俺たちの2年目の締めくくり。クラシック級で参戦した有馬は、キングの勝利で幕を閉じた。契約して最初の作戦会議で作ったローテーションに修正を加え、短距離とマイルを組み込んだ新たな未来予想図。そして俺たちは最後の1年を駆け抜ける。
俺にとっては
――初詣
突発的な数百人との撮影会をやり切ったキングに上着を貸す。なんでいつもの私服で来たんだ、寒いだろソレは。
「ナツメさんのアウターっていつも一緒よね。もしかして他に持ってないの?」
「それキングが言う?毎度同じ服装なのはお互い様だろ。そして服はちゃんと持ってます~悩む時間がもったいないから同じの沢山買ってるだけです~」
「ふぅん……」
「んー?なんか釈然としないじゃん。ちゃんと洗濯してるから、俺のいい匂いがするだろ……あ、そういうことか!いや~そろそろ俺もイメチェンかな、でも流行とか品質に疎いから、だれか一緒に見繕ってくれないかなぁ?」
「もうちょっとスマートにパス出せないの!?」
「うん無理。キングに限らず、あんま完璧に誘うと惚れられちゃうから。それで、デートの日程はいつにする?」
「ででデートじゃないわよ!まったく……このキングとお出かけする権利をあげるんだから、もっとありがたく謹んで受け取りなさい!19時からお正月パーティーをするんだし、日程はその時に話せばいいわ!」
「パーティーの準備の権利は?」
「ナツメさんにあげる」
「やっぱりか」
「とーーーっぜんでしょう!おーっほっほっほ!」
――福引チャンス
正月の商店街で、福引の呼び込みをしていた。キングの代わりに特賞の温泉旅行を当ててくる権利をもらった俺は、自腹の福引券でガラガラをゆっくりブン回す。オラァ‼
「で、出ました特賞!温泉旅行券おめでとうございまーす!」
「ええええぇぇぇぇ!?ホントに出して良いわけないでしょう!」
「いぇーい。俺ってば天運あるからさ。ってなワケで、はいこれ特賞。言いだしっぺの責任な。テキトーなとこで行ってこい」
「いや、その、えぇ……?ナツメさん自分で使いなさいよ、さすがのキングでも受け取る勇気がないわ」
「絶っっっ対に無理、そんな暇はない」
――バレンタイン
街で通りすがりのファンと写真を撮ったり、そのファンから返礼としての友チョコをもらったり。そんな一幕ののちに、トレーナー室に戻ってきてから俺も小さな包みを手渡した。
「あら、ありがとう!ナツメさんからも貰えるだなんて……ちょっと想定外だわ。いつもバタバタしてたから」
「まー今年は忙しいからな。でも手抜きじゃないぞ?一流のキングにふさわしい一流の素材を使った手作り、当然ながら本命。ちなみにキングが時間なくて準備できなかったのは知ってるから、俺に変な気を遣う必要はまったくない」
「言われると余計に気になるのよね……なら、このキングが淹れるお茶を飲む権利をあげるわ!」
「マジ?やったサンキュー!火傷しないようにな!」
「任せなさい!今年はこれだけだけど、来年は」
「来年はそん時のトレーナーにプレゼントしな」
「――あ、そう……ね。ちょっとうっかりしてたわ」
――高松宮記念
キングが挑む初めての短距離G1。中長距離の王道路線から突如の挑戦に、俺たち以外は半信半疑だった。観客も専門家も、短距離で鎬を削るウマ娘たちも、少なからず好奇の目を向けていた。
菊花賞の半分以下の距離、たった1分の電撃戦。
キングヘイローは鮮緑の風となって全てを撫で切った。そう、これが彼女の持って産まれた至上の輝き。瞬きの間に見る者を焦がす超一流の素質。
「おーっほっほっほ!これこそが正真正銘、
そして俺もまた、キングヘイローに見惚れていた。
名だたるスプリンターたちを抜き去って、大歓声の中で哄笑する姿。
俺が
――ファン感謝祭
