生きて出られぬ闇の森
生きて出るにはただ一つ
闇の森に迷いこんだなら小さな祠を探しなさい
ケダモノ巣食う闇の森
ニンゲン救う者の土地
闇の森に行ったなら小さな祠を探しなさい
きっとあなたは救われるから
−−−
「カカカッ」
笑いが止まらぬとはこの事か。と、闇の森に住む人間の天敵であるケダモノは歌うように笑う。
その姿は猫に似ているが、人間が見上げるほどに巨大で、よく見れば体が流動し変化し続けている事が分かる。
スフィンクスと呼ばれる種族は体を好きな形へ変化させる。
今も手だけを人間のように作り替えて、餌を捕らえていた。
「信じるものは救われる、だったか。人間とは実に素朴な知性でかわいい生きものよ」
尻尾で餌の頭部をくるりと撫でるように回転させれば、蓋がパカリと開く。
今度は逆の手をスプーンのように変化させ
中身をすくい上げる。
絶命の声をスパイスに、ぷるりと震えるソレを口に運ぶ。
「掬うもの……というのは少し安直か。カカッ、少し噂を流すだけで餌から来るようになるというのに。自ら餌を探しに行く他のケダモノのなんと愚かな事か」
闇の森に笑い声が響く。
次の餌はどう食おうか。そのスフィンクスは最近「至上の餌の食べ方とは」という命題に挑んでおり、上機嫌なまま次のグルメに思いを馳せる。
ぷるりとしたものを納めていた器を1口でゴクリと飲み込んで、アクビを1つ。食事を終えたスフィンクスは体を溶かし祠の中にある箱に収まり眠りについた。
−−−
スクウモノを自称するナマケモノ。
そのスフィンクスは自らのナワバリの中から動かず、来た餌を食らうだけ。
それが日常。
他のケダモノのナワバリを犯さない盟約の元、闇の森の秩序を保つ、守られるべき日常だった。
この話は、そんな日常が壊れ、闇の森を騒がせた新しい伝説の話。
−−−
ある日。祠の前にニンゲンの男がきた。
「スクウモノ様はおられるでしょうか!」
声の大きな愚かな餌。
声のわりに細身で食い出がなさそうで、これはハズレだなと品定めをしていた。
「スクウモノ様に食べていただきたく!」
「頭がおかしいのか貴様」
聞いてはみたものの、答えを聞くまでもなく間違いなく頭がおかしい。食べられたいというニンゲンがいるものか。
ふとスフィンクスは思う。
寄生虫の1種が宿主を操り、宿主を鳥に食べさせる事であらたな寄生先を見つける事があるという。
まさかその類だろうかとスフィンクスは警戒を強める。
疑似餌。ケダモノ種は時に人の姿をとる。
スフィンクスは体を変化させ肉体を人間の形をとることが出来るのだが、ケダモノ種の中には人間の体を操り動かすものもいる。
近くにケダモノの気配はないが、気配を消す、あるいは疑似餌を遠隔操作できるケダモノならあるいは。
知っているケダモノなら、盟約で不可侵条約が結ばれている上、わざわざ痛い目を見に我が祠に近づく事はあるまいが。
「なるほど……余所者か。我の祠に何用だ」
スフィンクスは盟約の外から来た、余所者のケダモノの疑似餌だと判断した。
ナワバリを犯した無礼者の疑似餌を潰してやりたいが、相手の気配が読めていない中で敵対するのは危険だ。
自慢の超感覚のヒゲがピクリとも反応しないことから、相手の隠密はかなり巧みなのだろう。
よって選択したのは、こちらも疑似餌を出しての会話。
言葉は生物としての強さを無視して戦う事ができる重要な手札だ。
尻尾を人間の姿に変化させ、祠から出る。
フェイスベールをつけた、神秘的な雰囲気の美女。スクウモノの噂を流す為に使用したお気に入りの姿だ。
その姿に相手の疑似餌が顔を赤くする典型的なニンゲンのオスの反応を返してくる。まったく巧みな疑似餌操作だと関心する。
「そなたの本体も姿を現すがよい、我と言葉を交わすのに隠れたままとは不敬であろう」
我を舐めるな。
そう言外に言葉を込め、圧をかける。
疑似餌操作になど意識を割けないよう。
この重圧を受ければ確実に臨戦態勢に入るであろうという怒気をぶつける。
このケダモノが闊歩する闇の森で、餌であるニンゲンが迷い込みやすい一等地のナワバリを保持出来ている事が、スフィンクスのケダモノとしての格を表していた。
スフィンクスの圧をうけ、森が息を潜める。
そのスフィンクスに見られてはいけない、気づかれてはいけない。
ナワバリから動かぬ温和なナマケモノ。
そうあれかしと他のケダモノから望まれ願われる。動けば災厄をもたらす森の強者。
あのスフィンクスの尾を踏んだ莫迦者は誰だと、森のあらゆる視線が、スフィンクスに前にいるニンゲンに集まった。
「ぴぇ……」
男は失禁して倒れていた。
「おや?」
スフィンクスは小首を傾げる。
圧をかけてもケダモノらしい気配がない。
「おやおや?」
これはもしかして、まさか、ニンゲンなのでは?
