「おーい」
僕の生まれた地域にはこんな言い伝えがある。
『海から声が聞こえても反応してはいけない』
僕は海から声が聞こえたことがないからどんなことを言われるのか知らない。ただ、声に反応すると『海にのまれる』と言われている。
だからこの地域の人たちは海に近づきたがらない。そもそも海を見ることすら嫌がっていて、この地域に建つ家の窓は全て海のある方向とは別方向についている。
海はあるのに漁をする人はいないし、海水浴もしない。徹底的に海に関わらないようにしている。
「おーい」
もちろん生活している中で海を一度も見ないことなどできない。
海が見えないように壁が建てられているが、坂を下る時などには絶対に海が見えてしまう。
歩く時には海をみないようにすればいいが、車を運転するときにはそうもいかない。
だからだろう、この地域では事故が多い。
事故を起こした人たちはほとんどが「声が聞こえたから海を見ないようにしたら事故が起こった」と言う。
これは他の地域から来た人には関係ないようで、よく釣りに来たんだろうなという人を見かける。
あくまでこの地域の人だけが海からなにかされるみたいだ。
「おーい」
何年かに一度この地域では人がいなくなる。
みんな家出したり、引っ越したんだと言っているが、そんな理由じゃないことはわかっている。
海から聞こえてきた声に反応してしまったからだろう。
何かの拍子に海を見てしまったり、聞こえてきた声が海からの声だと気が付かなかったり、そうして『海にのみこまれた』。きっとそうに違いない。
「おーい」
7月10日の朝、地域の住民数十人が急に姿を消した。
消えた人たちはみんな海の近くに住んでいた人たちだった。
消える瞬間を見た人はいない。連絡が取れずに心配した人たちが家を訪ねると誰もいなかったとのことだ。
その区域に住む人が朝の支度をしているうちに急に消えたような状態だったらしい。
『海にのみこまれた』
誰の頭の中にもこの言葉が思い浮かんだはずだ。
だけど、誰もそのことを口にしようとはしなかった。
ここまでの人が急に消えたことはないこと、海のことを口にしたら自分まで消えてしまいそうだからだろう。
僕も怖くてこのことをすぐにでも忘れたい。
「おーい」
7月10日のことは地域の人たちの間ではなかったことになった。
誰も海のことを恐れて口にしようとしない。それどころか海を見るまいと外出する人も減った。
みんな家に閉じこもって、食糧の買い出しくらいでしか外に出ない。
外に出る人も帽子を深くかぶって顔が見えないようにしている。
町は昼間でもほとんど音がない静かすぎる場所になった。
学校も休みになり、仕事に行く人も朝早くに出て夜遅くに帰るようにしている。
僕も学校が休みになり、家でじっとしているようにと言われた。
「おーい」
そんな生活が一週間ほど続いただろうか。
僕は家に閉じこもっての生活にうんざりし始めていた。
だから気分転換に外に出ることにした。
家族には心配されたが、帽子をしっかりかぶって耳もイヤホンでふさいでおくと言ったらしぶしぶ外に出るのを許してくれた。
久しぶりの外は人の姿がなく、とても静かだった。
海からの声には気を付けていたが、特に誰かに声をかけられることもなく、ただただ心配して損をするだけになった。
「おーい」
それから数日に一度は外に出るようになった。
その間一度も声をかけられてことはない。
みんな海からの声に恐怖しているようだが、僕は本当にそんなことがあるのかと思うようになっていた。
そうして歩いていた時だった。
「おーい」
後ろから声が聞こえた。それは仲のいい友達の声。
振り向きそうになった。だけど、思いとどまった。
7月10日にその友達はいなくなった。なら、この後ろから聞こえてくる声は――
「おーい」
今度は声が近い。びちゃびちゃと水が滴るような音も聞こえてくる。
逃げないと。
僕はすぐにその場から逃げ出した。地面だけを見て必死に前へ走る。
