Fate/Grand Rail - 千の異星紀行   作:TheLazyMan

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 大空洞には、まだ戦いの匂いが漂っていた。

 崩落した岩塊があちこちで燻り、砕けた床の亀裂からは鈍い熱気が漏れ出す。

 壁に走るひびは星座のように黒煙を吐き、天井の奥では未だ火花が瞬く。

 足元には、先ほどの爆発で焼け焦げた虫の骸が層を成して転がっていた。

 重く沈んだ瘴気が空気を押し潰し、息を吸うたびに喉が焼けるようだ。

 

 ――そんな戦場の余韻のただ中に、レフ・ライノールは立っていた。

 緑のスーツは煤を吸ってなお鮮やかで、長身の輪郭を浮かび上がらせる。

 深くかぶったシルクハットの影が、面差しの半分を覆い隠す――だが、その口元だけが冷たく歪み、感情なき笑みを形作っていた。

 

 突如として姿を現したその男を、カルデア一同は言葉もなく見つめる。

 アラベルは一度仕舞っていた狙撃銃を再び取り出して、視線を逸らさず。ジャンヌの手には聖旗が握られ、クー・フーリンはいつでも戦車を駆け出せるように鞭を握った手に力を入れる。

 だが、そレフの眼差しは、深い虚無の底から浮かび上がった光を宿していた。

 それは希望ではなく、他者を弄び、痛めつけ、その最期を観察することだけに価値を見出すような昏い光。ひとたび視線を合わせれば、心臓の奥に氷を落とされたかのように冷たくなる。

 

『……レフ、ライノール……? なぜ……』

 

 途切れがちな声で、ロマニが通信越しに呟く。

 

『カルデア中を探したけど、どこにも姿がなかった。てっきり、君も行方不明になってしまったかと思ったけど……まさか特異点に……』

「――そいつは、セイバーのマスターだな」

 

 ――その時、クー・フーリンの低い声が割って入る。

 レフは緩やかに顎を引き、微笑みのまま肯定した。

 その口調は、愛玩動物の世話を語るかのように淡々としている。

 

「その通り。彼には長らく生きていてもらった。儀式のために、ね。

 君たちの無意味な努力のおかげで、この時代の聖杯戦争はついに完成した。

 ――もう、()()の役目は終わりだ」

 

 指先が、淡い光を生む。

 それは瞬く間に蒼白の炎へと変わり、骸を舐めるように包み込んだ。

 炎は熱を持たず、代わりに全てを静かに奪い取っていく。肉も骨も、名も、記憶も――。

 

「やめろっ!」

 

 藤丸の叫びが響き、マシュの喉から短い悲鳴が漏れた。

 だが、炎は揺らめくことなく灰を降らせ続ける。

 ――聖杯戦争の最後の正式な参加者は、この場で死を迎えた。

 その瞬間、大空洞の空気がわずかに変わった。

 まるで、この世界を覆う見えざる運命の糸が、静かにひとつ断ち切られたかのように。

 

 やがて蒼白の炎が消え、灰が舞う。

 かつてマスターと呼ばれていた男の名残を横目に、レフは帽子のつばを指先で軽く持ち上げ、一同を見下ろした。その眼差しは、慈悲も怒りもなく、ただ――これから消えゆくことが決まっている塵芥を眺めるような無感情さを湛えている。

 やがて、その視線がひとりの人物に留まった。

 

「……オルガマリー・マニスビリー。カルデアの所長」

 

 口元にだけ、かすかな微笑が浮かぶ。

 それは温かさを伴わぬ、氷のような笑みだった。

 オルガマリーは目を見開いたまま、現実を疑うように首を振った。

 

「……あなた……レフ? 本当に……?」

 

 問いは震えていた。だが、返ってきたのは小さくくぐもった笑い声。

 

「ああ、そうだ。私だ。

 君が――心から信頼した君の右腕。カルデアの主任技師。レフ・ライノールだ」

 

 短い沈黙。笑みがわずかに深まる。

 

「その信頼に心から感謝をしよう。本当に。

 長きにわたる君からの信頼、そしてカルデアへ向ける情熱のおかげで……計画を、完璧に進行できたのだから」

 

 オルガマリーの表情から、血の気が引いた。

 

「……計画……?」

「そうだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 絶句。言葉は形を結ばず、虚空に吸い込まれていく。

 周囲の空気が、さらに重く沈んだ。

 通信の向こうで、ロマニの声が息を呑む。

 

『……なぜ……そんなことを……』

 

 驚きと、抑えきれぬ怒りが混ざった声音。

 

『どうして……君が……カルデアを裏切るような真似を!』

 

