「……お、おにいさん……?」
「おう、俺だ」
光が収まると、『そら』の目の前には男が立っていた。
しかし何というか、先程別れた時の男とは、纏っている雰囲気が違うように感じられる。
何というか、より存在感があるというか。
声のするのが、何となく近くなっている気がするというか。
とにかくそんな違和感を覚えたが、『そら』の語彙ではそれを言語化できなかった。
というか、言語化なんてしている場合ではなかった。
「……っ! おにいさん! おにいさんっ!!」
生きていた。無事だった。
元より何があっても平気だとは確信していたが、しかしそれでも心配で。
それでも、こうして助けに来てくれた。
その事実が嬉しくて嬉しくて。
『そら』は、男に抱きついた。
タバコの臭いがほんの少し鼻についたが、そんな事は気にもならない。
安心感や幸福感といった感情が溢れて止まらない。
『縺�繧後□縺九∴繧後¥繧九↑繧医k縺ェ縺ッ縺ェ繧後m縺繧九↑繧医k縺ェ縺ッ縺ェ繧後ッッ!!』
だからこそ、だろう。
ほんの一瞬、『そら』は自分が今、化物の目の前にいるという現実をすっかりと忘れていた。
悍ましい声が周囲に響き、男の背後から怪物が迫っているのを目の前にして、『そら』はようやくその事を思い出す。
「あぶな───えっ?」
危ない。その叫びが最後まで言葉になることは無かった。
『そら』が最初の「あ」を発音した次の瞬間には、怪物は吹き飛ばされていたからだ。
怪物の巨体が神社の残骸に衝突し、痛々しい音を立てて倒れ伏す。
「今この段階でお前を倒すと面倒なんでな。……ちょっと、
男がそう言えば、怪物は即座に硬直し、その極彩色を失う。
まるで石化だ。ビシリ、と音が聞こえて来るようだった。
「こっちはこっちで、ちょっと強すぎるか? ……まぁいい。早速だが、とっとと行くぞ嬢ちゃん。
「えっ、あっ、う、うん!」
男に手を引かれて、鳥居に向かう。
そうして階段を降りようとして────コンクリートの地面を踏んだ。
「……あれ!?」
慌てて周囲を見渡してみると、どうやら『そら』は村の中心付近に居るらしい。
バッと山の方を見てみれば、先程まで二人がいたはずの神社が見える。
「あー、いきなりですまん。ちょっと近道したわ」
「ちかみちってなに……?」
「読んで字の如く、近い道だな。ショートカットとも言う」
「えぇ……?」
無論、『そら』とて近道という単語くらいは知っている。
しかしそれはあくまで常識の範囲内での近道であって、こんな瞬間移動じみた移動のことではない。決してない。
「……でもまぁ、べんりだね」
「そうだろ?」
細かい事は気にしない。
元よりここは今までの常識の通用しない領域なのだ。
瞬間移動的近道だってできる。きっとそう言うものなのだろう。
「……さて」
『縺オ縺悶¢ 縺オ縺悶 縺オ縺繧九 縺オ縺悶¢繧九↑』
気が付くと、周囲はあの不定形な怪物どもに囲まれているらしかった。
そういえば確かに、『そら』が最初にここへ来た時には、コイツらが大量に彷徨っていたのだった。
あの時は何もできず、絶望の淵に沈むだけの『そら』だったが、しかし今は違う。
武器だって持っているし、何より隣には男がいる。
あんな怪物どもと戦っても何とかなったのだ。この程度の連中、すぐに倒せる。
そんな事を思って『そら』は枝を握りしめるが、しかしそんな事をする必要は全く無かった。
「ほい」
パチン。
男が指を鳴らすと、不定形の怪物どもは悉く水に還った。
「……えー……」
やる気、まさかの空回りである。
せっかくお兄さんに良いところを見せようとやる気に満ちていたのに。
『■■■■■■■■■■─────』
と、そんな風に残念がる『そら』の耳に、何やら雄叫びのようなものが聞こえた。
