墜星は暗路を行く   作:はくとう

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メジロアルダン 2

 

アルダンとの専属契約が成立してからしばらく。

今現在の状況と言えば、デスクやソファなどの学園備品の家具を一新したトレーナー室で、ミーティングデスクを挟んで俺とアルダンは対面していた。

そして、彼女の隣には散々お世話になったたづなさんも着席している。たづなさん自身は『なぜ私がここに……?』と小首を傾げているが。

 

「お忙しいところ恐れ入ります、たづなさん。今からアルダンと、これからの予定を話そうと思ってて」

 

『はい、意見のすり合わせはとても大切ですね』

 

「ええ、まさしく。ただですね……もしかしたらアルダンにとって、不愉快な現実を口にしなければならないかもしれません」

 

『……真剣にお話すれば、避けては通れない問題もあるでしょう』

 

「そこで、たづなさんには……アルダンの避難先になってほしいんです。アルダンが『今日は俺と話したくない』と思った時、もしくはたづなさんが『その発言は看過できない』と感じた時。彼女の味方をする大人になってもらえませんか」

 

『なるほど……アルダンさんも同じ意見ですか?』

 

「そう、ですね。どのようなお話であろうとも受け止めると、お伝えはしたのですが……ナツメさんがどうしてもこの形式が良いと仰っていますので」

 

アルダンの意思は尊重したい。だけどこれから()()()()()()()()()()()は、第三者の立ち合いが欲しかった。

 

『ふむ……分かりました! お二人に限って、すれ違いや仲違いは無いと思いますが、私が聞いていることでお話が進むのであれば協力しますね』

 

「あざっすたづなさん! アルダン、そういう事だから……もし気分を害したらたづなさんに頼ってな?」

 

「ええ、承知いたしました」

 

三者が納得のもとに席に着き、トレーナー室に僅かな緊張が走る。その発生源はきっと俺だ。

これからの目標を話すにあたって――()()()()()()()()()()()()()を突きつけなければならないから。

さあ、第一歩を踏み出そう。

 

 

 

「まず先に言っておく――俺に獲りたい冠は無い。俺に存在するのは、アルダンの道を隣で駆け抜けることだけだ。だから走りたい路線や打ち立てたい記録は、アルダンの心に任せる」

 

「……はい」

 

「でも、そんな俺にもひとつだけ成し遂げたいコトができた」

 

「できた……ですか。ぜひお聞かせください、ナツメさん」

 

静かに目を閉じ、息を吐く。意識を研ぎ、次に目を開いた時にアルダンに視えるのは『ガラスの脚』という苦難の枷(バッドコンディション)

デビュー戦に出走していなくたって理解(わか)る、レース生活を阻み続けるであろうソレ。走れなくなるだけならまだ軽い、メジロアルダンを砕く危険性すら孕んでいる死神の鎌。

 

もしかしたら、すべての目標を達成したあとに克服できるかもしれないが――竜胆ナツメがそこまで悠長にする必要はないだろう?

 

 

 

 

 

「俺が成し遂げたいのは……()()()アルダンの身体を完全なモノにすることだ。砕け散る想像なんて二度としなくていい、純粋にレースを楽しむことができる身体を、クラシックまでにな」

 

「――……ッ」

 

口に出してみて……間違いないと確信する。俺が成すべきことはコレだ、3年なんて言わず1年で文句のつけようがないほど完全に治してやる。

俺の奥底で熱を持つ意志の火が、より激しく燃えるのを感じた。

 

「……本気、なのですね。私が十数年もの間、どうしようもないほどに囚われているこの身体を。メジロの主治医も名だたる先生方も、どうにもならなかったこの脚を」

 

「俺は医者じゃないけどな……それでもやってみせるよ」

 

「長い間……本当に長い間、誰を頼ってももうダメで、私自身もたくさんの方法を自分で試してきたんです……打てる手はすべて打ってきたのですよ……?」

 

「ずっと、たくさんの人と一緒に向き合ってきたんだろう――でも、その中に竜胆ナツメは居なかったはずだ」

 

