Fate/Grand Rail - 千の異星紀行   作:TheLazyMan

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序章 特異点F - 炎上都市冬木 -
1 運命の脚はしなやか


 かつて。はるか遠く、昔の出来事。

 

 数多の星々が天上に燦然と輝いて、星々の合間に美しき軌跡が繋がれていた。

 星海を渡る船が、文明同士の絆を繋げ、信用という金貨の名のもとに平穏を共にしていた時代。

 さりとて平穏の外縁では冷たい戦火が灯り、命と運命とが交錯していた。

 

 そんな時代のとある日。

 星々を繋げていた光の軌跡は、まるで波濤が伝わるかのように途切れ始めた。

 数え切れぬほどの恒星がその波を見つめ、その体に受けて、そして一つの災厄の名を口にした。

 

 真蟄虫。またの名を、スウォーム。

 

 金属を噛み、空間を穿ち、因果そのものを食い荒らす群れ。

 星神すら眉をひそめ、運命を綴る書籍からその名を削り取ろうとしたと伝えられる。

 虫のはばたきは災禍を呼び、喪失を生みだす。

 ある星域は一夜で沈黙し、ある文明は千年の蓄えを一息で失った。

 母なる星は喪れ、恒星は虫の餌となり、隕石は虫の隠れ家となった。

 

 やがて、その翅に鉄槌が下される。

 荒れ狂う虫の王が、貪欲なる古き獣と衝突して弱っていたところへ、存護の鉄槌が下されたのだ。嵐はようやく収まり、虫の王の体は砕け、その翅は星海を燃やす流星となった。

 そうして、仮初の平和が訪れる。

 

 しかし、ひとたび生まれた嘆きの波は、宇宙の隅々にまで広がっていた。

 かつて起こった悲劇のせいで、生まれ故郷を捨てた者達もいるのだ。

 

 その一派は、知恵を何よりも大切としていた。

 航路のすべてを地図に記し、未来の道標を作らんとした民。

 彼らは滅びゆく故郷を捨て、未知の霧が立ち込める虚数海域の深奥へと舵を切った。

 さりとて、しるべなき旅は星の民の地図を燃やしてしまう。長き流浪の末、潮流は逆巻く。

 彼らは何を思ったか、船団は――未開の、しかし青く美しい惑星の空に落ちたという。

 それは敗走か、救済か――彼ら自身すら、分からなかっただろう。

 

「運命に翻弄されるのが、我らに定まった最後の道標であるのなら…」

「この星には可能性という名の花を残そう。あらゆる運命の色彩にも染まらない、知恵の花を」

 

 漂着した彼らは人の姿を取り、名も告げず、各地へと散った。

 大地に巨石を積み上げ、天空の星図を刻み、知恵を閉じこめた器を砂の下に埋めた。

 それは彼らの帰還を願う灯火であり、やがて来る知者への贈り物でもあった。

 

「来る者よ。どうか、己が道を進むといい。どんな神にも覆せない、己だけの軌跡を」

 

 彼らが落ちた星の名は、後の世で、地球と呼ばれるようになったそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§

 

 

 

 

 

 

 西暦2015年12月31日。

 

 時、まもなく至れり。

 ()()()()()()()()()()()()()

 あとは、()()()()()()()()()()()()()であった。

 

「……」

 

 その男、レフ・ライノールは、炯炯とした眼光を隠すように鍔付きのトンガリ帽を傾けながら、自らの周りを取り巻く状況を密やかに観察していた。

 

 レフは視線を移す。観測室の大型パネルには、特異点F──西暦2004年の日本国・某県の市町村区の一つである()()()が青白い線で描かれており、座標計算が最終段階へと差しかかっている。今日に至るまで、最初にして最後の大舞台へ登るために、あらゆる準備が重ねられていた。

 

 レフは視線を移す。情報解析班に割り当てられたスタッフたちは制御台に張り付き、手元のコンソールに表示される数値の確認を繰り返す。

 ある者は、観測席から見下ろすことのできる大広間のような空間を見ながら、円形にぐるりと並べられた鉄の棺のような構造物の状態を確かめている。ある者は、この施設の魔力炉の冷却系統が安定していることを確認するために、冷却槽の指針を凝視している。ある者は、どこかこことは異なる空間へと会話をしているのだろうか、耳元に指をあてながら矢継ぎ早に報告を重ねている。そこにいる誰もが顔に緊張を浮かべ、真摯に己の職務に励んでいる。レフの奇妙な様子に気付く者は一人としていない。

