昇星は光路にて再会する   作:はくとう

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アーモンドアイ

ナツメと別れてから5年が経った、ある春の日。

 

トレーナー寮、朝食を済ませた後にパッチリと開いた瞳で姿見を見る。鏡に映る立ち姿は、普段通りカタすぎないラフなもの。

シワもシミもない真っ白のシャツに、動きやすいグレーのパンツ。色味はモノトーンでまとめつつ、あとはどこかに水色を使いたいから、今日は軽いのを羽織りましょうか。

 

クローゼットに手を伸ばし、水色の明るい上着(アウター)を……と思ったところで、ふと動きが止まる。その隣に吊られた、シンプルな黒のフードジャケット。

男性用のサイズ、耳穴の開いていないフード、私の手が隠れちゃう袖丈。

 

「……今日は併走しないから、別に着て行ってもいいのよね……」

 

余計な想像力を働かせる思春期(おとしごろ)の生徒たちはテンション上昇――それからたまに調子も上がる――して、逆にトレーナーやその他の職員――大体は男性ね――が不躾な視線を刺してくる『彼の遺品』。

もう成長の止まった私には、ついぞ似合うことが無くなったその服を手に取ってみる。傷めないように大事に着てきた甲斐があって、5年前と変わったところはない。

 

いや……まぁ、さすがに匂いはすぐに私のになっちゃったけど。

 

今日一日の予定を頭の中で追いかける。トレーニングが終わったら、夜は新学期を祝したトレセン学園職員の交流会がある。お酒の出るお店で食事をするらしいから、着ていくのはちょっとだけ汚損のリスクがある。

でも、()()()()()()()()()()()みたいだし……何よりこれは『御守り』として効果てきめん。

 

あまり男性から『そういった声』を掛けられたくなくて、あえて野暮ったいスタイルなのに。ナツメを越えるまでは誰かとお付き合いするとか、全然考えられないわ。

 

そんなワケで、しつこいプライベートな食事のお誘いや、新人さんからの浮ついた視線をかなりシャットアウトしてくれる男性物の上着は、着ていけるなら着ていきたい。

大人しくてしっかりした人の隣の席だったら、安心できるんだけどなぁ。たづなさんは今日は不参加みたいだし。

 

「うーん……でも汚すのだけは嫌だし、やっぱりやめとこうかしら」

 

 

 

――――着 て い き な

 

 

 

「――え?」

 

私しか居ない部屋を見回して、思いがけない声の出どころを探る。当然ながら誰かいるハズもなく、今のは第六感を導く『ナツメの声』に違いない。

 

「ホント? じゃあ羽織って行くわね。あ、そうだ! 聞きたいんだけど、そろそろヘアアクセサリーは外した方がいい? もう子供っぽいと思う?」

 

迷わず彼の上着に袖を通し、服の内に入った髪を外に払い出してから聞いてみる。今までに『今日の服選び』なんかでアドバイスをもらったことなんて一度もない。だったらこの際に色々と聞いてしまいたかった。

姿見で改めて身だしなみを整えつつ、しばらく返事を待ってみる。手に取ったリボンやクリップが行き場を求めて揺れるものの、ナツメからの返事は無かった。

大きめの上機嫌な独り言を部屋に投げた、独身成人女性の完成。

 

 

 

「――もう、なんなのよ!」

 

 

頬を膨らませながら、ヘアスタイルを見慣れたものに仕上げる。大きなリボンのカチューシャ、煌めくヘアクリップ、サイドの編み込み。

『もう少し大人』な装いもできるし、そのほうが今の私にはいいことも分かってる。

 

でも、正直に言うならあまり大人になんてなりたくない。

だって、もう少し大人になったって――約束を果たしてくれる人は居ないし。

 

なんて、こんな子供じみた思考をしちゃう内は……無理して大人にならなくても、許してくれるかしら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぁ……ツイてないわ。なんで交流会の席までチーフトレーナーの隣なのかしら。まぁ当然と言えば当然なんだけど。

 

