『
それはラスボスの正体に対するものであったり、主人公の出自に対するものであったり……
時として、ストーリーの展開に対しての考察であったりもする。
その中でも、比較的よく語られる印象があるのは、やはり父親の最期だ。
父親の最期については、ネットでもかなりの疑惑を呼んだ。
なぜ父親は蟹になったのか。なぜ結婚指輪がそのままなのか。なぜ最後に鋏を振り下ろさなかったのか。なぜ他の蟹に八つ裂きにされたのか。なぜ他の蟹は少女に見向きもしなかったのか。
それらの疑問を納得のいく形で解消すべく、幾つもの考察スレッドが建てられ、考察動画や考察記事は、山のように作られた。
そして、その中でも特に有力視されたのは、父と母の夫婦関係に着目した考察だった。
まず
だから父親は、その『縁』を断ち切るために、鋏を持った蟹になったのではないか。
結婚指輪は父と母の『縁』を証明する物だから、結婚指輪がそのままだということは、未だに父と母の『縁』が切れていないという事の証明なのではないか。
そして、父親が少女を襲ったのは、少女に絡みついた母親との縁を切るためではないか、と。
そういう考察があるのだ。
確かにそう考えれば、最期に父親が鋏を振り下ろさなかったのも、あくまで母親と少女の縁を切るためであり、命を奪おうとしたわけではなかったからと考えられるし、その直後に父が八つ裂きにされたのは、
蟹たちが何もせずに帰ったのに関しては……多少、曖昧にはなってしまうが、元来
色々と考えられているが、これだという考察は今のところ見つかっていない。
とにかくここで重要なのは、少女と母の縁についてだ。
それも、臍の緒と胎盤を通じた、強い、強い血の縁。
これは、とても良くないものだ。
これを断ち切らない限り、少女は
これを断ち切らないと、最後の最後で黒幕に付け込まれる。
そしてそのためには、もう少し少女には辛い思いをしてもらわなければならない。
「もう少しだ。もう少しだけ頑張ってくれ。そうすれば、嬢ちゃんは自由になれるんだ」
少女にそう言い聞かせれば、少女が俺に抱き付く力が、ほんの少しだけ強くなった気がした。
■
「……次は、お婆ちゃん?」
歩きながら、『かな』は男に問いかける。
「ああ。嬢ちゃんの祖母がいるのは、南の林だ」
南の林。
『かな』はそこに、学校の行事で何度か行ったことがあったし、それとは関係なく、たまに遊びにいく事もあった。
祖父のお墓があるのもその林の近くなので、お墓参りのついでにちょっとだけ寄って行くというのも、何度かあった。
そんな林に、祖母がいる。
「…………」
一体、どんな姿になっているのだろう。
兄は、鴉になりかけていた。父は、蟹になっていた。
となれば、祖母は?
父がもう既に成り切っていたのだから、祖母もきっとそうなのだろう。
父の時のように、人だった頃の特徴を留めているのだろうか。
そうでなかったとして、『かな』はちゃんと祖母を祖母だと分かってあげられるのだろうか。
「大丈夫だとも。人の縁というのは、嬢ちゃんが想像しているよりもずっと強い。兄も、父も分かったんだ。祖母だけわからない、なんて事は無い」
「……そう、かな」
「ああ。だから、大丈夫だ」
ぎゅう、と。
男の手を『かな』がさらに強く握ると、それに応えるように男も握り返してくれる。
その心地よい圧迫感のおかげで、『かな』は不安を忘れて、大丈夫だと思うことができた。
「……さぁ、見えてきたぞ」
男の声に、顔を上げる。
前方に見える林は、やはり『かな』の知る林ではなかった。
林の真ん中に、何やら小さい山のようなものがある。
「……!?」
否。違う。山では無い。
あの山は、生きている。生きて、動いている。蠢いている。
ゆっくりと、しかし確実に蠢動しているのが、遠目からでも理解できる。
「……何……あれ……」
ずず、ずず。
近づけば近づくほど、巨大なものを引きずるような音が鮮明に聞こえて来る。
同時に、苦しそうに呻く、誰かの声も。
「……今回は、ここまでだ」
林の入り口で、男が足を止めた。