 

 レフは視線を移す。その先には、周りの者達とは服装が異なる者達がいた。

 一人は、長い白髪を生やした少女である。明らかな緊張を表しながら、まるで何かに固執するように神経を尖らせている。その注心が、まもなく始まる()()の成否に向けられているのは言うまでもない。この場の誰よりも、彼女はその行く末を気にしていたのだから。

 もう一人は、桃色の髪を生やした痩せ男である。柔和な顔立ちにはリラックスした様子があるが、どこか笑みはぎこちない。彼もまたこの場に立ち込める緊張に呑まれているようだ。身にまとった白衣のポケットへ手を入れて、指をすり合わせいるのかもぞもぞとさせている。彼の関心は、作戦に関わる者達への無事のみであろう。

 最後の一人は、紫色のミディアムヘアを生やした少女である。手元のバインダーに紙束を挟み、集中した様子で紙面を読み込んでいた。ときどき所長の言葉が横から入ると視線を移し、その言葉を真剣に受け止めている。その様子を見て、桃色の髪の男は優しげに語りかけて、緊張を解そうとしていた。

 

 なんと滑稽な姿であろうか

 その献身も、関心も、祈願も、無垢なる魂すらも。

 今日という日を跨ぐことなく焼却されるのを、彼らはきっと知りもしないだろう。

 

「……まもなく、か」

 

「……君にしては珍しい。独り言かい?」

 

 不意に桃色の髪をした優男が話しかけてくる。たまにだが、この男は気配を消したように足早に移動することがある。さぼり癖をマスター中でね、とは本人の言だが。

 レフは内心の動きを隠すよう、()()()()()()()()()()()()、やや硬めの笑みを返した。

 

「やぁ、ロマニ。君こそ私に語り掛ける暇があるのかね? マリーの苛立ちの矛先が君に向かうともしれないのに」

「もう充分にもらってるよ。手応えがないのに不満なのか、また殻に籠ってしまったけど」

「それはいけないな。強迫観念にも似た義務感や極度の緊張に苛まれた少女を捨て置くのが、ドクターとしての務めなのかね。ドクター、ロマニ・アーキマン?」

「や、やめてくれ。僕がどんなに自分の仕事に忠実でも、今の彼女に必要なのは丸二日の安眠を保障してくれるテディベアさ。僕は熊ではないからね。時には距離を開けるのも仕事の一環なのさ」

「確かに。テディベアは、服のポケットにお菓子を隠したりしないからな」

「うぐっ……。これ以上、君と話していたら要らぬ弱みを握られそうだ。撤退しよう」

「おや? なにか用事があって話しかけてきたのでは?」

「所長からの伝言さ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。作戦開始前の訓示を行うそうだ」

 

 それを言い残すと、自分の役目は終わったとばかりにロマニは足早にその場を去る。向かう先は彼の本来の職場である、この施設の医務室であろう。

 ロマニが去るのを見送ると、レフは踵を返して手近なコンソールの元へと向かう。コンソールを数度叩いて設定を決めると、努めて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を造った。

 

「館内待機中の全マスター候補に通達。

 作戦開始を前に、所長からの訓示が行われる。

 作戦司令室へと向かわれたし。繰り返す、作戦司令室へと向かわれたし」

 

 レフは通信を切ると、自らが足を着ける施設を睥睨する。

 まもなくその手で破滅へと追い込む場所。そこに敷かれている最後の平穏を、心の底から蔑視するように。

 

 

 

 カルデア――氷雪に覆われた国連所属の環境調査拠点……であるように見せかけた、特命を帯びた秘密組織。永久凍土の神秘的な山脈に埋もれるように建造された、半ば魔術、半ば科学の地下埋設型の塔。外界から切り離され、ただ一つの使命を遂行するためだけに存在する。

 

