宙旅と行く崩壊編纂記 作:エリュシオンの案山子
それは少女『クラゲ』が多少なりともこの学園へと馴染み始めた頃に起きたこと。
「『クラゲ』ちゃん……あなたは一体何者なの?」
「私は……」
危惧していた事態が、訪れていた。
きっかけはなんでもないことから。
A級戦乙女として登録されている彼女が出動から帰ってきた時の、「これくらいか」なんて発言。
キアナ・芽衣の両名もまた少し前に昇格したB級戦乙女として様々な訓練・シミュレーションを受けている。いるし、キアナは余裕綽々にシミュレーションをこなすようになった……けれど、どこか危なっかしい。ただ物事を冷静に見ることができるといっても実力の面で劣る、あるいは思い切りがいいとは言えない芽衣もまた「危なっかしい」の一員であり、もう一人のB級戦乙女、ブローニャ・ザイチクと合わせても一人前とは言えない状態にある。
そんな中での編入生。少女『クラゲ』。
初めから高い戦闘能力を有するだけでなく、明らかに戦い慣れていること、まだ三人が任せてもらえない任務を淡々とこなすその様は……どうしても奇異に映ったのだろう。
「答えて。あなたは……何者なの?」
「その問いは難しい。芽衣、あなたはそれになんて答える?」
「……私は、聖フレイヤに在籍するB級戦乙女、雷電芽衣」
「なら、私もそう。聖フレイヤに在籍するA級戦乙女、『クラゲ』。……何者、なんて問われても、これくらいしか返せない」
あるいは「ヨルムンガンドから天命に送り込まれたスパイ」か。
それとも「第三律者を確保するために動く使者」か。
もしくは──。
「どんな答えが返ってくれば満足なの、芽衣」
「それは」
「私は……みんなと仲良くしたい。本当に。キアナも……ブローニャも、私に思うところはあるみたいだけど、積極的に交流を図ってくれる。フカお姉ちゃんもそう。でも、芽衣。あなただけは、ずっと私を警戒してる」
「……ごめんなさい」
「謝ってほしいわけでも弁明してほしいわけでもない。私は『クラゲ』。今言った自己紹介以外、何も言えない。……この状態の私を怪しむのは仕方のないことだと思う。だから、これから知ってほしい。知っていく中で、私を見極めてほしい」
今の少女が言えることで、最も誠意のある言葉はこれくらいだった。
そばにいる存在によってどんな色にも染まっていたのは幼少の頃のこと。その時でさえ彼女の芯は一度だって損なわれておらず、それは彼女が成長してからも欠落していない。
あの男、灰蛇が少女に何をさせたいのかまではわからないが──少なくとも。
「改めて友達になってほしい。今はただの学友程度の関係性で構わないから」
「……」
それはあるいは、成長した少女をしても強気な言葉。彼女らしくない言葉なのかもしれない。
でも。
「はあ……わかったわ。それと、本当にごめんなさい。私は少し……言い訳になってしまうけれど、口下手で。元々咎めたかったわけではないの。何者……そうよね。そういう風に問われたら、私が警戒しているように映るのも仕方がないか」
「……? もしかして、私は何か勘違いをした?」
「いいえ。あなたを疑問に思っていたことは事実だもの。……ただ、キアナちゃんをあんな目で……懐かしく、ほほえましいものを見るみたいな目で眺めていたあなたに、どうしてそんな目をするのか聞きたかっただけなの」
……。
……。
数瞬の沈黙。その後……顔を逸らし、頬を赤らめる少女。
危惧していた事態が訪れたのだと思い込み、勝手な先置きをしてしまったことに、今更ながら羞恥が湧いてきたのだ。
「こ……っちこそ、ごめん。……キアナを見てそういう顔をしていたのは、私の元居た場所の……〝仲間〟が、彼女に少し似ていて、それで懐かしくなっただけ」
「仲間。……そう。詳しくは聞かないけど……親しかったのね」
「とても」
千の貌を持っていた詐欺師の少女のムードメーカーなところ。黄金の女性の自信に満ち溢れたところ。ピンクの友達のかけらのようなもの。
あのキアナという少女は、彼ら彼女らをどこか彷彿とさせるものを持っている。
互いの勘違い。いや、ただただどちらもが口下手であったが故に起きた一瞬の衝突は、それぞれが勇気を出して踏み込んだことで蟠りとなることなく解消された。
されて。
──『報告、蒼海市上空、位置SH0639に不明飛行体出現! 繰り返す、蒼海市上空、位置SH0639に不明飛行隊出現!』
