その理由が分かる、本編よりもコメディ色の強いお話となっております。
※コミックマーケット104にて頒布した小説本「Crescent Moon Edition」に収録したお話になります。
学園のチャイムが鳴る。それは歓喜の音だ。
起立。先生、生徒共に礼をする。
「ごきげんよう」
お上品な挨拶で授業を締めくくる。
午前の授業が終わったのだ。これで本日の学業も終わり。
3学期も終盤。礼園女学院も卒業シーズンを迎え、午後は卒業式のリハーサルがあり、在校生はこれで解放されるのだ。
クラスメイトのお嬢様たちは、○○へ海外旅行に行くの、某有名企業の取締役とその御曹司たちが集まる社交場に参加するの、高級家具・車・別荘を買ってもらう予定なの、と各々の春休みについて会話に花を咲かせている。特権階級と呼ばれる学生たちは、それが非日常の出来事とは露知らず、実に平坦なトーンで話すのだ。
日本で3%にも満たない超富裕層のご息女たちが通う学園。
それだけでも異常なのに、さらに希有な存在がいた。
「久遠寺さん、春休みはどうされるのですか?」
既にコートを羽織っていた有珠に、クラスメイトのひとりが声をかける。
有珠はあごに手を当て少し考えた後、
「教会との折衝、研究、研究材料の調達、かしら」
あながち間違いではないし、嘘も言っていない。話すことが得意ではない有珠からすれば、及第点と言ったところか。それでも周りと
比べてなんとまあ地味な春休みであろうか。
しかし。
「教会の人とどんな交渉ごとを? 有珠さん、宗教活動されているの?」
「何の研究をなさっているの? 科学? 物理? もしかして医学系ですか?」
「やはり久遠寺さんはイギリスが母国だけあって個性的で素敵ですわー」
周りは意外にも食い付いている。
詰め寄るクラスメイトたちに帰り辛くなってしまった有珠だったが、この後のミッションを考えるとそうも言っていられない。ここは正直に言うしかない。
「ごめんなさい。これから三咲高校へ行かないといけないの。だから」
それがまずかった。
「え! あそこって共学ですわよね! 彼氏! 彼氏ですの?」
「殿方に興味ないって以前仰っていたのに、いつの間に!」
「出会いを聞かせください。どうやって出会ったんですか?」
「久遠寺さん、彼氏できちゃったんですか……そんな~」
おかげでますます包囲されてしまった。
「ち、違うわ。三咲高校の生徒会長と約束をしているのよ。ちなみに、生徒会長は女子だから」
それを聞いて少しだけ身を引くクラスメイトたち。
「なんだー。焦りましたね、皆さん」
皆が何に焦っていたのか、その理由は千差万別のことだろう。
有珠もこれでこの場を去れると鞄を持つ。
「他校の生徒会長とお知り合いなんてさすがですね。差し支えなければどんなお約束をされているのですか?」
「男子生徒と一緒に帰ってほしいと頼まれているの………あっ」
咄嗟に口を塞ぐも遅い。
説明しよう。有珠は基本正直なので魔術関係を除き、人に聞かれると何でも話してしまう癖があるのだ。これはロビンも常々心配しているのだが、一向に治る気配は無いようだ。
「彼氏候補!?」
「デートですの!?」
皆の詰め寄り具合がピークに達するも、有珠は遅れてしまうのでごめんなさいと颯爽と障害物を躱し、教室の扉へ。
「では、ごきげんよう」
扉が静かに閉まると、教室内からは黄色い声が鳴り響いた。
明日は学校を休むべきかしらと不安になりながら、彼女はようやく学園を出ることができたのだ。
◇
三咲高校に着いたのはそれから1時間後のことだ。
そろそろ空腹を感じる頃であったが、昼食にありつけるのはまだ先のことになりそうだ。
果たして青子はうまくやっているだろうか。
校門の前で棒立ちをして待つ有珠。
三咲高校も午前中で授業は終わりらしく、続々と生徒が校門から吐き出されていくのだが、有珠は彼らの注目の的だった。
礼園女学院の制服に有珠の容姿である。
しかし、彼女は自分が注目されていることなどまったく気がつかない。