ワイワイガヤガヤと賑やかに進行する交流会。

トレセン学園側が主催しているワケでもない、メディアも生徒も気にしないただの飲み会。仕事の相談から趣味嗜好までの雑多な話が、お酒と共に進んでいく。

そんなユルい空気の中で、アルコールが程よく入った隣のひと(チーフトレーナー)が出す話題なんて決まっている。

 

『そう、つまりだね。僕とアイトレーナーは他のチームのトレーナーに一度勝っているのさ。トレーナー試験はどちらもほぼ満点、なら次はレースでも勝つだけじゃないか……!』

 

――私は『ほぼ』じゃなくて満点ですが。

 

そんな訂正はわざわざしない。完全マークされてるレースの時よりも面倒な展開になりそうだし、そもそも試験の点数や順位は今の仕事になんら関係ない。生徒たちの夢の方が、よっぽど視るべきものだと思う。

あぁ新人さん、そんな尊敬の視線を向けてこないで……もっと調子に乗っちゃうから。調子が上がるのは生徒たちだけでいいから。

 

『アーモンドアイ』を(サブ)において、アルコールと一緒に武勇伝を吐き――本当に吐いたらどうしてやろうかしら――出して、さぞ心地のイイ視線をもらう。

普段のエリートな原型はあれど、もう完全にお話したくないカンジに出来上がった。

 

――はぁ……面倒クサイわ。

 

この数時間で何度目かのため息を、黙ってお酒で呑み込んでいく。話に巻き込まれたくないから、チョビチョビとグラスに口をつけてやり過ごす。

それがしばらく続き。続き、続き……

 

――続き、続き……………

 

 

 

 

 

ようやっと終わった時、思考にはモヤが……かかってる。足取りは、大丈夫……でも脳が、空転してる。

 

 

 

 

 

お店の前、解散の雰囲気……夜の街、二軒目がどうこう言ってるグループ。

 

 

 

赤ら顔で、チーフトレーナーが何か言ってる。

 

 

 

『アイトレーナー、いい加減に()()サブトレーナーであることを自覚して、ふさわしい恰好をお願いしたいね』

 

 

 

――なに、どういうこと? わたしは、貴方の()()()のサブトレーナーよ……貴方は優秀、私も優秀、それでお話は終わりでしょう。

 

 

 

『まずは……上着(ソレ)をどうにかしよう。服でも見繕いに行こうじゃないか。数年前の、しかもメンズ……()()()()()()のも考えものだよ』

 

 

 

――やめて、彼の遺品(これ)に触らないで。もし触ったら……人間の男性(オトコのひと)くらい、簡単に投げ飛ばせるんだから。

 

 

 

良さげなスーツを着たチーフトレーナーの手が、ナツメ(わたし)のジャケットに伸びる。この酔っぱらいが触れたら――手首を取る。

 

 

 

ウマ娘が人間にやっちゃいけない、けれどブレーキの上手く効かない思考プロセス。私、お酒強くないから自重しなきゃだったのに……もしかしたら停職とかなっちゃうかなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――アイの物持ちが良いのは同意するけどな。女の子の服に勝手に触れようとするのはどうなんだ、酔っぱらいさん」

 

 

 

 

 

私に伸びていた腕を、誰かが横から取る。大事に胸に仕舞っていた思い出の声で。

私の羽織ってるものに似たフードジャケット、カジュアルなカーゴパンツにハイカットスニーカーのモノトーンモダンな装い。

 

そして、遊ばせた毛先に散る赤いメッシュ。

 

 

 

 

 

――追いかけていた背中が今、目の前の手が届くところに在る。

 

 

 

 

どうして、なんで、ホンモノ、どうやって……

 

そんなの、どうだっていい。私はあの頃より大人になったよ。背が少し伸びて、胸もちょっと大きくなって、成長したよ。

学園を急いで卒業して、頑張ってトレーナー試験を首席で受かって、チームのサブトレーナーとしてちゃんとやってるよ。

 

今の恰好は、大人っぽくないかもしれないけど……でも、ちゃんと『もう少し大人になって、再会できた』のなら……

 

一番にしたいことは、もう決めてるもん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――アイの物持ちが良いのは同意するけどな。女の子の服に勝手に触れようとするのはどうなんだ、酔っぱらいさん」

