彗星衝突の恐れが明らかになり、人間と魔種族の社会は大きな混乱に見舞われる。ディネルースは老シュヴェーリンを訪ねた後、『ヴィルトシュヴァイン』に向かう。
「おお、
老オークは快活に言った。寝間着でベッドに横たわり、上体だけを起こしているとは思えぬほど、張りのある声だった。ディネルースはそれに合わせた。踵を合わせ、久々の敬礼をしてみせる。
「シュヴェーリン将軍。ご無沙汰しております」
老将は、機敏な敬礼を返した。
「うん、こんな格好で済まぬな。貴公、少将になられたと聞いたが」
「はい、我が王の御高配をもちまして」
「頼もしいのう。貴公を始め、闇エルフ族が今度は味方とはな。共に戦う日が楽しみじゃわい」
もう足腰が立たないはずだが、歴戦の武人の心は未だ戦場から離れないのだ。老元帥は、高揚した表情で続けた。
「なに、儂も、さっさと傷を治すからの。エルフィンドとの開戦には絶対に間に合わせてみせるわ」
訓練中に負傷して、軍病院に入院しているのだと、彼はそう思っているようだった。ディネルースは、それに合わせる。
「その頃には、すっかりお元気になられるでしょう」
ええ、だから今は気楽にお過ごしください。開戦となれば、寝る間もありますまい。敵は私の古巣ですから。
「うむ、うむ。かたじけない。しかし、北部軍司令官ともあろうものが、こうも長く軍を休んでおっては示しがつかんというものよ。我が王にも申し訳が――」
途端、老元帥は絶句した。その大きな瞳から、みるみるうちに涙が溢れる。
「わ、我が王。陛下にお会いしたい。陛下に……」
老雄の大きな手がディネルースの袖を掴む。その力の弱々しさが、彼女の心を刺した。努力して微笑を保ちながら、ディネルースは穏やかに応じてやる。
「グスタフ王のことですか」
そう確認したのは、シュヴェーリンは前王アルブレヒト二世の時代に赴くこともあると、夫人から聞いているからだ。
「む、無論よ。儂は、また死に遅れてしもうた。申し訳ない、申し訳がない……」
シーツで涙を拭うと、シュヴェーリンは声を落とした。
「黒殿よ、聞いてくれるか。ここで寝ておるとのう、亡霊が来るんじゃ。ポルスカや神聖帝国の兵どもに、デュートネの近衛兵もくる。ロザリンドで死んだドワーフやエルフもじゃ。何百と来おってな、儂を殺そうとするのよ」
老雄は、そこに敵兵が潜んでいるかのような慎重さで、清潔なカーテンを伺い、移動式の食卓を睨みつけた。ひとしきり索敵を終えると、小さく息をついてから続けた。
「じゃがの、一度は殺した敵じゃもの。全部追い払える。いかんのはな、味方の兵どもだ。これまでに死なせてきた兵が、儂を殺しに来る。何千、何万と。毎夜のことよ。儂は、儂は……殺されとうない。恐ろしうてならん。今さら情けないことよ」
そう言って、老雄は再び目を潤ませた。
「お気を強くもたれませ。みんな夢です。幻です。兵たちは、誰も閣下を恨んでなどおりません」
亡霊の実在はともかく、最後の部分だけは嘘があると知りながら、ディネルースは老元帥の背を撫でた。シュヴェーリンはそれからも脈絡のない話を続け、やがて泣き止んだ。頃合いをみて彼女が辞去を告げたときは、もうすっかり上機嫌だった。
「おお、では達者でな。そうじゃ、一つだけ、分かったら教えてほしいんじゃがな」
「何なりと。エルフィンド軍の戦術などを?」
「いやいや。貴公が来られた時に、案内しておったオークのご婦人のことよ。はは、何とも照れるがの。あんなに美しい方は見たことがない。知っておったら教えてくれ。あのご婦人、いずこの御令嬢であろうかの」
よく存じませんが、この辺りの方のようですよ――と答えて部屋を出た彼女は、談話室で件の令嬢に出迎えられた。ディネルースに話を聞くと、ベアトリクス・シュヴェーリン夫人は小娘のように恥じ入った。
「まあ、殿下にはそのようなことを。あのひとったら」
「次に来られたら、勇を鼓してお茶にでも誘おうと、そう言っていたよ」
「口先だけですわ。そんな勇気はないひとですもの」
手厳しい論評に、ディネルースは苦笑した。長年連れ添った夫人の瞳には、勇猛果断な老元帥ではなく、ずいぶんと違った牡が映っているようだった。夫人は続けた。