パン食い競争で見事に最下位を記録したものの、温かな声援をもらっているキングを見て、俺はキングの「違う道」を夢想した。
「俺が居なくても、たぶんキングは別の輝きを放ってただろうな。勝ちの多い道じゃなかったにしても、キングは折れずに一流のカタチを掴んでた気がする」
「急になに言い出すのよ。仮にナツメさんの言う通りだったとして、あなたはこのキングを
「……人たらしめ。口説くのやめてくんない?」
「それあなたが言うの?見たのよ、さっきあなたもファンに囲まれてたの。ファンクラブがどうとか言ってたじゃない?もっと構ってあげたらよかったのに」
「いや~、ありがたい話ではあるけどなぁ。俺の時間はキングのためにツッコむって決めてるから」
「……口説くのやめてくれるかしら」
「仕方ない、似た者同士だ」
――安田記念
勝利。これでキング短距離から長距離までの全ての距離でG1を手にした。
――スプリンターズステークス
勝利。高松宮記念での1着がまぐれではないと証明した。
――天皇賞秋
勝利。由緒ある秋の盾を手中に収め、残すは有馬記念2連覇のみとなった。
――クリスマス
トレーナー室を使ったクリスマスパーティーでスペ、スカイ、グラス、エルと豪勢なディナーを囲む。俺は華の女学生たちに顎で使われるが、キングが怒りつつも楽しそうだからこのままでいいんだろう。
「ところでぇ~、ナツメトレーナー様はキングとドーユー関係になったんですかあ?」
「おー!それはエルも気になってました!ちょくちょく街に出かけてるらしいじゃないですか!」
「キミらアルコール摂取してないのにダルいね」
「すみません、エルを落ち着かせますね」
「ケ!?なんでセイちゃんはスルー!?」
「……グラスちゃん、わたしも気になるかも」
「ナツメトレーナーさん、スペちゃんもこう言っていることですし……お答え願えますか?」
「ちょっとグラスさん!あなたスペシャルウィークさんに対して甘すぎるわよ!?」
「ごめんなさいキングちゃん……契約の一部始終を見届けた身としては、気になってしまうのが本音なんです」
「いや~、みんなのナツメ教官だったのが急にキングの専属になって、そっから三冠さらに全勝……周りの脳を焼いた責任取るべきじゃない?」
「はいはい。なんだっけ、キングとの関係?そんなもん『俺の人生の全て』ってだけだよ」
「「「「矢印でっか」」」」
その後、キングは返答を迫られ逃走した。うわいい逃げ、適性ないのに。ほんとかわいいんだから。
――有馬記念
もう陽が落ちきったトレセン学園のトレーニングコース。その中で白い息は二つだけ。
俺たちが迎える最後のレースに備え、これまた最後の長距離適性特別トレーニングを施した。過剰稼働した脳と身体に、冬の冷めた風が心地いい。コースにぶっ倒れて夜空がよく見える。
だがその夜空の半分は、キングの端正な顔で塞がれた。後頭部の硬い芝の感触も、柔らかなものに代わる。徐々に呼吸と視界が安定してきた。
「お疲れ様。特別にキングの膝を貸してあげる」
「おぉ、夢のシチュエーション……サンキュー」
「
「いや別に。うれしいけどね?俺の夢はキングに賭けたから手元にないよ。つかキングのお膝をこんなの呼ばわりしていいのか?」
「あなたの働きに比べれば、こんなのだわ」
「過分なお言葉だこと」
しばらく、二人の吐いた白い息が空で混じる沈黙が続く。
「来年も、少しの間は学園にいるのよね?」
「いる。いろいろ引き継いだり学園外でも手続きがミッチリあるし、冬の中頃くらいまでかな。担当は今年いっぱいだから、気軽に話す時間はほぼないけど」
「そう……」
「ああー、悪いな。出ていく理由も言えずに」
俺がこの学園を出ていく理由は誰も知らない。教官の時には各方々から聞かれたが「個人の都合でお答えできない」と毎回返しているうちに、俺の退職理由は聞いてもムダだと分かってもらえた。