 レフはわずかに目を細め、口元に浮かぶ笑みを保ったまま、言葉を紡ぐ。

 

「――人間は時に、同胞たる人類に対して純粋な善意を向ける。

 それは生物としての美徳であり、 仁徳と呼ばれる、価値のある行いであるかもしれない。

 しかし……その性質を誰彼構わず全ての同胞へと向けたり、ましてや我らが住まう星の外にまで向けることが、どれほど愚かで無知な行為であるか。それは迫りくる厄災を前にして、自らの家の門を開き、食卓と椅子を用意するやうようなものだ。

 無条件の期待と希望は、己の身や共同体だけでなく、星そのものを滅びの道へ導く誘蛾灯となり得ることを――お前たち……()()()()()()()()は、まったく理解していない」

 

 レフの声は低く、湿った刃物のようだった。

 彼はゆるやかに左手を持ち上げた。その掌には、聖杯があった。

 七人のマスターとサーヴァントの魔力を吸い上げ、今や完全なる器となったそれは、内側から血のような光を漏らし、まるで呼吸するかのように脈打っている。

 

「これは……カルデアへの別れの餞別だ」

 

 軽く持てあそぶように、聖杯を傾ける。

 

「せっかくだから、この特異点が完成するまでの経緯を――少しばかり、かいつまんで話してやるとしよう。じっくりと耳を傾けておきたまえ」

 

 ◇

 

 聖杯を弄ぶ指先が、静かに空気を切る。

 その音は、まるで水面に落ちた一滴が広がっていくように、カルデア一行の胸奥に波紋を広げた。

 そこで語り始めるレフの声は、冷たく澄んだ湖面のようだった。

 

「この特異点が生まれたのは、まったくの偶然ではない。

 すべては――開戦前から、私の手の中で形を成していたのだよ」

 

 薄暗い大空洞の中、彼の言葉は湿った壁に吸い込まれ、幾重にも反響する。

 オルガマリーの顔は強張り、ロマニは息を呑む。だが、レフはその反応すら計算していたように、ゆるやかに言葉を重ねていく。その瞬間の記憶を思い出すかのように、わずかに目が細くなる。

 

「まず、私はこの時代の聖杯を回収して、セイバーのマスターに接触した。

 人間らしい懐疑心も警戒も……彼にはもはや不要だった。

 私は彼と遭遇すると同時に、強力な魔術でその人格と魂を拘束し、余白など一片も残さぬ操り人形へと変えた。……奴の抵抗は、最初の瞬きと共に霧のように消えた」

 

 淡々と語られるその手口は、あまりにも冷酷で、同時に滑らかな職人技を思わせた。

 

()()()()()に英霊召喚を行わせ、セイバーを喚び出す――ああ、彼女は誇り高く、美しい剣士だった。だが不意打ちには弱いようだったな」

 

 口調だけは賛辞の色を帯びる。

 だが、その奥にあるのは憧憬ではなく、ただ完璧な駒を得たことへの事実確認であり、底のない虚ろのような空虚にすぎなかった。

 レフの声は、徐々に深みを増す。

 

「召喚直後の英霊に、私はマスターを通して、令呪三画をもって命令を下させた。

 ――聖杯戦争が終わるまで、聖杯を守ること。

 ――この世界から退去するまで、私の存在とその痕跡を認知できなくなること。

 ――ある条件下では、マスターの生死に関する認知を誤らせること。

 これで、駒は盤上に置かれたも同然だ」

 

 静かな笑み。

 

「かの漆黒の女騎士は聖杯を守り続ける。私の影を追うこともなく。たとえ奪われるとも、命を賭けて必ず奪い返さんとするだろう。そしてかの英霊は、マスターが健在だと信じ続ける……」

 

 空気が、さらに重くなる。

 クー・フーリンは無言で槍を構え直し、アラベルは目を細めてレフの言葉の先を待つ。

 

「私はその()()()()を触媒として、聖杯そのものに干渉をした。

 一定以上の魔力を注ぎこめば、聖杯戦争中の儀式の全ての過程を無視して、全てを焦土を化す炎をばら撒くように、その性質を改ざんした。

 ――そして私は己の魔力と、セイバーのマスターの魔力とを注ぎ込んだ。

 聖杯を腐らせ、濁らせ、()()へと変える。まるで清水を腐泥に変えるように」

 

 そして、彼は淡々と結末を告げた。

 

「その結果として生まれたのが――厄災の炎だ。冬木の地を、骨の髄まで焦土に変えた、祝福なき業火。それこそが、この地を人類史の特異点とするための、最後の仕上げだった。

 ……こうして、盤上は完成し、貴様たちカルデアはここに辿り着いた」

 

