デビュー戦は8バ身差で勝利。筋肉と骨格に頼った力任せの走法を矯正し、より洗練された走りへと変化させた甲斐があった。ジュニア級はレースの予定を入れずにひたすらトレーニングに打ち込み、圧倒的な勝利をより確実なモノにする為に充てる。
その道中で、見事三冠を達成したオルフェーヴルの菊花賞をモニター越しに観戦する一幕もあった。
ジェンティルが贔屓にしているというホテルのラウンジで、菊のハーブティーを嗜みながらオルフェの暴威たる走りを観戦する。
『今の最強は間違いなくあの方。それを降せば私が最強、簡単な図式ですわね。どう?あの走りを見ても、貴方はまだ
『勿論。オルフェが飛び抜けて強いのは認めるけど、それはジェンティルも同じ。なら、竜胆ナツメが居る差で俺たちが圧勝する。これも簡単な図式だろ』
『ふふ、虚勢を纏っているワケではないようね……対決の舞台が楽しみ』
やがて1年目が終わり、いよいよトリプルティアラの前哨戦に定めたシンザン記念……の前に。クラシック級の始まりはお正月、ジェンティルの一家が集う邸宅からスタートした。
一代で財を築き上げたジェンティルの父親の挨拶に続き、『明けましておめでとうございます』と返すご家族らに倣う。俺は今日、ここの家主たる父親から直々に招かれていた。
荘厳にして豪奢、常に圧迫感がせめぎ合うような息の詰まる空間。まあ、その空気に呑まれるほど竜胆ナツメはヤワじゃないけども。
「ご足労感謝する、竜胆君。学園の門戸を教官として最年少で叩いたと話題になった頃から、貴殿とはどこかで一度話したいと思っていた」
「へぇ、それは光栄です。私もジェンティルの3年を預かる者として、御父上たる貴方には挨拶をせねばと」
方々から刺さる視線を無視し、父親へ真っ直ぐ返事をする。その態度が一旦はお気に召したのか、特に怪訝な目を向けられるようなこともなく本題に移る。
この新年の集まりは『昨年の成果報告と今年の展望宣言』の場らしく、きょうだいの中で唯一の男子である弟クン――見たところ中学生あたり、しっかりしたモンだ――は西欧で展開するプロジェクトの達成を堂々と報告していた。
その後しばらくは他のご家族の話が続き、ヒマな時間が続く。うーん、これからのレースの事でも考えようかな。どうせ順番が回ってきてもジェンティルが答えて終わりだろうし。
ぽけぽけと思考を巡らせ、ジェンティルの現在地と世代のレベルを比較検討。目下の懸念事項はヴィルシーナ……走力の伸びはそれなりでも、メンタルの安定性が違う。熱い心を冷たい頭で活かしている。
ようやっと成果報告と展望宣言が終わり、残すはジェンティルのみとなった。最後かよ。
……え、なんで尻尾で俺に触れるの。楽しそうに僅かに細めるその目はなに。
「ナツメ、貴方が答えなさいな。そのために口を挟まず
「……ふーん?俺のコトを自慢したいのか?お茶目なトコあるな」
「退屈そうにしていたでしょう、ささやかな気遣いよ」
「なら早く報告済ませてくれればいい話だろ……素直じゃねーの。分かった、報告と展望な」
託された以上はやってあげよう、実際退屈だったし。当然ながら周りに聞こえていた今の会話は、俺への意識をより強烈なものにする。うん、今思えば『ヒマでした』って言ってるようなモンだね。すみませんねどうも。
四方八方から刺さる注目を受けて、軽く咳払いののちに簡潔に語る。
「では僭越ながら、ジェンティルの代わりに報告させていただきます。昨年の成果といたしましては、特筆することは何も。彼女は日頃より学園で精励しており、教育者としては文句ありません。もう少し学友との交流があれば、個人的には安心できますね」
「ほほほ……まるで家庭訪問ね」
仕方ないだろ、デビュー戦くらいしかレースに出てないんだから。
