深夜、合田教会に忍び込む者がいた。
教会に金目の物は無いが、世間体のためもあり毎日施錠はしているので、どうやら侵入者には開錠の心得があるようだ。
慣れたように教会内を歩くと、その者は適当な椅子へと座る。
おそらく誰も侵入に気がつかない程のスムーズさで、動作がごく自然で堂々としている。
このまま時が経つのであれば呼びに行くしか無いのだが、長旅で疲れているがゆえにそれも面倒であるし迷っていると、カツカツと小気味の良いブーツの足音が教会の奥から聞こえてきた。
珍しく修道服を着ている律架だった。
「あれ? おじいちゃん、どうやって入ってきたの?」
「もちろん扉からさ、お嬢さん。簡単に開いたのでね。実に不用心なことだ。いや、町の教会とはこんなものだったか。そうだったな、くくくっ」
「一応施錠はしてるんですけど-。礼拝の時間はもう終わっちゃってるし、今日は帰りましょう。明日また来てくださいね」
「ふっ。分からないフリをするのはやめなさい。結界を張ったのは君か。こんな老人に必要以上に警戒心を抱きすぎだ」
律架は何度か瞬きをした後、少し驚いた表情をする。そして、舌を出した。
「あれま。おじいちゃん、もしかして教会の本部の人? それとも私たちの敵?」
「どちらも正解だな。私からしたら皆が敵だがね。味方はいない」
「それは寂しいですね」
「寂しい? あははっ、おかしなことを言うな。生まれてこのかたずっとこの環境だ。当たり前の世界だよ」
「えー大変。私なら教会なんてすぐにやめちゃうけどなー」
「お嬢さんなら本当にやめそうだな。……君は本当に教会の人間か?」
「うーん、半分当たりかな」
「半分? ああ、そうなのか。スパイをやっているのだな」
「ええっ!? なんで分かったの?」
「どこの世界にも珍しくもない。ただ、自らバラす奴は珍しいがな」
老人は律架の言動が可笑しかったようで、高笑いをする。
その時、また別の足音が聞こえてきた。
「こんばんは。盛り上がっているところ恐縮です」
詠梨神父だ。
独特の雰囲気を醸し出す彼に、老人はすぐに笑い声を消す。
「君がここの神父だな」
逆に詠梨は気さくに微笑む。
「いかにも。文柄詠梨と言います。あなたは?」
老人は座ったまま眼鏡の位置を直すと、顔を上げる。
「メレム・ソロモンと申す。埋葬機関第五位にして王冠の異名を持つ者。東洋の片田舎では通じないかもしれんが、まあまあ名の知れた老いぼれさ」
その名を聞いても詠梨は笑顔を崩さない。そして、老人の瞳に浮き上がる紋様に気がついても、眉ひとつ動かさない。
「なるほど。見聞が無く申し訳ありません。しかしながら、ご高名な方であると推察いたします。遠方はるばるようこそおいで下さいましたね。わざわざこんな場所までご足労頂いたということは、第五魔法の件ですか?」
「ああ、それしかあるまい」
「しかし、それにしてはお早くないでしょうか? 私が本部へ連絡を入れてからまだ2日と経っていないのですが……」
「本部は君が思っているよりもこの件について懸念しているということだよ。私が派遣されたこと自体がその証明となるだろう」
「そうですね。そして、私たちも信用されていないことが同時に証明されましたね」
「信用ではなく、手に負えないと判断したのだよ」
「一刻も早く対処したい、……いえ、処理をしたいと本部は望んでいるのですね」
「そういうことだ」
「分かりました。私たちにお手伝いできることはありますか?」
「ある」
ソロモンと名乗った老人は立ち上がると、詠梨にゆっくりと近づく。そして、彼の周りを一周すると、小馬鹿にするかのように嘲笑した。
「そこそこ戦闘に長けるとは聞いていたが、まったくの素人ではないか。自慢できるのは、その長物たちと強靱な肉体くらいか? 道理で私が派遣されるわけだ。予定変更。命令はひとつだけだ。ターゲットの学び舎を教えなさい」
「お眼鏡に叶いませんでしたか。残念ですね。それにしても、なぜ学び舎なのでしょう?」
「魔女と暮らしていると聞いている。それくらいの情報は掴んでいる。馬鹿にするでない」
