クラシック級で、アルダンは『脆く儚いガラスの令嬢』を卒業した。
三冠を達成し、偉大な姉とは異なる光跡を描いている。万事順調、あとはレースを楽しみながら勝っていくだけだ。
まぁ、シニア級は戦う相手が増えそうだけどな。
同期でありライバルである『サクラチヨノオー』と『ヤエノムテキ』のほかに、上の世代も交えた戦いになっていくだろう。
例えば、
誰が相手でもアルダンが存分に楽しみ、そして勝てるように。最期の一年も張り切って行くとしよう。
――初詣
お正月のレース特番で、アルダンの次に取り上げられたのはオグリキャップ。アナウンサーは言葉こそ適切に選んでいるが、まるで『オグリかそれ以外か』とでも言いたげだ。
その様子に、隣で見ていたアルダンも同調する。『歴史に残ることを約束された輝き』であると。
その上で、アルダンは『
「いいね、じゃあ走ろう! 俺たちの目標は決まりだな」
「……それで、構わないのですか? ナツメさんはスカウトする際に『命懸けであっても存在を証明したい』と仰りました。ですが、今の私は……あの時ほど『歴史に光跡を刻みたい』とは思えないかもしれません……覚悟で以て名を残すあの熱は、幾分か落ち着いてしまって……」
「うん? 俺は別に名を残したいワケじゃないよ。俺は、俺たちだけが辿り着ける場所に行けたらそれでいい。そして、その場所はもう既に到達した」
「え……それは、もしやクラシック三冠でしょうか。メジロで唯一、私たちだけが到達した場所……」
「違うな~。言ったハズだ、俺は冠に興味はないよ。成し遂げたいのはひとつだけ――最初の一年でアルダンの
「……本当に、良いのですか。全てを一瞬に賭けて輝きたいと願う私ではなく、ただレースに興じて勝敗に一喜一憂するだけの私になって……後悔、していませんか?」
「なに不安になってんだか……俺の
「―――……ナツメさんは、ウソつきです。これほどの時を共にしても、貴方の物言いには心を揺らされてばかりで慣れそうにありません……」
「え? あー……契約してすぐの時に言ったかも、そのうち慣れるって……まぁまだ一年あるし、慣れるでしょ! ……ていうか、慣れてくれないと……その、泣かせるつもりは無いんだ……本当に」
湿っぽくなってしまった空気を切り替えるべく、目標も決めたところで初詣に向かうことにした。
俺が願うのは――『
願うなら俺にはもうこのタイミングしかないだろうから。
……ああっ、アルダンの調子が下がった!?
難しいね、乙女心って……俺は多分、死ぬまで分からん。
――福引チャンス
商店街での買い物帰り、新春福引会場でアルダンに福引券を渡す。俺の買い物で貰ったモノだけど、買ったのはアルダンのトレーニング用品だ。
遠慮しそうになる彼女に握らせて、俺は後ろから見守るだけに留める。
あぶねぇ……話の流れで俺が引くことになれば、きっと温泉旅行券が当たっちまう。行くつもりもないのに困り過ぎる。
結果、アルダンは見事に一等賞の『特上にんじんハンバーグ』を引き当てた。え、すごいじゃん!
その後、『これほどいいものは最高の形で頂かねば』という話の流れで付け合わせなどを用意するため買い物続行。
スーパーに入ったところで、店内に張り出された『今週の特売チラシ』を見つつ話し合う。
「ふふ……やはりこの大胆な色使いのチラシは、見ていてとても楽しいです」
「色使い……斬新な観点だなぁ」
「そうは思いませんか? 敷き詰められた色とりどりの賑やかさ……趣味で描く絵にも取り入れるべきかもしれません」
「絵画とはまた別じゃねぇか!? たまに描くらしいけど……キャンバスに向かうアルダンが静かに特売チラシみたいな絵描いてたら怖いぞ」
「……確かに。ばあやに要らぬ心配をかけてしまうかもですね」
「ああ、本当にな。俺がなんか変な影響与えたとも取られかねないし。せっかくばあやさんとも仲良くなったのに」
「ふふ、そうですね。私の身体を治したことで、ばあやも両親もすっかり信用……あっ!」
「え、なに? 怖いトコで話切るじゃん」
「いえ……家族のことで思い出したのですが、実は母が学園の友だちを家に招きたがっているのです。その中でも特にナツメさんを招待して、ぜひ一度おもてなしをしたいと」
「ふーん? まぁアルダンのレースがない今なら、ちょっとお宅にお邪魔するくらい……あー、いや……やっぱ不安だ」
「ふ、不安ですか? 何故でしょう、私の両親がなにか……」
「……あのさ、三冠獲って『アルダンはもう大丈夫』って誰もが思った時にお電話もらったじゃんか。そん時の感謝が、正直受け止めきれないくらいで……アルダンのレース生活が心配で、泣いて反対してたのは聞いてたけど」
「……あはは、なるほど。それは、うん、そうですね……その節は両親がご迷惑をおかけしました」
「メーワクとかじゃない! でも、身に余る……かも。気持ちはありがたいよ、ただお宅にお邪魔したら持て余すくらいの歓迎を受けちゃう気がするし……アルダンも交えてのビデオ通話くらいで勘弁願いたいな」
そんな他愛無い話とともに、二人で店内を見て回った。
――バレンタイン
日の傾きはじめた夕方。いつも通りトレーナー室でデスクに向かって仕事してたら、アルダンが小さな包みを持ってやってきた。
『お仕事はおしまいにしませんか?』と言いながら、俺とノートパソコンの間に割って入ってくる。近くなったな~距離感……いや、2月14日の空気にあてられたのか?