意識すべきは高校の外だ。不審な人物が周りにいないかに神経を注いでいた。
自然と表情は固く強ばってしまうので、ますます彼女に声をかけられる者などいない。
そんな中、親切にも彼女にちょっかいをかける人物が現れた。
「どうしました? うちの生徒に何か用事でも?」
有珠は顔を上げると、そこには眼鏡をかけたスーツ姿の男性が立っていた。
「怪しいものじゃあないですよ。こう見えても僕はここの先生でね」
にこりと笑った顔は、まるでどこかの人畜無害なやつと被って見えた。
「山城と言います。あなたは? 礼園女学院の生徒だよね?」
有珠は一礼する。
「久遠寺です。こちらの生徒会長蒼崎さんと待ち合わせをしていまして」
「蒼崎君と? 彼女なら卒業式のリハーサルが始まるから今、忙しいと思うけれど」
立って待っているのもあれなんで良かったら校舎内へどうぞ、と山城は有珠を誘う。
一度は断ったのだが、
「余計なお世話かもしれないけど、もう少し自分を客観視したほうが良いよ。久遠寺さんだっけ。君、目立ち過ぎるから」
と笑われながら指摘を受けた。
来客用のスリッパを借りて、有珠は校舎内を案内される。
「いやー、蒼崎君の交友関係には驚かされるばかりだよ」
山城先生が先導し、校舎内の1階を歩く。
「こんなお上品な生徒さんと知り合いだなんて、類は友を呼ぶってことわざは嘘になってしまうよね、あはは」
きっとこの先生は余計な一言でよく青子を怒らせているのでしょうねと有珠は思いながら彼の話を黙って聞いていた。
しばらく歩くと、階段から降りて来るひとりの生徒と出くわす。
「おわっ! 礼園の制服じゃん!」
と開口一番驚きながら有珠をまじまじと眺める失礼な男子生徒は、草十郎のクラスメイトである木乃美芳助だった。
「山城先生、礼園女学院のお嬢様じゃないすか、もしかして転校してくるんすか?」
「違うよ、木乃美君。蒼崎君のお客さんなんだ」
「なーんだ。まあそうだよな、礼園女子がうちに来るわけないもんな。……俺が案内しましょうか?」
「うーん、……いいかな」
この木乃美という男、だいぶ信用されていないようだ。
「えー、先生これから卒業式のリハでしょ。忙しくないんすか?」
「蒼崎君、きっと体育館でしょ。リハーサルも体育館だし。ついでだから大丈夫だよ」
「生徒会長ならさっきまで教室にいましたけど。リハだか知らないけど、あいつ校内中走り回ってますよ」
山城は頭をポリポリとかく。
「そうなの? 困ったなー。うーん……。久遠寺さんだったよね。悪いんだけど、2年の教室で待ってて貰えるかな。会議室はリハーサルをやるせいで町の関係者で埋まってるし、他校さんの生徒を職員室に入れる訳にもいかないし。木乃美君、やっぱり案内頼むよ」
「あいあいさー!」
芳助の元気な返事に一抹の不安を覚える。
「頼むよ、本当に。僕は念のため体育館を観てくるよ。蒼崎君を見つけたら教室へ行くよう伝えるから」
「あいあいさー!」
山城はため息をつくと、じゃあと手を上げ分かれた。
芳助は早速有珠に向き直ると姿勢を正す。
「俺、2年C組の木乃美芳助。あらためてよろしく!」
白い歯を見せながら手をしゅたっと上げる。
「芳助でいいからさ」
「久遠寺有珠よ。忙しいところごめんなさい。木乃美君、早速だけど教室へ案内してくれるかしら」
「ああ、いいぜ」
芳助というタフガイの実力はこんなものではない。何事も無かったかのように、ついさっき下ってきた階段を今度は元気よく上がっていく。
「ってか何年生? 俺らとタメかい?」
「2年生だから同じ年齢になるわね」
「そっかー、ならもう少し砕けて有珠ちゃんって呼んでもいいかな?」
「駄目よ」
と間髪入れず否定される。
この冷酷さ、どこかで味わったことあるよなーとしか感じない彼はやっぱり残念なタフ男である。
「それにしてもうちの生徒会長と知り合いだなんてどういう関係? お友達?」
「青子とは友達ではなく、パートナーと呼んだほうが正しいわね」
「パートナー!? ど、どういうご関係で?」
