墜星は暗路を行く   作:はくとう

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ダイイチルビー 2

ジュニア級、メイクデビュー前の控室にて。部屋には俺とルビーと『招かれざる客』……テレビでちょくちょく顔を見る議員さんと取り巻きーズ。

ルビーの門出を祝して拍手ぅ~わーパチパチ。

スーツに身を包んでいるものの、議員さんそのものの威圧感が部屋を窮屈にさせる。アポイントもなしに乗り込んでくるあたり、今までもその圧迫感で押し通ってきたのだろう。

 

「ルビーはレースに向けて気持ち作ってな。俺が対応するよ」

 

「……では任せます。何かあればお声かけください」

 

ルビーのことだ、弁えないお客さんの対応にも慣れているのだろう。だがレース前の彼女がこのような些事に時間を割くこと、ムダ以外の何物でもない。早々にご退場願おう、もちろんルビーへの悪評とならぬようカドを立てず。

ルビーと議員さんたちの間に立って、俺はにこやかに笑みを浮かべる。お相手も営業スマイル、しかし目が笑っていない。はいはい怖い怖い。

 

「申し訳ないですが、お花もプレゼントもお納めください。お気持ちだけルビーと受け取りますので」

 

「いえいえ!華々しいスタートに立ち会える幸運を、確かにお伝えしたいので!お気に召すかどうか、是非にご覧いただきたく!」

 

「それはまたの機会に。今のルビーには心に波を立ててほしくないのです。仮に彼女がいたく気に入るモノであったとしても、トレーナーの俺から見ればそれもまた波ですから」

 

「……そこをなんとか!一言でも構いませんので、お言葉を賜らせてはいただけないでしょうか!」

 

俺の後ろで目を閉じ沈黙するルビーへ、議員さんは目を向ける。俺をどかしたくて仕方ないようだ。

道理は説いた、このままでは退きそうにない。俺の細く吐いた息を聞き、目の前の圧ある男は俺へと威圧感(ブキ)を向ける。

 

ふーむ、このお客人は()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

――アンタ、そのために命賭けれんのか?

 

ほら、アンタお得意の威圧勝負に乗ってやるよ。こっちはルビーの走りに人生の意味を見出してるんだ、アンタ如きのプレッシャーで俺が怯むと思うのかよ。

 

「せっかくご準備いただいたモノでしょうが、次はアポイントと一緒にお持ちください。そうすればルビーも()()()()()()()()()()()()()()()()()と思いますよ」

 

「……ッ、なるほど。この度は失礼しました、これからの活躍を期待させていただきます」

 

「ご理解いただきありがとうございます」

 

どうにか退散してくれた議員さんと取り巻きさん、まったくレース前に勘弁してくれよ。

お客さんを見送ってから部屋で精神を統一するルビーへと目を向けて、その時に俺は自分のやらかしに気付いた。凛と背を伸ばすルビーの立った耳、その張り方が平常と僅かに異なる。

俺の圧がルビーにもちょっと漏れちゃったかな……彼女の前に膝をつき、小さな手を取る。赤みがかった紫の瞳に俺が映った。

 

「ごめん、あんまスマートな追い出し方じゃなかったな。怖がらせたか」

 

「――灸は据えられたかと存じます。あのような方は半端に対応するほど強気に迫ってきますので、ナツメさんの対応が間違いであるとは思いません。それから、怖かった訳ではないのでお手を離していただいて結構です」

 

「ほんとに?よかったぁ……」

 

手を放して一息つく。怖くないならその動揺がなんなのかって話だけど、ルビーがぼかすのなら今は別にツッコまなくていいや。

 

「俺がミスってたら遠慮なく言ってくれよ?手も振りほどいていいし」

 

「当然ながら落ち度があれば、率直に指摘させていただきます。手は……申し上げれば貴方は私のいいようにするでしょう?」

 

「あはは!俺の扱い方を習得するの早いな!勿論、ルビーが心から『離せ』と言えば離すし、逆に『繋げ』って言ってくれれば喜んで繋ぐぞ!」

 

「最後の言葉は余計と存じます」

 

「はい、すみません……っと、そろそろ時間だな。さ、勝ってこい」

 

「随分簡単に仰るのですね」

 