アルダンの目が『構ってください♪』と訴えている以上、今の優先事項は彼女になる。最近は割とすぐスネるので。可愛いけどな!
閑話休題。今日のお仕事はここまでにしておいて、二人してソファの方へ移る。その時に、俺も用意していたチョコケーキを冷蔵庫から持ち出してお渡しした。
「まあ……! ありがとうございます、ナツメさん。大変うれしいです……ですが、あら……これ気合が入り過ぎていませんか? カロリーがものすごいような……」
「うん、すごいよ! アルダンが今日なに食べてたのか知らないけど、確実に一日の摂取量はオーバーする!」
「なぜそれほど溌剌に!?」
「だって今ならなんでも好きなだけ食えるじゃん。レースに影響出るなって思ったら、また前みたいに食事管理して調整するから心配すんな!」
体質改善のために色々……
「で、ですが……
「ふっくら……ふむ。それはそれで……」
「想像しないでください、普通に『気にしない』と言っていただければそれでよいのですっ! もう、本当にナツメさんは……妙なトコロで落第生が顔を出すのですから」
「ああ、今の俺は乙女心的にダメだったんだ。ふくよかだったりニキビ気にしてるアルダンも、ある意味健康的で可愛いなって思ったんだけど」
「……し、知りませんっ。お話はもう結構ですから、
俺に小さな包みを押し付けて、アルダンはさっさとチョコケーキを口に運ぶ。
簡単にお茶でも淹れてから、俺もアルダンからのバレンタインチョコを頂いた。既製品と見紛うような精巧さ……ほんでうまーい!
ごちそうさまでした……ところでアルダンさん。美味しそうにひょいパクひょいパク食べてくれて嬉しいけど……それ全部いっちゃうの?
あ、すごい完食だ。ほんとにニキビできちゃうかも……というか血糖値ヤバない?
爆弾みてぇなカロリーのナツメ特製チョコケーキを食べきった後、アルダンは耐えきれないあくびをお上品に隠していたが……あえなく撃沈した。
『お膝を借してくださぁい……』と言い残して、靴を脱ぐまでは頑張ったものの、そこで限界。わざわざ俺のカタい膝を枕にソファで寝なくても、すぐそこに
「……食べてすぐ横になったら、ウシ娘になっちゃうよ〜」
安らかな寝息を立てるアルダンは、既に俺の声など知らぬまま。
まあ寝てくれるならいいか、ひとつも知らない子守唄を歌うはめにならずに済んだ。
「ワガママになったなぁ」
俺の仕事を半ば強引に中断させ、数回に分けて食べればいいチョコケーキを食べきって、眠くなったからと俺の膝を占有する。
出会った時とは大違いなこの変化は、間違いなく成長だろう。今までずっと頭の片隅に巣食っていた『身体への懸念』が消えて、学生らしいゆとりを少しずつ獲得し始めた。
元々、年相応に少女らしいところはちゃんと持ち合わせていたんだ。それを表に出す時間の余裕がなかっただけで。
うんうん、存分にトレセン生徒としての学園生活を謳歌できてるみたいで、
――
これほどに信頼と……好意を向けられて、『嬉しい』だけのまま駆け抜けられるほど俺は大人じゃなかったみたいだ。
手持ち無沙汰になり、アルダンの寝息にあわせて頭を撫でる。
俺がもっと
身じろぎして、微かに開いた目が俺を捉えて――――柔らかく笑って、もう一度眠りに落ちる姿に、心を揺らされることはなかったのかもしれない。
これならいっそ、俺が膝枕された方がまだよかった。眠れない身体で寝たフリを決め込んでいたら、こんな自己嫌悪に苛まれずに済んだのに。
――大阪杯
勝利。本格始動した『友情トレーニング』の成果をまざまざと見せつけ、格段に強くなった自分を楽しんでいた。
――ファン感謝祭
『大喜利レース』なる競技にオグリと共に参加するアルダンは、クリークとタマモが進行する大喜利大会で一進一退の攻防を続けていた。
