Fate/Grand Rail - 千の異星紀行   作:TheLazyMan

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 シャドウ・サーヴァントが霧のように消え去った瞬間、戦場を包んでいた圧迫感がふっと解けた。

 残響のように空気が震え、戦いの余燼が荒れ果てた土地を駆け抜ける。折れかけた枯れ木がぎしぎしと音を立て、風にあおられてぱきりと折れた枝が、地面に乾いた音を響かせた。砕けた瓦礫が静かに転がり、戦闘の喧騒を忘れさせるような寒風が吹き抜ける。

 

 マシュは大きく息を荒げ、肩で呼吸をしながらも、まだ楯を下ろさない。額には汗が滲み、頬は戦闘の高揚で紅潮していた。

 

「マシュ!」

 

 己のマスターの声を浴びて、マシュはようやく我を取り戻したように顔をあげた。

 駆け寄った藤丸が、彼女の両肩を掴むようにして称賛する。

 

「すごかった……! 本当に、見事だったよ!」

 

 マシュは息を整えつつも、かすかに笑みを浮かべる。

 そこへジャンヌも駆け寄り、静かに頷いた。

 

「二人とも……素晴らしい戦いと、見事な支援でした。あなた方がいてくれて、本当に助かります」

「い、いいえ。私だけではありません。これは先輩とジャンヌさん、お二人と一緒に勝ち取った勝利です。称賛を向けられるのは、お二人も同じ。

 ……お待たせしてすみません。マシュ・キリエライト、ようやく宝具を使えるようになりました。これから先、更なる力を尽くすこと誓います」

 

 互いのことを口々に賞賛する三人。

 少し離れた位置で戦況を見ていたクー・フーリンが、口の端を上げる。

 

「ようやく、俺以外の戦力が揃ったな」

「なら、その戦力が消えるまで、ちゃんと働いてもらうからね?

 ……ねぇ。あれも元は聖杯戦争に参加してた英霊だったんでしょ? ちゃんと倒したのも理由があるって、ことでいいんだよね?」

「当然だ。聖杯戦争で敗北した英霊の魂は、聖杯に回収される。仮に俺たちが聖杯を取得したとして、変に生き残りがいると何かトラブルが起こるかもしれねぇ。たとえそれが英霊の残滓であったとしても、だ」

「なるほど。それで、自分ではあいつに敵わないから、体よくマシュちゃんたちに任せたと?

 いやぁ、頭がいいねぇ。さすがは森の賢者っぽいお兄さん」

 

 アラベルが、彼の横目を盗むように視線を送り、唇の端で笑う。

 クー・フーリンは肩を竦め、答えは返さない。

 

 そのとき、ジャンヌが戦場の一角で立ち止まり、目を細めた。

 そこには、消滅したはずのシャドウ・サーヴァントの残滓が、黒い靄に包まれながら、炎のように揺れる魔力の塊を残していた。

 

「……これは?」

 

 ジャンヌが問いかける前に、クー・フーリンが歩み寄り、肩越しに覗き込む。

 

()()だ。英霊の霊器を強化したり、失った魔力を補填するのに使える」

 

 藤丸が何か言おうと口を開くよりも早く、ジャンヌはその塊に手を伸ばし、迷いなくその身へと吸収した。

 炎が溶けるように彼女の胸へと入り込み、瞬間、彼女の身体から柔らかな金色の光が立ち上る。

 あまりの躊躇いのなさに、藤丸もマシュも、オルガマリーですら思わず目を見張った。

 

「……大丈夫、効いています」

 

 ジャンヌは短く答える。その声音には確信が宿っていた。

 ロマニからの通信が入り、端的に告げる。

 

『彼女の言うとおりだ。ジャンヌの魔力、確かに上昇してる。この上昇幅なら、さっきの宝具の使用データを見返す限り……ジャンヌさん、あの宝具をあと3回は使えるね』

「分析、ありがとうございます。ですが魔力の出力が上がりましたので、宝具もさっきより力を入れて使用するでしょう。3回というのは、適切ではないでしょうね」

『そうか、魔力の消費量があがるのか。となると、あと()()だ。それを超えた使用は霊器の維持に影響を及ぼす可能性がある。考慮に入れてほしい』

「何回宝具が使えるにせよ、これで私達の戦力が大きく向上した。機は熟した、といっていいでしょうね」

 

