スキルを自作できるようになった俺、好奇心で世界をリセットし続けたら人類悪になっていた   作:パラレル・ゲーマー

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第84話 神々のチェス盤と、人間のソロバン

 深夜。その言葉が本来持つはずの静寂や安らぎといった概念は、この場所には存在しない。

 IARO(国際アルター対策機構)本部、地下300メートル。事務総長執務室の空気は、フィルターを通しているはずなのに、まるで世界中の疲労とストレスを凝縮して固めたかのように、重く、淀んでいた。

 室長の黒田は、身じろぎもせず、巨大な戦略モニターに映し出された一つの機密文書を、死んだ魚のような目で睨みつけていた。それは、CIAの内部にいる協力者から、命懸けで送られてきたばかりの最高機密情報。その表紙には、禍々しい合成獣のロゴと共に、こう記されていた。

『プロジェクト・キメラ:第一フェーズ進捗報告書』。

 

 ページをめくる指が、鉛のように重い。

 そこに記されていたのは、黒田が最も恐れていた悪夢が、冷徹なビジネス文書の体裁で現実化していく様だった。

『ターゲット・アルファ:ケンジ・タナカ(パイロキネシス)。罪悪感と自己実現欲求を刺激し、招聘に成功。現在、ニューメキシコ州の特殊才能開発センターにて、能力制御の初期訓練段階』

『ターゲット・ブラボー:ピーター・ホーキンス(位相変換)。終身刑の可能性と金銭的インセンティブを提示し、契約に成功。現在、特殊工作員としての適性評価プログラムを進行中』

 報告書は、何十ページにもわたって続いていた。一人一人のアルターの、その魂の最も脆い部分を的確に抉り出し、国家という名の巨大な機械の歯車へと変えていく、あまりにもシステマティックで、あまりにも非情なプロセス。

 それは、黒田が、そして『人類憲章』が掲げた理念の、完全な敗北を意味していた。

 

「……やはり、こうなったか……」

 

 黒田は、呻くように言った。その声は、誰に聞せるでもなく、ただ執務室の重い空気に吸い込まれて消えていった。

 驚きはなかった。むしろ、心のどこかで「やはりな」と納得している自分がいることに、彼は吐き気を覚えた。

 もし、自分がアメリカの大統領だったら?

 もし、日本がアメリカと同じように、広大な国土と、人種の坩堝と呼ばれる多様な国民性、そして世界最強国家という重すぎる責務を背負っていたとしたら?

 おそらく、自分も同じ決断を下していただろう。

 いや、もっと早くに、この禁断の一手に手を染めるべきだと、大統領に忠言していたに違いない。

 国を守るため。国民の平和な日常を守るため。そのためならば、少数の個人の人権を踏み躙ることすらも、「必要悪」として正当化してしまう。それこそが、国家という名の巨大な暴力装置を動かす者の、逃れることのできない業(ごう)なのだから。

 その、あまりにも苦い自己分析が、彼の心を蝕んでいた。

 

 コンコン。

 静かなノックの音に、黒田はゆっくりと顔を上げた。

「……入れ」

 重厚な防音扉が滑るように開き、黒いIAROの制服に身を包んだ一人の青年が、入ってきた。神崎勇気だった。

「……勇気君か。時間通りだな。まあ、座りたまえ」

「失礼します」

 勇気は、黒田の対面に置かれたソファに深く腰を下ろした。彼のその静かな瞳が、モニターに映し出された『プロジェクト・キメラ』の文字を捉える。

「……アメリカの、例の件ですか」

「ああ。君にも、情報は共有しておかねばならん」

 黒田は、報告書の要約を、感情を排した事務的な口調で説明し始めた。一人一人のアルターが、いかにして国家の「駒」へと変えられていくか。その冷徹な手口を。

 勇気は、ただ黙って、その報告を聞いていた。その表情からは、怒りも、悲しみも、何の感情も読み取ることはできない。

 全てを聞き終えた後、勇気は、少しだけ困ったように、しかしどこまでも静かな声で言った。

 

「……うーん。でも、アメリカ政府って、別に悪いことをしてるわけじゃないですよねぇ?」

 

 その、あまりにも予想外の、そしてあまりにも的を射た感想。

 黒田は、一瞬、言葉に詰まった。

 

「悪いこと、ではないと?」

「ええ」

 勇気は、続けた。

「だって、彼らはちゃんと対象者に『選択肢』を与えている。無理やり攫ってきて、洗脳して兵士にしてるわけじゃない。過去の罪をチャラにしてあげたり、莫大なお金を払ったり、その力を正しく使える場所を与えてあげたり。……まあ、もう片方の選択肢が地獄行きだっていうのは、ちょっとやり方が汚いとは思いますけど。でも、これって、俺たちが普段やってる『スカウト』と、本質的には同じじゃないですか?」

「『あなたのその類稀なる才能を、ぜひ我が社で活かしてみませんか? 最高の待遇を用意します』って。やってることは、ヘッドハンティングと同じですよ。ただ、その規模が国家レベルになっただけで」

 

 その、あまりにもドライで、あまりにも本質的な分析。

 黒田は、ぐっと唇を噛み締めた。

 この青年は、5年間で確かに変わった。もはや、ただの心優しき少年ではない。彼は、神々のゲーム盤の上で戦い続けるうちに、人間社会のあらゆる建前や綺麗事を、その根源から見透かすようになってしまっていた。

「……だが、それは詭弁だ。彼らは、人の弱みにつけ込んでいる。それは、許されざる……」

 

