Fate/Grand Rail - 千の異星紀行   作:TheLazyMan

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4 一弾と、一射

 

 炎の匂いはまだ空気に残っていた。瓦礫の隙間からは、くすぶる煙が細く昇り、灰色の空へと溶けていく。

 崩落した教会跡地は、一瞬だけ訪れた光の奔流の余韻に包まれていた。

 冷たい風が吹き抜け、崩れた柱の影が長く伸びる。足元に描かれた魔方陣はまだ淡く輝き、先ほど現れた人物の存在を物語っていた。

 そして、その中心に立つ金髪の女性は――静かに瞳を閉じ、何かを感じ取っている。まるで敬虔な祈りを捧げて、その信仰を通じて何かを感じ取るかのように。

 

 その者――英霊ジャンヌ・ダルクは、凛として清純な瞳を開き、藤丸を、次いでマシュ、オルガマリー、そしてアラベルと順々に見やる。

 

「状況は理解しました。この地に関する情報は、召喚を通じて、ある程度は取得しました。

 ……どうやら、私には想像だにつかない、途方もなく極めて大きな悪意によって、この土地は地獄のような炎に包まれ、人々の営みは焼却され、歴史の特異点となってしまったのでしょう。

 ですが……あなた方が人理を修復しようとしていることも、同時に感じました。

 ゆえに、私はここに誓います。たとえこの時、ただ一度だけの奇縁となるとしても、あなた方と力を合わせ、この世界の異常を正しましょう」

 

 その言葉は、旗に刻まれた誓約のように揺るがぬ響きを持っていた。

 マシュは安堵の息を漏らし、藤丸は小さく頷く。

 

「んじゃ――次は、オ(・)レ(・)の(・)番(・)かな」

 

 アラベルが悪戯気質な猫のように口角を上げ、わざと軽い足取りで魔法陣の前に出る。

 どこか遠くからの視線はまだ消えていない。だが彼女はあえて気づかないふりをした。

 

「いやー、こういう儀式って、一度はやってみたかったんだよね」

「失礼ですが、あなたは……?」

「いいのいいの、そういうのは後で。とりあえずは、この子たちの頼れる味方だと思ってよ、ジ(・)ャ(・)ン(・)ヌ(・)ち(・)ゃ(・)ん(・)」

「えっ? あっ、はい。……ちゃん付け?」

「あ、アラベルさん! 仮にもこちらのジャンヌ・ダルクさんは、人類史にその理想を刻まれた偉大な英雄の一人! そ、そんなフランク過ぎる呼び方を急にされては、失礼というか……ご本人も戸惑ってしまうというか……」

「――さあ、銀河の果てからでも、夢の中からでも、お好きに登場して。運命だか因果だか知らないけど、オレを選んでくれる物好きな英霊さん。いっちょ、光の柱をぶち上げてよ」

 

 両手を広げ、まるで舞台の幕開けを宣言するかのように呼びかける。

 しかし――魔方陣は静まり返っていた。光も、熱も、風すら生まれない。

 ついには、魔方陣の光は、まるで潮が引くようにすっと消えてしまった。残ったのは、崩れた床と、そこに立つアラベルの影だけ。

 

「……あれ?」

 

 眉をひそめるアラベルの背後で、マシュが申し訳なさそうに口を開く。

 

「アラベルさん……おそらく、原因は二つあります。

 この英霊召喚は、ちゃんとした詠唱を以てして完成する、形(・)式(・)が(・)あ(・)る(・)程(・)度(・)決(・)ま(・)っ(・)た(・)も(・)の(・)なんです。形式に沿わない詠唱方法は、儀式の成功確率を大きく欠いてしまいます。

 そして二つ目ですが……あなたと、世(・)界(・)と(・)の(・)繋(・)が(・)り(・)です」

「……何となくマシュは勘付いてそうだけど、改めて説明するわ。彼女はこの世界の人間でも、歴史に刻まれた人間でもない。人理との直接的な繋がりがない。だから――呼びかけに応じる英霊が、誰もいないのよ」

 

 オルガマリーの言葉に、ジャンヌ・ダルクの表情がわずかに引き締まる。

 彼女は藤丸の前に一歩進み出ると、その手の旗を剣のように地面に突き刺し、アラベルの前に立ちはだかった。

 その視線は抜き身の聖剣のように鋭く、美しい金色の髪を冷たい風が揺らす。

 

「――つまり、この方が何者であるか、誰も保証できないということですね」

「ま、そういうこと」

 

 アラベルは肩をすくめ、あえて気楽な調子で返す。

 だが、ジャンヌは微動だにせず、警戒を解かない。

 

「マスター、下がってください。万が一にも危険を――」

「待って、ジャンヌ!」藤丸が慌てて手を伸ばす。「アラベルさんは今までずっと一緒に戦ってくれた。少なくとも、敵じゃない」

 

 マシュも続く。

 

「確かに彼女はカルデアの人間ではないようです。でも、ここに至るまで何度も私たちを助けてくれました。信頼に足る行動を示してくれました。だから、彼女の素性がどのようなものにせよ、今は信頼してもいいと思います!」

 

 最後の意向を確認するように、ジャンヌは黙り込むもう一人の味方へと目を向ける。

 オルガマリーは何も言わず、マシュの言葉に同意するように小さくうなずいた。

 数秒の沈黙の後、ジャンヌは小さく息を吐き、半歩だけ退いた。

 

「……あなた方がそう仰るのなら、いったんは信じましょう。ただし、警戒は怠りません」

「うん、それでいいよ」

 

 藤丸は安堵の笑みを浮かべる。 

 それを横目で見ると、アラベルは奇妙な居心地の悪さを感じて、自らの軽薄な行動を恥じるように頬を掻いた。見知って数十分か一時間程度の人間だというのに、ここまで大きな信頼を寄せられるとは。これ程に人懐こい青年と出会ったのは、いかに宇宙を流浪してきたとはいえ、アラベルにとって初めての経験であった。

