青子と有珠も慣れない仕事ながらそれぞれの役割をこなし、順調なスタートを切った――かと思いきや。
もちろん、2人の日常がそんな平和に終わるはずもなく……。
果たして無事にオープン初日を終えることはできるのでしょうか。
2人の活躍をどうぞご覧ください。
厨房ではイーリエが最後の仕上げに入っていた。開店まであと30分を切っている。
キッチンカウンターには多種多様ななケーキが並んでいた。そこへ粉を振ったり、チョコでできたプレートを載せたり、包装したりと大忙しだ。
イーリエには自信があった。
街頭でビラ配りもした。商店街を牛耳る重鎮たち、組合の皆さんにも挨拶を済ませた。地方紙の広告にも掲載してもらった。やれることはすべてやったつもりだ。市役所と商店街のお店の人たちが参加してくれた試食会でのレビュー、そして何よりこの浜宮という場所に出店を認められたこと自体が自信を持って良い証となっていた。唯一、懸念があるとすればそれはアルバイトの子を確保できるかという点のみだった。それは及第点どころか百人力の人材を獲得できたのだから、自分の運の良さを噛みしめるしかない。
彼がほくそ笑みながらケーキを完成に導いていると、隣の事務室から何やら言い争うような声が聞こえてきた。
事務室では彼女たちが着替えの最中であるはずだ。
イーリエは、ドアの前で耳を澄ませた。
「あなたはいつもこうして厄介ごとを持ってくるのね。厄災はその頭と魔法だけにしてほしいものだわ」
「策も講じずによく言うわ。文句ばかり垂れて批評家にでもなったつもり?」
「あら、言うじゃない。元はと言えばあなたの姉妹喧嘩からきた産物じゃないの。ひとりでどうにかしたらどうかしら?」
「今さらそれを言う? 共同生活を始める前に約束したわよね。魔術に関することは必ず損得なしで協力し合うって」
イーリエからは会話の内容は断片的にしか聴こえなかった。
オープン20分前。
顧みている暇などない。
すべてが終わってしまう。
考える前に彼の手が先に動いた。
勢いよく開かれるドア。
そして。
「何でも良いから喧嘩しないでちょうだい! 完売したらボーナスあげるから!」
今まで罵り合っていた2人の口が急に動きを止めた。
青子と有珠の目線が合う。
両者、同じことを考えている。そして、それを互いに分かってもいた。
(欲しかったCD買えるかも……)
(本、何冊買えるのかしら……)
停戦しましょう、そうしましょう。
やはりこの2人、相性が良い。
オーナーパティシエを事務所に置き去りし、2人はさっさと店内へ戻って行った。
「頑張ろう! おー!」
「やりましょうか」
イーリエはその光景に唖然とした。
◇
有珠邸の図書室でひとり草十郎はカリカリと鉛筆を走らせていた。一番苦手な数学に挑んでいる最中だ。昨日よりも今日、今日よりも明日と日に日に立ち止まることが少なくなってきた気がする。それは日頃の鳶丸の根気良い指導のおかげなのは間違いなかった。自力で問題を解くことが嬉しいと思う日が来るなんて、この三咲町を訪れた時のことを考えると草十郎自身も信じられないことだった。
ちなみにだが、草十郎は鳶丸の計らいで、以前から中学校の数学をやり直しをしているのだ。今使っているテキストは彼のものだ。因数分解のページをめくる。ついに中学3年生の学習範囲まで追いついた。まだ高校1年、2年の2年間分の負債があるけれど、それについては目をつむっておこう。今は目の前に全力を尽くすのだ。
しかし、因数分解に来てから急に失速してしまった。
「分からない。展開は分かるんだが、なぜその逆をしないといけないんだ」
数学に意図や背景を求めてはドツボに嵌まることは必須で、彼がこの学問に向いていない理由が明確になっている。
草十郎はおもむろに机の端に積まれたテキストの山から高校の数学を引っ張り出した。
(因数分解は授業でも確かやったはずだ。当時は分からなかったけど、今見れば教えてもらったことを何か思い出すかもしれないしな)
テキストを広げると、目に飛び込んできたのは数学ではなかった。
「……し、シン、……コス、タン……?」
(このゼロの真ん中に横棒が引かれているものは一体何なんだ。読めない。ゼロではないという意味なのか)