芳助が何に動揺しているのか有珠には理解できなかったが、さして問題もないので反応しないでおくことにする。これ以上質問をされても面倒だ。
「芳助遅いわよ、どこ行ってたの? もう私先に帰るけど」
女性の声がして顔を向けると、そこには小柄な生徒がいた。
「ごめんな、久万梨。ジュース買いに行く途中で礼園のお嬢様と運命的な出会いがあったもんでな!」
「うわっ、マジじゃない。どうしたのよ」
ハイテンションな芳助の後ろにはお人形のような礼園女学院の生徒が佇んでいる様子を見て、まるで不思議の国のアリスねと久万梨は思った。そして、このままでは嫌な予感しかしない。
(帰って勉強したかったけど、仕方ないか)
「どうも、久万梨です」
「はじめまして、久遠寺です」
ぺこりと挨拶する久万梨の隣へ芳助が並ぶ。
「俺と同じクラスなんだよ、怒らせると蒼崎の次に怖い。気をつけて」
「あんた以外には普段怒ってないんだけど」
「そうなの!?」
「で、なんであんたが久遠寺さんを連れだってるのよ」
手をぽんと叩くと、自分の使命を思い出したようだ。
「そうそう、蒼崎の知り合いらしくてさ、今日会う約束をしてるんだと。山城が蒼崎を探している間、教室で待つよう俺を案内係に任命したってわけさ」
ははっと笑う芳助。
(あんたは藁なのね)
久万梨は芳助をどかすと有珠に向き直る。
「青子の知り合いで礼園女学院の生徒……。久遠寺さんってもしかして青子の同居人?」
「ええ、そう」
「やっぱり。そっかそっか。前から青子から聞いてたの。会えて良かったわ」
(同居のことを話しているということは、この子のこと信頼しているということね)
「青子はどんな風に言っていたの?」
まさか魔術の話までしているわけではないだろう。疑っているわけではなく、興味本位で聞いてみる。
「イギリス生まれで紅茶にこだわりがある(うるさい)から、高級なティーカップで美味しい紅茶が一緒に飲めるのが同居のメリットだって言ってたわ。あと、久遠寺さんが冷蔵庫に残していたショートケーキを食べたら以前戦争になりかけたとか」
有珠は特段否定しなかった。
「青子が大げさに話しただけなのね。久遠寺さんって想像しいていたよりもずっとお上品だしお淑やかよね」
「そんなことないわ。青子の言っていることは事実だし」
「またまた謙遜しなくて良いのに。久遠寺さんは広いお庭で小鳥たちと戯れてるイメージね」
久万梨よ。それは合っているようでまったくの間違いだ。目の前にいる彼女は、小鳥に平気でおしおきを執行する冷徹無慈悲な古来の魔女なのだ。
「なーなー、そろそろ教室へ行こうぜ。廊下で立ち話もなんだし」
仲間外れになった芳助が痺れを切らし、先へと急かす。
3人は2年C組の教室へ入ると、中で青子を待つことにした。
他の生徒はすでに帰っていたので、3人は適当な椅子に座った。
「礼園と比べるとボロいっしょ」
「いいえ、大して変わらないわ」
「へー意外だな。てっきり設備は全部新しくて綺麗なんだと思ってたわ」
「立派だと言えるのは、厳格な規律と校風ね。あとは普通だと思ってる」
「でも、こんなやつはさすがにいないでしょ?」
久万梨は芳助を指さす。
「……いないわね。騒がしい人たちはいるけれど」
有珠は先ほどのクラスメイトたちを思い出す。
「ちっちっち。久万梨、お前は分かってない。礼園は女子校なんだよ。もう男子ってだけで希少価値が高いわけ。だから俺みたいな
やついるわけないだろう」
「何言ってんのかよく分からないけど、そっか、女子校だったわね。それじゃあ、久遠寺さんはこんな風に男子と話すのって珍しいことになるのかしら?」
「いえ、男子とはど……」
有珠はすんでのところで口をつぐむ。どうやら先ほどの経験が活きたらしい。
草十郎と同居していることはここで言わない方が良いだろうと有珠は判断した。だが、嘘は良くない。
「最近、男の子とはよく話すようになったわ」
「ええっ!? 有珠ちゃん、まさか彼氏いんの!」
どさくさに紛れる策士、芳助。
「いえ、彼氏ではなくて、お友達かしら」
