場面はダキが店を開業する前に遡る。
その日、ダキはガレント商会の応接間にいた。
商会の主人は女の対面に座り、丁寧に言った。
「ダキさん、本気でケベック子爵に取り入るおつもりですか?」
「ええ、勿論です」
「あの方は嘆願者に対して、非常に厳しいだけではありません。奥方様もいらっしゃいますし、貴女のような美しさを以てしても懇意になる事は難しいでしょう。逆にもし不穏な噂でも立てば、私の商会にも火の粉が降りかかるかもしれません」
ガレントの言い分も間違い無い。
女を有能と分かってるとはいえ、心中は避けたいと思うのは当然だ。
(ハニートラップは通訳しない、と言いたいのだろうな)
ダキは優雅に微笑みそう考えた。
「ええ、承知しております。だからこそ、ガレント様にお願いしたいのです。この件が上手く運べば、貴方の商会にワクビスでの新たな利権も融通できます。そして、私の店が軌道に乗った際には、特別な情報提供もお約束いたしましょう」
「うぅむ…我が商会も、ここで勝負を打つべきか」
「異郷の地では、ある言葉がございます。”生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ”と…貴方は商人として、どちらを選ばれますか?」
♢
数日後、ワクビス城代の執務室に隣接する応接室にダキはガレントと共にやって来た。
二人を迎えたオスカー・ケベック子爵は、冷たい視線をダキに向ける。
そして、開口一番に吐き捨てた。
「冒険者の女が何の用だ?この街一番の大店が頭を下げて頼むから、時間を割いてやったのだぞ。用件が取るに足らぬものなら、即刻出て行くがよい」
ダキは穏やかに微笑みながらも、背筋を伸ばして子爵に向き合った。
「この度は私の嘆願にお時間を頂き、感謝いたします。私の名はダキ、と申します。子爵様の風紀粛正策を聞き、大変感銘を受けました」
ケベックは鼻で嘲笑した。
「感銘だと?笑わせるな。貴様のような女が街の風紀を乱しておるのだ。それを語るなど、片腹痛いわ。私は街に蔓延る淫売どもを根絶やしにし、秩序を正す。このワクビスにおける私の責務だ。その方針に真っ向から反する嘆願をするのが、愚か者である貴様よ」
ここから、二人の激しいディベートが始まった。
ダキは微笑みを崩さず、しかし鋭く切り返した。
「子爵様、それは感情論に過ぎませんわ。現実を見てください。在野の娼婦たちは今も増え続け、税はほとんど納めず、治安を乱しています。完全に締め出すだけでは、問題は蟲のごとく地下に潜るだけです」
ケベックがテーブルを強く叩いた。
「蟲が地下に潜むなら、徹底的に掘り返せば良い!淫売風情が私利私欲のために、税を語るなど言語道断だ!」
ダキは微笑みを崩さず、声に力を込めて即座に切り返した。
「淫売女?とても面白い御冗談ですわ。子爵様こそ、現実から目を背けております。このままでは何も解決しない、そんな事にすら気づいていらっしゃらないのではありませんか?」
「…何だと?貴様、今私に何と言った?」
場の空気が凍り付く。
「よくお聞きくださいませ、子爵様。遥か東の国では、花街を厳しく取り締まりながらも、一区画だけ公に管理された高級遊郭の営業を許可した事例があります。その結果、以前と比べて税収が三倍近くに跳ね上がりました。野放しの娼婦を減らし、管理された店に集約すれば、治安向上と税収増を同時に狙えます。花街の縮小を訴える教会の御歴々にも”綱紀粛正の一環”として主張し易い。子爵様のご出世にも、きっと繋がるはずです」
ケベックは顔を赤らめ、拳を握りしめて立ち上がった。
「出世だと!?貴様、私をなんだと思っている!そんな胡散臭い話で私を買収できるとでも?道徳を捨ててまで税などいらん!この王国は清廉潔白でなければならない!」
ダキも静かに立ち上がり、ケベックの目を真正面から見据え、冷ややかに返した。