 虚ろで、それでいて底の見えぬ瞳が、カルデア一行を順に舐めるように見回す。

 まるで、長い戯曲の最終幕を見せる舞台監督のように。

 

「――みっつ、聞かせてもらおうか」

 

 沈黙を切り裂くように、クー・フーリンが口を開いた。低く抑えた声は、爆ぜる前の雷鳴のようだった。

 槍の切っ先は微かに揺れ、しかしその瞳は鋭く、獲物を射抜く雷霆のようにレフを見据えている。 

  

「セイバーのマスターはともかくとしてだ……あいつ自身、対魔力ってスキル持ちだぜ? そこらの魔術師ごときが長期間、洗脳できるたぁ思えねえ。

 ふたつ目だ。よしんば洗脳が上手くいったとして、あの騎士に回す魔力が減っていけば、いくら洗脳中でも違和感くらい抱くはずだ。あの鼻の利く王様が、な」

 

 レフは眉一つ動かさず、口角だけで笑う。

 クー・フーリンは続ける。言葉は穏やかだが、槍の先に宿る殺気は露骨だった。

 

「最後だ……冬木市全域を覆う魔性の炎なんざ、並の魔術師が単独で起こせるもんじゃねぇ。お前、どうやってそんな魔力量を確保した?」

 

 その問いは、空洞の空気をさらに重くし、視線が一点に集中する。

 レフはただ、その視線を愉しむように微動だにしなかった。

 

「それと――」

 

 そこで、アラベルが一歩前に出る。彼女の声は、冷ややかな銃口のように静かで鋭い。

 

「そもそも、どうやってこの時代に来たの? カルデアでも把握できない手段で? まさか、()()()()っていう、世界の理を捻じ曲げるような手段を、個人的に持っているとでもいうの? 

 それに……あんたの話は、真蟄虫の群れがこの世界に出ていい理由をひとつも語っていない。

 ……ちゃんと、全部を語らないと、殺しちゃうよ?」

 

 青白い光に照らされるレフの顔は、やはり笑みを湛えたままだった。

 その笑みは、まるで次の一手を見せつけるために温存している劇作家のようで――藤丸やマシュの背筋を、わずかに凍らせた。

 シルクハットの影が目元を覆う。

 

「――順を追って答えよう」

 

 まず、槍兵への答えからだと、レフは視線だけでクー・フーリンを射抜く。

 

「ひとつ。私は()()()魔術師ではない。貴様たちの時代の言葉で言うなら――特別な祝福を受けた存在だ。ありふれた呪文の体系では計れぬ領域に、私は属している」

 

 その声は、静かに降り積もる灰のように冷たく重かった。

 

「ふたつ。街に炎をばらまいた代償として、確かにセイバーのマスターは呪詛の炎で焼かれ続けていた。だが、彼の代わりに、私がセイバーへ魔力を送っていたのさ。

 ……あの騎士王、想像以上に魔力の消費量が凄まじくてね。いやはや、手綱を握り続けるのは骨が折れたよ」

 

 指先がわずかに動くたび、周囲の空気が微かに波打った。

 

「みっつ。私の魔力は、()()()()()()()と言っていい。冬木を焼き尽くす災厄も、セイバーへの魔力補充も……その両方を同時にこなし、なお余りある。たかが小さな並行作業程度、造作もない」

 

 今度は、アラベルの疑問へと矛先が移る。

 

「貴様からの問いにも答えよう。

 ひとつ。いかに強力な魔術師であっても、時間遡行を自在に行えるわけではない。だが――事前に仕込みとして(アンカー)をこの時代に打ち込んでおけば、それを辿って時を越えることはできる」

 

 レフの言葉に、オルガマリーの顔色がさらに蒼白になった。

 彼の回答はすなわち、彼が遥か以前から、この計画の準備を整えていたということ。

 

「ふたつ。――真蟄虫が姿を現したのは、正直に言えば……計画外のノイズだ。あれに特異点の魔力を散々に貪られ、繁殖されて、あげく聖杯の支配権を一時的にでも奪われてしまったのは、さすがの私でも予想のつかないトラブルだったといえよう。

 しかし、だ。レフ・ライノールという構造体の内側に流れる魔力の本質を考えれば……虫がこの世界に引き寄せられたこと事は、決して不可能とはいえない現象だろう。むしろ、必然だったとすら言える」

 

 そこまで語ると、レフは息をひとつ、喉の奥で転がすように吐き、昏く、空虚な笑みをさらに深めた。

 

「――そして、その()()()こそが、私と……()()()が構想した計画の一端を物語っている」

 

 乾いた指の音が、空洞全体に鋭く響いた。

 次の瞬間――

 

