブ・トラッシュ、ですねぇ」
その発音はまるで、口の中で汚泥を転がすかのようだった。
称賛の欠片もなく、価値をゼロ以下に叩き落とす響き。
「あなた方のローカル・アートワークが、私のマスターのアーティファクトに“似ている”と?」
微笑はそのまま。だが、次の瞬間、空気の密度が一段重くなる。
「ああ、素晴らしいですね――その無知さ加減が」
言葉は柔らかい。けれど、その奥に潜むのは刃だ。
「……ただ、次に“同じ冗談”を口にしたら――あなたの舌を、根元からもぎ取りますが?
」
笑顔は変わらない。だが、それは“温かさ”ではなく“死の予告”を飾るための仮面だった。
彼女の言葉が、途中で途切れる。
森の奥――その奥底から、ズゥ……ンという重い振動が這い寄ってきた。
土が、跳ねる。
枯葉が、ざわめく。
小鳥たちが一斉に飛び立ち、空を濁す。
そして、音。
木々の幹が、二本続けて「バキィ」と折れる。
枝が跳ね、土が裂け、黒い影が空間を食い破って飛び出してきた。
牙、泡、鉄錆のような血の匂い――
イノシシ型の大型魔獣。
現地民の喉が、つぶれた悲鳴を漏らす。
声にならぬ声。痛みでも怒りでもない、ただ“存在の限界”から溢れた音。
震える手が石槍に伸びるが、握れない。
膝は逃げを命じるが、身体は命令に従わない。
ジブリールは――振り返らない。
その視線は、依然として膝をつく三つの顔へと注がれていた。
まるでそこに“必要な情報”がすべてあるとでも言わんばかりに。
ただ、右手が。
埃を払うように、ごくわずかに、浮かび上がった。
その瞬間。
光輪の縁が、目に見えぬ速度でチカリと明滅する。
指先に――淡く、鋭く――針のような光が生まれた。
「ズチュン」
短い音。
まるで、紙をそっと破いたときのような繊細さ。
突進してきた魔物の脳天に、小さな点が空いた。
点は、線になった。
眉間から顎の付け根まで、骨も脳も皮も、何ひとつ抵抗を許さず真っすぐに貫く。
巨体は惰性のまま二歩分だけ前進し、そのまま崩れ落ちた。
前足から崩れ、顔面を土に埋め、音もなく止まる。
血の霧が、葉の裏に静かに点を打っていく。
肉片が、乾いた葉の上で黒い影を広げる。
森が、息をひそめた。
ジブリールは――視線を動かさない。
羽根に降った一滴の血だけを、手の甲で軽く払った。
まるで衣に付いた埃を払うように。煩わしさすら覚えていない所作で。
沈黙が、森の音から“色”を奪った。
現地民たちの認識が、ひび割れを起こす。
彼らの世界にとって“絶望”とは、時間をかけて染み込むはずの概念だった。
だが今、それは一瞬で終わった。感情も戦意も介さず、“ただの指先”で。
殺意すらないままに、天使は殺した。
ジブリールが、口を開く。
「――つづけましょうか?」
声音はやさしい。
だが、それは世界を再起動するトリガーだった。
祈りではなく、再起動コマンド。拒否は不可能。
「神器。――あなた方のローカル・コロニーでもいい。海でも川でも。輪っかの金属。光るもの。
……見た? 見てない?