「……期待が砕けた時、その破片は刺さって簡単に抜けないのです……私は一度それを経験していますっ……同じ課題を抱えながらも克服したお姉さまに『私も同じように』と夢見たことがありました。()()()()()はあるのです、それを揺らがせるようなことは……!」

 

「俺に期待しろ、アルダン。砕けたいワケじゃないのなら、無理に輝かなくてもいいように俺が光の中に連れて行ってやる」

 

 

 

全部俺の本気だ。アルダンのこれまでの苦しみも、命を懸けるその覚悟も、軽視するつもりはない。俺には想像の及ばない絶望や葛藤があるだろうし、その果てに『今だけでも輝きたい』という選択をした彼女を尊重したくもある。

でもそれらが、アルダンの『心から望んだ願いの全部』でないのなら。それを掬い上げて――ただ笑ってレースを楽しむ未来を現実にする。

 

 

 

 

 

 

――ナツメさん。私の期待を裏切ったら……責任を取ってくださいね?

 

 

 

アルダンは俺に期待をしてくれた。彼女らしくない脅しとともに。いいだろう、それくらいの覚悟はある。過去に期待は砕けているのに……その苦しみを知っているのに俺を信じてくれたんだ。あまりにも易しい対価だと思う。

 

涙ぐむアルダンが落ち着くのを待ってから、次に彼女の目標を聞き届けるべく言葉を促す。だけど返ってきたのは『先のことは考えない』というものだった。

目の前にある目標にすべてを注ぐ。いまであれば『デビュー戦』に全身全霊で臨み、いつ砕けても後悔の無いように走ると。

 

――私が賭けるのはこの一瞬。故に路線や冠などは、今は考えません。定めるべき時にまたご相談させてください……それまでは、ナツメさんのご指導に専心いたします。

 

「そうか……分かった」

 

話は()()()()()()()。アルダンは俺へ期待を滲ませた眼差しを向け、聞き届けてくれたたづなさんは満足そうに頷き席を立とうとする。

夕方のトレーナー室、たづなさんも次の仕事があるかもしれないのだ。それは理解している、なんせ教官の立場ではあるが1年間、あまりに多忙な秘書(たづな)さんのお手伝いだってやっていたから。

 

でもすいません、まだなんです! もうちょっとだけ、お願いします!

 

「たづなさん、ホント申し訳ないっす! まだもう少しだけ居てもらえませんか!?」

 

『は、はいっ! それは構いませんが……私はこれ以上同席すればお邪魔になるかと……』

 

違うんだなこれが……むしろ今からなんだ、()()()()()()()()()()であろう時間は!

 

 

 

「さて、俺はアルダンの身体を完全なモノにすると決めた。来年の春……クラシック級のG1戦線が始まるまでに、絶対に実現してみせる」

 

「はい、信じます」

 

「ありがとう。そうなると、レースにはあまり出ずにトレーニング重視の日々になるだろう。契約の時に言った通り、俺はアルダンの『最適解』としてその瞬間でベストの選択をする。そこで、アルダンに()()()()()()()()()を挙げていきたい」

 

「道理は通っているかと。日々移り変わる私の状態(コンディション)に沿ったメニューのために必要なことですね、何をお伝えすればよいでしょうか?」

 

「睡眠時間」

 

「分かりました、起床時に共有いたします」

 

「体温」

 

「そちらも、起床時に。日中も仰っていただければ、計測して共有いたします」

 

「食事や補食、薬とかの摂取したもの」

 

「大切ですね。共有いたしますし、ナツメさんからご提示いただくことがあればちゃんと従います」

 

「公的私的問わず、用事があれば分かっているもの全部」

 

「メジロとしての外出は、確かに何件か。ありがたいことに、学園の皆さんからも時々遊びのお誘いがありますね。共有いたします……もちろん、ナツメさんとお出かけしたい時も♪」

 

「生理周期」

 

「急にお声が()っさく!? 申し訳ありません……何かモソモソッとは聞こえたのですが、ウマ娘の聴力でもうまく聞き取れず……もう一度お願いいたします」

 

「生理周期」

 

「今度は小さい上にカスカスに! ど、どうされたのでしょうか……たづなさんはお聞き取りになられましたか?」

 

『すみません、私もよく聞こえませんでした……竜胆くん、普通の声量でもう一度』

 

……一度大きく深呼吸をして、純真な疑念の目を向けるアルダンを見つめ返して、逸らすことなくはっきり言う。

 

「――生理周期を教えてください」

 

ダメだぁ声がカスれた! あぁっ、アルダンが石みたいに固まっちまってる! たづなさんは……いつの間にか警笛(ホイッスル)くわえてる!? 『この為に呼んだのですか』って視線が痛い! 

