有珠の不機嫌な反応は一旦横に置いておき、青子は話を進めることにした。せっかく青子の案に乗ってくれたのだ。そろそろおふざけは止めて真剣に話し合ったほうが良さそうだと思うのは彼女にとって当然のことだろう。
「有珠ってホテルの宿泊経験多そうよね」
「外国ではあっても日本では無いわね。この屋敷があったから。青子はどうなの?」
「全然。1回も無いわ。ホテルに詳しいわけじゃないのよ。高級なホテルってどんなものかしら?」
あなたが言ったんでしょう、と有珠は文句を言う。
「だから有珠を頼ってるんじゃない」
当たり前のように青子は言う。
「はー。まあ、いいわ。そうね、高いか安いかという考えで泊まったことがないけれど、優劣ははっきりあった気がするわね。部屋の広さとか家具の質だったり、食事の美味しさは分かりやすいところかしら」
「なるほどね。見た目に違いはあった?」
「建物の外観だけだとそんなに違いは無いように思ったけど。階数が多いからといって高級なわけではないから。ただ、入った時にロビーの装飾の豪華さでだいたい判断できるわね。華やかさが違うもの」
「入ってみないと分からないってことか」
難しいわねと青子。
「そうね、…………ああ、分かりやすい点があったわ。高いホテルには玄関にドアマンが立っているのよ」
「あっ、映画でよく見るやつだ! 他にも荷物を部屋まで持って行ってくれるんでしょう」
「それはまた別のスタッフね。役割が明確に分かれているみたいよ。ドアマンはずっとドアマンを担っているわ」
「なるほど。ドアマンか、どこかで見たような……」
青子は記憶を辿るように天井を見つめる。
「そうだ、思い出した! 私、1回だけ行ったことあったわ。中学1年の時よ。姉貴が家出をしたから私が迎えに行ったのよね。その宿泊先が立派なホテルだったの。そこにドアマンが立っていたのよ。浜宮のニューヨークホテルよ」
「話を逸らして申し訳ないのだけれど、青子がお姉さんを迎えに行くってなかなか想像が付かないのだけど」
「まあ、そうよね。でも、私が魔術師になる前の話だからよ。それまではごく普通の姉妹仲だったのよ。姉貴も元々面倒見良かったから。ただ、姉貴と祖父はしょっちゅう喧嘩してたの。両親も祖父との関係は微妙な距離感だっし、私が大抵は仲裁役を担っていたわね。家出もその1回だけじゃ済まなかったし。祖父だって私に姉貴を迎えに行ってくれって毎回頼んできたのよ。私が迎えに行くのは必然だっただけね」
「その話を聞いても、まだお姉さんと仲が良かった頃の想像が難しいわね。それとあと1つだけ疑問があるのだけど、家出してたのになぜ青子が宿泊先を知っていたのかしら」
「それは私が手配してあげたからよ。あの頃姉貴まだ17歳だったし、親の許可が必要でしょ? 私が親のフリをして電話までしてあげたんだから」
「それ家出じゃないじゃない」
「姉貴だって毎度不貞腐れてただけだから。本気だったのは後に先にも姉貴から私に継承者が移った時だけだったわね。あとは有珠が知っての通りのお家騒動よ」
「なるほどね。それ以来今の関係に落ち着いたということかしら」
青子はため息をついた。
「魔法が絡んでるからあれだけど、よくよく考えると、どこにでもある後継者問題による仲違いよね。私も被害者のひとりなのに、いつの間にか加害者側というか姉貴が歪んだ原因?みたいな。私何もしてないのに。あー、なんか腹立ってきたわ」
青子はむしゃくしゃして頭をかいた。
「青子は悪くないわ。強いて言えば、あなたの器用さが生んだ悲劇だと考えるわ」
「それどういう意味? 褒めてんの?」
ガルルルルと今にも有珠に噛みつきかねない。
「そんなことよりホテルの話に戻りましょう」
「逃げたわね。まあいいわ。あのホテル、最近も遠目で何度か見かけたことあるから、今でもあるはず。当時の話ではあるけど、姉貴がたっかいホテルに泊まりたいって駄々をこねたから周辺のホテルを片っ端から探してあげたのよね。ニューヨークホテルが唯一の高級ホテルだったの。あれから4年も経ってはいるけど、他に高めのホテルは新たに建ってないはずよ。なぜって顔してるわね。腐っても私、生徒会長だもの。校内よりも校外のほうが付き合いが多かったりするのよ。だから、新参者の情報は求めてなくてもすぐにやって来るのよ。本当、一日24時間じゃ足りないくらいだわ。前借りしたいくらいよ」
「これも生徒会長様々ね」
浜宮は、三崎町と隣接している地域であり、高級住宅街が存在しているため財源も潤沢でおしゃれな飲食店やブランド店が少なくない。基本的には閑静な街でありつつも、抑えるべきところを抑えている利便性のある隙の無い場所である。
ソロモンの情報が無い以上、今は推測で動くしかあるまい。その確証を得るためにも明日、青子が偵察しに行くことになった。
「本当は顔の割れていない有珠が最適なんだけど」
「対面しているのは青子だけだから」
