「さて、嬢ちゃん。今から漁港の方に行くぞ」
穢れの濁流が収まったところで地面に降り立つと、男は出し抜けにそう言った。
「なにかあるの?」
確かにここは漁村なので、当然だが漁港はある。
しかし村にしてみれば余所者である『そら』の一家が村の生業とも言える港へ易々と近づける訳もなく、『そら』も遊び場である磯の方はともかく、港の方へは殆ど行ったことが無かった。
「色々あるっちゃあるが……ま、目的は偽物の月を暴く事だな」
「えーっと……いま空にうかんでるお月さまって、にせものなの?」
「ああ、そうだ。巧妙に隠されているがな」
男にもう一つもらった飴玉を口の中で転がしながら、『そら』は問う。
空を見上げて月を見てみるが、しかし月は月のままである。
言われてみればほんの少しだけ大きさが違うように見えなくもないが、それは誤差と呼べる程度から逸脱していない。
しかし男が言うからには、きっとそうなのだろう。
「それで、どうしてうみに行くの?」
「海面を大きな鏡に見立てるのさ。鏡は真実を映し出すからな。それを使って、偽物の月を暴き出す。……まぁ、その前に幾つかやんなきゃいけない事もあるが」
ふぅん、と。
何がどうしてそうなるのかはわからないが、とにかくそうすれば事態が好転するのだろうと『そら』は理解する。
「それから、どうするの?」
「まぁ、そうだな……霊地を確保して、俺を喚べればその時点で勝ちなんだが……いかんせん前例が無さすぎるというか、状況が特殊すぎてな。嬢ちゃんにまだまだ頑張ってもらわなきゃならないかも知れん」
「……?」
ふと、男の言葉に違和感を覚える。
男は今、確かに『おれをよぶ』と言った。
その『おれ』と言うのは間違いなく男自身のことを指しているのだろうが、そう考えると『よぶ』の意味がよくわからない。
男は今確かに、この場にいると言うのに。
「さぁ、行くぞ」
その違和感について指摘すべきか否か『そら』が迷っていると、男が手を差し伸べて来るので、その手を取って歩き出す。
■
偽の月を暴く。
これは原作においてはラスボス戦に挑むために必要なイベントであり、それを起こすためには3つの達成しなければならない条件があった。
第一が、特定のボスの攻略。
第二が、『村長の手記』の発見。
そして第三が、特定のアイテムの入手。
この条件全てを満たすためには最短で攻略するにも4体のボスと2つの屋内マップの攻略を行う必要があるわけだが……
この場には俺がいるので、これらの条件はほぼ無視できる。
というのも、原作ゲームだとこれらの条件はあくまで『そら』が今浮かんでいる月が偽物である事を知り、対処に動くためのフラグのようなものであり、最初から全部知っている俺一人がいるだけでフラグは自動的に全立ちするのである。
なので、俺一人がいるだけで大幅なショートカットが可能なわけだ。
■
『そら』にとって実に久々に訪れた漁港は、当然のように寂れ、廃墟と化していた。
並んでいた漁船の数々は錆に塗れていて、幾つかあった建物には植物が繁茂している。
海の向こうに見える防波堤も、すっかりと崩れているようだった。
しかし、そんな風景の事など、『そら』は気にも留めない。
元々がどうだったかすら曖昧なのだから、当然といえば当然だが、それよりも─────
「……もしかしてここ、やばい?」
この場に満ちる異様な雰囲気、とでも言うのだろうか。
先の道祖神と相対した時とはまた別種の恐怖。
今すぐ引き返さなければならない。
そんな強迫観念めいた予感が、ずっと『そら』の背中にしがみついているのだ。
「まぁ、そうだな。重要度で言えば、この
そう言って、男は煙を吐き出した。
二人の周囲に煙が漂う。
「わたしは、ここでなにをすればいいの?」
「ンー……まぁ、特に難しい事はしなくていい。ただ、『あの月は偽物だ』って強く思っていてくれ。それだけでいい」
「……ほんとうにそれだけでいいの?」
「ああ。嬢ちゃんがそう認識する事が重要だからな」
何だか釈然としないが、しかし男がそう言っているのだから何とかなるのだろう。
とりあえず、あの月は偽物であると頭の中で繰り返しながら、男に手を引かれるままに歩いてゆく。
すると、辿り着くのは防波堤の先端部。
すっかりボロボロになったコンクリートの塊に波が打ちつけるそこから、海を望む。
「……?」
男はこれを鏡にして偽物の月を暴くと言っていたが、一体どうするのだろうか、と。
疑問を抱きながら海面に浮かぶ月を眺めていると、何やら月の形が歪んで────
「……!?」
違う。
アレは月が歪んでいるのではない。
海面が盛り上がっているのだ。
「おにいさん……!?」
「大丈夫だ。さっき戦ったアレに比べれば、全然な」
ぐぐぐぐぐ、と。
大量の海水を押し除けて、何かが競り上がってくる。
海の下から、とんでもなく巨大で恐ろしい何かが──────!