「清廉潔白…素晴らしい理想ですわ。ですが、子爵様。現実の税収が減り続け、治安が悪化すれば、その理想はただの自己満足に終わります。女たちを放置すれば、病の蔓延、犯罪の増加、行政負担の上昇。全てが子爵様が”被り”ますわ。私はただ、現実的な解決策を提案しているだけです。感情だけで統治するなら、子爵様は理想の政治家かもしれません。ですが、現実の政治は結果で語られるものです。子爵様は、現実を見ることすら恐れていらっしゃるのですか?」
ケベックは机を叩き、声を震わせた。
「恐れているだと!?この生意気な淫売め!!貴様のような女に、政治を説かれる筋合いはない!」
ダキは微笑みを深め、静かに、しかし容赦なく畳みかけた。
「政治のあれこれを説いているのではありません。子爵様が本気でこの街を守りたいのであれば、理想と現実を両立させるべきだと申し上げているのです。それができないのであれば、子爵様はただの理想家に過ぎないということですわ」
部屋に重い沈黙が落ちた。
後に同席していたガレント曰く「まるで生きた心地がしなかった」という。
その後も、ダキは何度かケベックと会談の機会を得ることが出来た。
側から見れば喧嘩のようなやり取りであった。
その当事者である彼が、ダキと再び会う事を許した。
それはダキが彼の圧に屈せず、真っ向から理論整然と向き合ったからである。
そうやって二回目、三回目と議論を重ねるごとに、ケベックの態度は徐々に軟化していった。
ダキは常に聖女のような微笑みを崩さなかった。
彼女は的確に事例や数字を平易に並べ、ケベックの出世欲を刺激し続けた。
ダキは自らの価値を彼に示したのだ。
ある夜、二人きりの執務室で。
ケベックは酒盃を傾け、疲れた様子で本音を吐露した。
「王都にいた若い頃だ…実はな、高級娼館で女たちに酷く馬鹿にされたことがある。妻もいる身でありながら、あのような場所に行った自分が情けない。成り上がりの貧乏人だの、身なりが貧相だのと言われ相手にされず…笑いものにされた」
ダキは静かに立ち上がり、ケベックの隣に腰を下ろした。
優しく彼の手を握り、甘く生温い吐息を耳元に吹きかけた。
「まあ…それは酷い話ですわ。子爵様のような真面目で有能な方が、そのような下賎の女たちに侮辱されるなんて…到底、許せませんわ」
彼女はケベックの首筋に指を這わせ、囁いた。
「私は、違います。子爵様の本当の価値を、ちゃあんと見ています。子爵様は魅力的で麗しく、逞しいお方。私…奥方様には決して知られることのない、子爵様の特別な存在になっても構いませんのよ?」
ケベックは一瞬、身体を強張らせたが、ダキの柔らかい手の感触と甘い香りに抗えなくなっていた。
やがて彼は低く息を吐き、苦々しくも感心したように言った。
「なぜガレント商会が君を重要視しているのか、それが今よく分かった。君はただの美しい女ではないな…恐ろしいほど頭が切れる」
ダキは微笑した。
するとケベックは、熱を帯びた目で彼女を見つめ、言葉を続けた。
「私はいずれ、必ず名を上げて王都へ戻るつもりだ。その時は…君も、私について来ないか?」
ダキは一瞬、目を細め、優しく微笑んだ。
「ふふっ…子爵様、それはとても魅力的なお誘いですわ。でも、今はまだ…この街で子爵様のお役に立つことに集中させていただきますね?」
ケベックはダキの曖昧な答えに、わずかに寂しげな表情を浮かべながらも頷いた。
その夜、執務室の灯りは遅くまで消えなかった。
数日後、「木の花」の開業許可が正式に下りた。
これまでの方針と異なる決定に、にわかに彼の周囲は驚いた。
しかし、ダキに言われた事をそのまま部下に説明すると皆がケベックを賞賛した。
彼は政治家として一つ上のステージに昇り詰めようとしている、そんな気がした。
その日もダキは、ケベックを執務室で慰問した。
その後、ケベックは妻の待つ屋敷に戻りながら、複雑な表情を浮かべていた。
(これほど昂ったのは何年振りだろう。これではまるで、青臭い若者ではないか)
その腕には、危険で甘い感触が残っていた。