冷静な顔で返事をする有珠に照れなどは一切ない。だから普段、青子とどうコミュニケーションを取っているのか想像が付かない久万梨。
「なんだー、なら良かったー」
「あんたは黙ってなさいってば。ところで青子って家でもあんな感じなのかな?」
抽象的な表現でも有珠にはぴんときたようだ。
「ええ。いつでもどこでも全力の限りを尽くしているわ」
久万梨は、はじめて有珠の微笑む顔を拝むことができたと何だか得した気分になる。
「ええっ、あいつと同居してんの!?」
「さっき言ったじゃない」
「だっけ? なるほどな。だからパートナーなのね。でも良く耐えられるよなー。俺なら一日と持たない気がする」
想像しただけで地獄……とつぶやき、慌てて周りを見渡す芳助は大物なのか小物なのか。
「木乃美君の言うとおり、最初は私も耐えられなかったわね」
意外にも有珠がこの話題に乗ってきたので久万梨は驚いた。
「私はあまり話すほうでは無いから、自己主張の激しいタイプは苦手だったわね。掃除やお風呂、電気の使い方、テレビの見方ひとつとっても何でも口出しをしてきたの。喧嘩は毎晩絶えなかったわね。あわや殺し合いになりかけたりもしたわ」
有珠から物騒な言葉が出ると芳助は喜んだ。
「あははっ、想像通りだわ。そりゃ息苦しくなるわなー」
「でも、ある時に気がついたのよ。同居を始めてまだお互い料理もおぼつかない頃、青子がカレーを作ったのだけど、焦がしてしまったみたいで。そうしたら、すぐに家を出て行ってしまったわ。ふて腐れてしまったのかと思ったら、スーパーの袋を掲げて汗だくで帰ってきた。カレーの材料をまた買いに行っていたのね。帰るや否やカレーをまた作り始めた。そして、2つのカレー鍋ができあがったのよ。青子は焦がしたカレーを食べて、私には絶対に焦がしたほうを食べさせてはくれなかったわ。そこで思ったの。他人に厳しいのは確かにそうだけれど、それよりもずっと自分に厳しいんだってことに。それからね、私からも少しずつだけれど青子に歩み寄っていったのは。今でも喧嘩はするけれど、心底憎いなんてことは無くなったわね」
「「………………」」
悔しいと感じてしまうほどめっちゃ良いエピソードじゃん、と久万梨。
空気の読めない芳助のことだ、きっと「蒼崎のカレー俺も食べたいからリクエストすんべ。あっ、もちろん焦げてないやつで!」とか言う
に違いない。
隣を見ると、芳助が涙ぐんでいた。
「良い話じゃんかー。なんだよ、蒼崎も良心あんのね」
ぐすりとする彼に気持ち悪いのよと言えるわけもない。理解はできるからだ。
「青子の友達として久遠寺さんが羨ましいわ。親友だとは思っているけど、青子のプライベートまでは知らないから」
隠し事が多いのは仕方あるまい。
「久万梨さんみたいなお友達がいれば学校生活も楽しいでしょうね」
そう言ってもらえて久万梨も嬉しそうだ。案外2人は気が合うようだ。そして、それは当然かもしれない。あの青子に振り回されているという意味では分かち合えることがあるのだから。
「あれ、おでは?」
鼻をすすりながら置いてきぼりにされていることに気がついた芳助。
「たのもー」
ガラガラっと勢い良く開く扉。
オールバックに決めた男子がずかずかと入ってくる。
「お前まだ居たのか、久万梨も。今日のリハは出なくて良いって言っただろうに」
「よー殿下!」
「芳助に春休み中のうちのバイトヘルプを相談してたら遅くなっちゃって」
「そうだったのか。あー、久万梨、例の勉強会はもうちっと待てくれな。卒業式が終われば俺も少しは…………って、礼園の学生さんがなんでここにいるんだよ! ……しかも、久遠寺んとこの有珠嬢じゃねえか!」
有珠も面識があるのか軽く会釈する。
「殿下、知り合いなの? でも待って待って。俺のほうが先だからね。さっき運命的な」
もうしゃべるなとグーで芳助の顔面を小突いた久万梨は、有珠のいきさつを鳶丸に話した。
話を聞き終わった鳶丸は腕を組み、ひとつ頷いた。
「なるほどな。青子に用事で。実は俺も同じなんだがな」