言ってしまえば天然×天然のマッチアップ、お互いに素の解答で充分に大喜利になっている。唯一のツッコミ役であるタマモはその分大変そうだが、まぁガンバ。
俺は正直やることがない。身体動かす競技じゃないから注意して見張る必要もないし、そもそもお笑いなんて触れたこと無いから微塵も分からん。
『はいっ』って元気よく手を挙げて答えてるアルダンが可愛いねってくらい。
仕方がないので、俺は俺でファン対応でもしていよう。ありがたいと言うべきか、竜胆ナツメのファンも居ることだしな。
大喜利レースを観戦しつつ、サインや写真に快く応じて周囲の邪魔にならないよう愛想を振りまいておく。
『……ここでアルダンちゃんからのお知らせです~! え~っと――
――竜胆ナツメさん、竜胆ナツメさん。ちゃんと最後まで見ていてください、後ほど私が何と解答したか答え合わせをします。もしお答えできなければ、次のお休みにメジロ家へ連行します。
……とのことです~!』
『「怖いわ! 連行して何する気だ(や)!?」』
タマモとハモった。
――宝塚記念
勝利。常に競い合ってきたヤエノムテキ、復帰を果たしたサクラチヨノオー。それから最近頭角を現しているイナリワンを相手に、とても楽しそうな走りを見せた。
――毎日王冠
勝利。秋の天皇賞を見据えたオグリキャップとの戦いは、夏合宿の成果を存分に叩きつけることができた。
次はいよいよ決戦だ。相手は『永世三強』と名高いオグリキャップに、スーパークリーク、イナリワン――
――だけじゃない。『今』を競い合ってきたサクラチヨノオーとヤエノムテキもまた、今世代の最強として乗り込んでくる。
『激戦必至、ですね。まさか、全員と走ることになるなんて。毎日王冠からの連戦に、二つの三強を同時に相手取る……ふふ、もしかしたらさすがの私もヒビくらいは入ってしまうかもしれません』
『まっさかぁ? 思ってもないコト言って俺の気を引こうとしてないか?』
『――えへ、バレてしまっては仕方ないですね♪ では次のレース、どうか安心してご覧になってください。私しか目に入らないほどに……光り輝く走りをお見せします』
『あぁ……数ある
――天皇賞・秋
勝利。府中を駆ける数多の光跡を束ね、最も鮮やかな彩光となった。
光に包まれた舞台を遠巻きに眺めながら、闇の中で一筋の跡を遺したいと願っていたガラスの令嬢は、温かな喝采に包まれる中で笑っている。
メジロアルダンにとっての『最適解』は、導き出せたと思いたい。
何の憂いもなく走って、楽しかったと笑顔を浮かべて、それを気のすむまで続けてくれれば……それが俺たちの存在証明。
――クリスマス
トレーナー室を盛大に飾り付けて、チヨノオーとヤエノを招いたクリスマスパーティーに興じる。
これまでの道行きを語り合いながら談笑する彼女たちに、料理やドリンクを
やがてチヨノオーがヤエノを連れて『二次会ですよー行きましょう!』と退室してから、アルダンとともにホストとしての後片付けを済ませる。
それが終わったら……俺たちも二次会だ。
『イルミネーションを見てみたい』と私服に着替えたアルダンを連れて外を歩く。ロマンチックにライトアップされた街に『星の海のよう』なんて言って目を輝かせるから。
頭の中の地図にあるだけで、今までに入ったこともなかったプラネタリウムで二次会を締める。
寮の前までアルダンを送り届けてから、おやすみを言う前に言葉を交わす。
「パーティーも、二次会も、星の海も……この日のことは、一生忘れません」
「……そっか、そりゃ結構。でも手放す時がきたら、ちゃんと捨てていくんだぞ」
「難しいお話ですね……もしそんな時が訪れたのなら、それは私の光が潰える瞬間だと思います。ナツメさんに灯してもらった、私の心の光……」