 

 場がようやく落ち着くと、カルデア所属の三人は顔を寄せて協議を始める。

 

「私達以外のカルデアの人間が、まだこの街にいるかもしれません。探索範囲を広げて、更なる生存者の捜索をすべきでしょうか」

「いいえ。レイシフトが実行された以上、私たちの作戦も進行していると見なすべきよ。生存者が多かろうが少なかろうが、特異点は正さねばならない。この地の特異点の中心を特定して、任務を遂行すべきよ」

「あの……まずはカルデアとの通信復旧をして、もっと状況を整理しやすくした方がいいんじゃないでしょうか? 今のままだと、ずっと歩き詰めになって、そのうち体力も消耗するかと……」

 

 オルガマリー所長は腕を組み、眉間に皺を寄せる。

 どんな選択を取っても時間を消費して、危険は伴う――結論はすぐには出なかった。

 

 一方その頃、アラベルは瓦礫の影に立つジャンヌへと歩み寄った。

 

「君は加わらないの?」

「この特異点は、私の想像を超えた厄介な事情が絡んでいるようです。であるならば、今後の方針を正確に決めるにあたって、少しでも情報を多く持っている者でのみ協議をした方が効率的です」

「確かに。君の言う通りだね。それで……少し、いい?」

「何でしょう」

 

 ジャンヌは視線を逸らさず答える。

 

「さっきから、誰かに見られてる。普通の視線じゃない――妙な力を感じる」

 

 ジャンヌの愁眉がわずかに動いた。

 

「……場所は?」

「わからない。けど、間違いなく遠く。まだ姿を見せてないけど、そのうち戦闘になるかも」

 

 ジャンヌはしばし無言で周囲を見渡し、その紺碧の瞳の奥に冷たい光を宿した。

 

「……どんな狙いがあるのでしょうか?」

「少なくとも、ただの好奇心じゃない」

 

 アラベルは足元の瓦礫を軽く蹴り、乾いた音を立てた。

 

「そいつは機会をうかがってる――そう見えるかな」

「襲撃のタイミング、ですね」

 

 ジャンヌは即座に答えた。

 

「私たちが行動を始めて、誰かが味方の輪から離れた瞬間、あるいはマスターが孤立した時……そこを狙ってくるでしょう」

「……オレは少し違うと思う」

 

 アラベルは顎を上げ、遠くの屋根を見やった。

 

「多分あれは今でこそ観察に留めてるけど、本当の狙いは、ある特定にポイントまでこちらを誘導することなんじゃいかな。動線を観察して、「この道を通れ」 って無言で押してくる感じでね。だから、オレたちが奴の思いから外れるような行動をしたら、おそらく道を塞いでくる。どんな方法でやるかは知らないけど」

「つまり、狙われているのは――」

「マリーか、マシュか、藤丸か。誰が狙われるにしろ、大きく動けば動くほど目立つ」

 

 アラベルは一拍置いてから、ふっと口角を上げた。

 

「だから、わ(・)ざ(・)と(・)狙(・)い(・)通(・)り(・)に(・)動(・)い(・)て(・)ほ(・)し(・)い(・)ん(・)だ(・)。派(・)手(・)に(・)ね(・)」

「……何を言っているんです?」

 

 ジャンヌの声が低くなる。怒りと決意が、その言葉に滲んだ。

 

「マスターを危険に晒す真似など、論外です。冗談じゃない。この地に召喚された英霊として、あの方は私が命に代えても守ります」

 

 アラベルは両手を軽く上げて宥めるようにしながら、警戒を解かないジャンヌにだけ聞こえるよう、声を落とした。

 

「わかってる。だから、これは君だけに話す。

 ……とっておきの武器がある」

「武器……?」

「そう。こいつを使えば、神様相手でもない限り必ず勝てる――そういうやつだよ。フカして言ってる自覚はあるけど、威力は保証する。

 ……これは、リターンを得るためのリスクの前払い。誘いに乗らなきゃ、奴は尻尾を出さない」

「あなたの話が本当なら、その敵は一撃で倒さないと事態が悪化します。信用できるのですか?」

「武器を信じずとも、ここまで彼女たちを守ってきた、オレの信念は信頼してよ。

 ……気に入らなかったら、あとで決闘をしてもいい」

 

 ジャンヌは数秒間、鋭い視線でアラベルを見据えていたが、やがてほんの僅かに……水で満たされたコップから指一本で水を浚う程度に、瞳を和らげた。

 

「……わかりました。危険はありますが、このまま何もせず狙われ続けるよりはましです。

 考えがあるのなら、聞きましょう」

「よし。プランはこうさ」

 

 空はどんよりと重く、灰色の雲が低く垂れ込めていた。

 風はまだ穏やかで、遠くの街並みからは微かな煙の匂いが漂ってくる。

 瓦礫の山に射し込む薄い光が、かすかに揺れ動いているだけで、周囲には今にも崩れそうな静寂が支配していた。

 

 アラベルの説明が終わると、ジャンヌは口を閉ざし、わずかに視線を伏せた。

 眉間に皺を寄せ、頭の中で一つひとつを組み合わせるように考え込む――だが、その瞳には明らかな戸惑いが浮かんでいた。

 

「……確かに理屈は通りますが……あまりに突飛すぎます」

「だよね」アラベルは肩をすくめ、薄く笑った。「けど、オレたちの持ってる手段は限られてる。選り好みしてる余裕なんてないよね?」

「……それは、そうですが……」

 

 ジャンヌの声にはまだ迷いが残る。

 

