スキルを自作できるようになった俺、好奇心で世界をリセットし続けたら人類悪になっていた   作:パラレル・ゲーマー

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第104話 秩序の賛歌と、人間の季節

 サン・ミゲル共和国、首都サン・クリストバル。

 その街の魂は、太陽に焼かれた乾いた大地のように、二つに引き裂かれていた。

 陽南カグヤがスラム街「エル・インフィエルノ」に舞い降り、あの革命の演説を行ってから24時間。その影響は、IAROのスーパーコンピュータ『ヤタガラス』の予測を遥かに超える速度で、この国全土を侵食していた。

 カグヤの演説と、彼女が起こした「魂の解放」の奇跡。その映像は、信者たちの手によって瞬く間に拡散され、ウイルスのように人々の心を感染させていった。『#AwakeSanMiguel(目覚めよサン・ミゲル)』のハッシュタグは、国内のSNSトレンドを完全に支配した。

 国中の貧しい村々で、人々はカグヤの言葉に呼応するように「覚醒」し始めた。自分は偉大な戦士だった、偉大な芸術家だった、偉大な指導者だったと。彼らは農具を捨て、仕事を放棄し、自らの「本当の人生」を取り戻すための、小規模な共同体を次々と形成し始めた。それは、ある意味では美しい光景だった。だが、その裏側で、この国の脆弱な社会基盤は、急速に崩壊の一途を辿っていた。

 食料の生産が止まり、物流が滞り、首都では商店から物が消え始めた。覚醒者と、そうでない者たちの間には、深刻な対立と不信の溝が生まれつつあった。

 IAROが設置したサン・クリストバルの臨時司令部。その空気は、もはや敗戦前夜のそれだった。

 

「……ダメです。大統領府が、完全に機能を停止しています」

 分析官の佐伯が、青ざめた顔で黒田との緊急テレビ会議で報告していた。

「イザベラ大統領は、閣僚たちを説得しようとしていますが、その閣僚の一部が、既にカグヤの思想に傾倒し始めているとの情報も……。このままでは、数日中にクーデターが起きてもおかしくありません」

「……ミライ君は、どうしている」

 モニターの向こう側、IARO本部の自室で、黒田は静かに、しかしその声に隠しようのない焦りを滲ませて尋ねた。

「……自室に、篭られたままです。昨夜のカグヤの演説以来、誰とも言葉を交わさず、ただ一人、何かを観測し続けておられるようですが……」

 黒田は、唇を噛み締めた。

 負けたのか。

 我々の、そして彼女の信じる「秩序の物語」は、あの太陽の巫女が放つ、あまりにも原始的で、あまりにも魅力的な「混沌の光」の前に、為す術もなく敗れ去るのか。

 彼が、そのあまりにも苦い敗北を認めかけた、まさにその瞬間だった。

 司令部の、固く閉ざされていた扉が、静かに開いた。

 そこに立っていたのは、月島栞――鏡ミライだった。

 彼女の顔には、疲労の色はなかった。その深い紫色の瞳は、嵐の後の湖面のように、どこまでも静かに、そして澄み切っていた。

 彼女は、司令室にいる全ての職員、そしてモニターの向こうの黒田に向かって、静かに、しかし有無を言わさぬ口調で告げた。

 

「――手配を、お願いします」

「……ミライ君……?」

「今夜、わたくしも演説を行います。サン・ミゲル共和国の、全ての国民に向けて。いえ、全世界に向けて」

「ですが、場所は大学の講堂ではありません」

 彼女は、窓の外を指さした。その指先が示すのは、この国の、そしてこの街の、最も神聖で、最も悲劇的な場所。

「――国立追悼公園。……内戦で命を落とした、何十万という名もなき魂たちが眠る、あの場所で」

 

 §

 

