ニワトリ肢に立つ小屋の中   作:ウニダコ

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2話

 死亡者のリストに並んで記載されていたゼームリャ姓の二つの名前を瞳に入れたとき、オリガは感覚がなによりも小さくなった。息が詰まり、喉の閉塞感を味わいながら、ふたたびリストに目を通した。そして変わりようのない現実に低く押し殺した唸りを鳴らし、宇宙要塞のルナ・ツーらしい灰色の天井にかしらを向けた。

 

 戦争の火蓋は乙女のすすり泣きよりも静かに、されどどんな雷よりも迅速に切って落とされた。特殊飛行訓練のため、ルナ・ツーへ偶然にも派遣されていた。ルナ・ツーは地球を挟んでサイド3とほとんど対極にあり、戦乱の気配はうわさ話と文章のみが伝える媒体であった。

 各サイドの防衛艦隊は霧に絞め殺されるように分断され、公国の新兵器に撃墜される。ミノフスキー粒子だの、モビル・スーツだの、奇怪な用語が取り巻いて連邦艦隊を切り刻んでいる。連邦に属するサイドのことごとくが攻撃を受けた。もはや軍属民間の区別なく、核の爆発と化学兵器がコロニーを破壊し尽くした。破壊は人間を真空にぶちまけ、ひたすらに殺戮した。オリガがルナ・ツーで拝領した自室で寝入っている合間だった。

 

 オリガには帰る場所がなくなった。かつて精神にあった地図が消滅した。休暇をとり、行先を申告し、予定日までに荷物をまとめ、シャトルの定刻に間に合わせ、数時間を座席で過ごしさえすればたどり着けた。もう、その記憶は必要なくなった。

 次の帰省では、なにか土産を持参するつもりであった。冷蔵庫にあるクワスを飲み、夕飯は母のシチーを食べたかもしれない。黒パンにバターを塗ったかもしれない。それは既に叶わないことであって。

 

 ふらつきながら自室を出る。基地内は動揺した人間で溢れている。親兄弟に大事が及んでいない者のほうが少ないかもしれない。サイド6は中立の立場ゆえに攻撃を受けていないと聞いた。出身者は幸運だろう。

 

 胃に鉛を流し込まれていた。額の皮膚の下に重いものが埋められていた。何となしに灰色の通路を歩き通す。目的地はなく、頭と足が解離して、勝手に前へ進み続けている。外部の音が遠ざかって、他人の景色を見ているようだった。

 

 同じ経路を五度ほど歩き詰めたころ、懐の拳銃に意識が及ぶ。ホルスターから取り出して、スライドを引き切れば備えは済む。コメカミは狙わない。硬い頭蓋が弾丸を防ぎ、9mmパラベラム弾が皮膚下に潜り込み、頭蓋に沿って皮膚と骨の間を一周して、ベロンと頭皮が剥がれる結果のみかもしれない。死に損ない。銃口を咥え、少し上側を狙い、しっかりと引き金を引けば、脳幹は破壊さる。脳幹。生命維持を司る。確実に死ねる。

 ためらいの気持ちはなかった。それが恐れ知らずだとか、勇敢だとかによるものでなく、短慮と軽挙さから来ていると思い知っていた。昔から先のことを考えず、ただなすがままされるがままに在った。絶望の憂き目に会えば、自死という選択肢があるだろ。

 

 オリガの自室の扉にもたれかかっているシイコを認めたとき、奇妙な安堵を覚えた。どこかで期待していて、叶って喜んだ。そんな自分と、こんなカタストロフの元でも相も変わらず優しい彼女との差に、ますます忌避感が募る。

 

 シイコは顔を上げてこちらを瞳に止める。たおやかな笑顔を少しだけ曇らせる。目線を下に向ける。沈黙。二人の間。廊下を行き交う兵の靴音が遠ざかってはまた戻り、蛍光灯の振動が微かに響く。オリガは立ち止まったまま、声を出すべきか定められずいた。

 シイコはその迷いを見透かしたように、しかし何も問わずに息を吸い込む。ごく静かに言った。

「……なにか飲みましょう」

 