 

 

アイに伸びていた酔っぱらい――たづなさんから聞いたチーフトレーナーさんだな――の腕を掴んで、一旦冷静にさせる。

手を引っ込めたトレーナーは俺を睨みつつ、袖や襟を直していかにもエリートって感じするな。実際に優秀らしいが。

 

さて、聞こえてきた言葉に反応して、随分とカッコつけて登場してしまった。トレセン学園でちょっとゴタついたせいで、再会のタイミングが良いのやら悪いのやら。

 

まあさっさとこの場を落ち着けて、アイとゆっくり話ができる場所――

 

 

「――アイ? グェッ、なん…………ッ、?」

 

 

唐突に後ろから引っ張られ、振り向かされ、がっしりと服を掴んで――唇に柔らかな感触が触れる。

フルーティな果実に、僅かにアルコールを帯びた香り。

 

初めてのキスの味は、多分カシスオレンジかなんかだと思う。

 

ヒールのないスニーカーで少しだけ背伸びをしていたアイが、唇を離してゆっくり()を開く。光の失われていない、星の弾けるような瞳。煌めいて、吸い込まれそうで、どうにも魅せられる……ほんのりと濡れた瞳。

 

 

 

見惚れてる場合じゃないよね!

 

「いや、いやいや! アイ、急にソレはどうなんだ!? 外だし、人前だし、もうちょっと雰囲気が……」

 

「――()って、約束したもん。再会したら一番に()ゅーするって、私ちゃんと言ったもん!」

 

「や、約束……憶えてる。憶えてるけど、あえて返事はしなかったんだよ……再会した時にアイがどういう環境なのか分かんないし。約束通り一番最初にアイの唇を奪ったとして、アイが忘れてたり……彼氏とか居たらマズいだろ」

 

「か……彼氏()んてできるワケない()しょ! ずっと大好きなのはナツメだけで、私は……生きてそばに居てくれるなら、ナツメになにされたっていいって思ってるの――」

 

 

 

――だからもう、離れちゃヤダぁ……!

 

「――……」

 

 

呂律の回らない言葉で、素直で幼い感情に歯止めをかけることなく、縋り付くように俺の胸で嗚咽を漏らすアイ。小さな背を震わせて、掴んでいる俺の上着を絶対に放すまいとしている。

 

 

 

唐突なキスに面食らってしまったけど……これは切り替えないとな。

 

この歳でトレーナーなんて、きっと今までずっと頑張ってきたんだろう。降り積もる想いを抱えたまま、脇目を振らずに駆けてきたんだろう。

その貯まった想いが、再会によって決壊してしまったのなら。アイの心は俺が守らなきゃいけない。

 

 

掛かり』とか『酩酊状態』とかの文字が浮かんでいる今の彼女を、同僚や通行人(ギャラリー)の視線に晒し続けたくはない。

 

 

 

さっさとこの場を立ち去りたいところだが……その前に、納得させなきゃいけない人間が居るみたいだな。

 

 

 

『ハハ……これは竜胆()トレーナー。君には数々の風聞があるようだが、そこに()()()()()()()()()を加えた方がいいかな』

 

「あァ、どうぞお好きになさってください。アイ以外にどう思われようが興味ないんで」

 

それはアイから仕掛けられたコトだったけど、忘れてるのか俺の落ち度にしたいのか……まぁどっちでもいいや。

視線の先で()()()に立つ()()、それと周りからの――かなり潜められた――()()()()。色のとっ散らかった混沌(カオス)……早いとこアイを連れて出ていきたい。

 

「お話はまた今度でいいですか? 俺はアイに話があるんで、そちらは二次会なりなんなり楽しんでくださいよ」

 

『ふざけるな! いいかな、アイトレーナーは僕の隣に居るべき存在(ひと)だ。彼女の居場所は僕の隣こそが相応しい!』

 

「泣いてる()の前でデケェ声出すなよ……仮に貴方の隣にアイが相応しいとして、()はどうなんです? 貴方はアイの隣に居るに相応しい存在なんでしょうか」

 