何かを引きずる音が、誰かが呻く声が、鮮明に聞こえる。
その声が年老いた女性のものだと気付いたのは、男が『かな』から手を離した瞬間のことだった。
「お兄さん、あの山みたいなのって……」
「……正解は、自分で確認して来るといい」
その有耶無耶な回答は、しかし答え合わせとほぼ同意であった。
「……ただ、どんな姿になっても、それは嬢ちゃんの家族だ。だから、しっかりとサヨナラしてあげなくちゃいけない」
「…………………………お婆ちゃん」
ずず、ずずずず、ずずず。
引きずる音と一緒に、苦しげに呻く声が響く。
辛いのだろうか、苦しんでいるのだろうか。
「嬢ちゃんの母に嫌われていたみたいだからな。あの姿、あの仕打ちにも納得はいく。……しかし、アレはいったい何のつもりなのかね。あのお方でも気取っているつもりなら、笑いものだが」
男の表情が歪む。
それは憐れむようでも、怒るようでもあった。
少女の、初めて見る表情だ。
「お兄さん……?」
「……おっと、すまん。俺がこんな顔するべきじゃなかったよな。不安にさせてしまった。これから大仕事があるってのに」
男は一度タバコを大きく吸い、そして煙を吐き出す。
それからゆっくりと屈んで、『かな』と目を合わせた。
男の黒い瞳が、『かな』の目にはっきりと映る。
「大丈夫。大丈夫だ。嬢ちゃんも、俺も。だから……」
男の視線が、祖母へと移る。
「早く、サヨナラしてあげなさい。アレはきっと、とても苦しい」
「……うん」
こくりと頷いて、『かな』は林の奥へと向かう。
そう、そうだ。今、お婆ちゃんは、きっと苦しんでいる。
だから、早くサヨナラしてあげなくちゃいけない。
そう思って、『かな』は林の奥へ奥へと進んでゆく。
「うう あ あう い」
苦しそうな声がどんどん大きくなる。
早く、助けてあげなくちゃいけない。
早く、サヨナラしてあげなくちゃいけない。
その一心で、『かな』は林の中を進んでゆく。
「…………ああ」
そして、ついに『かな』は祖母と再会した。
林の中の、ほんの少しだけ開けた場所に、祖母は居た。
「 ぎ いいう あ ぐ うあ 」
山のように見えたその巨体は、黒くてテラテラとした何かに肌を覆われており、よく見れば、その表面には幾つかの突起がついている。
顔と思しき場所には口だけが苦しそうに開閉していて、その口からはごぼごぼと、黒い液体が吐き出されていた。
そしてそれは、肌を覆っているそれと、同質のものであるようだった。
「……おばあ、ちゃん……」
あまりにも、あまりにも痛々しい。
辛そうだ、苦しそうだ。
きっと今この瞬間にも、想像を絶するほどの苦痛を受けているのだろう。
「……なんとか、してあげなきゃ」
そう思うはいいものの、しかしどうしていいかがわからない。
早くどうにかしてあげたいのに。助けてあげたいのに。
焦る気持ちが、『かな』の心から余裕を削り取ってゆく。
「……!」
そうして『かな』が祖母だったモノの身体を観察していると、何やら別の生き物が祖母の体に何体もくっついていることが見て取れた。
それは巨大な蚊であり、ダニであり、ヒルでもあった。
アレらが、ただでさえ苦しげな祖母を、寄ってたかって虐めているのだ。
「……ちょっとだけ、ごめんね、おばあちゃん」
そう理解した『かな』は、祖母の体の突起に手をかけて、祖母の体の上に登った。
■
祖母が化身したのは、ナマコだ。
ウニやヒトデと同じ、棘皮動物に分類される、海の生物。
そして日本神話においては、アメノウズメノミコトに口を切り裂かれた生物としても有名であり……
「自身もそうすることで、かの神にあやかって神格を上げようってか。浅ましいにも程がある」
いくら化身させたとして、人は人に変わりない。
ましてや彼女は無垢な処女でも何でもなく、既に子供を産んで、孫まで持った、人の親である。
ナマコとして扱うには、あまりにも人としての縁が強すぎるのだ。
「それに、かの神は善神だ。芸能と鎮魂、縁結びの神だ。無闇に人を苦しめる真似など、決してしない」
