コトキタウンのポケモンセンターで、アチャモと新たに仲間になったケムッソの体力を回復させたハルカは、逸る心を抑えきれないまま、トウカシティへの道を急いでいた。
その道中、102番どうろは、さながらトレーナースクールの同窓会会場のようだった。
「お、ハルカじゃないか! 勝負しろ!」
「私の新しいパートナー、見てくれよ!」
道行く先々で、かつての同級生たちに声をかけられ、何度もバトルを挑まれた。
彼らもまた、思い思いのポケモンを捕まえ、新たな冒険の第一歩を踏み出していた。
そしてその誰もが、切り札として繰り出してくるのは、やはり、二年間苦楽を共にしてきた、あのレンタルポケモンと同じ種類の、ジグザグマや、ポチエナ、そして、ケムッソやカラサリス、マユルドだった。
その熾烈な、しかし、どこか懐かしいバトルを繰り返す中で、ハルカのケムッソは柔らかな光に包まれ、その姿をカラサリスへと変えた。
(よし…! これでアゲハントになってくれる!)
ハルカの心に、確かな手応えが生まれる。
アゲハントが覚えるくさタイプの技「すいとる」。
それはアチャモが苦手とするみずタイプやじめんタイプに対する、大きなアドバンテージとなるはずだ。
ユーリとの再戦に向け、着々と、しかし確実に、彼女の王国は、その戦力を増強していた。
そしてついに、トウカシティへと到着する。
ハルカは逸る胸の鼓動を抑えながら、ユーリの家のドアをノックした。
(どんな顔、するかな。私のアチャモを見たら…)
しかし、ドアから顔を覗かせたのはユーリではなく、彼の母親だった。
「あら、ハルカちゃん。いらっしゃい。…ごめんなさいね、ユーリなら、もう二週間も前に家を出てしまったのよ」
その一言は、ハルカの頭を真っ白にするには十分すぎた。
「え…?」
すわ、自分を置いて一人で旅立ってしまったのか。
そんな最悪の想像が頭をよぎり、悲鳴を上げそうになる。
「ら、ラルトスだけで、ですか!? まだ、初心者用のポケモンも貰ってないのに…!」
すると、ユーリの母は「本当に、困った子よね」という表情を浮かべながら、衝撃の事実を告げた。
「それがね、貯めていたお小遣い、全部使って、カントー地方へ行っちゃったの」
「へ…?」
あまりにも間抜けな声が、ハルカの口から漏れた。
カントー地方。
なぜ?
なぜ、よりにもよって、飛行機や、船を使わなければ行けない、そんな遠い場所へ?
意味が、分からない。
「なんでも、どうしても捕まえたいポケモンがいるんですって。その子を捕まえたらすぐに帰ってくるからって、手紙だけ残して…」
その言葉に、ハルカはひとまず、ほっと胸をなでおろした。
まさか、ホウエン地方をすっ飛ばしてカントー地方のリーグを制覇しに行ったのではないかと、一瞬、本気で心配してしまったからだ。
しかし、二週間前、ということは、卒業式のあの日、すぐに旅立ったということになる。
船での往復だけでも数日はかかる。
それでもまだ帰ってこないということは、それほどまでに捕まえるのが難しい、特別なポケモンを探しに行ったのだろうか。
安堵と、疑問が、心の中で渦を巻く。
そして、その二つを上回るほどの、釈然としない、納得のいかない想いが、むくむくと湧き上がってきた。
別に、約束したわけじゃない。
でも、ユーリならきっと、自分が来るのを待っていてくれる。
そんな、何の根拠もない、しかし、絶対的な確信が自分の中には、確かにあったのに。
(…なによ、それ。私を、置いていくなんて…)
悔しさと、寂しさが、込み上げてくる。
ならば。
(…見てなさいよ、ユーリ)
ハルカの瞳に、再び、闘志の炎が灯る。
(あなたがカントー地方で、どんなすごいポケモンを捕まえてくるかは知らないけど…。その間に、私は、もっと、もっと、強くなってやるんだから!)
帰ってきた、あなたを、ギャフンと言わせてやる!