パッと上を見上げると、家ほどの大きさの何かが、この辺り目掛けて落下して来ているようだ。
『■■■ッ!?』
が、それは地面に降り立つ前に爆散して消えた。
その破片は悉くが水へと還り、周囲に飛び散る。
「……もしかして、わたしのでばん、もうない?」
『そら』は察した。
今の男は、多分、さっきまでの男と同一人物ではあるのだが、きっと同じではなくて。
多分、こちらの方が本来の男の力で、男がそれを行使するために、自分が色々とする必要があったのだろう、と。
そしてそれが達成された今、自分のすべき事はもう終わったのだろう、と。
「え? あー……いやまぁ、そうでもないぞ? 嬢ちゃんには、しっかりと『観測』してもらわなきゃ困るんでな」
「かんそく?」
「しっかり見るって事だ。この世界を俺がぶっ壊す様を、是非とも楽しんで鑑賞していってくれ。……正直な話、こんなとこ、大嫌いだろ?」
「うん。だいっきらい」
「派手にやっていいか?」
「もちろん。かんぴなくまでやって」
「
くつくつと男は笑い、懐からタバコを取り出して、咥えた。
やはりその先には、いつの間にか火が灯っている。
「まずは水洗いだよな」
男がそう言うと、どこからともなく雨雲が現れ、豪雨を降らせた。
すると、雨音に紛れて辺りから悍ましい断末魔が幾つも響いてくる。
不思議なのは、それだけの雨の中に傘も持っていない二人が、全く濡れない事だが、まぁ、今更その程度で突っ込んでいたらキリがない。
「家は……まぁ、燃やせば解決か」
轟音を立てて、幾条もの雷が降り注ぐ。
雷の直撃した家々は燃え上がり、その形を失っていった。
「……あ、そんちょーのいえ」
「よし、念入りに燃やそう」
家々の中で一際大きかったその建物に、追加で雷が落ちる。
すると村長の家はガラガラと音を立てて崩れ去り、その残骸も炎に消えた。
……前に、何かの事故で火事になったりしないかな、とは心の奥底で思ったりはしたが、まさかこうして現実のものとなってしまうとは。
まぁ、だからと言って今更、何の感慨があるわけでも無いが。
「次は海と山、どっちがいい?」
「じゃあ、山」
「わかった。んじゃあまた近道するか」
と言って、男が『そら』の手を取って数歩歩くと、そこはもう山頂付近であった。
二人が先ほどまで居たはずの場所は雨に遮られて見えないが、その周辺の燃え盛る炎のオレンジ色はよく見える。
「んで……と。もう何をするまでも無かったか」
男が見下ろす先には、何か大きなものが横たわっているようだった。
……これは、何だろうか。
腕が3対ほどある事を除けば、それは人型……っぽくはある。
全身から伸びた平たい触手は、それぞれが特徴的な模様を備えているようで。
どことなく、あの雄牛に似た雰囲気を感じられた。
ただ、あの雄牛ほどの威圧感なんて微塵も無ければ、もはや敵意すらも感じない。
既にこの雨に打たれて、弱りきっているようだ。
「……このひとも、どーそしん?」
「んおぉ、よくわかったな。正解だ」
男がパチンと指を鳴らすと、その巨体は塵となって消える。
「さっきのが彦星とすると、こっちは織姫ってとこかな?」
「七夕の?」
「そうだ。……そういえば、嬢ちゃんの知ってる今日の日付って……」
「7月6日だよ。やっぱり、かんけーあるの?」
「そりゃあまぁ、あるだろうなぁ。色々な意味で、この領域と相性が良かったわけだ……っと。……ええ、まぁ、はい。俺が全部片付けますので。それまではまだ閉じていただいて」
男が急に、『そら』ではない誰かと話し出す。
話し相手は、解放された織姫様だろう。
……自分をほったらかし、目の前で違う女と会話をされるのは少々頭に来る所はあるが、そんな事で一々目くじらを立てるほど『そら』も幼くはない。
何よりこれは必要な事なのだろうし、神様相手ともなれば男も無下にはできまい。