 大空洞の天井が、床が、四方の壁が、まるで古い映像の乱れのようにざらつき、白いノイズが走った。

 世界そのものの輪郭が歪み、剥がれ落ちる。

 その下から現れたのは、暗黒の宇宙を背に、真っ赤な炎に包まれた惑星。

 大気圏を焦がす炎は、海を蒸発させ、大陸を焼き尽くし、ただひとつの球体を燃える瓦礫へと変えていた。

 それは――()()。レフの声が、その光景の上を滑る。

 

「この計画が実行されたことにより……宇宙に揺蕩う小さな箱庭は、完全に焼却された」

 

 誰も、すぐには言葉を発せなかった。

 クー・フーリンの眉間がわずかに寄り、マシュが息を詰め、オルガマリーが一歩退く。

 ロマニだけが、搾り出すように言葉を紡いだ。

 

『……そんなはずは、ない……』

「外部との通信は? 地上との回線は? ……すべて機能していないだろう。

 それはすなわち、カルデアの外のすべての世界が焼却されたという証明だ。

 否定したいなら外に出ようとすればいい。もっとも、()()という世界の壁が、カルデアと外の世界を隔てる境界となり、物理的に往来できないだろうがね。

 それでも危険を冒して出ていった勇敢なスタッフとは、連絡が取れなくなっているのではないか? どうだね」

 

 冷ややかに指摘に対して、ロマニの肩が震える。

 彼は言い返そうと口を開き――しかし、声は喉で途切れた。

 確かに、通信は全く繋がっていない。外部へ繋がる入り口は、深紅の壁に隔てられている。それは、カルデアという閉鎖空間に閉じ込められ、施設全体の被害状況をくまなく調べた者として、覆すことのできない事実であるからだ。

 レフは、燃える地球の映像を背に、ゆっくりとこちらへ視線を巡らせた。

 

「――我らの目的を実現するにあたって、想定外の()()が二つ、現れた」

 

 深く伸ばされた指が、藤丸を指す。

 

「ひとつは、藤丸立香。……本来なら、塵と消えていたはずの命だ。だが貴様は、生来の強運と、レイシフトへの異常なまでの適合性によって生き延びた。無視できぬ要素ではあるが……所詮は偶然。許容範囲の誤差だ」

 

 次いで、指先が、アラベルを捉える。

 

「――貴様は違う。貴様の出現は、明らかに我らの計画に波紋を走らせた。真蟄虫を呼び寄せてしまった連鎖で生じた、予期せぬ()()()()()()()()()()……」

 

 レフの声音が低く沈む。

 

「我らの血肉を巡るこの力は、かつて星海から流れ込んできた特別な力の性質を宿している。真蟄虫がこの世界に現れたのは、大方、()()()()に呑まれたからだろう。――だがそれによって、貴様とこの世界の間に、異常な繋がりが生まれた。その繋がりこそが……貴様をこの時代、この戦場に遭難させた原因だろう」

 

 ――虚数乱流。

 その言葉に、アラベルの心が一瞬だけ跳ねた。

 星海を知る者しか、あの現象を正確に呼び名で語ることはできない。

 胸の奥で湧き上がる動揺を、アラベルは無言で押し殺す。

 

 その沈黙を破ったのは、藤丸だった。

 深謀遠大な破滅の計画を聞かされ続けてきて、彼の肩は震えていた。

 だがそれは怯懦によるものではなく――義憤。

 いかなる考えがあったとて、命を、それもこの星の暮らす命を無尽蔵に、無秩序に弄んでいい理由にはならない。そんな当然の怒りが、藤丸の魂の奥から湧き上がっている。

 そしてそれを表に出しつつも、あえてレフを小ばかにするように、皮肉を滲ませて言い放つ。

 

「……なんだよ、結局お前、あの虫が怖いだけなんじゃないのか?

 嫌いだから、こんな大げさなことまでやった……違うか?」

 

 レフの表情が、刹那に歪んだ。

 その目に宿ったのは、侮辱に対する怒りではなく、もっと深く、もっと苛烈な激情だった。

 

「……黙れ小僧」

 

 低く唸るような声が、洞窟全体を震わせる。

 

「我が指導者は――かつて、遥か遠くの宇宙から迫る()()を直視したのだ」

 

 燃える地球の背後には、暗黒の宇宙が広がっている。

 その奥に、形を持たぬ、巨大な影が潜む幻を誰もが錯覚する。

 

「そして理解した。それが地球に到達する未来を、どう足掻いても覆せぬことを。

 そして察知した。いかなる魔術を束ねようと、いかなる軍勢を築こうと……それは絶対に敵わぬ相手だと」

 

 レフの声は熱を帯び、同時に冷たく研ぎ澄まされていく。

 

