Fate/Grand Rail - 千の異星紀行   作:TheLazyMan

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5 地獄漫遊

 

 冬木市の夜が、死んだ。

 燃え立つ炎と黒煙が街の輪郭を呑み込み、かつて静かな川面を映していた水面は、いまや血のように赤く染まっている。

 遠くで、砕け落ちたコンクリートが連鎖的に崩れる鈍い音が響く。その中心、冬木センタービル――上層階は跡形もなく消し飛び、鉄骨が炭のように黒く焼け、風に千切れた書類が灰混じりの雪となって舞っていた。

 その頂にいたはずの影は、もう特異点のどこにもいない。

 憧憬と希望を胸に、あるべき場所へと還っていったのだ。

 

 アラベルは、狙撃姿勢からゆっくりと身を起こした。

 肩に据えていた可変式の重火器は、低い機械音を鳴らして折り畳まれ、砲身が沈み込み、スコープとスタビライザーが一つの塊に収束していく。

 それはエネルギー榴弾砲であり、狙撃銃であり――そして今は、ただの長い影のような金属ケースに変わった。

 彼女はそれを背に回し、コートの内側へと滑らせて隠す。まるで何事もなかったかのような仕草だ。

 

「――ふぅ。いい火力試運転だったじゃない」

 

 小さく吐息を漏らすと、アラベルは冬木大橋のアーチから音もなく飛び降りた。迷彩柄のコートが闇夜に溶けるようにふわりと靡く。

 その動きはしなやかで、無駄がない。橋桁に着地する瞬間さえ、狼が雪原を駆けるときのように静かで、気配は川霧に溶けて消える。

 ぐいっと起伏のある胸を張るように背伸びをして、体の奥に残る砲撃の余韻を確かめようとした、その時であった。

 

 次の瞬間――

 橋の西側から、肌を刺すような気配が押し寄せてきた。

 空気が重くなる。足元の鉄骨が冷えるような錯覚。ちりちりと指先が熱くなる。魂の奥底に刻まれた警鐘が、()()の音を鳴らしている。星海に充溢する()()()()()()の残滓が、色彩の失われた波となって伝わってきた。

 アラベルの瞳が細くなり、口元が皮肉な笑みを形づくる。

 

「……さっきのが花火大会なら、こっちは()()()ってわけ?」

 

 川霧の奥から、影が蠢いた。

 それは形を持たぬ靄の塊のようでありながら、その中に無数の脚と触角が揺れている。

 

 ――虫であった。 

 外殻は夜光虫のように淡く輝き、節ごとに硬質な棘が突き出している。顎は鋏のように鋭く、咀嚼音だけで金属を噛み砕く様が想像できる。

 群れは統率された隊列ではなく、渦を巻くように乱れながら、それでいて一つの意志に導かれるかのように。影を纏うその群勢は、川面と橋桁の境界を無視し、空間そのものを這い渡る。

 そして、アラベルへと押し寄せてきた。

 

 彼女の指が、腰に吊るした愛銃を再び手繰り寄せる。

 星海の向こうから持ち込み、一度は中座していた狩りが、再び始まろうとしていた。

 

 ◇

 

 ――夜が、一瞬で昼に変わった。

 新都パークの芝生の上で、藤丸たちは言葉を失って空を見上げた。

 遠く冬木の中心部に、巨大な火球が花開く。まるで街そのものが燃え上がったかのように、真紅と黄金の光が夜景を押し流し、地平線の形さえ塗りつぶしていく。

 次の瞬間、空気が震えた。地面が腹の底から響くように揺れ、遅れてきた爆風が樹々をしならせ、足元の落ち葉を巻き上げる。

 芝生に立つ一同の頬を熱い風が撫で、風下の花壇はまるで嵐の中に放り込まれたように揺れた。

 

「……なんだ、今の……」

 

 藤丸のつぶやきは、爆風にさらわれて消える。

 マシュは盾を前に構えたまま、目を見開いて冬木の空を凝視していた。

 炎がビル群の輪郭を舐め、やがて黒煙が覆い隠していく。

 

「……これが、あなたの兵器の力なのですか。アラベル、あなたは一体……」

 

 現実を確認するように、ジャンヌは呟く。

 爆風がようやく収まり、耳に残っていた唸り音が薄れたころ――

 不意に、オルガマリーの携行端末から短い電子音が響いた。

 

『……あー、あー……聞こえてる!? おーい、藤丸くん! マシュ!』

 

 その声に、マシュがはっと顔を上げる。

 

