青子の四肢に青い光が纏う。
そこへ唯架の遠慮のないムチが飛んでくる。
もう一度弾き飛ばしてやろうと、使命と私情を乗せてしなるムチ。
青子は避けることもせず、拳を握り思いっきり振りかぶると、軸足でタイミングを計り、ムチをあろうことか殴り返した。
「!?」
動揺しながらもムチを急いで引き戻す唯架の瞳に、青子の迫る姿が映る。
(はやい)
体勢を低く保ちながら滑るように走る青子は、そのまま唯架へ突っ込む形で拳をお見舞いした。
両手でガードするも、唯架の体はいとも容易く吹っ飛び、ムチは手から離れた。受け身も取れずに倒れ込むが、すぐさま体勢を立て直す。魔術抵抗の黒衣によってダメージは軽減されていたが、打撃の純粋な痛みはかき消えなかった。
「っ、馬鹿力にもほどがありますよ」
「あら、これでも加減したのよ。まだ50%の出力しか出してないんだから」
「なら全力で来たらどうですか。あなたの心許ない魔力量で中途半端な戦い方を選ぶのは頭が悪いとしか思えませんが」
「いちいち勘に触ることを……いいわ、次は全力で」
青子の足に纏っていた青が濃くなって見えた。
高く跳躍した青子は、今度こそ決める、と唯架の脳天をめがけかかとを振り落とした。
ムチは手放してしまった。できることと言ったら、避けることくらいしか選択肢がない。しかし、青子のことだ。自由の効かない空中でさえ無理矢理軌道を変えてくるに違いない。であるならば、全力で防御に徹するしかないではないか。覚悟を決める。
しかし、青子の攻撃が唯架に当たることは無かった。
「「!?」」
寸前で止められたからだ。
◇
詠梨は、テムズトロルのなぎ払いを避けると、背中から2本目の刀を取り出した。それはまたもや真っ白く、ただし1本目よりも短かい。
詠梨は本気で童話の怪物を倒そうとしている。
彼にとって攻撃をかわすのは容易である。しかし、倒すとなれば話は変わってくる。詠梨でも二段階目に到達したロンドン橋を切るのは至難の業だった。
だからこその娯楽と言って良い。
2本目の刀を利き手に持ち替える。
刀を投げて使うものなどいない。そんな常識、詠梨は持ち合わせてなどいなかった。
刀はぶれること無く、刃先を前方に向けながら槍のように飛んだ。その飛び方は異常そのもの。放物線を描くことなく、まっすぐそして水平にテムズトロルを狙う。
テムズトロルの脚に刀があっさりと突き刺さる。
咆哮する巨体。
(……信じられない)
詠梨はもう片方の刀を構え直した。
有珠は彼の意図に気がつく。それが可能かどうかは別としても、それを否定できるほど目の前の事実は覆らない。
狙うは突き刺さりできたヒビの部分。そこに追い打ちをかける。一撃で駄目ならば二撃。同箇所へのダメージの蓄積は相手がどうであれ有効だ。なにせこれ(童話)は、実体(切れるはず)なのだから。
神父の眼鏡が怪しく光った。
(ーーーーここ)
詠梨は白い凶器を振る直前、真後ろから襲われた。
彼を容赦なく攻撃する怪物。彼のすべてを喰い尽くさんと躊躇は無い。全方向からの咀嚼。
それを刀一本で致命傷だけは避けきる芸当は、敵とはいえ驚嘆に値する。
詠梨のおなじみのマントはおろか服も破れ、彼のいじめ抜かれた強靱な身体が露わになった。普段の温和な神父の姿とは180度変わってくる血の匂い。
「番犬がなぜ復活したんです?」
「再生したのではなく、最初からあなたが破壊できてなかっただけよ」
「なるほど。消失させたように見せたわけですね、いやー、しくじりました」
「この子は斬られただけで完全消滅するほど甘い出来では無いわ」
「さすが三大プロイのひとつですね。ふふふっ」
「何がおかしいの?」
心底気味が悪い。彼の実力は本物だが、底知れぬ気概を感じ、有珠の理性が受け付けないでいる。