「ゆえに我らは決めた。人類の歴史そのものを――膨大なエネルギー源へと変える、と。全ての時代を燃やし、その燃焼を糧として、星を覆う()()()()を築く。

 命に意味がないのなら、せめて()()()()()()()()()()()と!」

 

 彼は拳を握り、そして広げる。

 

「それが、人理焼却!!。今の地球が燃える球体と化したのは、ただの過程に過ぎん。母なる星を守るために必要な犠牲だ。たとえ数十億の命を灰に変えようとも――我らはその意志を、断じて曲げぬ!」

 

 その叫びは、洞窟の壁に反響し、空気そのものを焦がすように広がっていった。

 

 ◇

 

 燃え盛る地球の幻影は、洞窟の壁面に赤黒い光を投げかけていた。

 それは炎の明滅にも似て、視界の端でゆらめきながら、一同の顔を赤く照らす。

 誰もが息を呑み、言葉を失っていた。ジャンヌは歯を食いしばり、クー・フーリンは眉間に深い皺を刻む。藤丸は唇を引き結び、マシュは裏切りの告白を聞き続けて言葉を失い、アラベルは胸の奥で渦巻き始めた()()()()()を抑え込もうとしている。

 重い沈黙の中、ただひとり――オルガマリーだけが、目を見開いたまま、微動だにしなかった。

 

 レフはその姿を睥睨し、口元にかすかな笑みを刻む。それは嘲りではなく、どこか憐れみすら帯びたものだった。

 

「……特異点は、まもなく消滅する。死者は還るべきところに還るべきだ」

 

 唐突に投げかけられたその言葉に、カルデアの面々は理解が追いつかず顔を見合わせる。

 ただひとり、ロマニだけが、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、沈黙を貫いていた。

 

「……どういうこと?」

 

 アラベルの問いに、ロマニはしばし視線を逸らし、やがて重く口を開いた。

 

『……カルデアを襲った爆破テロ……爆心地は、作戦司令室と炉心だった。

 ……あの時、作戦司令室にいたスタッフは――ほとんど全員、死んだ』

 

 言葉を切り、ロマニは一瞬だけオルガマリーを見やる。

 

「……そして、君は……死体すら、残っていなかった」

 

 空気が凍りついた。

 全員がその場で固まり、時が止まったかのように動きを失う。

 その静止を断ち切るように、レフの声が落ちる。

 

「――ここにいるオルガマリーは、真なるオルガマリーではない。彼女の体に残っていた魔力の残滓が、レイシフトの奔流に巻き込まれ……「生きたい」という執念を核として、肉体を再構築したのだろう」

 

 顔面から血の気が引いていくオルガマリーをよそに、レフは背を向けた。

 

「これで全てだ。私が語るべきことは、もう語り終えた」

 

 そして――聖杯へと手をかざし、魔力を注ぎ込む。

 黒い奔流が杯の底から溢れ、空間の空気をさらに重く、圧し潰すように歪めていった。

聖杯に黒い奔流が注ぎ込まれた瞬間、世界そのものが呻き声を上げる。

 瞬間――床が低く鳴動し、四方の光景が元の大空洞のものへと切り替わる。

 空気が変わった。天井の岩盤が粉塵を吐き出し、空気は押し潰されるように重く、洞窟の輪郭は水面のように揺らめいていく。視界の端で壁が液体のように揺れ、色を失い、輪郭が解けていく。

 

『こちらカルデア、聞こえるか! 特異点の消滅が始まった!』

 

 ロマニの声が通信越しに飛び込む。

 切迫した息遣いの奥で、機械音と警告アラームが混じり合っていた。

 

「皆さん、集まってください!」

 

 マシュの声に応じ、藤丸、アラベルが中央に集まり、悄然としたはオルガマリーが肩を押されるように中央へ寄る。

 そしてマシュはその前に立ち、盾を構えた。左右にはジャンヌとクー・フーリンが並び、外からの衝撃に備えるように輪を作る。

 その輪の中で――オルガマリーは、肩を落とし、崩れるように膝を折った。

 

「……私は……カルデアのために……」

 

 吐息と共に零れる声は、驚くほど小さく、弱々しい。

 

「……自分のために……ここまで来たのに……全部……無意味だった……」

 

 彼女の瞳は虚空を見つめ、瞬きすら忘れたように乾いていく。

 その呟きは、輪の内側に漂い、沈殿していく。

 誰も口を開けなかった。慰めの言葉は、凍りついた空気の中で意味を持たず、ただ唇を震わせるだけに終わる。

 アラベルですら拳を握りしめたまま、指先が白くなるほどに力を込めている。

 それでも、彼女の慰めることはできなかった。

 

 ――やがて、オルガマリーの瞳に、焦点が戻った。

 それは救いの光ではなく、烈火のような衝動だった。

 彼女は唐突に立ち上がり、輪を抜け出した。

 

「所長!!」

「やめてください! 止まって!」

 

 藤丸とマシュが同時に叫ぶが、その手は届かない。

 懐から銀の光が閃く。それがナイフだと理解したときには、もう遅かった。

 彼女は燃えるような息を吐きながら、レフへ向けて一直線に駆け出していた。

 

 レフは、一歩、地上へ降り立った。

 その顔は氷の彫刻のように動かず、迫る影を冷ややかに見返す。

 

レフ――ッ!

