ケダモノオペラの長いキャラシメモ   作:夢ノ語部

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※〈予言:あなたは1人になりました〉

 西の海は、闇の森に似合わぬほど静かだった。

 波は寄せては返し、遠くで白い飛沫が立つ。アラクネに聞いた陸地を侵食するはずの海岸線は、見た目にはどこまでも穏やかだ。

 

「拍子抜けだな……荒れ狂う海を想像していたのだが」

 ヌースは塩をどう採取するか考えながら呟き、竹籠を背負い直す。

 隣でスクウモノは尾を揺らし、鼻をひくつかせた。

 

「……塩は別の場所で採取することにしよう。これだけ血の匂いが濃いと鼻がひん曲がるわ」

 

 え? とヌースが聞こうと横をむくと、スクウモノよりも先、砂浜に人影が見えた。

 白い砂の上に倒れる、ひとりの褐色の女。

 黒の髪は乱れ砂が混じり、血に濡れた衣が肌に張り付いている。

 かすれた声が波に混じって届く。

 

「……たすけて……」

「! 人だ!」

 

 ヌースは反射的に駆け出そうとする。

 滅びた王国の侍女、血に沈んだ妹の姿――救えなかった者たちが、女の姿に重なって見えた。

 

「待て、馬鹿者」

 その足を、尾が絡め取って止める。

 スクウモノの声は低く鋭かった。

「見ろ。あれは“餌を釣る疑似餌”よ。肉の繰り人形に過ぎん」

 

 ヌースがどういう事かと足を止め観察すれば褐色の女は顔を上げ、絶望を伝えてくる。

 その瞳は涙に濡れ、必死にヌースへと手を伸ばす。

 その仕草は「人間」そのものに思えた。

 

「……違う、のか、本当に?」

 

 ヌースはスクウモノを信じている、無意味な嘘をつくケダモノではないと。

 しかし、どれだけ見てもヌースには彼女が人間としか思えない。

 疑似餌とはこれほどまでに人間に見えるものなのか。

 

「ケダモノの疑似餌といっても様々だ。我のように体を変化させたり、人型を作り上げ動かすケダモノもいるが、アラクネや奴のように食った人間をそのまま疑似餌として使う奴もおる。ほれ、ヌース、ぬしが近づかぬから、痺れを切らすぞ」

 

 次の瞬間。

 女の体が「影」に吸い込まれるように溶け、消える。

 しかし、体が消えても女の影だけは砂浜に残る。

 

「来るか」

 

 スクウモノの声と同時、影がざわりと揺らぐ。

 ヌースとスクウモノが蠢く女の影に注視した時。

 

 ドッ、と砂浜が爆発する勢いで巨大な顎が飛び出す。

 

 それは女の影からではなく、砂浜に落ちるヌースの影から。

 

「ふん、不意打ちなど、読めておるわ」

 

 スクウモノは尾でヌースを引っ張り、その顎から避けさせる。

 

「尾についた餌で魚釣りか。ルアー釣りも良いが餌釣りも良いものだなぁ、こうして愚かなケダモノが釣れるならば」

 

 ぎざぎざの歯並びがカチンと宙で噛み合い、獲物に避けられた恨みを咆哮にのせ、潮風が吹き荒れる。その姿はサメに似ていた。

 それは影の中と海とを自在に行き来する捕食者。

 

「ラハブよ、こんにちは、そしてさようならだ」

 

 スクウモノはラハブのがら空きの胴体に爪を突き出す。

 しかし、その爪はスクウモノがバランスを崩した事で空を切った。

 

「チッ、面倒な」

 

 ヌースには、スクウモノの足が砂浜に飲み込まれバランスが崩れたように見えた。しかしすぐ、違うと理解する。

 スクウモノの影から、もう一つのラハブの顎が湧き出てスクウモノの足を飲み込んで噛み切っていたのだ

 砂浜に鮮血が散り、ヌースが思わず声を張り上げる。

 

「スクウモノ! 足が――」

「慌てるでないよ」

 

 スクウモノは一瞥すると、溶けた肉体を蠢かせ、するりと新たな足を生やす。

 血の一滴も残さず、まるで衣を着替えるような仕草だった。

 

「この程度、毛並みの乱れと変わらぬわ」

 

 呟くようなスクウモノの声音とは裏腹に、ヌースは背筋を冷やした。

 スクウモノの全身から怒気が漏れ出て、怒りに触れまいと闇の森が静かになる。森の全てが恐れをなしていた。

 森が静寂に包まれた事で呟いただけの言葉が場に響いたのだ。

 

 だが、その静寂は続かない。

 