相変わらず遠慮のない周囲の圧は放っておいて、今年の展望もさっさと済ませてしまおう。長ったらしく言葉を紡ぐ必要は無いし。
「次に今年のお話ですが、簡潔に。トリプルティアラから始めたく存じます」
「……ふむ。いくら貴殿と言えど、クラシックは荷が重かったかね」
「……はァ?」
――この
『彼女が望んだ道なので』と躱すのか『いや~若輩には厳しいです』とへりくだって笑い過ごすのか。
ジェンティルをチラ見してみれば、彼女は不敵に微笑むだけ。うーん、任された。
「ご安心ください。そういった
「なっ……貴様、お父様に向かってなんと無礼な!それにレースの勝利が、いったいどうして強さの証明になるんだ!」
弟クンには耐えかねたのか、俺を射殺すような眼光で声を荒げる。先に突っかかってきたのはそのお父様でしょうに。
「……弟クン。君の凄さは分かるし、人心や能力を上手に纏めるのも強さのカタチだ。でも悪いけど、俺たちは『欲しい心は力ずくで奪う』ことにしたんだよ。御父上のも、無論弟クンの心もね。精々俺達が進む道の、良い証人になってくれよ」
「ふ――ナツメ、もう充分よ。私たちの言うべきことは申し上げた……お暇いたしましょう。それでは皆様、よき一年を」
「あー、いいのな?んじゃ……この度はお招きいただきありがとうございました。失礼いたします」
感情の読み取れない父親と、憤慨する弟クン。厳しい目――いっそ殺気と言ってしまってもいいかもしれない――を向ける姉妹の方々に一礼を残して、邸宅を後にする。
一足先に出たジェンティルへ駆け寄って、隣に立ち歩調を合わせる。何か俺の言葉に気に入らないものでもあったのかと窺えば、彼女は我慢していたのだろう笑いを存分に露わにした。
「ふふ、あっははは!言葉をこねくり回すのは好かないけれど、ナツメの物言いは実に私好みでしてよ。お父様の挑発に返した時の皆様のお顔ったら……うふふ、本当に可笑しい」
「そういうことか、気に入ってくれて何よりだ」
「ええ。弟の扱い方も含めて、とてもよろしいわ。心は奪ってしまうのが最もスマートですものね……あんな言葉を浴びせられれば、もう私たちに執着せざるを得ない。こちらが望まずとも、私たちの蹂躙劇から目が離せないことでしょう」
「まぁそうだろうな。ちょっと大人げなかったかもしんない……ところでさ、ジェンティルのおウチの見送りには
「!……ほほほ、そのような無礼な作法は存じ上げませんわ。よくお気づきになったわね」
「留学中は俺を欲しがる奴らからの、物騒なアプローチもそれなりにあったし。嫌でも慣れる。しっかし尾行はジェンティルも聞かされてないのか……それじゃあ、撒いちゃうか」
上機嫌なジェンティルの手を取り、笑って見せる。恐らく親族の誰か、さっきの集会で忘れ物か伝達事項でもあるのか。それでもこっそり尾けられるのは新年から気分が悪い。
ならいっそのこと楽し気な貴婦人を連れて、どこか遊びにでも行こう。
「――ふふ、やはり貴方は退屈しないわ。相手は姉様あたりでしょうが、ごめんあそばせ」
♢
6バ身差の『シンザン記念』から始まった、私のクラシック級ティアラ路線。
『桜花賞』もほぼ6バ身のゆとりを持って駆け抜けた。
『オークス』では圧倒的な大差勝ちを見せ、スタンドに激震を走らせた。
そして今、最後のティアラたる『秋華賞』……目の前のゲートが開けば、数分後にはこの
余分な緊張や力みはない。それはおそらく、ナツメの覚悟が私に不備を許さないから。灰色の瞳の奥で鍛え上げられた、私すら未だ抱き得ない熱。
ナツメは持てる全てを使って私を高みへと引き上げ、きっと私以上にトリプルティアラを確信している。なんせ『最低5バ身差での勝利』なんて掲げてしまうくらいだもの。
であれば、私の目標に添えられた貴方の期待……応えてあげなくてはね?
