ざあざあと降ってくる雨の中を私は歩いていた。
暗い森の中、雨は私に味方してくれて、私の足音を消している。
後ろから追いかけてくる明かりも見えないということは、私の脱走に気づいた人間はまだいないのだろう。
「寒い…」
4月になって暖かくなってきたが、雨はまだまだ冷たい。
山頂から麓まではかなりの距離があり、疲れと体温の低下で体力がどんどん削られていく。
まだ半分も降れていないのに意識が朦朧とし始める。
だんだん足を前に踏み出せているのかもわからなくてなってきた。
ばしゃりと音が聞こえてきた。
誰かが追いかけてきたのか?違う、私が水たまりに倒れ込んだ音だ。
起き上がろうと力を込めるが、体は動かない。
「誰か…助けて…」
体から力が抜けていく中で私の口からこぼれたのは助けを求める言葉。
誰も助けてくれるはずがないと分かっているのに、死にたくないと望んでしまう。
「……か…るの…」
意識を手放す直前、前から明かりが近づいてきた。
私を追いかけてきた誰かだろうか。
きっと戻ればひどい目にあうだろう。
だけど死ななければいいか。
そんなことを考えながら私は暗闇に沈んでいった。
何かの音が聞こえてくる。
金属の音だろうか。
ゆっくりと私は目を開けた。
「ここをこうして…。お、目が覚めたんだね。よかったよかった!」
誰だろう。
見たことのない女が私を見て微笑んでいた。
「あなたは誰?」
「私?私は
桐谷知世と目の前の女は名乗った。
この山に調査に来たということは十中八九あの場所の調査だろう。
私が逃げ出してきたあの場所の。
「それで、調査をしようと山を登っていたら君が倒れてたってわけさ。びっくりしたよ。まさか夜中に子どもが山道で倒れてるなんて思わないからさ」
桐谷が何かしゃべっている間に私は自分の状態を確認する。
私の体には布切れがかけられている。桐谷のものなのだろうか?
そして、私が今いるのは山の中にある小屋だ。この山の元の持ち主が建てたものだろうか。
布切れをまくって腕や足を見る。擦り傷と切り傷はあるが、骨折などの大きなけがはないようだ。
「ここからが本題だ。君はどうして一人で山の中にいた?」
私が聞いていない間にもいろいろと話していた桐谷の顔が変わった。
それまでと違って真剣な顔つきだ。
(私はどうすべきだろう?)
桐谷の言葉に私は考えこむ。
ここで素直に助けてと言ってしまえば桐谷は助けてくれるだろう。問題はその後だ。
あの場所の奴らは桐谷に私が助けを求めたと知ったら、桐谷を殺す。
あいつらは躊躇いなく人を殺せる奴らだ。
私はそうまでして助かるつもりはない。それに、このままあいつらに見つからなければいいだけの話だ。
「親と一緒に山に入って歩いてたら、私が迷子になった。だから頑張って下山しようとしてただけ」
「嘘だね」
私がまだぼんやりとする頭で考えた嘘は、桐谷に一瞬で見抜かれた。
「君を保護してから人払いの結界をこの小屋の周辺に張った。嫌な予感がしたからね。案の定、君のことを探しているであろう人影が何度も通り過ぎていったよ。見るからに危なそうな人影がね。それに君の体、なにかされているように見えるよ」
「…嫌な予感がしたならなんで逃げなかった」
桐谷はあいつらのことを見ていた。一目見れば危険だとわかるはずなのに。
「それはね…「ここにいるはずだ!」
桐谷が私に応えようとした瞬間、私の一番聞きたくない声が聞こえてきた。
それと同時に窓ガラスが割れるような音がして、自分を包んでいたベールが剥がれるような感覚に襲われる。
「…人払いの結界が壊された。簡単なものだったけど、朝まで持ったからまだいいか」
桐谷はなにかごそごそとし始める。
そうしている間にも外から何人もの足音が近づいてくるのが聞こえる。
窓から外を確認すると、あいつらが小屋に向かって歩いてきている。それに、何かを連れている?