 オルガマリーの言葉が、今の一行の状態を代表している。

 息を整えた一行は、互いに視線を交わし合う。

 現場指揮官として、オルガマリーが最後の確認を取ろうと、一同を見渡した。

 

「さて、準備は整いました。……一応、聞いておくわよ。街に戻る気はまだある? 今のマシュやジャンヌだったら、あの虫ども相手にも引けを取らないでしょう」

「いいえ、所長。私たちは大空洞へ行きます。……そうですよね、先輩」

「うん。今の戦いを通じて、俺は理解しました。仲間を思いやる気持ちを大事だけど、それ以上に、今の自分にしかできないことを一所懸命に果たしたい。特異点が維持している間に聖杯を回収して、この時代の異常を正す。それが、今の俺にできる、人理への最大の貢献だと思う。

 だから、大空洞に向かうことに異存はありません。俺たちは行きます」

「……ようやく、少しはマシな顔をするようになったわね。まだまだ駆け出しのひよっこなのに。マシュ、ジャンヌ。彼が途中でくたばらないよう、しっかりと守ってあげなさい。

 それと、マシュ。宝具を使用する時は、宝具の名を言うことを起動キーとすることで、より確実かつ強力な発動ができます。名前が決まっていないなら、以後、人理の理(ロード・カルデアス)と言いなさい。いいわね?」

「は、はい!」

「アラベル、あなたも次は最初から戦って。出し惜しみはなしよ」

「分かってるって。虫祭りは思い切り楽しまなくちゃ」

 

 戦意に漲った各々の瞳が、一つの合意を自然と形成する。

 彼らの覚悟を見届けたクー・フーリンは、杖をしっかりと握り直して、

 

「――そんじゃ、行きますか。最後の戦いの場へ」

 

 先頭に立ち、冬木市西側の寺社を目指して歩き出す。彼に続いて、一行も歩き始めた。

 その奥には、大空洞へと続く道が、地獄の口を開けて待っている。

 

 ◇

 

 冬木市西側の山間へと分け入る道は、塵芥をかぶった石段が続き、時折吹き抜ける温い熱風が木立をざわめかせる。山道の脇には、石灯籠や、古びた狛犬が朽ち果て、苔むした台座の上で半ば崩れかけていた。

 やがて現れた寺社は、屋根瓦が剥がれ、鳥居も傾いていた。拝殿の戸は外れ、積もった落ち葉が床一面を覆っている。誰も参る者のいない廃墟のようなその場所を、一行は無言で通り過ぎる。

 

 山の裏手へ抜けると、そこにぽっかりと口を開けた巨大な縦穴が見えてきた。誰もがその名を告げずとも、そこがどんな場所であるか直感で理解する。

 ――大空洞。

 淀んだ空気が吹き上がり、肌を刺すような禍々しい魔力の気配が周囲を満たす。空洞の淵では、風が低く唸るように渦を巻き、眼下は闇に沈んで何も見えない。

 一同が自然と身構える中、アラベルは空気の奥に別種の匂いを嗅ぎ取った。魔力とは違う、節足の擦れる微かな音を伴う、忌々しい虫の気配。さらにその下層には、星海でしか感じられないはずの――エントロピーの残滓が、冷たい波のように漂っていた。

 アラベルは出し抜けに、ジャンヌに声をかける。

 

「……ねぇ、ジャンヌ。まだオレのこと疑ってる?」

「いいえ。あなたは十二分に誠意を示しました。それはあなたの敬虔なる信仰心によるものだと理解しています。それにこれから先、我らは死地で肩を並べるのです。同胞に疑念を抱いてどうやって戦うというのでしょう?」

「……思い切りがいいね、聖女様は。感心しちゃうよ」

 

 アラベルは腰のホルスターから愛銃を抜き、一歩前へと出る。

 

「……さっきはずっと見ていることしかできなくて、ごめんね。

 最後の美味しいところ持っていったお詫びに、今度は全力でやってあげる」

 

 その声音は軽く、それでいて獲物を狩る寸前の狼のように危うい。薄闇の中、口元に浮かぶシニカルな笑みが一層鋭さを増した。

 藤丸はその横顔を見て、一瞬、胸の鼓動が早まる。頬が熱を帯びかけたその時――ジャンヌの視線が、何かを察したように藤丸へ向く。藤丸は慌てて視線を逸らし、息を整えた。

 やがて隊列が組まれる。先頭はアラベル、その背に藤丸とマシュ、中央にジャンヌとオルガマリー、そして最後尾にクー・フーリンが立つ。

 冷たい風が背を押すように吹き、禍々しい闇の口が彼らを迎え入れた。

 一行は迷いなく、大空洞の奥へと足を踏み入れる――。

 