「なら、やるしかない。駄目でも、試す価値はある。少なくとも、動かなきゃ奴らに好き放題やられるだけだよ」

 

 アラベルは静かに言い切った。

 ジャンヌは長く息を吐き、ようやく小さくうなずいた。

 

「……わかりました。あなたの覚悟、受け取りましょう」

「オーケー。しっかりと頼んだよ?」

「誰に聞いているのですか? 私は、かつて国家消滅の窮状に喘いだフランスの希望の象徴となり、一軍の指揮官として兵を率いた者。命を張る覚悟は、誰にだって負けません」

 

 二人は並んで、未だに議論を重ねる三人のもとへ戻る。

 瓦礫を踏む足音が近づくと、藤丸たちが顔を上げた。

 

「ちょっと離れる。少しの間、独りで動くから」

 

 アラベルがさらりと言った瞬間、場の空気が固まった。

 藤丸もマシュも、そしてオルガマリーまでもが言葉を失い、驚愕の色をあらわにアラベルを見つめる。

 沈黙が、視線の重さとともにその場に降りかかってきた。

 

 ◇

 

 ――高い。

 自分がどこに立っているのかを、正確に理解することはできない。そのための能力を、この体は十二分に持っていたはずだが、何一つとして意識することができない。

 だが足元の冷たいコンクリートと、頬を切る風の感触だけは、確かに現実だった。

 

 冬木市の中でも数少ない高層マンション。その屋上。

 そこに陣取るナ(・)ニ(・)カ(・)の視界の下方には、点のように動く幾つかの影があった。

 ――その影を、そのナニカはじっと見つめている。

 彼らの足取りから目を離さず、建物の影に隠れればその行動を予測して周囲に目を凝らし、すぐに視点を修正する。

 今のような状態となる前、そのような動作は本人にとって、いとも容易くできる達(・)人(・)の(・)技(・)であった。しかし、今や自分自身がどのような状態になっているかも自覚できず、ただ己の器の底から湧き上がる、虚ろな本能に従ってそれを実行しているのみ。

 それが、そのナニカに課せられた、ただ一つの行動指針だった。

 

「……●●●……●……■■■■……」

 

 口から漏れた音は、意味を持たない。自分で何を言ったのかも、わからない。

 思考は虚無の霧に包まれ、言葉は意味のない音へと崩れ、感情は形を失う。

 それでも、操られる糸は確かに存在し、手足を動かす。

 ――今、自分は、巨大な闇に従うだけの操り人形に過ぎないのかもしれない。

 暗黒に染まった思考の中で、漠然と、一筋の独白が湧いて、すぐに消えたような気がした。

 

 ――その時、彼の視界に、それは現れた。

 白銀の甲冑、輝く剣、揺れる金の髪。清純として凛とした装いと、王のように堂々たる所作。

 

 ――あ(・)れ(・)だ(・)。

 霧の奥底で、忘れていたはずの記憶がざわめく。

 血の匂いと、焦げた空気。降りしきる火花の中で剣を振るう姿。

 冬木の夜――あの戦場で、幾度も見た背中。

 

 「……■■……ァ……セ(・)イ(・)……バ(・)ー(・)……」

 

 声は意味を成さず、ただ音の断片が漏れる。

 それでも、この感情だけは鮮烈だ。あの騎(・)士(・)王(・)との決着を果たさねばならない。今ここで。

 それが本能。それが、英霊として胸に刻まれた、唯一の執着。

 

 操り人形のはずの指が、滑らかに弓弦を引き絞る。

 あるはずのない瞳孔が収束し、呼吸が静かに整っていく。

 狙撃体制――最初の一矢を放つ、その瞬間を待つ。

 

 監視も、目的も、今はどうでもいい。ただ――狙い、撃ち抜く。

 それが、私の戦いだ。

 

 ◇

 

「……本当にやるのですね、これを」

 

 ジャンヌは肩口に触れ、自分が纏う甲冑の上に纏わりつく、魔力によって生成された鎧の感触を確かめた。

 それは、オルガマリーの魔術によって施された存(・)在(・)擬(・)態(・)の魔術。魔術世界に名高き学術機関・時計塔の出身である彼女は、いかなる運命の悪戯だろうか、龍脈による魔力のバックアップによって、本来の彼女の実力では実現できないレベルの魔術を実行していた。

 ――白銀の鎧、蒼のドレス、腰に佩いた見えざる聖(・)剣(・)。そのすべてが、あまりにも完璧に再現されている。

 かつて冬木の聖杯戦争において、その名を轟かせた英霊がいた。王の中の王。騎士の中の騎士。円卓の騎士を構築し、ブリテンを統一した偉大なる国王。

 騎士王、ア(・)ル(・)ト(・)リ(・)ア(・)・ペ(・)ン(・)ド(・)ラ(・)ゴ(・)ン(・)。ジャンヌ・ダルクが纏っている擬態の鎧は、歴史上の冬木の聖杯戦争において召喚された英霊本人が纏っていた戦鎧、まさにそのものであった。

 カルデアのデータベースには、過去に起こされた聖杯戦争に関する記録も存在する。そして冬木で行われた第五次聖杯戦争についても、魔術協会を通じて記録の共有が為されていた。そこにあったセイバーの英霊、アルトリア・ペンドラゴンの戦鎧を、オルガマリーは己の記憶力を頼りに、その外見を忠実に再現していたのだ。

 

 ジャンヌの口から呆れにも似た吐息がこぼれる。

 教会で別れる前、アラベルは自らの考えた計画を、一同に対して包み隠さず披露していた。

 

『遠くから狙ってくる敵を倒すために、カ(・)ウ(・)ン(・)タ(・)ー(・)ス(・)ナ(・)イ(・)プ(・)をする。相手の位置を特定できれば、オレの兵器で仕留めることができる。けれどそのためには、相手の視線を引きつけておく囮が必要』