それは警報だった。蒼海市とはこの聖フレイヤのある街のこと。その上空とあれば。
少女と芽衣は顔を見合わせ、出撃の準備へと向かうのだった。
小型飛空艇に乗り、件の戦艦へ向かうキアナらを見送る少女。
作戦概要はこうだ。
蒼海市上空に現れた不明飛行体。不可視にして生体反応を有さないそれは、蒼海市へ墜落させられるものであると測定された。
外部からのハッキングは不可。強いファイアウォールに阻まれていてできない。
そのため戦乙女を先行させ、内部から戦艦の制御権を奪取。この墜落を回避する。
作戦自体は理解した。しかし。
「なぜ、私とフカお姉ちゃんが援軍……追撃なの?」
「効率の問題よ。キアナと芽衣が派手に侵入し、ブローニャと艦尾へ集合。そこから集中突破で制御権の奪取まで行う。そうすれば敵の集中は自ずとあの子たちへ向かい、あんたたちA級が無駄な労力を使うことなく確実な占拠を実行できる」
「囮……ということですね」
「作戦が気に入らないことは理解しているわ。あたしだって初任務のあの子たちだけにこれを任せるのは心配だもの。けどね、それが成長というもので、それが上にあるということよ。……それに、そこまで心配せずとも、あの子たちは十二分に強いわ」
そうだろうか。
キアナは向こう見ずで自信家。芽衣はそんなキアナの押しに弱く、ブローニャは経験値の関係上二人よりは冷静であれるものの、多少思い込みの激しい部分がある。
経験を積めばどうとでもなるポテンシャルは秘めていても、今は三人合わせてA級に届かないと言ってしまえる実力しかない。それはたとえ芽衣が第三律者の力を解放したとしても変わらない……というより、それをしたら第三次崩壊が再度来るだけだ。
無論、少女は今回における第三次崩壊をその目で見たわけではないが。
「……そろそろ時間。フカお姉ちゃん、先に行くね」
「はい。気を付けてください」
A級戦乙女、フカ、『クラゲ』の両名は先行したB級戦乙女とは別ルートで飛行隊……かの戦艦へ侵入し、バックアップを行う。
必要がなければそれでいい。ただ、必要だった場合に備えての行動だ。
──果たして。
少女の心配は、杞憂に終わった。
巨大戦艦ムーンライト・スローンの墜落は三人によって無事阻止され、その三人も生還。
この際多少の〝アクシデント〟も発生したものの、無事であることに変わりはなく。
これだけ周囲を騒がせた事件は、ひっそりと幕を閉じるのであった。
……と、そうであればめでたしめでたしだったのだが。
「初めまして。天命がA級戦乙女、リタ・ロスヴァイセと申す者です。あなたが聖フレイヤに編入した『クラゲ』様ですね」
ムーンライト・スローンに関する騒ぎが収まったかと思えば、昇級試験のことで俄かにまた騒がしくなり始めた聖フレイヤ。
その騒ぎは少女に関係ないものだった。なにせ彼女は他の戦乙女とは出自からして違う。下手に昇級などしようものなら諸々が明るみに出かねない。
ゆえの静観……であるつもりだったのだが。
聖フレイヤが屋上テラスで静かにクラスメイトたちを見守っていた少女の背後。音もなく影もなく現れたその女性に、けれど少女は驚きさえしなかった。
別に少女は絵筆を操る力を失ったわけではないし、色が見えなくなったわけでもない。むしろ成長して判別が利くようになって、それはしっかりとした能力として育ちつつある。
だから気配を消して近づいてくる彼女のことも見えていた。それだけだ。
加えて。
「腹の探り合いは好きじゃない。言いたいことがあるならはっきり言って」
「おや……。……では。こちらはあなたの事情を知っております。そも、あなたの編入自体が私たちの手で成し遂げられたもの。しかし、オットー大主教様はあなたの行動を縛り付けるつもりはないそうです。その上で以下、彼からの託をそのままお伝えします」
オットー大主教。天命のトップ、五百年を生きる伝説。
灰蛇がどこを懐柔したのか気になってはいた少女は、出てきたその名前に多少驚く。どういう繋がりなんだ、と。
「〝君達が求めるのは第三律者。僕が求めるのは第二律者の方だ。お互い目指すべきところは似たような場所で、けれど違うものを欲している。であるならば、僕たちは良い友になれる。そうは思わないかい? もし是を返してくれるのであれば、目の前にいる女性と握手をするといい。良い返事を期待しているよ、過去からの反響の君〟」
第二律者。
