墜星は暗路を行く   作:はくとう

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他編の既読を推奨しますが、未読でも一応問題はありません。
共通編を未読の方は先にお目通しください。
評価、お気に入り登録、ありがとうございました。

アーモンドアイの学年がよく分からなかったので、中等部2年生で想定してます。予めご了承ください。


アーモンドアイ編
アーモンドアイ 1


 

竜胆ナツメ。先日17歳を迎えたトレセン学園教官。顔と名前がかっこいい。

 

 

 

通勤途中の朝、遊歩道に白や桃やの色彩が散らばる中で、少し足を止めて春の空気を吸う。

 

俺は無事に教官として1年間勤めあげた。全クラスの副担はそれなりに慌ただしくあったが、『無理』というのがほぼ存在しない身体のせいで激務程度でバテることは無かった。仕事も職場も無事に慣れたし、この調子なら問題なく任期を全うできるだろう。

 

俺の命は人生設計通りに完遂間近……

 

 

 

――本 当 に ?

 

 

 

 

「ぅえ?」

 

 

 

思わず漏れ出た素っ頓狂な声とともに、辺りを見回してみる。今一瞬誰かに囁かれたような、うなじの産毛がぞわり逆立つような感覚がした。しかし、朝の遊歩道にそれらしい影はなく、身の回りの状況は『気のせいだ』ということを示している。釈然とせぬまま、念のためスマホの通知を確認すると、通知の代わりに時間表示が目に飛び込んだ。

 

 

 

「マジかヤバっ、めっちゃボーっとしてた」

 

 

 

スマホをズボンのポケットにねじ込み、早足でトレセン学園へ向かう。遅刻はしないが、普段の出勤時間からはかなりズレた到着になるだろう。なんか変な朝だな。

 

 

 

 

 

 

 

早足で歩くこと数分、我らがトレセン学園の正門が見えてきた。いつもならここら辺から、寮生活を送っている大多数の中から数人と合流し、雑談しつつ正門前に立つたづなさんに挨拶して俺は職員室へ。というのが普段の流れだったのだが、珍しいことに誰もいない。俺が少し遅れたからだろうか、それにしてもたづなさんすら姿が見えないのは気になる。まぁあの人も席を外すことくらいはあるだろうし、突発的な秋川理事長の無茶を諫めているのかもしれない。

 

 

 

「――ナツメ? おはよう、珍しい時間に会ったわね!」

 

 

 

ぽけぽけと考え事をしながら歩いていたら、周りに人の気配がない中で後ろから隣に並ぶ唯一の人影があった。

アーモンドアイだ。

 

……ヤベ、アーモンドアイだ。

 

「あぁ……おん……おはよアイ」

 

「な、なにその顔!? 普段の明るくて元気なナツメはどこ行ったのよ!」

 

「いや、だってなぁ……」

 

ぷっくりと頬を膨らませたアイの、キラめく視線が刺さる。当然ながら、竜胆ナツメらしからぬ反応をしたのには理由があった。

全生徒に朗らかな笑みを振りまいて、未デビューの()たちの背を軽く押してあげる、完璧な副教官であらんとする俺が()()()()する理由(わけ)

 

 

 

「まぁいいわ。ナツメ、そろそろトレーナー試験受け『無理』まだ最後まで言ってないでしょ!」

 

 

 

ことあるごとに『トレーナー試験受けろ』と言われれば、げんなりしたくもなる。

こっちの事情を理解しろ、なんて言う気はない。隠してるのは俺自身だからな、この状況をどうにかするのも俺の仕事だ。何も珍しい展開じゃないし『試験受けろ』『トレーナーになれ』とアタックしてくる生徒は普通に居る。

 

でもさぁ……アイはちょっと、ちょっとだけ……しつこい。

 

俺を買ってくれるのは嬉しいし、実際にトレーナーになったのならば『誰も届かない領域』まで一緒に駆け抜ける、その自信がある。

ただ、教官として生きることを決めた今の俺には、どうやったって無理な話なんだ。

 

「ナツメなら試験受かるでしょ! 早く資格を取ってくれないと、私のデビューに間に合わないじゃない!」

 

「あぁ、もう本格化始まってるもんな。よく分かってるじゃん。アイなら優秀なトレーナー捕まえられるって」

 

