ナツメさんと別れてから5年が経ったある春の日、普段通り作業部屋の執筆用パソコンとにらめっこをしていた。その時、メガネのレンズにメールの通知が入り込む。
担当編集さんから『サイン会のご提案』……どうして急に?新作を発表したワケでもないのに。
本文に目を通せば、とある書店で行われる予定だった他の作家さんのサイン会が本人都合で急遽開催不可に。サイン会のための本の手配や告知、整理券などを準備する直前でそのようなことになってしまったそう。
それなら、最初からなかった話にできるのでは。わざわざ私に代替の提案が飛んでくる意図が分からない。というか、開催日が近い……スケジュール自体は問題ないけれど。
それらの疑問に対する回答が、タイミングよく追送されてくる。一通目に書き漏らしたことを謝罪する文面と共に、書店とのややこしそうな提携云々の事情や、もともと開催予定だった作家さんがスティルインラブのファンなどの補足情報。
――どうするの?人見知りなアナタには大変そうなお仕事ね。
ええ……正直あまり気乗りしないかも。ありがたいお話しだけど、今回は……
――い っ て き な
「……ナツメさん?」
――ふぅん……?
第六感の囁きが私の背を押している、であれば何か期待できることが待っているのかもしれない。
現役時代でも経験のなかった、沢山の人との連続する1対1コミュニケーション。口下手で緊張しいな私には不向きすぎて一抹の不安を抱く、でもこの囁きには従いたい。
――大丈夫よ、いざとなればワタシが代わってあげる。面倒事の時は
ふふ、ラブが出た方がこじれそう……でも、ありがとう。その時はよろしく。
♢
都内の大型書店、その一角に特設された会場に、私は居た。
オフホワイトのフィット&フレアなミモレ丈ワンピース、透け感ある水色の軽いボレロを羽織り、シューズはラブが動きやすいようにヒールのあるパンプスではなくスニーカー。
そして、作家である私のアイコンになってしまった、耳を出したホワイトレースのショートヴェールと、赤い伊達メガネ。
『紅百合先生サイン会』と銘打たれた会場で、新刊の発売でもないのに整理券は配布終了。作品の評価と不釣りあいな長蛇の列に、めまいがするのを隠しながらサインしていく。
幸いにも――こう言うのは失礼だけれど――お客さまひとりひとりの時間は短いから、本にサインするまでのひと言ふた言を交わすだけで済む。
『スティルさんのファンでした、応援してます!』『あの激しくて綺麗な走りが本当に好きで……作家活動がんばってください!』『現役時代から追いかけてます!その……今の大きくなったスティルさんも素敵です!』
「あはは……ありがとうございます」
ただ、自分が何者なのか分からない。『紅百合先生の次回作も楽しみです』と言っていただけるのは稀で、大体が『スティルインラブ先生』に対しての言葉。機械的に手を動かして笑顔を作る、尻尾の微動だにしない時間が続く。
受け止めるべきかも分からない想いを受け止め続け、夕方から始まったサイン会は一度休憩を挟んで、気付けば日は落ちて街灯が灯っている。
サイン会は無事に終了し、担当編集さんと共に書店の責任者さまへのご挨拶を終える。
長時間原稿と格闘した時や、溜めていた家事を片付けた時の疲労とは違う、心に降り積もるような疲労感。
「スティルさん、大丈夫ですか?どこかで休まれますか?……あ、お酒が必要であれば近くにお店がありますが……どうされます?」
「お構いなく……私はこれで失礼しますね」
「いえ、そういうワケには……タクシーを呼べますし、明日は休みなのでどこでもお付き合いできますよ」
担当編集さんからお気遣いをいただくけれど、正直少しだけ煩わしい。優しげな瞳の奥で、私の裏側に居るラブに対する熱が透けている。
――ハァ、一番の面倒事がこのヤサ男さんとはね。そんなにお望みなら、ワタシが相手をしてあげるわ。『今日は帰る』ってハッキリ言えば、黙って首を縦に振るでしょう。
ら、ラブ……ダメよ、そんなこと。一度出てしまえば、次はもっとしつこくなるわ……そうなればまた貴方に頼ってしまう。
――この際だから言ってしまえばいいのよ。喰われたがる魂に興味ないコト。
それ、次からどんな顔でお話しすればいいの……?
