ケダモノオペラの長いキャラシメモ   作:夢ノ語部

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※〈予言:あなたは解けぬ謎に苦しみました〉

 ラハブの咆哮も津波の轟音も、もう遠い。

 残ったのは湿り気を帯びた森の匂いと、濃すぎる闇。

 

 ヌースはよろめきながら歩いていた。

 荷はなくなり軽くなったはずだが、心も体も何もかもが重い。

 海岸に向かう時、歩きやすかったのはスクウモノが森を切り払って進んでくれていたからだ。

 今は、歩くことすらもままならず、這うようにして森を進む。

 

 まだ日は上にあるはずだが、闇の森は夜のように暗い。

 木々の影は不気味に揺れ、形を変えてはヌースの心を締め上げる。

 ただの風か、それともまた顎が影から飛び出すのか。

 

「……スクウモノ……」

 名を呼んでも返事はない。

 あるのは己の荒い呼吸と、湿った土を踏みしめる足音だけ。

 

 そのとき。

 低い唸り声が茂みから響く。

 ヌースが振り返ると、闇の中から黒い獣がにじみ出るように現れた。牙が光り、唾が垂れる。

 

「来るな……!」

 ヌースはそこらに落ちていた棒切れを振り回す。

 だが獣は飛びかかり――次の瞬間、甲高い悲鳴をあげて転がった。

 棒が当たったような感触はなかった。

 理由は分からない。

 ただ獣の体に、裂傷が走り、血が噴き出したのをヌースは見た。

 

「……っ、なんで……」

 ヌースは考える余裕もなく、その隙に逃げ出す。

 

 その時、地面が沈んだ。

 沼だ。

 泥が足を絡め取り、ずぶずぶとヌースを飲み込んでいく。

 必死に這い上がろうとしたとき――。

 ぎしり、と何かが足首を締め上げる。根だ。生きた木の根が蠢き、足の骨を砕かんと締め上げる。このまま沈めてヌースを養分にしようというのだ。

 

「やめろっ……!」

 ヌースは暴れようともがくが上手くいかない。

 だが、その時根は突然ぶるりと震え、力を失ったように弛緩した。

 まるで何者かに斬り払われたかのように。

 

 ヌースは沼から這い上がり、息をはく。

 足は引きずられ痛みに悲鳴を上げている。だが、まだ歩ける。

 

 ヌースは立ち上がる。明確な目的もないまま、進む。

 

 暗闇の上から影が舞い降りた。翼のある魔物が音もなく爪を振り下ろし、ヌースを引き裂く。

 ――はずだった。

 しかし魔物の動きは唐突に空中で止まり、何かに引き裂かれたように真っ二つになって落ちた。

 

 その残骸を見て、ヌースは初めて、その魔物に気付き。ただ呆然と、それを見下ろす。

 

 なぜ、自分はまだ生きているのか。

 人里では多くの犠牲を払わなければ撃退できないような魔物が、こうしてあっさりと死ぬ世界で、自分はなぜ生きているのか。

 

 ヴァレリア王国でも人は簡単に死んでいった。

 あれほど強大なケダモノだったスクウモノすら、あっさりと、呆気なく、命を散らした。

 あまりにも儚い、命とは何だ。

 生きるとは何だ。

 

 ヌースは足を引き摺りながら、答えのない問いを続けながら、森を歩く。

 闇の中でふと――誰かに見られているような気がした。

 だが振り返っても、そこには木々しかない。

 

 −−−

 

 スカーを名乗るラハブを見逃してやった後、スクウモノは森に入ったヌースを見つけていた。スフィンクスのヒゲにかかれば、隙だらけのニンゲンの気配など星の裏にいても掴めるというものだ。

 

 しかし、スクウモノはヌースの目の前に出ていくのを躊躇い、気配を隠しながらヌースについていくだけだった。

 

「あれだけ格好つけて戦って、油断して喰われるなど、ぐぬぬ。ヌースに格好悪いと言われたら我は……! 我は……! おのれラハブ」

 

 恥ずかしいのである。

 

 ちょーーーーっとばかり強いケダモノがいたので、力を見せつけて『さすスク(流石スクウモノの略)』したかったのだ。

 それが……ラハブ! あーーーまりにマヌケな小さな姿に進化したものだから呆けてしまったのだ。

 

 それで、我を喰うなどと、いや! すぐに復活したので! 負けてはおらんのだが! だが! 見られた! あの無様を!