 黒田が、そう反論しかけた、まさにその瞬間だった。

 執務室の空気が、ふわりと密度を変えた。

 蛍光灯の光が、夕焼けのような温かい黄金色へと変わっていく。

 黒田と勇気は、顔を見合わせた。そして、どちらからともなく、ふっと息を吐いて、その気配の主へと視線を向けた。

 彼らの目の前、何もない空間から、あの白い和装をまとった穏やかな老人が、音もなく姿を現していた。

 

『うむ。勇気の言う通りじゃな』

 

 スキル神。

 その、あまりにも超越的な、しかしあまりにも自然な登場。彼は空中にふわりと腰を下ろすと、まるで最初からその会話に参加していたかのように、実に自然に口を挟んだ。

 

『政治家としては、真っ当な考えじゃろう。むしろ、遅いくらいじゃ。……本人も、そう言うておったがのう』

 

 その、こともなげに付け加えられた一言。

 黒田の、その疲れ切っていたはずの瞳が、驚愕に見開かれた。

 

「……本人も、そう言っていた、と?」

 彼は、震える声で問い返した。

「……まさか、貴方は……。ホワイトハウスの、あのオーバルオフィスでの大統領の独白を……聞いていたとでも、言うのですか?」

 

 その問いに、スキル神は、まるで「今日の天気は良いのう」とでも言うかのような、実に穏やかな表情で、にこりと頷いた。

 

『ほほほ。それはもう。全世界のありとあらゆる事象は、常にワシの耳に入れておるよ』

 

 その、絶対的な肯定。

 黒田は、もはや怒りを通り越して、深い、深い虚脱感に襲われた。

 当たり前のように、アメリカ政府の最高機密を盗聴している。

 この存在の前では、国家の主権も、諜報活動も、全てが子供のままごとに過ぎない。

 

『前にも、言うたはずじゃがのう。ワシは、どこにでもいて、どこにでもいないのじゃ。お主たちが交わす言葉も、胸に秘めた想いも、全てはこの時間の川を流れるさざ波の一つ。ワシにとっては、全て等しく聞こえておるよ』

 

 スキル神は、そう言うと、悪戯っぽく黒田を見つめた。

 その視線は、こう言っているようだった。「お主が、心の奥底で『自分も同じことをしただろう』と考えておったことも、もちろん聞こえておったぞ」と。

 黒田は、何も言い返せなかった。ただ、額に滲む冷や汗を手の甲で拭うだけだった。

 

『それより』と、スキル神は話題を変えた。その声には、純粋な好奇心の色が宿っていた。

『日本でも、始めるべきじゃないかのう? その、『プロジェクト・キメラ』とやらを』

『どうじゃ、黒田よ?』

 

 その、悪魔の囁き。

 黒田は、一瞬、息を飲んだ。

 だが、彼はもう動揺しなかった。彼は、この問いが来ることを、心のどこかで予測していたからだ。

 彼は、ゆっくりと首を横に振った。

 

「……いえ。その考えは、ありません」

「ほう。なぜじゃ?」

「……正直に申し上げれば、その選択肢も考えました。ですが」

 黒田は、隣に座る勇気の顔を一瞥した。そして、少しだけ気まずそうに、しかしきっぱりとした口調で言った。

「……勇気君一人のほうが、強いし、効率が良いのですよ」

 

 その、あまりにも身も蓋もない、しかし絶対的な真実。

 勇気は、それを聞いて、少しだけ困ったように、しかしどこか納得したように、苦笑いを浮かべた。

 

「……本人がいる場所で言うことじゃないですけどね」

 黒田は、そう前置きして続けた。

「アメリカがやっていることは、いわば大量の兵士を一人一人徴兵し、訓練し、部隊を編成するようなものです。それには、莫大なコストと時間がかかる。そして、その兵士たちが、必ずしも忠誠を誓い続けるとは限らない。裏切りのリスクも、常に付きまといます」

「ですが、我々には彼がいる」

 彼は、勇気を示した。

「彼のスキル、【万能者の器】。これさえあれば、我々はどんなに優秀なアルターを見つけてきても、その能力を『コピー』させ、彼一人に集約させることができる。……その方が、遥かにコストパフォーマンスが良い」

 

 その、あまりにも合理的で、あまりにも冷徹な戦略。

 それは、人間を「コスト」と「パフォーマンス」でしか見ていないという点において、アメリカのやり口と何ら変わらないのかもしれない。

 だが、そこには黒田なりの、この国を守るための、苦渋の最適解があった。

 

『……ふむ。それは、そうじゃのう』

 スキル神は、あっさりとその論理の正しさを認めた。

『確かに、効率だけを考えれば、それが最善手じゃ。……じゃが』

 スキル神の、その星々を湛えた瞳が、ふっと鋭い光を宿した。

 

『勇気君ばかりに頼ると、後が困るぞい?』

 

 その、静かな、しかし重い警告。

 黒田の心臓が、どきりと跳ねた。

 

『全ての卵を、一つの籠に盛る。……それは、あまりにも脆い戦略じゃ。その籠が、もし壊れてしまったら? ……あるいは、その籠自身が、自らの意志でどこかへ飛んでいってしまったら? ……お主たちは、どうするつもりじゃ?』

 

 その問いは、黒田が、そしてIAROの誰もが、心の最も深い場所に封印してきた、最大の悪夢だった。

 もし、神崎勇気が死んだら?

 もし、神崎勇気が、人類を裏切ったら?

 その時、この国の、いや世界の秩序は、どうなるのか。

 

「…………確かに、そうなんですがね……」

 

 黒田は、それ以上言葉を続けることができなかった。

 それは、彼にも答えの出ない、問いだった。

 執務室は、再び重い沈黙に包まれた。

 ただ、湯呑から立ち上る深緑色の湯気だけが、まるでこの世界の不確かな未来そのもののように、静かに、そして頼りなげに揺らめいていた。

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