ランデブー:ディネルース最後の旅   作:芝三十郎

5 / 11
WEB版読了後推奨、「オルクセン連邦の崩壊」読了後推奨。 接近する彗星に向けた惑星防衛計画<アトラス>が開始される。多層の防御手段が発射され、彗星の軌道修正を目指す。


惑星防衛計画

「―――以上をもって、多層防衛計画<アトラス>は修正の上で承認されました。議長として、活発なご発言と、議事進行へのご協力に感謝します。私たちは第一歩を踏み出しました」

 

 議長は、明瞭な声で宣言した。国際専門家会議の中でも、最も高名なコボルトの老婦人である。蜂蜜色の毛並みは老いてなお艶やかで、コボルト族ならずとも美を感じさせずにはおかない。口元から覗く牙は鋭いが、声には優美さと知性がある。

 

「このまま共に歩み切り、宇宙の脅威に対処できると確信しています。これをもって閉会致します」

 

 議長が着席すると、会場に参集した各国の国務大臣や専門家たちは、ばらばらと立ち上がりはじめた。拍手は無い。誰もが前途の困難と、残された時間の短さに暗澹としているようだった。

 

 議長はそっと壇から降りる。自分がまた表舞台に出ようとは思ってもいなかった。とうに宇宙開発の第一線を退いて、ヴィルトシュヴァイン大学の非常勤講師であったのに。

 

 しかし、世界中から集められた優秀な、であるがゆえに難物ぞろいの専門家会議が紛糾した時、<アトラス>以前では世界最大規模の宇宙計画だった<アルテミス>のナンバー・ツーを誰もが思い出したのだ。

 

 久々の重責をやり遂げた疲労を、小さな溜息とともに吐き出す。歩み寄る先は、会議中に壇のそばでずっと侍立していた夫である。

 

 年老いた大鷲が労いの言葉を発するよりも早く、彼女はその羽に顔を埋めた。コボルトの鼻を擦り付けている。

 

「こ、これ、メルヘンナー。このようなところで」

 

 大鷲は両眼をしきりと動かした。周囲の者たちは礼儀正しく顔を背けてくれたが、遠くにはカメラもある。

 

 全世界の宇宙開発関係者から生ける女神のごとく敬意を集めている議長は、不機嫌そうに顔をあげた。

 

「なあに? 私、世界を守る会議を何とかやり遂げたところなのだけれど」

 

「君の枕になれて、まことに光栄だ。どうぞ、続けてくれ」

 

 議長は再び顔を羽に埋めた。羽毛の匂いをひとしきり吸い込み終えた頃、鋭い耳が聞き覚えのある足音を聞いた。それはまっすぐに近づいてきた。

 

 再び顔をあげたメルヘンナー・バーンスタインは、流石に恥じらいつつ、膝を屈めて挨拶をした。

 

「ディネルース殿下。たいへん、お見苦しいところを」

 

「いや、お疲れのところ、すまない」

 

 ラインダースも片翼を胸の前に畳み、元女王に礼を示した。

 

 ディネルースは右手を胸にあてて答礼する。

 

「ひとこと、礼を言いたかったんだ。メルヘンナー」

 

「何もお力添えできませんで。お見事でした、殿下」

 

 ディネルースが捻じ込んだ修正案のことを言っている。

 

「エレンミアの力だよ。彼女がタルヴェラを動かしてくれた」

 

 カティエレン・タルヴェラは、旧オルクセン連邦の大政治家である。白エルフ市民権運動の旗手として政界入りし、白エルフとしては最初の連邦首相にまで成り上がった。海軍哨戒機の選定に関する疑獄事件さえなければ、大統領選への出馬と当選が確実視されていた。連邦崩壊後も断固としてエルフィンドには戻らず、ヴィルトシュヴァインの大邸宅で暮らし、政財界に隠然たる影響力をもっている。

 

 しかし、タルヴェラ元首相の影響力が及ぶ範囲は、旧オルクセン連邦諸国に限られている。

 

「ご謙遜を。人間諸国をも納得させられたのは、ひとえに殿下のお力です。連邦解体の時の演説を思い出しました」

 