担当編集さんに控えめな遠慮を返しながら、書店を出てラブをなだめる最中。道のわきで小さな人だかりができていることに気付く。
出待ちではないし、有名人でもいるのかもしれない。それよりも担当編集さんにお断りを入れて、早く帰りたい。そう思っていた。
「だからー、俺は人を待ってんの!こうも囲まれちゃ、出てくるとこ見逃すじゃんか!」
「――――え?」
私とラブは同時に、離れた人だかりの中から聞こえてきた声に反応した。耳がピンと張り、その方向を向く。
「あー、ほらそこのキミ、道塞がないの。はいもう解散!そろそろサイン会終わったはずだし、迎えに行かせてくれー!」
黒いフードジャケット、グレーのカーゴパンツ、ハイカットスニーカーと、赤い毛先を遊ばせた黒髪。人垣の隙間から渦中の人の後ろ姿が見え、思わず尻尾が揺れる。
「――ん?なんか視線が……あ、いた!ごめ、道開けて……おーい、スティルーーー!ラブーーー!」
その人は私
そしてその灰色の瞳には、私たちの魂に触れる熱を秘めたまま。疑いようもない、見紛いようもない、正真正銘の最愛なる運命。
「悪い、遅くな『
思わず駆け出して飛びつく私たちを、ナツメさんはしっかりと受け止めてくれる。触れ合う身体から、本物のぬくもりが感じられる。互いの鼓動を交換できる。
お互いにちゃんと、生きている。
「――ッ、……逢いたかった、ずっと逢いたかった!言いたいことが、本当に……たくさん……っ!」
「うん、聞かせてほしい。そのために帰ってきたからな」
思考がまとまらない、言葉がぐるぐると回っては消える。その中で一番に伝えたい言葉が、私たちの中に残った。
『おかえり』?『愛してる』?違う、そんな綺麗な言葉じゃない。ただ純粋に、私たちが伝えたいのは、私たちの望みは――
「――もう、離れるのはイヤ」
「――ああ、俺もだよ」
♢
スティルインラブと再会を果たすことができた。それは大変喜ばしい。無事に大きくなったようで、ますます綺麗になった。それも直接伝えてあげたい。どういう因果か戻ってこれたものの、5年も経ってしまった。どんな恨み言も受け止めたい。
ただ、そのどれもが今ではない。なんせ周囲がやかまし過ぎる。
『はぁ~やっぱナツ×スティしか勝たん』『竜胆さんまたスティルちゃん泣かしてるわ……女泣かせだ……』『おぉ、こんな場所で熱烈な……ウマスタ上げて大丈夫なヤツ?』
まあ、こっちが悪いよね。こんな衆目に晒された往来の中で再会しちゃったもんだから。
ポンポンと彼女の背を叩き、こっそりと耳打ち。こんな場所じゃ話もできん。
「……とりあえず、場所変えようぜ?」
「?……ぁ、そ、そうですね!私ったら、はしたない……!」
飛びのくように半歩下がり、顔に熱が集まっていくのを冷ますスティル。そこで改めて、彼女の5年越しの姿に注目が向く。中等部の教え子だったスティルインラブは、おそらく5cmほど背が伸びてる。
装いは膝下まである白いワンピース、淡いブルーのボレロ、現役時代とは若干異なる耳出しヴェールと赤いメガネ。なんとなく白・青・赤で勝負服の色使いを彷彿とさせる。まあ色の比率が大きく違って、だいぶ赤が足りないが。
そんなことを思っていた矢先、
「ぇ、ダメっ。こんなとこ、ろで――――イイじゃない、このシチュエーション……
せっかく空いた半歩の距離をスルリと埋めて、
反応はできた、ラブの間合いから逃れることはできる。今度は俺が半歩下がればいいだけの簡単な抜け出し方。
……まあ、いいか。愛するラブが望むなら。
公衆の面前で口づけを交わしたのち、二人してすぐにその場から駆け出す。『ついてきて?』と、ウマ娘専用レーンを愉しそうに走るラブを追いかけ、ギャラリーを振り切って住宅街の方へ。
好奇の視線と喧騒から離れ、徐々に速度を落としたラブと隣り合い、やがて真っ赤な顔を伏せるスティルと手を繋ぎ、気付けばなにやら見知ったマンションが目に入る。
「………その、ナツメさんと別れてから私、貴方が使っていた部屋を契約しまして……続きはお部屋で、ゆっくりお話ししたいです」
「あー、そうなんだ。……ここまで来ちゃったし、それならお言葉に甘えてお邪魔しようかな」
正直なところ、スティルの家に足を踏み入れるための心の準備はまだできてない。今の俺は帰ってきたばっかで、無職だし。既に社会に身を置いている彼女のプライベートな空間に、無職の年上男がお邪魔する……話をするためと言えど気が引けるし緊張するわぁ。
「フフ、懐かしいわね……最初もこうして舞台に誘い込んだのだったっけ?――うぅ、やっぱり罪悪感が――」
ついでによく聞こえないけどスティルとラブがなんか話してるみたいだし、緊張のうえに怖いわぁ。
葛藤しているらしいスティルの横で、エントランスを抜けてエレベーターに乗り、3階の廊下を歩いて一番奥の角部屋へ。
教官からトレーナーになっても、トレーナー寮は使わずにずっとここから通っていた。俺の身体に関する資料やらが万が一にも見つからないように。
「……ではこちら、面白くもない部屋ですが」
「そんなお土産持ってきたみたいに……お邪魔しま~す。うわ懐かしい~!」
ドアを開けてもらい、久しぶりに玄関に立つ。いくつか並んだ女性ものの小さな靴や、靴箱上の小物など、馴染み深い空間に馴染みのないフィルターがかかった、なんともいえない気分になる。
心地よい違和感というか、発見と納得が交互にくるカンジ。それとほんのりいい匂いがする、ヤバいマジでらしくないくらい緊張してる。
靴を脱いで簡単に揃え、リビングまで伸びたフローリングの廊下を2、3歩進む。両脇にある3つの扉、左奥はトイレなの知ってるから残りが寝室やら仕事部屋なんだろうな。
そんなコトを考えながら後ろで『カチャン』とカギを締めた音、続いてチェーンを掛ける気配までして『防犯意識〇』スキル……ホンマか?