 使命。それは人類の未来を観測し、その終焉を防ぐこと。

 魔術世界において「人理」と呼ばれる、人類史の根幹をなす時間の流れを監視し、もしそこに致命的な損壊が発生すれば、原因を突き止め、修復を行う。世界中の魔術組織でも、この規模の観測網と修復手段を持つのはカルデアだけだ。

 

 その中枢には、名も形も秘匿された《カルデアス》がある。

 地球そのものの魂を模したこの装置は、未来予測演算と魔術観測を融合させた人類史の縮図。

この球体に地球の姿が映し出される限り、人類の未来は保障される。

 しかし、そん中──西暦2014年の冬、あり得ざる光景を映し出した。

 カルデアスに映された2016年の地球。その姿が、()()()()()()()()()()()()()()

 それは、予測不能を意味する未来。予測できる対象が存在しないということは、すなわち人類史がその先で断絶していること。人類史の未来を保障するはずのカルデアスは、皮肉にも人類の絶滅を証明してしまったのだ。

 

 カルデアの上層部は原因を徹底的に探った。

 やがて判明したのは、時空のある一点──西()()()()()()()()()()()()()が、歴史の因果から外れて歪んでいるという事実。

 そこに生じた“特異点”こそ、人類史断絶の発端。

 この異常を正すためには、その時代・その場所へ人員を送り込み、現地での原因を直接排除するしかない。

 

 それが、いま行われようとしている作戦──レイシフトだ。

 カルデアの誇る霊子転移技術を用い、全人類を対象として選別されたマスター候補たちが、肉体ごと時空を跳躍し、異常の渦中に突入する。

 事前の情報は乏しい。特異点の性質も、介入の難易度も分からない。

 だが、この一点を正せなければ、人類史は百年先を迎えることなく途絶える。

 

 レフ・ライノールは、()()()()()()()()()()()

 彼はカルデアの主任技術者にして、カルデアスの運用にも深く関わる立場。

 表向きは人理を守るための同僚だが、胸の奥底で信奉する理想、彼の魂に深く根差した()()は、カルデアが守ろうとするものとは全く別の方向を向いている。

 ──だからこそ、今日のこの大掛かりな儀式は、彼にとっても絶好の機会だった。

 

 

 

「──今回のレイシフトは、失敗が許されません!」

 

 作戦司令室は、惑星の極冠に穿たれた巨大な眼窩のようだ。

 氷雪の外界から隔絶された空間に、無数の観測装置が沈黙の星座のように並び、その光は「地球」という一点の歴史を覗き込む神々の眼のようでもある。

 

 その司令室内の中央。円形のホールに、マスター候補たちが整列している。

 若さと緊張が入り混じった面々──計48名。全人類に存在そのものを秘されながらも、地球の未来のために無私の献身を捧げる、選び抜かれた星の戦士。

 彼らの視線の先に立つのは、カルデアを率いる若き女所長、オルガマリー・アニムスフィアだ。

 細身の身体を張りつめた声が支配する。高慢さを隠しもしない口調。それでいて、どこか切羽詰まっている。

 

「特異点の原因を突き止め、これを速やかに排除する。それがあなた方に与えられた使命です」

 

 所長の訓示の声以外、制御室の空気は張り詰めていた。

 訓練を経たマスター候補たちは、未知の戦場へ赴く覚悟を固め、それを内に秘めたまま、所長の怒りを買わないようにひっそりと互いを見やる。

 技術班の指は忙しく端末を叩き、魔力炉の鼓動は低く重く鳴り続ける。

 レフは、その光景を淡々と見つめながら、思考を別の場所へと飛ばしていた。

 

 使()()。尊い響きだ。だがそれは、滅びゆく種が最後まで振り絞る自己欺瞞に過ぎない。

 この星の生命は、星海に浮かぶ小舟の乗員のように、己の使命だけを羅針盤として立っている。

 だがレフ・ライノールにとって、その羅針盤は滑稽だった。

 この場にいる彼は知っていた。人類史は、同じ座標に留まることを許されない。いずれは軌道の外れた天体のように、緩やかに光なき暗黒へと墜ちるしかない。所長の誇りも、マスター候補たちの希望も、ましてやレフ本人の意志すらもすべて飲み込んで、星と共にいずれは消えていく。それが早いか、遅いかの違いでしかないのだ。