「滅相もない。なるほど、そういうことですね。大変失礼しました。彼の通う学校は……」
「どうした? さては、何か後ろめたい気持ちでもあるのか?」
ソロモンは詠梨の顔をのぞき込む。
「いえいえ、別に。三咲高校というこの町にある学校です。名前は静希草十郎。たしかクラスは2年C組だったかと」
「それだけ分かれば十分だ。私の予想が外れたか。てっきりターゲットを庇っているものだと思っていたのだが」
「それは心外です。奇跡や神秘は教会だけのもの。魔術や異端者を許してはいけない。私も教会の端くれ。そんなことをするわけがないでしょう」
「貴様、誰に向かって」
「長旅でお疲れなのですね。埋葬機関ともあろう御方が私などを相手にお怒りになるなど大変恐れ多いことです」
恭しく首を垂れる詠梨に、これ以上突っかかると自分の名が折れると感じさせてしまうのはもはやセンスなのだろう。
「口だけの若造が……うるせーんだよ……」
「? 何かおっしゃいましたか?」
「何でもない。私がいる間はせいぜい大人しくしていることだ。君の仕事はもう終わったのだからな」
ソロモンは、律架に一瞬目配せをすると教会を後にした。
扉が重い音を立てて閉まる。
「見損ないましたよ」
詠梨は振り返ると、いつの間にか修道服を着た唯架が立っていた。
詠梨はとぼけた振りをする。
「はあ。……なぜ草十郎さんの学校を教えたんですか?」
「時期にバレることです。何よりあの場で私が知らない振りをするのは得策では無いと判断しました」
「詠梨神父なら勝てるのではないですか?」
唯架は本気でそう思っているからこそ尋ねる。
「それはどうでしょう。彼、言うだけの実力はありますよ」
「あの方をご存じだったんですか?」
「ええ、唯架さんや律架さんでさえ埋葬機関の名前くらいは知っているでしょう」
「噂くらいですが。代行者よりもさらに上の存在で実力は教会屈指とは聞いています」
「私も名前だけは聞いたことありましたけど、都市伝説の類いだと思ってました。まさか、あんなおじいちゃんがねー」
「メレム・ソロモンは、魔獣使いと聞きます。どちらかと言えば戦わせる側なのでしょう」
「そんなことよりも、静希さんの身が危ないと思います。まさか静観されるのですか?」
「彼を助けるのですか? あの時は放置しても問題ないと判断したまでです。助けるために引いたのではありませんから」
「詠梨さんったら冷たいですねー。それなら私たちだけでも反旗を翻しますからね」
「今回は姉さんに同感です。それでも神父なのですか?」
唯架の目は閉じていても睨みつけることはできるのだ。
「唯架さんまで。参りましたね。ですが、今宵は引くわけにはいきません。我々は腐っても教会の人間です。それは覆りません。そのためにここに居るのですよ。そして、我々も簡単に処理される側に回ってしまうのだということはよく覚えておいてください。いざという時、あなた方を守り切れる自信が今回はありませんから」
分かってください、と笑う詠梨。
「私は協会の人間でもあるんですー」
かたや、教会を飛び出そうとする律架を、唯架は手で制する。
「大丈夫ですよ、律架さん。草十郎君には二人の魔女が付いています。そう簡単にやられはしないでしょう」
「ぶー。みんなお気楽過ぎ! 青子ちゃんと有珠ちゃんは確かに強いわ。だけど、埋葬機関が実在したんだからこれは大変なことだと思うの。万が一があったら大変だもん」
「そんなに心配ならば、彼を説得して本国へ送り返すくらいなら問題ありませんよ。律架さん、彼と談笑していましたよね。平和的な解決方法を試みてはいかがですか?」
「……あたしでも話通じますかね?」
「ええ、もちろん。律架さんにしかできないことですから。そして、何よりわたしたち私たち曲がりなりにも聖職者ですし」
グッドアイデアと言わんばかりに人差し指を立てる詠梨に、律架は目を輝かせ親指を立てる。
「なるほどー。よし、あたし頑張っちゃおう!」
律架はひとり作戦会議を開くらしく、では!と手を上げ、自室へと戻って行った。