「俺たちは躓かないよ。ルビーを最たるものにするんだから」

 

「――左様ですか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トレーナー室でひとり、揃えたインテリアのレイアウトを調整中。ルビーは俺が同行できない会食に出席中のため、帰ってくるまでは来客でもない限りひとりぼっちだ。

とか思ってたら来客あった、それもすごいビッグネーム。

 

「やー、すいませんルビーのお母さん。ロクなもてなしもできず」

 

「いえ、お構いなく。こちらこそ急のことで申し訳ございません。少しばかり時間ができたものですから、トレーナーさんには一度ご挨拶をと。娘が大変お世話になっております」

 

ルビーのお母さん。華麗なる一族としてレース界で華々しい成績を残し、ウマ娘界の発展のため国際的に活動している。

ルビーがそのまま大きくなったような、綺麗な人だ。

 

「本当にお若いのですね。娘とそう変わらないと聞き及んでおります」

 

「そうですねー、親御さんからしたら経験のない青いガキと思われるかもしれません」

 

「まさか、とてもそうは見えませんよ」

 

「ほんとです?じゃあ――俺を実際に見た感想(きょうのようけん)、聞かせてください」

 

華麗なる一族として数百数千の人を見てきた目、その目で俺という人間を見るのが本題なのだろう。

間違いなく多忙な方だ、俺から切り込んで本題に入ってあげようじゃないか。

 

「――とても怖ろしい方ですね。ごく稀に、貴方のような方に出会います。これほどお若い方は初めてですが……何かに自らの全てを懸ける熱。貴方であれば、ルビーの『最たる輝き』を……いえ、もしかしたらもう見出しているのやもしれません」

 

「なるほど、そういう話ですか。であれば任せてください、ルビーは必ず『スピード(こたえ)』に辿り着く……いつでもその背を押す準備はできてます」

 

「……ふふ。どうぞ娘をよろしくお願いいたします」

 

「はーい、よろしくされました!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デビュー戦を終えて、自腹で備品をとっかえまくったトレーナー室。これからルビーが華麗に走る至上の舞台を決める大事なお話の場。

デザイナーズブランドのミーティングデスクを挟んで、俺とルビーは静かに向き合っていた。

 

「始めに、年内の方針ですが。挑戦はせずに、トレーニングに集中させていただきたく存じます」

 

「ふむふむ、俺とみっちり()()()()()()()()ね。一緒に身体作りますか」

 

「……クラシック級、桜花賞の前にフィリーズレビューにて前哨戦を行いたく」

 

「確かにレース経験ないまま桜花賞には行かせられないな、承知承知。そっからはトリプルティアラか」

 

「はい。レースの結果やコンディション次第で適宜調整を考えます。秋華賞以降は、その折に検討いたしましょう」

 

「そうなのか、てっきりそのままエリ女かと思ってた」

 

「なにか心づもりがあるのならば、お伺いします」

 

「んー、俺の想定ルートとしては……」

 

席を立ち、資料棚からレースの概要をまとめたファイルを引っ張り出し、ササっと数枚抜き取ってルビーの前に並べていく。

秋華賞を終えたのち、クラシック級最後のレースにエリザベス女王杯。シニア級の始まりは大阪杯から宝塚記念。夏を越え、天皇賞秋を獲り有馬記念で締めくくる。

中長距離の栄誉を、現実的なラインで提示した。

 

「こんなトコかな、獲りたい栄冠に応じて調整可。もし短い距離にも興味あるなら――」

 

「ナツメさん、率直にお答えください」

 

俺の言葉をピシャリと斬って、ルビーの眼差しが刺さる。

 

「私に長距離は走れますか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私に長距離は走れますか」

 

ナツメさんは資料をめくる手を止めて、口を閉じる。灰色の視線が刺さる、『言うべきか』という彼の迷いがほんの一瞬透ける。

私の問いは残酷だ、半端な者なら間違いなく言葉を飾って逃げ出す。でも、貴方は違うでしょう。

 

「絶望的に向いてない」

 

「――そうですか」

 

彼の提示したローテーションには違和感があった。レースとレースのあいだ、充分すぎる余白。本当は『天皇賞春』と『ジャパンカップ』も組み込みたかったのではないか。やはり彼は私自身ですら不確かな適性を、見抜いている。