「っ……!」
再び、ガクリと意識を持っていかれそうになってしまうが、しかし先ほど受けた衝撃に比べれば、確かに圧倒的にその強度は弱い。
堪え、持ち直すのに、そう長い時間はかからなかった。
「この目で実際に見てみると、信じられんくらいデケェな、コイツ。ダイダラボッチと同レベルか? それとも海にいるダイダラボッチがコイツなのか?」
漆で塗り潰したような巨大な人間の体に、真円に朱色と黒の絵の具をぶちまけたような澱んだ単眼を持つそれは、やはり尋常な存在ではない。
特にその体を構成しているのは、今に至るまで散々見てきた、蠢く黒いナニカだろう。
「……なに、あれ」
こちらをじっと見つめる巨大な一つ目を睨み返しながら、『そら』は問う。
「偽の月の番人だよ。元々は『海坊主』だったんだろうが……穢れと狂気に汚染されて正常な在り方を失い、使役されたってとこだろう。……だがまぁ……そこまで脅威じゃない」
『■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■』
男の放った言葉の意味を知ってか知らずか、男が煙を吐いたと同時に番人は動き出す。
けたたましい水音を響かせて海から持ち上げたのは、その顔に見合うほどに巨大な腕。
その表面には無数の目玉や魚のヒレのようなモノ、イソギンチャクの触手のようなモノがひしめき、蠢いていて、幾多の海の生物を無理矢理固めて圧縮する事でその腕は構成されているのだろうと『そら』は直感的に察する。
そしてその腕がひどく緩慢に見える動きで、しかし凄まじい迫力と威圧感を放ちながら二人の元へと振り下ろされる。
しかし────
「ま、その程度ならな」
まるで透明なドームが二人の頭上にあるかのように、番人の腕は弾かれた。
その衝撃で腕の半ば程までがバラバラに壊れて、海底へと沈んでゆく。
『■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ッッ!!?』
思わぬ反撃に苦しむように、番人は苦悶の声を上げる。
そんな番人の様子に、男は満足げに頷いた。
「うん、やっぱり神格が規格外すぎただけだな。この程度なら、問題ない」
「……これ、なにをやっているの?」
「ン? ……あー……何て説明するか……まぁ、嬢ちゃんが居るからこそ出来る芸当だよ。こんな体じゃなかったら、もっと凄いこともできたんだが……それは後で、だな」
『■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ッッ!!』
怒気を撒き散らす番人が、先程のそれよりも肥大化した腕を二人へ振り下ろす。
しかしやはりその暴力が届くことはなく、二人の頭上で弾けるのみだ。
「さ、嬢ちゃん。一発喰らわせてやりな」
「うん、あの目玉でいい?」
「そりゃあ、あそこまであからさまじゃなぁ」
『そら』が枝を持って駆け出す。
両腕を失った番人は何とか対抗せんとしているようだったが、しかしそれら全てが男によって弾かれる。
抵抗らしい抵抗を許されず、番人はその目玉に『そら』の持つ枝を叩き込まれた。
『■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ッッ────………………』
たった一発。たった一発で、番人は断末魔を上げて、海へと溶けていった。
あまりにも呆気ない……いや、先程男が言った通り、さっきのが強すぎたのだろう。
後ろで男がつぶやいた、ま、元々イベントボスだしな、という言葉の意味は分からなかったが、何にせよ番人は倒せたらしい。
「さて、嬢ちゃん。海を見ろ……始まるぞ」
と、男が視線を下に向けて言うので、『そら』も釣られて下を見る。
そこには先程と同じく、水面に月が浮かんでいた。
……あれが、にせもののつき?
