それは最初、些細な違和感だった。
ダキが開店準備のために店の扉を開けると、外にはゴミが散らばっていた。
ここは日本のように、常に綺麗な訳ではない。
店の前にゴミが捨てられる、そんな事もあるだろう。
そう思い、ダキは意に介さず掃除した。
しかし。それが数日間続いた。
そして今度はゴミの代わりに、店の壁に粗末な落書きがされていた。
“病気持ち、淫売、人外女”
「…チッ。面倒なことになってきた」
ダキは誰にもわからぬ程度に、小さく舌打ちをしながら顔を顰めた。
「何者かは知らんが…随分と姑息な手を打ってくれる」
ダキはすぐに表情を改め、落書きを布で隠して営業を開始した。
しかし、嫌がらせはそこで終わらなかった。
その日の午後、店に来ようとしていた常連客が、近くの路地で女に呼び止められているのをダキは見かけた。
ダキはその様子を常連客に尋ねた。
“そこの店には気をつけた方がいいよ。あそこ、客に変な香を嗅がせて身体おかしくするって噂だよ?”
彼は女から、そのように言われたと語った。
そして数日後には、市井の間でも妙な噂が耳に入るようになった。
“木の花で使われる香には、危険な混じり物が入っている”
“あの女は身体を使って権力者に取り入ってる”
ダキは表面上は穏やかに受け流しつつ、分析を進めていた。
「うぅむ…思ったより組織的だな。単なる嫉妬や悪戯の類じゃあない。しかし冒険者という立場上、市民に手を出す事は御法度…まだ泳がせるか」
あえて嫌がらせを放置して、しばらく。
ついには教会から騎士がやってきた。
これには流石のダキも驚いた。
「これは騎士様、一体何用で」
「こちらに魔物が潜んでいるとの情報提供があった。これより調査する」
「え、ええ…どうぞ、お気に召すまでお調べ下さい」
ダキは騎士を店に迎え入れた。
「この店では君が男の相手をするのか?」
「はい、左様でございます」
「しかし…その出で立ちは、まるで聖職者ではないか。身体を売らなければならない程金に困っているのか?」
「いえ、私はこのお仕事を好きでやっています。ここは、ただの癒しの店です。それと、この姿についてですが…この格好ですと、お客様が大変喜ばれますので。えっと…あのぅ…いけませんか?」
「ま、まあ聖職者を偽って不正に医療行為をせんならば、誰からも文句を言われんだろう。それと、知っているだろうが…市民に対する無許可の医療行為は我らが取り締まる故、平素から気を付けよ。では、中をあらためさせてもらう」
「はい、仰せのままに」
ダキの店は、教会の騎士により捜索された。
店で焚いている香も持ち帰られ、ダキの身体も改められた。
香については軽い媚薬のような効能が認められたが、風俗店なだけに大きな問題にはされなかった。
それどころか、教会の関係者から香を融通してくれと請われる。
ダキの身体についても、不問に処された。
賊から奪った隠蔽スキルがダキの正体を誤魔化し、捜査を躱した。
結果、魔物が潜んでいると言う物証は認められなかった。
むしろ、調査に来た騎士が常連客になってしまう始末。
しかし、この事件をきっかけにダキは行動を決意する。
性懲りも無く、また店の近くで客を呼び止めては何かを吹き込んでいる女達。
情報は常連客から次々と上がってくる。
その女達は在野の娼婦だった。
その中でもリーダー的存在の女を、ダキはハッキリと目撃した。
女達の中心には、派手な化粧をした黒髪の女が立っていた。
鋭い目つきで、仲間らしい数人の女たちに指示を出している。
「あいつかぁ…しかながら必死だねえ。まあ彼女らの気持ちも分からなくもないけど」
代官の政策でワクビスの花街は縮小。
収入が先細ってきた矢先に、ダキが台頭して客を掻っ攫った。
当然、在野の娼婦達は怒るに決まってる。
しかも彼女が権力者に根回しして、店を開いたのは事実だ。
尚更、自身が気に入らないだろう。
ダキはそう考えた。
「しかし、喧嘩を売ってきたのは彼女達だ。それに正体がバレる可能性も出てきた。ここら辺でお仕置きしとくか」
♢
エザルドはワクビスでもトップの娼婦だった。
彼女の波打った黒髪は短めに切り揃えられ、その表情は自信に満ちている。
この街では自身を上回る良い女はいない、と言う自負が彼女にはあった。
それもダキがワクビスに来るまでの話であるが。
エザルドは初めから娼婦だった訳ではない。
彼女は冒険者としての成功を夢見、ワクビスへやって来た田舎娘だ。
しかし冒険者としての実力は追いつかず、生活のために始めた仕事が売春だった。
一方で皮肉な事に彼女は、器量の良さと男性を喜ばせる才能には恵まれていた。
夢破れたエザルドは、若くして娼婦の上層に昇り詰めたのだ。
しかしそれも束の間の事だった。
行政の政策により、ワクビスの花街は縮小の憂き目に遭う。
“風紀、治安の維持”
“公衆衛生の向上”
そんな名目で、売春婦や連れ込み宿に対する規制が強化された。
全面禁止だけは免れたが、以前よりも稼ぎをやりにくくなったのは事実だ。
そこに、ダキと名乗る新参者がやって来た。
彼女は美しく清廉潔白な容姿であった。
冒険者としての腕も一流で、組合の強者共と肩を並べる程だ。
そんな女が、あろう事か風俗店を堂々と開業した。
マッサージ店として登録しているようだが、そんなものは表向きの看板に過ぎないと分かった。
規制が強くなったワクビスにおいて、なぜ新規に風俗の店舗を出店できたのかエザルドには甚だ疑問だった。
しかし、程なくしてダキの経営する”木の花”は、街で一番人気の店となった。
エザルドをはじめとする多くの娼婦が、この店に顧客を奪われていった。
金払いの良い上客は皆”木の花”へ行き、エザルド達の元に来るのは貧乏人が多くなった。
冒険者としての名声を上げながらも娼婦として成功しているダキを、エザルドは許せなかった。
プライドを汚され、居場所を奪われると思った。
故に、エザルドは娼婦仲間に声をかけた。
ダキを排除するために。
店の前にゴミをばら撒き
店の壁には落書きをし
ダキの客を横取りしようとし
彼女や店の悪い噂を広め
匿名で教会に「魔物がいる」と通報する
教会の騎士が”木の花”の監査に入った時など、エザルドは笑いが止まらなかった。
その日以降”木の花”は予約を受け付けなくなった。
実質的な休業である。