ナツメさんが言うのであれば、私に長距離適性は望むべくもないのかもしれない。それほどに、彼の言葉は信用できる。

私も『華麗なる一族』たらんとする使命を抱くものとして、彼の奥にある覚悟が本物であると分かるのだから。

 

そしてそれ故か……時折ナツメさんの発する言葉が必要以上に響く。

 

「それでも俺は、ルビーが求める舞台へとエスコートする。最たるものはルビーだと証明するために

 

……身体を律する。耳の先、指の先、尻尾の先、つま先、背筋に緊張を走らせる。彼の言葉に揺らされないように。

華麗であれ、至上であれ、常に最たる輝きを。あとは鼓動さえ落ち着けば、元通りの私。

 

……貴方の言葉は、信用します。ですが長距離適性(このはなし)を正確に判断するためにも、やはり秋華賞以降は改めて考えることといたしましょう」

 

「そっか、分かった。じゃあまずはトリプルティアラ獲ろうか」

 

「よろしくお願いいたします。三冠を制した暁には、貴方の言う『最たるもの』にも至れることと存じます」

 

もし桜花賞、オークス、秋華賞にて華麗なる勝利を収めることが叶ったのであれば。ダイイチルビー(わたくし)も『華麗なる一族』に名を連ねているのだと、ようやく少しは認められるように思う。

 

「?……???あー……!違う違う、俺の最たるものっていうのはルビーを一族の一員にするって意味じゃない。さては勘違いしてるな?」

 

「?では、どのような」

 

「華麗なる一族の過去と未来において、ルビーが一番すごいって歴史に刻みたい

 

――それ、やめてくれませんか……

 

とは言えるはずもなく。またも、身体を律する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィリーズレビューを快走し、桜花賞の出走前、大量に送られてくる思惑に飾られた花が邪魔くさい控え室。勝負服に身を包んだルビーはただ静かに時を待つ。

一族に関わる全てのプレッシャーを一身に受ける彼女は、玉条を体現するべく気を落ち着けているが、それでも普段の余裕はない。

もし、最初の一冠を逃せば。抱いてきた使命、務めてきた責務が応えてくれなければ。

 

「俺たちは躓かない。ルビーが持つ華麗なる一族の血と、竜胆ナツメの全部を感じ取れ」

 

ルビーの小さく柔らかい手を取って、包み込むように握る。彼女の体温が僅かに上がり、俺の真意を探るような目と耳が向けられる。

 

「触れる肌に集中しろ。自分の巡る血を感じるか?俺の温度と拍動を感じるか?」

 

「……はい」

 

血と俺(ソレ)はこの世界でルビーだけが持つ力だ。他の誰もが絶対に手に入れられないその武器は、必ず走りで輝きを放つ」

 

「――」

 

「大丈夫だから、見せつけてこい」

 

「……お手を離していただいて結構。では、行って参ります」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

至上の舞台である桜花賞にて、華麗なる走りを見せつけ、親子二代制覇を果たしたルビー。息つく間もなく、2400の距離が樫の女王を選定するオークスが目の前に迫る。

走力は完璧に仕上がった、課題は中距離適性『C』の文字だけ。さて、ほんじゃやりますか。適性の壁を越える、俺だけができるズル。

 

あらかじめ距離や走法の知識と身体感覚を叩き込み、そのうえで現役選手たるルビーの全力に食らい付いて併走し、リアルタイムで指導・矯正する……俺の壊れた身体と頭をフル稼働させる力技。

上手くいけば、あくまで短期的ではあるが適性外のレースであっても走れるようになる。

ありえないくらい俺が疲れるけど。

 

 

 

うぇ、ゲホ……あ゛あ゛しんどい~。ごめんルビー、きょうはもうむり……はい、かいさん

 

トレーニングコースの脇で恥も外聞もなく倒れこみ、夕陽を背に傍で立つルビーの影が俺を見下ろす。微かに認識できるのは、中距離適性『A』の文字。

 

ルビー?あんま見ないで……ウッ、恥ずかしいから。はよかえりなさい……

 

「……私に中距離は長かったのですね」

 