「仕方ないわね。そして、問題なのはむしろ……」
そう、草十郎の存在だ。何が問題かと言えば、卒業式はあれど明日から春休み。彼にはバイト三昧の日々が待っている。有珠邸から出るだけでもリスクがあるのに、一日中アルバイト先をハシゴとは目も当てられないだろう。
「サボタージュでいいでしょう」
有珠は平然とした態度で提言した。青子はこの家が非常識人の人口割合が多いことを思い出した。
「こらこら、これだからお嬢様は。社会に出た人間としてサボるのは人として駄目でしょ。ましてや、ああいう体力底知らずな奴が当欠した場合、その日の戦力は大幅減なの。大迷惑をかけること必須なんだから。そこのところよく覚えておきなさい」
珍しく有珠に説教めいた口調で言い放つと、当然じゃあどうすればいいのかという返しが来るので、代案を考えるしかないのだ。今日は青子が作戦を立てる立場にあるらしい。
「さっきの話をした時点でもう思い付いてたのよね。気は進まないけど……」
要はこうだ。
草十郎にこのままだと卒業は愚か進級もままならないことを伝える。そして、その状況を打破するために春休みは勉強漬けになってもらう。その代わり、青子と有珠、どちらかが毎日彼の勉強をサポートする。家庭教師と同居しているようなものだ。これで草十郎がソロモンに襲われる可能性は大幅減ることとなり、彼の学力も上がる見込みだ。まさに一石二鳥な策である。草十郎には酷なことを要求してしまうが、学力が追いついていないことは事実だしこの休みの間に稼ぐであろうお金と草十郎の命を天秤にかけることなどできない。魔女と魔法使いの多少の葛藤の上に、道筋はここに立てられた。
方針が決まれば、さあ、やることは1つ。
2人はすくと立ち上がると、居間を出る。暗く寒い廊下を黙って歩く。その表情は重くそして切ない。なのに、こうも足取りが軽いのはなぜなのか。
草十郎の部屋の前。優しいノック。
「草十郎君、有珠よ」
物音はしなかったが、割とすぐに扉が開いた。
「やあ」
そこには今にも頭が爆発してしまいそうな苦悶の草十郎が立っていた。机の上には教科書とノート、鉛筆が置いてある。まだ勉強を始めてから1時間も経っていないはずだが、早くも脳がパンクしそうになり頭を抱えていたところだったのだ。
「おっ、ちゃんとやってるじゃない、えらいえらい。苦戦してるみたいだけど」
お互いの部屋にお邪魔することは珍しいので、青子も有珠もキョロキョロと室内を目で物色する。
青子の部屋ほど物は置かれていないし、有珠の部屋ほど簡素でもない。中立で中途半端だっった。
人が自室に訪れた時の対応を知らず棒立ちをしている彼の横を2人はすり抜けると、失礼と一言だけ断って彼のベッドに腰掛ける。自分の部屋を持つこと自体初めての経験であるし、2人もそれは理解しているので特に何とも思っていないのだ。
それに習うように草十郎も椅子に座った。
「ひとりじゃ厳しい感じ?」
青子はゴールに向かうために優しく語りかける。
「あっ、ああ、そうだな。学校では鳶丸が面倒を見てくれているから復習が成り立っていたんだと痛感していたところだ」
「草十郎にさっきは言わなかったんだけどさ、実は危ないかもしれないって、進級……」
「!?」
「ギリギリまで悩んでいるみたいよ。私の予想では新学期が始まってすぐに個別で学力テストをさせられると思うわ。その結果次第では……あり得るわね」
青子は深刻さを伝えるため重たい表情で告げる。言いたくないことを言うかのように。
「ほ、本当、なのか……」
本当なのであれば、そんな重要事項、せめて春休み前に本人に通達されるであろうことは当然であるのにその異変に気がつかず、草十郎は頭を抱えるだけである。
その横で有珠は呆れていた。
(仕方ないとはいえ、よくもまあここまでつらつらと言えるものね。さすがだわ。草十郎君でしか通じないとは思うけど。そして、青子も楽しんでいる気がしてならないんだけど)
「蒼崎たちはそんな俺を笑いに来たのか?」
珍しく険のある表現をする草十郎の顔色は実に蒼白だ。
「違う。むしろ逆よ。明日から私と有珠が家庭教師をしてあげます」
「……そんなの良いのか? 貴重な春休みを」
「当たり前じゃない。同居人でしょう、私たち」
草十郎はその台詞を聞いて黙ってしまったのだが、彼のきらきらした目からは尊敬のまなざしであることは明白で、それに対して2人は若干の後ろめたさを感じたはものの、既に後には退けない状況なのだ。
「ありがとう。明日はアルバイトがあるから、早速明後日からお願いしてもいいかな?」
「あっ、それは却下。明日から新学期まで毎日だから」
「え……いや、蒼崎、明日は朝からアルバイトがあるんだ」
「そんな甘い考えで乗り越えられる壁だと思ってるの?」
ここで有珠も追随する。
「人の好意を無下にしないで欲しいものね」
「それでも、さすがに休むわけにはいかない」
