日が山の向こう側に消え、薄暗くなった町。
その誰もいない静かな町を一人の少女が歩いている。
「ながつぐー、どこにいったー」
少女、音無響は黒瀬永嗣を探していた。
だが、彼が一向に見つかる様子はない。
「まったく、ながつぐのめんどうを見るのはたいへんだ」
手間のかかる子どもを見ているかのように響は呟く。
かれこれ一時間以上も響は永嗣を探し続けている。彼女がそうなってしまうのも仕方がないだろう。
そしてずっと歩き続けていて疲れてしまったのだろうか、響は頭の中に靄がかかったようにぼんやりとしてくるのを感じていた。
」響、そろそろ家に帰りましょう?「
そんな響の後ろにいつのまにか誰かが立っていた。
「お母さん」
響が振り返るとそこには彼女の母がやさしく微笑んでいた。
「でも、ながつぐをさがさないと」
」ながつぐ?お友達のことを言っているの?「
「うん、私の大事な友だち」
だが、響は母の言葉を聞かず、永嗣を探し続けようとする。
」もうこんなに暗くなっているし、その子も家に帰っているんじゃないかしら?それに、こんなに暗くなっているし私たちも家に帰りましょう「
そんな響の手を母親はしっかりと握った。
確かに母親の言うことが正しい。暗い町を幼い子どもがひとりで歩いていては何があるか分からない。
「…わかった」
それは響も分かっていた。それに母親は響を心配するように手を掴んでいる。その手を振り切ってまで永嗣を探す気は響にはなかった。
」さあ、早く家に帰りましょう。お父さんも鳴太も家で待ってるわよ「
ぼんやりとした表情のまま、響は引っ張られるように母親に連れていかれる。
(なにかわすれている気がする…)
何か大事なことが頭から抜け落ちている。響は何を忘れているのか自問する。
だが、母親に手を引かれて歩いているうちに自分が何を考えているのかすらあいまいになっていった。
」おかえりお母さん、お姉ちゃん!「
」おかえり。ずいぶんと遅いから心配したよ。まあ、無事に帰ってこれてよかった「
帰宅した響たちを迎えたのは彼女の弟の鳴太。そして、奥から父親が出てくる。
「ただいま、お父さん、鳴太」
毎日見ているはずの家族。それなのになんだか久しぶりに見た気のする家族にどこか違和感を覚えながらも響は返事をした。
」さて、晩御飯にしましょう。響、手をちゃんと洗いなさいよ「
「はい」
母親に言われ、響は洗面所へ向かう。
そして、洗面所。そこにある鏡を何となく響は見た。
「あれ?」
洗面所にある鏡。本来ならそこに自分の姿があるはずだ。だが、響の視線の先には自分の姿はない。
響は見間違いかもしれないと一度視線を外してみるが、鏡には誰も映っていない。
「鏡に映らない?」
本来は自分の姿を映すはずの鏡、そこに自分が映っていない。
何かがおかしい。ぼんやりと頭にかかっていた靄が晴れていくのを響は感じていた。
それと同時にこの家にいる家族は本物なのだろうかという疑念が湧き上がってくる。
」響、早くしないとごはんが冷めちゃうわよ?「
母親が何かを言っているが、響の意識は自分が何か異常な状態なのではないかということに向けられている。
「…たしかめないと」
洗面所を出てリビングへ。
」ほら、早く座ってごはんにしましょう「
洗面所から出てきた響に声をかける母親。
「ちがう」
頭に靄がかかっていた時には母親のものだと信じてしまった声、その声は響の記憶にある母親の声と似てはいるが違うものだった。
「音がちがう」
そして目の前の家族たちの出している音、呼吸や体を動かしたときに出る音、それらの音は人間の物とは少し異なっている。
「私の家族じゃない」
自分の目の前にいる家族は、自分の家族ではない。
それに気づいたと同時に響はなぜ自分がここにいるのかを思い出した。
「おまえはだれだ」
すべてを思い出した響は目の前の偽物を睨みつける。
ここが鏡の世界なら自分の目の前にいる家族は怪異の作り出した存在。正体が判明したからには襲ってくるだろう。
響は身構える。