「ちーがーうー! 私はナツメがいいの、ナツメじゃなきゃイヤ! ほら、はーやーくー」

 

「腕引っ張るな、ブンブンするな〜。今から資格取っても、研修やらなんやらが色々あるんだから、どの道今年は無理だって。もし時間ができたら、トレーナー見つける手伝いするからそれで勘弁してくれ」

 

「む〜〜〜……! じゃあ、来年から! 途中からサブトレーナーとして合流するのは良いでしょ?」

 

「良くねーよ……半端は嫌いだし、そもそも『あと3年で出て行く人間』にアイの大事な3年を預けようとすんな。もっと責任感のあるヤツ選べ」

 

「? ナツメはそんな理由で、テキトーに仕事を済ませる人じゃないことくらい分かってるわ」

 

今度は俺が『ぐぅ……』と唸る番だった。応えられない信頼を向けられることの、なんと居心地の悪いことか。心地よかった春の陽気は完全に消え去り、どうやってアイのアプローチを躱すべきかという面白くもない思考にシフトする。

幸か不幸か、まだ時間はある。いつも通り早いトコ逃げ出すのは難しいが、逆にいつもよりしっかりと話をする機会でもあるんだ。

 

それならば『ナツメじゃなきゃイヤ』とまで言ってくれるその要因(ワケ)を、潰してしまうのが確実か。

 

「折角の機会だ、この際ちゃんと聞いていいか。なんでそこまで竜胆ナツメに(こだわ)る? ……指導能力?」

 

「うーん……確かにナツメは、飛び抜けた能力があると思うわ。それこそトレーナーとしての、観察眼とか指導力とか」

 

「俺はスゴいからな、否定はしない。でもなんか違うっぽいな……能力じゃないなら、なんだ? 経歴?」

 

「経歴。まぁ異色だし、スター性があるわよね。海外で飛び級した帰国子女、史上最年少のトレセン学園教官」

 

「ふふん、みんな大好きなナツメお兄さんだぞ。俺より年上の生徒も普通に居るけど。んー、でもこれも違う……あ、か!?」

 

「雰囲気は少し『遊んでる』感があっても、笑うと明るくて優しさを感じる整った顔でイイと思――……って、トレーナーを顔で選ぶワケないでしょう!」

 

「あぁ、ツッコミで締めてくれて助かった。そんな真っ直ぐ褒められるとは思わなかったから、流石の俺もちょい照れるわ」

 

とりあえず、パッと思い浮かんだ『俺を欲しがる要因』を列挙してみたものの、どれも微妙にハズレらしい。と言うか、大本命の『指導能力』が違ったのならぶっちゃけ分からん。

もう素直に聞いてみるのが吉かな。

 

「正解教えてくれよ、正解」

 

「あら、当てなくていいの? もう降参?」

 

「いつの間に勝負になったのか知らんけど、降参。俺の負け」

 

「え〜、あんまり張り合いがないわね……まぁ勝ちは勝ちだし、教えてあげる! 私がナツメに拘る理由は――」

 

 

 

――ナツメに勝ちたいから

 

 

 

「……???」

 

全然ピンとこなかった。どういうこと? 『俺と()()()勝ちたいから』じゃなくて『()()勝ちたいから』トレーナーになってほしい、そう言ったのか。

発言の主たるアイは、満足げに俺を見つめている。それほど自信満々に言い切られると、聞き返すことなく意図を汲み取ってやりたいところだが……やはりどうしても文脈が繋がらない。

 

「ゴメンだけど、どういう意味だ。俺がトレーナーになったら、アイの勝ちなのか?」

 

「解説が必要なの? 仕方がないわね……私は、ナツメの心に火をつけたいの。本当にやりたいことを押し殺して、窮屈そうに一歩引いて教官として振る舞ってるから……そのガマンを破れたら、私の勝ちだと思わない?」

 

「――……………さぁな。確証もないのに、よくもまぁ俺を理解(わか)ったように言えるもんだ」

 

理解(わか)るわよ。ナツメと私は似てるから。私が『勝つ』ために生きるように、貴方も『何か』のために生きる人でしょう」

 