 その夜、サン・ミゲルは、二つの光に照らされていた。

 一つは、スラム街「エル・インフィエルノ」で燃え盛る、革命の篝火。カグヤの信者たちが、歌い、踊り、自らの解放を祝う、混沌の光。

 そしてもう一つは、国立追悼公園の中央に、静かに灯された一本のスポットライトの光。

 その光の中に、鏡ミライは一人で立っていた。

 彼女の背後には、内戦で亡くなった無数の人々の名前が刻まれた、巨大な慰霊碑が、月の光を浴びて静かに佇んでいる。

 IAROの総力を挙げて、彼女の演説は全世界に同時中継されていた。

 カグヤの信者たちもまた、その多くがスマートフォンの小さな画面で、この秩序の巫女が最後に何を語るのかを、嘲笑と好奇の入り混じった目で見つめていた。

 

 ミライは、マイクの前に立った。

 そして、彼女は、まず謝罪から始めた。

 

「――サン・ミゲルの、皆さん。そして、全世界でこの放送を見てくださっている、皆さん。……最初に、わたくしは謝らなければなりません」

「わたくしは、あなたたちに『50年後の未来』を語りました。それは、嘘ではありません。わたくしの観測によれば、それは確かに存在する、輝かしい可能性の一つです。……ですが、わたくしは、その輝かしい未来を語ることに夢中になるあまり、今、この瞬間を生きるあなたたちの、その魂の渇きと、痛みを、本当の意味で理解していなかったのかもしれません。……申し訳、ありませんでした」

 

 その、あまりにも真摯で、あまりにも誠実な謝罪。

 熱狂の中にいたカグヤの信者たちの、その嘲笑が、ほんの少しだけ揺らいだ。

 

「太陽の巫女、陽南カグヤ。……彼女の言うことは、ある意味で正しい」

 ミライは、続けた。その、ありえない肯定の言葉に、IARO司令室の黒田は息を飲んだ。

「あなたたちの魂には、無限の可能性が眠っています。あなたたちは、ただの労働者でも、ただの貧しい人々でもない。その魂の奥底には、英雄や、芸術家や、あるいは王にさえなりうる、眩いほどの光の種が、確かに眠っている。……それは、真実です」

「ですが」と、ミライは静かに、しかし力強く言った。

「わたくしは、問いたい。……その、たった一つの輝かしい可能性のために、他の全ての可能性を、そしてあなたという人間そのものを捨て去ってしまうことが、本当に『解放』と呼べるのでしょうか?」

「あなたが、偉大な将軍であったという並行世界生を思い出したとして、今の、この不器用で、臆病で、しかし優しいあなたの魂は、どこへ行ってしまうのですか? それは、解放ではなく、並行世界の栄光という名の亡霊に、あなたの現在を『乗っ取られる』だけではないのですか?」

 

 その、あまりにも根源的な問い。

 エル・インフィエルノの広場で、覚醒したばかりの元兵士の男が、はっとしたように自らの胸を押さえた。

 

「そして、カグヤは言いました。『開発に時間がかかる? そんなもの、アルターが短縮してくれる』と。……ええ、それもまた、真実です」

「ですが、考えてみてください。その『短縮』された時間の、その代償を支払うのは、一体誰なのでしょうか」

 ミライは、背後の慰霊碑を、そっとその指で示した。

「この国が、50年かけて築き上げるはずだった平和を、もし一人の強力なアルターが、たった一日で成し遂げたとしましょう。……素晴らしい。実に、効率的です。ですが、その時、この国の人々は、何を学ぶのでしょうか。平和の、本当の尊さを。それを築き上げるために必要な、地道な対話の重要さを。そして、二度と過ちを繰り返さないための、歴史の教訓を。……その全てを学ぶ機会を、永遠に失ってしまうのではないでしょうか」

「アルターが生み出す安易な奇跡は、人間から『成長』という、最も尊い権利を奪い去る、劇薬なのです」

 

 彼女の声は、決して熱狂的ではなかった。

 だが、その静かな言葉の一つ一つが、まるで染み入る水のように、人々の魂の渇きを、ゆっくりと、しかし確実に潤していく。

 

「――サン・ミゲル共和国の皆さん。秩序側についたら、潤沢な支援があります。これは、混沌側にはない利益です」

 ミライは、きっぱりと言った。

「ですが、誤解しないでください。わたくしたちは、あなたたちにただ富を与えるのではありません。わたくしたちが与えるのは、あなたたちが自らの手で富を生み出すための、『道具』です」