――ああ、もちろん、ここで見つかるなど1パーセントも期待してませんので。
ですから、どうぞ正直に」
ひとりが喉を鳴らす。悲鳴とも呼べない、不具の音。
もうひとりは、泥に手をついたまま嗚咽し、濡れた腰布から小さく尿の匂いが漂う。
三人目――まだ少年の顔立ちが残る個体が、ほとんど反射的に首を縦に振った。
意味はない。ただの“YES”モーション。生き延びたいという原初の本能だけが、首の筋肉を動かした。
「……おやおや」
ジブリールは唇を緩める。
その微笑みは、凍った湖面に浮かぶ“うすら寒い装飾”のようだ。
「サバイバルのための“嘘”だけは、わりとスムーズに進化してるんですね。ちょっと感心」
白い指先が、少年の顎に触れる。
掴むのではない。
ただ、支点を取っただけで、顎が持ち上がる。視線が、交差する。
その瞬間、少年の瞳孔に、ジブリールの光輪が回転した。
幾何学の紋様が、恐怖の海に硬質な光を刻む。
「よろしい。目で答えなさい。リングを、視たことがありますか。
――“これは神のものだ”と察せる程度の、文明レベルが、あなた方に備わっていれば、ですが」
少年の目が揺れる。
もはや恐怖ではない。飽和を超えた先の“混乱”。
彼は、静かに首を横に振った。
知らない。分からない。ただの“空白”として。
「でしょうね」
ジブリールは指を離す。
支えを失った顎が、糸の切れた操り人形のように落ちた。
「もし“リング”――神の指輪がこのエリアにドロップしたならですね?
ふつうのインテリジェントなスペシーズなら、まずはゴットな建物をコンストラクトして、
祭壇をビルドアップ、人柱をピックアップして、ホーリーなリチュアルをスタート。
内臓を引き出して、血でメッセージを書き、ようやく“神”というコンセプトにアクセスする……そういうもんですよ?」
声はやさしいが、その内容は“信仰”と“殺戮”を同じ語調で並べていた。
「たとえ解釈をミステイクしても、“意味”そのものをリクエストする反応はあるものですが……
あなた方には、その“フレーム”すら存在しない。まったくゼロ」
ひと呼吸置いて、笑う。
「なるほど……これはもう、シヴィライゼーション・マイナスですね。
わたしのデータライブラリでも、類似カテゴリが見つかりません」
言い終えるより早く、光輪がふわりと傾いた。
それは――主からの呼び声。
上空から流れ込む微弱な魔力振動。天翼種にのみ解読可能な、構造化された波形。
ジブリールは、それを“音に変える”必要すらなかった。
その意味は、届いた瞬間に理解される。主――あの御方の直轄端末からの信号。
メッセージは、たったひとつの単語。
《――戻れ》
その瞬間。
ジブリールのまぶたがふわりと伏せられる。
光輪が喜びに満ちて回転を強め、周囲の空気が一瞬だけ金色に輝く。
唇から、音にならない吐息がこぼれた。
それはため息ではなかった。
まるで春の陽光に頬を撫でられた少女のような、満たされた吐息。
「……マスターのコール。……ああ、なんて、プレシャス……」
声音が、ほんの少しだけ震えていた。
普段は嘲笑と冷淡で彩られる声が、今だけは――まるで、祈りのようだった。
「お呼びくださるのですね。……マスターは、わたしを、必要としてくださるのですね」
まるで世界のどこにも敵はいないかのように、目を細める。
その瞬間、彼女の冷酷な顔立ちは、ふと緩んだ。
まぶたは伏せられ、唇がうっすらと弧を描く。
それは微笑ではなかった。
神への従属を幸福と受け止める存在だけが浮かべる、絶対的な“満足”の表情だった。
光輪が、わずかに回転速度を増す。
空気の層が一つ、柔らかく折れ、ジブリールを取り巻く空間にだけ、温かな圧が満ちた。
その静けさに、一瞬だけ、時間が祈るように沈んだ。