 その声音はオリガの内側を撫でていった。気づけば彼女の手が袖口を軽く引いていた。

 連れられる。廊下を数歩。角を曲がれば、彼女の自室がある。そこは規則正しく整理された寝台と、机の上に整然と置かれた数冊の本とがあるだけの狭い空間だったが、外の冷えた空気とは異なる体温の残る静けさが漂っていた。

 

 寝台を勧められ、言葉少なに腰を下ろす。シイコは机の引き出しから小瓶を取り出す。正式には規則に抵触するのだろう──軍規で禁じられている強い酒ではなく、ただの甘いリキュールだと示すように、彼女は軽く笑ってみせた。

「大丈夫。みんな隠し持ってる」

 

 グラスに注がれた液体は琥珀色を帯び、照明を受けてほのかに揺れた。オリガは視線を落とし、指先で縁をなぞる。喉を潤す以前に、こうして彼女と向かい合っていることが、既に心を満たしすぎて苦しかった。

 シイコは何も問わない。両親の名も、リストも、爆散した居住区も。沈黙の中で彼女の存在だけが、ただそこに置かれていた。

 

 飲み下した液体は舌に甘く、胸の奥に静かな熱を落としていく。オリガは顔を逸らす。シイコはそれを追わない。ただ、何も見ていないふりをしてくれていた。

 琥珀色の液体を飲み干し、オリガは机の上に視線を落としたまま拳を握っている。懐に収められた制式拳銃の重量を思い出している。引き金を絞る動作の、あまりに単純な手順を想像してしまった自分に、かすかな戦慄を覚えながらも、しかし恐怖と安堵が入り混じる奇妙な吸引力に抗いがたく囚われている。

 

「なんで」

 自分でも低いと思う声が出た。彼女は軽く顎を上げて視線を向けた。

「なんで、こんなに、離れてる」

 

 シイコは返事をしない。黙っている。続きを待っている。

「あったものが、あっという間に消えてるんだ。世間が言ってる大切なものってやつが、自分でも本当にそうかわかってないのに。でもこんなに暗く重くなってるのは。ああ、違う。違うな。なんで私は私のことばかり考える」

 

 言い終えると、肺から空気が抜け落ちるように力が失せた。オリガは手のひらを握りしめ、唇の内側を噛んだ。「終わらせてしまいたい」と告げてしまいそうだった。ほんの少しの刺激によって。

 

 シイコはステンレスマグカップを机に置いた。声を放った。淡々としている。

「オリガが苦しむことはないよ。敵が大切なものを奪っていって、だから敵こそが咎められるべき。それで十分じゃない?」

 

 オリガは、乾いた笑いを零すようにして返した。「上等であろうとしたんだ」

「生きているだけじゃ……足りないと思うんだ。生きるのに、理由がいる。なのに、それが、急に全部崩れて……。ようやく、人と同じような幸せを信じようとしたのに」

 

 シイコは眉を寄せ、けれど責めるでも慰めるでもなく、ただこちらを見ていた。その眼差しが、逆に胸を抉る。

「もし……もし自分で、すべてを断ち切ることができたなら、それは、逃げなのかな」

 

 言葉を吐き出した瞬間、自分が危うい領域に踏み込みすぎたと悟った。視線を逸らす。呼吸が浅くなる。

 しばらく沈黙があった。やがてシイコは、ごく静かに口を開いた。

「逃げかどうかなんて、わからないわ。でも、わたしは背の高いオリガが好き。ただそれだけ」

 

 オリガは目を伏せたまま、震える指でグラスを持ち上げた。喉を通る熱は、慰めか、呪縛か。彼女自身にも判然としなかった。

 沈黙に気づいたのか、シイコが視線を上げる。彼女は問いただすでもなく、ただ静かに微笑み、口を開いた。

「オリガは、まだ生きているんだもの」

 

 オリガは思わず顔を上げた。意味を問おうとしたが、言葉は喉に詰まった。

 シイコはグラスを傾け、灯りに透かして見つめる。揺れる琥珀色を見つめながら、続けた。

「生きているかぎり、手に入れられるものがあるはず。生きてる理由とか資格なんて、ただの指標じゃない」

 