『当然だろう、僕はトレーナー試験をほぼ満点で合格したんだ……それに、同期のトレーナーに聞いて回っても()()()()()()()() つまり、満点首席のアイトレーナーと釣り合うのは僕だけさ!』

 

あーどうしよう、言っていいのかな。無駄に煽って話が長引くのは避けたい、けどここで一発入れとかないとしつこい気もする。彼もアイの関係者ではある以上、余計な確執は今後に響きそうだし黙っといた方がいいかなぁ。

うーん……ダメだめんどくせェ。なんかあったらその時どうにかすればいいや。

 

「成績優秀だから隣に立つ資格がある……その理論でいいんですか。なら俺も、――年度の試験で満点首席ですけど」

 

『……………は? 僕と、同じ年度……?』

 

 

 

……あ、そういうこと? うわぁ、なんか申し訳なくなってきた。今までの語気の強さから察するに、トレーナー試験の成績に相当なプライドを持ってたんだろう。

 

俺はトレーナー資格を得た初年度を『教官』として過ごしたから……そりゃあその時に『同期のトレーナー』に聞いたって首席は居ないことになる。まさか教官としての時間がこんな悲劇を生むとは……。

 

俺が1年間教官として務め、その後にアイを3年担当して、5年間行方をくらましていたから、大体10年くらい。なるほど、確かにトレーナー歴もうすぐ10年と言われれば納得できる年頃かもしれない。

 

 

 

「うん……ちょっと悪いコトしたみたいで、スマンかも。けどこれでアンタも納得してく『黙るんだ!』えぇ……アンタの理論に乗ってやったのに――まだなんかあるんスか、同期さん」

 

『過去の成績がどうした! 竜胆元トレーナー、君の活躍は5年前の話だろう! 僕もアイトレーナーもこれからの存在で、君の時代はもう終わったんだよ!』

 

 

 

「だから? 時代が終わったならまた始めるだけだ。アイと一緒にな」

 

 

 

『ッ……君は、なんだ……彼女の何なんだ……』

 

こだわっていた成績も放り投げて、遠慮のない激情をブツけてくるトレーナーさんが、絞り出すように問う。これで最後になってくれたらありがたい……でも、それを答えるのは俺ではない気がする。

 

俺の居場所は、アイの居る場所だ。でも、逆はどうなのか。トレーナーさんだけじゃない、俺だって自分がそう想ってるだけ。

 

『竜胆ナツメはアーモンドアイにとっての何なのか』……俺の上着を引っ掴んで胸に顔をうずめるアイに促す。

 

「アイ、ちょっと前から泣き止んでるだろ。この問いは、俺も受け止めなくちゃいけない。どんな言葉であっても素直に答えてくれ……アイにとっての俺って、何だ?」

 

 

 

 

 

――ん……ナツメは私の……()()()です。

 

 

 

 

 

……へ? あ、ふーん……了解。

 

トレーナーさんからの言葉は、どうやら最後になったらしい。俺も一瞬思考が真っ白になったけど……まぁ、アイがそう言うなら。

『じゃあ、これで失礼します』と声を掛けるその前に……ちょっと俺が思ったことを言いたい。散々怒声を受けたんだ、ささやかな言葉を残すくらい許してくれるといいな。

 

「あー……なぁ、別に『試験でいい点とりたくて』トレーナーになったワケじゃないだろ。初心に帰って、トレーナーになった理由を思い出したら良いんじゃねーかな……最難関の資格をほぼ満点で取るのはスゲーことだし、優秀なのはどうしたって事実なんだからさ――」

 

――ただ、アイに関わることなら。命くらい懸けてくれないと、俺は負けてやれねェよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

泣き止んで『掛かり』や『酩酊状態』の文字が薄れてきたアイを連れて、ひとまず衆人環視の中を抜け出す。今は人々の目を搔い潜って路地を何本も渡り、人通りの限られた外れの道。

『チーフトレーナーのことは褒めたのに、満点首席の私は褒めてくれないの?』とブーたれる彼女をヨシヨシしながら、ようやく少しだけ落ち着ける時間だ。

 

「はぁ……やっと撒けたな。お互い有名人だと大変だ」

 

