神様ムーブは疲れます 作:ゴリランド
神殿の広間。
吹き抜けを通る風が、今日は格別だった。
冷たいはずなのに、不思議と心地いい。胸の奥をすっと撫でられるようで、深呼吸を繰り返すたびに体が軽くなる。
──レベル44。
そう、俺は今、レベル44に到達している。
思えば、レベル1から始めたのは四百年前のことだ。
あの時は絶望のどん底だった。指輪も力もすべて失って、神の演技だけがかろうじて俺を支えていた。
それが今や、44。
……といっても、苦労したかといえば、そうでもない。
経験値は自動獲得の仕組みを仕込んでおいたから、狩りに明け暮れる必要はなかった。俺自身が汗を流したわけじゃない。
けど、それでも数字が増えていくのを見届けるのは感慨深い。長かった時間が少しずつ形になって返ってくるようで、胸の奥がじんわり熱くなる。
そして、レベル44で得られるもの。
ただの数字以上の価値を持つ、待ち望んだ報酬。
──舞空術。
ようやく、自分の力で空を翔ける術を手に入れたのだ。
もう、ジブリールに抱えられて運んでもらう必要はない。
天と地を、自分の意思で繋げることができる。
(一人で地上に、降りられる……いやマジで飛べるんだ、俺。ゲームの中じゃなく、このガチ空を! ……わくわくすっぞ! 足が浮く前から心臓が跳ねてやがる)
「マスター、どうしました? ……すごく嬉しそうな顔をしてますよ。まるで、長年の願いがかなったみたいに」
背後からジブリールの声。調子は軽いが、観察眼は相変わらず鋭い。
(ちっ……そりゃバレるか。こいつとはもう四百年も一緒だもんな。俺の顔色ぐらい、すぐ見抜かれるに決まってる。……でも、“今日ようやく空飛べるようになったんだ~”とは、神の威厳にかかわるし、いえねぇな。俺は神……いや、神は俺……うん。掌に“神”って書いて飲み込むくらいの気分で自己暗示しとこ)
「フッ……神が微笑むのは当然のこと。風は、常に我とともにあるからな」
外面は短く、冷ややかに。中身の小心者が震えていることなんて、絶対に言えない。
「にゃははー! マスター、もしかしてぇ……この前のエルフ女の胸、おもいだしてたんじゃにゃいの?」
欄干に腰かけたアズリールが、わざと胸を突き出してみせる。
「……っ!」
(おいバカやめろっ! ……確かに脳に焼き付いてるけど、今ここで引っ張り出す話じゃねぇだろ!?)
「顔が赤いぞー? 図星だにゃ。じゃ、わたしのおっぱいも“むにゃっ”てしてみる?」
アズリールは自分の胸を押さえ、にやにやと身を寄せてくる。
(えっ……いや、ちょ、近っ!? 近い近い近い!! なにその柔らかそうな距離感っ! やべぇ、目が泳ぐ……落ち着け俺、落ち着け……! お、俺は神、神は俺……そう! 神はこんなんで動じねぇんだよ!! ……動じねぇんだってば俺ぇぇ!!)
「姉さん、からかいすぎです。マスターが困っているのが見えませんか」
ジブリールがツンとした声で割って入る。
「にゃにそれー? 困ってるっていうより、嬉しそうに見えるけど?」
アズリールがさらに追撃してくる。
「に、にゃにを言うかっ! 神がそんなことで喜ぶわけがなかろうがッ!」
声が裏返り、芝居じみた響きになってしまう。
(あっ、やべ……今の完全にスベった。余裕ゼロじゃん俺……!)
「マスター、顔……赤いですよ。どうしたんですか? 照れてるようにも見えますけど?」
ジブリールが軽い調子で言う。いつもの無表情に近い顔のまま、さらっと核心を突いてくる。
「っ……」
(やめろぉぉ! そんな軽いノリで突っ込まれたら余計恥ずかしいんだって!!)