『そら』がそう思った途端、海面に浮かぶ月がぐにゃりと歪む。
波による水面の変化が原因なのではない。
反射した月の像そのものが、その形を変えている。
「……!?」
ぞわり。
途轍もない悪寒が全身を襲い、思わず男に抱きつく。
もはや歪み、蠢いているのは海面に映る月のみではない。
海に映った夜空全体がぐにゃぐにゃと変形し、それに対応するように実際の夜空もその姿を変容させる。
そしてようやく変化が終わったその時には、既にそこは『そら』の知る世界では無かった。
空に浮かぶ月は酷く歪で、不吉な赤の光を放っている。
煌めいていた星々は闇に染まり、黒かったはずの空は穢れたマーブル模様を描いていた。
「……なに、これ」
「正体だよ」
空を見上げて、男が呟く。
「今までの空は、嬢ちゃんが見ていた幻覚だ。しかし、それは解けた。これで嬢ちゃんは正気に戻った。今の嬢ちゃんなら、俺を喚べる」
男は煙を吐くと、『そら』に向けてそう言った。
「神社へ行け。そして、俺を喚べ。いいか? 神社に着いたらヤバい奴が居るだろうが、そいつの言葉に耳を貸さずに、すぐに俺に助けを求めるんだ。……ここは俺が、何とか保たせる」
「……ぇ?」
『そら』は、ほんの一瞬、男が言い間違えたのではないかと疑った。
だって、その言い方ではまるで、『そら』に一人で神社に行けと言っているようではないか。
「……っ!?」
そんな疑問を持って、『そら』は男を問いただそうとした。
直後、『そら』は目撃する。
男の背後に六人の人物が立っている事に。
そして、その更に後ろにも、無数の悍ましい存在が居る事に。
「悪い、正直ここまでとは予想してなかった。だが……嬢ちゃんが俺を呼べさえすれば、それで大丈夫だ。それで嬢ちゃんは助かれる。明日を拝める。だから…………行け! 早く!!」
「う、うん……っ!?」
男の声に、『そら』は状況の理解の追いつかないまま、半ば反射的に走り出した。
目指すのは、山の方にある、古びた神社だ。
左手を包んでいた温もりは、もうない。
■
「……さて」
どんどん小さくなってゆく『そら』の背中を見送ってから、振り返る。
そこに居たのは尋常でない怪異の数々。
船幽霊に大入道に人魚に海牛に……竜だよなあれ、しかもコイツらまさか七人ミサキか。
海に関連した怪異どもが大集結だ。
確かに原作においても、海付近には化け物がほとんど出現しないがアイテムも無く、それらは全て偽の月を暴いてから出現するという仕様だったが。
まさかここまでヤバい事態になっていようとは。
これじゃあ俺が能力を行使しようにも、嬢ちゃんがあの枝を使おうにもまず負ける。
なんとか『そら』は逃がせたが、この体はもうダメだな。
抵抗はしてみるが、これだけの相手にこの体のカスみたいな出力じゃあロクな時間稼ぎにもならないだろう。
となれば、あとは『そら』がちゃんと神社まで辿り着いて、ラスボスの誘惑に乗らずに俺の事を喚んでくれる事に賭けるしかない、か。
「…………頑張れよ」
なんかこの小説関連で書いて欲しいのがあったりしたらここの【お題箱】に突っ込んでみてください。
勿論この小説以外でもなんかあったら突っ込んでみて下さい。
面白そうって思ったら書きます。
あとお兄さんや作中キャラ、作者への質問もここに突っ込んで下さい。
FANBOXあたりでまとめて回答します。
まぁ、答えられる範囲なら、にはなりますが。