「たまには、わたくしをチヤホヤしてくれた時分に戻って下さればよいのですがね。いつでも戦争の頃にいるのですよ。三年戦争、ロザリンド、デュートネ戦争に、ベレリアント戦争……わたくしは外向きのことは存じませんから、話を合わせるのが大変」
とは、謙遜である。夫の長い軍歴に連れ添った夫人は、若い将校たちの世話もし、出征中には銃後の夫人たちを慰める会合を開くなどして、オルクセン軍の多くの将校から母のように慕われてきた。老元帥の頑固さに手を焼いた参謀たちから、密かに取り成しを引き受けたことも一再ではないという。夫が軍務を退いて以降も、戦災孤児の保護や奨学、雌雄同権運動の後援で知られてきた。
夫が夢路の旅客となってからは社会活動から身を引き、邸宅を引き払って、この介護施設に近い集合住宅で静かに暮らしているということだった。
「殿下には畏れ多いことですが、幾度もお見舞いを賜って、助かっております。わたくしだけでは話柄に困りますから。退屈して機嫌が悪くなると、職員の皆さまにご迷惑をおかけしますし」
老元帥はオークの中でも図抜けて大柄で、膂力も極めて強い。担当の介護士は、雌雄を問わず大柄なオークばかりだったが、それでも苦労は絶えないという。
「ならば、よかった。いくつになっても活発なのは元帥らしい。ご令嬢方はご健勝か?」
「はい、相変わらずで。でも、娘たちにも、自分の家がありますから、そう頻繁には。よく来てくださるのは、若い頃からのお友達方ですわ。先週は、ほら、あの方が――」
あがったのは、オルクセンにおける特殊部隊の実質的な創始者の名であった。
夫人はころころと笑いながら言った。
「あの方も、お変わりなく。お見舞いのたびに喧嘩をして下さって。このところは、主人がああですから、手加減を頂いておりますけれど」
柔和な笑みのまま、夫人の目尻には光るものがあった。
「殿下。主人も、わたくしも、先は知れております」
「そのようなことは」
「ですが、娘や孫たちは、まだ若く。曾孫たちは、ほんの仔どもです。仔どもなのです!」
「ああ……分かっている。どうか、穏やかに過ごされよ。案じることはない」
もう少し夫人を慰めていたかったが、特別警護隊長が時を告げに来たために、ディネルースは辞去した。
介護施設の出入口では、周囲から見えるようにサブマシンガンを携えた両エルフ族の警護隊員たちが周囲を警戒していた。付近の建物の屋上など、狙撃点になりうる位置も全て抑えているはずである。
ディネルースが外に出ると、すかさず複数の隊員が周囲を取り囲み、装甲車に乗り込むまでの盾になった。
狙撃銃にも耐える装甲車のドアが締められる間際、ディネルースは青空を見上げた。睨みつけた。
空の一隅を、白の顔料をつけた刷毛が撫でたようだ。月ではない白い光。まだ星系外縁にあり、尾も引いていないのに、昼間でも見える。その明るさが、彼女らが住まう惑星に、死の運命を告げている。
装甲車がヴィルトシュバインの市街を抜けるまで、警察と消防のサイレンが何度となく聞こえた。
母星へ衝突する可能性がある彗星の存在は、直ちに全世界に公表された。それと関係しているらしい月の石板は秘密にされたが、彗星の存在は隠そうとして隠せるものではない。パニックの恐れはあったが、構ってはいられなかった。放っておいてもアマチュア天文家が見つけるのは時間の問題であって、そうなればオルクセン宇宙局の世界的信頼は地に落ちてしまうからだ。
実際、SNSや記者会見で示された世論の反応は、彗星衝突への恐怖よりも、宇宙局に対する激怒の方が先立っていた。
「危険な小天体は99%まで発見したのではなかったのですか!」
「膨大な予算を投じて、センサーを三つも設置した結果が、これか!」
能無し、役立たず、ごく潰し――そのほか、あらん限りの罵倒語が会見場と、そのリアルタイム放送のチャット欄を埋め尽くした。
日頃は無礼な記者に眉を顰める美風があるオルクセン地方の市民たちが荒れ狂ったのには、正当な理由があるといってよかった。
そもそも隕石衝突への警戒は、冷戦時代以降、全知性体に共通のものだった。星欧の先進諸国では、特にそうである。
冷戦時代、東西両陣営と、その間で中立を保ったオルクセン連邦は、仮想敵の核戦力を探知するために多数の偵察衛星を打ち上げた。そして、核兵器をはるかに上回る脅威の被害を見つけた。