俺は咳払いをひとつして、無理やり話を切り替えた。
──本題。エルフの国。あの邂逅。
シンク=ニルヴァレン。
いた。いたのだ。
俺が人間だったころ、心底好きだったラノベのキャラクターが。
白銀に近いプラチナブロンドの髪は光の加減で金にも銀にも見えて、緑がかった瞳は澄んだ湖のように深い。
細くすらりとした輪郭、耳の先まで流れる髪筋、まさに絵に描いたようなエルフの美貌。
──そして、胸だ。
でかい。ただでかいだけじゃない。形がやけに整っているくせに、サイズが規格外すぎて全体のバランスを狂わせている。
けれど、そのアンバランスさが逆に魅力になっていた。むしろ全身を完成させているのはあの胸だとすら思える。
しかも、あの衣装だ。最低限しか布を使ってなくて、紐で辛うじて留めてるだけ。上ははち切れそうに盛り上がり、下は布が押し広げられて谷間が強調され、視線が逃げられない。
横から覗けば曲線が、下から見上げれば迫力が、正面からはただただ圧倒される。
あんなの、まともに直視できるはずがない。
(いや……俺、髪とか瞳とか最初に言ったけど、結局ずっと胸しか見てなかったよな……)
見間違えようがない。
紙面と画面で擦り切れるほど追いかけた影が、現実にそこにあった。
だが、ありえない。
あのVRMMOに、彼女が登場したことは一度もなかった。
公式はもちろん、非公式のイベントやコラボですら見た記憶はない。
……天文学的な偶然で、そっくりな人物が自然発生した?
いや、そんな確率あるか。
髪の色も、瞳の輝きも、耳の形も──まあ、似ているやつは世の中探せばいるだろう。
けど、あの胸のサイズ、張り、形、重力に抗う持ち上がり、布に食い込むライン……そのすべてが“完全一致”なんてこと、ありえるか? いや、絶対にありえない。
俺は遠い昔を手繰り寄せる。
ログインしては廃プレイに明け暮れた日々。追加クエスト、コラボキャンペーン、ユーザーイベント……思い返しても、シンク=ニルヴァレンなんて名前が出てきたことは一度もなかったはずだ。掲示板の速さ、擦り切れたスクショ、当時の画面の色味まで思い出しても、やはり見当たらない。
──なのに、今は“いる”。
俺は眉間を押さえ、こめかみの奥へ意識を沈める。四百年前の引き出しを、ひとつずつ引き抜いては埃を払うみたいに並べ直していった。
あの頃、俺は何を見て、何を見なかった?
MODは山ほど作った。その中に、各種族の「長(リーダー)」がいれば強化、いなければ新しく追加する――そんな敵ボス強化・追加の詰め合わせMODもあった。
要は、ゲームの難易度を激ムズに引き上げるための調整だ。
俺は自分を盛るタイプのMODも平気で突っ込んでいた。だが、それだけではバランスが崩れて面白くなくなる。だから敵も合わせて強くする──MODあるあるだ。
強化のカーブ、行動の優先度、周辺イベントの触発条件……そういう細かいとこまで調整して、**「強敵が中心にいる世界」**を形にした。
思えば当時の俺は、遊ぶより“分解して組み替える”方が好きだった。
レベル上げより挙動の解析、攻略より仕様の穴探し。パラメータの傾き、行動優先の順番、当たり判定の縫い目──そういう“見えない設計図”を延々いじくり回してる時間が一番楽しかった。
世界で遊ぶより、世界のネジを回すことに快感を覚えていた。
その延長で、見た目のプリセットは転移前に俺が好きだったラノベを下敷きにした。獣人の長やドラゴンの龍王、エルフの族長を……誰かに差し替えた記憶がある。
ただ、その“誰か”が誰だったか、すぐには浮かばない。髪色? 服装? 断片がちらつくだけで、輪郭はぼやけている。
……けど、胸のイメージだけはやけに鮮明だ。
豊かすぎる曲線、最小限しかない布、はち切れそうな張り。そこにばかり焦点が合う。
(あれ……なんだ……どこかで。いや、毎日のように追いかけてた……)
意識の奥で、忘れていた名がかすかに浮かぶ。
──シンク=ニルヴァレン。
そうだ。俺はエルフの族長を、彼女で上書きしたんだ。
思い出の断片が、胸の鮮明な像に引きずられるように、ひとつに繋がっていく。
……だが、それも「全種族の長を差し替える」パックの一部にすぎない。
大げさに言うほどじゃなく、実際に手を付けたのはアニメや挿絵でキャラデザがはっきりしているやつだけ。
人間、エルフ、獣人、ドラゴン。
そのあたりを対象にして、族長や王をお気に入りのキャラで差し替えた。
四百年。短命の“長”は何度も世代を入れ替わったはずだ。けれど、長命は残る。とくにドラゴン、それからエルフ。
もし、あのMODがこの世界に染みているなら、痕跡はそこに出る。
机上で推理をこね回すのはやめだ。結論は、現場で確かめればいい。
俺にはひとつ、はっきり思い出した記憶がある。
