体育館に着く頃には有珠の肺は今にも爆発しそうな状態となっていた。いつも無意識でしている呼吸が、今は意識していても制御ができないでいる。まるで自分の身体ではないみたいな感覚だ。
幸いにも体育館の扉は開いていたので、渡り廊下の柱に辛うじて寄りかかりながら、体育館の中を覗いた。
探す必要はなかった。吸い寄せられるように昔の記憶と現実が結びつく。
有珠の読みは当たっていた。
当時の記憶とまったく同じ黒髪の少年が、保護者席の最後尾列に座っていた。当然のようにそこに存在していた。宙に浮く両足をぷらぷらと揺らし退屈そうに見えた。
有珠は、こちら側が先に気が付いたという微々たる安堵感から冷静に思考することができた。
(万が一の時のために、結界を張らないと)
有珠は柱から手を離した。その直後、目の端ですぐそばにひとりの老人が立っていることに気が付いた彼女は、目線を映すよりも先に咄嗟に後ずさる。先ほどまでそこには誰も居なかったはずだからだ。理由としては十分過ぎた。
老人は若干の間を置いた後、ため息をつくように有珠に問いかける。
「校内を修復したのはお前だな」
ゆっくりと落ち着いた声。だが、どこか人を見下したような声色に、豪華な修道着をまとった姿勢の良い出で立ち。有珠はそれだけで昨日青子が闘ったうちのひとりだと判断する。
「…………」
「沈黙は同意と受け取るぞ」
老人は気が短いようだ。
「そうね、おかげでこちらは寝不足よ。次壊したら許さないわ」
脅しではなく本音だ。アルバイト終わりの身体にムチを打ちながらの修復作業は体力的に非常にキツかったのだ。帰ったのも日付が超えてからだった。当然、機嫌も悪い。
「おー怖い怖い。壊したのは私の使い魔だ。文句があるならあの生意気な機械人形に言ってくれ」
「…………何を言っているの。あなたも使い魔か何かの類いでしょう」
有珠は当たり前のように言ってのける。
老人はその言葉に思わず目を見開く。こいつはすべて知っているのか。ああ、面白い。笑みを浮かべないよう、それを誤魔化すために高圧的な態度を取る。
「小娘。なぜ主の正体を知っている。お前は誰だ」
「安心なさい。名乗る程の者でもないわ。そんなことよりこれからあなたはどうするつもりなの? 返答によってはこの場で消すわ」
「ふん。生意気な。私が主を止めているのだぞ。むしろ感謝して欲しいくらいだ。主は気が短くてな」
やれやれと老人はうんざりするように首を振る。
あなたも同類でしょうにという言葉を有珠は飲み込む。
「お前は静希草十郎という男を知っているか?」
「さあ、知らないわね」
有珠の顔は1ミリも動かない。
「くくく。よせ。蒼崎青子と関係があって私や主のことも把握済みのお前が知らないわけがないだろうに」
「………………」
「教えたくないのなら別に良い。主にお願いしてこの場にいる奴らを一斉に葬るのみよ。その中に草十郎という輩が居ればそれはもう楽で助かる」
「そう」
実に青子の言うとおりの歪んだ性格の持ち主だ。大げさではなかった。青子には心の中で謝ろうと有珠は思った。
「私はギャンブルが意外と好きなものでね」
だから教会の人間も好きになれないのだ。有珠は嫌悪感だけは表情を隠さなかった。
「では、お前の相手などしている暇はなくなった。主のもとへ戻るとしよう」
踵を返した老人の後ろ姿に、内心焦る有珠はここで魔術を行使する決断を瞬時に下した。
「あーら、どこへ行くのかしら」
体育館の扉の前で、青子が仁王立ちしていた。
老人の足が止まり、ご機嫌だった彼の顔が少し歪む。
青子は体育館の扉を後ろ手でゆっくりと閉めた。
「小娘……。お前、気がつかないフリをしていたのか。無い知恵を働かせおって」
「知恵は無いけど、おじいちゃんをだませるくらいの力量はあったみたいね」
「ボロボロの体の分際で」
「というわけで、有珠に言われた通り、諸々準備はできてるわよ!」
くやしいのだろう、どうしても悪態をつきたい老人を余所に青子は有珠にウインクした。