 

 叫びと共に、オルガマリーは渾身の力で刃を突き立てた。

 金属音にも似た鈍い衝撃が響く。レフは、己の胸に突き立てられるその一撃を、甘んじて受け止めていた。

 しかし、そこに手ごたえはない。あるべき血肉は存在せず、ただ彼の体の内側には虚無が広がるばかり。その事実を、ナイフを突き立てたオルガマリーのみが認識していた。

 

「……何かに強い恨みを持つことは――生命に許された権利だ」

 

 静かな声だった。それは同情でも嘲笑でもなく、ただ事実を告げる響き。

 次の瞬間、彼のもう一方の手が、そっとオルガマリーの頬に触れた。

 その仕草は、奇妙なほど優しく――しかし、そこに救いはなかった。

 

 オルガマリーは一瞬だけ、首をかしげるように彼を見上げ――

 糸の切れた人形のように、全身から力が抜け落ちた。

 彼女の体は崩れる途中で、光へと変わっていく。白く、淡く、静かな光粒子。

 それらはふわりと宙に漂い、重力を拒むように上昇し、形を保たぬまま消えていった。

 

「オルガマリー所長ッ!!」

 

 藤丸の声が空間を裂く。マシュは声も出せず、ジャンヌは祈りを紡ぐが、その祈りが届く場所はもうない。

 世界の収束は加速度を増し、足元の大地も、天を覆う空も、渦を巻くように歪み始めた。

 その混沌の中心で、アラベルの胸に灼熱のごとき激情が燃え上がる。

 魂の根源から脈打つそれは、ただの感情ではなかった。

 

 ――巡狩

 星海を渡り、秩序を脅かすものを狩り尽くす宿命。

 見定めた獲物を、仇を、宿敵を、決して逃がさず、息の根を止める。

 アラベルの胸から湧き上がるその旗印は、彼女の存在そのものが歩むべき運命の道に突き立てられ、星海の彼方より峻烈な海嘯をもたらす。

 

「レフ……あんたを――殺す」

 

 言葉は鋼のように硬く、炎のように熱い。

 

「この人理焼却とやらを、覆してやる。どんな運命が待ち受けようと、絶対に!」

 

 レフは虚無の笑みを浮かべたまま、その宣戦布告を受け止める。

 

「かつて敬愛した地球の歴史をもって、貴様に応えよう。

 ――この首ほしくば、来りてとれ

 

 ――そして、特異点は崩壊する。

 

 世界の輪郭がねじれ、空間の色が剥がれ落ちる。

 あらゆる形が歪曲し、淡い光が奔流となって天と地の境を越え、ただ一点へと収束していく。

 耳を裂く轟音も、足元を揺らす振動も、やがて光に呑まれ――すべてが、無へと還った。

 

 

 

 

 

 

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 ――光が、尽きた。

 

 次に目を開けた時、藤丸は硬質な感触の上に仰向けに倒れていた。

 息を吸うたび、鼻腔を金属の焦げた匂いと、冷たく乾いた空気が刺す。

 そこは、レイシフトするまでいた、カルデアの作戦司令室――の、なれの果てだった。

 

 壁のパネルは破砕し、制御卓はひしゃげ、黒く煤けた配線が床を這っている。

 天井のライトは半数が落下し、破片が靴底で小さく音を立てる。

 藤丸が視線を横に向けた瞬間、息が詰まった。

 作戦司令室の中央の広間、そこに所狭しと並んでいた48基のコフィンが、どれも無残に口を開け、あるいは粉々に砕けていた。レイシフトする直前まで燃え盛る炎のせいでよく分からなかったが、今ではその被害の全容が、レフの起こした悲劇の全貌が如実に理解できる。

 

 ――これは、勝利ではない。失ったものがあまりにも多すぎる。

 藤丸の胸を、遅れて重い現実が叩きつける。ただ、冷たい空気と沈黙だけがそこにあった。

  

「立香くんっ!」

 

