朝は布の天井を透かして来た。
ミナが昨日選んだ薄緑は、復水膜の朝みたいに光をやわらげる。コトは起き抜けに歯を磨きながら片手で端子の交換を済ませ、〈ラビット〉のEARSに新しい“優しい出っ張り”を差し込んだ。
「遅延、さらに1ms縮んだ。——気持ちいい」
「計測に入らない」レン。
「でも強い」コトとミナと、ついでにぼく。
乾燥食をかじって、ハウストレーラーの戸を開ける。柱脚の影は冷たく、ギルドまでの影道は細い。
新米は足を速くするのが仕事だ。熟成より現場、発酵より摩耗。そういう世界だ。
*
傭兵ギルドのボードが点滅する。
“本日可:農業区灌漑導管の再接続(C)/補助昇降路L-9・障害片付け(C+)/旧倉庫開封補助(C−)”
ぼくらは二行目を見た。背伸びの匂い。
「L-9は本線じゃない。人間の“優先路”が細いぶん、ドールの目も薄い。……いける」レンが言う。
「片付けって、何を?」ミナ。
「“人の都合”の残骸。壊れたフェンスや転がった籠。放っとくと合意層が『正す』から、先に人が直す」ぼく。昨日読んだ“杭打ち機の手入れ”の比喩が舌に残っている。
「子どもはCから」
背中から声。装甲着の誰か、昨日と似た声。
レンは振り向かない。「C+の前金は何割です?」
受付のおっさんが顔を上げる。今日も紙粉と金属の匂い。「二割。サルベ権は危険物除く。撤退裁量はおまえら。——で、ガレキ、L-9をやるのか」
「やる。条件に“ハウス停め場の確保”を追加。牽引頭を昇降路陰に入れたい」レン。
「裏の影道、二枠空ける。C+だから書類は一枚増える。読めるか?」
「文字は食えないけど、読める」ぼく。
おっさんは口の端だけで笑う。「書いて、押せ。……内容はこうだ。L-9の中腹で輸送籠のフレーム破片が詰まってる。合意層が“異物”として処理を始める前に、人間が撤去。想定リスクはハチの巡回と、古い糸(クモ)の残り。Auto-Pileは来ない——今朝のログでは、ね」
「ビーコンは?」ミナ。
「二基支給。上と下の踊り場に。あと、作業用ワイヤと発泡三本。切断は“音より力”でやれ。音はハチを呼ぶ」
レンが即答する。「前金二割受領、L-9 C+をガレキで受託。報告は写真・熱・耳ログ・撤去前後」
「よし。——ガレキ、背伸びの仕方は悪くない」
ベンチから、誰かが小さく「背伸び」とリピートする。笑いは昨日より薄い。数字は信用を削り、また足す。今日は少し足された。
*
作戦卓に地図。コトがワイヤのカラビナを指で回し、ミナは発泡の栓を確かめる。
「ブリーフィング、短くいく」レン。
「経路:影道→L-9下踊り場→中腹→上踊り場。〈ラビット〉先行、俺は〈ハウス・ワン〉でオペ。コトはタレットに入って“見えない護衛”。能動は五秒以下、耳の点灯は必要時のみ。撤去手順は“固定→切断→牽引”。音を出すな。ハチは音と規則違反が好きだ」
「規則違反は、今日だけうちの専門外」ミナが笑い、すぐ真顔に戻る。
「撤退裁量はドライ」レンがぼくを見る。「逃げるときは説明より先に走れ。説明は後で紙に書け」
「了解。紙は好きだ」
「知ってる」
〈ラビット〉に乗り込む。新しい端子は夜みたいに間違いにくく、EARSは軽く起きる。視界の端で、ミナの布が柔らかく揺れた。布は強い。今日は跳躍バルブにも、少し余裕が出る。
*
L-9の下踊り場は、鉄の匂いが強い場所だった。鳴き板が温度で鳴り、風が階段を一段ずつ撫でる。
「ビーコン一、設置」ミナ。
「受領。優先路が細く出た。——行け」レン。
中腹に上がると、見えてきた。