「……その声。ドクター! ドクター・ロマニ……ご無事だったんですか!?」

「ロマニ!? よかった! 通信が回復した……!」

 

 藤丸も思わず声をあげた。

 通信の雑音は不自然なほどあっけなく消えていた。

 ロマニの声は以前と変わらぬ軽さで、しかし安堵を含んでいた。

 

『いやあ……やっと繋がったよ。通信設備は復旧したのに、強力な信号妨害がずっと出ていたせいで、君たちとの通信が繋がらなかったんだ。だけど今しがた、それが消えたみたいでね。ようやく通信できた。こっちもずっと気を揉んでたんだよ』

 

 彼の説明に、藤丸とマシュは顔を見合わせ、胸の奥からほっとしたような息をつく。

 そんな中、空間の前方に淡い光が収束し、仮想スクリーンが立ち上がった。

 青白いフレームの内側に、破壊の残滓が未だ深く残っているカルデアの管制室と、そこに立つロマニ・アーキマンの姿が、彼のニコニコとした表情と共に映し出される。

 

『いやー……みんな、よく無事で……』

 

 彼の視線がスクリーン越しにこちらを順に辿る。

 マシュ、藤丸、そして後方に控えるジャンヌ、オルガマリー。

 その顔ぶれを認識した後、ロマニはしばし息を呑んだま顔が固まり、そして次いで信じられないとばかりに――

 

『――えええええええっっ!!! ち、ちょっと待って!? なんでそこにいるんだ!?

 

 思い切り叫んだ。

 あまりの大声に思わず藤丸らの肩がびくりと震える。――面食らったようなジャンヌを除いて。

 

「……これはまた、元気な方なのですね」

「あ、あはは。カルデアで初めて会った時も、あんな風に驚かれたっけ。『ここは僕の部屋だぞ!』ってね」

「ちょっと、ロマニ!! いきなり叫ばないで!!」

『いや、だって、所長! 叫ばずにはいられないというか!』

「なによその言い方は。私がここにいたらそんなにおかしい? レイシフトに巻き込まれたのよ、仕方ないでしょ!」

『いや、レイシフトって……。そんな、おかしいとかそういうレベルじゃ……!』

 

 画面の向こうでロマニは両手をひらひらと振り、しかしなお信じられないという視線を彼女に向けている。

 だが、すぐに何かを飲み込むように目を逸らし、今度は背後に立つ見知らぬ女性――銀鎧を纏い、清純な蒼い瞳を真っ直ぐに向けるジャンヌへ視線を移した。既にオルガマリーの魔術は解かれており、彼女本来の戦装束の姿へと戻っている。

 

『……あー、その人は? カルデアの登録データには見当たらないんだけど』

「私はジャンヌ・ダルク。こちらの藤丸立香さんの呼びかけに応じ、英霊として現界しました。どうぞ、ジャンヌとお呼びください」

 

 涼やかな鐘のように静かで澄んだ声に、ロマニは一瞬だけ呆気を取られ、それから苦笑した。

 

『……なるほど、英霊召喚が成功したってわけか。それじゃ、藤丸くんがマスターってことでいいんだね?』

「はい。俺が彼女のマスターです」

 

 藤丸が頷くと、ロマニはようやく落ち着いたように息を吐いた。

 だがすぐに、画面越しにマシュへ視線を送る。

 

『……マシュ、その戦闘服……それは、デミ・サーヴァントとしての……ということだよね。

 ということは、君はもう――』

「はい。経緯は何であれ、私は、私の役割を受け入れました。

 今は先輩の支援をするべく、この特異点の異常解決に向けて微力を尽くすだけです」

 

 短く、それでも確かな決意を帯びた声に、ロマニは目を細めた。

 しかしその表情がすぐに揺れ、再びオルガマリーを見やる。

 何か言いかけて――結局、口をつぐんだ。

 

『……いや、今はいいか。それよりも状況を説明しよう』

 

 彼は画面横に地図ウィンドウを開き、赤い光点をいくつも示す。

 

『まず、さっきの()()()()から巨大な熱源反応が感知された。その直後、街の西側にある高層ビルの屋上が吹き飛んだ。……こちらからでは情報が不足しているんだが――』

「ドクター・アーキマン。その反応については、思い当たる節があります。そして英霊としての直感に従って言うならば、その反応を生みだした人は、私たちの強力な味方です。どうぞ、ご心配なさらぬよう」

 

 ジャンヌの迷いのない言葉に、藤丸らは一瞬驚きを露わにするが、すぐに気を取り直してむしろ当然のように頷いた。

 