「……了解です、マスター」
陶酔にも似たその声色は、しばし漂い、空に溶ける。
だが次の呼吸で、ジブリールの瞳は――再び冷光を帯びた。
思考は切り替わるのではなく、滑らかに“戻った”。
信仰と命令を抱えたまま、最後の確認事項へ。
彼女は静かに頬へ触れた。
少年の顔に飛んだ血の霧――それを、一本の指先で拭う。
赤が、白に移る。
それを見て、ほんのわずかに首をかしげた。
疑問ではない。ただの“現象の観察”として。
「……無駄骨、ですね」
言葉は、誰に向けたものでもなかった。
ただ、主命のタスクを一項ずつ自己処理していくように、静かに吐き出す。
「進捗ゼロ。原因は――対象群のコグニティブ・レベルが、草の類と等価であったため。……うん、仕方ありません」
微かに瞬きを一つ。
それは感情の発露ではなく、“理解と納得”の動作。
だが、任務の最後には常に“保険”が要る。
ジブリールは、視線を再び三体へと落とす。
「じゃあ、最後に――ほんの少しだけ、しつこいようですが確認を」
ジブリールは、指先で空を撫でるような仕草をしながら、膝をつく三体を見下ろす。
その声色には、既に“帰還モード”への焦れと、興味の残滓が混ざっていた。
「あなた方のトライブ、いえ、そうですね……“巣”でも“ねぐら”でも、“地面のくぼみ”でもいいんですが。
少しでも語彙の多そうな個体が、まとめて棲んでいる場所――知っています?」
答えは――ない。
だが、それは理解不能だからではなかった。
三体の生物は、怯え切ったまま石のように固まっていた。
唇はわずかに開いているのに、音は出ない。
喉が鳴る寸前で凍りつき、言語中枢は、恐怖に完全に“飲まれて”いた。
彼らはもはや“答える”という行為そのものを思い出せない。
目の前の存在が、「問うている」などという実感すら持てない。
ただ――
声を出せば命を失うと、全身が本能で理解していた。
沈黙は、返事ではなかった。
それは“言葉の喪失”でも、“思考の停止”でもない。
それ以前――“生きること”に縋るための、最後の自己保存本能だった。
「……無理ですか。なるほど」
声に、ひと欠片の感情もなかった。
それは、要件を終えたときの“報告のピリオド”にすぎない。
そして、ふと小さく肩をすくめる。
「ま、別に。索敵すれば一発ですし――
こんな草の中で、言葉に頼る方がナンセンスですね?」
微笑。嘲笑でも軽蔑でもない。
ただ、“すでに興味が失せている”という静かな合図。
ジブリールの翼が、わずかに震える。
空気の密度が変化し、重力のレイヤーが静かに剥離する。
落葉が、風もないのにふわりと揺れた。
そして次の瞬間。
彼女の身体は、“この世界から丁寧に剥がされるように”、忽然と消える。
残されたのは、崩れた魔物の死骸と、膝をついた三体の生物。
彼らの世界には、まだ“説明する言葉”が存在しない。
だからこの体験は、ただの“恐怖”として沈殿する。
――いつか神話になるかもしれない。
空から降りた羽の女が、指先で山の獣を殺し、
何も与えず、何も奪わずに、音もなく消えた――と。
――少し時間は遡る。
天蓋を突き破るような、垂直に降り注ぐ光の奔流。
まるで天界そのものが地上へと“傾斜”したかのような空間の歪みのなか、それは降りてきた。
幻想種《ファンタズマ》、アヴァント・ヘイム。
雲海を突き破り、空を滑るその巨躯は、まるで世界の構造そのものに継ぎ目を入れるかのようだった。
広がる背鰭が、空の輪郭を削り、虚空に幾何学的な波紋を走らせる。
尾部から放たれる魔力光は青白い尾を曳き、その通過した後には、大気の密度すら変化していた。
背中には、神の玉座を戴く神殿。
まるでそれは、“空”という概念を乗せて歩む神話生物のようだった。
