闇の森に、静かな足音が戻ってきた。
スクウモノであった。
その手に抱かれているのは、ただ一本の腕。
ヌースのものだった。
肩から先は、もうどこにもない。
炎に呑まれ、灰にされ、跡すら残らなかった。
残されたのは、切り落とされていたこの腕だけ。
スクウモノは黙って森を進む。
闇の森の木々がざわめく。
獣たちが気配を感じ取り、遠巻きに目を光らせる。
だが誰も近づいてはこない。
スクウモノの足取りから滲む「怒り」と「悲しみ」に、ケダモノでさえ身を竦めた。
──ヌースはもういない。
その事実だけが、スクウモノを苛む。
途中で竹を見つけた。
スクウモノの竹籠はスカーに壊され、ヌースの竹籠はドラゴンの炎で燃やし尽くされた。
世界から消えてしまった楽しい思い出をなぞるように、スクウモノは竹籠を作り上げる。
少し上手く作れた竹籠の中にヌースの腕をいれ、スクウモノは進む。
途中、後ろを振り向いてもヌースはいない。
ただ森を進むだけで、とても苦しく感じた。
アラクネの巣、巨木。
若いアラクネすら今のスクウモノに近づこうとはしない、息を潜め通り過ぎるのを待つだけ。
アラクネの主のいる最上層で新たな糸を貰う。
その糸でヌースの腕を縛った。
アラクネは何も言わない、無関心からか同情からか、真意は分からない。
ただ何も言わないでいてくれる事が有り難かった。
西の海。
どうしたものかとスクウモノは考える。
塩の取り出し方をヌースは知っていたのだろうか。
とりあえず腕を竹籠ごと海に漬けてみる。
スカーが腕を喰おうと寄ってきたので、尾ではたいて、これはダメだと伝えた。
塩に漬ける調理中でまだ食べ頃じゃないのだと言えば、白けた顔をしてどこかに行ってしまった。
再度、ヌースを海に漬ける。
跳ねた水は塩っからかった。
祠。
スクウモノの住処。
ここが旅の終わり。
ヌースの腕を前にどうするか考える。
塩に漬けたあと火で炙るんだったか。
指をパチンと鳴らし、枯れ木に火をつける。
ドラゴンの暴力的な炎とは違い、優しく優しく丁寧に腕を炙る。
もういいだろうか
もういいだろう
スクウモノはヌースの腕にかぶりつき
吐いた
「不味い、不味い、不味いぃぃ!」
切り落とされてからここまで、ヌースとの旅をなぞる過程で腕はとうに腐り果て、ぐじゅぐじゅと嫌な臭いが鼻につく。
糸は硬く噛み切れず、塩は臭く嫌な臭いを増幅させる。
こんなもの到底食えたものではない。
「嘘つき、嘘つき嘘つき嘘つき! ヌースの嘘つき! 不味いではないか! こんな……こんな……! こんなはずじゃ……」
スクウモノは旅を思い出す。
その思い出を、目の前の腕が汚していくように感じた。
「違う、ヌース……我は……違う……」
吐いたヌースを見る。
それをかき集め、再び口の中にいれる。
「ぐ、ぐぅ……うっ……」
えづきながら、啜るようにヌースを口の中におさめる。
あの楽しかった旅を嘘にしてしまわないように。
腕を喰らい、吐いて、啜って。
腕が無くなるまで。
愛情が最高の調味料だと、その言葉だけは嘘にしないように。
−−−
ケダモノの慟哭が森に響く。
それは闇の森ではよくあること。
人に惹かれ、人を喰らう
憐れなケダモノ、その舞台
ケダモノオペラ
またお会いしましょう
ここは
どこだ
わたしは
どうして
いきている
山の中腹で男が目を覚ます。
土に塗れた顔を手でぬぐおうとするが、利き手が無い事に気付く。
そうだ
腕は飛んでいった
辺りを見渡すも腕が見つかることはない。
見つけたとしてもどうすることも出来ない。
なぜ
いきている
その問いに答えられる存在はいない。
■■■■■も姿が見えない。