 その時、檀上から足音が駆け降りてきた。

 ロマニ・アーキマンが白衣の裾を翻しながら、階段を飛び降りるようにして駆け寄ってくる。

 半ば転がるように膝をつき、彼は藤丸の肩や腕を掴んで確かめる。

 

「どこか痛むところは? 外傷は? 意識ははっきりしてる?」

「……だ、大丈夫……です」

 

 呼吸は荒いが、確かに生きている。それを確認したロマニの肩が、ほっと小さく落ちる。

 

 ――しかし。

 藤丸は、何かに引き寄せられるように、ゆっくりと頭上を見上げた。

 そこにあったのは、カルデアス――本来は碧く輝くはずの、地球のミニチュアのような観測装置。

 だが、その球体は燃え盛る夕焼けのような赤に染まり、ゆらめく黒煙の影が表面を覆っていた。

 

「……これ……は……」

 

 赤く脈動するカルデアスは、まるで脈打つ傷口のように、不気味な生命感を放っている。

 レフの冷たい言葉が耳の奥で甦る。――人理焼却。

 その言葉を否定する術は、もうどこにもなかった。

 

「……藤丸君」

 

 ロマニの声が、硬く低く沈んだ。

 それは普段の柔和さを完全に失った、医者でも職員でもなく、ただ事実を伝える者の声音だった。

 

「――レフの言ったことに、()()()()

 

 藤丸の胸がきゅっと縮む。

 

「この星は……観測上、完全に人理焼却の状態にある。彼の言葉をそっくり借りるのは、もどかしいんだけどね。

 そして……オルガマリー所長は、死亡している」

 

 短く、それでいてあまりにも重い宣告。

 反論は浮かばなかった。藤丸は口を閉ざし、奥歯を噛みしめるしかなかった。

 少しの沈黙ののち、藤丸は問う。

 

「……じゃあ、カルデアは……これから、どうするんですか」

 

 ロマニは眉間に皺を刻み、答えを探すように視線を泳がせ、やがて淡々と告げた。

 

「被害状況の分析。負傷者の手当てと……重傷者の()()()()()を最優先にする。それが終わり次第、使える設備の復旧に入る」

「……トリアージ?」

「……救命の優先度をつけることだよ。治療すれば助かる者、助けるのが困難な者……それを見極めて、限られた時間と医療資源を振り分ける」

 

 その説明が、胸の奥に冷たい鉛を落とす。

 ――つまり、助けられない命があるということ。

 藤丸は深く息を吐き、沈痛な面持ちでうなずいた。

 

 その時だった。

 作戦司令室の入り口が、自動扉の鈍い音とともに開いた。

 振り向いた藤丸の視界に、見慣れたシルエットが二つ飛び込む。

 

「先輩!!」

「マシュ!」

 

 鋼の盾を背負った少女が、駆け足で室内に入ってくる。

 その背後には、白銀の鎧に身を包んだ聖女――ジャンヌ・ダルクの姿があった。

 マシュが安堵の笑みを浮かべる中、ジャンヌは静かに口を開く。

 

「転移の際、時相が不安定で……カルデア内の違う場所に転移してしまったようです。ですが――」

 

 その瞳は、迷いなくまっすぐに藤丸を見据えていた。

 

「人理に大きな影響が出てしまったとはいえ、契約はまだ続いています。

 これからも、人理のため、カルデアのため、奮戦することを誓います」

 

 その確信に満ちた宣言は、焦げつく絶望の空気をわずかに裂く一筋の光だった。

 藤丸は、その光を逃すまいと胸の奥で強く握りしめる。

 

「……うん。これからも、よろしく」

 

 短く、だが力強く頷く。その頷きは、これから先の道がどれほど過酷であっても、歩みを止めないという意思の表明だった。

 

 ジャンヌの口元に、小さな微笑が浮かぶ。

 マシュもまた、そのやり取りを見て安堵の息をもらした。

 ロマニはその様子を一瞬だけ見守り、すぐに端末に視線を戻す。

 

「立香くん。君にもう一つ言わないといけないことがあって、アラベルがどこにも見当たらないんだ。……いや、そもそも彼女は異邦人だから、カルデアの霊器登録がされていないんだ。名前もデータも存在しない……まるで最初から、ここにいなかったみたいに」

 

 端末の画面には虚ろな検索結果だけが並び、答えは何一つ示されない。

 マシュが眉を寄せ、苦い声で言った。

 

「……もしや、特異点から転移する際に、時空の座標がずれて……」

 

 その先を口にするのをためらったが、藤丸は察した。

 

「元の……世界に、帰ってしまったってことか」

 