『そ、そうなんだ……。どうやら頼もしい味方を得られたようだね。

 次に――君たちにいる場所から()()()()()()()()()で、魔力反応が感知できている。規模は小さいけど、一定周期で強くなったり弱くなったりしている……何かを呼び寄せている可能性が高い』

「……カルデアの他の魔術師による魔術かしら?」

『いや。分析した結果、その魔力反応はカルデアのメンバーのものと一致しなかったし、類似性がなかった。恐らくだが、この特異点で活動している何者かによる痕跡の一つだろう。十分に注意をした方がいい』

 

 藤丸達は険しい顔でマップを見つめる。

 

『そして最後に……冬木市の最西端、丘の上にある()()のような建造物。――正確には()()()()()()()から、得体の知れない非常に強力な反応が感知できている。……正直、この特異点内で確認できる、他のどんな反応とも性質が異なる。まるで世界の心臓がそこに鎮座しているかのようだ』

 

 スクリーン上の反応は、まるで呼吸するかのように明滅を繰り返していた。

 それが何を意味するのか、誰も即答できなかった。

 

「……この特異点を構成している大元の魔力源は何かしら」

 

 地図の赤点を睨みながら、オルガマリーがぽつりと呟いた。

 

「この冬木市が舞台で、しかも聖杯戦争がベースになっているのなら――まず間違いなく、聖杯よね。……マシュ、冬木の聖杯戦争では、聖杯はどこで勝者の手に渡ったか、記録はあったかしら?」

「残念ながら、当時の聖杯戦争は不明瞭な情報が多く、確定的な回答はできません。ですがカルデアのデータベース上では、その戦いの最終局面が確認されたのは……確か、冬木市の西にある洞窟地帯だったはずです」

 

 マシュがすぐに補足すると、オルガマリーは軽く頷き、指先でマップの西端を叩いた。

 

「つまり聖杯のある場所として想定されるのはその洞窟。そして位置的には、この寺社の方面と一致するわ」

 

 ロマニが『なるほどね』と呟くのを横目に、彼女は話を続けた。

 

「一方で、北側の埠頭からの魔力反応については情報が足りない。ただ、距離は比較的近い。

 だから、まずはアラベルと合流してから、彼女の機動力を使って探索してもらうのが効率的よ」

 

 その言い方に、藤丸は苦笑いを浮かべた。

 

「……合流した途端、パシリみたいに扱うんですね」

「何よ、それのどこが悪いの? 私はカルデアの所長よ。この作戦の現場指揮権は私にあるんだから、正当な権利よ!」

 

 胸を張って言い切るオルガマリーに、マシュは小さくため息をつき、ジャンヌはくすくすと笑みをこぼした。

 

『そういえば……そのアラベルって人、何者なんだい?』

 

 ロマニが軽い調子で問いかけると、オルガマリーはわずかに目を細め、肩をすくめた。

 

「詳細は必要ないわ。利用価値のある――()()()()()。それ以上でも以下でもない」

 

 その言葉に、他の面々は口をつぐむ。マシュは淡く視線を逸らし、藤丸は表情を曖昧に固め、ジャンヌは……微妙に言いよどむような、複雑な面持ちを浮かべた。

 微妙な沈黙と温度差に、ロマニは少し眉をひそめたが、ひとまず話を進めることにした。

 

『じゃあ、作戦を整理しよう。

 最終的な目標は、西の寺社方面にあると思われる聖杯の確認。次点として、北側埠頭の調査――』

 

 その時、ロマニの手元から、甲高い電子音が鳴り響いた。

 それより一瞬遅れて、冬木大橋の方角から銃声のような遠鳴りも伝わってくる。

 

『……街の中央にある橋の付近で、()()()()()()()()()()()()()()()!』

 

 一同の空気が一瞬で張り詰める。藤丸は思わず前のめりになった。

 

「アラベルさん……大丈夫かな」

『解析を続けるよ』

 

 ロマニの指先が空中の操作パネルを滑る。浮かび上がった魔力反応のマップには、一つの点が、前後を複数の集団に挟まれたまま、こちらへ一直線に向かってくる様子が描かれていた。

 息を呑む藤丸に、マシュが前に出る。

 

「――皆さん、迎撃態勢を!」

「ここは私たちが守ります! 全員、後方へ!」

 

 ジャンヌも聖旗を構え、力強く声を張った。

 

「ジャンヌの言う通り、ここは撤退を――」

 