数学を学んでいたと思ったら、なぜか英語が出てきた。高校の数学では英語の学力も必要になってくるのだろうか。
例え因数分解を頑張って理解できたとしても、この道のその先には恐ろしい程の苦行が待っているのだ。
草十郎は絶望した。
「よし、世界史だ」
彼は、数学のテキストをそっと閉じるのであった。
◇
オープン5分前。
ガラスの商品ケースに全種類のケーキを並べ終えた。
ケーキの前に置かれたポップには、イーリエらしからぬカラフルなお品書きが値段と共に書かれていた。
今からこの商品ケースをこのままお店の外に移動させるのだ。オープン日だけの特別な販売方法、店頭販売を試みる。だからこそ、客引き要員として青子と有珠を雇ったのである。
2人の手伝う姿を見つめながら、イーリエはメイド服を購入して良かったと心底思った。
今はカーテンで締め切っているが、店内の飲食スペースとテラス席の間には大きな窓があるのだ。そこからケースを運び出せば良い。
商品ケースは冷蔵機能完備、しかもキャスター付きなので運びやすいと来ている。
イーリエはカーテンに手をかけた。
外にはどれくらいのお客が待っているのだろう。
ああ、今日はあっという間に時間が過ぎ去ることだろう。大変だ。心してかからねば。
カーテンを勢い良く開けた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
そこにはいつもと同じ風景が広がっていた。
老若男女が行き交う中央広場。
子供が走り、カップルが和気あいあいと手をつなぎ、夫婦が買い物をし、友達同士が談笑し合っている。
期待していたものとは違う光景に、イーリエは目をつむった。
現実は厳しい。
よく考えればオープン前に運を使い過ぎていた。
窓を全開にして無心で無表情で商品ケースを押し、お店の前に移動させた。脱力した身体を無理矢理動かす。
ケースに電気を通したら、釣り銭の準備とテイクアウト用の箱を準備する。頭の中に入れておいた当日の準備を淡々とこなしていく。
完売、できるのだろうか。
先ほどまでの浮き足だった気持ちが嘘のようだと、イーリエは思った。周りの音が随分と遠い。
………………せー
…………いませー
……っしゃいませー
「いらっしゃいませー! 今日からオープンのパティスリー・HAMAMIYAでーす!」
隣を見ると、指示も受けていない青子が自ら呼び込みを始めていた。
彼女の声はよく通るので広場の端まで聞こえるほどだ。これも生徒会長をこなすことで備わった能力の1つである。
「活きの良いケーキが揃ってまーす!」
青子もアルバイトの経験はほぼ皆無なので、少々ズレた発言は許してあげて欲しい。
その隣を見てみよう。
「……らっ……ゃい……せ」
隣の青子でさえも聞き取れないボリューム。
青子はからかってやろうと有珠を見て、戦慄が走った。
有珠は笑顔を作ろうと必死に口角を曲げており、彼女なりの努力が伺えるのだが、しかし目だけはどうしても笑うことができないらしく冷淡な瞳になってしまっている。おまけに赤面していた。
(こんな表情見たことないんですけどー!)
もしロビンが見ていたら「墓場まで秘密にするっすー」と喜び、そして彼女に焼き鳥にされていたことだろう。
変わった呼び込みをする活発な女の子と、不気味な表情を浮かべる恥ずかしがり屋の女の子。歩いている人たちが気にしない訳にはいかなかった。
しかもメイド服(しかもスカートは短め)を着ているのだ。青子は健康的なすらっとした脚が露わになり、有珠はタイツを履いてきていたので、それはそれでフリフリのスカートとの相性は抜群である。
目の前を通る男共は、問答無用で立ち止まり、2人の姿をひと目近くで見ようとケーキ屋に吸い寄せられてしまうのだ。
若い女の子たちは、メイド服に惹かれ、「あの2人、かわいくない?」「私も着てみたい!」と黄色い声をあげる。
主婦たちは、今日の子供のおやつにと目新しいケーキに目移りしてしまう。
そして、子供たちは試食が欲しいと群がって来た。
瞬く間にお店の前は人だかり。
イーリエは開いた口が塞がらなかった。