 その声音は慰めとも訓戒とも違っていた。ただ淡々とした、彼女自身の実感の吐露のように響いた。

 オリガは呼吸をひとつ置き、また唇の内側を噛んだ。喉までせり上がっていた言葉──銃を口に運ぶ映像や、その終端に待つ虚無への憧憬──を、結局飲み込んだ。彼女の前で吐き出すことが、許されないように思えたからだ。

 

 代わりに、かすれた声で言った。

「わたしはそんなに、柔軟になれないよ」

 

 シイコは答えず、ただこちらを見た。長い睫毛の影が頬に落ち、揺れる光に沈んだ。私はぐいとグラスに残る琥珀を飲み干し、目を逸らした。それ以降、シイコの瞳を覗くことはなかった。

 

 

 

 

 

 公国軍は、我軍の名を冠している母なる地球へ降り立った。連邦の本土とも言える星を攻められている一方で、我々はルナ・ツーで息を潜めている。公国は面倒な位置関係にある当基地の占領を第一目標とはしていない。

 士官学校をコロニーもろとも壊滅させられた私たちは、そのまま駐留して訓練を受け続けている。地球のジャブロー本部からの命令だった。

 ──貴官ら航宙士官候補生は、当初の課程を修了したものと認められるが、現下の戦況に鑑み、地球圏防衛及び将来の反転攻勢作戦に必要な戦力充足を最優先とする。よって、貴官ら一同は本日を以てルナ・ツー駐屯部隊所属の「戦備緊急要員」に編入され、以後の任務は以下のとおりとする。戦術シミュレーション、新型機動兵器転換云々──どうやらわたしは、最も適さないだろう時代と時期に入軍したことを、今更ながら自覚した。

 

 ルナツーの訓練区画は、いつも同じ規則正しい人工光に照らされていた。オリガは機種転換課程に組み込まれた操縦シミュレーションに取り組んでいたが、反復する操作はあまりにも単調で、何百回も繰り返された照準補正と推進制御の動作は、やがて自らの骨格に溶け込んでいくように感じられた。指が勝手に動き、眼球が僅かな光の揺れを捕らえ、身体が慣性の延長を読もうとする。

 

 それは兵士としての錬成の成果に他ならなかったが、同時にオリガには、どこか空疎な虚無感として胸に沈殿していくように思えた。人生とは、軍事行動とは、小さな動作の積み重ねと反復によるが。このルナツーは、直接の攻撃を受けておらず、緊張は空調の低い振動音と蛍光灯のちらつき程度にしか存在しない。しかし、地球圏のどこかで、同じ時間に誰かが死んでいる。艦隊が潰え、都市が炎に包まれ、リストに打ち込まれた名前の羅列がまたひとつ増える。その現実を知りながら、ここではあたかも「まだその時ではない」と言わんばかりの安穏が広がっている。それは無意識の事なかれ主義の温床であり、オリガにとっては吐き気にも似た違和を伴った。

 

 戦うこと自体への忌避はない。兵士としての義務感だけがある。しかし志願によって自らの足でここに至ったことに関わらず、戦争そのものを心底から受け入れることはできない。訓練の合間、通路を歩きながらその矛盾を抱え込む。疲労を覚えていた。

 

 あの日以降、シイコとは何となしに距離を置いていた。これまで目を逸らしていた根源での徹底的な断絶が、形となって現れていた。他者にはなれないことを理解していないほど子供でなく、されどそれを無視して付き合い続けることもできなかった。身勝手な謙虚さにより、聞く耳を持たずシイコから身を退けていた。

 

 シミュレーションを終えていた。汗をぬぐいながら連絡通路を抜けた。ふと視界の端に二つの人影があった。廊下の照明が斜めに差し込む狭い区画、物資搬入口へと続く小径に、シイコが立っていた。その横には、一人の男性士官候補──同じ訓練課程にあるピロートが寄り添うようにしていた。

 足を止める。二人は低く言葉を交わし、互いの肩が自然に触れるほどに近い。笑い声は聞こえず、沈黙の間に漂う安堵のような気配は、戦時下においてなお失われていない親密さを示していたようで。

 

 説明のできない感覚がかすめている。怒り? 羨望? そうでなく、ただ冷たい実感が血を失った指先のようにじんと広がっていり。

 シイコが誰かと親しむのは当然であり、否定すべきものではない。理性はそう告げる。だがその理性の背後で、押し込めてきた情念がゆっくりと浮かび上がり、言葉にならない圧迫となって喉を塞いでいく。己で選んだ道であるのに。