「いいわよ。この3年で分かったけど、あなた結構言えないコトがあるんでしょ?その中でキングに尽くしてくれてるのは、ちゃんと伝わってるから」
「うぅ……キングがいいコすぎて心痛い。身も心も超一流になっちゃって」
「あと、照れた時にこっちをおちょくった言い方してイーブンに持ち込もうとするわよね」
「お兄さんを見抜くな!」
クスクスと笑うキングは、このしんみりした会話に区切りをつけてくれたんだと思う。俺年上なのに、気を遣わせちまったな。
「さ、キングが冷える前に帰ろう。そんで、俺たちの蹄跡の集大成を獲りに行こうぜ」
「そうね。私たちの超一流を証明しましょう」
♢
それから、俺にとっては飛ぶように流れた日々だった。
キングは年末の中山で、俺たちの旅路を俺たちらしく締めくくった。
そして契約は解消され、キングヘイローは他のトレーナーが率いるチームへ移籍。
俺は引き継ぎ業務や退職の手続き、お世話になった方々への挨拶などを消化していく。
中でも取材対応はしんどかった。おしかけてくる記者なんかもいて何件か学園に対応を強いてしまったし、ほんますんません。
着々と表舞台から消える準備は進み、とうとう学園を去る間近の日。冬がそろそろ終わり、眠りから覚めた自然がだんだんと顔を出し始めるころ、その夕暮れ時。
自腹で揃えた家具の数々はキングのチームに譲渡して、学園の備品である机やソファをもとに戻したトレーナー室。
ソファに身を沈め、3年ぶりの合皮の感触を懐かしむ。俺たちの痕跡は漂白され、また別の誰かがこの場所から夢を始める。少しだけうらやましい
キングヘイローも新たなチームで新たなサイクルを始め、俺だけがはじき出されてしまった。決まっていたこととはいえ、叶うならもう少し、道の先を見たい気持ちがある。
「やめやめ、これ以上はドツボだ」
「何がドツボなの?」
「うおっびっくりした!」
ちょっと感傷に浸りすぎたか、制服姿のキングヘイローがトレーナー室を開けたことに気付かなかった。そのまま俺の言葉を待たず、キングヘイローは何食わぬ顔で隣に座る。
まずいなぁ……トレーナーとしての竜胆ナツメを呼び戻さないと変なこと口走りそう。
これがきっと最期の会話だろうから、ボロ出さないように気合い入れろ。
♢
「それで、何がドツボなのよ」
私はナツメさんに、独り言の真意を問う。別に問いただしたい言葉じゃないけど、彼から追い返す言葉が出る前に話を続けたかった。ナツメさんは明言しない、でもきっと簡単には会えない場所に行ってしまうのでしょう。
「怒らない?」
「ええ、よほどのことじゃなければ」
「キング扱いやすいけど扱いづらいから、新しいチームでやってけるかなって心配してた」
うん、これは嘘。眼に真剣さが漂ってない。まったくのでまかせじゃないだろうけれど、本心でもないのよね。
「心配ご無用よ。あなたが次にどこへ行くのかは知らないけれど、そこまで届くほどの超一流の輝きを見せてあげるから!その時は特別に、周りの人に『あのキングと一緒に走ってたことあるんだぜ』って自慢する権利をあげるわ!」
「もちろん自慢するさ!キングだって『ナツメトレーナーと三冠獲ったのよ』ってマウント取れよ」
「何言ってるの?そんなの知れ渡ってるんだから、私の近くに教える相手いないわよ」
「……ああ、確かに」
納得した様子を見せるナツメさん。珍しく会話の着地がぼんやりしてるあたり、突然の訪問が彼を動揺させるのに役立ったみたいね。
なら、仕掛け時は今みたい。
背もたれに身体を預けるナツメさんに、私は姿勢を正して向き直り、彼の目を見て話す。
「ナツメさん、どうしてもひとつだけ聞きたいことがあったの。あなたの身体のことも、出ていく理由も、どこに行くのかも聞かないから、ひとつだけ答えてほしい」
