ルビーの高松宮記念出走を表明した会見は一時騒然としたものの、『一族三代制覇をどうぞご期待ください』と収拾をつけて終えることができた。そりゃ騒ぎもする、中距離で問題なく走っていたのにも関わらず、まったく戦場の異なる短距離挑戦。
しばらくは賛否両論にさらされるだろうが、それも高松宮記念までの話だ。世界はルビーの本当の走りをまだ知らないだけ。一族の玉条は、シニアの春に初めて披露される。
さあ、俺たち最後の一年。俺の
――初詣
新年のご挨拶をトレーナー室で済ませ、元気に絡んできたヘリオスをルビーが塩対応で送りかえした。ルビーはこれからレッスンのようで、今日は解散の流れだったが彼女のスマホに通知の音。どうやら先生が体調不良で予定に空白ができたらしい。
ならば自主練に充てるであろうその時間をもらい、お詣りのため神社にやってきた。現地で遭遇した熱心に参拝するフクキタルをさらっと流し、とりあえずお賽銭やらを済ませる。
「ルビーは?お詣りしなくていいの?」
「はい。願い事はありませんので」
「そっか、あるのは使命と責務だもんな」
「ナツメさんも似たようなものであるかと。貴方が神頼みをするのは少々意外でした」
「それ正解、今までやったことない。叶えたいことは自分でやるし、ルビーの躍進も健康も、全部俺自身が成すから必要ないもんな」
「?では、願い事などないように聞こえます」
「ほら、俺がトレーナーするのは今年いっぱいだからさ。来年以降のルビーのことお願いするのってこのタイミングしか無い訳よ」
「――……左様ですか。失礼、私も願い事を思いつきましたので、少々お待ちくださいませ」
「?はいよ、ごゆっくり~」
――福引チャンス
商店街で一人の買い物の帰りに、道の先で俺を待っている様子のルビーが見えた。一瞬、手に持った福引券とガラガラに視線をやるが、当たったところでしょうがないしルビーにさっさと合流する。
いろいろと予定外の事情が重なり、クルマを降りて徒歩で学園まで向かうところとだったらしい。
「ところで、あちらの福引を気にされていたようですが」
「ああ、いいのいいの。ティッシュなら損はないけど、特賞の旅行券貰ったって行く暇ないし」
「おおい!ニイちゃん、えらい自信だな!券があるなら引いてかないかい!?」
耳聡い抽選係のおっちゃんに聞こえていたらしく、ひと声かけられる。ルビーは「さほど時間もかからないでしょう、どうぞお好きに」と我関せず。
「ん~……そうだ!おっちゃん、旅行券でたら代わりに参加賞のティッシュくれよ。俺も商店街が折角用意した特賞を無駄にしたくないし」
「ほんとすごい自信だな!ならお連れさんにプレゼントしたらいいじゃねえか!」
「ルビーいる?てかやってみる?」
「遠慮いたします」
「ほらな?時間もかけたくないから、特賞はティッシュで!いいなおっちゃん!」
「ははは!わかった!」
「あそ~れよっこいしょ……いぇーい」
「えええええぇぇぇぇぇぇぇ!?で、出ました特賞ーーーー!!!の、代わりのティッシュ!」
「うん、だろうね。俺ってば天運の持ち主だから。ティッシュありがと。さて、お待たせルビー!一緒に帰ろうぜ~」
「……よろしいのですか。事前に日程を共有していただければ、一泊程度のご旅行の時間は捻出可能と存じます」
「必要ないよ、ルビーの居ないトコに興味ないもん。旅行券とかどうでもいい、行きたきゃ自分で行くし」
「――そう、ですか」
――バレンタイン
ルビーの同室であるケイエスミラクルと、猛アピールが飛んでくるヘリオスからもらったチョコレートに対しての返礼品選びのため、百貨店へ出向く。ミラクルとヘリオスに相応しい要素をピックしつつ、結局は『ルビーが二人のことを考えて選んだ時間こそ喜んでくれる』と背中を押す。
「では、ナツメさんへの返礼も私の選んだものでよろしいですか」
「あ、中見てくれた?」
「はい。貴方から先日頂いた宝石を模したチョコレート……円形に配置された
「正解~。手作りじゃないから安心して食べてくれな。それとお返しはいらないよ」
「頂いたものに対してはお礼を差し上げるのが礼儀。ましてナツメさんがご準備くださった品は、国内で取り扱いのない最高峰ブランドのもの。貴方であれば、一族として礼を失することを私がどう思うか、ご理解いただけるはずですが」
「うわぁん、意志強い……あ!じゃあ学園に戻ってから、いっこワガママに付き合ってほしいな。10分くらい」
「……よいでしょう。ナツメさんの返礼に足るかは、その折に判断いたします」
「やったあ!なら俺の話はここまで、ミラクルとヘリオス宛てのプレゼント選びに行ってきな」
「ええ、行って参ります」
……その後、学園に戻った俺は、誰もいない体育館にてルビーの手を取っていた。
「ルビーと契約してすぐにさ、必要かと思って社交ダンスを習得したんだけど、一緒に踊ったことってないだろ?だから一曲付き合ってほしい」