 波間と砂浜の影から、次々とラハブが姿を現す。

 ひとつ、ふたつ、みっつ――十を超え、群れとなって押し寄せる。

 暴虐の化身は世界を脅かし、静寂を引き裂く荒れ狂う咆哮が狂乱の渦に巻き込んでいく。

 

「うるさいわ下郎」

 

 スクウモノの尾がいくつもの数にバラけ、閃き、数体のラハブを粉砕する。

 顎が弾け、肉が飛び散る。

 

 ――しかし。それら全てが影となり、消えていく。

 

「ぬ……」

 

 スクウモノは目を細める。

 確かに打ち砕いたはずなのに、手応えが薄い。

 潰した肉はすぐに砂に溶け、影に還っていく。

 

「ラハブ……ラハブか。幾度討たれようとも終焉を知らず、血と轟音の中で姿を変え続ける怪物。絶望の舞台に君臨するは、無限の進化を宿した咆哮の覇者。などとヴァレリア王国にも伝説が残っておったな? ヌース」

 

 ヌースは青ざめながらも言葉を紡ぐ。

「倒す度に対応して進化するケダモノ……アラクネの群れと戦ったから、数に対抗できるよう進化した……?」

 

「カカッ……つまり、ラハブの群れに見えるこれらは、ただの分身よ」

 スクウモノは嗤う。

「本体はここじゃろ、ラハブ!」

 

 スクウモノの咆哮が海を揺らし。尾撃が海岸の地を砕く。

 次の瞬間、群れのラハブたちが一斉に影に溶け、一際大きい叫びが天を突く。

 

「ヌース、舌を噛むなよ!」

 

 スクウモノがヌースを捕まえ、森のある陸に向けて大きく跳躍する。

 次の瞬間、海岸線が大きく蠢き『海』が跳躍した。

 

「カカッ! 海が陸地を侵食するとはどういうカラクリかと思えば、海岸線と思っていたものは貴様の口元かよ! 魑魅魍魎はびこる闇の森でも貴様ほどの巨体は数えるほどよ!」

 

 ヌースはアラクネの住処ほどの大きさのケダモノを見て、言葉を失う。

 それは海岸線などではなかった。

 森と海を隔てる砂浜はすべて、巨大な顎の一部。

 白波は牙の泡立ちであり、浜辺は唇の縁だったのだ。

 

 一方、スクウモノはニヤリと笑って見せた。

 

「しかし、その巨体でも、我の足には足るまいて」

 

 スクウモノは足元の木を生やした足で踏みしめる。我に敵などおらぬと尊大に笑い飛ばしながら。

 

「噛み千切った足の礼は高くつくぞ、その肉体全てで払ってもらおうか」

 

 −−−

 

 天地を覆う巨体が、海ごと跳躍した。

 海面が隆起し、森ごと牙を突き立てんとする。

 

「来い、ラハブ!」

 

 スクウモノが吼える。

 次の瞬間、巨体の跳躍に押し流されるように、森へ津波が襲いかかってきた。

 木々をなぎ倒し、影を呑み込み、すべてを攫う濁流。

 そしてその中心から、暴虐の化身――ラハブの顎が迫る。

 その大顎は地を削りながら雲を飲み込む、巨大の一言では言い表せない不可避の突進。

 

 闇が迫ってくる。ヌースは絶望を通り越し、ただ受け入れる事しか出来ない。

 天災に対して人は何も出来ずに飲み込まれる。

 そのはずだった。

 

「え?」

 

 スクウモノのケダモノとしての大きさは、人の倍程度。十分に大きくはあるが天地を飲み込むラハブと比較すれば誤差のようなもの。

 しかしスクウモノは、しかとラハブを受け止めた。

 

 尾を分かれさせ、伸ばし、1本が城ほどの大きさの牙に巻き付けた。ヌースに分かったのはそこまで。

 それだけでラハブの巨体がピタリと止められた。

 

 赤子と大人どころか、蟻と象でも比較にならないほどの体格差。普通なら押し合いにもならない。ましてや一方的に受け止めるなどと。

 ヌースは既存の物理法則を無視するような光景に、ポカンと口を開ける事しか出来ないでいた。

 

 ケダモノが理外の生物とはいえ、物理法則から逃れる事は容易ではない。

 特に大きさは力で、重さは絶対だ。

 では何故、スクウモノがラハブを受け止められるのか。

 

 それは象がスクウモノで、蟻がラハブだったからにすぎない。

 

「カカッ、たかだか十数km程度の大きさではな。この星の大きさには到底及ばぬわ」

 

 ヌースの前でも何度か見せたスフィンクスの肉体の超変形。その秘奥。

 