 メルヘンナーは、連邦解体の時に、そして今また立ち上がった元女王のことを思った。未曾有の危機にあって、国民や世界を守るため。しかし同時に、元女王が懸命に守ろうとしているものは、亡夫との繋がりであるに違いない。

 

 コボルトの老婦人は、様々な意味において、戦友とも同志とも思っている元女王へ言った。

 

「以前、お話したことがあったでしょうか。私たちの結婚式の折に、夫が私に何と言ったか」

 

「いや、初めて伺うと思う」

 

「恋する者には何事も困難ではない、と、夫は申しました」

 

 老騎士のように凛とした大鷲に動揺が走り、ディネルースの微笑を誘った。

 

「ラインダース殿、今でも同じお気持ちかな」

 

「いかにも、殿下。しかし今ならば、誰かを愛する者には、と言い換えたく思います」

 

「いつまでも睦まじくて羨ましい。その時、メルヘンナーは何と?」

 

「若い頃の私は、答えました。夫と一緒なら、困難を飛び越え、星にすらなれるでしょう、と。今ならば、こう言い換えます。これまでも山のような困難を飛び越えてきました。あの災いの星も、きっと飛び越えていけます。たとえ――」

 

 メルヘンナーは、ディネルースや宇宙軍幹部が何かを隠していることに勘付いている。事態の大きさにも関わらず、専門家会議にすら一部の情報が伏せられているとすれば、よほどの事情に違いない。王国時代には魔術の科学的解明を目指す国家プロジェクトに参加した経験があり、グスタフ王の遺言書の非開示部分を読んでいるメルヘンナーには、察するところがある。

 

「あれが、神の鉄槌でも」

 

 ディネルースは言葉では答えず、大型ディスプレイに目をやった。そこに映る彗星は、とうに星系内に侵入し、第五惑星である巨大ガス惑星の軌道のやや外側を進んでいる。早くも淡く輝きはじめ、まっすぐな青白い尾を引きながら、彼女らの母星へ迫っているのだ。

 

 衝突までに残された時間は、一年と四カ月であった。

 

 

 

 惑星規模での協力体制はひとまず成立した。細かな不和や不満は数えきれないほどあったが、彗星衝突までの一年余という猶予期間の短さが各国の妥協を引き出した。人間と魔種族、それぞれの中の民族や種族は、ほとんどの対立を棚上げにした。

 

 <アトラス>計画の公式な標語で、積極・消極のどちらの意味でも頻繁に唱えられたのは「すべては生存のために」の一言であった。

 

 計画は大急ぎで進められたが、惑星防衛の空間的特性からして、地上の一般人からするとかなり悠長に見えるテンポで進む。市民の理解と協力を得るため、専門家会議と各国政府はたびたび記者会見を開いて、コミュニケーションに力を尽くした。

 

 計画承認後も、各国の議員や市民からは「核ミサイルで彗星を破壊しろ」という意見が相次いだ。記者会見において、バーンスタイン議長は、穏やかながらもきっぱりと答えた。

 

「核ミサイルによる破壊というのは、惑星防衛の手段としては殆ど意味がありません。破壊しても、真空の宇宙空間では、ほとんどの破片はそのまま飛び続けます。

 

 一つの彗星が多数の小隕石に分かれても、落下してくる質量の合計はさほど変わらないでしょう。破滅的な津波と気候変動は防げません」

 

 映画は傑作でしたけど――と加えて一笑を得るところまで、メルヘンナー・バーンスタインは巧みだった。

 

「現実の惑星防衛計画は、あくまでも目標の軌道修正を目指します。危険な小天体の速度を増加または減少させるのが最良の戦略です。そうすれば、その軌道が母星の公転軌道と交差したままであっても、衝突は避けられます。何もない宇宙空間を通り過ぎていくからです」

 

 理想的には、衝突まで数十年前から対処するべきところである。衝突まで一年半以下では、理想的な遠方対処は不可能である。宇宙船や機材を新造する猶予はなく、ありものの改造で何とかするしかなかった。

 

