スキルを自作できるようになった俺、好奇心で世界をリセットし続けたら人類悪になっていた   作:パラレル・ゲーマー

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第24話 凪いだ海と、深淵の胎動

【秩序の呪印(オーダー・シール)】。

スキル神が人類にもたらしたその奇跡は、まさに神の慈悲そのものだった。

日本政府がその存在を公表し、官民一体となった迅速な量産・設置体制を敷いてから、わずか数週間。日本の、少なくとも都市部の風景は、劇的なまでに「正常」を取り戻していた。

 

官公庁、病院、学校、駅、主要な商業施設。それらの公共空間は、呪印が放つ不可視のフィールドによって、くだらない奇跡の洪水から守られる「聖域」となった。もう、区役所の窓口で【相手をほんの少しだけイラつかせる】スキルを持つクレーマーに職員が延々と絡まれることもなければ、病院の待合室で【自分の心音をBGMにできる】アルターが奇声を発することもない。子供たちは、学校の校庭で、【消しゴムのカスが必ずサッカーボールの形になる】といった、もはや見飽きた奇跡に惑わされることなく、純粋な球技に興じることができていた。

 

人々は、失って初めてその価値に気づいた「当たり前の日常」の尊さを、噛みしめていた。朝、満員電車に乗れば、誰かの【カバンの肩紐が必ずねじれる】スキルに悩まされることなく、スムーズに会社に着く。コンビニで買い物をすれば、【お釣りの小銭が全てギザ十になる】という、地味な嫌がらせを受けることもない。それは、あまりにささやかで、しかし、あまりに幸福な光景だった。

 

ワイドショーは、手のひらを返したように、連日「呪印特集」を組んだ。

『徹底解説! 我が家にも設置できる? 家庭用呪印の正しい選び方!』

『世界が絶賛! 日本の呪印技術、その叡智に迫る!』

かつては恐怖の対象だったアルター事件は、今や「あの頃は大変だったね」と笑い話で語られる、過去の遺物となりつつあった。スキル神は救世主として崇められ、日本政府の迅速な対応は、国内外から高い評価を受けた。株価は回復し、社会には、雨上がりの空のような、晴れやかな安堵感が満ちていた。

 

その空気は、混沌の震源地であった『内閣官房・超常事態対策室』においても、同様だった。

地獄のような緊張感と、終わりの見えない徒労感に支配されていたオペレーションルームは、今や、嘘のように落ち着きを取り戻していた。職員たちの顔から、隈は消え、穏やかな笑みが戻っていた。

 

「田中君、お疲れ。今日はもう上がっていいぞ。久しぶりに彼女とでも、食事に行ってきたらどうだ」

対策室の同僚からそう声をかけられ、若手分析官の田中は、壁の時計を見上げた。午後六時。定時だ。数週間前には、考えられなかったことだった。

「……いいんスか? ありがとうございます」

彼は、少し照れくさそうに頭を掻くと、自分のデスクを片付け始めた。もう、モニターに映し出される、SNSのタイムラインを血眼で監視する必要はない。くだらないスキルによる珍事件の報告は、この一週間で、実に九割以上も減少していた。

「なあ、田中。本当に、平和になったよな」

居酒屋の、安い焼き鳥の煙の中で、同僚が、しんみりと呟いた。

「はい。スキル神様と、黒田室長のおかげですよ」

「だよな。俺、一時期、本気で日本は終わるかと思ったもん。毎日毎日、意味わかんねえ事件の後始末でさ。あの【鼻毛が七色に光る】オッサンを公務執行妨害で捕まえた時、俺、何のために警察官になったんだろうって、泣きそうになったもん」

「あはは、ありましたね、そんなこと」

二人は、ビールジョッキを合わせる。ガラスがぶつかる、乾いた、心地よい音。普通のサラリーマンが交わす、普通の会話。普通の居酒屋の、普通の喧騒。その、ありふれた全てが、今の田中には、奇跡のように感じられた。

そうだ、平和が一番だ。俺たちは、この平和を守るために、ここにいるんだ。

彼の心は、純粋な達成感と、未来への確かな希望で満たされていた。

 