それに、織姫と彦星と言えば伝説のおしどり夫婦である。
する必要のない心配をする理由もないというものだ。
「で? つぎはうみ?」
「そうなる。行くぞ」
男の手を取って、数歩歩く。もう海だった。
周囲には先程、男と一度別れる前に見たのだろう存在達が未だに居た。
「はい、祟り」
が、一瞬で消滅した。
元々雨に打たれ、あとは消えるのを待つだけの瀕死の状況であったようだが、男が何かを言った直後にベキベキと音を立てて折り畳まれ始め、最後にはバチンと鳴って虚空に消えた。
「……ついでだ。ここも徹底的にやっておこう」
男が虚空に手を伸ばすと、瞬きの間に男の手の上に何かが現れる。
手のひらに収まる球体のそれは、水晶玉だろうか。
「よく見てろよ、嬢ちゃん。こんなの滅多に見れるもんじゃないぞ」
水晶玉が光を放つ。
直後、海が干上がった。
「……はぁっ!?」
ビチビチと、歪な形の魚や怪物が岩礁や海砂の上で跳ねている。
当然、普段は海水のせいで見えなかったが、海の中をこうして上から見るのは漁村に生まれた『そら』の8年間の人生でも初めての経験であった。
「おぉ〜……やっぱり壮観だなコレ」
「すごい! おもしろい! なにしたの!?」
「神器ってヤツだよ。まぁ俺なりに再現した偽物だけどな」
男がそう言って手の上に乗っていた水晶玉を消し去ると、また別の水晶玉を出現させた。
そしてその水晶玉が光を放つと、今度は一瞬で海が満ちた。
「で、こっちも神器。当然、浄化の力を持ってるから、コレで海の中の穢れはキレイサッパリ流せたわけだ。……流石に地上までこれやっちゃうと大惨事だからやらないんだが」
「おもしろそうだけど」
「そうなんだが……まぁ、何だ。色々と混乱が生まれちまうからな。こういう力の行使は、表に影響の出すぎない程度じゃないといけないのさ」
「ふぅん」
まぁ、確かに。
もしここの惨状が外に知られたとして、『原因不明の局所的大津波』とかそういうのになっても、その筋の研究者とか専門家の人達が困ってしまいそうだ。
『そら』はしっかりとそういう事を考えられる少女であった。
「よし。これで大体片付いた。あとは……神社だ」
神社へ移動する。
やはり、ほんの数歩ほど歩いただけだが。
そこには、先程の状態のままで未だに固まっている怪物の姿があった。
あの状態の時は、雨の影響を受けないのだろうか。
と、そう考えていると、男が『そら』の手を離し、怪物のそばまで歩み寄ってから、『そら』の方に向き直る。
「さて」
男が煙を吐いた。
「先に謝っておく。本当に申し訳ない」
「……?」
『そら』は、男が何について謝っているのか、サッパリ見当がつかなかった。
ザァザァと、雨の音が響く。
「まず嬢ちゃんには、知っておいて貰わなきゃならんことがある」
「なに?」
「少々ショックだろうが……今の嬢ちゃんの体は、純粋な人間のそれではない」
「……そうなんだ」
そこまでショックは受けなかった。納得もできた。
やっぱりそうなんだ、と。むしろそういう気持ちの方が強かった。
だって、そうだろう。
男は最初、『そら』がこの夜を何度も繰り返していると言っていた。
であるのならば。
あの黒く蠢くナニカを、『そら』は何度咀嚼し、飲み込んだのだろう。
というか。
他の人間だった存在が、全員あんな事になっているのに。
『そら』だけが無事だというのも、おかしな話ではあったのだ。
「今の嬢ちゃんは、この
固まって動かない怪物を、男はコンコンと叩く。
「だから俺は、嬢ちゃんと共に行動しながら、どうすれば嬢ちゃんをこの夜から引き剥がせるかを試していた。嬢ちゃんに舐めさせた塩飴も、その一環だ」
だが、そのどれもあんまり意味はなかったようだがな、と。
男は肩を竦めた。