 さらに問題となったのは彗星の大きさ、そして質量である。かつてオルクセンやキャメロットの宇宙局が有効な惑星防衛手段として構想していたのは、危険な小天体に宇宙探査機を衝突させ、その反動で軌道修正を図るやり方だった。

 

 しかし、直径二十キロ以上もある聖星が相手となると、小さな探査機の衝突ではエネルギーが足りなすぎた。

 

 専門家会議内では「月の一つに推進器を取り付け、衝突体として使え。せっかく十二個もあるんだ」という思い切った意見も出た。検討の結果、彗星迎撃のことだけ考えれば意外にも有効だと考えられたが、却下された。残る十一の月の軌道や潮汐が受ける影響が計り知れないためだ。彗星を回避できても、その代わりにまた一つ月が落下してきたら目もあてられない。

 

 では、彗星の速度を変えるほどの運動エネルギーをどうやって作り出すか。専門家会議が提出した素案は、第一に質量の現地調達、第二にはエネルギー効率のよい別手段だった。

 

 オルクセン共和国とキャメロット王国の両宇宙軍・宇宙局を中心に設置された合同対策本部は、専門家会議の素案に基づき、第一段迎撃体<ヘリオス>と、第二段迎撃体<ヘラクレス>シリーズの建造を決めた。といって、あまりにも時間がないため、どちらも急造品である。

 

 このうち<ヘリオス>は、航空母艦と自動化炭鉱のために製造中だった部品を流用し、宇宙線と温度変化への防護措置を施して、建造中だった深宇宙探査機に搭載したものである。大急ぎで建造を終えると、<ヘリオス>は衝突予測日の約一年前に軌道港から発射された。当然、無人機である。

 

 撃ちだされた一の矢は、まっすぐ彗星には向かわない。まず母星、次いで太陽を周回する。あたかも水車にすくいあげられる川魚か、陸上選手によって回転を加えられる砲丸のように加速すると、彗星の予測進路と交差する方向へ飛翔。

 

 やがて減速を開始し、彗星とのランデブーを果たした。その位置は、第四惑星軌道をわずかに越えた辺り。彗星は輝きを増し、長く白い尾を伸ばしていた。

 

 速度同調を果たすと、まず行われたのは様々な角度からの撮影だ。真っ先に聖星と接触する<ヘリオス>は、以降全ての作戦のための斥候を兼ねているのだった。

 

 一般に彗星としてイメージされるのは、光輝く球体が尾を曳いている姿だろう。輝く球体は、「コマ」と呼ばれるガスである。彗星から飛び出したガスの一部が、核のまわりに薄い大気を作る。宇宙空間に逃げていく大気と、新たに放出される大気が釣り合って、ぼんやりと光る丸い彗星の頭部となるのだ。

 

 彗星から放出されたガスの一部は、太陽光を浴びて電気を帯びる。これが太陽風に吹き流され、青白く短いイオンの尾となる。ガスによって舞い上がった彗星の塵は、太陽光を反射して白く光る長い尾となる。

 

 偵察すべきはガスの源、コマに隠れた彗星の核である。彗星核は通常、約八割が氷で、岩や砂のような塵が混ざっている。凍り付いた泥玉に似ている。

 

 <ヘリオス>は、船内に格納していた超小型衛星キューブサットを多数発射した。キューブサットは、それぞれ可視光、赤外線、レーダーで彗星を撮影した。核は長軸二十一キロ、短軸十五キロほどの大きさで、全体的に歪み、黒いジャガイモのようだった。

 

 撮影を終えたキューブサットは次々に彗星上に着地。電池が尽きるまで、地表面の映像を送信した。

 

 地表面上は岩と砂で覆われて、通常の小惑星と大差ない。表面近くの水は、過去に太陽近くへ接近した際にほとんど蒸発し切っているのだ。

 

 核の内部にまだ大量の水分が残っている証拠は、主に彗星昼側の地中から吹き出しているジェットである。あちこちに大小さまざまな穴があり、間欠泉のように勢いよく水蒸気を噴き出している。地上での撮影では気流のようにしか見えないが、核を構成する炭素、酸素、窒素や塵がジェットによって吹き散らされ、大気と尾を為している。

 