「うん、そうね。それでどこに行くの……聞きたいコトは沢山あるけど、もしデートならもう少し可愛い服の時がいいわ。ああでも、もう夜も遅いしデートできるような場所はどこも閉まってるかも……」

 

「……5年もほったらかしたこと、怒んねーの?」

 

「何をしてたかによる……でもどうせナツメのことだから、怒るに怒れない理由でしょう。それにどんな理由であっても、もう離さないからゆっくり話を聞く時間はたくさんあるもの。ナツメの瞳が『離れない』って色をしてるし……違う?」

 

「――違わない、な。これからはどんな手段でも、アイと一緒に居るつもりだ」

 

「ふふ、そうでしょう。だったら今はそれよりも……?」

 

ふとアイが言葉を切って、()()()()()()()()を見上げる。その意図に遅れて俺も気付いた、()()()()()()

 

「雨ね……夜にグッと冷え込むのは知ってたけど、雨の予報は見逃してたわ」

 

「いや、そんな予報は無かった……しくじったなぁ。アイに逢うことばっかりで、傘持ってきてねぇや。悪いけど手早くどっかに……アイ?」

 

「――……その、任せて。手早く雨を凌げる場所、行きましょう」

 

「え? あぁ……じゃあ、任せる」

 

アイが俺の腕をガッチリ取って、迷いを振り切るように足早に目的地へと向かっていく。

路地を抜けて、人の気配が少なく――というよりは気配の色が変わる――なる方へ、視界に入ることが多くなっていく『ネオンの建物』をいくつか通り過ぎて。

 

掛かり』の文字を浮かべるアイの先導……『掛かり』!? 薄まってたのに、また濃くなってる!?

 

「大丈夫……今日の下着、ちゃんと可愛いやつだから……」

 

なんかブツブツ言ってる、ほんとに任せて大丈夫だったかこれ!?

 

本格的に降り始めた夜遅く、抱いた俺の腕をグイグイ引いて、逃げるようにアイが飛び込んだのは――『ご休憩(R e s t)ご宿泊(S t a y)』の看板とネオンが印象に残る施設だった。

 

更に言えば、フロントスタッフの居ない非対面の受付。他人に見られるリスクが低い、このテのホテルなりの配慮。

それが今のアイにとっては逆に、受付手順を訊ねられないパニックになってるっぽい。勢い任せで入ったものの、操作パネルの前で掛かった思考が空転中だ。

 

あー……俺も利用したことはないし、部屋の良し悪しなんて詳しくないけど……。

今更ここを出るなんて辱めるようなマネはできないよな。雨はしばらく止みそうにない、夜も深まるばかりでどの道もうどこにだって行けやしねぇ。

 

安すぎなけりゃいいか。それなりの価格の部屋を選んで『宿泊』で、鍵を受け取ったら……耳も尻尾も硬直したアイを、今度は俺が連れて行く番だ。

 

「――アイ、行こうぜ。フロントより部屋の方がゆっくり話せる」

 

 

 

 

 

 

イメージよりはギラついてない、大人しめの内装。けれど一部、遠征などで利用した宿泊施設とは明らかに異なる設備や備品(アメニティ)も視界に入る。

二人で寝るには充分なサイズのベッドにアイを座らせて、俺は備え付けのタオルを渡してから、1人分の距離を取って腰を下ろした。

 

「頭拭いた方がいいぞ、濡れただろ」

 

「うん、ありがとう……でもなんで距離取るの?」

 

「なんか、間違いそうだから念の為……」

 

「間違いそう?」

 

目を逸らして口を噤む。

アイに恥をかかせないようにこの部屋に入るまではした。けど『それ以上』というか……流石に手ェ出すのは、早いよな。今の俺は無職だし。

存在するハズのなかった5年ぶりの再会は本当に嬉しい、でもそれはそれとしてキッチリ線引きはしておきたい。俺は他者(ひと)より多くのことができる、だからこそやっちゃいけないことは他者(ひと)より強く意識しないといけない。

 

好き放題してたら歯止めが効かなくなるかもしれないし……今回に関して言えば『無職の年上男がバリバリやってる社会人に手出した』という負い目を持ちたくない。

いずれアイのご両親に挨拶する時に、胸を張れなくなったら困る。

 