「イーリエさん! いえ、オーナー、試食のケーキ早く持ってきてください!」
青子が叫ぶ。
「あっ、ああ、い、今すぐに~!」
彼は急ぎ厨房に戻って行った。
ーーーーーーーーーこれは本当に忙しくなるぞ。
◇
人だかりはさらに人を呼び、ケーキは飛ぶように売れていく。
それに対して接客は2人のみときている。捌き切れていないのも無理はない。それでもお客たちが根気よく待ってくれるのは、それぞれの思惑があるからなのは間違いない。
けれど、一番の理由は、2人の頑張る姿は見ていて実に気持ちが良く、応援したくなるからであった。ケーキを倒してしまったり、箱の角を潰してしまったり、注文を聞き間違えたり、お釣りを間違えたり。不慣れな2人が織りなす失敗を暖かく見守る観衆兼お客たち。誰が彼女らを怒ろうか。そんなことをしたら瞬く間に非難囂々必死の雰囲気がそこには確かにあった。
事前の打ち合わせでは、オープン直後はイーリエも接客のサポートをするはずだったのに、ケーキの売れ行きが凄まじく、一旦空くであろうお昼時にまとめて作ろうとしていた午後分の材料を急遽引っ張り出し、厨房にこもってケーキの大量生産を余儀なくされていた。
そんな状況なので、2人は混乱の中で働いていた。
有珠の先ほどまでの蟻んこのような声はどこにいったのか。しっかりとお辞儀をし、「またどうぞ」と声かけをしている。環境が人を変えるというのはどうやら本当のようでそれは魔女も例外ではないようだ。
それでもまだまだ不器用な有珠を支えるのは青子の役目だった。
「有珠、箱が無くなりそうだから裏から取ってきて」
「ごめんなさい、シュークリーム今切らしてまして。あっ、時間ですか、有珠、オーナーにシュークリームの補充何時ごろになりそうか聞いてきて」
「有珠、ここお願い。みなさーん、通行人の邪魔になるので、2列になってお待ちくださーい!」
青子の指示は的確であり、それに従っていればとりあえずお店が回ることを知っている有珠は、ただただ指示通り動くことに専念した。
「1600円になります。あっ、"また"一万円札……。お預かりします。……これではお釣りが切れてしまいそうだわ」
「こらこら」
有珠の失言までは止められないので、もうそこはお客たちに心の広さがあることを願うばかりである。
広場を掌握するほどの人の数。中には心が狭く、ふざけた客や冷やかしもいた。
「お姉さーん、スマイルくださーい!」
ぎゃはははっと悪ふざけする男子学生たち。
せっかく接客スマイルだった青子の顔は急変し、有珠にも似た凍るほどの冷たい目線を彼らに送る。
「下賤な奴らに売るものなんて何も無いわ。営業妨害よ。即刻立ち去りなさい」
腕を組みながら堂々と言う青子の毅然とした姿に、並んでいたお客たちから拍手喝采を受ける。
「ねえ、下賤ってどういう意味?」
「うるせー行くぞ」
オーディエンスも味方につけ、ゴロツキたちは即刻撤退した。
浜宮でも私の知名度(恐ろしさ)を上げる良い機会になった、なんて思ってしまう青子だったが、そんなことをしなくても有珠を含め知名度は今まさにうなぎ上りであることに気がついていないのだった。
そろそろケーキの在庫が全体的に尽きてきた頃、イーリエが大きなトレイにケーキを載せてやって来た。
「お待たせー! 間に合ったみたいね。今焼いているのもあるけど、とりあえず補充分。私が接客代わるから休憩行って来てー!」
えっ、と2人はお店の時計を見ると、すでに時刻は12時半を過ぎていた。体感まだ1時間ほどしか経っていないと思っていたので、これには驚いた。
「有珠、先に休憩行って来て」
「青子のほうが働いているでしょう。お先にどうぞ」
「ケーキを補充しながら接客できる? だから、ほら行って行って」
有珠は少し考え、こくりと頷いた。お言葉に甘えて彼女は裏へと戻って行った。
有珠目当てのお客からは、たちまちため息が溢れた。
それが耳に入った青子は、
「あの子の分まで頑張るので応援お願いしますねー!」
なんてウインクするものだから、単純な男共はすぐに鞍変えしてしまったのだった。
(この子は一体、何者なんだ……)
イーリエは、感謝と尊敬とは別に、畏怖すら覚える始末。