何もする気が起きず、倒れて横になる。
空を見上げれば、あの時と変わらない満天の星空が視界を覆う。
人も、虫も、獣も、声はない。
風が僅かにふくばかり。
月が沈んで
月が昇る
倒れたままでいた男は己の異常に気付いた。
腹が減らない。
体は元気なままで死ぬようすもない。
昇る月を十数えた時、男は体を起こした。
なぜいきている
疑問は尽きない。
しかし死なぬとなれば、ただ横になるのは暇というものだ。
目的が無ければ生きられぬと■■■■■は言った。
ならば今の己は屍だろう。
何か見つける為に体を動かさねばならない。
丁度、天から雨が降ってきた。
不快に思った男は家を作ることにした。
作り方など知識でしか知らないが、死なぬ体はよく動いた。
片手しかない不便も、湧き出る力がカバーした。
もちろん失敗もする。
しかし失敗すれば作り直せばいい。
時間はあるのだから。
そうして家を作っていると、人が来た。
隣国で戦争が起きて、戦火を逃れてきたそうだ。
無駄に作った家を雨風がしのげる場所として提供すれば感謝された。
その人は猟師で、次の日に獣を狩ってきてお礼として一緒に食事をすることになった。
それは男が起きてから最初の食事だった。
食事中、猟師は行くあてがないから、ここに住まわせて欲しいと望んできた。
男も無駄に作った家がただ朽ちるのを惜しく思い了承することにした。
次に戦火を逃れてきたのは、母と2人の子供の一家。父は戦火に焼かれたという。
疲れ果て、熱を出していた母親を家で寝かせ、子供の世話をした。
そうしてまた1人、1人……。
集落が出来、
村が出来、
町が出来る。
男はよく働いた。
その力を使い、知識を使い、頼ってくる人達の為にと惜しみなく助力した。
己の目的は未だ見つからない。
ただ惰性のままによく働いた。
こんな己を救世主だ、救う者だなどと呼ぶ人も出てきたが、そう呼ばれる度に死にたくなった。
何故生きている
そうした中1人の女性が、救世主と呼ばれるのが嫌なのかと聞いてきた。
顔に出さないようにしていたので気付かれた事に驚いた。
己は屍が生きる物真似をしてるだけだ。真っ当に生きている皆の方が立派に思う。だから救世主などと呼ばれると苦しいのだ。
そう答えると女はハラハラと泣き出してしまった。
女は、男の生きる目的になってみせるから、そんな悲しい顔をしないで欲しいと言ってきた。
それから暫くして、男は女と結婚した。
生きる目的はまだ見つかっていない。
あるいは生きるとは、このように惰性で進んでいくものなのかもしれない。
温かな家庭に、温かな食事。
これで良い。これが良いのだ。
季節が巡る。
「旦那様! もうすぐ産まれますよ!」
新たな命が産まれる。
生きている事を世界に示すように、大きな声が家に響く。
生きているのだ。ここに生きているのだ。
涙が出た。
生とはこれほど強く、美しいものなのかと。
生きるとは何ぞや
生きるから生きるのだ
「どうぞ、抱いてやってください」
そういって我が子を手渡される。
片手で抱くのは難しく四苦八苦していた時だった。
「これは……」
「奇跡ですわ……!」
無くしたハズの片手がスルリと伸び、両の手で我が子を抱いた。
助産婦も妻も、子供が起こした奇跡だと湧いている。
しかし、己の体の事だ、男は見たこともある。だから理解できた。
スフィンクスの体の変形。
男は意識すれば己の後頭部を見ることが出来ることに気付く。
男の姿は疑似餌で、己のケダモノの姿がそこにあった。
ケダモノは疑似餌の手の中を見て、腹をぎゅるりと鳴らした。
※〈実現:あなたは最高の美食を口にしました〉
ケダモノオペラは終わらない
もう一話だけ続きます。