「……よろしいですか。社交ダンスに最適とされる身長差は10cm、私とナツメさんの身長差はおおよそ35cmです。無論、練習の積み重ねや体の使い方次第で踊ることは可能……ですが求められる技術は高いものになります。また、その際により技術を問われる側は
「大丈夫、任せて。俺にとっては
「――」
「じゃあ曲流すか……ホールドしよう、ルビーこっち向いて。あれ、ルビーさん?うつむかないで?ラテンじゃないけど、視線くれた方が分かりやすいのですが。もしかして今更、俺の顔の良さに緊張してきた?」
「……折角、ですので。ボディのみで、リードしていただきたく」
「ほほぉ、難易度上げてくるか。そういうことならいいよ、ちゃんと感じ取ってくれな」
……後日、『やはりダンスに付き合った程度では返礼に相応しくない』とのことで『
「結局もらっちゃったよ……ありがとうルビー!うれしい!」
「喜んでいただけたのであれば、よろしいです。それから……ダンスは、とてもお上手でした。これからも精進なさってください」
「はいよ、任された!」
――高松宮記念
期待されたものとは異なる距離、俺たち以外には理解し難い
ゲートが開く、レースが始まる。ヘリオスが逃げ、他が追う。ルビーは後方、ただ時を待つ。
そして、タイミングは訪れた。中距離戦で見せた『強い差し』じゃない、ルビーが持つ本当の輝き。
――真に眩き走り、ご照覧あれ。
瞬く間にすべてを置き去る深紅の閃き、玉条を体現する華麗なる走り。
このスピードからは、誰も逃れられない。共に走る競走相手も、賛否の両論を口にする観衆も、華麗なる一族としてルビーを見定める貴賓も。
「はは、やっばぁ……よくないなぁ
そして、俺も。
はぁーヤダヤダ、どんな可愛らしいトコ見ても耐えてたのに。さあ、切り替えてこー。
ここまで会心の走りするなら、こりゃあ短距離路線になるかな。
――ファン感謝祭
ルビーの参加種目は『クリケット』、ただし監督として。学園外で力を持て余していたウマ娘たちをまとめ上げ、他の団体のウマ娘チームと戦うのを眺める役だ。正直なところ、『トレセン学園と関係ない元不良ウマ娘』VS『トレセン学園と関係ない他団体ウマ娘』の構図が、ファン感謝祭としてふさわしいのかめっちゃ疑問。ま、べつにいっか。しゃあ!しまっていくぞーーー!
「「「おおーーーー!」」」
「では試合中はキャプテンである竜胆トレーナーの指示に従ってください」
「「「はいっ!!!」」」
「じゃ、勝ってくるわ」
「……はい、いってらっしゃいませ。ナツメさん」
うん、俺も出るよね。クリケットに男女混合は無かったはずだけどええんかな。
2時間後。いぇい、勝った。対戦相手から「ウマ娘じゃない男の人に負けた……」「というか動きが素人じゃなかったけど……」とか聞こえてくる。まあ、練習期間ありましたし。
「この勝利は監督に捧げます!本来は今日でおしまいですが、私たち趣味のチームを作ろうと思うんです!監督も、どうか続投いただけないでしょうか!?」
「ダメだよ!?ルビーはまだレース界でしなきゃいけないことあるもん!」
「竜胆トレーナーの仰った通り、お断りいたします。皆様は私がおらずともやっていける力があるはずです」
「!……分かりました。では、竜胆さんはどうでしょう!ぜひとも我がチーム「なりません」ヒョエ、監督……」
「あはは、まあ無理かなー。ルビーは渡せないし、俺もルビーのだから」
――安田記念
勝利。本格的な短距離路線を定め勝ち取った。高松宮記念でヘリオスと走って以来、自分の中で燃え始めた走りへの熱を、困惑しつつも受け止めていた。
――スプリンターズステークス
勝利。ミラクルの『すべてを捧げる覚悟』を破り、未来を見せるために走った。それ以降、時折ルビーから訝しむような視線を感じるようになった。
――マイルチャンピオンシップ
勝利。短距離路線の集大成として、大注目のなかで最たる輝きを放った。
「ヘリオス、有馬出るんだってな」
「はい、そう仰っておられました」
「どうする?俺が居るうちに、挑戦するか?正直言って、
「……お願い、できますか。貴方だけが可能性を持つのなら、私は……挑戦してみたく、存じます」
「いいよいいよ、その闘争心に従いな――最期の大仕事だ」
――クリスマス
多方面の重役サマからの熱い要望で、ルビーのこれまでの活躍を祝してパーティーが開かれた。ルビーとともに主賓として壇上に上がる訳だし、流石に正装を用意する。メッシュも抜いた方がいいかな。
「先方より、ナツメさんに関してはドレスコードを設けないと伺っております。普段の格好でよろしいかと」
なんでやねん。この3年で竜胆ナツメのイメージが完全に固まったからか。絶対マナーの方が大事だろ、もしやファンか?ホスト側に俺のファンでもおるんか!?