 オルガマリーが言いかけたその瞬間、冬木大橋の方角から、時相を引き裂くような、甲高く、あらゆる生物の根幹に根差した生命としての本能を戦慄させる、恐ろしい叫びが響き渡った。

 一同は思わず動きを止め、背筋が凍りつくような震えに襲われる。

 

「……こんな声、英霊の座から伝わるどんな知識にもない」

 

 ジャンヌが額に皺を寄せ、眉間に深い影を落とし、そこへ凝視する。

 

「これほど不快で、得体の知れぬおぞましさを纏ったもの……何者かの怨嗟か、もしくは魔の化身か」

 

 その視線の先。冬木大橋から新都パークへ伸びる広大な大通りを、異形の軍勢が真っすぐに襲来してくるのを、英霊として強化された視力で、ジャンヌははっきりと視界に捉える。その光景に、本能的な気色悪さを感じて鳥肌が粟立った。

 

 ――()()()()()()()()()()()()()

 群れはまさに禍々しい黒鉄の塊。まるで地獄の底から這い出したような漆黒の大群。

 硬く鈍く光る甲殻は腐食と瘴気にまみれ、ところどころ鋭い棘やトゲが刺さったかのように異様に盛り上がる。槍のような鋭い脚が地面へと伸ばされ、乾いた音とともに爪が空を裂く。

 虫の羽は透明だが不気味な輝きを放ち、闇の裂け目を切り裂いて飛翔し、瘴気を撒き散らしながら迫ってくる。まるで死の前触れの群れが、獲物を執念深く追い詰めるかのようだった。

 

「……()()()()()

「えっ? じ、ジャンヌ?」

「マスター、虫です。人よりも大きな虫の大群が、こちらに迫ってきています」

「む、虫っ!?」

「アラベルさんはどうなったんですか!」

「それが、姿が見当たらず……いいえ、見えました!」

 

 その大群を超えた先、大通りを中央部を、まるで一種の狂気に駆られた獣のような足取りで走る影が見える。

 アラベルだ。

 夜の闇を切り裂くように走る彼女の姿は、別れる前に見せた冷徹さやシニカルさが欠片もない、まるで獣そのものだった。

 その顔は狂気に蝕まれているかのようであった。黄金の目は大きく見開かれ、唇は引きつり、歯を食いしばる。怒りも皮肉も影を潜め、フードがめくれて月光のような銀髪を振り乱しながら、ただただ彼女の本能だけが前面に出ている。まるで別人のようであった。

 そして、彼女の背後。獣のように疾駆するアラベルの背後には、更なる虫の群れが激しく羽ばたき、唸り声を上げながら執拗に追い立てていた。

 その目は冷たく鋭く、ただ生命を蝕み、嚙み砕き、己の養分にすることしか関心がない、理屈の通じぬ凶暴さを滲ませている。

 

「…………やばくない?」

 

 ぽつりと呟かれた藤丸の声が、やけに大きく耳に入る。

 やがてジャンヌたちの姿が視界に入ってきたのか。アラベルはためらいなく、まるで戦場の銅鑼を打ち鳴らすような大声で――

 

「――助けてェェッっ!!!

 

 と、冬木の夜空に木霊を刻む。

 その叫びには、いつもの余裕も冗談めかした軽口もまるでなく、ただ切実な叫びだった。

 

 一同は互いに顔を見合わせ、緊迫した空気に包まれたまま、すぐに悲鳴を上げて走り出す。

 暗闇の中、叫び声が夜空に響き渡り、冬木の闇が一層深く、重く沈み込んでいった。

 

 ◇

 

「ったく。()()()()()だ。英霊ともあろうものが、虫の群れに恐れをなすとは。

 ……まぁ。俺も人のことを言えた義理じゃねぇか。さすがにあんな奴らを相手取るには、ちょっとばかし知恵と根性がないとな」

 

 夜空の高みから、まるで監視カメラの映像を覗き見るかのように、彼は市街地の追跡劇を見下ろしていた。

 ぼんやりとした視界の枠の中で、狭い路地と崩れかけたビル群を縫って逃げ惑うアラベルたちの姿が、小さく動いている。

 背後からは無数の黒い影──獰猛な虫の群れが、執拗に追い立てていた。

 

 彼の手元には、長い杖が握られている。杖を軽くひょいと振るうと、路地のあちこちに淡く青白い光が差し込み、瞬く間にいくつもの通り道に魔法の壁が立ち上がった。それは虫たちの迂回路をことごとく塞ぎ、アラベル達の逃走を補助する一助となっていた。