 カルデアという旗のもとに集った者たちは、未来を救うための戦士であり、記録者であり、約束された犠牲者でもある。

 彼らの影なき活躍に……ここで消えることに、どのような意義があろうか。

 

 いっそ人理保障という使命よりもずっと崇高な目的のために身を捧げたほうがよほど意義があるのではないか

 

 愚者の嘆きよりも、重んじられるのは王の導き、知恵を拓く賢人の声。

 それこそが虚無を間近に控えた唯一の救済であり、必然であり、何よりも美しい。

 

「……おい、これって」

 

 そのとき、観測班の一角がざわめいた。

 端末の一つに、瞬間的な干渉波が走る。虚数座標の端で、小さな揺らぎが生まれ──次の瞬間には、何事もなかったかのように平坦な数値へと戻った。

 「……計測誤差だ」技師の一人が小声で呟き、上官も頷く。熱を上げて語る所長に対して、有耶無耶な報告は上げられない。

 レフは何も言わず、ただその数値の残像を心に留めた。

 何気となく、感じ取るものがあったのだ。()()()()()()()()()()()、と。

 

 訓示は、なおも続く。

 所長の苛立ちが伝播したのか、マスター候補らの顔色もやや青ざめたものとなっている。

 だが、その列の端──一人だけ、場の緊張から置き去りにされた若者がいた。

 ()()()()。何の因果か、作戦本番当日まで決まらなかった、48人目のマスター候補。星の命運を左右する使命を知る由もなく、カルデアへとやってきた一般人からの選出枠。レイシフト適性こそ、ここに居並ぶマスター候補の中でも突出して高かったが、魔術と関わった経歴もなく、ましてやいかなる訓練を受けた経験もない。レイシフトに対する素質のみが評価された、ずぶの素人だ。

 そんな彼が、今はまるで夢遊病者のように視線が虚空を漂っている。カルデアに初めて入館したときに行われる適性検査で起こりがちな副作用であった。今、その所作は所長に対する挑発でしかない。

 所長の声が、次第に苛立ちを高めているのが分かる。

 

「あなた、聞いてるの!?」

 

 無論、返事はなかった。

 誰かが視線をそらした瞬間。パァン、と乾いた音がホールに響いた。

 さもありなん。所長の平手が藤丸の頬を打ったのだ。華奢な身体が一歩後ろによろめく。

 場が静まり返る中、所長以外で唯一動いたのは紫色の髪をした少女。マシュ・キリエライトだった。藤丸をはじめとするマスター候補たちの案内役や補佐を務めており、作戦でも重要な役割を担うことになっている。レフもまた彼女の生真面目さや、俗世離れした純真さには思うところがあった。

 彼女は咄嗟に藤丸の肩を支えると、彼女のせいでもないのに、所長に向かって深く頭を下げる。

 

「所長、彼は……少し体調が……」

 

 何が起きたのか分からず、藤丸は目をぱちくりとさせながらも、なお眠そうだ。

 オルガマリーはようやく、藤丸に入館検査特有の症状が起きているのを知ったのか、自らを恥じるように顔を背ける。彼女からの返答を待たず、マシュは藤丸を伴ってホールを退出した。 

 

 訓示はそこから尻すぼみになった。

 気まずさを紛らわすように候補者たちに短く檄を飛ばすと、所長は作戦開始までの待機を命じて、ヒールの音を激しく立てながら壇上を降りる。

 作戦開始まで、気づけば1時間を切っていた。

 

(……いよいよ、か)

 

 場が散会に向かう中、レフは誰にも気付かれぬよう動き出し、音もなく作戦司令室を退出する。

 

 彼にとっては、今の場面すべてが、無意味な物語を飾るための無価値な装飾に過ぎない。

 いずれ人類史は終わるべくして終わる。今日という日は、その必然を形にする第一歩。

 

 彼が果たすべき使命とは、縁いっぱいまで水が注がれた杯に向けて、追加のいっぱいを加えること。ただそれだけだった。

 その一手で、すべてが終わる。その終わりから、崇高不可侵の運命の道が拓かれるのだ。

 

 

 

 

 

 

§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§

 

 