「それから、写真撮影を希望されている方もおられるとか」
ホントに居るんかい。はいはい分かりました、もう俺スーツ着ません。ルビーのために習得したマナーもう意味ないわ。
結局、本当に普段通りのラフなスタイルで問題なく終わった。むしろ若干盛況だった、俺は俺の魅力が怖いよ。
ホストの用意してくれたクルマで学園に帰る車中、だだっ広い車内で隣に座るルビーをなんとなく見つめる。
契約は年内まで。あと少しで彼女の隣に立つこともなくなる。
「?なにか」
「いや、とくには。パーティー疲れてない?」
「はい、慣れていますので。ナツメさんこそ、お休みになって構いません」
「俺が疲れたとこ見せたことある?」
「……最近はよく拝見いたします。マイルチャンピオンシップが終わってから、連日の長距離指導。正直に申し上げて、心配です」
「ああ、そこカウントされちゃ言い返せないわ。でも大丈夫、俺は最後までやり遂げる。多分、ほんとにあとちょっとなんだ」
意識を向ければ、ルビーの傍に浮かぶ
今のままでもおそらく勝てる、でもそれはきっと華麗なる勝利とは言えない。万全の状態で舞台に上がらせるには、やっぱりあと一押しが必要だ。
「ではせめて、今だけでもお休みください。向上心と使命感は素晴らしい、ですが祟らぬ無理など存在しません」
「無理してないよ、それにその言葉は全部ルビーにも言えることって気付いてるか?」
「貴方の休息の少なさは、私と比べるべくもありません……ナツメさん、お願いします」
「――ほんと、俺を扱うのが上手くなった。じゃあおやすみ……寝顔は恥ずかしいから一枚までな」
「……………撮りません。早くお休みください」
「――寝顔は、お可愛いのですね。……申し訳ございません、少々遠回りをしていただけますか」
――有馬記念
俺の長距離指導はなんとか間に合い、ルビーは万全でグランプリに挑める。竜胆ナツメとしてできることを、俺は最後までやりきることができた。
あとはルビーが勝利するところを見届けるだけ。なんとか体も
「!……ルビー、悪いけど先に出ててくれるか?ちょっと着替えたい」
「承知いたしました」
レース前、一足先に控え室を出るルビー。パタリ、とドアが閉まりきったのを見て、速やかに部屋の隅へ。
バッグから引っ張り出したタオルに、押し込めていたモノを吐き出す。
「ゴホッ、ゴホ……はぁ、ちょっと張り切っちゃったか」
赤黒い血がシミを作る、最近は無茶がこうしてカタチとして出てくるようになった。うーん、この色はどこからの出血だろう。
適性を『G』から『A』に引き上げるのは、少しばかり強欲が過ぎたらしい。
「予定早めるかな」
俺の
「ナツメさん」
「うおおっ!?なに、待ってたの?ごめん」
すぐ脇から声が生えてきてほんとにビックリした、てっきり先に行ってるもんかと。
ルビーから投げかけられる視線は、様々な感情が混じっていて珍しく読み取れない。俺との最後のレースに思うところがあるのか、だったらいいな。
「ウィナーズサークルで、お待ちいただけますよね?」
「う、ん?うん、出迎える準備整えとくよ。ナツメトレーナーにお任せあれ」
♢
それから、俺にとっては飛ぶように流れた日々だった。
ルビーは至上の舞台で、グランプリの栄誉を一族に持ち帰った。
そして契約は解消され、ダイイチルビーは新たなトレーナーを選ぶための準備中。
俺は退職の手続き、お世話になった方々への挨拶などを早急に消化していく。
中でも取材対応はしんどかった。おしかけてくる記者なんかもいてそれなりの件数を学園に対応してもらったし、ほんますんません。
駆け足で進めた段取りも何とか片付き、とうとう学園を去る間近の日。未だ乾いた寒さの冬、その夕暮れ時。
自腹で揃えた家具の数々は破棄して、学園の備品である机やソファをもとに戻したトレーナー室。
ソファに身を沈め、3年ぶりの合皮の感触を懐かしむ。俺たちの痕跡は漂白され、また別の誰かがこの場所から夢を始める。少しだけうらやましい