 続けざまに杖を振るうと、アラベルたちの進行方向にある建物の一角がゆっくりと透明になり、まるでそこを通り抜けることを許すかのように透けていく。

 それは一つの道筋を示すかのようであった。はたして彼らが進む方角には、冬木市の北側に設けられた埠頭がある。

 

「仕方ねぇ。この特異点に数少ない、手を取り合えるかもしれねぇ奴らなんだ。

 ちょいとばかし()()を披露して、助けてやるとしますか」

 

 ◇

 

 瓦礫だらけの舗道を、マシュは盾を抱えながらひたすら駆け抜けていた。

 そのすぐ背後を藤丸やジャンヌ達が続き、彼らの背中めがけて、膨れ上がった羽音と共に虫の群れが追い立てる。

 だが奇妙なことに、その群れのさらに後ろから、狂乱じみた形相のアラベルが必死に走っており──そして彼女のさらに後方、第二の虫の群れが黒い雲のように押し寄せてきていた。

 

「アラベル! 一体何をしていたの!?」

 

 オルガマリーが、肩で息をしながらも叫ぶように後ろへ声を飛ばす。

 

「虫を引き連れて帰ってくるなんて、何を考えてるの!?」

「オレのせいじゃない!!」アラベルは怒鳴り返す。「作戦はうまくいったの! カウンタースナイプに成功したら、どっからともなく虫が湧いてきて──!」

 

 アラベルは振り返りもせず、途切れ途切れに叫び返す。

 

「そいつらを追っかけてたら、いつの間にか追っかけられる側になってたのッ!」

「私達、追いつめられています! このままじゃ袋小路に……!」

 

 マシュは息を詰めながら、先の通りを素早く見回した。

 その言葉に、ジャンヌはちらりと振り返り、さらに深刻な声を出す。

 

「マスターの体力も限界です……」

 

 藤丸は答えようにも声にならず、荒い呼吸だけが喉から漏れた。足は鉛のように重く、それでも必死に皆の後ろをついていく。何ら戦闘訓練を受けていない素人の彼がここまで追従できていたのは、ほとんど奇跡に近い。さりとて、そろそろ限界に近いだろう。

 

 未知の敵性生命体との接触。しかも、その敵からは魔術に因らない未知の反応が検知されている。近接戦になったら、どんなことが起こり得るか分からない。しかし、あらゆる辛苦を受ける覚悟を決めてでも、時にはやらねばならない。

 踵を返して殿軍として虫の群れを迎え撃とうと決意しかけた。

 

 ──その時。

 マシュの正面にそびえていた古びた商業ビルが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 内部の通路や奥の出口までがはっきりと見える、不自然な透明化。

 

「な、何ですかこれは……!?」

 

 驚きに足が止まりかけたマシュの肩を、ジャンヌがぐっと押す。

 

「考えるのは後! 今は前へ!」

 

 彼女の声に押され、一同は透明になった建物へと雪崩れ込む。

 足音と荒い呼吸だけが響く中、一同は透明なビルの中を駆け抜け──そして出口を抜けた瞬間、背後で空気がねじれるような音が響いた。

 透明だった建物が、ゆらりと揺れたかと思うと一瞬で実体を取り戻す。

 ──直後、内部に入り込んでいた虫たちが、壁や梁に挟み潰される重苦しい衝撃音と、骨を削るような断末魔を響かせた。

 その不気味な絶叫に、オルガマリーの顔が引きつる。

 

「まさか……アラベルまで……」

 

 思わず振り返ったその時──。

 ビルの二階あたりの窓ガラスが、まるで水面を破るように突き破られ、アラベルの姿が飛び出してきた。

 肩で息をしながら着地し、俊敏な黒い狼のようにすぐさま駆け出す。その数歩後ろ、虫の第二波が窓という窓から黒い奔流のように溢れ、なおも追跡を続けてくる。

 アラベルは合流するや否や息を切らしつつ叫んだ。

 

「今の誰の仕業だ! マリーか!?」

「いいえ! あんな神業の芸当、できるわけがないわよ!!」

「わ、私もできません!」

 

 マシュが即座に首を振る。ジャンヌも無言で首を横に振った。

 そのやり取りの最中、ついに藤丸の足元がふらつき、膝が崩れかける。

 

「……っ!」

 

 しかし、彼が地面に倒れることはなかった。

 彼の様子に気を払っていたジャンヌが、即座にその体を抱き止め、次の瞬間には藤丸を、藁の束のように肩に担ぎ上げていた。

 

「おお……やるじゃない」

 