 ◇

 

 大空洞の内部は、外の空気とは別種の冷たさを湛えていた。

 岩肌は煤のように黒く、所々に赤黒い結晶が突き出している。その結晶からは、微かに脈動する魔力の光が漏れ、洞窟全体を不気味に照らし出していた。空気はねっとりと重く、吸い込むたびに胸の奥へ鉛が沈んでいくような感覚が襲う。

 

「……空気が重すぎる……」

 

 藤丸が短く息を吐く。喉が焼けるように熱いのに、吐息は白く濁る。

 

「この濃度……冬木の破壊の震源は間違いなくここね」

 

 オルガマリーが顔をしかめ、何かを唱えながら指を振る。術式の光輪が幾重にも展開され、汚染された魔力を浄化していく。

 だが、淡い光はすぐに闇に呑まれ、空気はほとんど変わらなかった。

 

「……ほんの気休め、か」

 

 オルガマリーは悔しげに呟く。

 進むにつれて、足元に妙な感触が混じり始めた。

 

「……止まって」

 

 アラベルが低い声で制止する。銃口がゆっくりと地面を指す。そこには、茶色く乾ききった甲殻、節足の欠片、そして細長い触角が散乱していた。

 

「……蟄虫の残滓か。形態からして、幼蟄虫かな?

 足元に気をつけて。生きてなくても、嫌なもんだよ」

 

 その忠告の直後だった。

 ジャンヌの足元で、丸い何かがごろりと転がった。光を受けて、ぎょろりとした黒い眼球がこちらを睨むように輝く。

 ジャンヌの顔から血の気が引き――

 

「――――っ!」

 

 次の瞬間、甲冑ごと全体重をかけてその眼球を踏み潰した。

 ぐしゃりと湿った音が響き、欠片が岩肌に飛び散る。

 

「…………」

 

 藤丸もマシュも言葉を失った。

 背筋に寒気が走るのは、眼球の不気味さか、ジャンヌの行動力か――聖女は脳筋であったか。

 だがクー・フーリンは腕を組み、感心したように頷く。

 

「いい踏みっぷりだ。アルスターの戦士でも、そう易々とは出来ねえ芸当だぜ」

 

 ジャンヌは目を逸らしつつも、小さく「……感謝します」とだけ返す。

 その声音は、明らかに不承不承としており、誇りと羞恥と、わずかな自嘲が混じっている。

 弛緩しかけた空気を断ち切るように、アラベルが低く通る声を放った。

 

「――何やってるの。ほら、行くよ」

 

 背筋を伸ばし、愛銃を握り直す。虫の気配は確実に濃くなっていた。壁の割れ目から滲む湿った空気に、微かな振動が混じっている。まるで地下深くで蠢く群れの息遣いが、岩盤越しに伝わってくるかのようだった。

 自然と肩に力が入る。藤丸たちも同じだった。誰もがジャンヌのさっきの()()から視線を外し、足元の残骸を踏まないよう慎重に歩みを進める。

 

 やがて――クー・フーリンが足を止めた。鋭い気配の変化に、杖の柄がわずかに鳴る。

 

「……」

「どうしたの?」

 

 急に立ち止まった彼を訝しんで、オルガマリーが眉をひそめる。一同も足を止めて振り返った。

 だが彼は答えず、唇に人差し指を立てて静止を促した。懐から取り出したのは、青白く光を宿すルーン石の欠片。無言でそれを地面に置くと、指先で符を切り、淡い魔光を四方に走らせた。

 次の瞬間、通路の岩壁が()()()

 擬態が剥がれるように、鈍色の幻が崩れ、黒ずんだ空間が露わになる。そこは狭い岩窟――そしてその中央に、ひとりの影が座り込んでいた。

 

 長い銀髪は土と煤に汚れ、黒銀の鎧は裂け、幾筋もの深い傷が血の跡を残している。

 漆黒の甲冑の隙間から覗く肌は青白く、全身から魔力が抜け落ちたかのように力なく垂れ下がっていた。黒のドレスの裾は裂け、剣を支える力も尽きたのか、傍らの漆黒の剣は石床に横たわっていた。