一方、唯架はまだ不安が拭えないようだ。
「詠梨神父」
「唯架さんも早く寝ましょう。みんな昨日から寝不足なのですから」
「ええ、そうですね。そうします。何だか疲れました。では、おやすみなさい」
詠梨はひとり聖堂に取り残されると、扉の前まで歩き、ゆっくりと錠をかける。
震えは不思議と無いが、それよりも。
(四肢が揃っていたのは、最悪かもしれませんね……)
詠梨は自室には戻らず、その足で教会にある黒電話の前まで来ると受話器を取った。
時刻は既に、夜の11時を回っていた。
◇
今まで青子と何度か下校したことはあった。
それもそうだ。同じ高校に通うだけならまだしも、同じ家に住んでいるのだから、タイミングを図らずとも帰りが偶然重なることくらいあるだろう。
話は変わるが、最近の草十郎は俗世間に慣れてきたのか、会話のレパートリーが少しずつ増えてきた。以前は、アルバイトの話しか出来なかった彼の成長は著しい。今日はどんな勉強をしたのだとか、友達から笑われたのだとか、生徒会の手伝いをしたのだとか、女の子とデートの約束をしたのだとか……。青子はずいぶんとそれに驚いたみたいだが、そこは割愛。
何にせよ女子と一緒に帰るくらい何ともないはずの草十郎でも、有珠と下校するとなるとまた話は別になる、というのはいわく本人談。
有珠の通うお嬢様学校である礼園学園の制服は、おしとやかな見た目が評判で、三咲町の通学路で異彩を放つには充分過ぎる。
清楚、可憐、冷静、寡黙、儚さ、白い肌。その言葉たちはこの子を表現するためにあると言っても過言ではない存在なのだと、多くの者が感じているに違いない。
青子とは真逆の注目度だ。
そして、隣を歩いているのは山奥育ちの無害天然転校生ときた。
みんなの視線が向くのも無理のないことなのだが、有珠も草十郎も自分たちが注目されていることにまるで気が付いていない。
そんなことよりも草十郎は、彼女が反応してくれそうな話題を模索していた。
青子なら今日起こった出来事を話せば何かしらのレスポンスが返って来るのだが、有珠とは学校が違うので、彼女とは普段から滅多学業の話はしないからだ。
そもそもなぜこんなことになったのかと言えば、本日、有珠は急ぎ青子に急用ができたらしく、午前で授業が終わったのでその足で三咲高校へと立ち寄ることになったらしい。有珠みたいなレアキャラが来て、用事を済ませてはいそれで終わりですとなるわけがないのだ。やはり一悶着があり、そのままの流れで二人で一緒に帰ることになったのだが……。
草十郎もたまには困り顔をするのである。
「毎日あんなに騒がしいの?」
意外にも有珠の方から話題を振ってきてくれた。
「いつもってわけではないけど、あれが日常だな、うん」
「そう。それなら青子も大変ね。あのお友達たちを束ねる立場なんでしょうから」
「それはそうだけど、どうかな。蒼崎が一番騒がしい気もするから。束ねるというよりも絞めていると言ったほうが近いかもしれない」
草十郎の率直な物言いに、ふっ、と手を添えて笑ってしまう有珠。
「有珠からすれば可笑しい世界なのかもしれないな」
「今まで経験の無かった世界なのは確かね。けど、……楽しいと思うわ」
横を見るともう微笑んではいなかったけれど、でもお世辞を言うような子でもないのだ。そう感じてもらえたのなら良かったと、同じものを共有できたのだと、草十郎はただ嬉しかった。
だからその後、洋館に着くまでの間に大した会話は生まれ無かったけれど、それでも良かったと思うことができた。
◇
三咲高校、校門前。
帰宅部は既に去り、教室に居座り談笑を続けた者たちもほぼ去りつつある、ひと気の無い校門で。
そこにメレム・ソロモンが立っていた。
通りがかるわずかな生徒たちに注目を浴びるも、見た目が教会の人間いわば神父なので、誰も彼も学校との組み合わせに不審がる者などいなかった。
きっと合田教会の関係者で、生徒へのボランティア参加のお願いか何かに来たのだろう。生徒や通行人はすぐに興味を失うと、視線を外して通過していく。