ルビーは俺の言葉に耳を貸すことなく、優雅な所作でしゃがみこむと俺の額、手首、胸にペタペタ手を添える。はっきりとは見えないが、少しばかりの動揺がチラっと感じられる。

彼女は今、自分の求める中長距離の栄光と、真逆を示す自身の適性を飲み込んでいるのだ。なにか言葉をかけてやりたい……だが今の俺は、荒い息を吐くしかできない。

 

「異常な発汗、体温、心拍。医者を呼びます、少々お待ちください」

 

いいよ、いらない……はぁ、はぁ、ちょっと戻ってきたし……コレは時間で治るから……」

 

「……承知いたしました」

 

「はぁ……ん、適性に関しては、中距離は確かに長い。けど、俺なら都合をつけられる。だからルビーは気にせずに獲りたいレースを言ってくれ、な?」

 

「では、そのたびに貴方は先ほどのような事をなさるのですか」

 

――あぁ?もしかして、心配してるのは俺?

 

「よいしょっと……えい」

 

いたっ

 

身体を起こして俺はルビーに軽くデコピンした。目線の高さが合い、俺の行動を咎めるような冷たい紫の目がよく見える。華麗にして至上な彼女の額に、ほんのちょっと赤い痕。思わず笑いが漏れてしまい、ルビーの視線がますます冷気を帯びる。

 

「ふっ……ルビーがしょーもないこと考えるからだぞ。俺はルビーの道のために居る、俺の心配なんかしてんなよ。俺たちは互いに成すべきを成してるに過ぎないんだ」

 

「……先に言葉で申し上げていただければ、額を小突く必要は無いと存じます」

 

「ふふん、それはそう。ごめんね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京レース場、樫の女王を決めるふたつめのティアラ『オークス』。

最大級の尊敬を向ける母のリベンジマッチ、世間が熱望する樫の冠を手にした華麗なる一族の姿、適性外2400mの長丁場。数々の重圧と共にルビーは最速を駆けた。

ウィナーズサークルで立つ彼女は消耗が滲んでいたが、それでも華麗なる一族として背を伸ばし、正面から歓声を受け取った。控室に戻りゆっくり息を整えるのを待つ。

 

「ふぅ……お待たせいたしました。ナツメさんの献身により、栄えある勝利を戴くことが叶いました」

 

「おめでと、お疲れさん。けどまだだよな」

 

「はい、まだ秋華賞を残しています。故に、貴方にはまた苦労をおかけすることになるかと」

 

「いやあ~、適性指導の苦しさよりも頼ってもらえる嬉しさだよな!俺めっちゃ頑張るから、ほんと任せてほしい」

 

ふふ……ありがとう存じます。では、そのように」

 

本当に珍しいことに……ほんの一瞬、ルビーは微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏合宿を過ぎ、ナツメさんによる特別指導を終え、ターフを感じるゲートの中。ついに最後のティアラ『秋華賞』に臨む。私に不向きな京都の2000mコース、第3コーナーから始まる坂……彼曰く『瞬発力よりも長いスパートを』。

距離も高低差もコースの走り方も、不利。不利。不利。それでもナツメさんは『俺たちなら勝てる』と、真っ直ぐ言い切ってしまう。このレース、私が不備なく成すべきを成せば、トリプルティアラは手中に収まると。

 

――勝利を、この手に。

 

ゲートが開き2000mの旅が始まる。オークスでの勝利を経て、もはやナツメさんの指導に疑いようはない。今駆けているこのコースを1周しなければならない事に、なんの不安も感じない。位置取りもペースも想定通り、二冠バ(わたくし)に対する周囲の圧を受け流す余裕がある。

粛々と走り続け、中盤を過ぎた。第3コーナーを曲がる先頭集団を視界に捉え、進出の準備を始める。前は塞がっていて進めない、故に外へ。坂を登りながら外へ膨らむ走りで削られる体力、ほかの方々よりも明らかに消耗の激しいライン。

それなのに重くない脚、苦しくない息、明瞭な視界。第4コーナーで仕掛ける、私が生まれ持つ一瞬の末脚ではなく、彼と得たスタミナとパワーを存分に振るうロングスパート。

 

――脚が軽い、息ができる、ゴールが見える。

 

はあああぁぁぁぁーーーーー!!!!!!!