伝説に謳われた、古代の降星の証拠である。
偵察衛星の撮像で、不自然な円弧状地形が世界各地に見つかった。そのいくつかは地形としては既知のものだったが、あまりにも大きすぎたり、半ばが海没しているためにクレーターとして認識されていなかったのだ。
それらの地点からは、地上には殆どない物質が多量に発見された。かつて存在した十三番目の月が軌道を外れ、潮汐効果と大気圏への接触のために砕け散りながら落下したのだと推測された。
その約五千年前の事実が様々な脚色とともに伝承され、星欧においては降星神話になったというのは、定説となった。
その仮説のもとで各地を調査した学者たちは、降星時の被害の大きさに戦慄した。地層を調べた地学者たちによって、欠片の多くが海に落下して巨大津波を引き起こしたことが分かった。津波の高さは実に三百メートル以上と推定された。
考古学者たちは、内陸の山地に残っていた降星以前の遺跡や、盆地や湖の地下に埋没していた古代の遺物を発掘した。その結果、降星以前にも人族、エルフ族、コボルト族らは文明を築いており、産業革命の手前程度には到達していたらしい。しかし、それらは全て壊滅し、農耕の初期までの後退を余儀なくされたようだった。
気象学者と古生物学者たちの成果は更に衝撃的だった。文明の大幅な後退で済んだのは全くの僥倖だというのだ。星歴前四千年以前に地上や海中に生息していた多くの種が、降星とその後の気候変動によって大量絶滅したことが分かった。
月の欠片たちが落下した衝撃は、戦略核ミサイル数百基分に相当したらしい。その莫大なエネルギーで数千万トンの土砂を空中に舞い上げた。粉塵の層が日光を遮り、恐らくは昼間でも満月の夜ほどの明るさしかない日々が、十年近く続いたものと考えられた。平均気温は約五十度も低下。現在はジャングルが生い茂る熱帯地域が、当時は氷点下二十度にもなったらしい。現生する人間や魔種族の個体数は激減し、絶滅しなかったのがいっそ不思議なほどであった。
そして、降星の痕跡を調査していたつもりの学者たちは、さらに超古代、約六千六百万年前にも隕石が落下した痕跡を見つけた。センチュリースター西方の海に落下した十キロメートル級の隕石が、当時に惑星の支配的地位にあった古代ドラゴン種族(星歴後まで生息していたドラゴンと異なり、生態はトカゲに近い)の絶滅を含む、前回の大量絶滅を引き起こしたというのだ。
ここに至って、人間族と魔種族は残る十二の月の落下のみならず、宇宙空間から飛来する隕石の脅威を恐れるようになった。
かといって、冷戦期の技術では現実的な対策は不可能だった。当時から宇宙開発のトップランナーであったオルクセン宇宙局が生存圏拡大事業を最優先したこともあり、隕石対策は『将来の』課題であり続けた。
状況が一変したのは、星歴一〇二三年の冬のことである。直径一七メートルの小天体が、魔種族と人族の住まう母星の大気圏に突入。尾を曳く火球となって、オルクセン連邦の中央部を襲った。
その隕石は、落下にともなう灼熱で太陽よりも明るく輝き、高度約二〇kmで最後の爆発を起こすと、無数の小片となって半径数百キロあまりに散らばった。その衝撃波で数千軒の家屋で窓ガラスが割れ、街は悲鳴に満ちた。
爆発時の強烈な紫外線によって数十名のオークやコボルトが火傷を負い、割れて飛び散った窓ガラスによって百名余が切り傷を負った。一ミリグラムほどの隕石片が走行中のタクシーのボンネットに突き刺さり、大破させた。運転していたエルフが無事に済んだのは全くの僥倖だった。
折しも星欧東方の大国ロヴァルナ連邦が、旧従属国に対して行った侵略戦争の最中だったこともあり、「さては弾道ミサイル攻撃か」と疑った世論は、一時的に混乱した。隕石による自然災害だと判明した後も、これは不運な事故ではなく、早急に対処すべき安全保障問題として受け取られた。
被侵略国への無制限の軍事援助によってロヴァルナを二度目の体制崩壊に追い込んだ後、オルクセン連邦は隕石対策への本格的な投資を開始。宇宙局の主任務として、母星に接近及び落下する恐れがある小天体の探索と、将来的には迎撃手段の開発を命じた。その頃までには弾道ミサイル迎撃や、軍用衛星の高頻度打ち上げ、探知追跡、無力化のための兵器体系が存在しており、期せずして隕石対策に要する基礎技術が出揃いつつあった。