ゲートが開き、秋華賞が始まった。中団の外を行く私に対して、ヴィルシーナさんは2番手で逃げる。
これまでの桜花賞とオークス、ヴィルシーナさんは私の後塵を拝して2着に甘んじている。それでも蒼い闘志は折れず、むしろその輝きを増していた。夏を越えた今の彼女は紛れもなく、強い。
それに加え、激情に身を委ねるでもなく捨て鉢に挑んでくるワケでもない。あくまで頭は冷静に、走る理由を見据えていた。
ナツメ、貴方ってばトレーナーになる前に言葉を送ったそうじゃない。ソレは多分、今もヴィルシーナさんの中で息づいているのよ。
でなければ、きっと今の時点でここまで強い彼女を見ることは叶わなかったでしょう。本当になんてコトをしてくれたのかしら――
――そんな彼女を越えるため、私も少し燃えてしまうわ。
勝負はまもなく最終直線へ。ヴィルシーナさんはゴールを見据えたスパートに入る、勝利へ抜け出し最後のティアラを獲るためのいい仕掛け。
けれども勝ちは譲れない。貴方が今日受け取るのは冠ではなく、私からの強者に対する敬意だけでしてよ。
「――フンッッ!!!」
『爆発的な加速!最後の直線、中団からジェンティルドンナが上がってきた!そしてそのまま、そのまま、ついにヴィルシーナに並ぶ!』
まだ足りない、このままでは『私の勝利』でしかない。ここから先は、ナツメとの時間で得た力を振るい、『私たちの勝利』を掴む!
「はあああぁぁぁぁぁぁ!!!」
ターフを蹴り飛ばすように、風を引き裂くように、この身を燃やすように、私たちの強さを刻みつける!
誰もいないゴール板までの道を、あらん限りの力で駆け抜ける。ただの勝利ではいけない、ナツメと共に走る私の姿を。
『ジェンティルドンナ先頭!そのまま突き放す!力強く3バ身、4バ身……今ゴーーール!圧倒的な力で三冠達成!着差は……5バ身です!』
「――……ふぅ」
スタンドの皆様の心は存分に奪い取れたようで。歓声の止まぬ中を優雅に歩み、ウィナーズサークルで待つナツメを見つける。しかし目が合うことはなく、彼の視線は最後の一冠の行方を示す、電光掲示板に注がれているようだった。
誰にも並ぶことのない強さを魅せつけ帰ってきた私よりも先に、何を見ることがあると――
『チッ……ギリギリの5バ身差。これじゃダメだ、もっと命を使わないと……俺の意味が無くなる。それだけは、赦さない……!』
――何かを睨みつけるナツメを見た瞬間、私の中の芯がゾクリと震えた。
どんな時であっても、彼は愛想よく楽観的に笑っていた。友情トレーニングなどと言いながらハードなメニューを共にこなす時も、私の期待を込めた無茶にため息をつく時も、報道陣からの底意地が悪い質問に晒された時も。
陳腐な表現だけれど、彼の中にある太陽の如き明朗さが曇ることは無いのだと思っていた。
しかしそれは幻想で、事実としてナツメは尋常ではない暗黒を孕んだ眼をしていた。視線の先にある電光掲示板……いや、その文字の奥に何かを見ている。
気軽で調子の良い、影を感じない彼の……曝け出すまいとしている心の底。明るく燃える覚悟の火ではなく、勝利を疑わない大胆不敵な本性でもない。
きっと誰にも見せるつもりのない、彼自身を狂気的なまでに駆り立てる鋭利な意志。
「――!おかえり、ジェンティル!トリプルティアラおめでとう!」
ナツメが今までに見せていたすべての意志は『
でも私は垣間見てしまった。並々ならぬ狂気の決意で鍛えられたような、彼だけが持ち得る刃にも似た激情を。
もしあの切っ先が私に向けられたとしたら……私はどうなってしまうのか。
「……ジェンティル?おーい、どうした?」