スティルの方へ向き直った俺は、すぐ目の前にいた彼女に腕を取られ、重心をズラされた!ウソだろ、仕掛けが早ぇ!?
そのまま冷てぇフローリングに尻もちついた俺の肩を押して『よいしょ……♪』とお腹の上に乗られ、メガネの奥で紅い瞳をギラつかせたラブにマウントを取られる。あ、ここまで完全にポジションとられると抜けれないかも。
「は、はは……ラブ?一旦落ち着かない?話はリビングで、座ってでもできると思うんだ」
「一旦?落ち着く?フフ……アハハハ!――本気?」
ラブは息を荒くして、血が滴るかと錯覚するような緋色の目を細める。彼女の細く白い指が、抑えつけていた俺の肩を下りて胸を這う。
「ねぇナツメ……この5年間、ワタシはとってもイイ子にしてたの。同じ愛を持つスティルのために、そしてアナタの愛のために……ずうぅーっと。ブツける相手もいないまま、胸の奥でグツグツ煮えていく欲望を、満足に発散できずにね」
ラブは手を広げて、俺の心臓を包むようにてのひらを当てる。加速する心拍を感じ取り、より一層愉悦に口角を上げる。
「けれど、こうしてナツメが鼓動と体温を持って帰ってきた。なら、もう我慢はいいでしょう?5年もアナタの我儘通り生きてきたんだから……今度はワタシたちの我儘を聞いてもらわなきゃ!また昔のように競いあって!全部を曝け出して、涸れるまで!喰らわせて!」
「……走りで?」
「――……フフ、もう昔みたいには走れないの。でも、競いかたはそれだけじゃない……お互いにオトナになったコトだし、趣向を変えてもいい頃よねぇ?安心して、知ってるでしょうけど防音がしっかりしてるから、どんな情けない声も漏れないわ♪」
ラブがより深く体重をかけ、嗜虐的な笑みを俺に近づける。俺を魅入る紅は
ああ、まただ。スティルインラブと契約を交わしたあの夜と同じ、先に覚悟を決めた彼女たちに俺は噛みつかれた。そうして取り返しのつかないほどに互いの運命をゆがめた。
あの夜と違うことと言えば……今の俺は、
だから、覚悟にちゃんと覚悟で応える余裕がある。悩まず、臆せず、求められるモノに応える余裕が。
「ナツメさん、はしたないマネをしてごめんなさい……貴方なら嫌わずにいてくれると思って、ラブに任せてしまいました……」
「いいね、信頼してくれて嬉しい。言いたいコト言ってみてくれ」
「――愛してる、だから……私たちのことを愛してく『クゥゥゥ~』だ、しゃいぃ……」
……
表に出てきていないラブが、額に手を当てて『この子は……』と頭を振っている姿を幻視した。
「あー……スティル、冷蔵庫見たいから立っていい?」
黙って立ち上がるスティルちゃん、廊下のスミで棒立ちしている。……とりあえずさっさとキッチンに入り、冷蔵庫の中身に目を通す。
水、チョコレート、コンビニスイーツ、数々の冷凍食品。食材がなんもねぇ!米もねぇ!戸棚の中に菓子ばっかり!