その夜、対策室の室長である黒田もまた、数週間ぶりに、自宅の寝室にいた。

シャワーを浴び、糊のきいたパジャマに袖を通す。官邸の地下にある、息の詰まるような仮眠室ではない、自分の家の、自分のベッド。その感触が、あまりに懐かしい。

彼は、サイドテーブルに置いていた一枚の家族写真に、そっと指で触れた。妻と、まだ幼い娘が、屈託なく笑っている。

守れた。

彼は、心の底から、そう思った。

この国を、国民の日常を、そして、この、かけがえのない家族の笑顔を。

もちろん、アメリカのケイン・コールドウェルや、いまだ捕捉できていないCランク以上の悪性アルターなど、脅威が全て去ったわけではない。だが、邪神が仕掛けた、社会の基盤そのものを腐らせる最悪の一手は、我々が、スキル神の助力を得て、確かに打ち破ったのだ。

人類の叡智と、神の慈悲。その二つが合わされば、どんな困難にも打ち勝てる。

彼は、静かな誇りと、そして、スキル神という超越的な存在への、深い感謝の念を抱いていた。

だが。

彼の、優秀すぎる頭脳の片隅で、プロファイラーとしての本能が、小さな、しかし、消えない警鐘を鳴らしていた。

(……あまりに、都合が良すぎる)

敵は、なぜ、あれほど効果的だった「低級スキルの飽和攻撃」を、こうも簡単に対策されるような、「呪印」という解決策を、許したのか。まるで、わざと、自分たちの弱点を、差し出したかのようだ。

(いや、考えすぎか……)

黒田は、自らの疑念を、疲労のせいだと打ち消した。今は、勝利を噛みしめ、束の間の休息を取るべきだ。未来への対策は、明日から、また始めればいい。

彼は、深い安堵のため息をつくと、柔らかなシーツの中に、その身を沈めた。すぐに、心地よい眠りが、彼を包み込んでいった。

日本中が、深い安堵と、偽りの平穏に、包まれていた夜だった。

 

数日後。

黒田は、対策室の執務室で、復興後の社会秩序に関する、膨大な報告書に目を通していた。呪印の設置は、全国のインフラの8割に完了。それに伴い、詐欺まがいだった「アルター保険」や「スキル鑑定ビジネス」は、次々と市場から淘汰されていった。社会は、急速に、かつての姿を取り戻しつつあった。

「室長、コーヒーです」

部下の女性が、カップを置いてくれる。その穏やかなやり取りに、黒田は、ふと、笑みを浮かべた。

そうだ。これでいい。これが、我々が守るべきものだ。

彼は、コーヒーを一口飲んだ。そして、ようやく、この国の未来に、確かな展望が見えてきた、と、心の底から安堵した、その瞬間だった。

執務室の空気が、ふっと、密度を変えた。

蛍光灯の光が、僅かに、揺らぐ。

黒田は、カップを置いた。その表情から、穏やかな笑みは消え、鋼のような緊張が走る。

この感覚。この気配。

振り返るまでもない。

彼の背後の、何もない空間から、あの、超越的な存在が、音もなく、姿を現していた。

スキル神。

だが、その佇まいは、これまで黒田が見てきたものとは、明らかに異なっていた。

以前に感じた「怒り」や「失望」ではない。もっと、深く、冷たい、静謐な何かが、その白いローブから、滲み出ている。嵐の前の、不気味なほどの、静けさ。

 

「……スキル神。何の、御用ですかな」

黒田は、静かに立ち上がり、向き直った。

 

『黒田よ。その顔……まるで、戦いが終わったかのようだな』

 

スキル神の声は、凪いだ深海のように、静かだった。だが、その底には、計り知れない何かが、渦巻いているようだった。

 

『だが、本当の嵐の前には、海は、凪ぐものだ』

 

「……どういう、意味ですかな」

黒田の心に、あの、打ち消したはずの微かな違和感が、急速に、膨れ上がっていく。

 

『文字通りよ。黒田、一つ、問う。汝は、この数日、いや、この一週間、新たな「邪神」の活動の兆候を、何か、掴んでおるか?』

 