 

「ぐぬぬ……これでは格好がつかん……」

 

 スクウモノがラハブに喰われた時、脳が喰われる前の意識があるうちに最後に見た、ヌースの顔。

 あの顔! あれは絶対に「うわ、食べられてる」って顔だった! 恥ずかしい! 恥ずかしい! 恥ずかしい!

 

 だからだ。今は陰からそっと見守っておる。

 ヌースは気付いておらぬだろうが、闇の森は一歩進むたびに命が削れる魔境。

 だが心配するなヌース。我がいる。うん、まだ見せ場ではないが、陰でこっそり守ってやる。

 

 ――茂みから黒い獣が飛び出す。

 ふん、あの程度の牙でヌースを裂けると思うな。

 尾をしならせ、一閃。肉体が真横に裂け、音もなく転がる。

 ヌースは棒切れを振り回して「やった!」みたいな顔をしておるが……当たってもおらぬよ。ぬふふ。

 まぁ、よい。達成感を味わわせるのも教育の一環よ。

 

 ――おっと、次は沼か。

 ずぶずぶと足を絡め取られ、ヌースが情けない顔で沈んでいく。

「やめろ!」と叫んでおるが……ああ、根がヌースの足に絡んでおるのか。

 まったく、根ごときが我の獲物に触れるなど――生意気にもほどがある!

 爪をひと薙ぎズバリ。根はぶるぶる震え、ばたりと力尽きる。

 ほら、ヌース。助かったのは自分の力……と思っておるな? ふふふ、実際は我が助けているのだ。

 

「ふむ……しかし、まだ劇的ではないな……」

 

 我は考える。喰われた格好悪さが霞む、格好いいタイミングとは何か。

 それともどうだ、もうここで現れてしまうか?

 森を歩くだけで心身が疲弊しているのは見ていれば分かる。ここで助けに入るだけでも良いのかもしれない。

 

 いやしかし、あの無様を見せた直後で出て行っても「スクウモノって弱いから頼りにならないし」って思われるやもしれん。

 それは困る。もっとこう……命の灯が消えかけた瞬間に助け出す! そういう演出が欲しいのだ。

 なにせ、我はスクウモノ。

 

 ――と、その時。

 空から影が落ちた。翼を持つ魔物が音もなく急降下し、ヌースを引き裂こうとする。

 よし来た! これなら派手に――

 

 ズバリ。

 

 ……あ。ヌースは魔物に気付いてすらおらぬ。何故だ、何故見ていない。

 真っ二つになった魔物が地に落ち、ヌースは呆然と見下ろしておる。

 

「ぬう……違う……もっとこう、間一髪で助けて、だな。そういう展開が……」

 

 まぁよい。上手く行かなくともまだまだ時間がある。

 どうせヌースは我の存在に気付いておらぬし、そのうち登場に相応しいピンチも来るだろう。

 

 そんな風に考えていたがスクウモノは見誤っていた。ニンゲンの脆さを。

 

 急にヌースが振り返り、まさか気付かれたのかと焦っていれば、いきなりヌースの体から力が抜け倒れてしまった。

 何事かと見れば、多大な汗に弱々しい呼吸。ヌースが死に瀕しているのだと気付き、スクウモノは慌てふためいた。

 

 −−−

 

「まったく、森を歩くだけで死にかけるとは、本当に脆すぎるぞヌース」

 

 ヌースはいつかのように目を覚ます。

 目の前にはあの時と同じ、スクウモノの疑似餌としての姿があった。

 

 夢だ。

 己の願望がこのように見せているのだとヌースは思った。

 

 すでに失われたものを見る夢は、記憶の中の存在を願望のままに歪めてしまう行いだとヌースは考えていた。

 だから君を夢に見てしまう事に罪悪感を覚えてしまう。でも許してくれないだろうか、これが最期だから。君の元で死ぬ事を許してほしい。

 

 そしてヌースは目を静かに閉じた。

 その瞼を両の手でガッと開かれた。

 

「こらヌース! 二度寝するな! 助けた我に感謝を述べろ!」

「…………ありがとう?」

「カカッそれでいい」

 

 うんうんと頷く美女を見ながら、ヌースは呟く。

 

「…………スクウモノ?」

「ん?」

 

 目が合う。

 夢じゃない、幽霊でもない。そこに立って、そこに生きている。

 どうして生きているのか、どうなったのか。聞きたい事はある。

 でもヌースはそれより思いっきり美女を抱きしめた。

 