 

 逃げ出すようにその場を離れ、あてどなく迷い歩いた。できるだけ仄暗い通路を選んだ。ランダムな脳神経の意思決定に従い続け、やがて辿り着いた。実機を模したアヴィオニクス、球形のキャノピー、黒光りするコックピットシート。模擬装置であり、今の私を鍛え上げてくれている。ふと気分が重たくなって、シミュレータの傍に座り込んだ。膝を抱えてうずくまり続け、消灯タームが来るまで留まり続けていた。

 

 

 

 シイコの背を、別の影と並んで見たあの光景は、オリガの眼裏に薄く焼き付いたまま、ケロイドとして残留した。訓練の合間にふと蘇る。納得感と、焦燥と、諦観とが同居していた。

 

 世界と個人は離断されている。オリガの心情とは一切の縁を含まずに、情勢は刻一刻と変化する。地球に降り立った公国軍は数多の戦線を突破したものの、結局は決定打を与えられずにいる。戦局はこちらに傾き、近いうちに完全撤退が為されるだろう。すべては伝聞に依っているが、基地の緊張感は日に日に高まりつつあった。ついに我々にも新兵器が届いたのだ──。

 

 ライトタイプ・ガンキャノンのコックピットに腰を落ち着けた。オリガは自らが知る航空機の延長線ではあるが、決して同一ではないものに触れていることを解した。推力偏向によって姿勢を変えるのではあらず、関節駆動を用いて全身を捩じる。四肢を振って攻撃態勢をとる。操縦レバーを前後すれば腕部ユニットが応答し、ペダルを踏み込めば推進器の噴射が微妙に調整される──従来の戦闘機が滑るように動くのに対して、軽キャノンは踏みしめて進む。

 

 いささか狭苦しい。キャノピーとHMD越しに広がる宙域を直接見渡し、反射的に操縦桿を押し込み、計器盤と外界を同時に照合しながら飛んでいた記憶は過去となった。厚い装甲に閉ざされ、モニターの矩形が自分の世界を切り取っている。アビオニクスは確かに優れていた。センサーは複合化され、赤外線も電磁波も光学も統合され、敵影を自動で識別する。ジオンのザクと比べれば──噂に聞く限りでは──視認性も、安定性も、操縦補助も段違いなのだろう。映像がオリガの心に根を張らなかったのだ。バックミラーが懐かしく思われた。後方確認はコンセプトにないと言うか。

 

 訓練を重ねるうちに、オリガは兵器の本質を理解し始めた。軽キャノンは、連邦軍がようやくジオンに追いつこうとするための苦しい答えである。連邦はジオンに比べ10年は後れている。頑丈で、扱いやすく、砲撃にも白兵にも手を伸ばしている。前衛も支援もこなすことを我々は強いられている。

 

 戦術に大きな変化はなかった。先導するリーダーと、それをカバーするウィング。視野を広げ、敵を追うか、逆にマージして回避に転じるか、その判断を瞬時に分担する。戦術の基本でもある。

 機械の速度が極限まで高まった結果、ひとりのパイロットが認識できる空域には限界がある。だから僚機が存在する。二機で互いのセンサーを補い、死角を埋め、判断を分散することで初めて生存性が確保される。空戦は個人技の勝負ではなく、相互の支援に依拠するシステムなのだ。

 オリガは訓練中、自分の軽キャノンをセンサーの延長として位置づけていた。正面に集中する代わりに、背後は僚機に任せる。自らがロックオンに入ったなら、僚機が相手の僚機を迎撃する。言葉は簡易だが、実際に成し遂げるのは困難である。ほんの一呼吸の遅延が命取りになる。ことにミノフスキーの海で通信が制限されていては。

 

 ルナツーの訓練宙域はどこか現実感の乏しい真空の静けさに満ちている。ひたすら軽キャノンを推進させ、標的に指定された虚空のマーカーを追い、また離れ、緩慢に戻るという課題を繰り返している。人工的に設計された宙域は戦場というより練習用の巨大な体育館に過ぎず、そこに身を置く自分の姿を、どこか冷めた眼差しで俯瞰している。