「だから、こうして全クラスの副教官なんてやって『みんな』のために過ごしてるだろ」

 

「じゃあナツメの()の奥は、どうしてそんなに(くすぶ)ってるの?」

 

 

 

アイが俺の目を下から覗き込む。星の光が弾けるような、期待と希望の煌めく(アイ)。無限の可能性を湛えた、真っ直ぐな意志が俺を射貫く。

『勝ちたい』という根源、ソレに素直に従い生きる彼女の光と熱は、今の俺にはあまりに眩しく熱く……(うと)ましい。

 

だというのに、キラキラと輝く瞳の引力に惹き込まれる感覚に陥る。

俺の隠している心を言い当てられたからなのか、それとも率直すぎるアイの在り方に憧れてしまったのか。合理が選んだ『教官として』の道よりも大事なものが、()の前にあるような錯覚。

 

決断したがっている俺の心がもし、運命を重ねるのなら。それはきっと―― アーモンドアイなんだろうな

 

 

 

「――ハッ……やめやめ。俺は職員室(むこう)だから、珍しい二人きりの時間はここまでな」

 

「あっ、ちょっと! 私の質問に答えてから行ってちょうだい! でないと付きまとうわよ!」

 

「本気でやりそうな脅しはやめろ!? えー、俺が燻ってる理由? あー……まぁ否定はしないけど……教官(いま)に不満を持ってるワケでもないんだぞ。折り合いをつけた結果の着地点に納得してる。大人ってそういうモンだろ」

 

「大人って……大して歳も変わらないでしょう。む~~~……でも、ウソじゃないみたいだし、今日のところは見逃してあげるわ」

 

「はいはい、それでいいよ。そう簡単に諦めないことくらい知ってるし。じゃあな、アイ」

 

超が片手で足りないほど負けず嫌いなアイのことだ、今回の俺の返答程度では納得してはくれないだろう。ダメだな、ブレないようにしっかりしないと。

俺の人生に揺れているヒマなんて無いんだから。

 

若干の不満を滲ませながらも教室へと歩きだすアイに背を向け、俺もまた仕事が待つ職員室へと伸びる廊下を行く。

早いところ切り替えて、新学期と共に訪れた膨大なタスクを片付けないとな。

 

 

 

それから、俺は普段よりもさらに働いた。他の教官からドン引きしたような視線を浴びながら、いっそ俺一人で学園の業務を捌き切るくらいの勢いで。

 

自分自身に『教官として生きるんだ』と刷り込むように。

そして『アイの瞳の輝き』を振り払うように。

 

まぁ……結果的に()()に出ちまったんだけども。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アーモンドアイとの偶然の朝から1カ月経ったある日。

夕日の射す職員室にて、自分のデスクで資料の山をさっさと片付けていたところに、とある来客が訪れた。

 

「あれ、秋川理事長とたづなさん。どしたんスか? あ、なんか急ぎの業務ならすぐ向かいますよ」

 

「竜胆教官――これより、最低一週間の休暇を命ずるッ!

 

 

 

――……え? 休暇? 誰が? 竜胆ナツメが?

 

「えええぇぇぇ!? なん……はいっ!? 俺、休みはちゃんととってますよ!? 学園側もちゃんと管理してくれてますし、労基には引っかからないハズで……」

 

「無論ッ! キミの勤怠に問題は無い! しかしこのところ、業務内容が過密すぎるのだ!」

 

「えー、あぁ……確かに最近は、ちょっと思うところがあって張り切ってましたけど……いやでも休暇は横暴じゃない!? 強権振りかざすのは良くないぞ、やよいちゃん!」

 

「聞く耳持たーんッ! あと職務中にやよいちゃんと呼ぶな竜胆教官! キミの滅私奉公の甲斐あって、他の教官方の業務量は大幅に減少し、たづなの肌ツヤも良くなった……それには感謝を示したい!」

 

「へへ、でしょう? なら良いじゃないスか、俺はなにも無理してるワケじゃないし」

 

「断じて否ッ!言ってやれ、たづな!」

 

秋川理事長は隣で控えていたたづなさんに、目配せをして一歩下がる。話を引き継いだたづなさんはと言うと、俺への申し訳なさを漂わせつつも同時にお説教モードでもあった。

 