 瞳は閉ざされているが、その表情は、長く戦い続けた者特有の硬さを残している。その姿は威容の面影を留めつつも、今はただ、消耗しきった闘士の静寂そのものだった。

 その女性は――英霊であった。

 

「お前……()()()()!」

 

 クー・フーリンの呟きに、一同は驚愕する。冬木の惨劇を拡散した張本人の一人が、なぜここで、傷だらけの体を隠すように横たわっているのか。

 クー・フーリンは、剣を横たえたままの女騎士に一歩近づいた。

 その気配を感じ取ったのか、彼女――セイバーはゆっくりと瞼を開く。深い闇を宿した、灰色とも淡い黄金ともつかぬ瞳が、槍兵を射抜くように見据えた。

 

「……戦う気は、今はなさそうだな」

 

 クー・フーリンは懐からルーン石を取り出し、掌で淡く輝かせる。

 

「……情けは不要だ」

 

 掠れた声でそう告げるセイバーの声音は、疲弊の中にも鋼の意志を残していた。

 しかし槍兵は一歩も引かず、低く短く言い放つ。

 

()()()()()()()()()()()

 

 その声音には圧があった。

 セイバーはわずかに眉を動かし、反論を諦めると静かに目を閉じた。

 ルーン石から放たれた魔力の光が、黒銀の鎧の隙間から彼女の体内へと流れ込み、枯渇しかけていた内側をわずかに満たしていく。

 やがて補填が終わると、セイバーは息を整え、ゆるやかに身を起こした。

 

「……恩に着る、槍兵」

 

 そう言って一礼すると、改めて周囲を見回し、藤丸たちを認めた瞬間、瞳にかすかな光が宿る。

 

「――カルデア、か」

「なぜ、その名を?」と、オルガマリーが目を見開く。

「大空洞に侵入者があった」

 

 セイバーの声は淡々としているが、その奥には苛烈な戦場の記憶が滲んでいた。

 

「そいつは、カルデアの名を呟きながら、聖杯のある空間へと進んでいった」

 

 忌々しい敗北の記憶を思い出すように、セイバーは表情を僅かに歪めながら続ける。

 

「聖杯を守護するのは、私の務めだ。侵入者を討つべく動いたが――その直後だ、あの異様な虫の群れが大空洞に雪崩れ込んだのは」

「スウォーム、ってやつか」

「ほう、知っているなら話が早い。その通りだ。()()()()()()()()()()()()()。奴らは私を視界に捉えると、まるで病原菌のように襲い掛かってきた」

 

 彼女の目に一瞬、戦場の閃光が蘇る。

 

「無論、私は応戦した。聖杯の魔力リソースを活用しながら、奴らと長い間、戦い続けた。

 だが侵入者は乱戦の最中に姿を消し、おまけに虫どもは、あの見た目にそぐわず尋()()()()()()()を施されているようだった。……そんな連中が同時に数百匹と襲い掛かってくれば、いかに私とて、無傷では済まない」

 

 鎧の隙間から覗く深い切り傷や焦げ跡が、その言葉の真実を物語る。

 

「宝具を連続発動してようやく押し返したが――その代償として、聖杯の支配権は失われ、我が魔力は底を尽きかけた。……今の私は、それだけの存在だ」

 

 彼女の声は静かだったが、その奥底には、守護を果たせなかった無念と、未だ燻る闘志が渦巻いていた。

 セイバーは剣を地面に突き立てて、ゆっくりと体を伸ばす。クー・フーリンは杖を肩に担ぐようにしながら、彼女の傷だらけの全身を一瞥した。

 

「……その状態で、まだ戦うつもりか?」

「当然だ。守るべきものは、まだ残っている。

 ……それに、私は自分の敗北を許さない。必ず、奴らには報いを受けさせる」

 

 問いかけに対して、セイバーは迷いなく頷く。

 その揺るぎなき騎士の魂に、アルスターの大英雄は、かつて冬木の戦場で剣と杖とを交えた宿敵は、口元を歪めて、どこか懐かしむような不敵な笑みを漏らす。

 

「……ああ、そうか。()()()()()()()()()()

 

 藤丸が一歩進み出る。

 

「セイバー……あなたのマスターは?」

「聖杯のそばにいた。だが今となっては、状況もよくわからん、生きているのは間違いないのだろうが」

 