 

 操作は滑らかになった。自機を関節駆動の異形と意識せずに動かせるようになり、センサーと推進器の反応も一体のものとして認識できるようになった。そうして訓練課題を消化する自分の横を、ふと、ひときわ目を奪う二機の軽キャノンが通り過ぎていくのを、オリガは認めた。認めてしまった。

 

 シイコと、例のパイロットの機体だった。交差して位置を交換し、相手が背を晒せばすぐに角度を変えて覆いを被せる。軌跡は二本の曲線が一つに重なるようであり、外から見れば一機にすら見えるのではないかと思わせた。両機は、規定通りの距離を保ちつつも、互いに軌跡を補完するように推進剤を散らし、姿勢をわずかに傾け合いながら、まるで結ばれているかのように一体化して動いていた。

 

 オリガは思わず操縦桿を強く握りしめた。互いが互いの死角を補い、センサーの視野を重ね合わせ、リーダーとウィングの役割を瞬時に切り替える。机上で示される理想的な編隊飛行を、彼らは呼吸のごとく当然にやってのけている。冷たい諦念を覚えた。

 

 訓練終了の信号音が響いた。機体を係留アームに収め、オリガは無意識にコックピットのスクリーンに目を走らせた。そこに並ぶ二機の姿──シイコと男性パイロットの軽キャノンは、まるで双子のように整然と鎮座していた。

 

「見事なもんだな」

 ボカタが小さく息をつきながら冷静に言った。ラテン系の彼女は私の僚機パイロットであり、勝気さと冷静さを兼ねそろえていた。

 ボカタとの呼吸はぎこちなく、動きも遅れている。理論的には我々が模範解答に近いはずであった。ワイヤーで、発光信号で、もしくはミノフスキー粒子の薄い箇所での無線通信によって、言葉による指示を互いに出し、確認してから動く。しかしそれは合理であっても、間にあるわずかな遅滞がすでに敗北の原因になりうる。

 シイコたちにはその遅滞がなかった。おそらくの話だが。

 

「……理屈よりも感覚だよ」

 自分に言い聞かせるように呟いた。

「片方が意図するよりも早く、もう片方が動いている。戦術的合理じゃなく、直感で。そういうの実現できる組が、きっと戦争で生き残る」

「そりゃあんた、エスパーだろ」

「そう言ってる」

 

 ボカタは怪訝そうに唸った。シイコの特別な感覚を知っている私だから言えているが、そうでないなら理解に苦しむのが自然である。

 しかし私の理論だと、あの男もシイコと同類となるな。オリガはどこか他人ごとのように紡いだ。男で、新しいタイプで、腕もある。遠い世界だ。未練がましくすがりつくより、諦観と共に離れることが正答の問題だ。いや、あの日からそうしたはずだった。

 

「私たちも、もう少し詰めれば悪くないぜ。もっと楽にしなよ」

 ボカタが短く笑った。オリガは返答に窮し、ただ曖昧に頷いた。君の名前はサンドイッチと同じだとでも返そうかと思ったが、さすがに失礼に思ってあきらめた。もとより話すことは得意じゃなかった。シイコの他には。そして隣り合って並んでいるシイコたちの機体から目を逸らし、エンジニアたちが忙しない格納庫をあとにした。

 

 

 

 

 

 0079は冬季に入った。連邦は地球方面の戦線の終結により自由になった兵力を新たな戦力として加え、膠着状態を打開する攻勢を計画した。すなわち、ジオンの宇宙における防衛ラインの一つ、ソロモン宇宙要塞の攻略である。

 

 ジャブローより飛び立った宇宙艦隊はルナツーに集結し、Xデーにはソロモンへ向けて無数の艦隊が航路に乗った。私たちは新型起動兵器──モビルスーツ・パイロットとして配備され、参画が決定的になった。シイコも当然組み込まれ、私たちと同じ小隊だった。初陣が一大反攻作戦の第一陣という事実に、私はすこし息を呑んだ。

 