何はともあれ、隕石を見つけないことには話にならない。そのため真っ先に開発されたのは、三か所の月に設置された赤外線望遠鏡<ケルベロス>である。星系内の全空間が数千億枚にのぼる画像におこされ、専用の画像認識AIがそれらを解析した。一基目の試験運用が始まるや否や、『新規発見』のアラートが数分ごとに鳴り響き、天文学者チームに送付された。AIの学習が進むほど発見の頻度と精確性は向上していった。最終的には、未知の小惑星、隕石、彗星が十万個ほど発見され、それぞれの軌道が調査された。母星全体への脅威になりえる直径一キロメートル以上級の巨大小惑星の軌道決定と監視は特に優先された。
こうして星系内の小天体は、確率的に九十九パーセント以上が発見された。中でも母星全体への脅威になり得る直径一キロメール以上級や、それほどの威力はないが、もし落下すれば都市一つは軽く消し飛ばすであろう直径一〇〇メートル以上の小惑星は、常時監視の対象となった。それらが現在の軌道を外れ、隕石となって母星に接近してきた際の対抗手段の整備も進み、惑星防衛態勢は一応の完成をみた――はずであった。
それにも関わらず、二回前の大量絶滅を起こした隕石をはるかに上回る、直径約二十キロの彗星を今の今まで見逃していたというのだ。
専門知識を持たない記者たちから素朴な罵倒を、まっとうな科学記者たちからは的確な集中砲火を浴びて、オルクセン宇宙局長は汗を拭きながら弁明に努めた。
「全ての撮像を画像認識AIで走査しておりましたが、なにぶん抽出力は百パーセントではありません。個々の小天体の反射率や背景輻射の影響で、どうしても限界は……」
しかし、特定された軌道から逆算して検索された過去の撮像が公開されると、非難はさらに強まった。太陽から遠いため尾はまだ引いていないが、素人目にも識別できるほど明確に小天体が映っていたからだ。
「あらかじめ在ると知ってから見るのと、学習前の判読では違いが……」という釈明は、記者たちの怒号にかき消された。
「観測と計算の結果、この小天体は極端に細長い楕円軌道をとっていると思われます。軌道が閉じている。つまり、過去にも星系に侵入したことがあったと考えられるのです。周期は実に長く、千二百年前後と思われます。そこで……」
会場のあちこちで続いた怒号が静まったのは、宇宙局には属さない歴史学者が発言しはじめてからだ。
その白エルフ、リヴェルイン・ミルタエルは、共和国立史学研究所の者だと自己紹介した後、天体とは関係がなさそうな書物をいくつも紹介した。はるか道洋の国家である華国の古代王朝の史書、旧エルフィンド王国の教義学校がまとめた神話集、そして聖星教会の聖典......。
一つ一つの例証をあげ、教会のステンドグラスや古代の壁画の画像などを示しながら、ミルタエル博士は聞く者たちの覚悟を徐々に作っていった。
あえて遠回りな説明を経て、明白な結論が見え始めると、記者たちは水を打ったように静まった。特に、人間族とエルフ族の記者たちは顔色を無くしていた。
「――こういうわけで、各種の伝承の時期は、この小天体が前回と前々回に星系に飛来したと考えられる時期と一致しているのです。
どの国の伝承も、空を半ば覆うほどの白い尾を伝えており、彗星の記録だと考えられます。
そして、前回の回帰というのが、星歴前一年。すなわち、観測された彗星は、多くの人族の皆さんと我らエルフ族が信仰する『聖星』そのものだと考えられます」
それから数カ月。
彼らが住まう母星に聖星が衝突する確率は、当初は千分の一ほどだと発表されたが、観測が進むにつれて上昇の一途を辿った。
あらゆる国家、あらゆる種族の社会が混乱と狂騒にみまわれた。一時的ながら、秩序の崩壊を起こした都市もある。
破滅の予測から、刹那的な快楽や暴力に走る者が無数にあらわれた。商店のシャッターはこじ開けられ、寺院や神殿は腹いせに放火された。街角では見知らぬ者同士が抱き合って泣き崩れ、あるいは電撃的な恋の衝動に身を委ねた。犯罪件数は激増し、それを取り締まるべき治安や司法の当局者にも、職務を放棄して失踪する者が増え続けた。