あえて肩書きを考えるとするならば、「三咲を牛耳る破壊と暴走の美少女会長 兼 魔術や魔法なんかに頼るな、頼れるのはこの拳のみ、駆け出し魔法使いアオコちゃん」である。
ちなみに有珠の肩書きは、ロビンいわく「血と殺戮が三度の飯よりも好き☆見た目に騙されるな、丘の上に住む陰湿ケモノ使い、不思議のドスのアリス」とのことらしい。
そんなことも知らずにこの2人を雇用したイーリエが実は一番凄かったということを、今は誰も知らないのである。
◇
青子も休憩を無事に取り終え、また3人体勢へと戻った。
2人はイーリエがあらかじめ作っておいたサンドイッチをお腹いっぱいに詰め込んだので、全部とはいかないまでも体力そして活力共に回復していた。しかし、中々どうしてそのサンドイッチが美味しかったのである。
午後3時。
そんな盤石の体勢ができた矢先のこと。
ついに、奴が現れたのである。
「あれー、会長ー、こんなところで何してんのさあー?」
このとぼけたような声。
そう、三咲高校一番のお調子者、まごうことなき木乃美芳助である。
見つかってはいけない人物の中でもTOP5に入る大物だ。
「えー! ケーキ売ってんの!? 会長ってバイトなんてすんのね。ってか、スカート短くね!?」
芳助の失礼な目線と指さしに青子は激怒する。
「話しかけるなら列に並んでくれる? 忙しいんだから邪魔」
「同じ学び舎のよしみじゃん。それくらいおまけしてくれよー」
みんなが怖がる生徒会長であっても、彼女から日常茶飯事に怒られているせいで、青子耐性を持っているのである。さすがと言えよう。
「しつこいわよ」
「えー、お客さんには優しくしてよね、ケーキ買うからさー、って、うええええええええええええええい!?」
目が飛び出しそうなくらい驚く芳助の目には、青子と同じフリフリのミニスカートを履いた有珠のメイド服姿がキラキラと映っていた。
「あっ、あ、有珠ちゃん!」
忙しい有珠もさすがに気がついたようで「こんにちは」と言ってさっさとお客さんに向き直ってしまった。
しかし、そんなこと気にするものか。これは千載一遇のチャンスなのだ。
「ちょっと俺、用事思い出したわ。ほんじゃ会長、またケーキ買いに来るよ。じゃねー」
そう自己完結して、芳助は急いでカメラ屋さんに向かおうとした。
「待て」
「へい?」
「さてはインスタントカメラ買って来る気でしょ」
ぎくり。
「違う違う。なーに言ってんのさ。じゃ、俺急ぐからさ」
(生徒会長のメイド服姿の写真なんてみんな欲しがるもんなー。それに今後の会長への切り札にもなるっしょ。そして、有珠ちゃんのメイド服……これは俺だけのものにしよーっと♪)
芳助が意気揚々と歩き出した瞬間、背中にもの凄い衝撃が走った。
「ごふっ!」
青子の蹴りが炸裂したのだと、悲しいかな芳助は経験上すぐに分かってしまった。
こういう仕打ちを受けないために、写真を手に入れようとしたのに……。
芳助は、矛盾していた行動を反省すると共に、地べたに倒れ込んだ。
大勢のお客たちの眼前で、青子はスカートを抑えながら強烈な蹴りをお見舞いしてしまった。
青子たちがまさに気持ちを入れ替えてもうひと頑張りと思った矢先だったので、それに水を差す彼に非常に腹が立ってしまい、ついいつものように蹴りを入れてしまったのだ。
にも関わらず、列に並ぶお客たちは青子をかばい、芳助を罵倒し始める。
「あいつ、メイドの子にセクハラしたっぽい」
「確かに、スケベそうな顔してるもんねー」
といった、誤解ではなく非常に的を得た憶測が飛び交っていた。
「しゅ、宗教だろ、こんなん」
顔を上げふと有珠を見ると、なんと芳助のほうに視線を送ってくれているではないか。
それなら俺、立ち直れるかもーなんて思ったが最後、彼女の瞳は、まるでを哀れな人を見るような、いや、ゴミを見るような……、あれは、……痛い。
芳助は立ち上がる気力すら無くなり、その場で動かなくなった。しくしく。
そこへ、
「もし、ここでの出来事を学校の先生や生徒に言ったら、分かってるわよねー、芳助くん?」
と、トドメの一撃をお見舞いし、青子は急いでお客の待つ店頭へと戻って行った。
こうして芳助の出番は、無事?に終わったのである。