大気圏を滑空するだけで、周囲の風層が断裂し、雲は光輪となって砕け散る。
着地――その瞬間、背鰭の魔力噴射が咆哮のような振動を発し、
半径数キロにわたる樹海を、まるで“神の息吹”のように吹き飛ばした。
大地がえぐれ、丘が崩れ、川が逆流し、空が震えた。
神の住まう“空の玉座”が、今まさに地上へと降り立ったのだ。
それは、まるで創世の神が最初の一歩を踏みしめた時に、天地が産声をあげた、その再現だった。
雲層は裂け、大地は削れ、空気すらも震え上がる。
アヴァント・ヘイムが“降臨”したその瞬間――世界は、確かに一度、黙した。
(……派手すぎだろコレ。完全に地形バグったな。樹海の一帯、もう真っ赤なんだけど……)
不安と焦燥が、喉の奥を焼くように疼く。
けれど、それは決して外に出さない。“神”は焦らない。汗をかかない。狼狽えない。
神はゆっくりと玉座から立ち上がり、重厚なローブを翻らせて、まるで演劇の幕開けのように両腕を広げた。
「……フフ。なんと荘厳なる調和、なんと麗しき破壊。大地が呻き、空が啼き、命が無知ゆえに跪く――まさにこれこそ、神の歩みが刻む“黙示の旋律”」
恍惚とした陶酔の声で言いながら、それは――まぎれもなく、自分自身への喝采だった。
決まった。決まりすぎた。
この“降臨ポーズ”も、“神の詩”も、完璧。完璧すぎて恐ろしい。
フフ……この俺、美しすぎでは? もはや罪では? 神だけに。
玉座の間に、しばし沈黙が落ちた。
男はふと視線を落とし、アヴァント・ヘイムの背から遥か下方、削られた樹海の跡をちらりと見下ろす。
大地は陥没し、土煙はなお立ち上り、川は逆流し、獣たちは数キロ先まで逃げ散っている。
それを確認した瞬間、(……あ、これちょっとやりすぎたかも)という冷たい思念が、首筋を撫でた。
が――。
男は、微笑んだ。
それは「ニヤリ」でも「苦笑」でもない。**完璧な“神の微笑”**だった。
何もかも計算済みであるかのように、余裕に満ちた笑み。
――否、計算すら不要。“神の降臨”に、理屈など不要なのだ。
「……フフ。無知なる命よ、震えるがいい。理想は、いま降りた。――神の貌をもって、この不浄の地に。この宇宙の歪みを、我が美で塗り潰すために」
玉座の間に風が吹く。
誰もいないはずなのに――空気そのものが、確かに“ひれ伏した”。
しばしの間、自らの言葉の余韻に浸る。
空と大地に刻まれた“美の足跡”。 それを見下ろす位置に立つことこそ、悦楽の極み。
だが、神にも整えるべき装いはある。
静かに踵を返し、純白の大理石で敷き詰められた神殿の回廊を進む。
この回廊は、神の威厳と美学の導線だ。通るだけで、自らの存在がより“神聖”に整っていくのを感じる。
たどり着くのは、神殿奥の一室――装飾室。
この場所は、俺自身がMODで構築した、究極の美術館にして武装庫。
装飾室の扉を押し開けた瞬間、容赦ない神性が室内を満たす。
俺が作り上げた“神造兵装の美術館”――。Fateシリーズ由来の正統な宝具を土台に、俺の審美眼と中二病魂で魔改造した逸品たちが並ぶ。
まず目に入るのは、伝説の聖剣そのもの。《エクスカリバー・モルガン》――Fateで最上位の宝具・“星に鍛えられた神造兵装(Anti‑Fortressランク)”を模した大剣。俺の手で黒紫に染め上げられ、刃文に断絶の文様が走る。抜けば世界を断ち切るような演出付き……ただし、あくまで飾り。
隣には、あの“エクスカリバーの鞘”こと**《アヴァロン》**。本来は守護結界を展開し、傷を癒す真理を秘めた結界宝具だが、俺のMODではその“安息のオーラ”だけを抽出し、展示用の無音のバリアとして演出。