輸送籠のフレームが半分ひしゃげ、昇降路のガイドレールに刺さるように引っかかっている。網のような残骸が風に揺れ、そこに古い糸が薄く貼り付いている。
「糸は生きてない。けど、粘る」コトがタレットから見る声で言う。「音、出すなよ」
「固定から」レン
発泡一本、残骸の根元にまわす。白い泡がきしんで固まり、揺れが止まる。
「切断」ミナがショットガンを持ち替え、切断用の“静かな刃”に換装する。ワイヤカッターの代替。
ぼくは〈ラビット〉の首を低くし、パイルを鞘から半分だけ出す。押し切る力はある。でも音が出る。
「ミナの刃で八割。残り二割、ラビットの押し」レン。
「了解」
刃が網目を“噛む”音は、紙を破るよりも静かだ。糸の層を一枚、もう一枚。
「右上の節、弱い」ミナが耳で示す。
「押す」ぼくは呼吸を合わせ、パイルに体重を載せる。微音。“決まり”がほどける感覚。
「牽引」レン。コトがハウスからワイヤを投げ、ぼくらがカラビナで残骸の脇を取る。
「合図で引く。三、二——」
その時、耳の底が少しだけ持ち上がった。
「ハチ?」ミナ。
「違う。……風の“数”が合わない。人の動きも機械の動きもないのに、一箇所だけ風が節を飛び越えてる」
「ガレキ、停止」レンの声が低くなる。「ミナ、能動は五秒。点灯——今」
EARSが一瞬だけ灯り、すぐ消える。
合成表示に、小さな点が一つ。ガイドレールの裏。
「古い糸の“芯”が残ってる。触ると鳴くタイプ」コトが言う。「切ってから引け。順番を間違えると、音が出る」
レンが短く笑う。「順番は、命」
「了解」ミナが刃の角度を変える。ぼくはパイルを引っ込め、首だけで見守る。
一息で、芯がやせて、切れた。音は出ない。
「引け」
ワイヤが張り、残骸が踊り場側にずるりと滑る。鉄の匂いが少し強くなっただけ。
「固定解除。……静かだ」ミナ。
「写真・熱・耳ログ、撤去前後送信」レン。
「受領——ギルド」回線の向こうで紙がめくられる気配。「良し。上の踊り場のビーコンも置け。C+達成の条件に入ってる」
上の踊り場に上がる。風が少し甘い。
「ビーコン二、設置」
「受領。——ガレキ、帰ってこい」
*
帰り道、〈ラビット〉の耳はよく回り、跳躍バルブは終始、触らずに済んだ。
下踊り場まで降りると、レンの声が少し柔らかくなった。「背伸び、成功。数字にする」
「数字は布ほど柔らかくない」ぼく。
「でも積める」ミナ。
「積んだら足場」コト。
「足場から跳ぶ」レン。——今日は、跳ばないけど。
ギルドに戻る。受付のおっさんは、残骸の写真を二枚見るだけで端末に数字を打ち込み、受領印を押した。
「C+、初回。悪くない。……ガレキ、“Aに届いたら自分で名前を変えろ”って昨日言ったけど、今はこの砕けた響きが似合ってる」
「似合いは武器」レンが受領書を畳む。
「武器は磨け」おっさんは紙粉を払う。「次、CかC+。背伸びは一日一回までだ。筋肉みたいに考えろ」
外に出る。朝の光は、もう少しで昼に変わる。
「C、もう一本いけるけど?」ミナ。
「やめる」レンは首だけで答える。「背伸びは一日一回。今日は“寝る前に端子のハンダ”まで」
「了解。……気持ちよくなる」コト。
「計測に入らない」ぼく。
「でも強い」四人で言って、笑った。
新米のガレージ・キッズ。ガレキ。
一人前になるのは早いほうがいい——というより、“なっている途中”で実戦を離れられない。
ならば、朝ごとに一段、足場を積む。数字で、布で、端子で。
観測は作戦。背伸びも作戦。
今日の背伸びは、うまくいった。明日の足場になる。