はいそうです、二人きりだとガチハラスメントなので!

 

「いや分かる、抵抗あるよな! 異性だし、今回に限っては同年代が余計にハードルになってるのも理解してる! でもさ、大事なんだよ! その瞬間のアルダンを完全に理解して、最適解を出す為に! 誓ってそれだけの為に!」

 

「……鬼気迫るお顔で弁明されずとも、理解しています……仮に、首を横に振った場合は……?」

 

「あー……俺が勝手に、察しながらやってくかな……どう? そっちの方がキモくないか? ウソつきたくないから言うけど、アルダンに関して俺は真剣だから当てるよ。キモいの承知で、ヘンに気をまわすよ」

 

うん、真剣さを伝えようとしたら気色悪い脅しみたいになった。なんか全部間違えた気すらしてくる、たづなさんに通報されて『目標未達成・・・』エンドかもしれん。

俺にとって地獄にも似た沈黙の時間。俺の誠意が勝つか、年頃の女の子(メジロアルダン)の羞恥心が勝つか。

 

 

 

 

「――後ほど、共有いたします。うぅ……これならいっそ、二人きりのときに仰っていただきたかったです……!」

 

『竜胆くん……気を回せば良いというものではありません。成績優秀なのは結構ですが、乙女心に関しては落第ですよ』

 

……バカな、俺の気遣いがボロクソに……習ってないし経験ないからわかりませんでした。本当にごめんなさい、それとご協力ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竜胆ナツメとメジロアルダンの日々は、静かで着実なものだった。

レースを控え、ただカラダ作りに専念する。限界を飛び越えていくような『友情トレーニング』はせずに、一時も目を逸らすことなくアルダンの今この瞬間へ最適解を出し続けていく。

 

走力(ステータス)』は劇的に伸びていかない……でも構わない。半歩ズレたらすべてが崩れるデッドラインを歩いていく。

簡単には解決しない課題だ、もう少しだけガマンするしかない。今までアルダンを閉じ込めてきた、冬のように寒々しい身体(げんじつ)を越えられるのは、来年の春。

 

 

 

デビュー戦は華々しいとは言えずとも勝利した。その後もなんとか倒れずに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

普段のトレーニングも、倒れないギリギリを攻めていく。

アルダンの同期となる『サクラチヨノオー』と『ヤエノムテキ』から、不安の視線を痛いくらいに送られても。メジロの関係者や周囲のトレーナー……俺たちを取り巻く環境に睨まれても。

 

まあその視線は理解できる……トレーニングコースでの俺たちしか見なければ、ほぼ毎日ヘロッヘロになってるアルダンに思うところもあるだろう。

あまりに脆いガラスの令嬢(メジロアルダン)』には重すぎる負荷と、砕けかねない密度。トレーニングに直接割って入ってこられたり、好きなように記者に書かれもする。

 

けれど、そんなモンに構う時間は俺には無い。邪魔はすべて一蹴し、外野の声を意識から締め出す。

 

 

 

トレーニングが終わったら、一番大事なトレーナー室でのアフターケアに集中する必要があるんだ。

 

『はい、施術台(マッサージベッド)乗って~。まず座って靴下脱いでな、足から見ていくぞ。終わったら仰向けに寝てくれ』

 

『分かりました……では先に制汗(デオドラント)シートで拭いますので、少々後ろを向いていてください』

 

『はいよー……別に俺は気にしないけどなぁ』

 

『私が気にしますっ。近づかれるどころか触れていただくという時に、トレーニング終わりで汗をかいたままなんて……』

 

『うーん、そっかぁ……まあ乙女心に関しちゃたづなさんから落第言い渡されてるから、何も言わないことにする』

 

『そうしてください』

 