ハルカは、ユーリの母に、深々と頭を下げて礼を言うと、踵を返した。
向かう先は、トウカジム。
まずは、ちゃんと、トレーナーとして最初のパートナーを迎えたことを、父親に報告しなければ。
そして、そこから、自分の、本当の冒険が始まるのだ。
ユーリへの、少しだけ切ない想いと、次こそは負けないという、熱い誓い。
その二つを胸に、ハルカは力強く、次の一歩を踏み出した。
◇◇◇◇◇
トウカジムの重厚な扉を開けると、そこには、ジムリーダーとしての厳しい顔ではなく、一人の父親としての、優しい笑顔があった。
「おお、ハルカか。待っていたぞ」
父、センリは、ハルカのアチャモを見ると、満足げに、そして、少しだけ寂しそうに、目を細めた。
「…そうか。その子が、お前の最初のパートナーか。良い目をしたポケモンだな」
「うん! アチャモっていうの。さっき、ユウキ君とのバトルでも、勝ったんだから!」
ハルカが胸を張ってそう言うと、センリは「ほう」と、感心したように声を上げた。
「よくやったな。だが、本当の戦いはこれからだ。ハルカ、トレーナーとして、まず、どこを目指す?」
その問いに、ハルカは迷いなく答える。
「もちろん、ポケモンリーグ! ホウエン地方の、全てのジムを制覇して、チャンピオンになる!」
その力強い言葉に、センリは静かに、そして力強く頷いた。
「良い覚悟だ。ならば、まず目指すべきは、カナズミシティのツツジ君のジムだな。岩タイプの使い手だ。お前のアチャモにとっては厳しい戦いになるだろうが、それもまた試練だ」
そしてセンリは、娘の目を真っ直ぐに見つめて、言った。
「…そして、いつか。お前がバッジを集め、このジムに戻ってきた、その時には…、ジムリーダーとして、この私が全力でお前の壁となってやろう。約束だ」
「…うん! 絶対に、ここまで戻ってくるから!」
父と娘の間で交わされる、熱く、そして固い誓い。
その感動的な瞬間に、ジムの入り口から、おずおずとした、か細い声が響いた。
「…あのう…センリさん、いらっしゃいますか…?」
そこに立っていたのは、少し青白い顔をした、線の細い、緑色の髪の少年だった。
「おお、ミツル君じゃないか。どうしたんだい?」
センリが優しく声をかける。
トウカジムのすぐ隣の家に住んでいる、ミツルという少年だ。
ミツルは何かを決意したように、しかし、どこか不安げな表情で、話し始めた。
もうすぐ、このトウカシティを離れ、遠い町へ引っ越さなければならないこと。
そして、新しい場所で、一人でも寂しくないように、自分も一緒にいてくれるポケモンが欲しいのだけれど、どうすればいいか分からない、と。
その、か細くも、切実な願いに、センリは大きく頷いた。
「…そうか。それなら、心配いらない」
彼はジムの奥から、一匹のジグザグマと、数個のモンスターボールを持ってくると、それをミツルの手に、優しく握らせた。
「このジグザグマを、一時的に、君に貸してあげよう。そして、このボールで、君自身の目で見て、心で感じた、君だけのパートナーを捕まえてごらん」
そしてセンリは、ハルカの方へと向き直った。
「ハルカ。すまないが、ミツル君に危険がないように、少しだけ付き添ってやってはくれないか?」
その言葉に、ハルカはにっこりと、快く頷いた。
「もちろん! 任せて、パパ!」
こうしてハルカは、ミツルという、少しだけ頼りない、しかし強い意志を秘めた少年と共に、再び、102番どうろへと足を向けることになった。
そこは初心者向けの、弱いポケモンが多く生息する、穏やかな場所。
ハルカは少しだけ心配そうに、自分の前を歩くミツルの、細く、頼りない背中を見つめていた。
(どんなポケモンと、出会うのかな…)
ハルカがそんなことを考えていた、まさにその時だった。
草むらに入って、まだ数歩も進んでいない。
その、目の前の茂みがかすかに揺れたかと思うと、一体のポケモンが、まるでミツルを待っていたかのように、すっと、その姿を現したのだ。