「正直なところ、どうしようもないってのが俺の結論だ。俺がどれだけ頑張っても無理……ってか一度死んで蘇りでもしない限りは無理だ。もうそういう次元の話になっちまってる」
「……じゃあ、ほかのほうほうがあるの?」
男が自分との約束を違えるはずがない。
だから男が自分に死ねというはずがない。
そう確信していたから、『そら』はそう聞いた。
「そうだ」
そしてそれは、正解だった。
「要するに、だ。今の状況は、
そこまで言って、男は再び煙を吐く。
「だから、発想の転換が必要だった。で、思い付いた」
「どうするの?」
「引き剥がすがダメなら────完全に一体化しちまえばいい」
「……へ?」
「勿論、嬢ちゃんの完全優位の状態で、になる。そこに関しては俺がどうにでもするので、俺が保証しよう。嬢ちゃんがコイツと一体化しても、嬢ちゃんの人格に一切の影響は無い。その上で、嬢ちゃんが
ただ、人間を止める事にはなるが、と。
男は続ける。
「正直、俺に思い付けるのはここが限界だ。嬢ちゃんを完全な人間に戻そうとするには、あまりにも色々と難しい要素が多すぎる。絶対に不可能、とは口が裂けても言えないが、俺がいても限りなく不可能に近いと言っていい」
男の視線が、『そら』を貫く。
「三つだ。三つの選択肢を嬢ちゃんに提示しよう」
人差し指を立てる。
「一つ。俺が言った方法を受け入れて、人間を止める」
中指を立てる。
「二つ。限りなく低い確率にかけて、人間に戻る。失敗した場合、魂の無事まで保証はできない」
薬指を立てる。
「三つ。
さぁ選べ、と。男は言う。
「……しつもん、していい?」
「勿論だ」
「ひとつめをえらんでも、東京にいける?」
「行ける。俺が保証する」
「あたらしいばしょで、あたらしいくらしができる?」
「できる。それも保証する」
「わたしは、しあわせになれる?」
「その保証はしかねる。そればっかりは、嬢ちゃん次第だ」
「……せきにん、とってくれる?」
「無論だ。全ての責任は俺が持つ」
そっか。
満足げに頷いて、『そら』は呟く。
それならば、選ぶ択は一つしかない。
「じゃあ、やる」
男の目を見据えて、『そら』は言う。
「
「……後悔しないな?」
「せきにん、とってくれるって言った」
「…………わかった。それじゃあ─────」
男が怪物に手を翳す。
するとベキベキと音を立てて怪物は折り畳まれてゆき、最終的には、豆粒のような大きさになった。
「……飲み込みなさい」
「うん」
差し出されたそれを、『そら』は一思いに飲み下す。
瞬間。ドクンと心臓が鳴り──────
「………………あんまり、変わらない」
何だか拍子抜けであった。
もっとこう、苦しかったり、痛かったりするものだと思っていたから。
ちょっと違和感こそ覚えたが、それだけだ。
「まぁ、元々半分くらい一体化してたからなぁ。見えない部分が色々変わってはいるから、その辺については追い追い調べないとな……っと」
パチン。
男が指を鳴らすと、雨が止んで、再びマーブル模様の空が現れる。
「さ、最後の一仕事だ。今や嬢ちゃんは
「……勿論、終わらせる。私は、明日が欲しい」
「やり方は、もうわかるな?」
「うん」
心の中で、直感の赴くままに、念じる。
すると、マーブル模様の空は、溶けるように消えてゆき────
「……眩しい」
「いいじゃねぇか。待ち望んだ夜明けだぞ」
「うん。……すごく、綺麗」
地平線の向こうから、朝日が顔を覗かせていた。
永く永く続いた7月6日は終わりを告げ、こうして明日を迎えたのだ。
生憎と残念な事に、その日は7月7日でこそ無かったが。
しかし明日を迎えられたことは、とても喜ばしい事なのだった。
この話を読んで頭の中にディオの顔が出て来た人は正直に名乗り出なさい。
そして評価を付けなさい。