そうしてくださいって言われた……優しいアルダンに『黙ってろ』って。

若干凹みつつも、触れるお許しが出たら意識を切り替えて全神経を集中して診ていく。疲労は欠片も残さない……全身の消耗を完全に消し潰す。

視て、触れて、(さす)って、揉んで、整えられる限りのコンディションをここで。

 

耳の先から足の爪まで、砕け散ることを赦さないために。

俺の見極めるギリギリまで鍛え、微かなダメージまで見逃すことなく休ませる。それを繰り返し、繰り返し、繰り返し――

 

――ガラスの令嬢を、これから先に何があっても砕けることのないように強化していく。

 

 

 

 

 

 

『んん――はぁ――ナツメさんは、本当に――お上手ですね――ふぅ――』

 

『うん、アリガト……気持ちいいなら、よかったけど……』

 

『んっ――けど、どうされました――?』

 

『もっとこう……湯に浸かったオッサンみたいな声出せない? ふいぃぃぃ~~~って感じの』

 

『お、オジサマのような、ですか? そうですね――

 

 

 

――あっ、はぁ♡……このような カンジでしょうか……?

 

『あっダメダメダメなにしてんのビックリした、誰かに聞かれたらクビになるからやめて???』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レースを避けて、ただ鍛える。同期が世間を賑わせても、私たちが辿り着くべき春のために。

ジュニア級年末の大舞台を過ぎ、年が明けてクラシック級に上がり、それでも私たちの日々は変わらず続き、各々が定めた路線へと向かう中。

 

私は『姉様とは異なる光跡』であるクラシック路線『日本ダービー』に照準を合わせた。今の一瞬を賭けるならば、三冠よりも一点突破したいと。そのために私たちが目指すべきは、ダービートライアルの『青葉賞』になる。

 

……けれど、ナツメさんの意見は違うみたいです。

 

「皐月賞トライアルの『弥生賞』……チヨノオーも出てくるだろう場所で、今のアルダンを確かめに行かないか?」

 

 

あぁ……この熱がダメなのです。十数年の苦しみの果てに諦めた希望も、そのための少々気恥ずかしい情報共有も『貴方が言うなら信じられる』と思えてしまう。

 

普段通りの微笑みを残したまま、灰色の瞳の奥はいつだって全身全霊で燃えている。そんな彼が『三冠を見据えた弥生賞で、私の身体を確認しよう』と言った。

 

静かに、でも確かに鼓動が高鳴っていく。

身体の奥が熱を帯びていき……でもフラつくような事は()()()()

 

「アルダンは――もう大丈夫」

 

クラシック級の春を迎えるトレーナー室で。

私が期待するナツメさんがそう仰るのなら。

 

確かめましょう。ガラスの脚の『今』を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『弥生賞』で、チヨノオーさんを一歩の差でかわした時。私は思わず辺りを見回して、鎬を削ったそのレースで『私が最も消耗が少なく見える』ことに気付いた。

G2レースであっても、皆が勝利の為に本気で走っている。もちろん私だってそう……今に一筋、光跡を遺すべく。

 

その中で、滴る汗と荒い息のままでも――私は両の脚で揺らぐことなく、勝者として立っていた。

ナツメさんを信じていたけれど、それでも現実を信じられない。

 

半ば放心していた私に、ナツメさんは変わらない笑顔で手を差し出す。

 

『おめでとうアルダン! せっかく勝ったんだから――次の皐月賞は、驚くのもいいけど喜んでくれよな?』

 

 

 

 

 

 

『皐月賞』でのヤエノさんは、鬼気迫る末脚で勝負を仕掛けた。

それでもクビひとつ抜けたまま、逃げ切ったのは私だった。

 

私だけでは挑めなかったであろうクラシックの初戦……ティアラの道で同じ舞台を走り、皆さまを()きつけた姉様に続いて、私も成すことができた。

倒れ込むこともなく、ヒビ割れることもなく、明瞭な視界にナツメさんが映る。

 

『いい走りだった、おめでとう! おっ……ちゃんと嬉しそうでなによりだ。でもまだカタいかなぁ……まあいいや、次に進もうぜ』

 

 

 

 

 

 

 

 