ドラゴンの場合は、強化個体をゼロから作って追加したんだった。既存のボスを盛ったんじゃない。完全新規の“龍王個体”として設計した。
しかも、単体性能は数ある追加種族の中でも最強に振った。攻撃力、耐久、魔力量――全部、突出させた。
もし、この世界にシンク=ニルヴァレンが“染みて”いるなら、そのドラゴンだって例外じゃない。
いや、むしろシンク以上に桁外れの魔力を抱えているはずだ。
だから狙うのは、まずドラゴンだ。
桁違いのマナを持つなら、高高度からソナーを打ち込めば必ず共鳴する。森精や人間じゃ反応が埋もれるが、龍王個体なら一発でわかる。
「ジブリール」
「はい、マスター」
「上空からソナーを落とせ。15本だ。龍精のマナなら、反射で必ず“見える”」
「了解。出力は弱め。安定を優先。……姉さん、あなたは3本まで」
「えー? にゃんで3本だけにゃの? ケチっぽーい」
「姉さん、ばら撒きすぎはよくありませんよ。せっかくの魔力波がぶつかって消えるだけになってしまいます」
「ふーん……じゃ、3本“だけ”ね。にゃら、めっちゃ綺麗に響かせちゃうから、マスター、ちゃーんと見ててよ?」
「始めろ」
命令と同時に、ジブリールが片手を高く掲げた。
その指先から、12の光輪が鋭く落ちていく。
地表に触れるや否や、まるで一瞬の静寂のあとに爆ぜたかのように、“コーーーーン”という澄んだ、しかし重厚な響きが空気と大地を切り裂いた。
光輪はいきなり衝撃波となって広がり、空間を揺らしながら地面を叩き、透明な波の網を描いて広がっていく。
遅れてアズリールの三本も続いた。
その波は、まるで歌声のように柔らかく重なり、ジブリールの十二本と響き合う。
互いにぶつからず、角度をずらして重なっていくと、見えない線が交差して“網目”を描きはじめた。
空と大地のあいだに張られた透明な織物のように、十五の波が編まれていく。
衝撃の輪は、森を抜け、山脈に沿い、さらに地下の浅層を震わせながら――そこに潜むマナの脈動を、一つひとつ浮かび上がらせていく。
返ってくる振動ごとに、主人公の意識には見えない“魔力地図”が紋様のように精緻に刻まれていくのだった。
「一次反応、薄いのがいくつか……森のざわめきですね。スルーします」
ジブリールが視線だけ動かして淡々と告げる。
「今の“ぽこん”可愛い。森がくすぐったがってる音にゃ」
「可愛いは置いておいて、森精サイドの薄い反応、複数拾いました」
次の瞬間、空気が一度だけ鋭く鳴った。
ドン。
五本のソナーが遠い一点で、指を鳴らすように同調する。
「反応アリでございます、マスター。……方位、北東。直線距離で4500キロ。すぐ近くですね」
ジブリールの瞳に、演算の光が冷たく灯る。
「ふむ……ならば、私みずから行くとしよう」
黒衣の裾を払って立ち上がる。声色は芝居がかったほどに冷ややかだった。
「直々に、でございますか? ただの巨大トカゲの棲み処などへ……」
ジブリールは小さく首をかしげる。
「マスターほどの御方が、下等生物の泥に足を沈められるなど……理解に苦しむ所業でございます」
「ジブリールよ。神は時に芝居を打って見せねばならんのだ。直に歩み、直に視る。その一歩こそ“神の眼差し”となるのだ」
大仰な言葉が、空気を張りつめさせる。
「……なるほど。下等種には到底理解できぬ、神だからこその理屈でございますね。ですが、マスターの御意志とあらば、従うのみでございます」
ジブリールは恭しく頭を垂れる。
「にゃはは! つまるとこ“気ににゃるから行く”んでしょ? マスター、でっかいトカゲに会いに行く神様だにゃ。かーわいい~」
アズリールが羽をぱたぱたさせて、子供のように笑い転げる。
「アズリール。余計な口を叩くな」
声を張り上げるが、頬にはかすかな赤みが差していた。
実際のところ、ただ気になるだけだった。
シンクが“いた”。なら、他の奴もどこかにいるかもしれない――その程度の理由にすぎない。
だからこそ、一歩を踏み出した。
実際のところ、ただ気になるだけだった。
だからこそ、その一歩を躊躇なく踏み出した。
そして――
足裏が地から解き放たれた瞬間、あらゆる感覚が逆転した。
重力の鎖が断ち切られたように、周囲の空気がじわじわと支えに変わる。
肌に触れるはずの「空気」が、無言の床となって広がった。
初めは、身体の下に足裏があるような錯覚すら覚えた。
けれど、視線を下に向ければそこは雲海と遠景。
その距離を思えば――本当に浮いているのだ。
心臓が脈を刻み、脛が震えた。全身がふわりと持ち上がるような感触。
頭上ではただ、風が羽交い締めのようにまとわり、体を遠くへ押し出していく。
――落ちるのではない。浮いている。浮いているのだ。
(……浮いた。本当に、俺は………空を飛んでいる…………すげぇ……!)