「っ!……ナツメ。なんでもありませんわ、お気になさらず」
「ふーん?まあ別に不調ってカンジでもないし……なら勝者として祝われに行こうぜ!勝った責任は果たさないとな!」
気付けば私のもとへと駆け寄っていたナツメに、瞳を覗き込まれる。私を見る灰色の目はいつも通り、明るさと覚悟を同居させたもの。
先ほど私が感じていた激情は影も形もなく、人好きのする笑みで軽やかに手を取っていく。手袋越しに感じる彼の温かさ、迷いのない足取りでエスコートする気取らない紳士的な振る舞い。
その全てが刃引きされたモノであるのなら。
よろしいわ……必ず、貴方の奥底にある激情を見せてもらうから。
「なぁ、なんでずっと俺を見るワケ?顔が良いから?トリプルティアラ達成の宣言とかした方がいいんじゃない?」
「ああ、そうでしたわね。少々物思いに耽りすぎたみたい」
「物思い、ね……俺絡みのロクでもないこと企んでそうで怖いわ~」
「ほほほ……受け止める度量はお持ちでしょう?」
「ホントに俺の事かよ」
♢
不吉なジェンティルの企みは一度忘れて、次なる舞台として彼女が選んだのは『ジャパンカップ』……世界から集う強豪、上の世代であるシニア級ウマ娘との衝突、そして何より凱旋門を終えたオルフェーヴル。
それらをすべて『挑戦者扱い』するジェンティルの会見は一波乱を呼んだものの、着々と準備は進んだ。
俺は今までよりも一層、死力を尽くした指導をしているつもりだ。以前まではジェンティルのトレーニングと共に、ウェイトの数値を数段落としたメニューを俺もこなしていた。
だが秋華賞でのヴィルシーナを振り切れず、ギリギリの5バ身差に甘んじたことは俺の足らずだった。俺はもっと竜胆ナツメとして存在を証明しなければ。
だから、俺は友情トレーニングで行っている俺のメニューをジェンティルの数値に徐々に近づけている。そうすれば、多少なりとも彼女の勝負欲をくすぐることができる。
何事においても俺が競い相手になれば、ジェンティルは触発され限界を突破するための力を得るだろう。
ぶっちゃけ、クソしんどい。
俺は異常な身体能力を抱えているが、あくまで『ウマ娘並み』というだけ。重ねたトレーニングによってそのパラメータは一線級にこそなっているものの、ウマ娘の中で規格外のジェンティルに追いつくのは容易じゃない。
命を一気に燃やすような出力は必要ないにしても、常に心臓を炙るような感覚が付き纏っていた。ここまでやったって、常に強い彼女にようやく並べるかどうか。
でもまあいい、この程度であれば俺の終着点に大きなズレは無い。このまま突っ切ろう、意味はあるはずだ。
『史上4人目のトリプルティアラ、そして史上初の秋華賞からジャパンカップ勝利!』
現にこうして、たった1カ月しか期間がなかったジャパンカップで成果が出た。トーセンジョーダンやエイシンフラッシュ、オルフェーヴルを相手に6バ身差……悪くない。
ウィナーズサークルでジェンティルと共に、どよめき混じりの歓声に包まれる。本音を言えば
竜胆ナツメの人生の意味を決める、最期の3年の真っただ中だぞ。ここで手を抜けば、全部が終わる。
「……ねぇ、ナツ『余の前を走ったこと、褒めてつかわす』――あら、ここは私たちの玉座でしてよ」
ジェンティルが何か言いかけたところで、オルフェが悠然と目の前に現れる。言外に『敗者が何の用か』と刺したジェンティルの言葉に、王としての気風を崩すことなくオルフェは口を開いた。
「その玉座はあくまで貸与したに過ぎん……大阪杯までな」
「ほほほ……その時に取り返せると良いですわね。仰りたいことは以上かしら」