『日本ダービー』の出走を目前にした控え室。

私は手にしていた()()()()をテーブルに置いて、身を沈めていたソファから立ち上がる。

 

「……リラックスできてんのソレ? そのお茶、健康には良いだろうけど……もうそこまで気にする必要は無いし、気を落ち着けるルーティーンにするならもっといい銘柄があると思うぞ」

 

「いいえ、これがいいんです。ターフの上でも、ナツメさんの力を感じられる気がするので……♪」

 

「――……なんか、ちょっとコワい」

 

「そ、そうですか?」

 

「うん……まぁアルダンがそう思えるなら、続けてもろて。俺はいつどこに居ても、アルダンの求める力を示すために生きてるから」

 

「――ナツメさん」

 

「お茶飲んだお腹をさすって『ナツメさんが居る気がする』って言われても……俺は、大丈夫だから……」

 

「し、してませんっ! そのような意味深な言い回しで茶化さないでくださいっ!」

 

「あっはは! なんか、チヨノオーの気にあてられてそうだったからさ」

 

「あっ――もう……ナツメさんであれば、もっとスマートにお気遣いいただけるかと」

 

「乙女心落第生だからねぇ、アルダンの心に刺さる気の利いたキメ台詞なんてわかりませ~ん」

 

イタズラっぽい少年の笑みで、私の緊張をうやむやにしたナツメさんとともに控え室を出る。伸びる地下バ道の先、光の舞台はすぐそこにある。

私は『皐月賞』でのヤエノさんの気迫を知っている……チヨノオーさんの『ダービー』に賭ける熱も。

 

今の私に、お二方と競り合うに至るモノがあるだろうか。『ガラスの脚』()()()()()、弥生賞から皐月賞と続いての日本ダービーであっても疲労は微塵も感じない。

でもそれは、同時に『今の一瞬の輝きのため』身命を賭す覚悟も薄れてしまっているのではないか。

 

もしここで大敗を喫してしまったら……歴史に『私』を刻みつける、覚悟の刃を失っていたとしたら。

 

――ナツメさんに、申し訳が立たない……

 

 

 

「アルダン。ゴチャゴチャ考えんな、集中しろ。集中して――」

 

 

 

――楽しんでこい!

 

 

 

パァン、と。私の背を叩いて送り出す。地下バ道に響く、軽く乾いた音。

今まで生きてきて、心配そうに撫でられることは数あれど、叩いて押されることなんて記憶になかった。だって今までは、脆く儚いガラスだったから。

 

私を鍛えた彼はただ笑って、私が不甲斐ない走りをするなんて欠片も思っていない。『勝て』と言わずに、『楽しんでこい』と。

 

『弥生賞』で、私は私の身体の頑強さに『驚いていた』

『皐月賞』で、私は姉様と同じ一冠目に『喜んでいた』

 

ならば、この二冠目が賭かった『一生に一度の大舞台(ダービー)』は――

 

 

 

 

 

 

『さぁ一斉にスタートしました、緑光るターフを駆けるウマ娘が第一コーナーへと向かっていきます!』

 

優等生のスタートで始まり、やり直しのきかない2400mが始まる。力強い皆さまの足音の中でも、やはりひときわ私に響いてくるのはヤエノさんと――チヨノオーさん。

脚を進めながら思考も止めない。『勝てるでしょうか』なんて考えは叩き潰してもらったから、巡らせるのは『お相手方の走り』

 

私の走りには、抜きん出たスピードも無尽蔵のスタミナも暴力的なパワーも土壇場の根性もない。分析して対策して頭に入れたら、あとはそれを引き出すセンスが応えてくれるかどうか。

体質改善のための、走力重視ではないトレーニングでナツメさんと共に鍛えてきたこの身体では、派手な走りはきっとできない。

 

それでも、ずっと歯がゆい思いをしながら積み重ねてきた知識と、ベッドの上で研ぐことしかできなかったレースセンスならあるはずなんです。

 

 

 

――『今』持てる全てを使って、勝負させてください!