廊下に戻り、依然としてすみっこで顔を覆ったままのスティル……うん、まあ、その、このままにはしておけないな。男として。
スティルを遮るその手を左手でまとめて持ち上げる。茹で上がった彼女を壁に押しつけ、身体で蓋をして逃げ場をなくす。
そして、泣きそうになってる愛らしい彼女に唇を重ねた。メガネにぶつからぬよう、顔を傾けて2秒、3秒……触れる柔らかい感触を離して、震えた彼女の耳に言葉を残す。
「買い物行って、ごはん作ろ。
「――……ひゃい」
近くのドラッグストアがまだ営業時間に余裕あったハズ。まずは晩飯をしっかり食べよう。
それから、必要なモンもあるし……その、さすがに無職の状態で家族計画は練れないからね。
♢
「……起きた?おはよ、スティル」
「――はい、おはようございます。早起きですね。それから、その、いつから撫でてくれているんですか?」
「んー、30分くらい。起きたのは1時間前かな、朝ごはん作ってた……そうだ。情けない声がどうこう言ってたラブに、勝ち負けを聞きたいんだけど」
「あぁ、えーっと……ふふ。『人間がウマ娘に勝つなんておかしい』だそうです。それから『疲れたから眠る、今晩は負けない』と」
「ふふん、契約したときに『次からは俺が勝つ』って言ったろ?そう簡単に負けてやれないなぁ。『ピロン』ん?あっアレか。はいスマホ。当然見てないけど、なんか
「ありがとうございます。……あっ!た、担当編集さんからです。すっかり忘れて帰ってきちゃいました……LANEで届いたということは、昨晩にメールがきているのでしょう……」
「担当編集……もしかして、書店で一緒にいた人?」
「はい。内容は……『長期休暇による担当変更』?どうして急に……」
「あぁーそういえば、再会して抱き合った時……いやラブに詰め寄られた時かな?なんかすごい顔で睨んできてどっか行ったんだよな」
「そ、そうなんですか?それは、なんというか……ご迷惑をおかけしました」
「いや全然。しかし編集ね……………よし、次の仕事決めるまで編集の真似事するか。勉強は部屋でできそうだし、スティルとも会う時間が増え、る……?どしたん、すごいフクザツそう」
「……面倒な我儘を言ってもいいですか?」
「いいよ?長い間コッチの我儘を守ってくれたんだし、これからはスティルとラブのために生きるって決めてるから。なんでも聞かせてほしい」
「――で、では言ってしまいますっ。私がなんとかお金を稼ぐので、外に働きにいってほしくありません……できるだけ離れず一緒にいたいですっ!」
「――おぉ、了解。だったら……俺が紅百合先生を超売れっ子にすれば問題ないな!さて、そうと決まれば一旦帰る!」
「か、帰るんですか?」
「あっ、安心してくれ。必要なモンを見繕って、また
「……あの、私もついて行って構いませんか?準備に少しお時間を頂いてしまいますが……」
「そりゃいいけど、その、身体は大丈夫か?ちゃんと歩ける?しんどくない?」
「――だ、大丈夫、です」
「そっか……ちゃんと疲れた時に俺に言ってくれるなら、一緒に行こうか。まずはごはん食べよう、サンドイッチ作って置いてるから」
それから、朝ごはんをゆっくり食べて洗い物を済ませ、洗濯機を回して共に部屋を出る。スティルはヴェールとメガネを外したプライベートスタイル、俺も変装とか考えるべきなのかな。
紅百合先生として初めて場に出た時に、そのふたつのアイテムがアイコンになってしまったらしい。なら俺が逆にメガネかけるとかどうだろう。
天気は快晴、微かに感じる春風が祝福を運ぶ。昇るときも、墜ちる時も、俺たちはきっと永遠に一緒だ。
「本当に、しんどくなったら言ってくれな」
「フフ、安心なさい。ワタシがちゃんと教えてあげる。まったく、元凶たるアナタは元気なものね?――――ラ、ラブ!外でそんなこと言わないでっ」
「はは、おはよラブ。それじゃ、手繋いで行こうか」
「ぁ――はい!ナツメさん、今でも……いえ、ずっと
「――俺もだ。スティルインラブを、一生愛してる」
穏やかに晴れ渡る清い春空の下、もう二度と離れることのない最愛と歩調を合わせる。
竜胆ナツメはスティルインラブとともに、光の中をふたり歩く。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
スティルインラブ編は完結しました。
またもウマ娘のガイドライン的にアウトかセーフか、書いてて分かんなくなってきたので、冷静な時に見て「これアカンわ」と思ったら描写を一部修正します。
評価、お気に入り登録、誤字報告などとても嬉しく思います。ありがとうございました。
『墜星』に関しましては、感想までいただき大変光栄です。この場を借りてお礼申し上げます。
放り投げてたプライベートを片付けるので、次回の更新は一旦未定とさせていただきます。
改めて、ここまでお読みいただきありがとうございました。