「青子を探してるの?」
「ああ、リハーサルの件、詰めないといけなくてな。でもあいつ、動き回ってるようで一応教室にも足を運んでみたってわけだ」
「鳶丸も知らないんじゃ誰かに捕まってるのかしら。久遠寺さんは時間大丈夫なの?」
(青子まだ準備が終わっていないのね)
「ええ。あの、お手洗いを借りたいのだけど」
「教室を出て左よ、案内するわ」
「大丈夫よ。ありがとう」
有珠は機敏な動きで立ち上がると、すぐに教室を出て行った。
「殿下さー、有珠ちゃんが蒼崎の知り合いって聞いても驚かないのね。どして?」
「驚くも何も2人が同じ屋根の下で暮らしてることまで前から知っていたからな。三咲町の伝播速度を舐めるなよ。それにお互い名の知れた家柄だからな。親父に連れられて行った会合で何度か挨拶し合ってるから会うのも初めてじゃねーしな。さすがに教室に居たのは驚いたが」
「なるほどなー。良いなー、俺も金持ちになれば有珠ちゃんと頻繁に会えんのね」
「お偉い方の集いなんぞ、そんな良いもんじゃねえぞ。私利私欲、策謀、駆け引き、だまし合い。なんでもござれの世界だかんな」
鳶丸は苦虫を潰したような顔をする。
「俺も策士だし大丈夫っしょ。この減らず口ひとつで渡り歩ける自信あるし」
「芳助は逆に何も考えないで飛び込んだほうが強いと思うけどね」
「違いねえ」
「なんだよそれー」
放課後も放課後。にも関わらず、笑いが絶えない教室では至って日常が流れている。
がらがらと優しく扉が開かれる。
「鳶丸、頼まれたものはすべて終わったぞ。次は何をすれば良いんだ?」
労働終わりとは思えない爽やかな笑顔で草十郎がやって来た。
「悪い、草の字。つい談笑しちまった。残りは俺がやるからもう帰って大丈夫だ」
何も鳶丸から頼んだわけではない。忙しなく動き回る鳶丸を見て、草十郎のほうから手伝うよと申し出をしたまでだった。損得感情を抜きにした間柄なのである。鳶丸からすれば、それは大変希有な人間関係だった。
「そうなのか。遠慮しなくていいのにな」
少しだけ残念そうに肩を落とす草十郎を、俺よりも余程生徒会への適正があるんだよなと鳶丸は感心しながらも笑ってしまう。
「なら、俺よりも蒼崎を手伝ってやってくれ。どこに居るのか分からんが、今日はあいにく俺よりも忙しいらしい」
「蒼崎か。……うーん。それは困ったな」
「意外だな。喧嘩でもしたのか?」
「そんなんじゃないよ」
「はははっ、顔に書いてるぞ」
「なになに、草ちゃん、生徒会長とバトってんの?」
芳助は新たなネタの提供に喜びを隠せない。
「面白がるのはやめなさいってば。それで、静希君は青子を怒らせたりでもしたの?」
「怒ってはいるだろうな。原因も俺だ」
「なら謝れば良いんじゃないの?」
「そうなんだが、今は極力会いたくないんだ」
どして?と聞かれて草十郎はひどく困った。
「久万梨よ、お前それは野暮ってもんだぜ。男にはな、どうしても退けない時があんだよ。なっ草ちゃん。いくら相手が鬼の生徒会長とはいえ、そこは戦うべきなんだって」
「そう思うなら加勢してあげなさいよ」
「えー。それとこれとは話が別じゃん? 応援はするけど……」
過去のトラウマで芳助は青子に刃向かうができない身体にされているらしい。
「まっ、痴話喧嘩に口出しこそ野暮ってもんさ。話したくないのなら仕方が無いな。じゃあ、最後の頼みだ。蒼崎がどこに居るのか知ってたら教えてくれないか?」
「ああ、そんなことか。蒼崎なら校庭にいるぞ」
「は?」
卒業式のリハーサル準備なのだからてっきり校内に居ると思い込んでいた。鳶丸は窓から下を覗くと、遠くにやつが見えた。
「何してんだ、あいつ」
校庭の隅でしゃがみ込み、てきぱきと何かをこなしているらしかった。体育祭の前日か。
「ったくー。卒業生に行進でもさせるつもりかよ。じゃあ、俺は行くわ。草十郎、ありがとよ。お前らもそろそろ帰れ」
鳶丸が教室を離れようとした時、ちょうどそこへ有珠が戻ってきた。
「遅かったな。蒼崎なら校庭にいるぞ。一緒に行くか?」