 足の裏から肉体が地に染みる。

 何処までも何処までも、地に、星に、スクウモノが広がっていく。

 

 我こそ、この星に巣食うもの。

 

「カカカカッ! それ、頭を下げよ!」

 

 ぶわりと、ラハブの巨体が宙に浮く。

 

 掴んで投げる。

 

 スクウモノがした事はただこれだけだが、その巨体をもってあらゆるものを蹂躙してきたラハブにとって、初めての経験だった。

 

 超重量が地に落ちる爆砕音。

 

 闇の森の巨大な木々のは、ただ音の衝撃だけでなぎ倒され、森に迫っていた津波はラハブの巨体で堰き止められた。

 

 何が起きたか理解出来ぬまま、ラハブは痛みと危機感に従い暴れ、その場から退避しようと試みる。

 

「いかんよなぁ、それは」

 

 しかし、スクウモノは暴れることすら許さない。

 板のように広げた尾で上から押さえつける。ただそれだけで、ラハブは動けない。

 

「GAAAAAAAAA!!!」

「愚かの極みよ。星の重みを跳ね除ける事など出来ようはずがないではないか。力押しで負けてるというのに暴れようなどと。貴様に出来る事は無様な命乞いのみよ」

 

 潰れる潰れる、潰れる。

 地に、ラハブの身体がメリメリとめり込んでいく。

 

 何故こうなった、ラハブは考える。

 目の前の小さな猫が、見下してくる。

 海も、空も、地も、全てが獲物だった。自分と獲物。世界はそれだけだ。

 では何故だ。

 何故、今、自分は動けないでいるのか。

 

 星とは何か、負けるとは何か、命乞いとは何か。

 知らない、知らない、知らない。

 

 知る必要など、ない。

 

「■■■■■■」

「ぬぅ!?」

 

 唐突な変化だった。

 

 潰された風船が弾けるように、ラハブの肉体が轟音と共に弾けた。

 押さえつけていた尾にかかっていた反発する力が急に消えたことで、スクウモノは尾にかけた重みに負けバランスを崩す。

 

 ケダモノとはいえ、物理法則から逃れる事は容易ではない。

 重さは絶対で、だからこそ、スクウモノは避ける事ができなかった。

 唯一できたのは、抱えていたヌースを放り出す事だけ。

 

 スクウモノの胴が、腕が、足が、そして頭が。世界から消失する。

 

「スクウモノ……? は? 何が」

 

 ヌースは何が起きたのか理解できない。

 理解出来る方がおかしい。

 元々、ケダモノというものは理外の存在なのだ。

 

 ヌースに分かるのは、今、ここにある事実だけ。

 

 ラハブの巨体が弾け飛び、スクウモノの肉体は消失した。

 森も海も砂すら吹き飛び、ただ大地の岩が露出する、そこにヌースがいるという事。

 

 そして、その岩の上にはもう一体。ケダモノがいた。

 

 それは、ラハブだった。

 だが、あの巨体ではない。

 

 質量は消え失せ、残ったのは人の背丈ほどの黒影。だが、砕けた波音が、常にその体から漏れている。

 まるで大海を一滴に凝縮したかのような異様な姿。

 

 ヌースは呆然と見つめた。

 その足元、岩に叩きつけられた残骸が目に入る。

 ――竹籠だった。

 森で集めた竹で編んだ、スクウモノの背にあった竹籠。

 だが今は、木片となりラハブの濡れた足先に転がっている。

 

「……スクウモノ……?」

 

 呼びかけても、返事はなかった。

 あの巨体が弾けた瞬間、スクウモノは飲み込まれた。

 本当にスクウモノが“死んだ”のかどうか。ヌースには分からない。ケダモノの生態など知る由もない。

 

 しかし、残された自分と、目の前のケダモノと――竹籠の残骸だけが事実だ。

 

 ラハブの双眸が光ったような気がした。

 深海の底から射抜くような冷たい眼差しが、ただひとり残された人間を映していた。

 その視線に触れた瞬間、ヌースは悟る。

 

 ――次に喰われるのは、自分だ。

 

 嫌だ。

 ヌースは後ずさる。

 

 胸の奥で、何かがひび割れる。

 

 ヴァレリア王国を出たときは、これでよかった。

 命を終えることに恐れはなかった。

 スクウモノに食われるまでの道行き、たとえスクウモノに出会う前に、他のケダモノに食われたとしても、良かったのだ。

 

 だが今は違う。

 

 スクウモノに惹かれてしまった。

 あの気まぐれなケダモノに、無性に生きてついて行きたいと思ってしまった。

 彼の隣で、まだ見ぬものを見たいと、願ってしまった。

 