彼女の横ではワンダースナッチとテムズトロルが次の指示を待っている。グレートスリーのうち2体が出現していること自体、異常な状況だ。しかし何よりも異常なのは、それと対峙しながらも、破壊を諦めていない姿勢を保っている彼だろう。
「諦めの悪さはまるで誰かさんね」
「いえいえ、全然。すぐにでも降参したいくらいですよ」
「……嘘つき。顔に出てるわ」
相容れない会話が終わると、プロイキッシャーが詠梨に同時に襲いかかった。
白い刀を上空に、垂直に構える。
衝突の1秒前。
「待ってくれ!」
誰かの声が聞こえ、そしてその声はテムズトロルのなぎ払いとワンダースナッチのかみ砕きによってかき消える。
土煙と霧によって視界は最悪。
有珠は突然の乱入者に動揺はしないまでも、その姿を見るまでは戦闘を再開できないと判断。それは詠梨も一緒のようだ。
徐々に視界がクリアになってくると、悲惨な爆心地に一人の人物が、困惑した表情で突っ立っていた。
「……草十郎君?」
反対側にいた詠梨も彼だと気がつき、ゆっくりと刀を下ろした。
「大丈夫、なの?」
有珠は動揺する。
「ああっ、平気みたいだ。運が良かったんだろう。それよりも間に合って良かった」
安堵したのか長く息を吐く青年の姿は、正しく不自然だ。
しかし、今問いかけるべきことはひとつ。
「どうしてここに来たの。彼らはあなたを狙っているのよ」
「だからだ」
青年は強めに言うと、詠梨にも語りかける、
「俺が教会にとって厄介な存在となってしまったらしいことは、彼女たちから聞いて全部では無いけど理解しました。だから来ました。俺が来た以上、この戦いは即刻やめてほしい」
「私は良いです。が、彼女は納得するでしょうか」
「有珠、お願いだ。手を引いてくれ」
「いいえ、駄目よ。むざむざあなたがやられるのを見てろと言いたいのなら、圧倒的に説明が不足しているわ」
「珍しく同意見ね、あたしも反対」
青子がいつの間にか有珠の傍らに来て加勢していた。詠梨の後ろにもシスターズが戻ってきた。
「どうして戦うんだ。まさか俺のためだとでも言うのか?」
青子の眉間にしわが瞬時に寄る。
「普通、真顔でそんなこと言う? なに、あいつ、むかつく! 天然で本当に気がついていないのもさらにっ! 有栖もそう思わない?」
「ええ、分かるわよ。彼を直視できないほどに」
草十郎のおかげで青子と有珠の絆が深くなるのはさほど珍しくは無かった。
「何を言っているのか分からないが、ここは俺に任せて欲しいんだ。信用してくれないか?」
「草十郎に信用はない!」
ガウーと唸る青獣。
「すまない」
草十郎は、詠梨たちのもとへ。
「話聞いてないじゃない!」
青子と有珠は気が気ではないが、どうやら教会側も手を出す気は無いようだ。先ほどまでの張り詰めた殺気は感じられないからだ。
草十郎は普段通りと変わらない穏やかな声で話を始めた。
◇
「ーーーーーーーーというのが、俺の考えです」
詠梨神父は何も答えない。
「それではあなたが損をしますよ」
彼の後ろに控えていた唯架が口を挟む。
「良いんです。これは損得の問題じゃ無いですから」
「だからといって……」
「唯架ちゃんの言うとおりよ。草十郎君は本当にそれでいいの? 青子ちゃんと有珠ちゃんに相談したの?」
「いえ、俺の独断です。それに相談したらきっと怒られる」
「そうですか。それで今回は“引け”ということですか」
詠梨神父がそう言うと、草十郎はゆっくりと頷いた。
詠梨神父は再び黙ると視線を下ろした。
その表情は、残忍で冷酷なものとも温厚で慈愛に満ちているとも取れるものだった。
「分かりました。今夜は去ります」
詠梨神父は一瞬だけ笑みを浮かべると、あっさりと踵を返した。
唯架は何か言いたげだったが、何も言葉を発さずその後について行く。
律架は草十郎に手を振ると、2人の後を追った。
3人の姿は、いつの間にか立ち込み始めた霧ですぐに見えなくなった。
「草十郎!」
青子の声がした。
