ランデブー:ディネルース最後の旅   作:芝三十郎

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WEB版読了後推奨、「オルクセン連邦の崩壊」読了後推奨。 女王との戦いに勝利したディネルースは、石板の中へ侵入する。そこは光のエルフたちが眠る、常楽の地であった。


果てしない時の流れに

 エレンミアと別れ、反動をつけたディネルースは、中空に黄金樹とともに浮かぶ大石板へ飛んだ。接近するとガスを吹かして制止する。樹と石板は、ゆっくりと回転しているようだった。

 

 ヘッドライトに照らされた石板は黒く、沈黙を保っている。主を失い、動作を停止しているようだった。

 

 目の前のものより遥かに小さな石板が、エレントリ館にはあった。グスタフの解読によれば、あれの正式名称は『ゲート』と言った。

 

 石板は演算機であり、記録装置であり、門でもあるということだ。恐らくは、女王が言っていた「時無き館」への。それは、神話伝承にいう、苦も死もない常楽の地。光のエルフがかつて目指した場所であり、死したエルフ族の魂が樹を通じて至るとされる場所である。

 

 かつてエレントリ館の石板から読み取った方法で、また太古の記憶でも見たとおり、ディネルースは大石板にそっと三度まで触れた。反動を生まぬよう、ごくささやかに。それで十分だった。

 

 沈黙していた大石板が振動しはじめ、中央に割れ目が生じた。中央開きの門のように、左右にゆっくりと開いていく。

 

 合間から現れたのは、夜空のように見えた。大石板の奥行とは比較にならぬほど深く遠く、どこまでも続いているように見える。ヘッドライトでは到底、照らし切れない広大な闇に、幾千の星明かりが浮いている。

 

「これが時なき館か? エルフの魂が辿り着くという、常楽の地――」

 

 闇の空間は奥へ奥へと続き、彼女を招いているようだった。ディネルースは、亡びた女王の言葉を思い出す。そして、あの黄金の風を。

 

「ヴィラールは、ここに降り立ち、ここから帰る……」

 

 手を伸ばすと、ディネルースは瞬く間に星空の彼方へ吸い込まれた。途端、門は閉じた。

 

 物言わぬ巨石に戻った大石板の前では、先ほどまでディネルース・アンダリエルであった闇エルフの身体が、傷ついた宇宙服に包まれて、力なく薄闇に浮いていた。

 

 

 

 宇宙なのか夜空なのか分からない空間を飛翔するディネルースは、自分がいつの間にか宇宙服から脱していることに気づいた。それなのに呼吸に問題はない。というより、呼吸に意識が向かない。

 

 スーツの中には宇宙飛行士用の青いつなぎを着ていたはずだが、今は違う。青灰色をした騎兵将校風の上下をまとっている。王妃時代に仕立て、長年常用した公務服だ。だから違和感は感じない。何もかもが自然だった。

 

 飛翔を続けるうちに、星の正体が明らかになってきた。星だと見えたものは、闇に浮かぶ無数の氷だった。一つ一つの中に人影がある。

 

 さらに近寄れば、氷の中にいるのは古式な貫頭衣を着たエルフだった。皆、やせ細っている。手や足が欠損したり、身体の一部に黒い変色をもつ者もいる。それぞれに氷漬けで、微動だにしないが、死体という感じはない。氷の中で、安らいで眠っているようだった。

 

「光のエルフたち……太古から止まったままなのか。ここで。苦もなく、死もなく。これが楽土だと」

 

 果てなく続く停滞の中を、ディネルースは更に進んだ。時間を忘れ、変化を失った、生でも死でもないものたちの群れは、彼女に何の関心もない。彼女の方は、一つ一つの氷に目を配りながら飛ぶ。これではない。あれも違う。

 

 数百、数千の氷塊を抜け、ひと際深い闇の一隅で、彼女は特大の氷をみつけた。中には、果たして、居た。エルフでは有り得ない巨躯。

 

「グスタフ!」

 

 急進して、その氷に触れる。懐かしいオークの牡は、氷の中で立ったまま眠っているように見えた。生前は、式典でもめったに着なかった、王族用の大礼服を着て。二百年あまり前、彼女が喪主を務めた大葬儀で、棺に納められた時と同じ姿だ。

 