『ここに来る前、オルガマリーから聞いたんだけど、昔ここでも聖杯戦争っていう儀式が行われていたんでしょ? ということは、敵・味方問わず、この街で遭遇する第三者ってのは、その聖杯戦争に縁のあるヤツである可能性が考えられる。オレは、それに賭けてみたい』

『ジャンヌは聖杯戦争に参加した英霊を装って、相手の目が届く場所に出てほしい。そこで堂々とした態度を取っていれば、相手から何らかの反応があるはず。もしも何も反応がなければ、皆と一緒に普通に街を探索していい。

 けれど、もし相手から反応があったら……偽(・)り(・)の(・)騎(・)士(・)王(・)として、皆を守ってほしい。頼んだよ』

 

 大胆、というより無謀。

 だがアラベルは、そんな形容を真正面から受け止めた上で言ったのだ――「できることを、できる時にやるしかない」と。

 それを聞いたとき、オルガマリー達は驚愕のあまり言葉を失っていたが、誰よりも早く藤丸が立ち直り、こう返したのだ。「俺たちの命、あなたに預けます」と。

 この特異点内にいる、カルデア唯一のマスターがそう言ったのだ。彼と契約したサーヴァントとして、その意向に背くことはできない。

 マシュとオルガマリーも、彼の意見に賛同した。皆、危険を承知で役割を請け負った。

 ――あとは、それを実行に移すだけだった。

 

 ジャンヌの背後では、マシュとオルガマリー、そして藤丸が小声で確認を取り合っている。彼らの役割は骸骨兵を蹴散らし、ジャンヌが自分の役目に集中できるようにすることだ。

 アラベルはもう姿がなかった。計画どおり単独で移動し、カウンタースナイプのための射線を確保しようとしている。

 残された四人は、ただ囮として動くのみ。

 

 ジャンヌは兜の面頬を上げ、冬木市の大通りへと一歩踏み出した。

 燃え盛る炎がビルの壁面を紅に染め、街は不気味なほど静かだ。

 背筋を伸ばし、視線を高く保つ――「アルトリア・ペンドラゴン」としての威容を演じるために。

 内心の緊張を押し隠しながら、彼女はゆっくりと舗道を進む。

 

 ――その時。どこか遠く、誰かの視線が、皮膚を刺すように絡みついてきた。

 

 その視線は、まるで獲物を狙う弓の矢尻のように鋭く、冷たく、どこか昏い。

 ジャンヌは眉をひそめ、足を止めぬまま心の中で声を飛ばす。

 

『マスター、警戒を。視(・)ら(・)れ(・)て(・)い(・)ま(・)す(・)』

 

 念話を受けた藤丸の気配がわずかに緊張で揺れるのを感じながら、ジャンヌは胸を張った。

 騎士王を演じるなら、背を丸めるなど論外だ。

 威容と気品、そして挑発。それらを一つに束ね、ゆるやかに首を巡らせる。

 

 視線の先――高所のどこかに潜む敵へ、鋭い眼差しを送り返した。

 同時に、周囲の空気が淡く震えるほどの魔力を四方へと解き放つ。

 それはまるで「来られるものなら来てみよ」と告げる狼煙。偽りの騎士王が、戦の火蓋を切ってみせた。

 

 その露骨なまでの魔力に反応して、瞬く間に路地の陰やビルの影から、軋むような音を立てて骸骨兵の群れが引き寄せられてくる。

 黄ばんだ骨が擦れ合い、空洞の眼窩が青白く光を帯びていた。

 

「こちらで迎え撃ちます!」

 

 マシュが声を張り、盾を構えて藤丸とオルガマリーを背に固める。オルガマリーは指を構えて魔術による弾丸を撃ち放てるように構え、藤丸は皆の動向から目を離さないよう、しっかりと目を見張る。

 そうして三人は一か所に陣を組み、押し寄せる骸骨兵を食い止めんと動き始めた。

 

 ジャンヌも一歩踏み込み、腰の見えざる聖剣を抜く。

 それは、オルガマリーの擬態魔術によって姿を隠されつつも、その実態はジャンヌ・ダルク本人が腰に刷いていた剣である。されど鳴動する透明な靄を纏ったそれは、カルデアのデータベースに登録されているの同じように、まさしく騎士王の不可視の剣、そのものであった。

 

「私も、負けていられませんね……!」

 

 虚空を裂くように振り抜かれた刃は、骸骨の体と、それを構成する脆弱な魔力を一息に断ち割る。

 甲冑の裾が翻り、白銀の鎧に赤火が反射する。剣閃が閃くたび、骸骨兵が粉砕され、骨の欠片が白い花弁のように宙を舞う。

 ジャンヌは無駄のない足運びで前線を維持し、踏み込んでは切り払い、返す刃で背後の骸骨を一刀両断する。その立ち姿はまさに「騎士王」のそれ――高貴さと勇猛さを併せ持ち、見る者に畏怖と昂揚を与える、その立ち振る舞いそのものであった。

 

 背後では、マシュが大盾を掲げて仲間を護りつつ、骨槍を振りかざす骸骨兵を弾き飛ばしていく。

 オルガマリーが拙い所作ながらも指先から魔術による弾丸を打ち出し、迫る敵を押し返す。藤丸は周囲をよく見渡し、討ち漏らしや、不意打ちをしてくる敵がいないか声を張って注意を促す。

 四人の息は合い、骸骨兵の波と拮抗し、その波濤を正面から押し止めていた。

 

 ――その瞬間、空気がわずかに震えた。

 遠方、建物の影から放たれる殺意の線。

 ジャンヌは反射的に頭を上げ、飛来する赤黒い光条を捉える。

 