 

 

 

「知っているか。碧狼の娘。狩りの恵みよ。

 天の上に瞬く星には、我らが住まう国と同じように、たくさんの国々が栄えているという。

 そしてそれら国々は、それぞれ異なった信仰を持って、文明を育んているのだ」

()()、知ってるよ。大ババ様が教えてくれたもん」

「こら。お前も女なんだから、村の男のように自分を指してはいかんと、何度も言うとるのに。

 …まぁ、今はいい。話を続けるぞ、我が娘よ。それら天の国々であったが、近ごろになって全く新しい国が興った。その国は大層乱暴でな。己の国に強大な武を築くと、星海に繰り出し、周りの国々に襲い掛かっているという。

 中でも恐ろしいのは、その国を支える()()()()なる奴らよ。国を興した創世の神から慮外の力を分け与えられた、破壊の戦士。彼らは方々に散り、星々の交流を妨げながら、破壊の矛先をあちこちに振りまいているという」

「へぇー。そりゃ、おっかないね」

「その通りだ。今でこそ、我らとは縁の遠い存在である。しかしひょっとしたら、いずれ強敵と相見える時がくるかもしれん。それが絶滅大君でなくても、出会しまえば、定めの道を歩むことは避けられんだろう。

 我が娘、アラベルよ。その時は、軽々しく挑むな。退くこともまた、生き残るための術だ」

「ふーん。でもオレ、逃げるのは好きじゃないな」

「またそれか。我が娘よ、命あってこそだぞ」

「だってさ、もしも絶滅なんとかって奴らが来ても──オレの方がきっと速いし、強いし。

 それに負けたら、その時はその時! 大ババ様も『海の魚は海で死ね』って言ってたもん」

「……やれやれ。誰に似たんだか」

「お父さんだよ」

 

 彼の眉がわずかに上がり、次の瞬間、二人は同時に笑った。

 遠く、夜空に浮かぶ無数の星々は、その笑い声を黙って見守っていた。

 

 

 

 

 

§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§

 

 

 

 

 

 

「……なんだ、こんな時に。懐かしい夢を見たような気がしたな」

 

 虚数海域は静かだ――そう言う奴は、ここを知らない。

 本物は、生き物みたいに呼吸し、牙を剥く。まるで知らぬ間に獰猛な虫の住処に入ってしまったかのように。

 

 灰白の髪をした、その者は、懐かしき夢への想いを瞬時に振り払い、己が坐する()の状態を確かめるべくあちこちの計器類を見渡す。

 そのうちの一つ。航法炉の表示が一度、瞬く。

 目の前のスクリーンに赤い警告が走った瞬間、少女は、無意識にアクセルスロットルを押し込み、船を旋回させようとする。次の瞬きが訪れたときには、すべてが終わっているかもしれないのだ。

 

 しかし、遅かった。

 

 暗黒の潮流が逆巻いている。

 船の窓越しに見えていた銀河が薄く延ばされ、星の河が漂白され、光点は細長い軌跡となる。

 そしてそれらすべてが、船を包み込むような一本の長いトンネルを作り出す。トンネルの外壁にはあちこちに光が溢れ、壁越しの情景は混濁した光の奔流のよう。トンネルの最奥は決して見通せない。

 虚数乱流、と呼ばれる虚数海域特有の現象だった。

 

 宇宙の空隙に生まれる波は、生き物の咆哮のように船体を震わせた。

 操舵輪を握る指先に、微かな震えが伝わる。

 この領域での衝突は、岩礁に突っ込むのと同じだ──そう頭では理解しているのに、身体は一歩も退かない。

 

「……おっかないね」

 

 口の端だけが笑っていた。

 計器が次々と赤く点滅し、航法炉の安定値は急落。

 重力波、虚数座標、外部時空の位相──すべてが狂いはじめる。

 やがて、外壁を走る光の筋がひときわ強く瞬き、船は抗えない力に引きずられていく。

 無駄な抵抗とは知りつつ緊急脱出のシークエンスを進めていたが、この状態では船の外に弾き出された瞬間、魂ごと四散してしまうだろう。

 