さらに眼を惹くのは、**《ゲイ・ボルク》**として中二ネーム付きの槍。これが原典の“貫く死の槍”に似せた構造と虚空斬空のビームエフェクトを搭載しているのはご愛嬌。
そして、黄金の弓――《暁の水平線を再現したHybrid Excalibur Bow》。正式にはFate未登場だが、“Excaliburの精神を射抜く矢”という妄想設定で作り上げた俺の傑作。曙光のように淡く光り、“天啓の一射”っぽいエフェクトが煌めく。
傍らの展示台には、謎の鎌、杖、鎧など、Fate本編未登場の“神秘的装具”が並ぶ。
そのすぐ隣、黒檀の書架には革張りの魔導書が整然と並び、背表紙には禍々しい金文字が刻まれている。
――《霊壊術式》。
俺がゲーム時代、自作魔法追加MODとして実装した、五つの大封印魔法の総称だ。
《虚空第零加護》《一動第一加護》《不動第二加護》《終天第三加護》《久遠第四加護》――座標ごと封じ、存在そのものを消し去る決戦級の魔法群。
ただし、当時の俺は「最強魔法なんて簡単に覚えられたら萎える」という信念(という名の中二病)を持っていた。
その結果、習得条件は無駄に鬼畜仕様。
特定の種族であること、一定以上のレベルに達していること、複数の習得スキルを事前に揃えること――
おかげで、俺自身すらまともに運用したことはほとんどない。
(……そういやこんなのも作ったな。確か他にも、天候を強制的に“終末期”に変えるやつとか、時空間を裏返すやつとか……条件盛りすぎて、俺自身も全部覚えてないんだよな)
特定の種族限定の強化魔法や、特定種族だけが使える変身魔法なんかも詰め込んだはずだ。
あの頃は「設定は盛れば盛るほど格好いい」と本気で信じてたんだよな……。
すべてが、装備すれば最上級の演出とエフェクトを放ち、神話の存在すら霞むほどの“力”を誇る。
……着ければ、神すら凌駕する存在になれる。
――ゲーム内では。
「……さて、レベリングの準備だ」
片手を黒檀のケースに伸ばし、ひと振りの剣に指をかける。
――次の瞬間だった。
**バチンッ!**と、目に見えない何かが指の神経を逆撫でするように走り、手首から肘、肩口にかけて、骨の芯から“きしむ”ような鈍痛が一斉に炸裂した。
剣は、まるで“この手に触れてはならぬ”とでも言いたげに、触れただけで重力の層が十重二十重にのしかかってくるような感触だった。
筋肉が硬直し、腱が張り裂けそうになる。肘の関節が逆に曲がる幻痛すら走った。
(――やっべ)
……そして、すぐに理解する。
(ああ……なるほど。これが“レベル制限”ってやつか)
ゲーム内では数値で表示されていた単なる条件。
だが、ここでは**“拒絶”として、明確な痛みで返ってくるらしい。**
脳裏を冷や汗が走るが、もちろん顔には出さない。
涼しい表情のまま、指をそっと剣から離す。
……その瞬間、痛みはすっと消えた。
破裂しかけていた血管も、引き攣れていた筋肉も、まるで“最初から存在しなかった”かのように回復している。
皮膚には傷一つなく、骨の軋みすらも今や幻のようだった。
(……あー、神霊種の自動回復か)
「ふむ……この神の肉体にしてなお、この重圧――
だが、それもまた美しい。
力を抑え、時を待つこの姿すら、完璧なる造形……まさに“神の在り方”よな」
口調だけは悠然と、まるで“神の意志”で封印を見送ったかのような体を装う。
――ああ、もう完全に芝居だ。
自分で笑えてくる。
次に、隣の杖に手を伸ばす。
天体を模した宝珠を戴いたその長杖は、見ただけで魔力の密度が違うと分かる代物だった。
軽く石突きを持ち上げるつもりで指をかけた、その瞬間――
(……なっ)
急激に、魔力が抜けた。
体の奥から、ぞわっと悪寒が這い上がる。
(おい……マジか。吸ってる――俺の魔力、全部!)