ルビーはこの先トレーナーを替え、俺だけがはじき出されてしまった。決まっていたこととはいえ、叶うならもう少し、道の先を見たい気持ちがある。
「やーめた、
胸元に煌めくバッジを外してケースに仕舞う、さっさと返却しに行こう。少し強く床を蹴って、未練から抜け出すように立ち上がる。
「どこへ行かれるのですか」
「にょわあああ!?」
「ノックの返事がなかったので、無礼を承知で入室させていただきました」
「ああ、そう……全然気付かなかった。どうぞ」
ちょっと感傷に浸り過ぎたか、出したことない声で飛び上がってしまった。あーダメダメ、テンパったままじゃボロが出る。
俺はソファに座りなおし、ルビーも優雅な足取りで隣……ではなく、俺の
?????珍しく尻尾が揺れている、なんか耳に落ち着きがない。待って!よく見えないけどドアの内カギ閉まってないか!?
もしやと思い、膝上ド至近距離で俺を見上げるルビーに集中する。高貴な紫の瞳、緻密な編み込み、上品に巻いた髪、いや今はそこではなくてステータス。
『!掛かり』
♢
「る、ルビー?どうして俺の上に?」
「重ねての無礼、ご容赦くださいませ」
「答えになってないぃ~」
私はいま、少々正常でないことを理解している。内なる炎が理性を焦がす、この熱はぶつけなければ治まらない。故にナツメさんが逃れられぬよう、部屋の鍵を閉めて膝に乗った。
どうしても最後にお話しする時間を頂くための強硬手段は、功を奏している。会話の
「最近は随分とお忙しそうにされていましたが、どうしてそこまで急ぐ必要が?」
「えっと、ちょっと事情が変わったといいますか……」
「そうですか、てっきり私と早く距離を置きたいのかと」
「……それは、ない」
「では、次の行く先をお伺いしても?私も同行したく存じます」
「ごめん、言えないな。同行も……絶対ダメ。ルビーにはまだやるべきことがあるだろ?」
「――ええ、やりきった目をしている貴方と違って」
「あはは……手厳しいな」
今までの竜胆ナツメとはかけ離れた困惑、弱気、曖昧。それらが伝わってくるたびに、私の胸の炎は増していく。そして、炎は変質する。
この部屋を訪れた時に感じていた熱は、おそらく『恋情』だった。でも、大人のフリをして私を躱しきろうとするナツメさんの
このままではいけない、今この場では抑えなくては。私はただ「お慕い申し上げます」と伝えたかっただけ。なのに、礼節や矜持が
激情を鎮め、華麗なる一族として弁えた、淡泊な告白を。それで綺麗にお別れ、成すべき
――苛立ちが、思考を呑む。
そんな消え入りそうな笑顔で、私の頭を優しく撫でて、温かく突き放されたら。
「折角ここまで積み上げてきたルビーの功績に傷がつく……俺に執着すんな」
「私が無傷なのは、貴方が代わりに傷ついていたからでしょう!」
理性の手綱は焼け落ちた、もう止まれない。
「隠し通せているとお思いですか……貴方の特別な指導の後の消耗は、回数を重ねるたびに重く長くなっていました。それなのに平気だと笑って、陰でこそこそと咳き込んで!有馬記念出走前、控え室を出てきた貴方は血の気が失せて……」
「――そっか、バレてたのかぁ」
「慣れないウソなんてつくからです……!私は、貴方に甘えてほしかった……「やっぱり無理だ」と言ってほしかったんです。でも結局、貴方の通した無茶に乗ってしまった……最後まで甘えているのは私ばかりで……!」
そうして完成した、無傷の私。一片の曇りもない、最たる紅玉。
最初から最後まで、彼の覚悟に甘えて、甘えて甘えて甘えて甘えて甘えて甘えて甘えて――これ以上彼に甘える資格なんてない。
だからせめて、気持ちに蓋をしてナツメさんを困らせることなく別れなければならなかった。なのに、気付けばトレーナー室の扉に手をかけ、こうして今までで一番の迷惑をかけている。
「ごめん、そこまで思いつめさせて」