 彼女の背後の空間に、ホログラムの映像が映し出された。そこには、IAROの最新鋭の農業用ドローンや、浄水プラント、そして遠隔医療システムの映像が流れていた。

「また、最先端の科学技術が入ってくるでしょう。ですが、それを使うのは、我々ではありません。あなたたち自身です。我々は、その使い方を教えます。その知識を、共有します。そして、いずれはあなたたちが、我々すらも超える、新しい技術を生み出す。……そのための、土壌を、我々は提供します」

 

 そして、彼女は、カグヤの演説に対する、最も強力なアンサーを、その静かな声に乗せて放った。

 

「カグヤは、言いました。『50年、耐え忍べ』と、わたくしが言ったと。……それは、違います」

「ただ50年耐え抜くのではない。支援を受けて、我々と同じ道を、共に歩むのです」

「あなた方は、もはや支援を待つだけの、か弱い存在ではない。あなた方は、我々『人類憲章連合』の、対等なパートナーです。我々は、あなたたちと共に学び、共に働き、そして共に、未来を創るのです」

「50年という歳月は、忍耐の期間ではありません。それは、あなたたちが、そしてあなたたちの子供たちが、自らの手で、自らの国を、一歩、また一歩と築き上げていく、誇り高き『創造の季節』なのです」

「飢えに苦しむのなら、共に畑を耕しましょう。病に倒れるのなら、共に薬を開発しましょう。道に迷うのなら、共に歴史を学び、その中から答えを探し出しましょう。……それこそが、神の気ままぐれな奇跡にすがるのではなく、人間が、人間自身の力で未来を紡いでいくという、我々の『秩序の物語』の、本当の姿なのです」

 

 彼女は、最後に、その深い紫色の瞳で、カメラの向こうの、全世界の人々を見据えた。

 そして、巫女としてではなく、ただ一人の人間、月島栞として、その魂の全てを懸けて、語りかけた。

 

「――わたくしが、スキル神様から見せていただいた、あの500年先の未来。……あの輝かしい未来を築いたのは、一人の英雄でも、一柱の神でもありませんでした」

「それは、名もなき、無数の人間たちの、あまりにも地道で、あまりにも遠回りな、しかし決して諦めることのなかった、無数の『リレー』の果てにありました」

「シャルトルの大聖堂を築いた、名もなき石工たちのように。彼らは、自らが生きてその完成を見ることはないと知っていながら、ただ未来の誰かのために、石を積み上げ続けたのです」

「……今、我々がすべきことも、同じです」

「カグヤが与える、今この瞬間の、劇的な救済。それは、確かに魅力的でしょう。ですが、その炎は、あなたたち自身の魂を燃やし尽くし、後には灰しか残さないかもしれない」

「わたくしが提案するのは、もっと地味で、もっと退屈な道です。……ですが、その道の先には、確かに、500年先の、まだ見ぬあなたたちの子孫の、笑顔が待っている」

 

「――さあ、選びなさい。サン・ミゲルの、そして人類の皆さん」

「あなたは、どちらの未来を、信じますか?」

 

 演説は、終わった。

 後に残されたのは、絶対的な静寂だった。

 エル・インフィエルノで燃え盛っていた革命の篝火が、いつの間にか、その勢いを失っていた。

 人々は、スマートフォンの画面に映る、あの静かなる月の巫女の姿と、目の前で今もなお奇跡の力を振るい続ける太陽の巫女の姿を、ただ呆然と見比べていた。

 熱狂は、冷め始めていた。

 代わりに、彼らの心に芽生え始めていたのは、あまりにも重く、そしてあまりにも尊い、「選択」という名の、人間だけに与えられた試練だった。

 思想戦は、振り出しに戻った。

 だが、その盤面は、もはや以前とは全く違う。

 人々は、もはや無知な駒ではない。

 自らの意志で、自らの未来を選ぶ、誇り高きプレイヤーへと、その魂を成長させていたのだ。

 その、あまりにも人間的で、あまりにも美しい光景。

 それを、ただ一人の神だけが、最高の笑顔で、心待ちにしていた。

 

 

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