そこでアルダンは、何を思ったのか俺の瞳を覗き込む。俺の灰色の奥底を確かめるように見て、考えて……柔らかなガラスが咲くように微笑む。
「ふふ……ようやく、ナツメさんの正体がわかりました……貴方のその熱と光は、今日見たどの星よりも鮮烈な
「――……あっはは! いくら顔が良くても、流石に星に例えられたことは初めてだな。じゃあ俺たちはさしずめ……連星だったワケだ」
俺が星なら、アルダンだってそうだろう。互いの重力で引き合う星の輝き……まさしく連星じゃないか。
もっとも、俺はもうすぐ暗くなってしまうが。
難しいことを考えず、透き通るガラスの
「おやすみ、アルダン。いい夢を――そしていい未来を願ってる」
♢
それから、俺にとっては飛ぶように流れた日々だった。
契約は解消され、メジロアルダンはメジロと親交のある学園のトレーナーへと引き継がれる。
俺は引き継ぎ業務や退職の手続き、お世話になった方々への挨拶などを消化していく。
中でも取材対応はしんどかった。おしかけてくる記者なんかもいて何件か学園に対応を強いてしまったし、ほんますんません。
着々と表舞台から消える準備は進み、とうとう学園を去る日。冬がそろそろ終わり、眠りから覚めた自然がだんだんと顔を出し始めるころ、その夕暮れ時。
自腹で揃えた家具の数々は破棄して、学園の備品である机やソファをもとに戻したトレーナー室。
ソファに身を沈め、3年ぶりの合皮の感触を懐かしむ。俺たちの痕跡は漂白され、また別の誰かがこの場所から夢を始める。少しだけうらやましい
決まっていたこととはいえ、叶うならもう少し、道の先を見たい気持ちがある。
「――……やめやめ、3年間お疲れ様」
「はい、お疲れ様です」
「ほぎゃあああぁぁぁ!?」
トレーナーバッジに手を掛けたところで、隣からの声に本気で叫んだ。
物思いに耽っていた間に部屋を訪れていたらしいアルダンは、俺の情けない驚愕に対してイタズラっぽく舌を出すだけ。分かっててやったな、この反応は。
「ふふ、申し訳ありません。ノックしてもお返事を頂けなかったので、勝手にお邪魔してしまいました」
「うん、それは俺がボケっとしてたからいいんだけど。驚かしたのはただのイタズラだろ」
「……さぁ、どうでしょう♪」
「まったくこの子は、3年で不良になっちゃって……」
隣に座るアルダンとの他愛のない会話で場を繋ぎながら、俺はその裏で抜けかけていた気を張りなおす。あとはバッジを返しておしまいと思っていたから、最期にボロを出さないようにしないと。
さぁ一線を引け、例え同年代であっても俺はもう大人で、相手は学生だ。それに――アルダンには決して砕けない今と未来がある。
♢
赤い夕日の射しこむトレーナー室、学園の備品である3年ぶりの合皮のソファに腰を下ろして隣を見る。ナツメさんのご用意した馴染み深いインテリア類は姿を消して、最後に残った彼もまた居なくなろうとしていた。
「それで? 最後の最後に突撃カマしてきたアルダンは、これ以上何を話したいんだ? 正直言うと、クリスマスの夜に『これはキマったやろ……』って最適解を出せた気がするし、俺としてはキレーに締めれたと思ってたんだけど」
「最適解……そうですね。ナツメさんは最初から最後まで、私の今への最適解を示してくださいました。
「おぉ、やばい嬉しいなそれは。だったら『でも』……お?」
「
聞いていなかった……いえ、聞くのが怖かったことを問う。ナツメさんほどの才、選択肢はきっとたくさんあった。
――私よりも強い走りをする方。私よりも華やかな夢を持つ方。私よりも過酷な運命を持つ方。私よりも愛嬌のある方ではなくて、本当に良かったですか?