空の律者が狙いであるとそう伝えられ、少女は少し逡巡した。
その存在の詳細について、少女はそう多くの情報を持っていない。なにせそれは隠蔽された事件であったし、少女もさらに幼い時分であったからだ。
ただ……あのピンクの友達が投入されなければ解決できない事態であったことは知っている。
「如何でしょうか、『クラゲ』様」
「あなたと握手をすると、どうなるの? 互いに互いの目的の邪魔をしない、助けられる時は助け合う……そんなパートナーが得られる?」
「『クラゲ』様がそう望むのであれば」
考える。少女は考える。
聖フレイヤ学園は天命の下部組織。目の前の女性は天命の戦乙女で、且つ大主教とつながりを持つ存在。
動きやすくなる、という点では最高のバックアップと言えるだろう。
けれど同時に、動けなくなるという点で最悪の障壁とも言えてしまう。
オットー大主教。オットー・アポカリプス。
未だ方舟より目覚めて一年と経たない少女なれど、彼の存在の悪行は耳にしている。ヨルムンガンドが比較的裏側の組織であり、所属する人間の誰も彼もが裏課業の出であることがほとんどであるため、自ずと耳に入ってくるというべきか。
無論。
実験の人道非人道を問うては、あの緑おばさんも比ではないし、そもそも少女らを成立させている技術が人道に即していない。
崩壊という災害の前では人道などあってないようなものだ。あの大主教が何を目指しているのかまでは知らないが、手段を選んでいられない、ということには一定の理解があった。
「返事は今すぐじゃなきゃダメ?」
「いいえ、多少の猶予はございます。私があちらへ帰るまでの間、とはなりますが」
「そう」
メリットは大きい。だが、デメリットも相応だ。
なにより第二律者……それがこの近辺にいると、そう言っているようなものである彼の行動。
フカ、は当然あり得ないにしても、であればキアナかブローニャか。そのどちらかが第三律者と同じく「抑え込まれた」「眠らされた」律者である可能性が高い。
少女自身の目的が目的であるとはいえ、既に友達となったあの二人をオットー・アポカリプスの毒牙へかけるどころか、その背押しをする立場になる、というのは。
「……おや。勘付かれてしまったようですね。それでは私はこれにて」
「返事は必ずする。今はもう少し考えさせて」
「ええ、お待ちしております」
優雅なカーテシーと共に去っていくリタ。
それと入れ替わるようにして、小さな影が少女へ近付いてきた。
「あら、リタと知り合いだったの?」
「いいえ、初対面……今話しかけられたのが初めてです。それで、今日はどうされたんですか、学園長」
学園長。テレサ・アポカリプス。
その姓の通りオットー・アポカリプスの孫にあたる彼女である……が。
どう色を見ても、どう感じても、彼女は少女と同じものであるように思えた。
「ああ、あなた宛てに手紙が届いてね。封緘が見慣れないものだったから、早めに届けた方が良いのかと思って持ってきたのよ」
「それは……ごめんなさい、足労をおかけして」
「いいのよ」
受け取った便箋。その封緘に使われているのは……灰色の蛇を模したマーク。
少女は眉を顰める。だってあの男が手紙なんか出すはずないから。
であれば……と、もう一つの可能性に期待を寄せて、それを開いた。開いて読んだ。
「……」
「……難しい顔をしているわね。なにか嫌なことでも書いてあった?」
「いえ。……歯はちゃんと磨いているか。お風呂にはちゃんと入れているか。食事は摂れているか、睡眠は取れているか、しっかり休息できているか……」
「あら。もしかして親御さん?」
「そうだったら……こんな難しい顔はしません」
少女の親はとっくの昔に亡くなっている。親代わりだった女性もまた。
幼い時分で既に折り合いをつけることができていた少女だ。今更その勘違いに荒れ狂うことはない……が。
まるで灰蛇が書いたかのような無機質で温度を感じられない字。まるで灰蛇が書いたかのようなあまりに一定の筆圧。まるで灰蛇が書いたかのような事情の知り具合。
けど、内容があまりに灰蛇じゃない。こんなの灰蛇じゃない。
「その……私が元居た場所では、私のお世話をしてくれる……ただ、家族じゃなくて、ほとんど上官のような人がいて」
「そうなのね」
「でもその人は淡々と私に命令をしたり任務を与えるかするだけで、情らしいものは無くて……なにより出会ったのですら数か月前の話で……」