「さっき偶然会って話せたから大丈夫」
「あいつ、校内にも居たのか? まあ、会えたんなら良かったよ」
芳助がいつの間にか有珠の隣へ。
「草ちゃん、紹介しよう。俺のお友達、有珠ちゃんだ」
「……なんで有珠がここに?」
今、草十郎の口からとても信じられない言葉が飛び出さなかったか。芳助は固まる。
「まさか草ちゃんも知り合いなの!?」
「ああ、うん、よく知ってる」
「しかも呼び捨てだったしー!」
しかし、悲しいかな。芳助の嘆きを拾ってくれる者はいない。
有珠が草十郎に歩み寄るも、草十郎は何だか気まずい様子だ。
「あなたを捕まえに来たわけではないわ。青子に急な用事ができたのよ」
「蒼崎に。そうだったのか」
「ええ。でも、もう用事は済んだから。草十郎君も用は済んだようね。それじゃあ、一緒に帰りましょう」
「あっ、ああ。分かった」
有珠が三咲高校に居たこともそうだが、それ以上に帰りのお誘いをしてきたことのほうが驚きだ。
「えーなになに、俺も一緒に帰るぞー」
芳助が2人の間に割って入るも鳶丸に一蹴される。
「お前勘違いしてるぞ。本当に一緒の家に帰るんだよ」
今度こそ芳助の開いた口が塞がらなかった。まるで黒い影で覆われたかのように、彼から陽気なオーラが消え失せた。
そして驚愕したのは彼だけではない。
「久遠寺さんと一緒に住んでいるってことは……青子とも一緒に住んでいるってこと!?」
久万梨も大差なかった。そして、その後ろで芳助が確かにそうなるなと納得し、すぐに俺も気がついていたんだよと頷く姿を誰も見てはいなかった。
「ああ。3人で住んでるぞ」
それがどうかしたのか?とでも言うように、そこに後ろめたさも迷いもない。だからこそ逆にもどかしい。怒りや嫉妬、羞恥心、悲哀、どれとも表現に似つかわしくない、けれども確実にマイナスな感情を2人は抱いてしまった。
「そこに座りなさい」「そこに座れ」
久万梨と芳助が無駄にシンクロする。
流れで有珠も草十郎の隣へと座らされる。
「こ、高校生という成長期の大事な時期に、健康な男女がひとつ屋根の下という環境は、不健全きわまりないと思うのよ。これは身体への毒だと思うの。学生の本分は勉学よ。恋愛は邪魔。……やっぱ今のは無しにして。でも、同棲は別よ。即刻改善すべきなんだからね」
「そうだ、そうだ。男1人、女2人の両手に花みたいな漫画のような世界、俺はうらやましい……じゃなかった、不健全過ぎるぞ。そんな生活してて何も起こらないわけないだろう。もう既にやってるんじゃないのか。脱衣所で偶然裸を見てしまったなんていうエピソードがさー!」
草十郎は頭を傾けるし、有珠はぽかんとしている。あいにくと草十郎も有珠もこの手の話題にはついていけないのだ。ここに青子でもいれば反応は違ったのかもしれないが、残念なことに彼女は現在、校庭で絶賛謎の内職中だ。
「反応が無いのは肯定と捉えるけど良いんだな? はっ、まさか、お前ら……、それ以上のことをしてんじゃないだろうなー! なあ、久万梨、どうするよ!」
「なんでここで私に振んのよ!」
「エッチなことは駄目よってさっき言ってたじゃんか!」
「そこまでは言ってないってば!」
久万梨は赤面しながらも否定する。
「そういえば」
有珠はハッとして、口に手を当てながら何かを思い出したようだ。
「草十郎君の裸(の上半身)はもう見てるわ」
「やっぱりじゃんか!」
そして、一歩身を引いていた鳶丸が頭を抱えている。
「お前らなー。いい加減にしろよ。少なくとも男サイドはあの草の字だぞ。女子(おなご)のことなんて男子よりも髪が長い人間としか認識してないわけだ。この世に性別なぞ無くてトイレと温泉が分かれているのは運動会の赤組と白組に分けられるのと同レベルだと考えてるんだからな」
草十郎はきっとまた自分のことを馬鹿にしてるんだなと鳶丸をジト目でにらんでいる。
「草ちゃんだっていつ男の性が目覚めるか分かんないじゃんか。これは最強の環境ぞ。殿下がそんな冷静でいられるのはどうせ随分前からこの件も知ってたんだろう?」