 アラベルは思わず感心したように目を細めたが、背後の羽音がさらに近づくと再び前を向き、歯を食いしばって走り出した。 

 ──その時、耳の奥に、ふっと異物感が走った。

 次の瞬間、脳の内側を直接くすぐられるような声が、一同の思考に割り込んできた。

 

()()()()()はそこまでだ。命が惜しいなら、とにかく走れ──止まるな』

 

 カルデアの通信とは違う。

 冷たく乾いた響き。声色からして男であり、まるで一流の戦士のように声色に抑揚はなかった。

 

「誰です?」

 

 ジャンヌが走りながら問いかけるが、返答は一切ない。

 代わりに、鋼線のように張り詰めた声が告げた。

 

『北側にある埠頭へ行け。そこまで行けば、お前さん達を導ける。そら、早くしろ』

 

 反射的に視線を向けると、進行方向──本来はビルと塀に阻まれたはずの道が、まるで氷の板が陽光で溶けるように透き通っていく。

 ビルの内部、商店の奥、住宅の壁……幾つもの障害物が透明化し、埠頭まで一直線の道が穿たれていく。

 オルガマリーが息を切らせながら吐き捨てる。

 

「……これ、罠じゃないの?」

「可能性はあります……!」

 

 マシュも警戒の色を浮かべた。

 しかし、背後から迫る羽音は、考える暇を許さない。

 

「今は正面からやり合うよりはマシじゃない!?」

「同感です! 今はあんな虫から、一刻も早く逃げましょう!」

 

 アラベルとジャンヌの声に押され、全員が迷いを振り切った。

 透明な街路を駆け抜け、一行は市街地を風のように抜けていく。

 ガラスのような鏡面越しに見える街の姿も、色を失った壁面も、全てが幻のように流れ去り、彼らが通過したところから建物が色彩を取り戻し、それに巻き込まれた虫たちが圧壊の断末魔を轟かせる。

 

 そうして埠頭にたどり着いた瞬間、一同の足音が硬いコンクリートに弾けた。

 瓦礫と黒煙に覆われた冬木市の光景が、ここだけ別の世界のように遠ざかる。

 潮風が頬を撫で、波の音が規則正しく響く──今は海鳥の羽音すら聞こえない、異様な静けさだった。

 

 しかし、その平穏は一行の疾駆と、いきり立つような虫の羽音によって破られた。

 耳元でノイズが弾け、ロマニの焦った声が通信に割り込む。

 

『聞こえるか!? 埠頭の最北端──桟橋に魔方陣がある! 座標を送る!』

 

 指定された方角に視線を向けた瞬間、全員の足が一瞬止まりそうになった。

 桟橋の先、海の上に浮かぶように青い靄が渦を巻き、ゆらりと裂け目が開く。

 そこは水面ではなく、見たこともない青白い輝きが縦に走る空間──

 まるで、異端者を手招きするゲートのようだった。

 アラベルが迷いなく言い放つ。

 

「あれに飛び込もう」

「正気? あんな怪しいものに入ったら、生きて帰れる保証なんて──」

 

 オルガマリーの声が荒くなる。

 だが、マシュが真剣な瞳でうなずき、ジャンヌも即答した。

 

「今は選択肢がありません。行くしかない」

 

 オルガマリーは舌打ちしながらも、腹をくくった。

 

「……分かったわよ! 何かあったらアラベルのせいだから! ──全員、全力で走って!」

 

 残った体力をすべて足に叩き込み、一行は青い靄へと突進する。

 桟橋の板が、荒い呼吸に合わせて不規則に軋む。

 潮の匂いが濃くなるにつれ、波音に混ざって後方から虫の羽音が再び膨れ上がってくる。

 

 先頭を走るジャンヌは、もう剣を振る余裕もなく盾代わりの旗を背中に回し、息のあがった藤丸を肩に担ぎながら、ひたすら全速力で板張りの道を駆け抜けていた。視線は常に前、青い靄の中心を射抜くように。

 マシュは彼女の背に並走し、視線を常に左右と背後に走らせる。膝の動きがわずかに鈍るたび、支えるように腕を伸ばし、走りながら盾を後方へ向けて牽制の構えを見せる。

 オルガマリーはそのすぐ後ろ。息は切れ、視線は時折前から外れて海の暗がりや足元へ泳ぐ。冷たい板の感触と、靴裏の滑りが不安を煽り、眉間に深い皺が寄っていた。それでも背後の羽音に押されるように足を止めない。