しかし、響の予想に反して偽物の家族たちは響に何もしてこず、ゆっくりと泥のように溶けて崩れていった。
家族だけではない。家具も壁も、家全体が泥のように崩れていき、後には空地の真ん中に立つ響だけが残った。
「…いやがらせしてきた」
偽物とはいえ、自分の家族の形をしたものが笑顔で崩れ落ちていく様子は響に不快感を与えるものだった。
「ながつぐをさがさないと」
だが、その不快感を彼女が引きずることはない。
すぐに永嗣を探して夕暮れの町を歩き始める。
響の中にある家族の記憶、それが彼女の素早い思考の切り替えを可能にしていた。
「そうそう、それでさ」
昼休みの教室、黒瀬永嗣は彼の友人と会話をしていた。
特にこれといったことについてではなく、他愛もない会話だ。
」それで××だったってわけか~「
「そうなんだよ。本当にさあ~」
平和な日常。なぜか懐かしく感じる時間を永嗣は楽しんでいた。
「何をしている?」
その日常を突き破って来たのは誰かの声。
その声は永嗣の恐怖を刺激する声だった。
「ひっ!!!」
誰の声なのかは思い出せないが、永嗣は冷たい水を突然かけられたような気分になった。
それと同時に彼の見ている景色が歪み始める。
「ながつぐ」
景色が友人が泥のように崩れていく中、誰かが自分を呼ぶのを永嗣は聞いていた。
「ながつぐ起きろ」
身体を揺さぶられる感触で永嗣は目を覚ました。
「…響?」
永嗣がゆっくりと目を開けると響が覗き込んできている。
「あれ?学校で話をしてたはずなのになんで…?」
先ほどまでの平和な日常と打って変わって、今永嗣が立っているのはさびれた空地。
その変化に永嗣は混乱してしまう。
「ながつぐもわなにはまってたんだよ」
「っ!そうだ、怪異は!」
だが、響の言葉ですぐに状況を把握した。
「どこにいるかわからない。だけど、わかったことがあるから言うね」
響はこの世界が鏡の中の世界だということ、怪異がその人物の望んでいるものを作り出して人を幻想にとらえていることを説明する。
「…わかった。ここから出る方法が分からないならまずはこの世界に攫われた人を助けよう」
ここから出る方法がない以上、できることをする。その永嗣の言葉に響は頷いた。
それから二人は鏡の世界にとらわれている人たちを助け始めた。
家族と幸せそうに暮らしている者、金に囲まれている者、自分の夢がかなったことを喜んでいる者、欲望のままに行動している者。
その怪異が作り出した幻想にとらわれている人を助けだしていく。
助ける方法は簡単だった。その人の見せられているものを破壊するか、響が日常にはない音を聞かせるだけでいい。
永嗣たちと違ってすぐに目を覚ますことはないが、助けられた人たちの命に別状はなかった。
そして、最後に響と同じように幸せな家族団欒を楽しんでいる人を助けだした時、町全体が泥のように崩れていった。
「ここは…」
永嗣と響は暗闇の中にいた。
二人の見つめる先には一枚の鏡が落ちている。
「あれが本体だね」
響は怪異を破壊しようとその鏡に一歩近づいた。
その瞬間、鏡の中から響を捕らえようと何本もの手が飛び出した。
「危ない!」
しかし、その手は全て永嗣によって切り落とされる。
「ありがとうながつぐ」
そして、残った鏡を響は踏みつけた。
能力を使う必要はなかった。
踏みつけられた鏡はひび割れ、低い断末魔のようなものが響く。
そして、まぶしい光が永嗣と響を包んだ。
「…ここはあの空き家か」
二人は気が付くと鏡の世界に入るときに使った空き家の鏡の前に立っていた。
鏡はひび割れ、その前には一枚の札が落ちている。
「怪異たおせた」
それを響は回収した。
任務が終わった日の夜、自分の部屋のベッドで響は目を閉じて鏡の世界のことを思い出す。
あの世界にいた家族は偽物だった。だが、その姿は薄れてきた記憶の中の家族と同じだった。
(にせものでもお父さん、お母さん、鳴太を見れてよかった…)
死んでしまった自分の家族、その姿をはっきりと思い出すことが出来てよかったと考えながら響は眠りについた。