「ジェンティル。貴様への王命は終えた。あとは……ナツメ。その辣腕は
――瞬間、空気に亀裂が入ったのを感じた。圧力の発生源は言うまでもない、俺の隣で目を細める貴婦人だ。
これはどうするか……俺が答えていいものか悩む隙に、彼女が一歩前に踏み出した。なるほど、今回俺が出る幕はなさそうだ。
「あらあら!あっははは!何を言うかと思えば……勝者ですらないのに
「おぉい!?出る幕あったよ、流石にお口が悪ぃ!オルフェ、お前んトコのトレーナーは充分優秀だ。あぁー……それでもさらに俺
「――……くくっ、不敬に次ぐ不敬よな。互いに離す気など毛頭無いか……良い。今は退くが、大阪杯にてナツメを余のモノとする」
「……本気?ねぇ、俺は冗談のつもりだったんだけど。キミら専属契約って知ってる?たづなさんが笑顔でキレると思うよ」
「私からは何であっても、何人たりとも奪えませんわ。大阪杯はソレを皆様に知らしめる良い機会となるでしょう」
「俺の話を聞こうか、暴君貴婦人コンビ。少なくとも観衆とメディアの前でする話では無いからね、一旦黙ろうね」
なんか勝利宣言とかする雰囲気じゃなくなったものの、なんとか歓声に応えウィナーズサークルを後にした。地下バ道で左手の甲を差し出すジェンティル……だからキスはしないって。珍しくオルフェに半ギレになった時にちょっとキュンと来たけど。
差し出された手は取るだけにして、早いトコ控え室までエスコートする。少ししたらライブとか取材対応もしないと。
はぁ……ちょっと、疲れたか?
「珍しくお疲れみたいね」
「……ま、まさかぁ!?俺が疲れるとか無いから!大丈夫大丈夫!改めておめでとうな!」
最近の命削りトレーニングのせいで、今まで気にもならなかった疲労感が僅かに張り付いている。『適性誤魔化し』の特別指導に比べればこの程度、なんでもないハズなのに。それだけ、喰らいつきたいジェンティルの能力が高みにあるってことか。
なんにせよ、竜胆ナツメが弱みを見せるなんて論外だ。整った顔をいつも通りの笑顔に戻し――
「――
小さく息を吐くジェンティルに、下から頬を掴まれる。茶目っ気のあるイタズラにもかかわらず彼女の顔に愉楽は無く、呆れと疑いが半々だ。
「本当はレース終わりに聞きたかったのだけれど、傲岸不遜な王からの横やりでタイミングを逃しましたわ。ひとまずこちらに来なさいな」
「
確かにジャパンカップの勝利後、ジェンティルは何かを話そうと俺の名を呼んでいた。
俺の発音と滑舌を殺す手を解いて、ジェンティルが座ったソファの隣に腰をおろす。あまり身の沈まない硬い革張りの感触と同時に、綺麗にまとまった艶のある尻尾――多分いいオイル使ってるんだろう――が脚に絡みつくのを感じた。
なるほど逃げ場はナシと、楽しいお話ではなさそうだ。
「新年にも申し上げた通り、言葉をこねくり回すのはあまり好みでは無いの。故に率直にお伺いします……秋華賞の結果はご不満かしら」
「ウソは許しませんってカンジだな。……うん、不満。ジェンティルの走りがどうこうじゃなく、もっと強くできたのに手を抜いてた俺自身にね」
「そう。それでここ1カ月は私の競争心を刺激するために、ナツメも並ぶような負荷でトレーニングなさっていたのね。お喜びになって頂戴な。貴方の思惑通り、今まで以上に成長の実感があるお時間でした」
「あはは、よかった~。ここで話が終われば尚のこと良いんだけど」
「ふふ、無理よ――そのトレーニングはおやめなさい」
「……どうしてだ?強くなるための方法を、ほかならぬジェンティルが捨てる理由は?」
「簡単ですわ。今の貴方からは『
……はァ?