「ヌ、ヌース!? どうしたヌース! ああラハブの奴から生き延びたら『サカる』とかいうアレか!? ええいあ奴め、やはり滅ぼすべきだったか」

「……った」

「ぬ?」

 

 慌てるスクウモノに、ヌースは声を投げかける。

 

「良かった、生きていた……良かったぁ……」

 

 ボロボロと両の目から涙を流し、強く強く、抱きしめながら。

 スクウモノは何故かそれを引き離す気にはなれなかった。

 

 −−−

 

 あれほど恐ろしく感じた森が、今は静かだ。

 スクウモノが隣にいるだけでこうも景色が違うとは。

 

 落ち着いた事で疲労と痛みが体を襲っているが、それより、動いていなかった頭が回りだす。

 

 スクウモノが何故生きているのか、ラハブはどうなったのか、気になるのは確かだが、ここにスクウモノが生きている事実がある以上、聞く事に意味はないだろう。

 これから何をする為にどうするのか、ヌースは考える。

 

「……スクウモノ、すまない」

「ん?」

 

 謝罪された意味が分かっていないスクウモノに、ヌースの竹籠を見せる。

 そこにアラクネの糸玉はない。

 

「ラハブから逃げる為に糸玉を投げてしまった。アレはスクウモノがアラクネからもらった物だった。だから、すまない」

 

 そんな事か、またアラクネを絞り上げ糸を貰えば良いと返答しようとしたスクウモノに対して、ヌースはガバリと顔を上げる。

 

「それと、もう一つだ! スクウモノ」

「ぬ」

 

「食べてほしいという約定を無かった事に出来ないか」

 

 それは決死の表情。ニンゲンの中で誰よりケダモノの強大さを知っているヌースが、ケダモノにこんな都合の良い願いを聞いてくれと懇願する。

 

「私は、生きたいと思ってしまった、すまない、すまない……!」

 

 この旅は、スクウモノがヌースを美味しく食べる為の旅だ。

 その前提を覆してくれと、あげた顔を地面に打ち付け頼み込む。

 この旅の決定権は全てスクウモノにあり、ヌースはただの餌なのだから、無様に乞い願うしかない。

 

「それは、嫌だ」

 

 だから聞き届けて貰える訳がない。

 分かってはいた。それも仕方ないとヌースが顔をあげる。元より嫌と言われれば諦めるつもりだった。

 これはただの我侭なのだから。

 

 しかし、顔を上げ、スクウモノの顔を見て、ヌースは己の過ちに気付く。

 

「それは我の元を去るということだろう、旅を終えるという事だろう、嫌だ。嫌だ嫌だ! ヌース! 何故そんなことをいう……! 今更……! 脅威なら我が払ってみせる! もう喰われる無様も犯さん! 嫌だ嫌だ! ヌース!」

 

 子供の見せる駄々のように、嫌だ嫌だというスクウモノの顔を見た。

 何より強大なケダモノが、ちっぽけな力を持たないニンゲンの言葉に傷ついていた。

 

「違う!」

「何が違う!? 違わないだろう、目的を失うということはそういう事だ! 旅を終えるということだ!」

 

 ヌースはこのスクウモノの態度に違和感を覚える。共に居たいのだと、そう言われているように思ったから。

 で、あるならば、そもそもおかしい話なのだ。この旅は。

 

「食われたら死ぬんだよ、ニンゲンは」

「……」

 

 スクウモノが、止まる。それは気付いていなかったからではない。

 旅の目的とヌースと共に居たい思いの矛盾に賢きケダモノは気付いていた。気付いていて目をそらしていた事実を、改めて突きつけられたから。

 スクウモノは、その言葉が剣となって臓腑を貫かれた思いだった。

 

「なぁスクウモノ、私はキミが生きていてくれて、本当に良かったと思った」

 

 ヌースは言葉を紡ぐ。

 

「私は王国であまりに死に触れすぎた。だから忘れていたんだ。生きてる事がこんなに嬉しいなどと」

 

 ケダモノは人の言葉を操る。

 ニンゲンも人の言葉を操る。

 ならば届くはずだ。

 

「だから生きたいのだ、私は。キミの隣で」

 

 それは甘美な言葉。

 思わずスクウモノはその言葉に惹かれてしまう。

 

 しかし、スクウモノはその言葉を受け入れられない。

 それはヌースのいない長い永い、退屈の記憶を持つために。

 

 スクウモノは一度瞳を閉じ、開けた。

 疑似餌としての姿を捨て、瞳孔が縦に開きスフィンクスとして、ケダモノの姿へと戻る。

 