「竜胆くん、よいですか?貴方の頑張りにはトレセン学園の職員一同、大変助かっています。でも、ここ1カ月の業務量は度を過ぎていますよ? 全クラスの板書や資料の作成、イベントの手配に準備と進行、コースの手入れから理事長の畑の管理まで……働きすぎですっ」

 

『そうだそうだー』

『俺たちの仕事全部取るつもりか~?』

『お世話になった側だけど、そこまでされると感謝より心配が勝つのよ』

『遥かに年下の子にそこまでされたら、申し訳なくてせっかく時間作ってくれたのに気が休まらんぞー』

 

たづなさんの言葉に同調するように、周りで話を聞いていた教官たちからも声が上がる。半分ヤジだろこれ。

旗色が悪すぎるな……あまり反論しすぎると総スカン喰らいそう。

 

「わ、分かりました分かりました! ならせめて『仕事量を戻す』方向にしませんか? 勝手に休ませるのも処理が面倒でしょ、ね? それに俺、休暇はどうも苦手で……無趣味な若者なんで、ソワソワしちゃうんスよ。直近で気になる講習や研究発表とかも、今はどの国にもないですし」

 

「まだゴネるおつもりですか? と言いたいですけど……うーん、重症ですね。理事長、どうなさいます?」

 

「むむ、勘案……しかし、最近が異常とは言ったが普段も働きすぎであるのは事実。竜胆教官の主張を汲んでやりたくはあるが、やはり……」(ニャァ……)

 

唸る秋川理事長と、それに同調して気の抜ける猫の鳴き声。たづなさんも周りの教官方も、ほどよい着地点のために頭を悩ます沈黙。なんだこの時間は。

 

 

 

 

そして、その静寂を破る音が響いた。

 

 

 

「失礼します、アーモンドアイです。竜胆教官はお手すきですか?()()()()()()()()として……お願い、を……?」

 

職員室の奇妙な沈黙が、一斉にアイへと向く。彼女からすれば違和感しかないだろう、教官全員の視線が刺さる上に何故か理事長と秘書さんまで居るんだから。

すべてが裏目に出た、暮れの春。

俺はアーモンドアイのリベンジマッチのため、『理事長命令』で保護者として海外へ同伴することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アーモンドアイのリベンジマッチ。それは、数週間前に学園で行われたイベントレースに端を発する。

未デビュー、ティアラ志望、シニア級、そして海外のゲストウマ娘も交えたエキシビションレース。そこで『4着』という結果に甘んじたアイは、トレーニングの末にリベンジを果たしていた。

そして、残すは海外を拠点にする格上のウマ娘だ。その為の海外渡航……それから、トレーニングも。

 

『トレーニングも見てくれるの……? 途中でやっぱやめた、なんてダメよ?』

 

『そんな半端なことしないって。理事長たちにもしっかり力になるよう言われてるからな』

 

そんなワケで、アイのリベンジの為に付きっきりで指導する日々が続いた。

 

メニューが必要ならアイ専用に最適化したものを組み、併走をするならバイクも自転車も使わずこの身で共に。

悪路を行くなら隣で安全を徹底しながら限界を攻め、雨の中を一緒に帰ってきたら髪や尻尾を乾かして。

 

 

 

 

 

渡航当日の空港、アイからファイリングされたブ厚い紙束を渡される。

 

『ナツメ、はいコレ! 中央トレーナー試験の過去問題集たっぷり数年分よ、たづなさんにお願いしてもらってきたの!』

 

『……あぁ、つまりコレを飛行機の中で解けってこと?』

 

『察しが良いわね、フライト中にヒマしたら悪いでしょう? ……この数日で、私は今まで以上にナツメにトレーナーになってほしくなった……ナツメに勝ちたくなったわ。だから、今の実力を見せて? それをもとに、帰国したら一緒に試験勉強よ』

 

『ふーん、そうですか……アイのやる気を削ぐために手ェ抜くかもよ』

 

『ナツメが? ないわよ、そんなこと』

 

『――……はいはい、真面目に解きます』

 

『ええ! 勿論、できるところまでで構わないから。今回の本命はリベンジマッチだもの』

 

 

 

そんなひと幕もありつつ、ついにその時は訪れた。

 

