ハウストレーラーの天井クレーンが微かに揺れて、薄い影が地図の上を横切った。
折畳みの作戦卓に、レンが畝(うね)の地図を広げる。A-08農業区、矩形の畑が風の方向に細長くのび、復水膜のラインが白く記されている。右端に“影道”。左上が柱脚の影。
「ブリーフィング、短くいく」
レンは指の腹で四角をなぞった。「A-08区画を一周、反時計回り。西辺で一回、北で一回、東で一回、南で一回、計四回の定点観測。耳(EARS)ログは三分ごと自動送信。能動は五秒以下、点灯は最小。ビーコンは三基、畦道の合流点に。交戦回避、見つけたら“節の写真”だけ撮って離脱」
「“節の写真”?」ぼく——〈ドライ〉のハルが確認する。
「構造の継ぎ目。糸の根、吸気、軸受。ドールの体も畑の設備も、節(ジョイント)が情報になる」
「了解」ミナ——〈ラビット・ガン〉が受ける。後席センサ席のハーネスを肩にかけたまま、目だけで地図を呑む。
レンは二本指を立てる。「役割。ハルとミナは〈ラビット〉で前。俺とコトはハウストレーラーから。俺がオペレーター。コトはタレットに入って“見えない護衛”。発射権限は俺。けど、撤退裁量は現場のドライだ。——良いね」
「良い」コト——〈スパナ〉が手を挙げる。オイルの付いた指先が、金属よりきれいに見えた。「耳の遅延、昨日より2ms縮んでる。“跳び退き”の圧、今日は少し高めで。足パッド交換したから、足音は減ってるけど、砂利は嘘つくから」
「砂利は嘘つく、ね」レンが笑う。「よし、台詞はそこまで。行って、見て、帰る。観測は作戦だ」
外は午前。柱の影が畑の端で途切れ、白い光が復水膜に跳ねる。
〈ラビット〉は耳(EARS)を寝かせた姿勢で影道を走り出す。後脚のシリンダがわずかに息を吸って、吐く。
「ハウス・ワン、出た。影道は砂利、踏圧安定。受動にノイズなし」ハル。
「スパナ、温度グリーン。右膝の一次ループ、たまに脈打つ。気にしすぎなくていいレベル」コト。
「ハウス・ワン了。西辺の定点、手前二百で一旦停止。ビーコン一」レンの声は乾いて、落ち着いている。紙の匂いと金の匂いで育ったギルドの声と同じ温度だが、こちらは味方だ。
畝は低い。復水膜が朝の空気から水を搾り取り、作物が線として立っている。
「畑、等間隔。等間隔はドールの好物……のはずだけど、来ない日もある」ミナが小声で言う。「受動波形、静か。羽音なし。地表振動、低い——風のしわ、だけ」
「写真だけは撮ってろ。『何もない』写真が一番売れる」レン。
「うちの帳簿には“売れる”と“助かる”が同義なんだよね」コトがにおいを嗅ぐみたいな声で言って、タレットの照準を畑の端にふっと向ける。揺れはない。見守る、というより、見ている。
西の定点。畦道が合流する三角地。〈ラビット〉はしゃがみ込む姿勢で停止し、ビーコンを地面に押し込んだ。
「ビーコン一、点灯。耳ログ送信。写真、熱、音紋、三系統。——送った」ミナ。
「受領。ハウス・ワンで可視化、異常なし。畝の等間隔、機械が好きそうで、人は嫌う」レン。
ぼくは操作に息を合わせる。跳躍バルブに指を置いたまま、触らない。跳ぶのは、逃げるときだけ。
北辺へ。風が路面を薄く削っていく。
「ここ、糸虫(フィラメント)が来た跡、薄いのが残ってる」ミナが言う。
「掃除の跡?」
「たぶん。砂の流れが、例えばこの畝の角の……」ミナは後席から、耳(EARS)の角度で指し示す。〈ラビット〉の“耳”が同じ角度で少し傾き、ぼくのHUDに矢印として現れる。
「写真、撮っとこう」レン。「“何もいない”の語尾を太くする作業だから」
北の定点、二。ビーコンを置き、写真、熱、音紋。送る。
コトの声が軽くなる。「耳、良い。遅延少ない。跳び退きの圧、ほんの少し緩めて正解」
「スパナ、見えてる?」
「見えてる。影道沿い。タレットは待つだけ。発射はレンの合図。」
東辺へ。復水膜が傾き、光が薄くなっていく。
「鳥」ミナ。
「生身?」
「生身。翼根が柔らかい。——気にしない」
東の定点、三。ビーコン三基目は温存。ここは合流点が弱い。写真だけ置いて、通り過ぎる。
南辺。柱脚方向から風が巻く。
「ハウス・ワン、A-08南、潮目変わる。耳の底が少し上がる」ハル。
「了。定点四で切り上げ」レン。声に迷いはない。やることは、変わらない。
南の定点、四。畦道と影道が触れる角。最後のビーコンを地面に押し、耳ログの送信をかける。
「送った。——“何もいない”確率、上がる」ミナ。
「“いないと仮定できる範囲が、増える”、だな」レンが訂正する。言葉の継ぎ目を整えるのは、彼の癖だ。
「退路、影道に戻す。影道、今日の砂利は嘘つかない」コト。
ぼくはうなずき、〈ラビット〉の姿勢を上げる。跳躍はしない。静かに走る。
畑が背中に流れ、柱の影が少し濃くなる。
「A-08一周、完了。ログ、四回送信。——ガレキ、仕事したね」ミナが言う。
「帰るまでが偵察」レン。
「帰ったら、耳の基板、もう一回だけ触りたい」コト。
笑ってもいい場面だったが、ぼくは笑いそうになって、やめた。耳が立ったまま、風の角度を測っている。気配はない。いや、“気配はない”という気配が、ある。
〈ラビット〉が影道の入口に差しかかった時、ミナが短く息を止めた。
「——待って。反応」
後席の合成表示が、わずかな山を描く。数字にすれば誤差の範囲、けれど誤差はいつも“何か”の形をしている。
「種別?」レン。
「音紋じゃない。風の“逆らい”。糸のような、でも張ってない。……違和感。東南、低い」
「ハウス・ワン、停止。スパナ、タレット半起き。能動は点灯五秒。ミナ、耳を一回だけ、優しく」
「了解。——点灯、五秒」
耳(EARS)の先端がほんの少し光り、すぐ消えた。
表示に、しずくみたいな点が一つ、二つ。畝と畝の間、光が揺れる。
「……“いない”写真に、何かが写った」ミナが囁く。
「分類前。距離、二百三十。高さ、地面から十五センチ。動かない。“待ってる”形」
コトが息を吸う音が入った。「糸じゃない……“芽(スプラウト)”?」
レンの声が低くなる。「記録優先。ビーコンは置いた。〈ラビット〉は一歩も前に出ない。——観測は作戦だ」
ぼくは跳躍バルブから指を離し、代わりにスロットルを少しだけ戻す。風の音が大きくなった。
“いない”の向こうにある、何か。
畑の表面で、細い何かが、世界と合意する気配を、待っている。