近代的なビルが立ち並び、活気にあふれるカナズミシティ。
その中心に位置する、最新設備が整ったトレーナーズスクール。
トウカのもりを抜け、泥だらけの服を着替えた一行が、その清潔で、未来的な校舎に足を踏み入れた時、誰もが思わず息をのんだ。
(すげぇ…俺たちの学校と、全然違う…)
案内された講義室は、一人一台のモニターが設置され、天井には大型のプロジェクターが吊るされている。
自分たちの、木の温もりはあるが、どこか古びた教室とは、まるで世界のレベルが違う。
都会のエリート校。
その圧倒的な「格の違い」をまざまざと見せつけられ、トウカシティの子供たちは、少しだけ気圧されていた。
やがて、壇上に、知的な眼鏡をかけた先生が現れ、自信に満ちた声で、今日の合同授業のテーマを発表した。
「──では、今日は、『あまごい』という技が、バトルにどのような影響を与えるか、その応用について学びたいと思います」
プロジェクターに映し出されたのは、「あまごい」の効果一覧。
①天候が「あめ」になる。
②みずタイプの技の威力が1.5倍になる。
③ほのおタイプの技の威力が半減する。
「素晴らしい効果ですね。では、ケイスケ君。この技を、どう活用できるかな?」
先生に指名された、カナズミシティのエース格の少年が、誇らしげに立ち上がって答える。
「はい! 自分の手持ちに、みずタイプのポケモンがいれば、その攻撃力を大幅に上げることができます! 逆に、相手がほのおタイプなら、その力を削ぐことも可能です!」
完璧な、100点満点の答え。
カナズミシティの生徒たちから、「おお…」という、感嘆の声が漏れる。
先生も、満足げに頷いた。
「その通り! 素晴らしい考察だ。これが、天候を活かした、基本的な戦術コンボです」
和やかで、知的な授業の雰囲気。
トウカシティの子供たちは、その、自分たちのスクールにはない、洗練された空気に、ただただ圧倒されるばかりだった。
しかし、その雰囲気を後ろの方の席で聞いていた、一人の少年の素朴な一言が、一瞬で凍りつかせた。
「…なあ。でも、それって、相手に『かみなり』を撃ってくださいって、お願いしてるようなもんじゃねえか?」
その言葉に、講義室が、しん、と静まり返る。
カナズミシティの生徒たちは何を言われたのか、一瞬、理解できない。
「かみなり…?」
壇上の先生ですら、その想定外のツッコミに、言葉を失う。
しかし、その発言に、これまで静かだったトウカシティの子供たちが次々と、当たり前のように同調し始めた。
「だよな! 『かみなり』、必中になったら、普通にヤバいだろ」
「つーか、わざわざ雨を降らせてくれるなんて、カモじゃん。俺なら、絶対ハスボー出すけどな」
「わかる! あめうけざらで毎ターン回復しながら、みず技は1/4に抑えて、『すいとる』で逆にこっちの体力にするわ」
「相手の技に対して、こっちは取れる最善の対策を練って、完全に詰ませる。ユーリがいつもやってることだろ?」
彼らの間で交わされる会話は、もはやこの授業のレベルを、遥かに超越していた。
カナズミシティの生徒たちが「メリット」にしか目を向けていないのに対し、トウカシティの生徒たちは、まず「デメリット」と「リスク」から思考を始めている。
「あまごい」が、命中不安の「かみなり」を必中の凶悪技に変えてしまうという、致命的なリスク。
それは、ユーリとの理不尽なバトルの中で骨の髄まで叩き込まれ、そしてその知恵と知識を授けられ、自らも貪欲にポケモン図鑑とにらめっこをして得た、彼らの「常識」だった。
カナズミシティの生徒たちは、自分たちがいかに「甘い」世界でポケモンバトルを学んでいたかを、思い知らされる。
「かみなり」の必中化? 「あめうけざら」でのカウンター?