ようこそ(Welcome)、我がホームへ(to my turf)! 調子はいいかい(You ready to run)?』

 

周囲からはアイを疑う声が漏れている。わざわざ日本から、デビューすら済ませていないウマ娘が、公式戦でもないイベントレースのリベンジにやってきた。

まぁ、その反応は(もっと)もだろうな。外野が抱く、当然の下馬評(げばひょう)

 

「ふふ……完全にアウェーのシチュエーション、有利な条件は()()()()無い。それでも私は勝『アイ』――ッ? ナツメ、その()は……

 

「有利ならあるだろ。お前は()()()()()()()で、()()()()()もここに居る。気持ちよく勝って、残った時間で観光でもしようぜ」

 

「――……あっはは! やっぱり貴方って、最高だわ。じゃあ、勝ってくるわね」

 

「おう。いってらっしゃい」

 

 

 

そして、アイはターフを駆ける。海外の芝(不利)長距離移動の疲労(不利)観衆の向かい風な視線(不利)実力やキャリアの差(不利)。それがどうした、それでも勝ちたいんだと。

良い展開のまま進んだ第4コーナー、勝負はここから。不利なんて関係ないんだよ、『超がいくつあっても足りない負けず嫌いなアイ』と『ようやく燃え始めた俺』たちには。

 

 

 

『勝つ、勝つ勝つ――……絶対に勝つッ!

 

 

 

決まった。

()()()()()も、()()()()も。

 

ただひたすらに、勝利を求めて煌めく(アイ)。それに映る全てを、隣で共に掴みたいと思ってしまった。

彼女が好むような言い回しをするなら、アーモンドアイに魅せられてしまった『俺の負け』だろう。

 

 

 

ここから先は、もう一切迷わない。心を定めろ、命を懸けろ。

俺の持つすべてを燃やして、ただアーモンドアイの為に最期を使って駆け抜けるんだ。

懐かしいようで慣れ親しんだ、竜胆ナツメを決定づけるこの『第六感』

 

 

 

――見つけた、俺の本当の運命

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

快晴の中で吹き抜ける風が、芝をさらいながら私の火照った身体を撫でていく。全力疾走の後に残ったのは、ひたすらに努力を重ねた蹄跡と、力を振り絞ったあとの鉛が張り付いたような疲労感。

そして、それらがどうでもよくなるくらいの『勝利』の高揚。

 

勝った、勝った、勝った!

 

「私の――勝ちよ!」

 

異国のターフで、高らかに宣言する。文句のつけようがない、1バ身以上の差をつけた勝利。

そんな私を迎えたのは、観衆たちのどよめきすらない静寂――

 

「おめでとう、アイ! ナイスランだったぞー!」

 

違った。静寂を裂いてただ一人、ナツメが手を振って駆け寄ってくる。

トレセン関係者とは思えないほどに若く、ラフな装い。白いTシャツ、グレーのカーゴパンツ、カジュアルなハイカットスニーカーと黒のフードジャケットは、もはや生徒どころか世間に浸透した『竜胆ナツメ』のイメージ。

ゆるく遊ばせた黒髪の毛先はところどころ赤いメッシュも、彼を印象付ける特徴的なカラーだった。

 

でも、今のナツメにはそのどれよりも、私の意識を掴んで離さない部分があった。

それは出走前にも感じた――『灰色の瞳のその奥』

 

明るくて、朗らかで、楽しげで、優しいナツメの奥で確かに燃えているのは意志の炎。

私の瞳がキラキラだと言うのなら、彼の瞳はメラメラ程度で済まないほどに、今までに見てきた誰にも感じない覚悟の熱。

 

知覚してしまえば、もうマズい。レース終わりで火照った身体に、さらに追い打ちをかけられるようで。

落ち着いてほしい胸が高鳴り、意識がチリチリと炙られてしまう。

 

「お疲れさま、アイ。さぁアイシングするぞ、お前すぐ熱こもるんだから……アレ? おーい……ッと、あぶねぇ。えーっとケガは無し、症状も救急は不要、か。よく頑張ったよ」

 

フラっと、思わずきてしまった私を受け止めたナツメが、何かボソボソと言っているのを最後に、一旦ここで思考が途切れた。

 

 

 