「あいつらとは今、敵対関係にあるのよ。厄介だとかそんなレベルじゃないわ。会話するなんて危険な行為だとは思わなかったの?」
「そうだとしても、俺からしたら親切な教会の人たちだ。話くらいしたって構わないだろう」
「くっ、またこいつはそう言って。来なさい!」
首根っこを掴まれた草十郎は抵抗しない。
そう、抵抗すればどうなるか知っているからだ。
というか、最初から抵抗する気など彼には毛頭無かったらしい。
◇
いつも居間では立っていることがほとんどなので、草十郎がソファに座ることは珍しいことだった。
青子と有珠は彼の対面へ座っている。
深夜の3時。
話し合い? 否、これは真夜中の尋問だ。
「何を話したの?」
「申し訳ないが話せない」
「んん? ……まっ、まあいいわ、それじゃあ、なんで話せないのよ」
怒ってはいけない、我慢よ青子。そう言い聞かせる。
「それも言えない」
「は、い?」
危ない。魔術回路が駆動しかけた。抑えなさい、あたし。
「そっ、そう……。じゃあ何なら教えてくれるのかしら、草十郎君は?」
「できれば問うのをやめてくれるとありがたいな、と」
「優しく聞いてあげてるのよこれでもね! 命がけで戦ったのにその態度は許さん!」
「待って」
人形のように黙っていたこの家の主が口を開いた。
「有珠もこいつに言ってやってちょうだい」
「一言だけ。……草十郎君はもともと非常識だったけれど、先日の一連の出来事であなたのものさしが馬鹿になってしまったんだと思うわ。最初にあった慎重さが今夜のあなたには皆無だもの。こちらの世界のことを何も知らないスタンスでいるわりに、魔術を分かった気になって介入してくるのはたちが悪いわ。美味しいところ取り? いえ、辛いところ取りかしら。どうであれ、あの場で茶々を入れてくるなんて理解ができないわ。身体能力に自信があるのだろうけど、あなたの運の良さとあなたに味方が居たから、に過ぎないわ。それを痛感する時は、きっともう手遅れよ。そして、また青子に魔法を使わせる気? おそらくあれは二度目が無いと言っていい。それは覚えていてちょうだい。最後に、私と青子に矛盾な行いをさせないで。守れば良いのか、静観すれば良いのか、分からなくなるわ。戦いの意義が無くなるわ。万が一こちらに痛手を負ってしまったら目も当てられない。……私が言いたいのはそれだけよ」
(ひと、こと?)
「そ、そうね、有珠の言うとおりだわ。理解できたかしら」
見ると、草十郎は口をバッテンにして今にも泣きそうだ。
「なんで有珠だとダメージがでかいのよ!」
机をたたく青子。
「分からないけど、普段言われ慣れてないかもしれない」
有珠は澄ました顔で席を立つと、キッチンで湯を沸かし始めた。
「そうでしょうね、珍しくあなたに怒ってるわよ。居候する前の時みたいにね」
「自分が愚かな行為をしたんだということは良く分かったよ」
「なら話して」
「それは……」
有珠がキッチンから戻ってきた。
「それとも、草十郎君は教会と手を組んだのかしら?」
有珠は目を合わさずに言った。
首を横に振る草十郎。
「そう」
それで納得したのか、はたまたしていないのか、有珠の固い表情から読み取ることはできそうもない。
「有珠、これで済ますのはどうなのかしら。交渉ごとができるとは到底思えない草十郎が、どうやって詠梨たちを追い返したのか気にはならない?」
有珠はあごに手を当てながら考える。
「気には、なるわね」
「でしょ。吐いてすっきりしなさい、草十郎」
と、青子が言い終わるか終わらないうちに、草十郎は「おやすみ」と言い残し、脱兎のごとく居間から飛び出した。
彼の野生の本能が逃げろと叫ぶので、足と口が勝手に動いてしまったらしい、というのが彼の後の解釈である。
要は非戦略的撤退を試みたのだ。
残された2人の表情は、言うまでも無く変化に富み、そして彼に対する遺恨を表現するもので着地した。
やかんの沸いた音が、しばらく寂しく鳴り続けた。