「……こんな時でも、『質問による』って言わなきゃいけないのが嫌になるな」
ナツメさんは自嘲とともに、体を起こして私をまっすぐ見た。ごめんなさい、そんな顔をさせたいわけじゃなかったの。でももう退けないから、我慢してちょうだい。
「私のこと、どう思う?」
「おー……そういうことね」
ナツメさんは理解した。ならば即座に思考をまとめ、体裁を保った回答を出力するでしょう。「ナツメ
でも聞きたいのは、ソレじゃないから。
ナツメさんの上着にまだ輝いているトレーナーバッジを、私は
慣れないことをして、きっと今の私は一流とは呼べないひどい顔だと思う。
でも答えてほしい、そして
「トレーナーじゃないナツメさんは、このキングにどんな感情を抱くの?」
「――いっちばん答えたくない質問来たか」
♢
俺は、どうやってこの
できるだけ、キングのダメージが少ない回答。いなくなる人間のことを引きずることなく、新たな世界や関係を見出していける回答。
そんなものあるか分からないけど、キングにとっての
でも、キングを見ていたら思考はどんどん散り散りになって、上手くまとまらずに消えていく。
目の前で俺に向けられるのは、潤んだブラウンの瞳。上気した頬。少し食いしばったような口元。
そんなキングの「覚悟」を目の当たりにして、俺のチョコザイな嘘なんて通じるとは思えなくて。
俺も、キングに呪いを残す「覚悟」で応えなければならないのだと理解してしまった。
今から消える人間が、これからも一流の舞台で煌めくウマ娘に、秘めておくべき感情を渡す。
「好きだ。キングヘイロー」
もし、出会い方が違ったのなら。俺がただの学生で、キングという後輩と出会っていたのなら。
いつかキングの一流に気付いて、学生らしい幼い猛アピールをして、振り向かせようとしてただろう。
慌ただしい3年間を駆け抜けることなく、これから長い時間の中を一緒に歩きたがるだろう。
そして、それは俺だけではないのだと思う。
「――ええ、私も同じだわ……!」
俺たちの3年は、あまりに濃密で、特殊で、輝いて、お年頃で、でも認めてはいけなかった。追い求める理想の陰に押し込んでいた青春、走るために目を背け続けなければならなかった想い。
最後の最後で
きっと超一流さんは今の顔を見られたくないだろうから、ぼろぼろと大粒の涙を流すキングの手を引いて、少し崩れちゃった彼女の顔を見ないように抱く。
思い出の消えたトレーナー室で二人、影と鼓動が重なる。想いは通じ合い、愛しい存在の息遣いを近くに感じる。そのたびに、俺の中に根を張る罪悪感が、強く心臓を締め付ける。
――好きな
キングヘイローとの最後の時間は、痛みによって締めくくられた。
♢
トレセン学園から竜胆ナツメの名が消えてから数週間。
白で埋め尽くされた部屋、俺の身体から伸びる数々の線、一定間隔で鳴る小さな電子音。
レース界で見てきた華々しいゴールとは違う、地味で無色の終着点。
身辺整理は問題なし、母親への挨拶も済ませた、未練も後悔もない。
明るくて楽しくて、輝いて温かくて、濃密で瞬く間の人生だった。終わりが分かっていたからこそ、俺は竜胆ナツメに成れたと思う。
すぐソコまで迫っている死の予感はきっと外れない。14年前の事故から放たれた、命中が決定している魔弾のようなもの。
第六感で動き出した運命は、第六感で幕を下ろす。
「あれ、俺の始まりってどんなだっけ……」
いつの間にか忘れてしまった、一番最初の感覚。たしか、天使にも悪魔にも似た囁きだった気がする。まあいいか、思い出せないならもう関係ない。
終わり際に本当に想うのは、ひとつだけ。
「どうか、キングヘイローの未来が幸福でありますように」
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電子音は静寂を示し、墜星は暗路を行く。