「っ!」
それを見た瞬間、私は恐怖で窓から飛び退いた。
「まさかあんな化け物までいるなんて…」
桐谷も外の様子を見て、驚いているようだった。
外にいたのはどろどろに溶けた犬のような姿をした化け物。
あんなのまでいたら、どうしようもない。
私がここでとるべき行動は…
「やっぱりここにいたか、逃げ出すなんて悪い子だ」
私は小屋の扉を開けて外に出た。
どうせ逃げることはできない。それなら、私は桐谷を巻き込みたくない。
「逃げ出してごめんなさい。これは私一人が計画したことです。他の人は関係ありません」
あいつらのリーダー、父親の前で私は頭を下げた。
次の瞬間、私の頬に鋭い痛みが走った。
「親に嘘を吐くように育てた覚えはないんだがな」
父が私の頬を思いっきり叩いたからだ。
「何のために犬を連れてきたと思う?お前の姿が見えないから、匂いで探すためだ。犬はお前以外の匂いを感知したぞ?あの中にいるんだろう、お前を助けた者が」
父たちは桐谷の存在に気づいていた。私のせいで無関係の人間が死んでしまう。
「おい、犬を連れて小屋の中の人間を殺してこい。我々の存在を外部に漏らされては面倒だ」
父の命令で男が一人、化け物を連れて小屋の中に入る。
そして、ぐしゃりという音と共に血が飛び散る様子が私の目に映った。
「あ、あああああああ!!!」
私のせいで桐谷が死んだ。
それを理解した瞬間、私は叫んでいた。
「そうだ、お前のせいで一人の人間が死んだ。それを理解しろ。お前が逃げ出せば、無関係な人間が死ぬことになる」
父がもう私が逃げ出すことが無いようにと楔をつけてくる。
「施設に戻るぞ」
膝をつき、涙を流す私の体を父が抱え上げる。
私は抵抗することもせず、されるがままだ。
「勝手に殺さないでくれないかなあ」
その時、小屋の中から声が聞こえてきた。
それは死んだと思っていた桐谷の声。
「私はね、この山に調査をしに来たんだ。ある団体の調査をね」
返り血を浴びた桐谷がゆっくりと小屋から出てきた。
その手にはナイフのようなものが握られていた。
「怪異を使って人に害をなす団体って話だったかな?その団体を調査し、壊滅させるのが今回の私たちの任務」
そのナイフを襲い掛かる父の部下に向かって振り下ろす。
そのナイフに触れた瞬間、父の部下はその場に倒れこんだ。一瞬で気絶したように見える。
「そのついでに実験もしておこうと思ってね。怪異には怪異をってやつだよ。怪異を材料に作り出した武器の性能を見ておこうと思ってね」
父の部下が桐谷に各々の武器で襲い掛かるが、桐谷に触れることすらできずに崩れ落ちていく。
「怪異には致命的なダメージ、人間には気絶する程度のダメージ。試作品としては最高の出来だね」
ナイフをほれぼれとした表情で桐谷は見ている。
「お前は何者だ?」
父は呆然とした表情で桐谷に問いかけた。
十数人もいた部下が一人に傷を負わせることすらできずに全滅したことが信じられないのだろうか。
「正常維持怪異収集機関、犬部隊の桐谷知世さ」
桐谷が問いに答えると同時に父は地面に倒れた。
「遠距離への対応も問題なしと」
一人であいつらを倒した桐谷は満足そうだった。
「あとは君がどうするかだ」
「私が?」
あれから少しして、桐谷の仲間のような人が父たちを回収していった。
どこへ連れていかれるかなんて興味はない。
そうしていると桐谷が私に話しかけてきた。
「君には選択肢がある。機関とつながりのある養護施設に入って、これまでとは違う新しい生活を送るのが一つ目だ。二つ目は、私のように怪異やそれに関わる組織と戦うための機関に所属するか。君には素質がある」
桐谷の提示した選択肢で普通、私が選ぶべきなのは一つ目だろう。
これまでと違う幸せな生活を送る。それが一番いいのだろう。
「私は桐谷と一緒に戦いたい」
だけど、私は二つ目を選んだ。
桐谷の戦う姿に私は憧れた。あんな風になりたいと。
それに、父のような人間がいることで、私のような子どもが生まれることがあってはいけない。
だから、私は戦う道を選んだ。
「うん、いい覚悟だね」
桐谷は嬉しそうに微笑んだ。
「そういえば、君の名前をまだ聞いてなかったね。教えてくれるかい?」
「私の名前は、詩織。楓乃宮詩織」