 セイバーは淡々と告げるが、その瞳の奥にはわずかな焦燥が見え隠れする。

 アラベルが、鋭く問いを重ねた。

 

「ひとつ聞く。……あの虫どもを、この世界の生物じゃないと、どうして断言できたの?」

「奴らに施された強化の気配が――英霊の座から伝えられる、あらゆる地球の魔術体系から外れていた。根拠は薄い。だが、あれはこの世界の理ではない……そう推察できる」

 

 その答えに、アラベルの表情がわずかに険しくなる。どうしようもなく嫌な予感が、彼女の胸を締めつけた。

 マシュが口を開く。

 

「その……侵入者の容姿は、分かりますか?」

「はっきりとは分からん。やつは隠蔽の魔術で姿は霞ませていたからな」

 

 セイバーは小さく首を振った。

 

「ただ――シルクハットのような帽子を被っていた。それは確かだ」

 

 その瞬間、オルガマリーとマシュがわずかに目を見開く。

 短い沈黙ののち、オルガマリーは小さく首を振り、深く息を吐いた。

 

「……いいわ。見間違いかもしれない。自分の目で確かめるまで、答えは出さない」

 

 セイバーは、深く息を吸い込むと、全身に宿る気迫を押し出すように前へ出た。

 その視線は鋼のごとく硬く、一同を射抜く。

 

「――状況は切迫している。ここでの私の目的は一つ、聖杯の奪還だ。

 お前たちと一時的に協力する」

 

 有無を言わせぬ声音に、誰も異を唱えられなかった。

 ただ、ジャンヌだけが一歩踏み出し、眉をひそめる。

 

「……私たちの背後を狙うような真似は、私が許しません。ご理解いただけますね」

「それは――()()()()だ」

 

 セイバーは口角をわずかに動かす。はぐらかすとも挑発とも取れる返答に、ジャンヌは小さく鼻を鳴らし、それ以上は追及しなかった。

 再び進行の態勢を整えようとしたそのとき、クー・フーリンが杖を地面に突き立て、静かに言った。

 

「……悪いが、()()()()()()()

 

 予想外の言葉に、一同の視線が集まる。しかしアラベルは何かを悟ったのか、険しい表情で問いかけた。

 

「足止めのため……ね?」

「ご明察。山中に張った罠が破られた。あの気色悪い虫の群れが迫ってきてる」

 

 その声音は冗談めかしながらも、芯は揺らいでいない。

 

「お前らがこの先で戦いに集中できるように、ここから先には一匹たりとも通させねえ」

「待て、槍兵――私が代わって死力を尽くそう。貴様では、門番の役目は荷が重い」

 

 セイバーが一歩進み出る。クー・フーリンはふてぶてしい笑みを浮かべた。

 

「いいや、お前がそいつらと一緒に行け。()()()()()()()()()()()()

 

 そう言って己の杖を、まるで槍を扱うかのようにを回し、低く言い放つ。

 

「とっとと行け。ここは任せろ」

 

 大英雄の矜持に満ちた言葉を敬うように、一同は短く頷き、大空洞の最奥へと体を向けて歩き始める。

 ――その時。藤丸は歩きかけた足を止め、振り返った。

 暗がりの中で、背を向けて立つクー・フーリンの輪郭は、岩壁に切り取られた影と溶け合いながらも、確かな存在感を放っている。

 

「……必ず、聖杯を取り戻します」

 

 その声には、仲間を置いていくことへの痛みと、彼の覚悟に応えるという誓いが込められていた。

 マシュも同じように振り返り、胸の前で盾を握り締める。

 

「本当に……ありがとうございます。先輩と私は、あなたに守られたことを決して忘れません」

 

 背中越しに二人の言葉を受けたクー・フーリンは、ゆっくりと振り返った。

 その瞳は、深い夜の海の底で燃える炎のように静かで、しかし確かに熱を孕んでいる。

 

「へっ……英雄ってのはな、やるべき時にやるもんだ。生前はそのせいで痛い目を見てきたが、たまには格好つけんのも悪くねえ」

 

 軽口に見せかけたその言葉の裏に、退く気配も迷いも一切なかった。

 彼は懐から最後のルーン石の欠片を取り出し、指先でそっと撫でる。

 古代の刻印が淡く輝き、冷たい洞窟の空気の中でわずかに温もりを帯びる。

 その光景は、遠い昔から戦場を渡り歩いてきた戦士が、数え切れぬ勝負の前に行ってきた儀式のようだった。

 