 ジャンヌもまた視線を伏せ、首を横に振るだけだった。

 彼女の聖女としての直感にも、アラベルの所在を示す糸口は見当たらないらしい。

 重苦しい沈黙が、作戦司令室を満たした。

 ――そのとき、場違いなほど明るい声が響いた。

 

「……なにさ。人探しの話は、もう終わり?」

 

 全員が声の方へと振り向く。

 そこには、崩壊した制御卓の上に無造作に腰をかけたアラベルがいた。

 薄暗い室内の照明が、しなやかな肢体と浅い褐色の肌、銀灰色の髪をかすかに照らす。

 その瞳は、荒野をひとり歩む狼のように冷たく研ぎ澄まされていながら、どこか孤独を抱えている――それでいて、口元にはシニカルな笑みが浮かんでいた。

 

「……アラベルさん!」

 

 藤丸の声が弾み、マシュも目を見開く。ジャンヌも安堵の微笑を浮かべる。

 

「お望みなら、霊器登録くらい後で受けるさ」

 

 アラベルは片手をひらりと振り、横目で誰かを促した。

 すると彼女のすぐそば、空気が揺らぎ、青い光が形を取っていく。

 

「ったく、面倒くせぇ連中だな」

 

 軽口とともに現れたのは、アルスターの英雄クー・フーリン。

 深緑と黒を基調とした軽装鎧が、俊敏さと野性味を際立たせる。背中には長槍――ゲイ・ボルグが背負われ、その目には戦士特有の獰猛な光が宿っていた。さすがに作戦司令室にまで愛馬を出現させる気はないのか、戦車の姿はなかった。

 

「だったら俺も登録しちまえば話は早いだろ? 一応、こいつの英霊ってことになってるしよ」

 

 吐き捨てるように言いながらも、その声音には微かな同意が混じっていた。

 アラベルは唇の端を吊り上げ、満足げに頷いた。

 

 制御卓の上から、アラベルはゆっくりと足を組み替え、カルデアの面々を見下ろした。

 

「――特異点にいたときのオレは、あくまでも一時的な協力者であり、傭兵であり、過客だった。真蟄虫を駆逐すれば、それで終わりの関係だと思っていた」

 

 淡々と告げながら、その眼差しは鋭く、しかし胸奥では熱を孕んでいる。

 

「けど……仮にもそこで仲を深めて、共に戦線を生き抜いたはずの人が、実はとうの昔に殺されていて、しかも特異点の中でもう一度殺されてるだなんて、ね。

 ……いかに偉大な目的のためとはいえ、人の理を無惨に踏みにじられるのを見て……黙っていることなんて、できやしない。これを見逃すことは、オレの、巡狩の意志が許さない」

 

 場の空気がわずかに震える。彼女の声は、冷徹な刃のようでありながら、確かな激情を帯びていた。

 

「レフは必ず殺す。そして、その背後に控える黒幕も。

 人理焼却を覆し、この星をあるべき姿に戻すまで――オレは、ここで戦い続ける」

 

 その宣言に、ロマニは短く息をのみ、そして歩み寄った。

 

「カルデア現責任者を代表して、アラベル・ヴォルフスベイン……君に、正式な協力を要請する」

「――受けようとも。本当の最後を迎えるその時まで、よろしくね」

 

 ――作戦司令室には、重くも清冽な決意が満ちていた。

 壁のひび割れから漏れる冷気、焦げた配線の匂い、遠くで鳴る工具の音。

 廊下では、白衣の者たちが負傷者の手当てを行い、重傷者の選別を急いでいる。

 別の区画では、倒れた仲間の遺体に白いシーツをかぶせる人々が、静かに祈りを捧げていた。

 作業服のスタッフたちは、焦げ跡だらけの壁を検分しながら、残った設備をどう再稼働させるかを模索している。

 

 ――そして、彼方此方に被害を負ったカルデア内の、さらに奥では。

 暗く冷えた部屋の片隅で、一人の女性が設備パネルの計器を見つめていた。

 輪郭は柔らかく、肌は絹のように滑らか。微笑めば、まるでモナ・リザの絵から抜け出たかのような神秘的な美を帯びる。

 パネルの針が動き、電力が回り始めた。それに呼応するかのように、部屋の中央の床部分に、巨大な魔方陣が出現して、令呪のおうな赤い光輝を生みだす

 その妖しき光景を確認すると、女性はゆっくりと口角を上げた。

 

「人間を、人理を舐めるなよ」

「――フォウ!」

 




幕間休憩
巡狩の旅はひとまずここまで、次回もお楽しみに。

意訳
次章、書き溜め中。更新するまで気長にお待ちください。
なお次章までの幕間二話分と、序章までの設定集は投稿予約済みですので、そちらはお楽しみいただけると思います。
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