そんな、教科書のどこにも載っていない、悪魔のような発想に、彼らはただただ唖然とするしかない。
自分たちが学んできた「応用問題」が、彼らにとってはもはや「基礎問題」ですらないという事実に、彼らのプライドは粉々に打ち砕かれた。
一方、トウカシティの子供たちは、なぜ相手がこんなにも驚いているのか全く理解できない。
「え、なんで? 普通、そう考えるだろ…」
彼らは、自分たちがいかに異常な環境で、いかに特殊な教育を施されてきたか。
その異常性を、この時初めて、客観的に自覚するのである。
講義室の空気は完全に逆転していた。
最新鋭の設備も、エリート校の看板も。
トウカシティという魔境で育った修羅たちの、あまりにも実践的で、あまりにも泥臭い「知恵」の前では何の意味もなさなかった。
「あまごい」の授業は、両校の間に横たわる、思考の「深度」と「ベクトル」の、絶望的なまでの断絶を、誰の目にも明らかにしてしまったのだった。
◇◇◇◇◇
「あまごい」の授業でトウカシティの生徒たちの、あまりにも実践的すぎる思考に完全に主導権を奪われたカナズミシティの講義室。
壇上に立つ先生は、額に滲む冷や汗を拭い、咳払い一つで、何とか授業の軌道修正を図ろうとしていた。
「…さて、気を取り直して。次は、もう一つの基本的な天候操作、『にほんばれ』について学びましょう」
プロジェクターに映し出されたのは、「にほんばれ」の効果。
①天候が「ひざしがつよい」になる。
②ほのおタイプの技の威力が1.5倍になる。
③みずタイプの技の威力が半減する。
「では、この技の有効な活用法は?」
先生は、今度こそ、トウカシティの生徒たちに口を挟ませる隙を与えまいと、即座に先ほどとは別の、カナズミシティの優等生を指名した。
「はい!」
指名された少女は、少し緊張しながらも、はきはきとした声で答える。
「ほのおタイプのポケモンの攻撃力を上げることができます! 特に、みずタイプのポケモンに対しては、相手の技の威力を下げつつ、こちらの攻撃力を上げられるので、相性不利を、ある程度、克服することが可能です!」
これまた、完璧な模範解答。
今度こそ、文句のつけようがないはずだ。
先生は、ほっと胸をなでおろす。
その、洗練された理論に、カナズミシティの生徒たちも、そうだそうだと頷き、少しだけ、自分たちの優位性を取り戻したような気になっていた。
しかし、その安堵はまたしても、トウカシティ側から漏れた、悪気のない、しかし、残酷なまでの一言によって打ち砕かれた。
「…それだけじゃ、足りなくね?」
その言葉を発したのは、英雄カズキだった。
彼は、腕を組み、どこか退屈そうに、こう続けた。
「確かに、みず技の威力は半減する。でも、相性抜群なのは変わらねえだろ。半減したところで、こっちが受けるダメージの方は等倍程度になるだけだ。そんな中途半端な対策じゃ、ユーリには絶対勝てねえよ」
そのあまりにも実践的で、勝利に貪欲な言葉。
そして、その言葉に他のトウカシティの生徒たちが次々と頷き始める。
「だよな。本当にみずタイプを倒したいなら、『ソーラービーム』を覚えさせなきゃ意味ない」
「そうそう! 『にほんばれ』状態なら、『ソーラービーム』は溜めなしで撃てるんだからな!」
「ほのおタイプに覚えさせるのも面白いけど、もっと意表を突くなら……そうだな、例えば、りゅうせいのたきにいるソルロックとか」
一人の生徒の言葉に、別の生徒がすぐに反応する。
「ああ、ソルロックか! あいつはいわ・エスパーだろ? でも、見た目と技で相手にほのおタイプだと誤認させやすい。そこがいいんだよな」
「そう! いわタイプだからみず技で楽勝だと思って出てきた相手に、天候からの即撃ち『ソーラービーム』を叩き込む。タイプ相性の裏をかく……まさに、ユーリが好きな戦法じゃないか」
「相手からすれば、タイプ相性で有利だと思った瞬間、逆に弱点を突かれて一撃で沈むんだぜ? 最高に気持ちいいだろ、それ」
彼らの会話はもはや「相性不利をどう『緩和』するか」というレベルではない。
「相性不利をどう『逆転』させ、相手の意表を突いて『必殺の一撃』を叩き込むか」という、極めて攻撃的で、狡猾な戦術論だった。
この光景はカナズミシティの生徒たちに二度目の、そして、より深刻なカルチャーショックを与えた。
「ほのおタイプのポケモンに、くさタイプの技を覚えさせる」
その、常識の枠を飛び越えた発想が、彼らにはなかった。
彼らの思考は、常に「ほのおタイプは、ほのお技で戦うもの」という、教科書のセオリーに縛られていたのだ。
彼らが知識を「記憶」するものとして捉えているのに対し、トウカシティの生徒たちは知識を「利用」するものとして、貪欲に勝利への道を模索している。
その、根本的なスタンスの違いがここでも露呈した。
壇上の先生はもはや顔面蒼白だった。
自分が「応用問題」として提示したつもりのテーマが、彼らにとってはもはや「基礎の基礎」。
そして彼らはその遥か先にある、「最適解」を生徒同士で楽しそうに議論している。
もはや自分に、この修羅たちに教えられることは何一つない。