 ――カチリ。

 罠の起動音が、硬質な残響を伴って大空洞の奥から響く。

 同時に、壁の向こうから押し寄せる重苦しいざわめきが、次第に鮮明になる。

 無数の脚が岩を這う音、羽音と甲殻が擦れ合う不快な低鳴り。

 それは大地そのものが蠢き、飲み込もうと迫ってくるかのようだった。

 

 クー・フーリンは杖を握り直し、足を前に踏み出す。

 全身の筋肉がしなり、古の英雄譚が彼の体を通して再び息を吹き返す。

 戦いの匂いを胸いっぱいに吸い込み、口角をゆっくりと吊り上げた。

 

「上等だ……()()()()()()()()()()()()()()

 

 その声は挑発であり、同時に戦場への恋文のようでもあった。

 次の瞬間、彼の全存在が闘志の炎となり、迫りくる闇に立ちはだかる。

 それは、英雄と呼ばれる者だけが持つ、揺るぎない背中だった。

 

 ◇

 

 カルデア一同は、巨大な縦穴を抜けて大空洞の底へと降り立った。

 そこはまるで地上の理から切り離された異界のようで、天井は闇の彼方に溶け、地面は複雑にねじれた岩肌と黒ずんだ結晶で覆われている。

 空気は焦げた金属と乾いた血の匂いが混ざり合い、無数の裂け目や砕けた岩の塊が、つい先ほどまで繰り広げられていた激戦の爪痕を物語っていた。

 壁には騎士王の剣圧が刻んだ鋭い剣閃の痕が走り、そこに絡みつくように焼け焦げた虫の死骸が張り付いている。

 足を踏み出すたび、砕けた甲殻の破片が鈍く音を立て、冷たい地鳴りのように空洞全体に響いた。

 異様な静寂と、戦場の残滓が生む圧迫感が、一同の呼吸を重くさせる。

 

「……あれを!」

 

 ジャンヌが奥を指差す。

 大地が燭台のようにせり上がった中央、その頂に柱付きの水盆があり、その上には()()が鎮座していた。

 聖杯からは黒く濁った靄が溢れ、空洞全体にゆらゆらと広がっては、周囲の魔力と混ざり合い、異様な歪みを孕んだ空気を作り出している。

 

 駆け寄るべきかどうか、一同は一瞬ためらった。

 セイバーとジャンヌは目を細め、剣と旗槍を構えながら四方を見渡し、なお残る敵の気配を探る。

 その間にも、黒い靄は脈打つように広がり、視界の端で奇妙な揺らめきを見せた。

 アラベルは静かに前へ出ると、仲間たちを一瞥した。

 

「……虫の生き残りがいるか、確かめる方法がある。どう?」

 

 低い声に、一同は頷き返す。

 その確認を終えるや、アラベルは腰元から手榴弾のような楕円形の装置を取り出し、迷いなく聖杯めがけて放り投げた。

 それが聖杯の真上に達した瞬間、愛銃を素早く構え、引き金を引く。

 轟音と閃光が一体となって爆ぜ、黒い靄の中に炎と衝撃波が広がり、聖杯の周囲を一瞬にして覆い尽くした。オルガマリーは思わず抗議の声をあげる。

 

「ち、ちょっと、アラベル! 軽率よ! 聖杯が壊れたりしたら……」

 

 叱責は最後まで言葉にならなかった。

 アラベルが振り返り、微かに口元を歪めて否定したからだ。

 その目は、何かを確信している者だけが持つ、獲物を射抜く光を帯びていた。

 

「壊れないよ、絶対に。あいつらが折角奪った苗床を見殺しにするわけがない。

 ――そうでしょ、虫ども!!」

 

 確信が宿った声が、大空洞内に響き渡った。聖杯を睨みつけるその視線は、まるで生涯の宿敵に挑むかのようだった。 

 やがて、爆発の余波が完全に消えたとき、聖杯と炎の跡の間に不気味な影が姿を現した。

 それは、幾重にも絡み合ったスウォームの死骸の束——肉塊のような盾だった。

 無数の虫の盾のように互いに積み重なって聖杯を覆い隠している。まだ温もりを残す甲殻から滴る黒い体液が、聖杯の足元を汚す。

 藤丸たちは思わず息を呑み、そのぞっとする光景に背筋を冷たくする。

 