 作戦の指令施設であるツィーテン宇宙飛行センター、通称“ヴィルトシュヴァイン”のスタッフたちは、大急ぎで地形情報を重ね合わせ、ヘリオス本体の着陸適地を決定した。彗星のうち、太陽に向いている昼側は百度以上の高温であるから、着陸地は夜側に選定された。

 

 ヘリオスは慎重に位置を調整してから降下。希薄な大気の層に入り、複数のアンカーを放って地表面に自らを固定した。着地成功が確認されると、宇宙飛行センターの指令室には歓声が沸いた。

 

 ヘリオス作戦の指揮官であるスチュワート提督は、スタッフたちの喜びに水を差す無粋こそしなかったが、まるで喜色をみせない。海軍を母体として設立されたキャメロット宇宙軍では、少々のことで一喜一憂する人物が高級将校に任じられることはない。その美風を体現したような禿頭の提督は、ウェイターに食事を頼むような落ち着きぶりで次の指示を出した。

 

「諸君、ここからが本番だ。“アドヴィン”を展開せよ」

 

 深宇宙通信に変換された指示を十分ほどかけて受け取ると、ヘリオスはフェアリングを開いた。中から現れた大型機材は、四つの脚部を地表面に着地させると、折りたたまれていた二本のレールを中空に向けて伸ばした。レールを牙に見立て、巨狼族の英雄の名を与えたのは、製作にあたったヴィッセル重工である。

 

 “アドヴィン”は、四本の脚に加え、多数のアンカーケーブルを地面に打ち込んで自らを固定。狼ならば腹部にあたる位置から自動掘削機群を地面に向けておろした。月面を走るローバーにカブト虫のツノをつけたような掘削機と、ブルドーザー状の運搬機の二種がある。

 

 鋼鉄のカブト虫は、周辺に隆起する岩や丘に狙いを定めると、ツノを回転させて掘削を開始。切り屑が極低重力を飛散し、たちまち一抱えほどの黒い岩塊が切り出される。それを運搬機が集め、アドヴィン本体のベルトコンベヤーに運びこむ。

 

 岩石で腹を満たしたアドヴィンは、背中から生えた二本のレールを僅かに傾け、音もなく岩塊を射出した。射出は断続的に続く。

 

 その報告を約十分後に受け取ると、宇宙飛行センターでは再び歓声が爆発した。「軌道への影響を観測し、速やかに報告せよ」と言った時、重厚なスチュワート提督も頬を緩ませ、デスクの下で拳を握っていた。

 

 マスドライバー“アドヴィン”が構成物質を射出するたび、彗星核は微量の反動エネルギーを受け取る。それによって彗星の軌道を少しずつ変更するのが<ヘリオス>作戦であった。

 

 もし三センチメートル毎秒ほども速度変化を与えられれば、母星軌道到達時には数千キロメートルの離隔が生じ、衝突は辛うじて回避できるはずである。

 

 冷却系に刻印式魔術を用いることで大幅な小型化を実現したモジュール型原子炉から電力を受け取り、アドヴィンは射出を繰り返した。その反動が、観測可能なほどの差分として軌道に反映されるまでの数日間を、世界中の魔種族と人間が固唾を飲んで待った。

 

 明るさを増し、昼間ですら空に見えるようになった白い彗星を、誰もが見上げた。そして三日目。母星の夜の部分から彗星を見上げていた市民たちは、その変化に気づき、騒然とした。

 

「見ろ!」

「そんなことって、あるのか」

「尾を……増えてるぞ!」

 

 これまで彗星が引いていたのは、真っすぐで短いイオンの尾がひとつと、長く弧を描く塵の尾がひとつだ。しかし今、彼らが見上げる空には、三本目の白い尾が伸びていた。

 

 ツィーテン宇宙飛行センターも、地上及び月面の望遠鏡から彗星の変化を観測していた。複数の塵の尾をもつ彗星は、珍しくはあっても絶無ではない。過去には五本や六本の尾をもつ彗星の記録すらある。

 