社会不安の増大は自殺率の急上昇を招いた。そればかりではなく、極度のストレスによって突然死や事故死、エルフ族では失輝死が数多く生じた。
救いを求める彼ら彼女らのために、新興宗教と陰謀論が急速に台頭した。
『聖星の声を聞いた』『回帰は、教義を疎かにする不信心者への天罰だ』と主張する説法が動画配信サイトで拡散し、インターネットを通じて大量の信者と寄付金を獲得した。その伝道師は、元は独自の瞑想法を指導したり自然食品を販売する個人事業主で、聖星教の正規教育を受けていなかったが、信者たちは気にしなかった。
他方では『彗星の衝突は各国政府によるプロパガンダであり、真っ赤な嘘だ』、『いや、政府高官専用の脱出手段がある。第四惑星の秘密植民地に避難するつもりだ』などの虚報が飛び交い、無数のデモや暴動を引き起こした。
エルフィンド国では、とっくに廃絶されたはずの教義原理派が息を吹き返した。彼女らによれば、聖星の回帰は情けなくもオーク達に敗れ、他種族との共存を国是とする現エルフィンド国への神罰だった。
「偉大な指導者の教えを、今こそ思い出せ」
「我らは神に選ばれた種族だ。その正当な地位を回復しよう」
「あまんじて降星を受け入れよ。星は劣った種族たちを尽く滅ぼすが、我ら白エルフだけは生き永らえるだろう」
エルフィンド国は直ちに声明を出して教義を改めて否定した。しかし、一部の政治家や社会運動家が教義の復活運動の先導者を務めるようになると、政府広報だけで社会を鎮静化するのは難しかった。
頭を抱えたエルフィンド政府は、元女王にして黄金樹の守護者、すなわち世が世なら教義信仰の長たるべきエレンミア王女に玉音放送を奏請した。立場上、自らはそれを言い出すことができなかったエレンミアが、即座に裁可したのは言うまでもない。
しかし、その実施の前に、聖星衝突に対する有効な――少なくとも、そう聞こえる――対策が具体化されていないことには、説得力を欠く。凶行、陰謀論や新興宗教に逃避せずとも、信じることができる聖星対処計画の立案と具体化が急がれた。
連日連夜、世界中の宇宙開発機構、宇宙軍関係者、大学等に属する専門家が意見を交換し、レポートを出し、案を持ち寄り、検討を重ね、大まかな指針にまとめた。
専門家会議の報告をもとに、キャメロット王国とオルクセン共和国の宇宙局と宇宙軍が共同し、対処計画の具体化に取り掛かった。どこかに拠点を設けて、集合する必要性は直ちに明らかになった。
衆目の一致するところ、相応しい場所は世界に一つだった。この惑星に住まう知性体が、最初に月面着陸を成し遂げた際の指揮施設。種族を問わず、あらゆる宇宙開発関係者にとっての聖地。ツィーテン宇宙飛行センターである。
装甲車でヴィルトシュヴァイン市街を脱したディネルースは、首都郊外に所在するその施設に入った。魔種族と人族の区別なく、全先進国の宇宙専門家と、国際連盟全加盟国の代表者が集合を終えている。
間もなく開かれる国際会議の目的は、史上初の惑星防衛計画を承認することである。
と言っても、宇宙空間での活動に貢献できる国は数カ国に過ぎず、それらの国々が作り上げた案が俎上に載るのだから、否決の可能性はまずない。計画案は細部までネットワーク上で一般公開され、一部資材や役務の発注が既に行われている。他に有力な代案があるとは思われないから、急ぐのが当然ではある。わざわざ大会議を開くのは民心を慰撫するためだ。
予定通りの承認を終えたなら、防衛計画は『アトラス』と名付けられるはずである。天空が落ちて来ないように支えたという古代の神名から採っている。
儀式的な国際会議にディネルース王女が乗り込む必要は、本来ならば、無い。彼女は高名な人物だが、実権を持たない立憲君主であるからだ。
しかし、ベレリアント戦争から二百五十年余を君主として過ごしながらも、ディネルースは未だ一将軍の心性を残している。
だから、彼女は知っている。計画は必須であり、重要でもある。だが、ほとんど常に、想定外のトラブルに見舞われる。そして、しばしば破綻する。
ゆえに歴戦の将軍は、常に予備案を持っておくものなのだ。
(次話「惑星防衛計画」に続く)