スフィンクスは己が誤った事を理解して、ポッカリと口をあけた。
目の前で倒れている男は、スフィンクスにとって間違いなく未知の生き物だった。
−−−
男は夢を見ていた。
闇の森に来る少し前の夢だ。
夢の中で、男は玉座の間にいた。天井は高く、金と瑠璃で飾られた柱の間を、透き通るような歌声が響く。
「ああ、私の愛しい子、ヌース。
夜空に輝く第三の星よ。
貴方は剣を持たぬ者――
けれど、言葉は刃より鋭く、
知は城壁よりも堅いのです。
どうか、貴方の聡き眼で、兄たちを導いておくれ。
賢き者は、己が王たらずとも、王国を支える柱となるのだから――」
だが、その音楽はすぐに血の匂いと混ざった。
ヴァレリア王国は滅びたのだ。
長兄アルベルトが毒杯に倒れ、次兄セヴェリノが反逆者として斬首されたのは、ほんの三日のうちのことだった。
ヌースは逃れた。従者が逃がしてくれたのだ。私も王国と滅ぶのだと、生かしてくれるな死にたいのだと喚くヌースに、従者は言った。
「第三の星よ。闇の森へ行きなさい、あなたをスクウモノが導きます」
あれは本当に従者の声だったのか。
予言のようなその言葉を確かめるまでもなく従者は凶刃に倒れた。
ヌースは幼き日に読んだ古文書を思い出す。闇の森に迷いこんだなら小さな祠を探せという、スクウモノに関する記述は存在した。
同時に闇の森にそのような救いが存在しないことも、賢人たるヌースは理解していた。
スクウモノはケダモノで、きっとこれは餌を誘い込む罠なのだと。
従者の真意を確かめる術はない。しかし、それでも良いかとヌースは思った。
人の世に戻っても死ぬのだ。
政変の夜、母は炎に焼かれ、幼い従妹は獣たちの慰みものとなり、そしてヌース自身も、裏切りと絶望の中で心を空っぽにした。
「だったらいっそ……人に喰われるくらいなら、ケダモノに食われる方がまだ、良い」
人が語り継ぐ歌で、獲物を誘うケダモノ。そのような知性あるものに食われるのならば。
獣相手ではなく、知性により死ぬのだ。
王族の末裔、ヌース。
死を求めて森に入った男は――
−−−
「まったく、あの程度で心の臓を止めるとは。脆すぎるぞニンゲン」
目を覚ましたヌースは、冷たい草の上で横たわっていた。まだ、生きている。
目の前には人間とは思えぬ……事実、人間ではない美女が覗き込んでいた。
その美女からは、影に隠すように黒い尻尾が伸びており、祠の箱の中につながっているのがヌースには見えていた。
(これがケダモノ……)
想像の何倍も恐ろしく、恐ろしさのあまり、息どころでなく心臓まで止めていたらしい。
ヌースは自らの体を起こそうとすれば、ズキリと胸が痛んだ。
「うっ」
「ああ、力加減が分からんでな、骨が折れてしまったわ、許せ」
胸元を見れば、みぞおちより少し上に手の跡があった。
ヌースは宮廷医師が蘇生法として心臓に負荷をかける秘技があると聞いた事がある。
スクウモノというケダモノは、力だけでない。このような宮廷で秘されるような知識まで身につけているのかと改めて恐ろしく感じた。
自分はとんでもない所に来たのだと顔を青くする。
そしてすぐ、その蘇生法には息を吹き込む手順があることを思い出した。
「おー……ニンゲンの顔色は、かように変化するものだったか……いや、青くなるのはよくみるが赤くなるのは……血液の色が体表に出ているのだとは思うが……」
ぶつくさと、絶世の美女がこちらを覗き込み、まじまじと観察している。
もちろん、その美女がケダモノの疑似餌であり、先ほどのケダモノの威圧は生きた心地がしなかった……実際死んでいたようだが、それはそれとして
絶世の美女なのだ。
「この子に食われるのか……ケダモノは疑似餌として人間の姿を使うと聞くが、これは、罠でも良いと思う気持ちになるな!」
「うわ……キッショ……」
そんな風に引いて罵倒するのはやめて欲しい、今日食われて死ぬという今際の際になって新しい扉が開きそうだ。