 

 

――だから、まぁ……再び境界線(ライン)を引かせてもらおう。

 

そう思っていたのに、いつの間にか距離は詰められて。隣にやってきたアイの鮮烈なまでに魅力的な瞳は俺を覗き込んで、引いたばかりの境界線(ライン)を見据える。

そして彼女の瞳に、この場で『勝ちたい』という煌めきが宿る。5年前と同じ、俺に境界を越えさせようとする意志の引力。

 

参ったなー、耐えられるかな……正直『婚約者宣言』が結構グッとキてる。今の俺は簡単に火がつきそうで怖い。

 

「ナツメ……また変なコト考えてるのが視えるわ。おカタい倫理観の悪癖ね?」

 

「悪癖て……むしろ変なコト考えないようにしてるんだけど。やっぱ付き合うならしっかりした大人の方がいいだろ?」

 

「別に。ナツメであれば、なんでもいい」

 

「うぐ、嬉しいこと言ってくれちゃって……揺さぶるんじゃありません。ほら、風邪ひくから髪乾かそうな。尻尾もちょっと濡れたろ、拭いてやるからあっち向いてくれ」

 

「むぅ……そんな()()()()()……」

 

アイは少しの間、煌めく瞳を閉じて思案する。もう諦めてほしい、どうにも惹き込まれて仕方ないんだよ。『勝ちたい』と心から思っているときの(アイ)の輝きは。

 

やがて、5年前と変わらないリボンカチューシャやヘアクリップを外してベッドに置く。こうしてアクセサリーを外すのを見るのは『ちょっと未来のアイが見たい』と言ったクリスマスの時以来か。

活発で可愛らしい雰囲気から、少し大人っぽいような――

 

 

 

「――ナツメ。私、今まで()()()()()()()()()()()わ。貴方の歳を追い越して遠く感じちゃうし……どうせ大人になったって約束は果たされないから」

 

「あぁ……『もう少し大人になったら』……ってヤツな」

 

「うん。でも、今の私は違う気持ちよ。ナツメと再会して、勢いのままにキスしちゃって、強引にその……こんなトコロに連れ込んじゃったのは大胆過ぎたけど――」

 

 

 

――私、今ここで『()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

そっかぁ。

 

「……………濡れたまま時間経っちまったし、風邪ひく前に風呂入ってこような」

 

「もう! だから子ども扱いは『俺が洗ってあげるから』……ぁ、ぅ」

 

「耳から尻尾まで、俺に任せて。風呂好きのアイが満足できるよう、優しく丁寧にするよ。まずはそれからだ……ほら、行こう」

 

「――――ひゃい、お願いします……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

街が起き始めるより早く、日の出を受けて煌めく水溜まりを二人で躱しながら、繋いだ手の先でアイが言う。

 

「……ナツメ。あんまりハッキリと憶えてないんだけど……もしかして私、大人になれて、無い?」

 

「アイの大人の定義による。ただまぁ、ある意味で引き分けって言うか……俺はアイの想いに負けて境界線(ライン)を踏み越えちゃったけど、手ェ出す前に寝ちゃったな。風呂出てからその……イチャついてたら『アイぃ~~……』って鳴き声あげて目まわしてた」

 

「そんなに細かく言わなくていいから! でも、うぅ~~……! せっかくナツメの倫理観に勝ったのに……」

 

「仕方ないんじゃね? 急な再会で驚かしちゃったし、アルコールも残ってたっぽいし、しかも『領域』の負担もあったろ。体力もメンタルも限界だったんだよ多分」

 

「うん……でも、でもぉ~~!」

 

 

 

同じような装いの男女が路地を抜けて、トレセン学園までの通りを歩く。

片や頬を膨らませて少々不満げ、片やそんな彼女に愛らしさを感じつつも話題変更。最後の最後で上手くいかなかった昨晩(かこ)よりも、朝日が昇りきった先の今日(みらい)の話を。

 

 

 

「アイはトレーナー寮に戻ったら、仕事の準備しないとマズいか」

 