その問いに、黒田は、はっとした。

確かに、ない。

アメリカのケイン・コールドウェルの軍勢も、ユタ州に潜伏したまま、大きな動きを見せていない。世界各地で散発していた、Cランク以上の悪性アルターによる事件も、このところ、不気味なほど、ぴたりと止んでいた。

我々は、それを、呪印の効果と、我々の対策が功を奏した結果だと、考えていた。だが……。

 

『そうだ。奴の活動が、完全に、止んだ。世界中の、Cランク以上の悪性アルターの動きも、まるで、統制が取れたかのように、静まり返っておる。不気味なほどに、な』

 

スキル神は、黒田の思考を、見透かしたかのように言った。

 

『これは、後退ではない。ましてや、諦めでもない。これは、「潜伏」じゃ。奴は、力を、溜めておる。これまでのような、小手先の嫌がらせではない、何かを。世界のルールそのものを、この遊戯盤そのものを、根底から、ひっくり返すような、致命的な一撃を。そうとしか、考えられん』

 

「……!」

黒田の背筋を、冷たい汗が伝った。

安堵感に満たされていた空気が、一瞬にして、氷点下の緊張感へと変わる。

取り戻したはずの日常が、足元から、崩れ落ちていくような感覚。

 

「そ、それは一体、どういうことです? 何が、起きるというのですか!?」

 

黒田は、必死に、その声にすがりついた。具体的な情報が欲しかった。敵の目的、計画、その一端でもいい。だが、スキル神の答えは、彼の最後の希望すらも、打ち砕くものだった。

 

『……ワシにも、分からん』

 

その一言は、あまりに、絶望的だった。

 

『奴の悪意の深淵は、このワシにも、覗ききれん。あれは、ワシとは、理の異なる存在。じゃが、分かるのは、ただ、一つだけじゃ』

 

スキル神は、黒田を、フードの奥の、見えない瞳で、真っ直ぐに見据えた。

 

『これまでの戦いが、お主たちの言う、あの鬼神との戦いも、この呪印を巡る攻防も、全てが、ただの「挨拶」に過ぎなかったということだけじゃ』

 

挨拶。

あの地獄のような日々が、ただの、挨拶。

黒田は、言葉を失った。全身から、血の気が引いていく。

 

『……油断するのではないぞ、黒田。そして、日本政府にも、このことは伝えておけ。汝らが、今、立っておるのは、崖っぷちではない。……すでに、宙に浮いておるのだ。ただ、まだ、落下が始まっておらんだけじゃ』

 

スキル神は、静かに、しかし、残酷に、事実を告げた。

 

『備えよ。次に鳴る警鐘は、破滅のファンファーレやもしれんぞ』

 

その、呪いのような言葉を残し、スキル神は、ふっと、その姿を掻き消した。まるで、最初から、そこには何もいなかったかのように。

後に残されたのは、絶対的な静寂と、そして、再び、一人になった黒田だけだった。

 

「…………」

 

彼は、しばらくの間、神が消えた空間を、呆然と見つめていた。

全身が、鉛のように重い。

取り戻したはずの平穏。国民の笑顔。部下たちの安堵した顔。それら全てが、今や、風の前の塵に等しい、儚い幻のように思えた。

我々は、勝利したのではなかった。

ただ、敵が、次の手を打つまでの、僅かな猶予を、与えられていただけだったのだ。

そして、その猶予は、もう、終わる。

 

「……う……おお……」

 

黒田の喉から、声にならない、呻きが漏れた。彼は、執務室の壁に、拳を、強く、叩きつけた。痛みは、感じなかった。心の、凍てつくような絶望に比べれば、物理的な痛みなど、無に等しかった。

だが、彼は、いつまでも絶望しているわけにはいかなかった。

彼は、この国の、対アルター対策の、最高責任者なのだ。

黒田は、大きく、深く、息を吸い込んだ。そして、顔を上げた。その目には、もはや、安堵の色は微塵もなかった。代わりに宿っていたのは、絶望の淵から這い上がってきた者だけが持つ、冷徹な、そして、狂気にも似た、覚悟の光だった。

彼は、震える手で、内閣総理大臣へと繋がる、最高機密のホットラインを掴んだ。

そして、部下たちへと、緊急招集の指示を出す。

安堵の空気に浸っている彼らに、再び、地獄の鐘を鳴らすのは、自分しかいない。

 