彼は、教育者として、完全な敗北を喫したのである。
「あまごい」と「にほんばれ」の授業はカナズミシティの「模範解答」がいかに脆く、そして、トウカシティの「最適解」がいかに実践的で、そして残酷であるかを改めて浮き彫りにしたのだった。
◇◇◇◇◇
昼休み、カナズミシティ・トレーナーズスクールの広大な訓練場。
生徒たちは、思い思いの場所に集まり、それぞれのパートナーポケモンをボールから出して、羽を伸ばさせていた。
まだ、互いの実力を本格的にぶつけ合う前の、和やかで、しかし、腹の探り合いにも似た緊張感をはらんだ時間。
その中で、カナズミシティの生徒たちの視線は自然と、異質なオーラを放つ一団──トウカシティの生徒たちへと注がれる。
まず、彼らの目を引いたのは、奇妙な光景だった。
トウカシティの生徒たちの傍らには、自分たちのスクールではほとんど見かけることのないポケモンが、何匹もいるのだ。
毒々しくも、どこか美しい翅を持つポケモン──ドクケイル。
カナズミシティの生徒たちにとって、それは「ハズレ枠」の象徴だった。
ケムッソの育成は、「アゲハントになれるかどうか」の一種の賭けだ。
アゲハントは、「ぎんいろのかぜ」のような華やかで強力な技を覚え、見た目も美しい。
しかし、もう一方の進化形であるドクケイルは、覚える技も「ねんりき」など、少しクセがあって扱いづらく、何より見た目が地味だ。
だから、ほとんどの生徒は、ケムッソがマユルドに進化した時点で、「育成失敗」と見なし、そのポケモンをスクールに返してしまう。
そんな、自分たちの価値観では「選ばれなかった」はずのポケモンを、トウカシティの生徒たちが当たり前のように、そして誇らしげに連れている。
その光景に、彼らは最初のカルチャーショックを受ける。
しかし、その衝撃すらも霞ませてしまうほどの圧倒的な光景がその中心にあった。
ユーリだ。
彼の傍らには、もちろんあの空色の髪をした幻想的な色違いのラルトスがいる。
だが、それだけではなかった。
彼の右肩と、頭の上に、二匹の「アゲハント」が、まるでそれが当たり前であるかのように、優雅に翅を休めているのだ。
隣に立つハルカの足元には、ジグザグマがいる。
つまり、あのアゲハントは、ハルカのポケモンではない。
三匹の蝶(ラルトスを含めれば)が、一人の少年に、絶対の信頼を寄せて寄り添っている。
カナズミシティの生徒たちは、その光景を前にささやかな希望的観測を抱いていた。
「なるほど、あのラルトスとアゲハントが、彼の自慢のポケモンなわけだ。きっと、幼い頃から、この三匹だけを、特別に育ててきたんだろう」
そう解釈することで、彼らはまだ自分たちにも勝機はあると、信じたかった。
そんな彼らの横で、トウカシティの子供たちの、あまりにも日常的な会話が耳に飛び込んでくる。
「また、ユーリ、アゲハント二匹も連れてきてるよ」
「だよなー。どうせなら、片方はドクケイルにして、『蝶と蛾のコンビ』とか、見てみたかったよな!」
「ばーか、そんなことしたら、ドクケイルの『ねんりき』が加わって、マジで手が付けられなくなるだろ! ただでさえ、勝てないのに!」
その、軽口を叩き合いながらも、その言葉の中にあまりにも衝撃的な情報が含まれていることに、カナズミシティの生徒たちはまだ気づいていない。
好奇心を抑えきれず、一人の生徒が近くにいたトウカシティの少年に、探るように話しかけた。
「君のところのユーリ君って、すごいんだね。あのアゲハントたち、すごく懐いてる」
すると、トウカシティの少年はきょとんとした顔で、こう答えるのだ。
「ん? ああ、ユーリの? 頭に乗ってる方が、俺たちがスクールに入った時から、ずっと育ててる古株で、肩に乗ってる方が、先月から、新しく育て始めた二匹目だよ。どっちも、ただのレンタルポケモンだけどな」
その何気ない一言が、カナズミシティの生徒たちの脳天を見えないハンマーで殴りつけたかのように、強烈な衝撃を与える。
バトルをする前から、彼らは自分たちが決して勝てないであろう絶対的な真実を知ってしまったのだ。
「レンタル…ポケモン…?」
「先月までって、じゃあ、あのケムッソを、たった一ヶ月で、あんなに…?」
彼らの頭の中は、混乱でいっぱいだった。
自分たちがようやく最近になって、レンタルポケモンと少しだけ心を通わせ始めた、そのレベルを、ユーリは遥かに超越している。
借り物のポケモンですら、まるで長年連れ添ったパートナーのように心服させてしまう。
その、トレーナーとしての「器」が、全く違う。
そして、なぜ、彼は同じアゲハントを二匹も同時に育てているのか? トウカシティの子供たちが、当たり前のように「かたくなる型」だの「かぜおこし型」だの、意味不明な単語を口にしている。
その、自分たちの理解の範疇を、遥かに超えた思考の深さに、彼らは戦う前から畏怖を覚え始めていた。
和やかだったはずの休み時間は、一転して静かな絶望の空気に包まれる。
カナズミシティの生徒たちの心には、もはや優越感など微塵も残っていなかった。
あるのは、これから始まるバトルへの、純粋な「恐怖」と、未知の存在への「畏怖」だった。