「来ます!!!」

 

 騎士王の剣を握る手が解かれ、本来の己の宝具の一つ――オルレアンの聖旗が現れる。

 旗を高く掲げ、魔力を奔流のごとく展開し、純白の防壁が瞬時に彼女と仲間たちを包み込んだ。

 

 だが、接近してくるそれを見たジャンヌは、思わず目を見開く。

 矢ではない――剣(・)だ。

 長剣が真っすぐ、矢のように飛翔し、防壁に衝突する寸前、刃から眩く、死の閃光が弾けた。

 

 ――爆発。

 防壁の外側で広がった衝撃波が、周囲の骸骨兵をまとめて吹き飛ばす。

 骨と鎧の破片が宙を舞い、地面を叩く衝撃音が大通りに響く。

 

 マシュは盾を構えて衝撃に耐え、背後の藤丸とオルガマリーをしっかりと守り切った。

 白煙が辺りを漂う中、四人の視線は一斉に、爆発の飛来方向へと向けられる。

 

「な、なによ、あれ! いったい何をされたの!」

「……おそらく、敵は爆発する剣を矢として長距離から狙撃してきているのでしょう」

「け、剣ですって!? あれが!?」

「ジャンヌさん! 相手の位置は把握できましたか!?」

「……ざっとですが、ここから1(・)0(・)キ(・)ロ(・)以(・)上(・)は離れた場所からです。距離がありすぎて特定には至りません」

「十キロ以上……!? そんな距離から狙えるなんて……」

 

 藤丸の声には驚愕が滲む。

 ジャンヌの言葉に、マシュとオルガマリーは思わず息を呑む。

 人間離れした狙撃距離――しかも命中精度は尋常ではない。

 

「相手を引きずり出さないと!」

 

 ジャンヌは旗を握り直し、周囲を見回す。

 

「場所を変えましょう。こちらが動けば、相手も必ず位置を変えざるを得なくなります。

 この街で一番高い建物は?」

「冬木市で最も高い建物……冬(・)木(・)セ(・)ン(・)タ(・)ー(・)ビ(・)ル(・)です」

 

 即座にマシュが答える。

 

「地上三十階、屋上まで約百三十メートル。あそこであれば、相手がどこにいようと長距離狙撃の射線に入れることができるはずです」

「ならば逃走しつつ、できるだけ開けた場所に行きましょう。そこであれば相手も全力で狙ってくるはず。場所に心当たりは?」

「あ、あります!」

「では、マシュさんの先導でそこへ向かいます。マスターもいいですか?」

「うん! ここが踏ん張りどころだ! 一緒にがんばろう!!」

 

 一同は即座にうなずく。

 大通りに散らばった骸骨兵の残骸を踏み越えながら、四人は合流地点へと駆け出した。

 敵の視線を振り切るため、都市の影を縫うようにして――。

 

 ◇

 

 夜の冬木市――沈黙を破るのは、瓦礫を蹴る乾いた音だけだった。

 アラベルは狼の影のように、暗がりを裂く。

 踏み出す足音は舗道に響かず、魔力の気配も微塵もない。

 骸骨兵たちはすぐ傍を通り抜けられても、そこに何者がいたのかすら感知できず、ただ空虚に首を巡らせるだけだった。

 

 ――雑魚は眼中にない。

 アラベルの瞳は高所へと向けられていた。

 ビルの屋上、通信塔、貯水塔――都市の天際線を縫うように視線を巡らせながら、彼女は市街地をひた走る。

 

 その瞬間、視界の端で紅の閃光が走った。

 ――狙撃。

 凶悪な魔力の奔流が、遠くの一点から放たれ、ジャンヌのいるはずの方角へと消える。一拍遅れて、大きな爆発音が響き渡る

 アラベルの心拍がわずかに跳ねた。

 

「……い(・)た(・)」

 

 獲物を見定めた狼のようのように、瞳孔を見開いてその軌跡を辿る。

 だが、射手の位置は悪く、ビル群の陰に隠れていて姿は見えない。

 輪郭すら掴めず、狙撃者は闇に紛れていた。

 

 それでも、場所は特定できた。

 次の瞬間、アラベルは踵を返し、その座標を狩るべく夜を駆けようとして……直後、その影の気配が、移動し始めたことを察知する。

 闇に紛れた狩人同士の対話。言葉はない。それでも分かる。敵は射線を確保するため、より有利な高みを求めている。

 

(……ちゃんとやれるじゃん)

 

 彼女は知らない。けれど、あの影を動かしたのは――きっと、自分のために囮を買って出た誰かだ。或いは、あそこにいた全員が一丸となって動いている。全力で、囮をやってくれている。

 アラベルの胸の奥に、わずかに熱が灯る。久方ぶりの感覚だった。

 

「……誰かと組んで獲物を追うのは、本当に久しぶりだ」

 

 声は夜に溶け、記憶の底から古い光景が浮かび上がる。とうの昔に忘れ去られたいたはずの記憶。

 夕陽で紅く染まった荒野で、仲間が獲物を追い立てる。自分は息を殺し、風と砂の匂いの中で引き金を引いた。あの時も、狩りは成功した。

 そして今、その時の昂揚が蘇る。

 

 視線を巡らせた先、街を二つに断ち切る大きな橋のアーチが、月明かりに浮かび上がっていた。

 川面は闇色に沈み、流れの上に散る街灯の光は、砕けた銀片のように震えている。

 橋脚の赤い影は夜霧に溶け、世界の底へと沈んでいく。

 その光景は、まるで獲物を導くために用意された一本道のようだ。

 

 アラベルは一瞬の迷いもなく、全速力で橋へと駆け出す。

 靴底がアスファルトを叩き、冷たい夜気が頬を裂く。

 胸の奥で、嵐の前のような静電気が走った。

 遠くで、まだ見ぬ狩人が息を潜めている――その気配が、確かに近づいている。

 

