ワクビスの夜更け、店の屋根に登り足をぶら下げる。
淫魔の身体ゆえ、夜目がよく効く。
そして、この世界は星空の眺めが良い。
魔法の存在によって工業化が進まず、大気が綺麗なのだろう。
さて…深夜ともなれば、さすがにここ”木の花”周辺の花街も静まり返る。
この地方都市にも繁華街があるとは言え、まだまだ発展の余地はあるな。
近代日本は当然ながら、江戸の吉原にすら及ばぬ。
まだまだ、これからよ。
私はそんな事を考えながら、天の川銀河とは違うだろう星々を眺めていた。
「政党まで立ち上げて、上手くやったつもりなんだけどなぁ…」
頑張って長生きしたのに、表舞台に立った途端に殺された。
こんなあっさり死ぬんだもの、師匠の上泉伊勢守には申し訳ない。
「人の死が近いあの時の方が、研ぎ澄まされていたのかもなぁ…すぅーっ…ふぅ…」
薬草を紙で巻いた筒に火をつけて、煙を燻らす(ちなみに煙草が無いから、自力で作った)。
今思えば、日本での暮らしも随分と長かったなぁ。
たまには、こうして思い出に耽るのも良いだろう。
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私の生まれは上州上野国。
ある日の事だ。
川のほとりにある“りゅうぐう”と呼ばれるところから客人が来た。
その客人は、珍しい魚を手土産にしていた。
私は皆が庚申待をしている隙に、どうしても腹が減って我慢できず、その魚を黙って食べてしまった。
当然、激怒された。
「罰当たりめ」「掟を破る穢れ者」と罵られ、私は故郷から追放された。
この頃の追放は、死罪に注ぐ罪の重さだ。
それから私は各地を放浪した。
生き残るために武術を学び始めた頃は、まだ人間らしい羞恥心と道徳心が強く残っていた。
初めて男に身体を求められた夜は、吐き気がした。
「やめろ」「触るな」と必死に抵抗し、爪を立てて暴れた。
しかし力では到底侍に敵わず、地面に押し倒され、荒々しく犯された。
痛みと屈辱で涙が止まらなかった。
「俺はこんな生き物じゃない……こんなはずじゃない……神様仏様、許してください……」
と心の中で何度も叫んだ。
その夜、身体が汚された感覚が何日も消えなかった。
眠れぬ夜に、ただ震えながら自分を責め続けた。
女を抱いた時も同じだった。
「これは罪だ」「間違っている」と自分を激しく責め、吐き気を堪えながら行為を終えた。
「俺は人間として生きる資格を失ったのかもしれない」
そう自分に言い聞かせ、毎回自己嫌悪に苛まれた。
夜毎は、胸が締め付けられるような苦しみを味わった。
しかし、生きるためには身体を使うしかなかった。
飢え、寒さ、暴力……毎日が生きるための戦いだった。
そうして何度も何度も肌を重ねるうちに、嫌悪は徐々に薄れていった。
(こんな快楽を感じてしまう自分が許せない)
最初は、そうやって快楽そのものを憎んだ。
だが、身体は正直だった。
繰り返すたびに、痛みや屈辱の奥から甘い疼きが強くなる。
「これは正しくない、間違っている」
という理性と、身体が求める感覚との間で激しく葛藤した。
「もう少しだけ……生きるためだけに……」
そう自分に言い訳しながら、徐々に抵抗が弱くなっていった。
やがて、羞恥心は完全に麻痺した。
その頃から、私の内に暗く捩れた支配欲が芽生え始めた。
それは、追放された時の無力感、犯された時の屈辱、生きるために身体を差し出さざるを得なかった日々の積み重ねが生んだもの。
歪んだ復讐心だった。
「もう二度と、誰かに支配される側にはならない」
「今度は俺が、相手を自分の手中に収め、喘がせ、泣かせ、従わせ、壊してやる」
そんな暗い思いが、放浪の最中に静かに、しかし確実に育っていった。
戦の最中、足軽の乱取りに遭っていた美しく若い女を救った夜。
恐怖に震える彼女を小屋に連れ込み、「この女は俺が貰う」と宣言した瞬間、私は強い興奮を覚えた。
彼女は激しく抵抗し、泣き叫び、私を「化け物」と罵った。
その嫌悪と恐怖に満ちた瞳を見ているだけで、胸の奥が熱くなった。
私は優しく抱き寄せながらも、ゆっくりと身体を弄び、抵抗する心を溶かしていった。
最初は
「やめて……殺して……」