流出は止まらなかった。神霊種の固有スキルで即座に補填されるはずの魔力が、再生と同時に吸われる。
バケツに穴が開いているのではない。蛇口ごと外されて、川に流されている感覚。
そして――魔力が尽きた“その次”。
生命力が、抜け始めた。
心臓の鼓動が一拍遅れ、視界の色が少しだけ薄れる。
血液が冷たく、指先の感覚が鈍い。
杖は無言のまま、“触れた存在を選別する”ように、静かに俺を殺しにきていた。
咄嗟に手を引く。
その瞬間、すべてが戻った。魔力も、体力も、感覚も――神霊種の自動再生がようやく追いつき、全身が元の状態へ復元される。
何事もなかったように、杖はその場に鎮座していた。
(……あれ、絶対レベル制限の域じゃねえだろ……)
ならば――と、視線を鎧やローブへと滑らせる。
防御面で少し妥協すれば、多少は動けるかもしれない。
たしか、このあたりには“神造兵装”ではない、普通の兵装も仕舞っていたはずだ。
装飾棚の下段、そこに目当てのものがあった。
黒を基調とした、界王神風の衣装。
金糸で緻密に刺繍された文様は、袖口の空間紋と相まって、見た目だけなら威厳満点。
纏えば、それだけで“神”の存在感が演出できる、芝居用の逸品だ。
その隣には、やはり黒をベースにした武道着が並ぶ。
無駄な装飾を一切排し、機能性と可動域だけを突き詰めた設計。
神らしさよりも、戦闘の現実を重視したモデルだ。
どちらも、ゲーム時代の自作衣装。
あの頃――アバターの元ネタが「ゴクウブラック」で確定した瞬間に、「着せるならこれしかない」と勢いで作ったものだ。
だから、特別なエフェクトや固有能力は一切ない。
ただ、“作りたかったから作った”。その一点だけで存在する装備。
だが、完全に装飾用というわけでもない。
物理的な防御力は十分にあり、レベル制限もない。
そう、“神の見た目”を保ちつつ、実用に耐える最低限の鎧――それがこの二着だ。
(どうする……?)
(戦うなら道着のほうが実用的だが、見栄えは界王神服のほうが――映える。完ッ全に“神”映えする)
棚の前で腕を組む。
顎に指を添えて斜め上を見やるその姿は、一見すると深遠な叡智を抱えた賢者。
だが、その実態は――服選びで脳内会議を始めたアホの絵面に他ならない。
(界王神服……威圧感、オーラ、儀式感。間違いなく“神”そのもの)
(だが動きにくい。魔物との戦闘中に裾が絡んだらどうする? 滑空時に風でバタついたら?)
(逆に道着は……シルエットがシンプルすぎるか? でも、あのモーション――空中舞踏からの鎌振り下ろしにはこっちのほうが合う)
鏡の前で、ポーズを交互にシミュレーションする。
界王神服で神々しく腕を広げ――次の瞬間、道着姿で架空の魔物を蹴り飛ばす。
自分で想像しながら「どっちも捨てがたいな……」と真顔で唸る。
そして、十分以上にも及ぶ沈黙の神芝居の末――俺は、ようやく決断する。
指先で顎を撫でながら、深く、ゆっくりと頷いた。
「――機能美こそ至高。神は、無駄を着飾らない。よって、道着だ」
その声は、まるで神託のように重々しく響いたが――
実際は、己の美意識と“戦闘スタイル映え”の間でガチ悩みした末の産物だ。
――とはいえ、現実はレベル1。
正面から魔物に挑めば、一瞬で塵と化すだろう。
(くそ…結局、人の手を借りるしかないか)
その瞬間、俺の脳裏に浮かんだのは――世界でただ一体、俺自身が時間と労力をかけてMODで創り上げた存在。
ジブリール。番外個体。
俺の審美と殺意の極致で構築された、“創造神の手による究極兵装”。
目指したのは、かの裏ボス《ヤズマット》に匹敵する圧倒的強度。