食われる。そうだ、その為にここに来て、ケダモノの本性まで間近で見た。
何故生きているのだろうか。
まさかスクウモノは本当に救うものなのだろうか。
「あなたは何故食べないのですか」
「キサマは何故食われたがるのだ」
疑問は同時。
ヌースは思う。人の姿の獣に殺されるぐらいならば、知性あるケダモノに食われた方がマシだと考えてここに来ただけで……本当に食われたいのかと改めて問われるとどう答えたものか悩んでいるうちにスクウモノが答える。
「分からぬ事は気持ち悪かろうよ、食って腹を満たしても解けぬ謎は消化しきれん」
ああ、なるほど。
ヌースは、スクウモノに改めて知性の光を見た。
ヌースも分からない事を分からないままにするのは気持ち悪い性分で、共感できたのも大きい。
従者の予言に従いここに来たわけだが、ここに来て良かったと感じた。まさか、こうした会話が出来るとは。
きっと、スクウモノの疑問に答えれば、疑問が解けて満足したこのケダモノは私を食うのだろう。
それでいいのだ。それがいいのだ。
知性あるケダモノよ、スクウモノよ、私を食べて、殺してほしい。この地獄の世から救ってくれ。
ヌースは語る。
ヴァレリア王国で起きた事を。
食べられる為に。
これは調理の工程のようだとヌースは思った。食べづらいものを食べやすくする為の話。
問いがあれば答え、語る。
ここまで真剣に話を聞いてもらったのはいつぶりだろうか。
願わくば、せめて、食べた後に美味しかったと、そう言ってもらいたいと思いながら。
ヌースは語る。
夜も更け
日が昇り
日が落ちる
話せば話すほど、己の人生にここまで話せるものがあったのかと驚く。
聞き上手……というのも違うのだろう。人生をむさぼり、しゃぶられるような感覚。
このケダモノは知識も咀嚼するのだろう。文字通りに。
月をまたぎ
星が巡り
青々とした森が茶に染まる
ヴァレリア王国の話はとうに尽き、己の話、学問に芸術、外から見た闇の森の話。
ありとあらゆる話をヌースは語った。
寝て、起きて、野草や野ウサギなどわずかばかりの食事をとって、また話す。
話の途中、何度か、知らない人間が森に迷い込んで来たことがあった。スクウモノは邪魔だとばかりにバリボリと頭から食べ、また話をせがんできた。
ヌースもすぐに話を続けた。人を邪魔だと感じたのはヌースも同じだった。
雨の日も、雪の日も
止んで、溶けて
森が花を咲かせ青さを取り戻す頃
ヌースはついに話せる事がなくなった事に気付いた。スクウモノも残念そうに眉を下げた。
「キサマの話は楽しかったが、これで終いか。カカッ見事だった。我が生きる悠久の時の中、これほどまでに退屈に抗ってくれた存在はいなかった」
ヌースはその言葉を聞いて申し訳ないと思った。スクウモノの言葉の裏側を、ヌースは正確に読み取っていた。
物足りぬ、と。
ああ、しかし、語り尽くしたのだ。
ヌースは己の中の知識の湖を探索するも、もう空っぽで干上がってしまっている。
もう少し、もう少し楽しませてやりたいと強く思う。
「ではな、ヌース。知に生きたニンゲンよ、望み通りキサマの血肉を我のものとしてやろう」
がぱりと、スクウモノは口を大きくあけた。
ああ、終わる。この楽しかった時間が。
ヌースはこのスクウモノと過ごした短くない時間を思い出す。それは走馬灯と呼ばれるものだ。
なかでも、スクウモノが邪魔だとバリボリと人間を食べていた光景を思い出す。
己もあのように食べられるのだ、きっと、あのように……
「え、生で食べるのか?」
ポロリとこぼれた言葉は、スクウモノの体を止めた。
「なん……だと……」
「私が野ウサギを食べる時は、血抜きをして香草で包んで蒸し焼きにしたりしていただろう? あ、いや生が良いというならそれでも良いのだ。ただ、私自身あまり食に頓着しない方でもあって気にしていなかったのだが……自分が食べられるとなると、その、あまりにも」