 

 

 

『好位につけるメジロアルダン、外からヤエノムテキも狙っている第三コーナー! 大逃げをうつウマ娘もいるなかで、冷静なペースのサクラチヨノオーが2番手につける! 先頭垂れてきた、これは先団詰まって混戦か! 第四コーナーもそろそろ終わり、さぁ抜け出すのは誰だ誰だ――サクラチヨノオーここで一気に抜ける!

 

最終直線、アクセルを踏み抜くチヨノオーさん。この展開になる予測はありました、だから私もここで――今!

 

蹄鉄を踏み砕かんばかりの力で、身体を前へ前へと蹴り出す。

東京レース場の長い直線、踏み出すたびに内臓を殴りつけられるような坂。それがどうしたと言うのでしょうか!

 

前には『憧れを目指す千代の桜(サクラチヨノオー)』、後ろからは『八重に火水を編む無敵(ヤエノムテキ)

追いつけなくても、追い越されても構わない。今の私には未来があるから、必ずしもここで勝てなくてもいい……でも、勝ちたいじゃないですか!

 

 

 

 

 

――甲高い、砕け散る音。

 

 

 

 

 

 

ナツメさんとの時間で手にしたこの身体が、砕けるハズは無い!

一瞬の迷いもなく、次の一歩はより強く!

 

私はガラスの限界を砕く令嬢(メジロアルダン)です!

 

 

「やあああああぁぁぁぁぁーーーーー!」

 

 

芝を蹴り砕いて、風を切り裂いて、魂の咆哮のままに、強く強く、もっと強く蹄跡を刻め!

誰もが忘れられぬほどの、心に灼きつく光になれ!

 

 

 

『ここで来たメジロアルダン! 最前線のサクラに迫りくる! 飛び込んできた一条の光がここでかわして先頭はメジロアルダン! だがサクラチヨノオーもまだ伸びる! この二人の差し合いだ、ゴール前まだやり合う、サクラチヨノオー再び並ぶか!?』

 

 

 

データも作戦もない、ただなりふり構わず『駆けたい』『勝ちたい』衝動のままに走る。

頭カラっぽで、魂を燃やしていく。隣で憧れを越えんとするライバルの熱を感じながら、ゴールを奪い合う。

 

 

 

――あっはは……!

 

 

 

レースって、楽しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『サクラチヨノオーを振り切った! メジロアルダン、二冠達成ー!』

 

熱狂するスタンドで、アルダンの走りを見届ける。

最終直線、お互いの全部を賭けたチヨノオーとの差し合いで、ガラスの令嬢は笑っていた。

 

ウィナーズサークルに入り、勝者たる愛バの帰りを待っていると――激しいレースのあとであっても――軽やかに駆け寄ってくるアルダンの瞳は、眩しいほどに煌めいていた。

その視界に俺を捉え、少々荒い息と紅潮した頬のまま目の前までやってきて……()()()()()()()に面食らいながらも正面から受け止める。

 

「おぉっと!? 飛び込んできてどうした、苦しいワケじゃないんだよな?」

 

「はぁ、はぁ……はい、苦しさはどこにもありません――とっても、楽しかったです」

 

「――……いいねぇ、最高だ。でも大丈夫か? これからも楽しいレースがたくさんあるんだ……そのたびに感極まって抱きついてたらキリないぜ。三冠や天皇賞なんて獲った時にはどうなっちゃうんだ?」

 

「それは……ふふ、どうなってしまうのでしょう♪ もし、今より大胆なコトをしてしまっても――嫌わないでくださいね?」

 

「……………嫌わないけど、ハグまでにしような。見てあの関係者席、メジロ一家の視線が痛ぇのなんの」

 

「――誰にどう思われても関係なかったのでは?」

 

「うぐ……悪い子め、トレーナーを言いくるめようとしないの」

 

 

 

 

 

日本ダービーを勝利して、夏合宿も終えた秋。

最も強いウマ娘が勝つ『菊花賞』にて、スーパークリークをくだし『クラシック三冠達成』したメジロアルダン。

 

天皇賞に挑む選択もあったが、それは来年にまわす判断らしい。

 

「ということなので、しばらくはまたトレーニングの日々にさせていただきたいのです。けれど、ジュニア級での体質改善とは違い、今回はナツメさんの厳しいご指導をお願いいたします」

 