あらゆる魔法に対して多重耐性、広域殲滅、空間操作、再生阻害、終末火力――
彼女なら、魔物を一瞬で瀕死に追い込むのは朝飯前。
その隙に俺がとどめを刺せば、経験値も安全も手に入るのだ。
「……我が眷属達には、引き続き“神の指輪”を探させよう。ジブリール――貴様は、我が剣として振るわれよ。神の敵を刈り、地を清めるのだ」
――まともに優先順位を考えれば、これ、完全に狡猾だ。
だけど外面は揺らせない。
俺はゆっくりと呼吸を整え、瞼を閉じる。
意識の深層へと沈みながら、魔力の“糸”をひと筋――静かに手繰るように伸ばしていく。
かつてゲームだった頃は、メッセージ機能で一斉送信ができた。
だが今は違う。
現実となったこの世界で、天翼種たちと自分は――何か“細く繋がっている”感覚がある。
見えはしないが、確かに存在する霊的な回線。
その一本に意識を乗せ、俺はただ一言、念じる。
《――戻れ》
音ではない。光でもない。
想念そのものが、真っ直ぐ彼女の意識に突き刺さるような感覚だった。
よし――そう呟き、俺は道着を手に取る。
神を演じるには、装いの切り替えすら“演出”だ。
静かに帯を解き、ゆっくりと上衣を脱ぎ――
パァンッ。
空間が、音もなく“割れた”。
――ジブリールが現れたのは、その瞬間だった。
上半身裸。
筋肉に光が流れ、引き締まった肉体のラインが神殿の白に映える。
だが俺は動じない。
神の肉体は恥じるものではない――むしろ、見せるためにある。
この姿を目にした者は皆、畏怖と崇拝を抱く。
なぜならこれは、**完璧にデザインされた“理想の器”**なのだから。
「……マスター。ユア・オーダー、グレイシャスに受領しました。このジブリール、マスターのコールに応じて、スルー・ザ・スペースで馳せ参じました♪」
その声音は一糸乱れぬ敬意に満ちている。
だがその瞳の奥――ふと、熱が帯びたようにも見えた。
ジブリールは、ほんの一瞬たりとも視線を逸らさなかった。
否――逸らせるはずがなかった。
そこにあるのは、神造の肉体。
彼女が創られし“主”の、神としての完成形。
(……このアングル……きました、アリですね、ええ……!)
脳内では敬語ですらテンション高めに炸裂していた。
それでも表情には、忠誠と崇敬の仮面しか浮かべない。
(この筋肉線、聖句にも記述されるレベル……いまこの瞬間、わたしだけが特等席……グレイシャス!)
見惚れるでも、欲情するでもない。
ただ、敬愛と畏怖と、少々のミーハーが混じった熱量で――
ジブリールは、崇めるようにその姿を凝視していた。
ジブリールは、ほんの一瞬たりとも視線を逸らさなかった。
否、むしろ尊崇の念がさらに深まり、声音には、ただただ“奉仕の歓び”――信仰を超えた忠誠がある。
背後の光輪が静かに回り出し、瞳には揺るぎない崇めの意志が宿っていた。
この神の肉体を目にし、それを“崇拝の対象”としか認識しない――
まさに、神の創造物にして最高傑作。
俺の指先が、かすかに震えた。
そして、無意識に――口角がわずかに上がる。
背徳に近い高揚感。絶対無敵の神を再び掌に取り戻したかのような錯覚。
(……よし……これで死ぬ未来は遠ざかった……!)
内心では、胸をなでおろす勢いだった。
だが外面では、その動揺を一切感じさせぬよう、完璧な“神の微笑”を形にする。
ジブリールは一礼すらせず、すっと足を動かした。
そのまなざしは静かで、しかし確実に主の背を追う。
「アンダスタンド、マスター。“我が剣”として、あなたのすぐ後ろに。……ご期待には、パーフェクトに応えてみせますとも」
そして、神とその天使は、地上へと歩みを進める――すべてを変える、第一歩として。