「謝らないでください……悪いのは私です。この期に及んでまだ、貴方に我儘を押し付けて――ごめんなさい」
ダメだ、私はここに居てはいけない。救いようのないほどに子供な自分をようやく客観視できた、早く出ていこう。
目から零れた、頬を伝う未熟が、彼に落ちる前に。
♢
俺は最悪だ。
彼女から溢れた一滴を見て、外へ逃げようとする重心を感じて、ようやく賢しい大人のフリを捨てるなんて。
俺から離れるすんでのところで、ルビーの華奢な手首と腰を抱き寄せる。小さく軽い身体がすっぽりと腕におさまり、黒鹿毛の耳が目の前で震える。
彼女の怒りと悲しみの根っこにどんな感情があるのか、今は分かっていた。だって、俺も同じ感情を持っているから。
「謝らなきゃいけないのは、やっぱり俺だ。『我儘でいい』って言ったのは俺なのに、ルビーの心から逃げようとした。最初から『3年でサヨナラ』って伝えとけば、本気になることは無いだろうって甘えてた」
「――そんな、ことは」
「俺なんだよ。呪いを残すことを怖がって、最後の最後で覚悟が足りなかったのは……ごめんな」
ルビーは視線を落とし、腕の中で静かに首を横に振る。
「違います、ナツメさんはただあるがままに『
「いや、ルビーは悪くない。ルビーが一線を引いてくれることに期待して、無遠慮に心に踏み込んだ俺が悪いんだ」
「「……………」」
ルビーは顔を下げたまま沈黙し、俺もルビーの言葉を待つために口を閉じる。
なんとも気まずい静寂を破ったのは、俺とルビーから同時に吹き出た呆れ混じりの笑い。
「ふふ……何の話ですか、これは」
「はは……お互いにペコペコ謝って、このままじゃ日が暮れるな」
「詮のない話はここまでにしましょう。平行線のまま、お別れをしたくはありません」
「……じゃあ、俺が叶えられるルビーの我儘をひとつ叶えて、おしまいにしよう」
「――またそんな事を言って、私を甘やかすのですね。最後まで、ナツメさんらしい」
「悪いとは思ってます。ハイ」
「ふぅ……分かりました。ではとびきり困る我儘をぶつけて差し上げます」
「……………消えない『傷』を。無傷の
ルビーは顔を上げ、俺を真っ直ぐ見据えて言う。『呪いを残せ』と。
彼女の瞳は濡れていて、それはきっと涙だけのせいじゃない。結ばれた唇に視線をやり、紅潮した頬に手を添える。緊張こそ感じ取れるが、震えてはいない。
ほんと困ったなぁ。俺が叶えられるギリギリを突いてくるんだから。
「……後悔しない?」
俺の問いに、ルビーは言葉で返さない。ただ黙って、少し顎を上げて、目を閉じる。
「……体重は俺に預けていい、力抜いて」
小さな彼女から感じる重さが僅かに増す、口の端がほんの少し緩む。
――誰も触れてはいけない
「好きだよ、ルビー」
「私も――ずっと、お慕い申し上げます。ナツメさん」
♢
トレセン学園から竜胆ナツメの名が消えてから数週間。
白で埋め尽くされた部屋、俺の身体から伸びる数々の線、一定間隔で鳴る小さな電子音。
レース界で見てきた華々しいゴールとは違う、地味で無色の終着点。
身辺整理は問題なし、母親への挨拶も済ませた、未練も後悔もない。
明るくて楽しくて、輝いて温かくて、濃密で瞬く間の人生だった。終わりが分かっていたからこそ、俺は竜胆ナツメに成れたと思う。
すぐソコまで迫っている死の予感はきっと外れない。14年前の事故から放たれた、命中が決定している魔弾のようなもの。
第六感で動き出した運命は、第六感で幕を下ろす。
「あれ、俺の始まりってどんなだっけ……」
いつの間にか忘れてしまった、一番最初の感覚。たしか、天使にも悪魔にも似た囁きだった気がする。まあいいか、思い出せないならもう関係ない。
終わり際に本当に想うのは、ひとつだけ。
「どうか、ダイイチルビーの未来が幸福でありますように」
―――――――――――――――――――――――。
電子音は静寂を示し、墜星は暗路を行く。