「こんな、こんなところで……」

 

 夫の身体に触れようとしても、手は氷の表面を撫でるばかりだ。しかし、夫の右腕の先だけは、氷から外に出ていた。水で濡れた大きな手は、温かい。覚えのある手。逞しくも繊細な指。幾度も触れあった、忘れ得ぬ夫の手、そのままだった。

 

「......何をやってるんだ、グスタフ。グスタフ・ファルケンハイン。王様が寝坊じゃ、恰好がつかないじゃないか」

 

 そう言って、自分の首から白銀樹の護符を外す。その中には、彼女が生まれてから今まで、全ての記憶が情報として保存されているという。それをオークの手に握らせる。

 

「あなたが迎えに来ないせいだ。待ちくたびれて、来てしまったぞ。これ以上、放っておいたら、ゆ、許さないから……」

 

 かつて王妃と呼ばれた女の頬を涙が伝うにつれて、氷塊は崩れ、輝く無数の結晶と化して消えていった。後に残ったオークは、ゆっくりと目を開けた。

 

 大きな瞳だった。知性と優しさを湛えて、瞳は彼女を見ていた。やがて、意識が覚醒したのが分かった。

 

「ディネルース……?」

 

 あの声だった。深い低音で、心地よく響く声。世界中で、他の誰も持たない声。

 

「グスタフ! こ、この……」

 

 あらゆる感情が爆発し、どんな言葉も追いつかない。

 

「本当にディネルースか。夢ではないのか、さっきのは」

 

 寝ぼけたこと言う夫に、彼女は力の限り抱き着いた。二百年ぶりの感触が、感情の堰を切った。王女でも王妃でもなく、迷子の末にやっと家に帰りついた幼子のように、彼女は声をあげて泣き続けた。

 

 背を撫でる夫の手の感触は、やはり昔のままだった。彼女が落ち着いてくると、国王は話しかけるともなく呟いた。

 

「しかし、私はなぜここに……もう死んだと思ったが」

 

「......何も憶えていないの?」

 

「ああ。気づいたら、君が危ないところで……それより前は、何も覚えがない」

 

「やっぱり、さっきの魔術は、あなただったんだな」

 

「現実かどうか分からなかった。ただ、必死で、夢中で」

 

「じゃあ、今の状況も知らない?」

 

「知らない。いや、何故か知っているな。今も、自分が何かに繋がっている感覚がある。彗星……これが?」

 

 国王は、周囲の空間をみまわした。

 

「ふむ、何となくわかった。ここはあの石板の中か。死んだ時に、私はまた召還されたみたいだ。ヴィラールに間違われたのかもしれないな。

 

 それで君は……この星が衝突を? なんと惨いことを。それを止めに来たのか。でも、なんて無茶をするんだ! もし敵がヴィラールだったら、絶対に勝てなかったぞ」

 

「それでも来ていたさ。やられっぱなしで、一矢も報いないでたまるものか」

 

「......変わらないな、君は。昔のままだ。シルヴァン川の近くで、会ったばかりの頃と」

 

 その時、ディネルースはもう二百年以上を生きた氏族長だったが、彼女の真の一生は、あの出会いから始まったような気がしている。今となっては、はるかな昔の出会いだった。

 

「変わったさ。あなたが死んでいる間に、何もかも。記憶を読んだなら、分かるだろう。オルクセン連邦は、もうない」

 

「ああ、そうなのか。なるほど、そんな風に……。私は、いささか余計なことまで書き遺してしまったらしい」

 

 国王の遺言書、後に預言書と祭り上げられて、国家指導者たちの思考に枷をはめた文書のことを言っていた。

 

「心配ない。もう、ずっと昔のことだよ。世界は自立したんだ。あなたからも、古代のヴィラールからも。女王だった私からもだ」

 

 そう言うと、彼女は夫の肩に頭部を預けた。

 

「アドヴィンも死んでしまったよ。あなたの遺命を守って、私に寄り添ってくれた。眠るような最期だった」

 

「そうか……。彼は、本当によく仕えてくれた。私にも、君にも」

 

「他にも、大勢いなくなった。ずいぶん、寂しくなってしまったよ」

 

「闇エルフたちは、今も君を支えてくれるだろう」

 