 問題は、それが進行中の宇宙任務に与える影響だった。スタッフたちは冷や汗を拭いつつ、およそ十分間、定時通信を待った。しかし、さらに二十分を待っても、アドヴィンとヘリオスからの信号は届かなかった。

 

 真相が明らかになったのは約一時間後。ヘリオスが着陸前に射出し、その後も彗星を周回させていたキューブサットの映像によってである。

 

 そこには、横倒しになったアドヴィンが映っていた。ヘリオスの姿は無く、それがあるべき地表面には地割れのような破孔が口を開けていた。彗星が太陽に接近して内部が温まり、新たな噴出孔が生じた違いなかった。新たな破孔は、彗星核の複数個所で確認された。

 

「アドヴィン、信号を受け付けません。予備アンテナも破損したと思われます」

「なんてこった!」

「神様……」

 

 口々に悲鳴があがる指令室の中で、提督は髪を撫でつけ、帽子をかぶり直した。

 

「落ち着け、諸君。少なくとも、偵察は完了したのだ」

 

 そして一息を置き、提督は告げた。

 

「しかし、手綱は付けられなかった。現時刻をもって<ヘリオス>作戦を終了。第二段階へ託す」

 

 提督は電話機をとり、<ヘラクレス>指揮官のケーニヒ大将を呼んだ。オルクセン共和国宇宙軍には珍しいオークの将軍は、厳かに指令室を引き継いだ。

 

 飛行士ではなく管制官出身のケーニヒ大将は、迫力ある顔つきには似合わない美声で告げた。

 

「これより<ヘラクレス>を主作戦とする。主モニターに<ヘラクレス>シリーズから彗星への交差軌道を出せ」

 

 聖星地表を映していた画面が切り替わり、星系の模式図を映し出す。聖星は第四惑星軌道を通過した。画面上では、母星までの距離はあと僅かしかない。実際の宇宙空間では一億キロメートル以上の距離があるが、惑星防衛の距離感覚では近距離まで迫られたといっていい。

 

 母星の周囲をまわる十二の月のアイコンのうち二つが縁取りされ、それらから赤い線が浅い弧を描いて伸びる。二本の赤線は、それぞれ聖星の軌道と交差した。

 

「現時点では、<ヘラクレス・1>が最適位置にあります。次点は<ヘラクレス・3>」

 

「よし。<ヘラクレス・1>を主、<3>を予備として発射。直ちに発射指示を送れ」

 

 通信士は復唱し、コンソールに指を走らせた。

 

 その結果を確認してから、ケーニヒ大将は副官が運んできたオーク用の椅子に腰を落ち着けた。緊張を高めている指令室内に告げる。

 

「皆、コーヒーを運ばせよう。紅茶党は申し出るように。無論、緑茶や黒茶でも結構だ。今や、飲み物の好みにも国境線はないからな」

 

 やがて運ばれてきた香気は、室内の雰囲気を少しは改善した。将軍は、牙を湯気であぶりながら言った。

 

「ずいぶん、妙な気分だ。実にあっけない。私は歴史で初めて、戦略核兵器を発射したというのにな」

 

 はるかな昔、青年士官時代に十三日危機を経験したケーニヒ大将は、時代の変化に思いを馳せた。ロヴァルナ連邦が二度目の崩壊を迎えた後でなければ、この計画を実現することは不可能だったろう。

 

「さて、諸君。引き続き、モニターを頼む。長い戦いだ。交代時間は厳守するように。私は記者会見に出てくる。その間の指揮はツィエン上将に委ねる」

 

 複数の月面上に設置された<ヘラクレス>シリーズは、月往還機を改造し、核弾頭を搭載したものだ。衛星軌道上に核兵器を持ち込むことには多少の論争があったが、他に方法がないとなれば否も応もなかった。全核大国が計画に参加し、指揮系統の要部と月基地へ平等に兵員を配置することを条件に、合意は速やかに形成された。

 

 発射された二基の<ヘラクレス>は、大幅に強化された推力にものを言わせて、聖星と直接交差する軌道をとる。発射から約半月後、予定の位置で減速を開始するが、ヘリオスのような完全同調は目指さない。ゆっくりと聖星とすれ違い、地表から所定の距離に達したところで起爆する予定である。