と拒絶していた彼女が、数日後には自ら腰を振り、甘い声を上げて果てるようになった。
その変化を見る悦びが、たまらなかった。
女を抱く時も、男を抱く時も、ただ快楽を求めるだけでなく、相手の心と身体を自分の支配下に置くことを愉しむようになった。
衆道の宴では、権力者を縄で縛り、屈辱的な姿勢で奉仕させながらも、逆に自分が主導権を握る快感に溺れた。
男の娘同士で絡み合い、互いの身体を貪りながら、”お前は俺のものだ”と囁く支配の悦びを知った。
女を妊娠させ、出産させたことも何度かあった。
彼女たちの腹が大きくなっていく様子を見ながら、私は強い支配欲と満足感を覚えた。
最初は
「嫌い」「化け物」
と拒絶していた女が、腹が膨らむにつれ、私にすがりつくようになる過程がたまらなく興奮した。
生まれた子は皆、美しい容姿を持って育ち、私の血を引く者として遠くから見守った。
その子孫たちは後に、宗教や政治の場で手駒として役立つ存在となった。
本来ならば好く者同士で、子孫を残したくなるのが人情というものだ。
私はそんな人情すら嘲笑うように、欲望のままに生きていた。 道徳も、常識も、羞恥心も、とうの昔にぶっ壊れていた。
やがて歳月が経ち、居候していた寺が焼かれたのを切っ掛けに、故郷へ戻った。
そこに私が知る者は、もう誰もいなかった。
私が生家近くに植えた小さな松が、立派に育っていた事だけをよく覚えている。
いったい、私は何年生きていたのだろうか。
私の姿はほとんど変わらぬのに、周りの人間はどんどん老いていく。
そのことが、ただただ不思議だった。
里帰りしてしばらくした頃、偶然にも同じ故郷を持つ侍と出会った。
名は上泉伊勢守信綱。
当時すでに剣の達人として名を馳せていた彼は、私の異常な若さと、隠しきれない“何か”を見抜いたようだった。
「お主、ただの若者ではないな。その目は、随分と長い時を見ている」
短い師事だったが、とても有意義な時間だった。
新陰流の理、特に「活人剣」の思想は、今でも私の剣の基盤になっている。
師匠と別れた後、私は再び放浪を続けた。
剣術を修め、密教の奥義にも手を染めた。
やがて私は一つの教えを編み出した。
「欲望こそが人の本質であり、それを肯定する事こそが真の悟りである」
最初は小さな集まりだった。
しかし、私の若く美しい姿と、説法の過激さが、不思議な魅力を生んだ。
女でもないのに、誰が言ったのか知らないが八尾比丘尼とも呼ばれ始めた。
信者は徐々に増え、ついには宗教団体「シン立川流」を立ち上げるに至った。
教団を大きくするにつれ、私は戸籍を何度も替えた。
三十五年から四十年周期で、先代が亡くなり遠縁の養子が跡を継ぐ、という形を取った。
表向きは”立川家は代々若々しい”と説明し、信者には”神仏の加護”と言い聞かせた。
教団内では、欲望を肯定するための秘められた儀式も行われた。
信者同士が互いの身体を捧げ、縄や香で感覚を高め、極限の快楽の中で”悟り”を求めるような儀式だ。
私は教祖として、そうした儀式を導きながら、人間の欲望をさらに探求していった。
宗教で基盤を固めた後、私は更なる高みを目指した。
この国を変えるには、宗教だけでは不十分だ。 どうしても政治の力が必要だと悟った。
そうして私は、政治家へと転身した。
性政党を立ち上げ、欲望の解放という異端の公約に掲げた。
一夫多妻制の合法化、性産業の自由、表現規制の撤廃。
マスコミと世間は大いに騒ぎ、私の支持者は飛躍的に増えた。
「ようやく、ここまで来たか」
私は本気で思った。
このままいけば日本を、いや、世界の常識すら変えられるかもしれない、と。
しかし、私が表舞台に立った矢先の事だ。
演説の最中、群衆の中から銃声が響いた。
熱い。
その直後に激しい痛みに襲われ、血が噴き出す。
周囲の悲鳴が聞こえる。
意識が遠くなる。
これが前世における、最後の記憶だ。
あっけない死に様だったよ。
乱世から始まり、かの大戦も生き抜いたのに…まったく不様なものだ。
屋根の上で、私は一人呟いた。
「……ま、死んだおかげで、こうして新しい世界で生まれ変われたんだから、結果オーライか」
煙をもう一服、深く吸い込む。
「今度こそ、失敗はしない。 欲望を肯定する楽園を、この手で創ってやる」