「……そうね、平日だし休養日でもないから。あーあ、話したい事はいっぱいあるのに……ところで、ナツメはこれからどうするの? 決まってないなら、一緒にトレーナーとして競い合うのはどうかしら! 貴方の遺した軌跡を追いかけてやってきたけど、目標が隣に居てくれるなら私ももっと燃えられると思うの!」

 

「ん、そう言うよな。アイが支えられるよりも競い合うことを望むなら、そう簡単には越えられない目標(トレーナー)になってやるから安心してくれ」

 

「本当!? じゃあ早速学園に話しましょ!」

 

尖らせていた唇から不満を漏らしていたアイは、輝く瞳で手を繋いだまま腕を抱く。落ち着きが無かった尻尾まで俺の身体に巻きつけて、このままトレセン学園まで連行する気だろう。

 

「慌てなくていいよ、学園に話は通してるから。いや、正確には『通さされた』んだけど……」

 

「うーん……どういうこと?」

 

「トレーナーやってるらしいアイのこと聞いたら『学園外の方に、席を外しているアイトレーナーの居場所は教えられない』って言われて……そこからたづなさんとやよいちゃんに捕まってな~、トレーナー復帰の検討を条件に、特別に交流会の場所を教えてもらったんだ」

 

「なるほど、だから私の場所が分かったのね。――……なんだか、捕まってる情景が容易に想像できたわ。特に理事長は大きくなって、元からあった行動力に磨きがかかったもの」

 

「あぁ、背ェ伸びてたなーやよいちゃん『理・事・長』……そんな睨み利かせなくても、俺はアイ以外に興味ないぞ? ヤキモチやく必要は……」

 

「違うわよ! いやちょっと違わないケド……ナツメってば、誰にでも距離感近すぎよ! その上なんでもパッとやってのけちゃうクセに、鼻にかけるでもなく謙遜するでもなく『へへ、スゴいだろ~』って軽く笑うから、女の子の気を引きやすいことを自覚して!」

 

「……まさかぁ? いくら俺が仕事デキるさわやか男子で、おまけに顔がいいからってそんな……」

 

「はぁ~~~……あのねナツメ。いい機会だから、学生の頃からずっと思ってたこと言うわ。貴方は『俺って顔いいだろ』みたいなアピールで茶化してたら、相手は自分に本気にならないとか考えてるフシがあるみたいだけど――全然そんなことないから

 

「――マジで?」

 

「マジよ。だからトレーナーに復帰して、学園で教え子にその距離感で接してたら……張っ倒すわ」

 

「そこまで!? ヒョエ、目が本気だ……気を付けます。えぇ、そうなのか……恋愛経験がアイ以外に無いから、乙女心を知らなさ過ぎた」

 

「あー……納得したかも。そうよね、ナツメって経験ないと人並みだし……今まで娯楽に触れてこなかったから、マンガとかで知識を得る機会も無かったのね。キューまるどころかアニメもゲームもほとんど分からないって知った時、びっくりしたの憶えてるわ」

 

「恥ずかしながら……事故に遭って以来ずっと勉強ばっかのガリ勉君だったりします。でもどうしよう、適切な距離感……そうだ! 婚約指輪を嵌めておくのは……いやゴメン、それは基本女性に贈るモンだよな。ていうかこれもアイからすればキモいか、気が早すぎか!? ヤベぇ、考えれば考えるほど乙女心と距離感が分かんなくなってきた!」

 

「私が相手なら気にしなくていいわよ!? それにその……婚約指輪、良いと思う。私もナツメ以外の男の人に主張できるし、最近は男女でつける人も増えてるから……ナツメが良いなら、欲しいわ」

 

「――……ならよかった」

 

ところどころ濡れた雨上がりの早朝、春の彩りを感じる学園までの街路。

煌めく(アイ)と燃える(アイ)は、今日の予定――明日の予定――次の休み――未来を話して笑う。似通った格好のスニーカーで、二人分の足音を鳴らしながら。

 

 

 

 

 

竜胆ナツメはアーモンドアイとともに、光の中をふたり歩く。




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
アーモンドアイ編は完結しました。




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めちゃ嬉しいです、ありがとうございます。マジでモチベの支えです。

改めて、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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