 ◇

 

 夜の冬木市――その闇の中を、マシュの先導でジャンヌたちは建物の影を縫うように駆け抜けていた。

 月明かりすら遮るビルの谷間を、足音を殺して滑るように進む。

 その目的地は、冬木市の東側にある、新(・)都(・)パ(・)ー(・)ク(・)。

 高台に位置し、周囲を一望できる賑わいの中心が、今は唯一の逃げ道であり反撃の機会だった。

 

 道中、物は試しとあえて市街の外へと続く道を走らんと、一度は進行方向を変えようと試してはいた。

 しかし数歩と走らないうちに、あの赤黒い閃光が空を飛来して、行く手を遮るように破壊の傷跡を残していった。そのせいで、藤丸たちが取れる進行ルートは、実際には新都パークへと続く動線しか残されていない状態でもあった。

 その場所に何が待ち受けているのかは分からない。しかし、主の意志がそこへ進めと告げているのなら、マスターである藤丸がそこに行く意思を示しているのならば。ジャンヌの足取りに迷いはなかった。

 

 三叉路から見晴らしのいい路地に出た、その瞬間。

 ――耳を裂くような鋭音。

 空を裂く弾道を、ジャンヌの身体が先に察知する。

 

「――守りなさい!」

 

 聖旗が振るわれ、純白の光が防壁となって広がる。次の瞬間、夜空を裂いて飛来した一撃が防壁に叩きつけられ、鋭い衝撃が四肢を震わせた。

 火花のような魔力が周囲に散り、夜風が一瞬だけ熱を帯びる。

 

 防壁を保つたび、魔力は確実に削られる。

 だがジャンヌの顔は、騎士王を演じるかのように凛としたまま、眉ひとつ動かさない。

 けれど――契約の糸を通じて、藤丸はその消耗を鮮明に感じ取っていた。

 

「……くそ! このままじゃジャンヌが持たない! みんな、もっと足を速く!」

 

 藤丸の声が夜気を突き破り、全員の背を押す。

 マシュは振り返らず、ただ前を見据えたまま叫んだ。

 

「目的地まであと五百メートル! この先の広場を抜ければ、すぐです!」

「骸骨兵もいるわよ!」

「打ち倒します!」

 

 しかし、その道を阻むように、骸骨兵たちが影の中から這い出してくる。

 骨と錆びた武具が擦れ合う、不快な音が耳を刺す。死兵の群れが怒涛のように押し寄せる。

 マシュは盾を掲げて盾壁で圧しきるように道を切り開き、藤丸はマシュを信じて全力で走り、オルガマリーは呪文の詠唱を途切れさせずに援護を続ける。

 そしてジャンヌは、聖旗を高く掲げて煌めく光の防壁を張り巡らせていた。

 

 広間の入口に辿り着いて、開けた場所へと入ったその瞬間――空気が一瞬凍りつくような静寂の後、三(・)連(・)続(・)の狙撃が暗闇を切り裂いた。

 

 一発目の矢は猛然たる轟音と共に、ジャンヌの展開した魔力の防壁を叩く。

 閃光が迸り、盾は鋭く振動し、彼女の身体に爆炎と衝撃が伝わる。だが、その防壁は持ちこたえた。

 二発目が来た。

 それは更に鋭く、確実で、まるで魔力の刃が跳ね返されるように防壁に深い亀裂を刻み込む。立て続けに衝撃を受けたせいか、偽りの騎士王の鎧の一部が剥がれて、その下にあるジャンヌ本人の戦装束が現れる。

 

「くっ……!」

 

 ジャンヌは歯を食いしばる。声には出さないが、胸の奥で激しい焦燥が渦巻いた。

 防壁はもう限界に近い。

 

 三発目。

 己の身体に直撃することを、ジャンヌが覚悟したその刹那――

 ――不意に、闇の中から閃光が走った。

 それはまるで一瞬にして空間を切り裂き、時を止めたかのようだった。

 

 横合いの闇から現れた一射は、狙撃の矢の軌道を完全に掻き消す。

 光の刃が一閃し、空中で魔力の矢を貫き、まるで鋼鉄の鎧を割るかのような鋭い音を響かせた。

 その瞬間、守られているという確かな手応えが、ジャンヌの胸を満たした。

 

「……やっと、ですか。随分と遅かったですね」

 

 ◇

 

「いい挑発じゃん。お相手さん、頭ぷりぷりだよ?」

 

 狙撃の一撃が暗闇に消えた直後、冬木大橋のアーチの頂点に一人、静かに座る影が浮かび上がった。

 彼女の目の前には、漆黒の艶を帯びた長大な銃身が鎮座している。

 それは、銃器の一つ。狙(・)撃(・)銃(・)だった。街中でずっと彼女が羽織っていたコート。その背中側に背負われていた、一見すると彼女の肢体では背負えないほどの大型の兵器であった。

 

 しかし、それはただの狙撃銃にあらず。狙(・)撃(・)銃(・)で(・)も(・)あ(・)り(・)、時(・)と(・)し(・)て(・)、榴(・)弾(・)砲(・)と(・)も(・)な(・)れ(・)る(・)。すなわち狙撃銃の優美な線と、榴弾砲の重厚な質量を併せ持つ異形の兵器だった。

 銃口周辺には高出力エネルギー弾を収束させる偏向リングが埋め込まれ、わずかな光の反射が、星々の瞬きを思わせる。銃身の側面には、用途別に交換可能な弾倉ユニットと可動式スタビライザーが組み込まれており、切り替え一つで遠距離狙撃から高出力砲撃までをこなすことができる。また銃身には特殊なレンズや高性能照準機構が取り付けられ、遠距離からでも狙撃対象を的確に射抜くことが可能だ。狙撃モードでは、最適な環境条件下であれば、数十キロ程度まで射程圏内に入る。