「目的がなければ、生あるものは生きられぬ。ヌース、生きるとは何ぞや」

 

 スフィンクスの謎かけ。

 スフィンクスとは"謎"を象徴する存在だ。

 世界の真理の問いに答える事が出来たニンゲンは、不死のケダモノ『スフィンクス』となる。

 世界の真実に触れることは、世界から逸脱した存在になるがゆえに。

 

 共に生きると言うのならば、そもそも生きるとは何なのか。

 ヌースが答えられるならば、スフィンクスとして共に永劫の時を生きるとしても、相応しい答えになるはずだ。

 答えられないならば……その僅かな生などいらぬだろう。

 

「……」

 

 ヌースは考えこむ。この問いは文字通り生き方を変えてしまう。

 ニンゲンの思う『生きる』をもって問いに答えれば、その理由は種族ごと変化し歪み『生きる』問いに不釣り合いな答えになることだろう。

 ならば種族の垣根を越えて、共通の『生きる』を答えなければならない。

 

 不死のケダモノと、60年程度しか生きられぬニンゲン。命の在り方から違うのだ。

 ヌースは考えこむ。

 

「……」

 

 スクウモノは願う、ヴァレリア王国の賢人たるヌースならば答えられるのではないかと。同族が生まれるのなら、それを祝福しよう。

 答えられぬなら、この謎はヌースを苦しめるだろう。解けぬ謎は時に死よりも苦しい。

 そんな苦しみそのものの謎を、スクウモノはヌースに投げたのだ。

 

 ヌースを苦しませたくなどない、だが問いをしないわけにもいかなかった。

 我はスフィンクスゆえに。

 

 答えが出ないのならいっそ、穏やかな死を与えるべきだろう。

 そうならない事を、スクウモノは願う。

 

「……」

 

 どれだけの時がたったのか。

 それとも瞬きするほどの刹那の時間か。

 

 時すら置いていく思索の末、ヌースは口を開いた。

 

「わからない」

 

 それはスクウモノが望まぬ答えなき答え。

 

「そうか」

 

 スクウモノが息を吐き、慈悲をヌースに与えるべく動き出す。

 しかし、ヌースの言葉には続きがあった。

 

「私はケダモノの事を知らぬ、ゆえに分からない。ケダモノとは何だ」

 

 それはこの世界の真理の一つ。

 ヌースは問いを続ける。

 

「闇の森に人は住まない。それなのにケダモノは人の姿をとり、人を騙す為に真似る。肉が必要なら森には動物の方が豊富だろう。それでもケダモノは人を求める。何故だ」

 

 それはヌースがスクウモノと交流し旅の中で感じていた疑問。

 

 スクウモノの求めた問いの答えではない。

 しかしその真理に近づく問いに、スクウモノはヌースを殺す事が出来ないと思った、思ってしまった。

 

 ヌースならばいつかきっと。

 それは勝手な願いだ。

 

 それでもスクウモノは思う。ニンゲンに、期待してしまう。なぜならこの世は

 

「ケダモノオペラ、人に惹かれ、人を喰らう。悲しい愚かな生き物が踊る、舞台の上。我も、彼も、ケダモノよそうあれかしと望まれた哀れな存在なのさ」

 

 理解などされない、されなくていい。そうあるべき、世界の最奥の謎。その一端にヌースは触れた。

 辿り着いてはいない、我の言葉もただの言の葉の羅列としてしか聞こえていない。認識できるようなものではない。

 

 ヌース、キミの目には我はどう映っているだろうか。

 

 スフィンクスの同族すら、"謎"とすら思えぬケダモノオペラの真理にもっとも近づいた、我に一番近づいた愛しいニンゲンよ。

 

 ヌースならばいつかきっと。この舞台に……。

 

「……私ではスクウモノが何を言ってるのか分からない。だけど分からない事は分かった、そうか……なぁ、スクウモノ」

 

 ヌースが聞く。

 

「この『生きる』ということを、共に探す事を旅の目的には出来ないだろうか」

 

 ああ、オペラの怪物ケダモノとして惹かれているのか、スクウモノとして惹かれているのか。

 スクウモノにはもはや分からない。

 

 これも新しい"謎"というのだろうか。

 

 おお、光の主に呪いあれ。

 スクウモノは世界を作った存在へ呪詛を唱えるが、その呪詛は届かなかった。

 

※〈実現:あなたは解けぬ謎に苦しみました〉

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