対策室の緊急会議室に、主要メンバーが、訝しげな顔で集まっていた。

「室長、一体どうしたんですか、こんな時間に……」

部下の一人が、そう問いかける。その、まだ、どこか気の抜けた表情に、黒田は、静かに、しかし、有無を言わさぬ迫力で、告げた。

「……全員、聞け。休暇は、終わりだ」

その一言で、会議室の空気が、凍り付いた。

黒田は、スキル神から受けた、あの絶望的な警告を、一言一句、違えることなく、部下たちに伝えた。

誰もが、言葉を失い、顔を青ざめさせた。

「そ、そんな……」

「邪神が、何か、とんでもないことを……?」

「一体、何が起きるというんだ……」

不安と恐怖が、再び、対策室を支配する。その中で、一人の分析官、佐伯が、震える声で、しかし、的確な問いを投げかけた。

「……仮説を、立てるしかありません。敵の『だいそれた事』とは、何か。考えうる、全ての可能性を」

そうだ、と黒田は思った。闇雲に恐怖するだけでは、敵の思う壺だ。敵の狙いが分からない以上、我々は、あらゆる「最悪」を想定し、その全てに、備えなければならない。

会議は、そこから、夜を徹して続いた。

「アメリカの『終末の使徒』による、核施設へのテロ攻撃か?」

「いや、奴らの目的は、もっと、象徴的なものではないか。例えば、ワシントンのホワイトハウス、あるいは、ニューヨークの自由の女神の破壊」

「経済テロの可能性は? 全世界の金融ネットワークを同時にクラッシュさせ、全ての資産情報を消去する、『グレート・リセット』。それこそ、邪神の目的に相応しい」

「もっと、概念的な攻撃かもしれません」

分析官の佐伯が、そう切り出した。

「例えば、『人間の"信頼"という感情を、消し去る』スキル。あるいは、『言語の意味を、ランダムに入れ替える』スキル。物理的な破壊よりも、よほど、効果的に、人類文明を崩壊させられます」

次々と、提示される、悪夢のようなシナリオ。そのどれもが、あり得ると、思えてしまう。この、常識が通用しない世界においては。

議論が白熱する中、黒田は、一つの結論に、達しようとしていた。

 

「……いずれにせよ、我々の防御力、そして、攻撃力は、あまりに、不足している」

彼は、静かに言った。

「敵が、これまでの次元を超える攻撃を仕掛けてくるというのなら、我々もまた、次元を超えた『力』で、それに対抗するしかない。……我々が持つ、唯一にして、最強の駒。その力を、さらに引き上げる必要がある」

全員の視線が、黒田に集まる。彼が、誰のことを言っているのか、皆、分かっていた。

神崎(かんざき) 勇気。

スキル神に見出された、SS級の器。

「神崎君を、これまでの『保護』対象から、『対神クラス最終兵器』として、再定義する。彼の能力を、最大限まで引き出すための、特別育成プログラムを、直ちに、開始する」

それは、一人の少年に、この国の、いや、世界の命運の、全てを託すという、非情な、そして、あまりに重い決断だった。

だが、もはや、それしか、道は残されていなかった。

 

黒田は、会議を終えると、神崎勇気がいる、都内の保護施設へと向かう、専用車両に乗り込んだ。

車の窓から、偽りの平穏を謳歌する、東京の夜景が流れていく。人々は、まだ、何も知らない。自分たちの頭上で、今、まさに、人類の存亡を賭けた、次なる戦いの、静かな、しかし、壮絶な準備が、始まろうとしていることを。

一体、何が起きるというんだ。

黒田は、暗い夜空を見上げながら、何度も、自問した。

答えは、ない。

ただ、スキル神の、あの不吉な言葉だけが、彼の脳裏で、木霊していた。

『――次に鳴る警鐘は、破滅のファンファーレやもしれんぞ』

そのファンファーレが、いつ、どこで、どのような音色で鳴り響くのか。

それは、まだ、この世界の、ただ一人の観測者だけが、知っている。

そして、その観測者は、今、この瞬間も、彼らの足掻きを、最高の愉悦と共に、ただ、見つめているのだった。

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