ソロモンは、校門の内側を一瞥する。
「舐められたものだな」
躊躇無く放課後の学校へと足を踏み入れた。
◇
体育館。
本日も卒業式のリハーサルが行われている。
本番も近くなり、本格的に全体を通した予行練習のため、先日までのおちゃらけムードはあまりない。3年生たちも私語を控えスケジュール通りに従っている。
そんな少しピリつく雰囲気の中、後方の在校生の席に座る青子は、何かに反応してすくっと席を立つ。
横で座っていた鳶丸が声をかける。
「おい、順番でも間違えたか。この後は長い長い三崎町関係者各位のお言葉の時間だろう。出番はまだだ」
「校長より話長いとか来年は絶対あたしが呼ばせないわ。ちゃんと会長の引き継ぎ資料に載せておく……いや、そうじゃなくて、ごめん、鳶丸。体調が優れないの。保健室で休ませて」
真剣な顔で両手を合わせる青子の姿をこれも見慣れた光景だなと眺める鳶丸は、決して首を縦には振らない。
「だめだ。流石に代替が効かねえ」
「副会長とは、会長の身に何かあった際、全権を委ねるための役割もあるでしょ。あなたなら可能よ」
「日々会長の業務雑務をこなしてるんだから権力、権限の譲渡なんて今さらだろうが」
「なら」
「ならじゃねえ。祝辞の原稿は存在するのか? 有るなら読むだけだ。それならやってやる」
「え、有るわけないじゃない。原稿なんて要らないもの」
「だよなあ。その場で考えながら話すタイプだもんな。のくせ割と良いこと言えるのがムカつくんだがな。俺は会長様と違って準備に時間をかけないとてんでダメな凡人なもんで」
「時間があれば良いということ? 話は戻るけど、次の出番は話の長い人たちだし、ちょ」
「だー! ちょうど良いってことだろうが。これから頭の中で話を組み立ててそれを忘れずに記憶してあと30分後に俺の口からそれを絞り出す? 馬鹿野郎が」
青子はその言葉を聞いて安心した。
「これで貸し2つ目ね。必ず返すわ」
彼の返事を聞かないままに、姿勢を低くしながら体育館を慌てて退出して行く青子。
「あっ! んのやろう、人の返事も聞かずに。どうすんだ、ったく!」
文句を言いながらも、思考はもう切り替わっている。
頭を抱えながらも、既にその頭の中では祝辞の言葉を組み立て始めていた。
(自分の真面目さがたまに嫌になるぜ)
鳶丸は気が付かない。青子がまったくと言って良いほど元気であったことに。
◇
体育館を出ると、青子は廊下を全力で駆け抜ける。
(侵入して来たということは、草十郎と有珠には出会っていない。タイミングはばっちりね)
時間的にまだ昇降口あたりか。
(あとは大胆な奴じゃないことを祈るのみ)
次の角を曲がるともう昇降口は目前だ。減速し、息を殺しながら頭だけ覗かせる。
「いな……いわね」
気配が無い。どこへ。
「はっ!」
突然、この場の重力だけが増したかのように身体が重たくなる。まるで水底に沈められていくような不快感。
「屋上!」
青子は急いで外に出ると、校舎を見上げる。
そこには荘厳さや神々しさ、憂いや情けも感じられない神父が屋上の縁に立っていた。
「お前が現代の魔女か。随分若いな。これは容易そうだぞ」
つまらないとでも言いたげに、文字通り青子を見下す。比べて我が身は特別であると、横柄な態度を取っているではないか。
「年齢で判断するなんて、この世界では実に浅はかなことだと知りなさい」
しかし、彼女は至って冷静で挑発に乗るようなことはしない。
ここは未だ日常の残る学校。
被害は最小限に。そして、敵には甚大な被害を。
それが生徒代表としての責務であり役割だ。
こと校内での振る舞いに関しては、魔女の前にまず生徒会長なのである。
だからこそ生徒のピンチには自らが前線に出て迎え撃つ。
その瞳だけは真っ赤に燃えていた。ここだけは隠し切れない。
(嫌いではないな)
「名は何と言う」
「蒼崎青子」
「メレム・ソロモンだ」
それが戦いの合図となった。
卒業式のリハーサルよりも大事な行事が、今まさに始まった。
【次回予告】
校内戦。相手の魔獣により青子はボロボロに……。