 やがて、虚数乱流の中心へと導かれていく。そこは深淵の穴でも、星門でもない。

 ただ、異様なまでに滑らかな「面」が、その者の視界を覆った。

 触れた瞬間、音もなく、船の外殻が虚数の膜に包まれる感覚が走る。

 

 ――その刹那。

 

 視界が反転した。

 虚数海の匂いも、船の軋みも、周りに存在するありとあらゆるものが、次の瞬間には失われていた。

 代わりに現れたのは、無機質な白い天井と、わずかに低い空調音。

 キャノピー内に満ちていた機械油の匂いの代わりに、無菌処理された空気が肺を満たす。

 

「……どこだ、ここ?」

 

 体を預けていた操縦席はなく、代わりに滑らかな床が広がっている。しっかりと握っていた総舵輪はなく、両手の掌は床に付けられていた。

 壁も床も、やけに均一な色をしている。冷たい、無味乾燥な施設の匂い。まるで何かを培養して育てていたような、あるいは病に侵された人を隔離していたような。絶対にここに誰も立ち入らせない。そんな意志を感じさせる部屋だ。

 どうにも居心地が悪い。その者は片膝を立てて立ち上がると、周囲を見回そうとする。

 

 次の瞬間――耳を打ったのは、甲高い警報音と、世界全体が震えるような爆発の衝撃だった。

 室内の照明が落ちて、代わりに赤色灯が点滅しする。外では紛れもない破壊の音が響いていた。

 

 (……何だ、戦闘か?)

 

 考えるより先に、足が動いていた。

 何が立て続けに起こったかは分からないが、事実として、()を失っている。そして未知の危険がすぐそばで起こっている。まずは状況把握が最優先だ。

 部屋の扉を思い切り()()()、廊下に出る。

 

 漂う空気が変わった。

 ぎらついた赤色の照明。焦げた匂い、冷却剤の甘い臭気、そして――人の気配。

 

「……ほう。こんな時に、見慣れない顔が歩いているとはな」

 

 低く冷ややかな声が、廊下の奥から響いた。

 現れたのは、長身の男。長く、淡い茶髪。上下の揃った品格の良い服装。どこか道化師らしさのある鍔のある帽子を被っているが、その下で開かれた眼差しは氷よりも冷たく、表情には一切の温度がない。

 だが、その者は知っていた。男の瞳の奥に炯炯と宿る光。その焼けつくような情動は、かつて己も呑まれかけた感情の一つ。――殺意だった。

 

「答えろ。貴様は何者だ? どこから侵入した」

「質問が多いね。自分で考えるのが趣味じゃないの?」

 

 男の目が細められる。

 その視線は、まるで既に答えなど決まっていると言わんばかりだった。

 

「……まぁ、せっかくだから答えてあげるよ。

 ()()、アラベルっていうんだ。虚数の海の向こうからやって来た、ただの迷子だよ。

 よろしく、()()()()

 

 一人の男が造り出した破壊の炎によって、崩壊への道を歩みだしたカルデア。

 これが星海を巡って旅を続ける()()、アラベルと、()()との最初の出会いだった。

 




 初めまして。

 拙作は、作者が個人的に好きな二作品をクロスオーバーさせた小説となります。
 作者の好きな要素を中心に勝手に書いていきますので、ストーリー展開上、原作の細かな設定や伏線を拾わずに、そのまま突き進んでしまうことが想定されますので、ご承知おきください。
 また概要にもあるとおり、FGO第2部と奏章は、本作ではメインで取り扱わない方向です。同章でのみ登場する原作キャラクターについても同様です。
 あくまで別の世界線でのお話になるということですので、その点もご承知おきください。ただし英霊については、これに当てはまらないものと考えてます。
 また、まとまった話が書けてから大きく更新をしていくようなスタイルにしていくので、作品内の話の区切りがついたら、次章更新まで投稿間隔が開くと思われます。

 以上の約束を前提にお読みいただける、心の広い読者様。
 どうぞお気持ちの済むまで、拙作の駄文にお付き合いいただけますと、何よりの幸甚です。どうぞ、よろしくお願いします。

 追伸:FGO原作にあたる特異点Fをモチーフにしたストーリーについては、完結するまで各話を予約投稿済み。それ以降の話は今後の気分次第となります。
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