そして、ナマコの化身がこのような林に何故いるかと言えば、それは黒幕、ひいては主人公の母親からの嫌がらせに他ならない。
海の生物であるナマコの肉体は、根本的に陸のそれとは致命的に相性が悪く、故に非常に苦しいが、しかし化生となってしまったせいで死なない、死ねない。
だからここで、彼女はずっと苦しんでいたのだ。
「だが、それもこれで終わりだ」
彼女の苦しみは、主人公である少女が終わらせる。
そうすれば、残るは主人公の母親と、黒幕たるラスボスだけだ。
「……絶対に、嬢ちゃんは助け出して、お前はぶっ潰してやる。覚悟してやがれ、ゴミめ」
そう言って、ほとんど灰になったタバコを握り潰し、俺は新たなタバコに火をつけた。
■
祖母は、静かになった。
体に群がる化け物たちを追い払った途端、暴れようとするのをやめたのだ。
「……遅くなって、ごめんね」
ごぽごぽと、未だに黒い液体を吐き出し続ける祖母の目の前に、少女は跪く。
「……ごめんね、お婆ちゃん。お家、取られちゃった。お爺ちゃんと、お父さんとの思い出の詰まったお家、知らない人のものになっちゃった。お父さんと、お兄ちゃんも、居なくなっちゃった。……お母さんも、もう……」
『かな』の目から、涙が溢れる。
彼女で、最後なのだ。彼女だけが、もう『かな』にとって、最後の家族なのだ。
サヨナラをすれば『かな』の家族は、『かな』の、幸せだったはずの家族は、もう完全に無くなってしまう。
「 あ あ い え」
「………………本当に、ごめんね。今まで、ありがとう」
───────サヨナラ。
祖母は、干上がった。
身体中の水分が一瞬で黒い靄となって霧散し、残った体は砂となり、風に乗って消えた。
瞬間、『かな』を襲うのは強烈な孤独感。
「……………帰らなきゃ」
ふらり、と。
『かな』は立ち上がる。
立ち上がって、男のいる方へ向かう。
寂しい。悲しい。苦しい。怖い。
こんなのは、嫌だ。
あの温もりが、欲しい。
おかえりと、言って欲しい。
それだけが、恐怖を忘れさせてくれる。悲しさを解かしてくれる。寂しさを消してくれる。
それ以外の何もかもが、もう、『かな』には残っていない。
そう。そうだ。
もう、『かな』には何も無い。
家も、親も、兄も。全部全部、無くなってしまった。
幸せだったはずの『かな』を埋めていた全部が、もうすっかり無くなってしまった。
心にぽっかりと、穴が空いたような気分がする。
「……!?」
それを自覚した瞬間、『かな』を襲うのは、激しすぎる寒気。
風はびゅうびゅうと『かな』の体を叩くようで、露出している手と顔は今にも凍りついてしまいそうだ。
関節はギシギシと軋み、前に歩くことさえ上手くできない。
寒い。寒すぎる。
あまりにも寒い。
視界がぼやける。
寒さと痛み以外の感覚がどんどん遠ざかってゆく。
寒い。寒い。寒い。
温まらなければ。
温まらなければ。
温まらなければ。
早く。早く欲しい。あの温もりが欲しい。
もう嫌だ。こんなのはもう嫌だ。あんまりにも寒い。
寒い。寒い。寒い、寒い、さむい、さむい、さむい、さむい、さむいさむいさむいさむいさむいさむいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいはやくはやくはやくはやくはやくはやく はやくはやくはやく はやくはやくはやく はやくはやくはやく はやくはやくはやく はやくはやくはやく はやくはやくはやく はやくはやくはやく はやくはやくはやく はやくはやくはやく はやくはやくはやく ───────────
「──おや、おかえり。どうした、そんなに早く俺に会いたかったのか?」
気付いた時には、男は目の前にいた。
この数時間ですっかり嗅ぎ慣れた、優しいタバコの匂いがする。
「何にせよ、お疲れ……うぐっ!?」
男の腰に抱き付き、コートの裾に頭から体を突っ込む。
やはり、とても温かい。
心の穴が、男の温もりで埋まってゆく。
「…………あー、そうだな。少し、休むか」
そんな男の言葉を聞きながら、『かな』は男の温もりを堪能するのだった。