 だから、嫌だ。

 ここで終わりたくない。

 

「うわぁぁ!」

 

 ヌースは掴んだもの、身の回りのものをがむしゃらに投げつける。

 ヴァレリア硬貨や、ただの石など。

 意味があるなどとはヌースも思っていない。でも出来る抵抗がこれしかないのだ。

 

 しかし、ラハブはそんなヌースに対して近づくのを躊躇っていた。

 一息に突進すれば口の中に収まりそうな獲物に見える。そう思うものの、つい先ほど、小さな猫に追い詰められたのだ。

 油断など出来ようはずがない。

 

 そのラハブの逡巡の間があった為に、ヌースはソレを手に取れた。

 

 竹籠。

 

 ラハブの足元の竹籠の残骸ではなく、ヌースの背に背負われた竹籠。

 そこにはアラクネの主が作り上げた水晶のような糸玉が入ったままだった。

 ヌースはそれを握り締め、ラハブに向かって投げつけた。

 

「ギッ!?」

 

 糸玉はラハブに触れた瞬間、膨れあがり、拡散し、ラハブを絡め取る。

 

 ラハブは知らない。その糸玉はスクウモノと同格のアラクネの主の糸。

 食い散らかした若いアラクネなどとは比較にならない、世界すら止めてみせる糸。

 ラハブが対抗する為にもがけばもがくほどに動きが鈍くなる。

 

「い、今なら!」

 

 ヌースは森へと駆ける。

 来た時とは違い、ただの1人で。

 

 −−−

 

 ラハブは暴れるのをやめ、ただ佇む。

 厄介な糸が海の水膜で流れ、地に落ちるまで。

 無理にヌースを追う事はしない。ひ弱な獲物が自然の中で生き残れはしないことを知るから。

 そして、もう一つの理由は、目の前のケダモノを警戒している為に。

 

「カカッ、脳が潰されるとは何時ぶりの事か。全く全く」

 

 ドロリと地から湧き出す黒。

 ラハブはその生で初めて嫌悪感を覚えていた。

 喰って尚、目の前に存在し続けるケダモノなど、どうしろというのか。

 ラハブは進化を経て、それでも不意打ちでしか勝ち目が無かったのだと理解していた。

 この期に及んで、目の前のケダモノはこちらを敵としてすら認識していない事も。

 

 自分と獲物、それ以外の何かがラハブの世界に生まれた瞬間だった。

 

「カカカッ、しかしラハブよ、その糸はヌースにやられたか。クカカカカ! ニンゲンが、我を喰ってみせたケダモノを退けるなどと。ククク」

 

 スクウモノは脳を再建した時、当然ヌースはラハブに食われているものだと推測した。

 それがどうだろうか、こんなに推測が外れるなど生まれて初めての体験だ。

 ヌース、ヌース、ヌース。

 スフィンクスは未知へ執着を見せる。スクウモノにとってヌースは未知そのものだと思えた。

 すぐ、そちらにいくよヌース。

 もはやラハブの事もどうでもいい、ヌースを喰っていないのならば滅ぼす理由もない。

 しかし、肉体を喰われた『腹いせ』ぐらいは残していこうか。

 

 スクウモノはスフィンクスの形を再建し、ラハブに向き直る。

 

「ラハブよ、予言しよう。貴様の元に世界を止めるアラクネが来る。閉じた世界で貴様は滅ぶのだ」

 

 言の葉に力が宿る。

 星の巡りがその予言を予言たらしめる。

 世界の根幹に触れる、盛大な嫌がらせ。

 

 それを受けて、ラハブが口を開く。

 

「スカー……だ」

「おっと、喋れたのか貴様。それは名か?」

「そうだ」

 

 必要が無かった為に、使っていなかった発声器官は拙く、たどたどしい。

 それでも、この傲慢なスフィンクスに一矢報いてやりたくなったのだ。

 

「予言しよう、おまえ達は不幸な結末を迎える」

 

 それは予言にはならない、ただの言葉。

 それでもラハブ――スカーは断言する。

 不幸になるのだと。

 ケダモノとニンゲンの間に、惹かれ合うおまえ達に、ハッピーエンドは用意されていないのだと。

 

 ラハブが追う事を辞めた獲物は『つがい』になるのだという。

 スカーは獲物を喰らい続けてきた為に、そんな伝説の真意は知らない。

 しかし、もし、その話が事実だとするなら。

 

 スクウモノ、おまえは不幸になるのだ。

 

 喰らっても形を取り戻すケダモノに、消えない傷を。

 

※〈実現:あなたは1人になりました〉

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