「――くっ、ははははは!そっか、余裕か!確かに余裕は強者の特権だ、焦るなんてらしくなかった……」
あまりにクリティカル過ぎて笑ってしまった。常に自分のチカラに自負を持ち、どんな状況でも不敵なゆとりを見せるのが強者たる構え。その哲学において、ジェンティルの指摘は全くもって正しい。
完全にブッ刺さり。
思わず、教育者としての肩書きを忘れて、ムキになってしまうほどに。
「余裕。それがどうしたんだ。今はお前の哲学に構うヒマ無ェんだよ」
あーあ、まさしく今の俺だ。余裕がない。頭の隅の隅で理解しているのに、止まれない。
「俺はどれだけ自分を削ってでも、俺の人生の意味を証明する。全レースで圧倒的に勝つ……そのために命懸けでやるって決めたんだ。達成できないなら俺の命も余裕も全部
「――あっははは!そう、それが貴方の最奥にある
「……はい?」
極めて意味不明な発言と、ジェンティルの上品ながらも妖しい笑み。それらを認識した途端、冷や水を浴びたように急速に理性が戻ってくる。俺は教え子にクソ恥ずかしいエゴをさらけ出してしまった。消えたい。
ほんで思考力を得た脳が、彼女の発言にとある一幕を結びつける。秋華賞の勝利後、俺に絡んだ物思いで何か企んでいた、あの時の顔。
「もしかして、狙ってた?俺が語り出すの」
「ええ。普段被っている好青年の皮を剥いだ下に何があるのか、気になりましたの。その為に疲労している貴方の綻びを突くような真似をして、申し訳ございませんわ」
「はぁ。そんなニッコニコの顔で言われても……いいよ。今回は隙を見せた俺が悪い。それと、俺も酷い物言いしてごめんな」
「あら、謝罪の必要は無くってよ。ナツメ自身の証明のために私を使う……大いに結構。存分にご利用くださいませ。ですが、やはり無茶なトレーニングはおやめになって」
「ん……どうしても?俺のハズい哲学を聞いてもダメ?」
「ほほほ……安心なさい、代案ならありますの。ナツメの献身と精励……そして何よりその強さに、私も応えましょう――これからはこのジェンティルドンナが、貴方のために
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。最も強き者となるべく、自身のためだけに強さを求めてきたジェンティルが……
そんなこと、完全に想定していなかった。
「……本気か?なんで?」
「まあ。乙女の心境を詮索するだなんて、らしくないのね。決まっているでしょう?……今までに何度も私の想定を超えてきたナツメに、少しばかり惹かれているの。そろそろ私も貴方の思考の枠を破らなければ……熱を上げるのが私ばかりでは不公平よ」
口元には微笑を残したまま、可憐なウィンクで俺の胸を軽く突く。この貴婦人はスゴいこと言うよ、ホントに。契約の時に言ってた『熱を上げた方が負け』なんて勝負のために、俺をオトしにくるとは思わなかった。
トレーナーと教え子の立場とか、確定している別れとかで踏みとどまってくれなさそうで……油断できない。
「ふふ……それなりに効果はあったようね。頬を染めてお可愛いこと。今なら唇を頂けてしまいそう」
「うっさいよ。手の甲を出さないの、キスしません。あと、言わせてもらうならジェンティルも顔赤いから。ライブと取材の前にはお互いなんとかしような」
「……ナツメ。貴方、照れたら反撃するタイプ?紳士の振る舞いではないわ」
「聞こえませーん、はいそろそろ部屋出る準備しまーす」