 

 記者会見では例によって「核爆弾で彗星を破壊するのか」という質問が出たが、ケーニヒ大将はやんわりと否定した。記者も計画のことは知っているが、あらためて説明を引き出すための質問だと承知している。

 

「核爆発は破壊ではなく、彗星表面をあぶるためです。目的は、あくまで軌道修正に変わりありません。核爆発の中性子線が彗星表面に降り注ぎ、地表面を急激に蒸発させます。それが聖――いや、彗星に反作用を与え、軌道を変えるというわけです」

 

「<ヘラクレス>を二基発射するのは? 二発とも使用するのですか?」

 

「計算上は、<ヘラクレス・1>のみで十分だとみています。ただ、搭載している核弾頭は、元はオルクセンの核ミサイルに搭載されていたもので、元来の宇宙用ではありません。宇宙線や温度変化への防護措置は施してありますが、不発化する可能性はゼロではありません。後から到達する三号機はそのための予備というわけです」

 

「それだけの備えがあっても、避難命令は予定通りの発動を?」

 

「その予定です。正式には、避難命令は本対策本部ではなく、各国政府の権限になりますが。ヘラクレスの結果が出る前に避難を開始せねば、万が一の時に間に合わなくなります。近母星点まで七十日に過ぎませんから」

 

 近母星点、彗星が母星にもっとも接近する軌道上の地点を示す用語が、この場合には『衝突予測日』の言い換えだった。

 

 将軍の言葉通り、対策本部の勧告を受けた各国政府は、それぞれに避難命令を発令した。海岸から千キロメートル以内、かつ海抜三百メートル以下に住む者たち――すなわち惑星総人口の大半が、内陸または高地に建設された仮設都市や避難キャンプへの移動を開始した。幹線道路を車列が埋め、昼夜を問わず山間部へと向かっていた。避難の過程では無数の悲劇と犠牲が発生した。

 

 避難先には住居だけではなく、可能な限りの社会インフラも建設なり手配なりがされている。段階的な避難の完了、そして惑星防衛成功後にはこれまた段階的な帰還までの間、莫大な人口が避難先で生活せねばならないからだ。

 

 避難場所の建設に要する資金は国際的な再配分が行われ、国富による格差の抑え込みが図られた。豊かではあっても標高の低い国、星欧でいえばアルビニーなどは全国民が他国に避難せねばならなかったから、国際協力は不可欠だった。

 

 それでも惑星各地域の土木建設の能力やインフラの差は如何ともしがたい。そもそも避難場所の確保と建設が間に合わず、不適切な場所で妥協した地域もある。避難先に発電所まで建設できた国は少数派だった。

 

 避難した魔種族と人族は不便な生活の中で助け合った。ほとんどの者は、知っていた。もしも彗星が衝突したならば、津波を免れても、十年以上は続くであろう夜を乗り切るのは難しい。五十度近くも下がる気温の中で、備蓄燃料と僅かな発電量だけで暖を取り、食料を生産せねばならない。その場合、人口の大半は餓死するしかないのだ。それでも彼らは、互いを労わることをやめなかった

 

 第二の矢、<ヘラクレス・1>が聖星と交差したのは、発射から二週間後のことである。母星から数千万キロメートル先で起こった核爆発、それ自体は明確には見えないが、夜空に輝く彗星本体が異常に輝きを増して見えた。輝きがもとに戻った後には、彗星の塵の尾の根元付近が拡散し、やや向きを変えて見えた。

 

「やったか!」

「起爆した!」

 

 各地の避難所と同じく、ツィーテン宇宙飛行センターでも歓声があがった。聖星を周回していたキューブサットからの通信は当然途絶えたため、その後の観測は月面望遠鏡に頼ることになる。結果はすぐ明らかになった。

 

「やりました。軌道が逸れています」

「計算以上です。想定より密度は低かったものと……ああ、良かった!」

 

 作戦成功の報は数分のうちに惑星全土を駆け巡った。あらゆる知性体は抱き合い、涙を流し、歓喜を爆発させた。

 

 

 

 

