エピローグです。
4年目、夏合宿の終わり。
合宿所から寮に帰ってきて、私はチームのみんなと分かれ寮の部屋に戻ってきた。
合宿中に溜まっている緊急性のない手紙に目を通しつつ、半分過ぎた今年を頭の片隅で振り返る。
成長の実感という点では……正直あまりない。少なくとも、あの日々の中で常に感じていた「超一流として磨き抜かれる感覚」は皆無。
でもそれは仕方のないこと。今のトレーナーの指導が悪いという訳じゃないし、本格化のピークを過ぎたのもあるでしょうから。
手紙を読み終わり、片付けようとしたところに、同室のウララさんがさらにもう一通持ってきた。
「キングちゃ~ん!今送られてきたのがもういっこあるみたい!」
「もう!今読み終わったとこだったのに……ありがとうウララさん」
タイミングがいいのか悪いのか、丁寧に封されたソレをさっさと読んでしまうことにした。
差出人は……
「え、嘘」
全く予想していなかった名前に、少し笑ってしまうくらい心臓が暴れだす。溜まっている中に「来てないかな」とは思っていたけど、結局ナツメさんからの手紙は無かったから不意打ちだった。
逸る気持ちを抑えて封を切ると、中には便箋が一枚。封も便箋も手触りで安物ではないと分かる。
素朴ながら洗練された文体で
『お元気ですか。あなたの活躍をちゃんと見守っています。あなたのこれからに幸運がありますように』
言ってみれば、当たり障りのないエール。ナツメさんが今何をしてるのか読み取れないし、差出人の住所はナツメさんのご実家。まさかあれだけ行方をぼかしていた彼が実家にいる訳もなし、おそらくこの手紙が返送された時のための住所だと思う。お返事を書いてもナツメさん本人には届かないだろう。
でも、そんなことはどうでもよかった。
しあわせになれよ
生きる中で自分に馴染んだ五感のどれとも違う、知らない感覚が私に囁く。言うなれば『第六感』が、この手紙から何かを受け取った。
それは最愛の人からの祝福、私の前途を温かく照らす灯火―――
―――そう、まるで最期に遺す祈りのようなカタチ。
「――ッ、はぁ!あ、ああ……!」
心臓が、脳が、血管の全てが急速に冷えていく。現実が遠くなっていき、思考が不気味なほどに澄んでいく。
「俺は元気だから心配するなよ」とでも言いたげな手紙が、薄ら寒くわざとらしいモノに見えて仕方がない。
頭の中で組み上がっていくこの仮説を追い出したいのに、これまでの時間をどれだけ振り返っても、記憶の中の彼は反証してくれない。
それどころか、ある言葉が今になって私の呼吸を詰まらせる。
『俺はキングヘイローに命を懸ける』
「たしかめ、ないと……」
ウララさんが何か言っている気がするのが分かるのに、声が聞こえるだけで言葉を解する頭が働かない。
そして私はスマホを取って、第六感に導かれるように、通話履歴から「お母さま」をタップした。
「お母さま、お願いがあるの――クルマを出してくれるかしら」
クルマはすぐに来た。お母さまは後部座席から私を見て、早く乗るよう促す。それは、仕事中に娘に足を頼まれた不機嫌ではなく、私の異常を電話口で察したからだと思う。
あらかじめ向かう住所を運転手に伝えていたクルマは、私が行かなくてはならない場所へ走り出す。
「キング、顔が青いわ……先に病院へ行きなさい」
珍しく、平静でない私でもわかるくらいに、お母さまは心配を露わにする。
「ええ、でも先に私の用事を済まさせて」
もし私の杞憂であったなら、そもそも病院が必要ない調子に戻るはず。
「それほどの用事なの?確かあなたが言った住所って、
「……ひとつ聞きたいことがあるだけよ」
アポも取っていない突然の訪問、ナツメさんのご実家への無礼は承知の上。
少しして、学園から30分ほどの一軒家に「竜胆」の表札はあった。「そんな調子で一人では行かせられない」とクルマを降りたお母さまを背に、インターホンを鳴らす。
聞こえてきたのは、覇気こそないけれど優しそうな女性の声。
『はい――あら、キングヘイローさんですか?』
「ええ、初めまして……その、今回は急な訪問で――」
すみません、と続けようとする私を制して、ナツメさんのお母様は私たちに中へあがるよう促してくれた。その様子はどこか落ち着いていて、まるで私の来訪を少し察しているようにも感じた。
お言葉に甘えてお母さまと玄関までお邪魔させていただく。出迎えてくれるのはナツメさんに似て優しい雰囲気の女性、その後ろに広がる空間は女性が一人で住むには少し広すぎる。
居間まで通してくれそうなところを「お構いなく」とお断りし、第六感の正体を尋ねるべく、ナツメさんからの手紙をポケットから取り出した。
血の気の引いた手が持つ手紙を見て、ナツメさんのお母様は複雑な面持ちで「お手紙、届きましたか」とこぼす。
「はい、あの……」
私が聞かなければならないことはひとつだけ。この手紙は本当にナツメさんが書いて送ってくれたモノなのか。ただその質問を口にするだけでいい、それで私の悪質な妄想はハッキリする。
なのに、唇が震えてうまく動かない。喉に音がつっかえて声が出ない。
「キングヘイローさん、大丈夫ですよ。聞きたいことなら分かりますから、お話しします」
黙りこくってしまったどうしようもない私に代わって、ナツメさんのお母様は静かに口を開いた。