 最後尾のアラベルは、全員の足運びと距離を測りながら走っていた。片手には愛銃をしっかりと握りしめて、背後を追う虫たちの突進に備える。

 ──その虫の群れは、桟橋に入っても速度を緩めず、複眼の奥で鈍い赤光を滲ませながら迫ってくる。

 

 青い靄までの距離は残り十数メートル。

 ロマニの声が再び耳に響く。

 

『全員、そのまま突っ込め! ゲートは長く開いていられない!』

 

 ジャンヌが振り返りもせずに叫ぶ。

 

「全員、跳び込む準備を!」

 

 そして──青い靄が眼前に迫る。

 ジャンヌが真っ先に飛び込み、マシュがそれに続いていく。

 オルガマリーは一瞬ためらいながらも、振り返った背後の影を見て躊躇を断ち切り、靄の中へ踏み込む。

 最後尾のアラベルは、桟橋の端で一度だけ振り向いた。迫りくる群れの複眼に青い光が反射するのを見届け、銃を二発撃ち込んで勢いを削ぎ、その反動で前に飛び出した。口角をわずかに上げて、「あばよ」と呟くのを忘れずに。

 

 その瞬間、青い靄は水面に沈むように閉じ、空間は何事もなかったかのように静まり返る。

 虫たちは、直前まであった通路を失い、桟橋の上で一斉に立ち止まった。羽音が焦りと苛立ちを帯び、異様な音圧を生む。

 

 ──海面と桟橋の境界が淡く光り始めた。

 光は蜘蛛の巣のように広がり、やがて円形の魔方陣を描き出す。それは一瞬で高さを増し、まるで檻のように群れを囲い込む。

 虫たちが一斉に咆哮を上げた瞬間、魔方陣の中心が閃光を放つ。

 轟音と共に桟橋が震え、白熱した爆発が群れを包み込む。

 光の中で黒い影が引き裂かれ、海風が断末魔を遠くまで運び去った。

 

 ◇

 

 ──耳を打つ風の音が消えた。

 一行が次に感じたのは、埃の匂いと乾いた土の感触だった。

 

 そこは冬木市の西側、古くは()()と呼ばれていた地域。長い間放置された高等学校らしき建物が、無言で一行を迎えていた。

 校舎の外壁は斜めに裂け、窓枠は崩れたまま、硝子の破片がグラウンドに散っている。かつて生徒たちが走ったはずの土のフィールドも、今は半ば陥没し、地割れのような大きな裂け目が刻まれている。

 空は赤く、どこかから運ばれた破壊の煙が舞っている。特異点に特有の濁った光が、廃墟の輪郭を灰色に縁取っている。

 

 グラウンド中央に、青い靄が渦を巻く。

 最初にその中から飛び出したのはジャンヌだった。靴底が土を滑らせても姿勢を崩さず、即座に周囲を警戒する。

 続いて、マシュが姿を現す。土の匂いを吸い込み、軽く咳き込む藤丸をジャンヌの肩から下ろしつつも、背後を確認する。

 次に飛び出したオルガマリーは、着地の衝撃に耐えきれず、思い切り尻もちをついた。驚きの声を上げながらも、すぐにマシュが腕を差し伸べ、引き起こす。

 最後にアラベルが現れる。靄を振り払いながら膝をつき、短銃を素早くホルスターに戻しつつ、視線をぐるりと巡らせた。

 

「……ここは?」

 

 アラベルが軽く息を整えながら呟く。

 耳元の通信が微かにノイズを走らせ、ロマニの声が割り込む。

 

『今の座標を確認中だ……待て、これは……旧都の西端だな。後ろにあるのはこの街の高等学校のようだ』

「高等学校……現地の学術機関、ということですか」

()()()()()()()()()()

 

 その言葉が終わらぬうちに、グラウンドの影が揺れた。

 風がひときわ強く吹き、土埃の向こうに長身の人影が浮かび上がる。

 

 それは蒼い戦装束を纏った男だった。

 上半身はゆったりとしたローブ風の外套に覆われ、裾や袖にはケルトを思わせる装飾が金糸で刻まれている。深い群青色の髪は無造作に後ろへ流され、陽光のない空の下でも金属的な青の輝きを放っていた。

 左手には歪曲した杖──根を捻じったような形状の魔具を握り、その先端には薄い紫光が脈動している。

 鋭い琥珀色の眼が一行を射抜く。その視線は、獲物を測る野獣のようでありながら、どこか底知れぬ静けさを孕んでいた。

 

 男は足を止め、口元に薄く笑みを浮かべた。

 

「よう、やっと来やがったか──あんたら、間一髪だったな」

 