 その歓喜の声は、数千万キロの距離をゼロ時間で越え、それの耳にも届いた。

 

 それは、全くの平静を保っていた。

 

 それは、自分の外殻の一部が剥がされたと気づいており、また自分の進路が影響を受けたことも、即座に悟った。その軌道計算は、ツィーテン宇宙飛行センターで行われたものよりも、はるかに精密だった。

 

 現在の外殻の形状の観測や、内部構造を考慮した重心の再計算、残存質量の推定や、軌道の再修正に必要なエネルギーの算出といった諸々の計算を行うことは、それにとって、いとも容易なことである。

 

 しかし、その必要はない。

 

 それ、あるいは彼女というべき意志は、ただ決定すればよかった。

 

 かくあれ、と。

 

 すると、そのようであった。

 

 

「月面から報告。彗星表面で、新たな噴出が……」

「尾が! 尾が!」

 

 ケーニヒ大将は思わず立ち上がり、身を乗り出した。

 

 月面や地上の各所から送られてくるリアルタイムの観測映像に映る聖星は、新たに四本目の尾を棚引かせていた。

 

 スタッフたちは命令を待たず、直ちにコンソールを叩き、各センサーの情報を重ね合わせた。計算結果は自動的に出た。

 

「軌道が……衝突コースに戻っていきます!」

「何があったんだ!?」

「非重力効果だ。新たなジェットが出て、再修正してしまったんだ!」

 

 スタッフ達は任務を忘れて口々に叫んだ。彗星の軌道は、太陽と各惑星の重力だけではなく、彗星自身が放出するジェットの反動で微妙に変化する。これを非重力効果という。そのせいで軌道が変わり、回帰周期が変動したり、あるいは二度と星系に戻らなくなる彗星もある。

 

「こっちは核爆発だぞ! 簡単に押し返されるわけがない」

「いや、核の副作用かもしれん。彗星内部の温度も上昇して、それで……」

「馬鹿を言うな。戦略核並みのエネルギーが急に湧いてたまるか」

「こっちも、爆発自体で押したわけじゃない」

「いや、しかし――!」

 

 混乱を静めたのは、副指揮官ツィエン上将だった。

 

「皆、落ち着け! 一度、黙れ!」

 

 低地オルク語で一括すると、道洋系人族の将軍は、端的に言った。

 

「まだ<ヘラクレス・3>がある。月面には二号機もだ。こんな偶然は続かん。閣下」

 

 そう言ってスタッフを落ち着かせると、自分より三倍以上も年上のオークの将軍に次なる決断を促す。

 

 ケーニヒ大将は一つ頷くと、口を開いた。

 

「<ヘラクレス・3>は、予定通り続行する。ツィエン上将の言う通りだ。次こそ、うまくいく。二十時間後には二発目が起爆し、それで終わりだ。……あれが、偶然であったなら」

 

 豪胆な将軍が思わず漏らした一言は、二十時間後に現実化した。

 

 <ヘラクレス・3>は予定通り聖星に接近して起爆。再度の軌道修正を成し遂げた。そして、その直後、彗星は塵の尾を五本に増やし、またしても衝突コースに戻った。

 

 計算結果が報告されると、指令室には沈黙が落ちた。室内に響くのは空調音だけであった。誰かが唾を呑み込む音すらも、大きく聞こえるようだった。モニターの光に照らされた顔は、残らず青ざめて見えた。

 

 およそ一分間の沈黙の後、ケーニヒ大将は言った。

 

「作戦中止だ。月面の<ヘラクレス・2>は、待機態勢を維持せよ」

 

 まだ唖然としている人族の副指揮官に向け、オークの将軍は告げた。

 

「これで決まりですな」

 

「信じられません。し、しかし……そうですね。事実を認めなければ」

 

 それを華国から送り込まれた代表の同意だと受け取って、ケーニヒ大将は命じた。

 

「アンファングリアと通信を繋げろ」

 

 通信士は即座に手を動かした。その操作に従い、遠方の山地に設置されている巨大パラボナアンテナが通信波を発した。その電波は、飛翔中の宇宙船を目指した。

 

 

 

(次話「魔術の刻印」に続く)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。