すべてのアルバイトで無遅刻無欠席記録更新中の苦学生アルバイターだからこそ、ここだけはそう簡単に譲ることなどできない。
「あんたの本分を思い出しなさい。学生なのだからお金よりも勉学を優先するべきよ」
「それは理解しているつもりだ。しかし、俺に学が無いからと言って、お世話になっている人たちに迷惑をかけるのは違うだろう」
草十郎も引かない。正義をぶつけてくる。しかし、今彼の目に前にいる人物は鬼の生徒会長なのだ。
「こういう時にあなたの徳を使うのよ。どうせ草十郎は溜めるばっかで使ったことないでしょう。この社会は持ちつ持たれつの世界だから、それが一方的なものだと必ずいつか崩れるはずよ。そう出来てるのよ。だから、精算すべきは今しかない」
草十郎の頭の上にハテナが浮かんでいることに青子は気づいたので、
「つまり、普段お世話になっているアルバイト先の人たちは、草十郎が困っていたら嬉しいってこと」
と優しく説明した。
「そういうものなのか」
なぜかこれだけで納得してくれたようだった。予想よりも早かった。青子と有珠も案外徳というものを積んでいたのかもしれない。
「善は急げね。明日含めて春休みのアルバイトのスケジュールを教えて。連絡先もね」
草十郎から紙がよれた小さなメモ帳を手渡され、青子はページをめくった。
すでに8時半を回っていたが、明日のアルバイト先から優先して休みの連絡を入れていくことにした。厄介なのが彼の働く先が多すぎることだ。飲食店の接客と調理、新聞配達、パチンコ店の店員、会社の事務所掃除、引っ越し作業、花屋の店員、バーとスナックのウェイターなどなど挙げたらきりが無かった。2人とも多いことは把握していたが、まさかこれ程とは思わず、彼を甘く見ていたことを後悔すると同時にめまいに襲われたが、無かったことにする。
3人は作戦を立てながらそのまま黒電話の元へと向かう。
電話を囲み、
「よし、いくわよ」
と青子が意気込んだ。
草十郎は、特に付き合いが古く仲の良いアルバイト先にだけ電話する。正直に彼の口から勉学がまずい状況であることを伝え、休む必要があることを説くことにさせた。相手が相手なので、第三者が話すよりも感情に訴えるほうが有効だからだ。
青子は、働いてからまだ日が浅かいアルバイト先や、人と接することが少ないアルバイト先に親のフリをして電話をする。感情で訴えるのではなく、家庭問題と学生の本分、世間体から攻める作戦だ。先ほどの話でもあったように、姉のおかげで電話越しでの母親節は慣れているので自信があった。
有珠は。青子が電話できないアルバイト先に電話することになった。青子の現生徒会長としての立場を舐めてはいけない。学校周辺の地域や三咲町の商店街、町役場、町内会などあらゆるところに顔が割れている。学校の行事で自然と関わりが生まれるのももちろんだが、何より彼女の完璧にこなす役務が毎度話題を呼ぶので単純に目立っている。だからこそ、青子だと気が付かれるアルバイト先も多く電話できないので、そこは有珠に委ねた。最初は不安であったが、どうしてなかなか冷静で抑揚のない演技力もない(しようともしていないが)声と雰囲気は、いかにも厳格な母親ぶりを上手いこと醸し出している。
かくして、1時間あまりで決着が付いた。
本当にこれで良かったんだろうか、これからお金の工面はどうしたら、と呟きながら自分の部屋へとふらつきながら戻って行く草十郎を2人は複雑な心境で見送った。
「どうなるかと思ったけれど、土台は整ったわ」
「明日は朝から行くつもりなの?」
「ええ」
「そう。今度こそ私の助けは無いのだから気をつけて」
「そっちこそ」
「私は気をつけることなんてないはずよ」
「そっか、有珠は草十郎に勉強を教えたことが無かったわね。大変なのよ、単純に」
青子の苦笑いと共に有珠は理解した。
「大丈夫よ。小学生に教えるつもりでいくから」
「あはは、そのキツさならOK」
「それじゃあ、おやすみなさい」
有珠は玄関のドアに手をかけた。
「ちょっとちょっと。こんな時間からどこ行くの?」
「後始末よ」
青子の中で記憶が瞬時に巻き戻った。
「……あー!!! 学校……」
「青子は休んでいなさい。もう体力なんて残ってないのでしょう」
青子は私も!と言おうと思ったが有珠の言う通りだ。帰るだけで精一杯だったやつが学校に辿りすら着けまい。
「あー、もー、ごめん」
「良いわ。最初からそのつもりだったから。プロイと結界の準備を差し引いても、今日はあなたのほうが比重は重いはずよ。それじゃ、もう行くわ。おやすみなさい」
今度こそ有珠はドアを開け出て行った。
「有珠!」
有珠は玄関の前で立ち止まり、振り返る。
「色々とあ、ありがとう」
有珠の目が丸くなる。
「ふっ、らしくないわね」
ドアがカチャンと閉まった。
青子の頬は真っ赤に染まった。
【次回予告】
"山"は世界史がお好き