 

『ダイイチルビー強い走り!大外からまだ伸びる!残り200、先頭かわって突き放す、これは決まったかダイイチルビー!落ちない落ちない、そのままゴール!1着はダイイチルビー、ついに華麗なる一族がトリプルティアラの栄誉を手にした!2着は――』

 

「はぁ……はぁ……っ、ふう」

 

割れんばかりの歓声、身じろぎしてしまいそうなほどの熱狂的な視線、いままで抱いてきた使命のひとつが達せられた高揚……それらを深呼吸のひとつで切り離し、一族の玉条を神経の末端まで行き渡らせる。

ウィナーズサークルで待つ彼が、きっと私の代わりに勝利の歓喜を表現してくれる。喜びを任せることで、私は務めに徹することができる。

 

「ただいま戻りました、ナツメさん」

 

ケガ、骨か?なんだ……ぁ……お、おかえり、ルビー!おめでとう!

 

――?今、なにか申し上げられたような……

 

違和感は刹那。すぐに年相応の笑みで私の隣に立ち、スタンドで沸く皆様へと大きく手を振る。会見をつつがなく終えナツメさんと控え室に戻ってすぐに、彼が今抱えている『喜びよりも大きな感情』の正体を知る。

 

「ルビー、かかりつけのお医者さんってすぐ呼べるか?」

 

「?万全を期して、レースの際には可能な限りレース場に足を運んでいただいております。どこか体調が優れませんか」

 

「俺じゃなくてルビーだ。スパートの時に重心がズレた瞬間があった、たぶん右脚……カン違いならそれに越したことは無いけど一応診ておきたい。ほら座って、安静に」

 

「スパート――……」

 

思い当たるフシは、確かにあったように思う。三冠を制したことで、普段であれば見逃さない違和感を手放してしまったのか。

ナツメさんの仰る通りに医者を呼び、必要であれば然るべき機関でより精密な検査も受診する気でいたが、幸いにも医者は検査器具を収め、この場で結果を口にした。

 

『急性の化膿性疾患(フレグモーネ)です。正直に申し上げて、異常があると確信して診なければ見落としていたかもしれません。これほど迅速に発見できたのであれば、走りに関してなんら問題なく治療可能かと』

 

医者が退室し、再びナツメさんと二人の控え室に戻って、彼は細長く安堵の息をつく。ソファに腰掛ける私の前まで来て、申し訳なさそうで寂しい……けれど私を安心させるよう努めた笑顔。

 

「ごめんな?ホントは誰より派手におめでとうって言いたかったんだけど、どーしてもケガと病気には過敏になっちゃって……折角のトリプルティアラ達成の瞬間に水差した」

 

「――ナツメさん。どうぞお掛けください」

 

私はナツメさんの謝罪を正面から無視して、隣の席を促す。何故か、彼の謝罪を受け入れる気が微塵も起きない。何故か、いつもの自信に満ちた表情とは真逆に反省して縮こまっている彼を見たくない。何故か、指先に熱がこもり耳が絞るのを御することができない。

おずおずと隣に腰を下ろし意気消沈するナツメさんに身体を向け、心臓が熱を持つのを感じた。

 

――これはおそらく、怒り。

 

「顔を上げて姿勢を正しなさい。何を謝罪することがあるのですか」

 

「ルビー……?」

 

「貴方は私のトレーナーとして私の期待以上の働きをなさっている……トリプルティアラの栄誉を一族にもたらすことが叶ったのは、間違いなく貴方だからこそ」

 

「あの、ルビーさん」

 

「私は貴方の言葉を信頼し、貴方との時間に身を委ねた走りで勝利を戴きました。さらに私の脚の異常を即座に見抜く慧眼、感謝こそすれ責める道理がどこにありますか」

 

「いま責められてます……」

 

「私が詰問しているのは、普段は何があろうと揺るがぬ自信を持っているにも関わらず、私の身に起こる些細な不利益を必要以上に自罰的に捉える貴方の拗らせた責任感です。なにか弁明は」

 

「ありません、仰る通りデス……」

 

「そうですか」

 

目を閉じて薄く息を吐く。

 