「ああ、エレンミアもな。信じられるか? 私たちは相棒になったんだ。色々あって……そう、本当に、色々あったんだ。国を引き継いで、その始末をつけて、それから後も。私は頑張ったぞ。本当に頑張った。でも、世界のどこを探しても、あなたがいないんだ」

 

 彼女は顔をあげ、また浮かんだ涙を拭って、言った。

 

「だから、もういいだろう?」

 

「ディネルース、君にはまだ命がある」

 

 そう言うと、グスタフは彼女の両肩に手をやり、優しく引き離した。

 

「君は帰るんだ。みんなのところへ。彗星は、私が何とかする」

 

「ほう……」

 

 ディネルースは目を細めた。

 

「石板の制御を取って、どこかへ行こうって? それは……浮気だな」

 

「はあ?」

 

 素っ頓狂な声をあげ、言われたことを理解すると、偉大な国王の表情は恐怖に染まった。

 

「な、何を言うんだ」

 

「完全な浮気だ。妻を放りだして、他のエルフ女に囲まれて、どこかに消えようなんてな!」

 

 髪が逆立つほどの怒気を発すると、ディネルースはグスタフの襟元を掴んだ。その勢いで、二人ながら空中を回転する。

 

「そっちは、これまでもあの連中に囲まれてたんだものな? 私が孤閨を守っている間に。この浮気者が! 何だ、私に不満か? そうか、そうか。確かに、ゆっくりだが年をとったものな。髪だって肌だって、昔ほどじゃない。頬はこけてきたし、お腹もちょっと丸い」

 

 ひたすら狼狽する夫を押し倒し、そのまま馬乗りになる。

 

「だが、大昔に言ったはずだな!? お痛は許さない。あなたを殺して私も死ぬ!」

 

 実体があるのか無いのか分からない空間の中で、元王妃は夫の首を絞めあげた。

 

「よ、よさないか。私は、もう死んでる! く、苦しい」

 

 喚き散らす彼女の手を何とか解き、彼女の夫は喘ぐように言った。

 

「私は死んでも君一筋だ! 君だけを愛してる!」

 

 その宣言は、謎の空間に響き渡った。もしも目覚めて聞いている光のエルフがいたら、呆れかえったに違いない。彼女はやっと笑みを見せた。

 

「ならば、いいじゃないか。これからはずっと一緒だ。ほら」

 

 軍装の胸ポケットを開けた。取り出したのは、金の指輪である。

 

「都合のいい魔法なんかじゃないぞ。本当に持ってきたんだ。何百年か分、くすんでしまった。観念するんだな。私も、そうだから、お似合いだ」

 

「君はいつでも世界で一番だ」

 

 そう言うと、夫は彼女の左手をとる。

 

「待て。あなた、死んでいる間に鈍くなったのじゃないか? 誓いの言葉が先だ」

 

「ああ...これからは、ずっと一緒だ。君も望んでくれるなら、宇宙の終わりまで。そして、願わくば、もしも――――」

 

 彼女の夫は、正しい答えを言い、今度こそ妻の手に指輪をつけた。彼女は自分から唇を寄せた。

 

 

 

 

 彗星対処本部には、座る席がないほど職員が溢れている。現在のシフトではない者まで詰めかけ、事の成り行きを見守りたがっているのだ。

 

 日頃は「休むのも、寝るのも、飯を食うのも仕事だ」が口癖のケーニヒ大将も、今だけは目を瞑り、したいようにさせている。世界の命運が決まろうとしているのだ。

 

「アンファングリア号は、安全距離をとっているな?」

 

「彗星を離陸し、退避完了しております。乗員に被曝の恐れはありません」

 

「了解。乗員......二名は無事だな」

 

 指令室に重い沈黙が落ち、誰もが次の信号を待った。やがて、それは来た。

 

「ヘラクレス・2のダウンリンクを受信。予定通り起爆します」

 

 司令官はその報告に頷きだけを返す。信号が届いたということは、宇宙空間では既に核爆発が起こったはずだ。

 

「月面望遠鏡で、直ちに確認せよ。目標の破砕状況と、主なターゲットの数をだ。判明次第、大星洋上の国際艦隊に伝えねばならん」

 