そんな無骨な実感に、内側から震える喜びが広がる。
胸は高鳴る。だが外面は、あくまで神芝居。
まず、背を伸ばす。
その仕草ひとつで天穹を戴く柱のごとき威容をつくり、重力すら従わせる。
次に、顎をわずかに上げる。
視線は遠天に向けられ、凡俗には決して届かぬ高さを示す。
両腕を広げる。
抱擁ではない。天と地を同時に支配するかのように、ゆるやかに左右へ。指先は光を摘み取るように繊細に震える。
そして、黒衣をはためかせる。
ただ風に遊ばれるのではない。裾が翻るごとに影が大地へ落ち、まるで神殿の柱影のように地を刻む。
最後に――黒い魔力を噴き上げた。
その奔流は光輪となり、彼の周囲に渦を巻き、過剰なまでの輝きを描き出す。
漆黒の靄は稲妻を孕み、天を裂く。闇と光が同居するその姿は、ひとつの世界そのものに見えた。
「ふっ……当然のこと。天は我を戴き、地は我を仰ぐ。これこそ――まさに神の御業」
冷ややかな声が、黒衣の裾を震わせる。
「……ああ、美しい……! 御身そのものが天地を統べておられる……神話の一頁にございます」
ジブリールが両手を胸に当て、恍惚と吐息を洩らした。
「にゃははーっ! すっごい、マスター! 空そのものがマスターに抱っこされてるみたい!」
アズリールは翼をばさばささせ、子供のように跳ね回る。
(や、やば……褒められるの、こんなに嬉しいのか……! やべぇ、外面崩すな……神モード、神モードだ俺!)
黒い稲妻をさらに走らせ、視界を眩ませるほどに輝きを増す。
裾を翻し、胸を張り、神芝居を過剰に極めて――
「ふっ……見よ、この光景! 天も地も、この世のすべてが、我を飾る!」
稲妻が尾を引き、黒衣を包み込む。
裾を翻したまま、彼は北東の空へと静かに身体を傾けた。
次の瞬間――世界が弾け飛んだ。
風が爆ぜ、耳の奥を突き抜ける。鼓膜の奥で低い唸りが絶えず響き、内側から骨が震える。
頬を叩く感触は、もはや風ではなく圧縮された壁。空気が刃のように張り詰め、肌を削ぐ。
景色は一瞬で線に変わった。山も川も森も、すべてが色彩の帯と化し、後方へと千切れるように流れていく。
肺がぎしりと軋んだ。
呼吸を吸い込むたび、空気の密度が揺らぎ、体内に入ったはずの空気が形を変えて膨張する。
酸素ではなく「圧」そのものを取り込まされているような、説明のつかない違和感が胸を押し広げた。
血流すら遅れを取り、鼓動と呼吸のリズムがずれる。
(う、うわ……っ、なんだこれ……っ! 肺が、重い……いやでも、苦しいのに……気持ちいい……! 空気が、体ごと押し流してる……ッ!)
視界の先には、まだ遠い北東の地平。
だが身体は既にそこへ射抜かれる矢のように走っていた。
速度は人の理解を超え、空は稲妻の残像で縫い合わされていく。
黒衣の影は雷鳴を引き、彼自身が黒き彗星となって、ただひとつの神話を描き出していた。