「ああ、知ってたよ。ただし、今回は草の字から直接な」
「私は青子から何も聞いてなかったわ。友達なのに……」
「蒼崎ならこうやって面倒な噂が立つと理解していたからだろう。そもそも生徒会長だしメンツもある。だから気にすんな。俺はな、こいつが心配だから結果的に知ってしまったってだけだぜ。あまりにも世間知らずだから一体どんなひとり暮らしをしてるのか気になってな。まさか動物的な生活してるなら見直してやらないといけない。そう思えるほど転校当初は非常識だったからな」
確かに、とこの場の全員が納得してしまった。
「そして同居していることを知った。もちろん経緯なぞは知らんがな。ただ、俺としては蒼崎だろうが久遠寺嬢だろうが、草の字が誰かと共同生活を送ってくれているほうが安心できるってもんだ。だから深掘りはせんさ。なもんで、まあ良い機会だ。久遠寺よ、草の字をこれからもよろしく頼む」
鳶丸が珍しく頭を下げる。
有珠の無機質な表情は変わらない。
だが、
「頼まれなくても、しばらく面倒は見るつもりでいるわ。案外男手が居ると便利なのよ」
「そうか。なら安心だぜ」
鳶丸の屈託の無い笑顔もあって、何だか攻めれない雰囲気になってしまったなと、幼なじみの芳助と久万梨。
そこへ勢い良く扉が開かれた。
「有珠、まだ居たの!?」
ついに鬼の生徒会長のお出ましだ。
「もう帰るつもりだったわ」
有珠は立ち上がると、支度をし始めた。さっきの話は別として、やはり青子に小言を言われるのはつまらないのだろう。
「まったく。状況を理解してほしいわね」
有珠が顔を上げる。
「何ですって。そもそもあなたが約束の時間に居なかったのが原因でしょう。早々に会えていればここに私は居ないわ」
「仕方ないじゃない。リハーサルもあって忙しいのよ」
ここは同居人である草十郎の番だろう。誰しもがそう思った。
「まあまあ2人とも。続きは帰ってからでも良いんじゃないか。今日はバイトも無いし、俺が夕飯を作るぞ。何かリクエストはあるか?」
青子と有珠は草十郎を睨みつける。なかなかの重圧だ。
「誰のせいだと思ってんのよ。天然ばか。キムチ鍋で」
「自覚が無いところは直したほうがいいわね。おでんが良いわ」
「……それじゃあ、どっちも作るよ」
またバイト代が消えていく。とほほ。草十郎が泣いていた。
外野の3人は、これが丘の上の屋敷の現実なのだと、所詮現実なのだと知った。
ようやく帰り支度。
「青子。卒業式頑張って」
「ありがとっ。春休み遊びましょ。また連絡するわね」
「殿下、草ちゃん。春休みに花見でもしようぜ。女の子も呼んでさ。有珠ちゃんもぜひ!」
「大所帯は疲れるから嫌だぜ。少人数で頼むぞ」
「あのお花見か。よし、場所取りとやらは俺に任せてくれ」
「考えておくわ」
「マジ!?」
青子と鳶丸を学校へ残し、4人は校門を出る。
「じゃあ、花見約束だぞ、2人とも絶対に来てくれよー」
「ああ。久万梨もまた。バイト先で」
「ええ、助かる。久遠寺さんもまたね」
久万梨は手の平をひらひらとさせ、芳助は両手をぶんぶんと振りながら帰って行った。
草十郎は有珠を見ると、彼女は周囲を警戒するように見回していた。
「どうかしたのか?」
「いえ、何でもないわ。帰りましょう」
草十郎と有珠、2人の初めての下校は、こんな風にして突然訪れたのだった。
◇
今回、一番誰が不幸だったのか。そんなこと言わなくても決まっている。
「蒼崎君、どこだ~い」
他校の生徒のため、一生懸命に青子を探し続ける山城先生がいた。
もう青子も鳶丸も体育館へ行き、リハーサルの打ち合わせを始めていた。
2年の教室に行っても誰もおらず、諦めて体育館に戻ったのはそれから20分後のことである。
先生がリハーサルに遅刻するとは何事ですかと教頭先生に怒られた山城先生は、教師の鏡である。
問題なのは、誰もその立派な行いがあったことを忘れて春休みに突入してしまったことにある。人生って報われないことばかりだよね、と春休み明けの生徒たちに、人生の教訓を教えてあげようと思った山城であった。