 その声と同時に、背後の空気が微かに震えた。

 青い靄の残滓が風に解け、冬木の西端の廃墟に、重い静寂が降りた。

 

「……俺はキャスター。真名は、クー・フーリン。縁あって、この街の後始末をしている」

『クー・フーリン……! ケルト神話に登場する、光の御子! ということは、あなたは……』

「ああ、そうだぜ。俺と同じく覗き趣味の()()()()()()兄ちゃんよ。

 俺は、この街に召喚された英霊。この街で起こっていた聖杯戦争の、()()()()()()()()()()さ」

『の、覗き趣味……』

 

 ロマニの呟きを無視して、クー・フーリンと名乗った英霊は蒼いローブをはためかせながら杖を軽く地面につき、視線を一同へと流す。

 ジャンヌがわずかに頷き、前へ出る。

 

「英霊にとって、真名とは英霊が生きていた時代における本名を指します。その真名を明かすことは、英霊の神話や伝承にまつわる弱点が露見する可能性があり、本来の聖杯戦争においては大きな不利に繋がります。ですが、それを明かしたということは、英霊にとって、こちらに対して示せる最大限の配慮と敬意を示したということでしょう。

 ……真名を名乗られた以上、私も敬意を返すまでです。

 私はルーラー。ジャンヌ・ダルク。こちらの男性は、私のマスターである藤丸立香と──」

「そのデミ・サーヴァント、マシュ・キリエライトです」

 

 マシュが穏やかな声で続け、オルガマリーは姿勢を整えつつ、「私はオルガマリー、私達は──」と口を開きかけた、その瞬間。

 

「……ああ、知ってるさ。()()()()、だろ?」

 

 クー・フーリンは、彼女の言葉を軽く切り捨てるように遮った。

 琥珀色の瞳が一同を順に見渡し、その奥には、もうすでに全て知っているという確信の光があった。

 

「遠くからずっと見張ってたんでな。……悪ぃな、盗み聞きみたいで」

 

 軽い口調だが、それは決して無防備な響きではない。

 ──だが、その眼差しがアラベルに向けられた途端、温度が変わった。

 獣が牙を剥く直前の、あの静かな圧。

 

「……で、そこのお嬢さんは一体何者だ?」

 

 名前すら呼ばず、睨みを利かせてくる。

 アラベルは肩をすくめ、口角を上げた。

 

「ただの通りすがりさ。実は観光に来ていて、ちょっと虫退治を──」

 

 ケルトの魔術師は、狼の軽口を許さなかった。

 ──カルデア一行の足元が淡く光り出す。

 見ると、古びた石片がいつの間にか周囲に配置されている。刻まれたルーンがひとつひとつ脈動し、線が繋がるように魔方陣が浮かび上がった。

 空気がひと息に重くなる。

 

「ふざけんな。正体を明かす気がねぇなら……お前らまとめて消す」

 

 その声音には冗談の欠片もない。

 ジャンヌが剣の柄に手をかけ、マシュが前に出ようとするが──アラベルは片手を上げて制した。

 

「……やれやれ、降参だ」

 

 手首をひらひらと振って、全員に「下がれ」と目で合図を送る。

 クー・フーリンの琥珀色の眼が、さらに鋭くなる。

 アラベルは深く息を吐き、肩の力を抜いた。

 

「──星海の外から来た狩人だよ。

 名はアラベル。アラベル・ヴォルフスベイン

 出身は、第七三辺境星域、ルシオラ・アウトリム。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 オレらの世界じゃ、繁殖の運命に属する連中……真蟄虫、またの名を()()()()()ってやつを追って、この世界まで漂流してきた」

 

 その名を口にした途端、周囲の空気がわずかに震えた。

 クー・フーリンの琥珀色の瞳が、アラベルの言葉を射抜いたまま、微動だにしない。

 冬木の空は紅色、しかしその向こう、星々は沈黙のまま見下ろしている。

 地上の魔術刻印と、天上の運命の鎖が、あり得ぬはずの軌跡で絡み合う――。

 

 カルデアの者たちが踏みしめる大地は、英霊たちの記憶と歴史で編まれた「人理」の床。

 アラベルが背負うのは、星神(アイオーン)の祝福と呪詛が混ざり合った「運命」の海図。

 それらが同じ地平に並び立つ瞬間、空間はわずかに歪み、見えぬ環が二つ重なる。

 

 誰もその名を知らぬ交差点――

 聖杯戦争と星海航路が、互いの存在を初めて認め合う時。

 あらゆる過去と未来が、その一点に向かって収束する。

 

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