 この武器は、かつてアラベルが所属していた勢力――今は足を洗って、ついでに頭も冷やして完全に関りを持たないようにしているが、壊滅の名の下に暴虐の旗を振るう宇宙随一の無法者の集団から、別れの駄賃として奪い取ったものだ。

 崩壊と栄光は星々の運命のように巡るというが、かの組織もいずれは死の兆しに照らされ、星屑の塵と化すだろう。だが、アラベルの手に渡ったこの兵器は、彼女が生を諦めぬ限り生き続ける。

 

「……長生きするのは、物か、人か、どっちかだけってことさ」

 

 低く呟くと、アラベルは可変機構のロックを外し、狙撃仕様から榴弾モードへと組み替えていく。

 機械仕掛けのスタビライザーと、蜘蛛の足のような接地式固定用アンカーが展開され、銃身の内部でエネルギー制御コイルが微かに唸りを上げた。

 銃が、夜の闇と彼女の呼吸に同調する。

 その瞬間、まるでこの街の全ての音が、引き金のために沈黙したかのようだった。

 

「的当てゲームも飽きたでしょ。……一つ、早打ち勝負といかない?」

 

 アンカーを、大橋のアーチの鉄骨に食い込ませて、無理やり銃を固定する。

 ゆっくりと弾を装填しながら、アラベルは冷ややかに、閃光が飛来してきた冬木センタービルのシルエットを睨む。

 その弾丸もまた、特殊な代物であった。指三本ほどの太さの細長い薬莢には、まるで黄金の血管が脈を打つように幾筋もの光輝が刻まれている。それは壊滅の運命の名の下に誕生した生物から採取される、壊(・)滅(・)異(・)質(・)なる物質を弾丸の形に凝縮させたものだった。壊滅異質は火のようで火にあらず、冷たくも熱くもない。しかし、決定的な特徴があった。一定以上の秒数を接触した他の物質を破壊するという性質が。この弾丸は、壊滅異質を可塑的に圧縮させたことでその破壊効果を加速化させ、弾丸が接触した場所に極めて破壊的な爆発を起こす。触れたものが生半な物質であれば、分子レベルまで塵も残さず消し去れるだろう。まさに、秘密兵器の名に相応しい。

 

 アラベルの指がトリガーに触れ、銃身からわずかな振動が伝わる。

 その手つきは無駄なく滑らかで、幾度となくそれに触れてきた彼女の熟練を隠しきれなかった。

 

「もっとも、ズルはしちゃうけどね。相手が弓(・)で(・)剣(・)を(・)射(・)る(・)くらいなら、こっちも銃(・)で(・)砲(・)弾(・)で(・)撃(・)つ(・)のもアリでしょ?」

 

 彼女の目が一瞬だけ笑みを帯びた。冷徹な狩人の余裕と執念が、夜の闇に溶けていく。

 アラベルは息を整え、愛銃のストックを肩に預ける。スコープの視界が、冬木センタービルの屋上を切り取った。

 高度な光学補正と演算補助を備えた超精密スコープは、夜霧を裂き、数キロメートルを超える距離をわずかな歪みもなく映し出す。

 その中央に、暗黒の靄に覆われた人影――人型のナニカが立っていた。

 その者の正体など、アラベルは気にしない。ただ彼女の直感が語り掛ける。――アレは、敵だ。

 

 黒影はゆっくりと、手にした弓を構える。

 次の瞬間、何もない空間から赤黒い閃光が奔り、重く禍々しい剣が弦に現れる。それは剣でありながら矢であり、光の輪郭は揺らめき、刃先からは微かな瘴気が垂れ落ちていた。

 その矢先が――まっすぐに、アラベルを指している。

 

 スコープの中で、二人の狙撃線がぴたりと重なった。

 視界が、狭まる。時間が、沈む。鼓動すら、金属の機構音のように遅れて響く。

 

「……来いよ、影(・)法(・)師(・)」

 

 アラベルは口元に笑みを浮かべ、引き金へ指を掛ける。

 

 黒影が弦を放った。赤黒い剣が空を裂き、死の直線を描く。

 同時に、アラベルの榴弾砲が咆哮した。高出力のエネルギー弾が光の矢となり、銃口から閃光と衝撃波を撒き散らす。射撃の衝撃により、大橋全体が崩落の悲鳴を上げるように重い音を立てた。

 赤黒い軌跡と、壊滅の軌跡。両者の弾道が、夜空の一点で衝突した。

 金属を擦り潰すような爆裂音とともに、閃光が破裂し、橋の上も屋上も、白と赤と黒の光に呑まれた。

 

 一瞬の拮抗――それは刹那の永遠。

 

 だが、均衡はわずかに傾いた。アラベルの榴弾砲が吐き出した高密度エネルギー弾が、赤黒い軌跡を押し返し、逆流する光の奔流となってセンタービルの屋上へ迫る。

 次の瞬間、冬(・)木(・)セ(・)ン(・)タ(・)ー(・)ビ(・)ル(・)の(・)上(・)層(・)階(・)が(・)、白(・)熱(・)し(・)た(・)巨(・)大(・)な(・)火(・)球(・)に(・)呑(・)み(・)こ(・)ま(・)れ(・)た(・)。

 空を裂く轟音と衝撃波が、市全体を叩きつけるように揺らし、夜の闇を昼のように照らし出す。ビルの窓という窓が破砕され、破片が煌めきながら闇へ降り注いだ。

 その光景は、遠く離れた住宅街の窓にも赤い影を映し、風を熱く震わせた。

 