緑色の、おかっぱ頭のような被り物。
白い、小さな体。
「…ラルトス!?」
ハルカは、思わず声を上げた。
いきなり、こんな、珍しいポケモンが現れるなんて。
驚きと同時に、彼女の頭の中では、ユーリから、そして、自らの研究で嫌というほど叩き込まれた、ラルトスに関するデータが高速で駆け巡る。
ラルトスは、人の心を感じるポケモン。
楽しい、前向きな気持ちをキャッチして、姿を現す。
逆に、悲しい心や、そして何より、「捕まえてやる」という敵意には、絶対に近づいてこない。
目の前の、このミツルという少年。
彼の心の中には、確かに、これから始まる引っ越しへの「心細さ」や「不安」があるはずだ。
しかし今、この瞬間、彼の心を支配していたのは、「自分だけのパートナーと出会いたい」という、未来への、純粋で、キラキラとした「期待」。
そのポジティブな感情の波が、ラルトスをここに引き寄せたのか。
あるいは、彼の心の奥底にある「寂しさ」を感じ取り、「私が、そばにいてあげたい」と、ラルトスの方が思ったのか。
いずれにせよ、これは運命だ。
ハルカはラルトスというポケモンを、誰よりも深く知っているからこそ、そう確信した。
「ミツル君、チャンスだよ! あのジグザグマで戦って!」
ハルカの声に、ミツルははっと我に返る。
そして、おぼつかない、危なっかしい手つきで、ジグザグマの入ったモンスターボールを投げた。
「い、いけっ! ジグザグマ! 『たいあたり』だ!」
ジグザグマが主人の声に応え、ラルトスへと突進する。
対するラルトスは、可愛らしい声で、「ラー…」と鳴いた。
それは、「なきごえ」。
(そうだった…! このレベルの、野生のラルトスは、『なきごえ』しか使えないんだ…!)
それが逆に、好都合だった。
「なきごえ」は、相手の攻撃力を下げるだけ。
こちらのジグザグマが、ラルトスを倒しすぎてしまう危険性がぐっと減る。
体力を調整するにはこれ以上ない、最高の相手だ。
数度の「たいあたり」と「なきごえ」の応酬。
そして、ハルカの鋭い観察眼が、「今だ」と、その瞬間を捉えた。
「ミツル君、今! モンスターボールを投げて!」
「う、うん!」
ミツルは言われるがままに、モンスターボールを投げる。
ボールが数度、小さく揺れた後、カチリ、と、静かな音を立てて、捕獲の成功を告げた。
初めて自分の手で捕まえた、自分だけのパートナー。
ミツルはラルトスの入ったモンスターボールを、両手で、優しく、拾い上げる。
そして、まるで世界で一番大切な宝物のように、その胸に、ぎゅっと、抱きしめた。
そのあまりにも純粋で、あまりにも感動的な光景を、ハルカは満足げに、そして少しだけ、切ない気持ちで見つめていた。
ポケモンセンターでラルトスを回復させると、ボールから出てきたラルトスは、当然のように、ミツルの隣にちょこんと寄り添った。
その光景が、ハルカの脳裏で、誰かの姿と、重なる。
(…ユーリと、同じだ)
色こそ違うけれど、あの、絶対的な王者の隣に、いつも当たり前のように寄り添っていた、彼のラルトス。
きっと、このラルトスも、ミツルの寂しい心に寄り添ってくれるだろう。
そう思うと、ハルカの心は温かい気持ちで満たされた。
トウカジムへと戻り、ミツルはセンリに、隣に立つラルトスを誇らしげに見せた。
そして、深々と頭を下げて礼を言うと、借りていたジグザグマを丁寧に返却する。
「これでもう、寂しくありません。本当に、ありがとうございました!」
そう言って帰っていくミツルの顔は、ここに来た時とは別人のように明るく、そして力強かった。
ハルカは、そんなミツルの後ろ姿を静かに見送る。
そして、自らもまた、父へと向き直った。
「それじゃ、私も、いってくるね」
その声には、もう、迷いも甘えもない。
一人の、独立したトレーナーとしての、強い決意だけが込められていた。
ハルカは、父の力強い頷きに見送られ、今度こそ、本当の冒険へと、その一歩を踏み出したのだった。