そして始まる答え合わせ。ポツポツと語られる、知らなければならない現実。
「この手紙は―――私が出したものです。ナツメからお願いされたことでした」
『
「キングヘイローさん。
――やっぱり、そうなんだ
その瞬間、私は首を下げた。私の不屈にヒビが入ったのを感じた。
頭の中のほんの小さな部分で、お悔やみ申し上げないと、つらい報告をさせてしまったナツメさんのお母様を気遣わないと、と常識が浮かび上がる。
けれどそれ以外の思考のほとんどは、灰色に煤けてしまって何も動かない。
自分がどこを見ているかもわからずに、足先から凍えるような感覚で力が抜ける。
倒れこまなかったのは、私の後ろでお母さまが反応して支えてくれたおかげ。
「申し訳ありません……本日は急な訪問にご対応くださりありがとうございます。後日、改めてお悔やみと謝罪をさせてください」
「いえ……あなた方に謝罪なんてしてもらう必要はないんです。ナツメに悔いのない人生をくれたのは、キングヘイローさんですから」
お母さまが社会人としての務めを果たす傍らで、私は何も言えずに、泣き喚くこともできずに、お母さまに寄りかかるようにして竜胆家を退出した。
クルマに乗り込んで、発進する静かな揺れに抗う気力もない、相変わらず灰色の頭の中。
相変わらず寄りかかったまま、お母さまの腕を掴んで、うつむくだけの今の私は、どこから見ても一流なんて微塵も感じないただの幼子。
それを分かっているのに、虚勢すら張れない。
そのうち、隣で座るお母さまに向けて口から言葉が垂れ流れる。
「ごめんなさい……今のわたし、ダメな娘だわ。どうしたらいいか、わからない……」
「――今、は……それで構わないの。どうしたらいいかは、これからゆっくり考えることよ」
お母さまは絞り出すように、苦々しく答えた。普段の激務で奔らせているしなやかな手を、私の頭にゆっくりのせて。
あまりにぎこちない不器用な慰めで、私はようやく
きっと、この愛情はずっと隣にあったのね。このヒトの表現がヘタ過ぎて、私の一流への執着が視野を狭めてて、今の今まで気付かなかっただけで。
そう思うと、途端に熱が戻ってきて、存在の気配すら感じなかった涙が頬を
止まった思考が次第に動き始めて、受け止めるべき事実を受け止めていく。
「そう、そうね……きっと時間がかかるわ!だから……これからどうすればいいか、お母さまも一緒に考えてくれる?」
「ええ。私もわからないことだから、一緒に受け止め方を見つけましょう」
ずっと目の
だって、このヒトはちゃんと「母親」だったと理解したから。
だって、これからを一緒に考えると言ってくれたから。
そして、私は現実を認めなくてはならないから。
――私はまだ愛を語れない子供だけど、それでも竜胆ナツメを愛していた。そして、その彼はもう死んだ――
「会いたい、会いたいのに……もういないのね、ナツメさん」
♢
後日、改めてナツメさんのお母様にお話を伺った。ナツメさんに何があったのか、どうして世間に彼の死を伏せているのか。
十数年前の事故、その後遺症。ナツメさんは自分の終わりを理解した上で、私に命を懸けていた。そして静かに死を迎えたのは、世間の余計な視線を、私や竜胆家に残る母に向けさせないため。
その終わりは徹底されていて、ナツメさんのお母様すら、どこかの病院で亡くなったことしか知らないらしい。
彼らしいといえば彼らしい、変な気の回し方。
それから少しして、私はレースを辞めた。
心と体のバランスが取れなくて、トレーニングもレースもうまく走れなかった。それでも、ナツメさんとの時間が私を勝たせてしまう。
最初はそれでいいと思っていた。この世にいないナツメさんに、キングの勝利を届けられると。
でも、私の知るナツメさんはそれを望むかしら。真剣に走る
それはきっと、彼と共に得た超一流の姿ではないと思った。それに、このキングを慕う同期や後輩にも悪いから。
トレセン学園を卒業して、なにか熱中できるものを求めた私は、お母さまと同じ「デザイナー」としての勉強を始めた。それはお母さまと相談して決めた道。色褪せた現実からの逃避ではなく、超一流のデザイナーとしての姿を約束して。
逃げたい時はある。ナツメさんと過ごした3年があまりに眩しくて、愛おしくて、もう一度だけ彼の腕に包まれたくて、今が灰色に感じてしまう。
けれど、私はその自分の弱さを認めるだけで浸りはしない。彼と共に創った時代の殻へと引きこもりたい気持ちに負けて、ナツメさんとの思い出に浸ってしまえば、多分戻ってこれなくなるから。
時にキングのプライド、時にお母さまの厳しくも正確な助言、時に同期や後輩の活躍。沢山周りに助けられて、今はわき目を振らず走る。こんな時に一番助けてくれそうな彼は、もういないのだと心の軋む音を聞きながら。
♢
ナツメさんとの別れから5年の月日が流れた。まだ肌寒さの残る冬の出口ごろ。
私は、「勝負服デザイナー」であるお母さまとは違い、「ファッションデザイナー」の道を歩んでいる。ゆくゆくはお母さまの仕事を超えるつもりだけど、さすがにまだ背中は遠い。
今日も会議室で同僚と激論を交わし、クライアントのオーダーに苦言を呈して、そのことに上司から苦言を呈される。右も左も保守的なアイデアばかりで、新しいことをしたい人はいないの!?