 冬木大橋の上――アラベルは油断なくスコープを覗き続ける。

 火球の残光が収まり、熱気の波が遠ざかると、視界に映る屋上は影と炎にまみれ、もはや輪郭を保っていなかった。というより、屋(・)上(・)そ(・)の(・)も(・)の(・)が(・)上(・)層(・)階(・)の(・)大(・)半(・)と(・)共(・)に(・)消(・)失(・)し(・)て(・)い(・)た(・)。

 

「……安っぽい影芝居にしては、派手な幕引きだったじゃない」

 

 唇の端をわずかに歪め、冷たい笑みを浮かべながら、アラベルは肩越しに銃身を引き寄せた。

 

 ◇

 

 冬木センタービルの屋上は、夜の風に晒され、鋭い冷気が剥き出しの金属と瓦礫の隙間をすり抜けていく。その屋上からは、街全体に広がる破壊と炎とがよく見えた。

 その縁に、影が立っていた。

 人の形をしているが、その輪郭は揺らぎ、仄暗い靄のような瘴気がまとわりつく。

 シ(・)ャ(・)ド(・)ウ(・)・サ(・)ー(・)ヴ(・)ァ(・)ン(・)ト(・)――後のカルデアのデータベース上で、そう呼称されるようになる存在。かつての英霊か、英霊のなりそこないが霊基を破壊されたものの、本来あるべき座へ帰還することができず、その残滓が周囲の魔力・怨念と結びついたもの。

 記憶も名も、すでに彼のものではない。だが、魂の奥底には燃え残るものがあった。

 

 昏い使命感。

 それは意志ではなく、抗えぬ潮流のように彼の全身を押し流し、矢を放つ腕を導く。

 目標は、ジャンヌ・ダルク――白銀の鎧を纏い、聖旗を掲げる女。

 或いは、彼女がまとう鎧を通じて幻視する、か(・)つ(・)て(・)大(・)切(・)に(・)思(・)っ(・)て(・)い(・)た(・)人(・)の(・)残(・)影(・)。

 彼女を葬ることこそ、この影の存在理由。

 そのためなら、夜空を裂く一射も、千の矢雨も惜しまぬ。

 

 だが――邪(・)魔(・)が(・)入(・)っ(・)た(・)。

 

 冬木大橋の上。

 アーチの頂点に腰をかけた狼のような女が、異形の兵器を構えている。

 黒金に鈍く輝く銃身は、銃というには長すぎ、砲というには細すぎた。

 あの女の放った弾丸が、先ほどジャンヌを狙った矢を正確に撃ち落とした。

 その瞬間から、彼の全身に煮えたぎる憤怒が走る。

 

 ――許(・)さ(・)な(・)い(・)。

 ただの人間ごときが、この戦いを邪魔するなど。

 

 弓を構える。

 ただの弓ではない。赤黒い瘴気が迸り、空間を裂きながら剣の形をした矢が、弦の上に具現化する。

 その切っ先は、遠く橋の上に座す女――アラベルの胸元を、確かに捉えていた。

 

 狙いは一条。

 呼吸は静かに、しかしその影の心臓は、怒りにより不規則に高鳴る。

 弦を引き絞るたびに、赤黒い光が溢れ、夜を汚す。

 

 ――消えるがいい。

 

 瞬間、剣が矢となって飛翔する。

 赤黒い軌跡は一直線に橋を裂き、風鳴りがビルの屋上を吹き抜けた。

 

 だが――

 

 視界の端に、青白い閃光が走った。

 それは次の瞬間、全てを埋め尽くす奔流となって押し寄せる。

 彼の放った剣は、光の矢と正面から衝突した。

 金属を擦り砕くような轟音。

 赤黒い炎が弾け、しかしそれは押し返され、反転して彼の方へと迫ってくる。

 

 眩い――いや、焼き尽くす光だ。

 視界は白に塗りつぶされ、肌という概念すら持たぬこの身が、熱(・)を(・)感(・)じ(・)た(・)。

 回避のための一歩を踏み出すより早く、絶望的な奔流は迫る。

 

 その刹那――

 影の視界に、形を持たぬ色彩が降り注いだ。それは、かつての冬木の街並み。

 夜空の闇が裂け、そこから零れ落ちる光は、剣の形にも、波のようにも見えた。

 光の奥で、誰かが立っている。

 輪郭は滲み、姿は揺らぐ。だが、それが何であるかを、魂は迷わず知っていた。

 

 ――騎士王。

 

 燃え盛る戦場。血と鉄の匂い。そして、堂々と剣を掲げ、己の前に立ちはだかった者の姿。

 金色の糸が風に解け、空気そのものを染め上げる。

 瞳は空よりも深く、鋼よりも冷たいのに、見る者を焼く炎を秘めていた。

 声は聞こえない。

 それでも、その唇が何を告げようとしているのか、言葉になるより早く理解できた。

 「立て」――そう言っている。

 たとえ足を失い、名を失い、己が何者かを忘れ果てても。

 

 影は膝をつき、頭を垂れていた。

 騎士王の足元に広がる地平は、戦場でもあり、海原でもあり、天空の果てでもあった。

 剣が掲げられると、その軌跡は空と大地を切り分け、無数の星を流れ落とす。

 その光は、かつて戦った日々の残響か、それともまだ訪れていない未来の約束か。

 影には分からない。

 ただ、そこに立つ存在と再び刃を交える瞬間が来ると信じた。

 

 光の奔流が押し寄せる。

 視界が砕け、世界が溶ける。

 最後に残ったのは、騎士王の背中だった――

 どこまでも真っ直ぐで、何ものにも屈さず、ただ進むための背中。かつての、憧憬。

 

 再会を願って――影は、光の中へ溶けていった。

 冬木センタービルの上層階とともに、跡形もなく特異点から消滅した。

 

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