どのくらい走ったのか覚えていない。気が付くと僕は通っている学校の近くへ来ていた。
僕を呼ぶ声はもう聞こえない。
安心して顔を上げる。そこには衝撃的な光景があった。
いつも通っていた学校、その半分が消えていた。
学校の校舎は僕のいる方向が半分残っていて、もう半分は削り取られたかのように消えている。
海が学校を、土地を飲み込んでいた。
「「「おーい」」」
今度は海の方から声が聞こえてきた。それも複数人、どれも僕の知っている声だ。
すぐに海から目をそらし、家へ走って逃げる。
声は後ろからずっと聞こえてきていたが、家に入ると同時に聞こえなくなった。
「おーい」
あの日から僕は外に出なくなった。
いつまた声が聞こえてくるか怖くて仕方なかった。
海の声のことは家族には話していないが、僕の態度の変化からして察しているだろう。
外に出たくない理由はそれだけじゃない。
僕の体におきた異変、右の足首から下が水のようになってしまっている。
歩くのに支障はないし、靴下をはいても濡れることはない。
ただ、見た目だけが変わってしまっている。
ほんの一瞬海を見ただけなのにだ。次に海を見てしまったらどうなるか分からないという不安が僕を襲っていた。
「おーい」
8月10日、父が仕事に出たきり帰ってこなくなった。連絡も取れない。
父は『海にのみこまれた』、ぞくぞくとした恐怖が全身を駆け巡る。
母はいつまでたっても帰ってこない父のことを心配して一日中そわそわし、椅子に座ったまま寝てしまった。
そんな母に毛布を掛けて僕も寝ることにする。
次の日の朝、部屋を出て一階に降りると母は起きていた。
母は窓の前に立ち、閉め切っていたカーテンを開けて何をするでもなく外を見ている。
嫌な予感がして母にカーテンを閉めるよう声をかけるが、母から返事はない。
すぐに母の方へ駆け寄ってカーテンを掴み、それで外を見せまいと――
「おーい」
「あ」
父の声が聞こえた。
母の目をふさごうとしたが、間に合わなかった。
母の変化は足の先から始まり、数秒後には全身が水のように変わった。
僕が母の目の位置に手をやった時には、その場にびしゃっと母だったものが散っていた。
その時、ほんの一瞬、僕も外を見てしまった。
海があった。
すぐに目をそらしたはずだった。
それなのに、僕の両足は水のように変化してしまっていた。
「おーい」
8月13日、あれから家のカーテン「おーい」を全部閉めて過ごしている。
外から聞こえてくる波の音「おーい」は時間が経つごとに近づいてきていて、今では家のすぐ外「おーい」に海があるようだ。
だけ「おーい」ど、カー「おーい」テンを開けて外を見ようという気にはならない「おーい」。
外を見て「おーい」しまったら母のようになってし「おーい」まうのが分かっていたから。
だけど、一日中聞こえてくる「おーい」呼びかけに「おーい」頭がおかしくなっ「おーい」てしまいそうで。
聞「おーい」こえてくる声は「おーい」全部知ってい「おーい」る声だった。
みん「おーい」な『海にのまれた』
僕も今は「おーい」「おーい」耐えてい「おーい」るけど、「おーい」あとどれ「おーい」だけ正「おーい」気で「おーい」いられるだろうか。「おーい」
「おーい」「おーい」「おーい」「おーい」「おーい」おーい」おーい」おーい」「おーい「おーい「おーい
「「「「「おーい」」」」
おーい
異常の感知された場所の調査を行いましたが、海が広がっているだけでした。
もともと海である場所で怪異が暴れまわったとも考えられません。
恐らく不具合か何かの可能性が高いかと。
…あり得るとすれば怪異が町ごと消し去り、その存在をなかったことへと現実改変を行ったか。
そんなことが起こるとは考えにくいですが…強力な怪異であれば可能かもしれないです。
母が開けてしまったカーテンを閉めるときに見てしまった外。
そこにあったのはどこまでも広がる海。
そして、その中に浮かんでこちらを見つめる二つの大きな目玉だった。
12月31日の投稿はないです