魅力的な方ばかりのこの学園で、『今一瞬に賭ける覚悟』を重ねて頂いた私は……今や『ただレースを楽しむだけ』のウマ娘。
この結末に、ナツメさんは落胆していないだろうか。この3年で変わってしまったメジロアルダンは、貴方にとって――最適解たり得たのか。
「……仮に、アルダンよりも魅力の溢れる
――俺は今の笑ってる『メジロアルダン』だけが見たくて、この結末のために全部を懸けたんだ。
どこまでもナツメさんは真っ直ぐで、灰色の瞳の奥はいつだって揺らがない。だからこそ、私の臆病な考えは全て杞憂だと分かってしまう。
彼にとってメジロアルダンは――『最適解』ではなく『唯一解』だった。
「ッ……ふふ――あははっ……! 本当に……最後まで、ナツメさんの言葉には慣れないままです……!」
ナツメさんの物言いに、私はずっと揺さぶられてきた。
彼という星の持つ熱と光が添えられた言葉が、私の心を熱くさせるから。
『メジロアルダン
震えだす声と熱を帯びる瞳を、隣で座る彼に押し付けてしまう。
散々お世話になったその最後に、引かねばならない身を、寄りかからせてしまう。
「……っと。あー……誰かに見られるかもよ」
「そうですね……でも……もう少し、だけ」
私が借りている胸から感じる温もりが名残惜しい。
今の私が見せる執着は、お互いにとって不幸でしかないことを理解している。
きっと、もう逢えないのだろうという予感があるから。
ナツメさんには、意外と言えないコトが結構あって。20歳までの在籍というのも、おそらくそこから先は私が出会うより前に『先約』があるからで。
簡単には戻ってこられないような、どこか遠い場所に向かわれる。
だから、近づくほどに、長引くほどに、苦しみとして返ってくる。
それでも、胸で熱を持つこの想いは、欺けないほどに大きく育ってしまった。
綺麗に秘めたまま、いい子にしていなければならないのに。
彼も薄々は気付きながら、沈黙の中で別れることを望んでいるのに。
痛みを伴っても、後悔が待っていても、この選択が不正解だと理解していても。
貴方が、大好きなんです。
「ごめんなさい、ナツメさん……ごめんなさいっ……! わ、わたし、は……貴方が――」
「――いいよ、俺から言う」
「好……え? ぁ――――ん――」
涙と謝罪を巻き込んで、吐き出そうとしていた私の想いは、口に出る前に――
♢
懸命に言葉を紡ごうとしていたアルダンが、反射的に目を閉じる。彼女の体温と息遣いが、唇を通して感じ取れた。
「――、っ……。アルダンの覚悟に、俺も応える。だから、泣いて謝りながら別れるのだけはナシにしよう」
アルダンの頬を濡らす涙は拭って、謝罪の言葉も一旦は止まった。
潤む
だったら……光り輝く将来が待つこのメジロのご令嬢に、傷をつける覚悟を持たないと。
心の奥底で開いた口から、泥のような罪悪の呪詛が這いあがってきても。
「俺は、アルダンを愛してる。肩書きに関係なく――俺が好きになった唯一の女の子だ」
「――……私も、です。初恋でした――愛しています、ナツメさん……! っ、あぁ……ごめん、なさい……本当は抑え込んで、
「謝るのも泣くのもナシって言ったろ? それに、気に病む必要は無いんだ。いい子ちゃんだったアルダンがワガママを言うようになったのは、俺のせいでもあるしな」
「んっ…………ふふ、確かにそうかもですね? ではもうひとつワガママを言ってもいいですか? それで、笑顔でお別れします」
「今の俺にできることで頼むよ」
「――さっきは、
涙の滲む目を閉じて、僅かに顎を上げて、俺を待つアルダンの意図を汲む。
抱き寄せて、肩の力を抜いてもらって……死に行く俺が、呪いを遺す。
柔らかく、温かく、愛おしくて……砕けたガラスのように心を刺す痛み。
それが俺たちの最後になった。
「ん……アルダン、尻尾が離れてないよ」
「……………ナツメさん、もう一度だけ……」
「――そこは変わんないな、欲しがりお嬢サマ」
♢
トレセン学園から竜胆ナツメの名が消えてから数週間。
白で埋め尽くされた部屋、俺の身体から伸びる数々の線、一定間隔で鳴る小さな電子音。
レース界で見てきた華々しいゴールとは違う、地味で無色の終着点。
身辺整理は問題なし、母親への挨拶も済ませた、未練も後悔もない。
明るくて楽しくて、輝いて温かくて、濃密で瞬く間の人生だった。終わりが分かっていたからこそ、俺は竜胆ナツメに成れたと思う。
すぐソコまで迫っている死の予感はきっと外れない。14年前の事故から放たれた、命中が決定している魔弾のようなもの。
第六感で動き出した運命は、第六感で幕を下ろす。
「あれ、俺の始まりってどんなだっけ……」
いつの間にか忘れてしまった、一番最初の感覚。たしか、天使にも悪魔にも似た囁きだった気がする。まあいいか、思い出せないならもう関係ない。
終わり際に本当に想うのは、ひとつだけ。
「どうか、メジロアルダンの未来が幸福でありますように」
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電子音は静寂を示し、墜星は暗路を行く。