「ふむ……。でもそれは、あなたが知らなかった一面である、というだけなんじゃない? 戦乙女と上官という関係性上そうやって冷たい言葉を操るのは仕方のないことで、だけどこうして手元から離れてみれば、心配で心配で仕方がなくなった、とか」
絶対にない。心の中で言い切る少女。
これがたとえば『ワタリガラス』であれば納得した。あるいは尊主と今讃えられている彼であれば、もしかしたら、と。
でも灰蛇は絶対にない。ぜーったいにない。
「納得できてないみたいね。……その人と連絡は取れないの?」
「連絡を取ろうと思ってこちらから如何なる手段をしてコンタクトを取ってもシャットアウトされる。そういう人です」
「恥ずかしい、とか……?」
だから絶対にない。テレサ学園長もあの男と一度でも話せばそれがわかる。
……とは、言えない少女。
けれど、無意味なことはしな……くもないが、ヨルムンガンドから天命に手紙を出す、なんて危険な真似をする男ではない。勿論偽装した住所から送ったのだろうが。
なにか意味がある。なにか。
色を使った暗号か、炙ったらなにか出てくるのか、それとも文章自体に言葉が隠されているのか。
「昇級試験。頑張るつもり、ないんでしょ?」
「え?」
「あたくしだって教師ですもの。それくらいはわかるわ。……だから、教師たるあたくしがこういうことを言うのは本来いけないことなんだけど……昇級試験中、暇でしょうし、一度家に帰ってみるというのはどうかしら。あ、ちゃんと休暇申請をして、ね」
家に帰る。
……無理矢理に移動させられて聖フレイヤに来た少女ではあるが、ヨルムンガンドへの帰り方はわかる。
今までヨルムンガンドで行ってきた任務。その時々で使ったアジトや通路を用いればいいだけの話だから。
でも、帰ったところで求めていた答えが見つかるとは思えなかった。
疑問も質問も、灰蛇が受け付けることはない。この手紙の真意を彼に問うたところで得られるものはゼロに等しいだろう。
「いえ……色々考えてくださってありがたいのですが、私はもうしばらくここにいます」
「そう? それも別に止めはしないけど。……ね、『クラゲ』。このまま少しお話しない?」
「お話? ……学園長は忙しいんじゃ」
「ちょっとくらいなら大丈夫よ。同じ十字架使いとしても、戦闘者としても、色々話の通じるところがあるだろうし」
確かに似ている部分はあった。
無論テレサの年齢が見かけ通りではないことなど十も承知している少女であるが、それを言うなら少女とてそうだ。五万飛んで十二歳。今の少女の年齢はだいたいそれくらい。
十字架使いで幼い頃から戦っていて、実年齢通りではない見た目で、身体の境遇も恐らく似通っていて。
テレサはこの事実をほとんど知らないだろうけど、面白い共通点であると言えた。
──そうして少女とテレサは、他愛のない話をする。
当たり障りのない範囲での今までの暮らし。戦い方の確立、好きなもの嫌いなもの。
特に味覚の話は沢山共感できた。できたからこそ納得がいった。やっぱり彼女も、と。
思ったより盛りあがった話は、当然思ったよりな時間を使う。
「……大変! 話しこんじゃったわ」
「お仕事の方は……」
「大丈夫と言いたいところだけど、そろそろ戻らないと自分の首を自分で絞めることになりそうだし、そろそろお暇するわ。……またもう少し時間のある時にお話しましょ。あなたの話は……なんだかとっても面白いの」
「はい。頑張ってください」
パタパタと駆けていくテレサを見送る少女。
その所感は彼女も抱いていた。なんだかとっても楽しい会話。それがなぜであるかを思い至ったのは、テレサがいなくなってからそれなりの時を経たあとのことだった。
ああ、と。
そっか、と。
恐らく彼女が手術を受けたのだと思われる年齢は……ちょうど少女が生死を彷徨った年齢とほとんど同じ。
少女は莫大な年月で身体が多少成長しはしたけれど、ほとんど止まっているようなものであることに変わりはない。
同年代なのだ。恐らくは。
あるいは他の、足早に成長していく戦乙女たちや、大人だった彼ら彼女らとは違う存在。
少女を庇護の対象に見ない友人。
手紙。そこに書かれていた文章を改めて読む。
「友達はちゃんと作れているか……」
やっぱり、絶対に灰蛇が書いたものではないけれど。
虚空へ向かって、少女は「うん」と小さな頷きを返すのであった。