 

 

 

次に目覚めた時、徐々に戻ってくる感覚が現状を取得し始める。雲ひとつなかった青空は赤く染まり、蹄跡の刻まれたターフは異国情緒ある遊歩道へと変わっていた。

それから、少し硬いけど温かさと安らぎを感じる『枕』の感覚。歳の近い男の子に膝を貸してもらうのは、初めての経験だった。

 

「う……ん?」

 

「起きたな、おはよアイ。先方への挨拶は済ませてるぞ。倒れてからしばらくは休める場所借りて、身体の状態が戻ってからお暇させてもらった」

 

「そう……ごめんね。面倒をかけたわ」

 

「こっちこそスマン。倒れさせないようにすぐアイシングできる準備はしてたんだけど、俺の想定よりはるかに高揚してたみたいだ。間に合わなかった」

 

「あぁ……それは、気にしないで。個人的な事情だから」

 

「気にするわ。倒れさせないために俺がいるのに」

 

「そこまでしてもらう義理はないわよ……今のナツメは海外渡航の保護者ってだけなんだもの」

 

「……今は、そうだな」

 

少し名残惜しい気がするけれど、意識が戻った以上はナツメの看病ともお別れ。身体を起こして――寝ていたのは遊歩道のベンチみたいね――改めて彼の隣に座り直す。

 

そこでようやく、私はナツメのフードジャケットを羽織っていることに気が付いた。

リベンジマッチを終えたままのジャージ姿の私に、彼の匂いが微かに重なっている。

 

「体温は充分下がってたからな。もう夕方だし、冷えすぎたら良くないだろ?」

 

「え、えぇ……そうね、その通りだわ。ありがとう」

 

『じゃあ、上着(コレ)は返すから』と言わなければならない。それから立ち上がって、帰国の準備をしないと。残念ながら観光の時間はなくなってしまった、今回お世話になったナツメに何か見繕おうと思っていたけれど仕方ない。

 

私の頭はこれからするべき事をちゃんと理解している。それなのに、この時間をもう少し続けたい私の心が、一歩踏み出すのを引き留めていた。

 

――ダメね。しっかり区切らないと。

 

今回の主目的は私の個人的なリベンジマッチ。それを果たしたのだから、ナツメとの時間は一旦終わらせないといけない。

大丈夫、なにもこれっきりってワケじゃないし……帰国してからトレーナー試験の勉強を一緒にするんだから。時間を作ってくれるかは、分からないけど。

ふぅ……よし、言うわ。

 

「じゃあ『そうだ』ッ……か、被ったわね。先にどうぞ」

 

「いいのか? なら先に済ますわ」

 

――……ふふ、ちょっとだけこの時間が伸びた。

 

「まずは……忘れる前に、コレを返しとく」

 

ナツメは遠征用のバッグから、見覚えのあるファイリングされた紙束を取り出した。『中央トレーナー試験の過去問題集』……渡航前に渡していた、フライト中の暇つぶし。

もしやと思い、最後の方のページをパラパラとめくってみれば、()()()()()()()()()()()()()

 

飛行機の中でちゃんと解いてくれていたのは知ってたけど……本当に? 数年分あるのよ? 短くないフライトだったにしても、あまりに早すぎる。

いくら『超優秀な教官』であっても、『超優秀なトレーナー』として求められる知識は別物。解答を用意することすら難しい問題だって数多くあるはずなのに。

 

「すごいじゃないナツメ! まさか解き終わるなんて思ってなかったから、模範解答は持ってきてないのよね……帰国してから採点して返すわ!」

 

「しなくていいよ、意味ないから。それは帰ったら捨てて良い」

 

「え? それってどういう――」

 

ナツメの言葉に、思わず紙束から視線を彼へと向ける。意識が戻ってから、実は少しだけ見ないようにしていた灰色の瞳。あまりに苛烈な覚悟の炎が、私の闘争心に燃え移りそうになる。

そんな私の心なんて知らずに、ナツメは不敵に笑って――『私の()』を指し示した。

 

「……セクハラ?」

 

「違うわ! 貸してるジャケット! その胸内ポケットを見ろってこと!」

 

「胸内ポケ、ット……………」

 

 

 

 