生まれて初めて、内に宿る怒りの熱をそのまま相手にぶつけた。その事に少なからず驚く、私にこのような感情と幼さがあったこと、そして『彼は受け止める』と……ある意味で甘えてしまったこと。一方的になじられ気分を害していないだろうか、再び目を開けた時に彼はさらに落ち込んでいないだろうか。私の事を『もう嫌だ』と思わないだろうか――

 

頭に触れる感触に、思わず目を開く。ナツメさんは笑っていた。自信満々で、挑戦的で、不敵な、今までの笑顔とは違う。ただ穏やかな祝福を感じる笑みと、私の頭を撫でる手。後ろに伏せていた耳が横に向こうとするのを、なんとか前に戻す。

 

「そこまで言われちゃ、反省の時間は終わりにしないとな。遅れたけど改めて……トリプルティアラおめでとう。ほんとによく頑張ったよ」

 

「――ありがとう、存じます」

 

何故、そうまでして温かいのか。称賛も、微笑みも、手のひらも。

 

「自分勝手な言葉を吐き出した私に嫌気が差さないのですか」

 

「んふふ、まさか。ルビーは俺を信頼して期待してるから怒ってるんだろ?しかもその感情をそのままぶつけてくれたのに、応えなきゃ竜胆ナツメじゃない。それに……怒るルビーってのは新鮮で、ちょっと可愛かったです

 

「……必要であれば、貴方の軽口についても先ほどのように追及しますが」

 

「ヒョエ、すみませんでした」

 

 

 

「それから、いつまでこの手を置くおつもりですか」

 

「うーん、ルビーが許す限りかな。もうね、いつまででも撫でて褒めてあげたい」

 

「……………もう充分かと存じます。これ以上はお控えください」

 

「は~い。それじゃあ脚の治療して、次のレースを決めますかね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「年内全休?」

 

フレグモーネの治療を終え、クラシック秋以降の道を決めるために俺とルビーはトレーナー室で机を挟む。そこでやけに神妙な面持ちの彼女から持ち掛けられたのは、『ルビー自身の勝利』を見つけるための年内全休の申し出。

秋華賞からまだ数日、シニア級までに目指せる栄誉の冠はたくさんある。それらを獲らせる自信も。その全部を放って、ルビーは自分と向き合いたいらしい。

 

「分かった、なら来年まではレースお休みな!」

 

「よろしいのですか」

 

「当然よろしいよ!俺はルビーのために居るんだってば、ルビーの望みを一番に行動するのが俺の前提だ。しかしアレか……やっぱ納得できる勝ち方じゃなかったか」

 

「――そこまで、お見通しになられているのですね」

 

「そりゃルビー至上主義の竜胆ナツメなもんで」

 

桜花賞、オークス、秋華賞。その中で中距離レースである後ろの2つは、俺との友情トレーニングで得た走力(スペック)による勝利だ。ルビーの生まれ持つ天性のスピードを活かしたモノじゃなく、鍛えたフィジカルによる力強い走り。

それはルビーが求めた『一族としての道』のために用意した攻略法であって、『一族としての血』を魅せつける走りとは別物。まあ、華麗なる一族の輝きが『その血(スピード)』にあることを、ルビー自身が気付いているかは分からないが。

少なくとも自分の瞬発力を活かせないレースで、もどかしさを感じたのは想像に難くない。

 

「じゃあ会見する?それとも次のレース決めてから?」

 

「次走であれば、高松宮記念を勘案しております。一族や世間の皆様が納得なさるかどうかは、少々懸念もありますが……」

 

「……ははぁ~ん、なるほどなるほど。ルビー、短距離目指すからって別に王道を捨てる必要は無いんだぞ」

 

「ですが、私のスピードは短距離でこそ発揮できるものと存じます」

 

「それに自分で気付けたのは偉い!けど思考がいい子ちゃんすぎるな、もっとワガママになったっていい。俺が隣に居るあいだは、『(スピード)』と『(おうどう)』のどっちも選べるんだ。盾の栄誉にグランプリ……必要だと思ったら獲りに行ける、だから心配せずにルビーの道を走ればいい」

 

「――ふふ

 

あ、笑った。まったくもう、可愛らしいことで。

 

「ありがとう存じます、では会見を開きましょう。高松宮記念での私の走り、ご期待くださいませ」

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