「そっか、分かった……強くなるのは楽しいもんな。あとは、チヨノオーが復帰した時のためでもあるか」

 

「ええ、仰る通りです。ダービーを終えて、療養に入られた彼女ですが……瞳の桜は未だ散らず、()()()()()()()()()()()頑張っておいでですから」

 

アルダンの目に悲観は無い。後にチヨノオー本人が、面と向かって当時の心情を叩きつけにやってきたんだ。

日本ダービーのゴール前、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『私、燃え尽きてでも勝つつもりでした! でも、アルダンさんに抜かれてから全身全霊で抜き返そうと並びかけた時……すっごく楽しそうに走る姿を見て、私も思っちゃったんです。楽しいな、って……あっ! 当然、アルダンさんのせいで全力が出せなかったとかじゃないですよ!? 私が言いたいのは、その……ダービーを勝つ気持ちと同じくらい、輝く貴方や迫りくるヤエノさんと走るのが本当に楽しかったんです』

 

チヨノオーは獲り逃がしたダービーを本気で悔しがっていたが、同時に新しい熱も生まれていたようだった。『次に走る時は……八重の桜花に目白押し、ですっ!』と謎の言葉を残して。

 

「いつもピンとこないんだよな、あの子の格言。さっきのどういう意味だと思う?」

 

「そうですね――私たちで走れば、きっと観客の皆様も賑わってくれる……という意味かと」

 

「おぉ、さすがルームメイト」

 

 

 

 

 

そんな一幕もありながら、クラシック級はおしまいだ。

これ以上は特筆することもなく、来年に向けて頑張るだけ。

 

……ホントになにもないよ、終わり終わり。

 

 

 

 

 

『あ……そういえば。ナツメさん。菊花賞を勝利し三冠達成した後、メジロ家にお呼ばれされていたかと思うのですが……もしやおばあ様ですか?』

 

『……そうっスね、メジロのばあちゃんと少し話したっスね。別に大した用件じゃなかったから、アルダンは全然気にしないで』

 

『――アヤシイですね、私の方を見ていただけないなんて。当ててみましょうか……メジロのトレーナーとして勧誘された、というのはどうでしょう? それに対してナツメさんであれば……今は(アルダン)以外を考えるつもりは無い、とお答えになったのでは?』

 

『ヤバ、実は聞いてた?』

 

『ふふ……メジロ家もナツメさんも、私にとっては馴染み深く大切なものですから、お見通しです……あら、珍しくお顔が赤いですね♪』

 

 

 

『ほーん……随分機嫌よさそうじゃん。実はさ、もう一個言われたことがあるんだよ――婿に来る気はないか、ってな』

 

『は、ぇ………お婿さん……』

 

『あっはは! 気ィ早すぎだよな。まぁ竜胆ナツメっていう人材を握っときたいんだろうけど。それで……俺の事をお見通しのアルダンは、俺がなんて答えたと思う? 先に言っとくと、断ってはないからな』

 

『そ、それは……しょのぉ……』

 

『おやまぁ、顔が赤い。これは久々に保健室のお世話になるかもだ。ちなみに答えは――……教えないからメジロのばあちゃんに聞いてくれ』

 

『――……な、ナツメさんっ! 仕返しのためだけに、そのようなイジワルを仰いましたね? おばあ様に尋ねたとて、私を交えず貴方だけとしたお話を聞かせていただけるはずがありませんっ』

 

『先に仕掛けてきたのはそっちだし~、俺のは正当防衛(セートーボーエー)で~す……おぉ、メジロハムダン・リターンズ』

 

『誰がハムダンですかっ。はぁ……ナツメさんにからかわれて、調子が下がってしまいました。あーあ、これは誰かさんに機嫌をとってもらわないと、トレーニングに身が入らないかもしれませーん』

 

『えー? 調子は別に下がってな……分かりました分かりました、アルダンのほっぺが破裂する前にエスコートさせていただきます!』

 

 

 

 

 

もう特筆することは無い……けど。強いて挙げるなら、そうだな。

アルダンはわりと、自然体で接してくれるようになったかな。

 

危うくついうっかり、本気になっちゃいそうになるくらいに。ただの女の子だ。

 

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