彼の上着から出てきたのは、トレセン学園の意匠が施された小さな箱。この箱自体は知らない。

けれど、その中身は――私が求めてやまない勝利の証(トレーナーバッジ)

 

 

 

 

「竜胆ナツメを惹きつけた、アイの勝ちだ。俺はこの3年、アーモンドアイのために全部を懸ける

 

そう、やっぱりこれがナツメの本質なのね。抜きん出た指導力でも、卓越した観察眼でも、不可思議な身体能力でもない。『何か』のために自分の全てを注ぎ込む覚悟。

そして、その『何か』はたった今『アーモンドアイ(わたし)』に定まった。

 

鼓動が加速して、血管が発火するみたいに熱が巡る。あり得ないと思っていた『ナツメとのデビュー』を勝ち取った事実に、全身を高揚が駆けていく。

でもそれだけじゃない。このまま際限なく高まれば、爆発してしまいそうになるほど熱く燃えてしまうのは、彼の瞳に灯る覚悟のせい。

 

私の『勝ちたいという想い』ですら届きそうにない、ナツメの『アーモンドアイにかける想い』を真っ直ぐ向けられて、上手く言葉が結べない。

 

言葉が結べないなら……もう爆発したっていいわね。ナツメならきっと受け止めるから。

 

 

 

「おっと? おーヨシヨシ、感極まっちゃったか。アイを抱きとめるのは今日2回目……って熱ッッちぃな!? 興奮しすぎだ、冷やせ冷やせ!」

 

「……えへへ♪ ナツメ、私の3年をよろしくね。隣を離れちゃダメよ?」

 

「――……あぁ、任せろ。アイの瞳に映る勝利(モノ)、全部一緒に獲りに行こうぜ。ムギュアッ、し、絞めるな……アイシングするから一旦離れろ……」

 

「ふふ、嫌よ! 離れちゃダメって言ったばかりじゃない!」

 

「そういう意味じゃ()ェですが!? グエェ……折角の契約シーンなのに、微妙にカッコつかねぇ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本に帰国してから数日後。

『トレーナー』として帰ってきた俺のワガママは理事長に大いに歓迎され、爆速でトレーナーとして働く準備が整ってしまった。

それならばと、割り当てられたトレーナー室の家具を自腹でエエ感じのヤツに入れ替え、レイアウトを調整してみる。アイの授業が終わるまで、3年間世話になる部屋を改造中。

 

 

 

そこへ、どこから入り込んだのか『1匹の蝶』が目の前をフラフラと漂う。そしてその蝶は何故か――俺の胸元に輝くトレーナーバッジに止まった。

不思議と意識を吸われてしまう。物言わぬ蝶から何かを訴えかけられているような。言うなればこれは――『導かれる』感覚だろうか。

この蝶について行けば、どこか遠く……()()()()()ほど遠くへ行けるかもしれない。

 

 

 

「……悪いけど、『第六感(みちびき)』ならもうあるんだ。ほら、もう行きな」

 

残念ながら、この蝶に従うのは俺の道じゃない。俺の残り時間ではそれほど遠くには行けないだろう。俺はこの日本(こくない)でアイと共に、最期の3年を駆け抜けると決めたから。

そっと窓辺まで歩いて外への道を開けると、蝶は静かに羽ばたき去って行った。

 

「――……フッ、俺ヤバ。何言っちゃってんだろ」

 

急に恥ずかしくなってきた。感覚でモノを捉えすぎだし、関係ない蝶にポエム聞かせちゃったんだけど。

はぁ……切り替え切り替え。これからトレーナーとしてしっかりやってくんだ、センチメンタルに浸ってるヒマ無いんだぞ。

さて。時間的にそろそろ来てもおかしくない――

 

 

 

「授業、終わったわ! わぁ……随分よさげな家具を揃えたのね?」

 

「3年使う俺たちのホームだからな、海外のイイヤツ仕入れてきた」

 

「ふふ、いいわね! それじゃあ、ここから始めましょうか……私とナツメの第一歩!」

 

「あぁ、ここからだ。欲しい勝利を全部掻っ攫っていこうぜ!」

 

 

 

キラめく(アイ)と燃える(アイ)が重なり合う。

俺の最初で最後の3年が始まった。

 

 

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