ヌースはスクウモノと視線をあわせる。
その瞬間、ケダモノはニンゲンに圧倒されていた。
「あまりにも、不味そうで」
スクウモノが「至上の餌の食べ方とは」という命題に挑んでいた事をヌースは知らない。
−−−
「カッ、カカッ、そ、そう、調理か、そうとも調理か。まさか我がそこらの獣のように生でいくわけ」
言いながらスクウモノは、ちらりと己の住処を見る。
小さな祠。
ニンゲンに安心感を与え、ニンゲンから近づかせるには最適な住処だと思う。
しかし、今は、調理器具がいるのだ。
祠をひっくり返しても何も出てこない。それはスクウモノ自身がよく知っていた。
以前に見たことのある荘厳な大神殿ならば調理場などもあったのだろうか、しかしそれも何百年も前の話で場所も分からぬし神殿が残っているかも定かでない。
なんだ? 生でも美味いし、良いじゃないか。そう開き直れたら楽なのだろうが、スフィンクスという種族としてのプライドがソレをヨシとしなかった。
スフィンクスは頭が良い。種族として頭が良いのだ。
それをスクウモノは知っているし、なんなら他のスフィンクスよし我の方が賢いじゃろうと思っている。
それなのに、なんで調理を試してこなかったんだと己が己を責める。
いや、理由はある、理解している。餌をなぶって楽しくなっていたのだ。この楽しさが食事のスパイスだよねーとかいって。
楽しさにかまけて、肝心の味覚をないがしろにしていたのだ。
おお、なんと愚かしい!
ここから何とか挽回してプライドを守りたい。自身のみみっちさを自覚しつつも、使える知識を引っ張り出す。
ニンゲンの肉、ようは肉料理という奴だ。
ここ百年は祠に籠もっていたが、それ以前はニンゲンの営みを観察していた時期もあるし、闇の森のスクウモノの噂を広める為にニンゲンの生活圏にいた事もあるのだ。
だから知らない訳では……ない。今まで興味がなかっただけで。
必死に思い出す。そう確か、そう……
「肉を縛る糸がいる……な?」
チラッと横目でヌースを見る。ヌースはなるほど、といったような反応で、これは間違いではないようだ。
その後の調理工程はまだまるで想像できていない……というか糸で縛ったらどうなるんだとかも欠片も知らない訳だが。スクウモノのプライドは一時的に守られた。
「カ、カカッ、さぁでは最高の糸を手に入れにいこうではないかヌースよ!」
「何、わざわざ取りに行くのか」
わざわざ取りに行くのだ。
糸なぞ祠にはないという事実もそうだが、糸を使うそれっぽい調理工程を思い出す為の時間稼ぎである。
「我は思うのだ、食べる素材は採りたて新鮮であるべきだと」
そんな不安などはおくびにも出さず、ヌースの目をみて断言する。
だいたい食べ物なんて新鮮な方が美味いんだから、当たり前の事を強く主張することで説得力を増し、スクウモノの威厳が守られるのだ。
「糸も食べるのか……」
何か間違えたらしい。糸は食べない、スクウモノ覚えた。じゃあ何で縛るんだよ。スクウモノは一瞬口を開き罵倒しかけたが、ぐっとこらえる。
とにかく、糸で肉を縛るのはあっているのだ、これ以上下手な事を言わずに採集に向かうべきだ。
疑似餌でヌースの手をとり、立ち上がる。
「では、話でもしながらゆるりと向かおうぞ」
疑似餌を出して行動する場合、ニンゲンと同等の身体能力で動かすようにしている。それ以上の能力で動けばどうしても違和感が出てきて、ケダモノの姿に気づかれてしまうからだ。
すでにヌースはスクウモノのケダモノの姿を認識している為、ケダモノの姿を隠す疑似餌としての機能は失われているのだが、時間稼ぎには丁度いい。
ゆっくりと1人と1体は闇の森を歩いていく。
肉をどう縛るのかで頭がいっぱいになっているスクウモノは気付かない。
自らがナワバリから動く意味に。
−−−
※〈実現:旅に出ることになりました〉