 艦内放送が終わり、艦橋前のホールに集められていた士官候補生やパイロットたちが、少しずつざわめきを取り戻す。投影スクリーンに映し出されたソロモン要塞の立体映像は、すでに光を落とされ、半透明の虚像となって天井近くに漂っていた。誰もがそれを視界の隅に捉えながら、作戦の全貌を反芻する。我が艦隊は友軍のソーラ・システム敷設時間を確保することを目的とした陽動である。システム構築完了および照射が確認され次第、モビルスーツを中心とした突撃部隊が要塞に迫撃。内部を制圧する。諸君らの健闘にこころから期待する──激励の言葉はあれど、それに呼応した兵士は少なかった。前線に立つ兵士とはそういうものだった。

 冷たさを正面から受け止めた若い兵士たちは、互いに視線を交わし、ある者は冗談めいた軽口を叩いて恐怖を薄めようとし、ある者は沈黙を選んで自らの思考に閉じこもっていた。オリガは後者であった。掌にじっとりと滲んだ汗を袖で拭いながら、ただ無言で人の波を抜け出す。

 

 通路の蛍光灯は戦時仕様に落とされ、白々しい冷光が鈍く床に反射していた。その光の中で、オリガは何度も自分の影に目を落とした。次にこの影が伸びるのは、要塞の外郭に降り注ぐ爆光の中かもしれない。その思いが足取りを重くした。

 

 不意に、前方で立ち止まる人影があった。視線を上げると、そこにシイコの姿があった。彼女は壁に肩を預け、さきほどまでの説明をまだ頭の中で整理しているかのように、わずかに眉を寄せていた。オリガが足を止めると、シイコも気づき、わずかに口角を動かした。

 

「同じ小隊ね」オリガはゆっくりと頷いた。

「安心だよ。シイコがいるなら」

 半ばまで本心で、半ばは嘘だった。安心はした。だが同時に、彼女と共に戦場に立つことが、彼女を喪う可能性をも引き寄せるのだという恐怖が怯懦を引き起こすのだ。

 

 シイコは小さく息をつき、続ける。

「あの人と組むことになったの」

 

「……ああ、そうだろうね」

 それだけを答えるのが精一杯だった。声に余計な色を混ぜぬよう、意識して抑えた。

 

「頼りになる人だよ」

 シイコは言葉を探すように、一度目を伏せてから言った。

「私たち、たぶん背中を預け合える」

 

 オリガの心はひりついた。彼女の言葉が、あまりにも真実味を帯びて響いたからだ。背を任せるということは、命を預けることと同義であり、それはすなわち自分には与えられなかった親密さである。

 

「……そうか」やっとのことで返せた。それ以上は今の自分には酷だったのだ。

 

 沈黙が二人を包む。通路を行き交う兵士たちの足音が、やけに大きく響いていた。だがその喧噪の中で、二人の間だけが別の層に隔てられているかのように、時がゆるやかに流れた。

 

 シイコが不意に声を潜める。

「ねえ、オリガ。怖い?」

「……怖くないといえば嘘になる」

 オリガはわずかに笑った。自嘲のような笑みだった。

「けど、兵士だよ。拒否して逃亡でもすればどうなるか」

「そういうこと、聞いてるんじゃないんだけどな」

「ごめん」

「ううん。でも、オリガらしい」

 

 シイコは静かに頷いた。彼女の瞳の奥に、微かに光るものを見て、オリガは胸が締めつけられるように感じた。気づかれたくなくて視線を逸らし、それでもふたたび彼女の方を見てしまう。

 

「……シイコ」

 気づけば。漏れて。

「君が、無事でいてくれればいい」

 

 口にしてから、あまりに率直すぎたと後悔する。だがシイコは怒らず、軽蔑もせず、ただほんの少し目を細めて笑う。

 

「あなたもよ。私も、あなたに無事でいてほしい」

 

 言葉が宙に漂い、互いの胸を打つ。次にどんな言葉を重ねればいいのかわからない。だが、それ以上を必要としない気もした。

 

 格納庫へと続く扉が開かれ、整備員の声が響いた。兵士たちのざわめきが押し寄せ、二人は自然と歩みを再開する。だがその短い会話が、オリガの心の奥にひとつの熱を灯していた。戦いを前にした不安は消えなかったが、その隣に彼女がいるという事実だけが、かすかな光のように未来を照らしていた。

 

 

 

 

 

 

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