 彗星に核爆発を直撃させても、完全な破壊はまず難しい。仮に細かく砕けたとしても、無数の隕石となって、やはり母星に殺到する。その後は、ある限りの対衛星ミサイルを積み込んで、洋上待機している国際艦隊の出番だ。今後の手順を脳内で、整理していた司令官は、管制官の悲鳴のような報告を聞いた。

 

「目標、喪失!」

 

 ざわめきが指令室内を走る。ケーニヒ大将も半ば立ち上がりかけたが、こらえて問い直す。

 

「落ち着け。喪失とは何だ。センサーの異常か」

 

「いいえ、喪失です! 目標が……存在しません。赤外線も、可視光でも、完全に失探しています」

 

「馬鹿な! よく確認しろ」

 

 もしや核爆弾で完全破壊できたのか――という楽観にすがりかけるが、ケーニヒ大将は首を振って打ち消した。真空の宇宙では、核爆発の威力は地上よりはるかに落ちる。専門家たちの計算で、起こり得ないことは起きないのだ。

 

 別の管制官がすぐに報告をあげた。

 

「つ、追尾は継続しています。先の報告は誤りです。追尾継続中。目標は健在で……え?」

 

「どうした。目標の状況は」

 

「彗星の位置が違います! ヘラクレス・2の起爆位置から、三百万キロも離れたところにいます。どうなってるんだ!?」

 

「また、避けられたというのか?」

 

「いえ、軌道が……変わっています。位置も、速度も。彗星は、衝突しません! 遥か彼方を通り過ぎていく軌道です!」

 

「どうなっているんだ……?」

 

 非番の職員は唖然とし、勤務中の者は必死の形相でコンソールを確認している。誰も理解が追い付かず、母星が救われたという情報に、喜ぶことも忘れている。

 

「つ、追尾記録によれば、目標は二カ月前に軌道を変えています。彗星地表で新たなジェットがあったという記録が。その後も、追尾は今の今まで継続した……ことになっています。何だってんだ、これは!?」

 

 ケーニヒ大将は、ツィエン上将と顔を見合わせた。そして、二人して横の顧問席に目をやる。救いを求めるような両将軍に、バーンスタイン議長は答えた。

 

「過去が変わった……としか思えません。衝突は起きないという、現在の結果から遡って。あの星の魔術なのでしょう。これまでとは逆の」

 

「では、世界は本当に救われたと。あの星の不思議な力で。つまり……」

 

 心当たりは一つしかなかった。

 

「アンファングリアに連絡を入れろ、今すぐに!」

 

 母星を飛び交い、宇宙空間に漏れ聞こえる電波は、あらゆる種族の歓喜の声を伝えていた。その騒がしさをよそに、彗星は飛行を続けた。もとからそうであったように、母星から数百万キロの距離を開けて、太陽へと接近する。

 

 太陽への最接近、すなわち近日点を過ぎた頃、熱せられた地表で新たなジェットが湧いた。その反作用、非重力効果の働きで、彗星はさらに軌道を変えた。

 

 回帰軌道から双曲線軌道へ――二度と戻らず、星系の外へ向かう軌道へと。

 

 熟練の専門家が軌道計算したような巧みさで重力アシストを受け取ると、聖星と呼ばれた氷と塵の塊は加速し、星系から去った。母星の望遠鏡は追尾を続けようとしたが、太陽からの離隔によって温度が低下し、一切のジェットが出なくなると、ついに見失った。

 

 母星系の重力圏を完全に脱し、恒星間小天体となった彼女らは、それから長く旅をした。

 

 星系から星系へ。水に満ちた惑星を見つけては揺籃の生命を見守り、時にその背中をそっと押した。宇宙の驚異を観察し、数多の星々の死を見届けた。

 

 やがて、懐かしい人間と魔種族が時間遡行する宇宙船を駆り、銀河の隅々まで命を広げつつあるのに気づくと、密かな祝福を送った。

 

 もしも時間の経過を観測するものがいたなら、彼女たちが母星系を脱してから、およそ三百億年ほどの未来。

 

 以前より随分と小さくなった彗星は、かつて母星の太陽であった白色矮星へ回帰した。矮星は、宇宙に浮かぶ白く丸い宝玉のようだった。

 

 その白い輝きの中に、屹立する黒い影がある。

 

 そこが出口だった。

 

 

 

(エピローグ「回帰点より」へ続く)

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