「構えを緩めるな!」

 

 セイバーの叱咤が、硬質な刃のように空気を裂いた。

 その声に応じるように、一同は武器を握り直す。

 

 その瞬間――

 靄の奥から、無数の甲殻が擦れ合う音が押し寄せてきた。

 十、二十、三十……いや、それ以上。

 光を鈍く反射するスウォームたちが列をなし、地を這い、壁を這い、こちらへ迫る。

 幼蟄虫と称される、繁殖の眷属たちの軍団だった。

 

 そして、その群れの背後に——それは現れた。

 岩塊のような巨躯。

 地形そのものが歩み出したかのような存在感。

 膨れ上がった甲殻の下で脈動する筋肉が、鈍重なはずのその動きに異様な迫力を与えていた。

 ――真蟄虫。その成熟体である。

 

 吐き気を誘う嫌悪感が一行を覆うが、誰も視線を逸らさなかった。

 セイバーが静かに剣先を上げ、低く言い放つ。

 

「……この穢れ、必ず断ち切る」

 

 その誓いは、ただの宣言ではなく、これから始まる死闘の火蓋だった。

 

 アラベルは背中の可変式狙撃銃を外し、流れるような手つきで展開する。

 金属音と共にアンカーが地面へ食い込み、彼女の立ち位置は揺るぎない砦と化した。

 そして腰のホルスターから愛銃を取り出し、軽く回すと、藤丸へと投げ渡した。

 突如として渡された凶悪な兵器を、藤丸は手元を慌てさせながらもしっかりと受け取った。

 

「ちょっとの間だけ貸してあげる。……壊さないでね?」

 

 戦場の空気が一層張り詰めた。

 スウォームの群れが繁殖の咆哮を上げ、地鳴りのような音が大空洞を満たしていった。

 

 ◇

 

 ——視界は、果てしない闇の中に浮かぶ孤島のようだった。

 

 高みから見下ろす奇妙な俯瞰。

 大空洞の奥、カルデアの一行が虫の群れと激突する様を、まるで遠隔の魔導機器越しに眺めるかのように、静かに切り取っている。

 岩壁のひび割れを縫う黒い靄、甲殻が砕ける閃光、跳ねる血飛沫。

 すべてが平面的で、すべてが冷たく、そこには熱も音もない——ただ色彩だけが、黒の縁取りにゆっくりと呑み込まれていく。

 

「……どうせ焼却されるというのに、無意味なことを」

 

 呟きは、吐息に混ざって溶けた。

 

 命とは、星々の瞬きのようなものだ。

 その輝きは束の間、確かに美しい。

 だが、星の軌道を砕く重力のごとき()()に触れた瞬間、それは容易く砕け散る。——その必然こそ、運命。

 喜びも、怒りも、愛すらも——この宇宙の摂理の前では、いかほどの意味も持たない。

 すべては虚無に還るために生まれる。

 その歩みは、運命という名の螺旋階段をただ降りていくだけ。

 

 その者は目を細め、映像の中で必死にもがく彼らを映す。

 ——人理を守る?

 ——未来を救う?

 そのどれもが、いずれ焼き尽くされる舞台装置の上で踊る、徒労の劇にすぎない。

 那由他の彼方まで続いている暗黒の霧がすでに口を開き、彼らを呑み込む刻限はすぐそこにあるのだから。

 

 特異点の焼却まで、残された時間はもはや指折り数えるほど。

 それでも彼は焦らず、騒がず、

 まるで舞台の幕が落ちる直前の観客のように、ただ時の満ちるのを待ち続ける。

 

 背後に置かれたその影——

 全身を黒く炭化させられ、皮膚も肉も焼き潰された人物が、仰向けに横たわりながら、辛うじて吐息だけを繋ぎ止めていた。

 かつてセイバーのマスターと呼ばれた者。

 

 その者——レフ・ライノールは振り返りもしない。

 その存在を小道具としてただそこに置き、終焉の瞬間までわざわざ生かし、苦痛と絶望を長く味わわせる。

 

 この世の命は燃え尽きるために在る。

 そして、自らはその最後の灯を吹き消す役目を負った者。

 レフの唇は、微かな笑みに歪んだ——。

 カルデアの抵抗も、星々のきらめきも、すべてはやがて「無」へと還るのだ。

 

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