ひと悶着の後に、前髪を整えるためお手洗いへ。もうすぐ終業時間だから、身だしなみをチェックしたとてあとは帰るだけだけど。一流はどんな時も隙を見せないものよね。
暖色のライトを反射する鏡に映る、大人になった私。グレーのタートルネックと紺のパンツ、ベージュのストラップパンプスにはもちろん蹄鉄なんてついてない。セミロングだった髪は腰まで伸ばした。
「……私のほうが年上になっちゃったわよ」
デスクに戻ってスマホを見る。通知が溜まったロック画面の中で、在りし日のナツメさんと私がポーズをキメる。これは確か、契約成立してすぐの作戦会議の時。私の隣で、口元ピースにウィンクという若さを押し出したあざといナツメさん。灰色の瞳と赤いメッシュの入った黒髪も、もう見られなくなるなんて全く思わなかった。
私が「立ち直ったか否か」と聞かれれば、「だいぶ立ち直った」と答えられる。ではもう彼を引きずっていないのか、それは「引きずってる」と答えないといけない。というかスマホのロック画面の壁紙に設定していて引きずってないわけがない。やっぱりナツメさんは特別なまま、私の心の真ん中にいる。忘れようとしたけれど、大人になって大人と仕事をする度に存在感を増していって、本当に参ってしまった。私のトレーナーとして働いてた彼は当時17歳とかのはず、私はもう大人なのに彼の仕事ぶりに全然追いつける気がしない。
それは周りのヒトに対してもそう、特に「言い寄ってくる方々」とは露骨に比べてしまう。時代を創ったウマ娘たるキングを手にしたいのでしょうけれど、せめてナツメさんよりすごいトコロを1つでも持ってきてほしい。
「まぁ、仮にそんなモノあったとしても関係ないけど」
スマホの通知のひとつを指先で弾いて、メッセージアプリに飛ぶ。クライアントの1人から連絡、内容は『デザイン案についてもっとお話したいので週末に食事でも』……ね。さてどうしよう、この人の仕事に対する熱量や真剣さは認めているけれど、やたらと二人で話したがるのよね。一度誘いに乗ってあげれば満足してくれるかしら。
――やめておいたほうがいい
「……そうね」
ナツメさんの手紙を受け取ってから、たまに感じるようになった直感のようでまた違う感覚。私が選択する場面で時々感じるソレは、最終的には「ちょっと幸せな結果」をもたらしていた。
手紙という小道具は、私を安心させるためのウソだったけれど……書かれていたこと自体は、きっとナツメさんの願いだったんだわ。
『ちゃんと見守っているから、どうか幸運を』
この第六感を感じるのは、まだナツメさんに甘えている証拠かもしれない。頼りない私を
ならばもう少しだけ甘えさせてほしい。少なくとも、彼のいない世界を愛せるようになるまで。それが何年先かはわからないけれど。
「さてと、そろそろ帰りましょう」
帰り支度を手早く済ませて、オフホワイトのコートを羽織ってデスクを立つ。職場を出れば、春が近いといえど寒さが沁みる。
墜ちる夕陽を見ながら帰路につく。街明かりの灯る通りを、自分の脚でゆっくりと。
――暗路を行った彼を想い、私は光の中を独り歩く。
墜星の果て、母娘の絆はより強く。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
キングヘイロー編は完結しました。
この作品に再会、ハッピーエンドは含まれません。ご注意ください。
キングヘイロー編は完結しました。
この作品に再会、ハッピーエンドは含まれません。ご注意ください。
この作品に再会、ハッピーエンドは含まれません。ご注意ください。
これは『墜星』の物語。墜ちゆく軌跡に再会は無い。
しかし『昇星』は――暗路を抜け光路に至る。