もちろん有珠は青子に指示を出した覚えなどない。この鉢合わせは、有珠の危機感と気付きが働いた結果の場なのだ。準備はおろか事前の打ち合わせすらできていない。しかし、青子も何かのきっかけで気が付いてくれたのだ。この好機と青子の機転を、有珠が見逃すわけはなかった。
「そう、間に合ってよかったわ。ご苦労様」
有珠は平然と答える。この2人の会話が偽りのものであることがバレれば、一気に形勢が逆転してしまう。
老人は何かを思案しているのか、敵に囲まれているにも関わらず2人から目線を外し唸る。
これ以上、考えさせてはいけない。
「じゃあ、中で座っている少年の姿を模した秘宝コレクターを拘束しに行きましょうか」
この台詞が決め手となった。
老人の目が直ぐさま有珠へと向けられる。この場で彼女をどうにかしてやりたいのだろう。手が震えている。それを抑制しているのは主のためか、それとも…………。
「っくそが!」
ここで激高してしまったら、彼が何をしでかすのか分からない。急いで拘束をしなければ。未だまったくもって安全な状況とは呼べないのだから。
2人が急いで老人に駆ける。
しかし、老人は一瞬にして消えてしまった。
……いや、消えたのではない。縮んだのだ。しかも、大きな白いネズミの姿に。
有珠と青子は動揺しつつもやることは変わらなかった。有珠は蹴っ飛ばすために、青子は鷲掴みにするために接近する。
ネズミは既の所で排水溝の裂け目から下へと落ちたことで、2人の攻撃をするりと抜けた。
そして、当然の結果、有珠の蹴りが青子の顔面にクリーンヒットしたのであった。
「んぐぅ!? うう~!!!」
青子から聞いたことのない声が飛び出る。
有珠のロングブーツは歩くと小気味良い音がするほどに重厚かつ丁寧に作られている。人を蹴る用には作られていないのは確かだが、もし人を攻撃したいのだとしたら、食らった本人の青子でさえ迷わずこれをおすすめすることだろう。
「だ、だいじょうぶ?」
地面を転がり悶絶する青子に、さすがの有珠も駆け寄る。
「な、んと、か」
青子は眉間にしわを寄せながらよろよろと立ち上がると、痛みでまだ完全には開かない両目でキョロキョロと辺りを見回す。
「おじいちゃんは!?」
有珠は指で地面を指した。
下水から逃げられてしまえば為す術が無い。有珠の濃霧のプロイならば追跡可能だったであろうが、先日の戦闘から日も浅くまだ調整ができていない。
そして、おそらくは、もう。
有珠はいつも通りの歩幅でゆっくりと体育館へ歩いて行き、そっと扉を開ける。
やはり少年の姿も消えていて、そこには空席のパイプ椅子だけが見て取れた。
「有珠」
「消えたわ。せっかくのチャンスでもあったけれど。追跡は難しい」
「分かった。何にしても助かった。おかげで卒業式に邪魔が入らず済んだもの。とりあえず私は式に戻るわね。続きは帰ってから」
「……ええ。それじゃあ、私も戻るわ」
青子はじゃあ、と手を振り、真っ赤な鼻に手を当てながら中へ戻って行った。
◇
メレム・ソロモンという人物は、好戦的ではあるものの、どうやら戦闘狂や殺人鬼の類ではないらしい。他の生徒達諸共といった危ない発言はあったが、結果論として現に実行はされなかった。あくまでも草十郎を排除するという目的があって、それ以外のことは案外どうでも良いのかもしれない。
意外なのは、草十郎の居場所をまだ把握していなかったということだ。教会のメンバーから協力を得られていないのか? そもそも詠梨神父や周瀬姉妹とは接触していない? 教会の本部から送り込まれて来ているのだとしたら、単独行動も十分にあり得る。
まだ絶対不利な状況には立っていないはずだ。
だからこそこの間に、今度こそ先手を打たねばならないのだ。
有珠は校門を出ると、屋敷とは別の方向へと足を運ぶ。
固い決意と覚悟をもって。
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その日、青子と草十郎が待つ屋敷に有珠が帰ってくることはなかった。
しばらく更新が途絶えてしまい、申し訳ありません。
今年も夏もしくは冬にコミケで同人誌を出したいと考えています。
引き続き連載の応援よろしくお願いいたします。