頼れる騎士は頼れない 作:北村 進
走る。走る。彼のもとへ。
『い、良いんですか?私も一緒に行って』
「良いのよ。むしろ置いていくほうが危ないわ」
下の道は避難していく一般人で溢れていた。
そのため立ち並ぶ民家の上を駆けながら、ライラの言葉に応じる。
兵庁舎には騎士が数人常駐しているものの、状況が状況だけに今は実力が微妙な者しか残っていない。
それならまだ
「それに、貴女も先生に文句を言いたいでしょ?」
『それは……はい』
「じゃあ私と一緒ね。私は上司に対してだけど」
彼とは学生時代の頃からの付き合いだ。
学園に入ってきたばかりの一年生の頃から、生徒会長だった私を何かと支えてくれた。
学年間差別問題や水面下で行われていた教師への賄賂問題の解決も、すべて彼が発起人となり、解決まで導いてくれた。
それに、学園が襲われ、私が人質に取られたせいで犠牲が出てしまったあの日。
彼が傍にいてくれたからこそ、絶望の淵から立ち直ることができたのだ。
彼には一生をかけても返しきれないほどの恩がある。少なくとも私はそう思っている。
だから。
「私の番だと……思ってたんだけどなぁ」
全身全霊で彼を支えたい。
だから困っていることがあったら言ってほしい。
頼ってほしい。
ちょっとくらい、私に寄りかかってほしい。
……どんどん依存してくれるともっと良い。
従騎士としては模範的な、異性としてはちょびっと不純な思いをダインに対して抱えているエーレにとって、今回発覚した事実は看過できるものではなかった。
「心臓の病気で、寿命を縮める薬を飲み続けていた。……たぶん、学園に入る前から、ずっと」
誰にも言わず、一人で闘い続けていたのだ。
いや、もしかしたら他に知っている人はいたかもしれない。
彼の周りには常に女性の影が絶えなかったし。
「あの
ピシッと、足場に使った屋根の
走る足に力を籠めすぎてしまったらしい。
さっきからモヤモヤとした感情が止まらない。
それを引き起こしている根本的な
心の中で熟成し続けてもう四年はたつのだ。とっくの昔に自覚しているし、スッパリと解決する方法も理解している。
ただ、それをする勇気がなかっただけ。
「でももう我慢しない」
病気のことを黙っていたから一発引っ叩く。そして――
「……や、やってやるぅー!」
『え、エーレさん?』
重要なのは勇気と、勢いだ。
幻影の少女を驚かせながら、絶世の美貌を持つ才女は高い志を胸に、時計塔に急行するのだった。
□□□
建物を両断することには成功した。
斜めに切られた時計塔の上部は、バランスを崩して下へとずり落ちていくはずだった。
しかし、それは白い光に遮られた。
「これは――」
「末恐ろしいものだ。まさか剣で建物を斬るとは」
手近な建物の屋根に飛び降り、視線を下に向ける。
時計塔を囲んでいた石畳の残骸の中に、老人が一人佇んでいた。
その周囲には、ダインと共に現着した騎士が全員倒れ伏している。
大きな外傷があるようには見えないが、これまでの被害者のことを考えると死んでいる可能性が高いだろう。
そして問題は時計塔だ。
街の中でも群を抜いて高い建物は、今や神々しく輝く白い光の壁に囲まれていた。
試しに飛斬を飛ばすが、傷一つついた様子がない。
さっきダインを拘束したものと同じだろう。アレは傷が入るようなものなのだろうか。
「時に王国騎士殿。雲をも見下ろす高い山に登った経験はあるか?」
「なにを――」
寒気を感じ、飛び退る。
しかし時すでに遅く、急に体が眩暈と息苦しさを感じ始めた。
「この一帯の大気圧を低下させた。貴殿の心拍数では、酸素供給が間に合わないだろう?」
――正解だ。大気圧が下がると酸素分圧も下がり、肺が取り込める酸素の量がその分減ってしまう。
健常者の体なら心拍数を増やして対応しようとするが、ダインの心拍数は今の60が限界値。
いずれ必ず酸素が足りなくなる。
だから学生時代の登山訓練にはドクターストップがかかり、今も低い山を越える際ですら極力馬や馬車を利用していたのだ。
「っ……」
「言っただろう。範囲はこの一帯だと」
跳躍し、瞬きの間に時計塔の周囲を一周駆けたダインを嘲笑するダングル。
これで長時間の戦闘は封じられた。
戦い続けるためには、一度この低気圧空間から離脱しなければならない。
ダングルはそう考えているのだろう。
「……賢者が聞いて呆れる」
酸素が足りない程度で止まるなら王国騎士にはなれない。
病のハンデを突かれて戦えなくなるのなら、騎士にすらなれない。
それら全てを乗り越えて、敵を討つことができるからこそダインは此処を任されたのだ。
「学べよ。舐めるな」
ダングルの姿がある場所から塔を挟んだ反対側の地面に着地し、納剣する。
あの白い光は空気の壁ではない。もっと別のナニカだ。
飛斬を弾いた様子から察するに、今すぐどうこうできる類の代物ではないだろう。
何度も何度も剣をダメにしながらひたすら斬りつけ続けてやっと砕けるような、レンガや鉄のソレとは比べ物にならない硬度を持っている壁だ。
すぐには外壁を壊せないことは分かった。ならどうするか。
中だけ壊せばいい。
「
地面に手を当て、一気に押し込む。
これは東方出身の王国騎士の技。
すべての生物が纏っている『気』という力を用いて、固い鎧をまとったモノの内部を揺らして破壊する技術。
それを、地面に打ち込んだのだ。
「何を――」
目の前にダングルが姿を現すが、もう遅い。
「地盤と基礎を破壊した」
「っ――!?」
ダングルが焦ったような顔で虚空を見上げた。
建物は基礎がなければ安定感を失う。地盤がしっかりしていなければ傾き始める。
その上、この時計塔はもともと真っ二つに切断されているのだ。
いくら頑丈でも、所詮はレンガで作られているこの建物がこのダブルパンチを食らって原型を保っていられるはずがない。
光の壁で補強しても無駄だ。
バランスを崩したジェンガの塔を外から無理やり締め付けて補強しても、トランポリンの上に直置きしていると内部崩壊は避けられないのだから。
「早く出てこないと潰れるよ」
二度、三度、立て続けに裏震拳を打ち込む。
すでにダングルの姿は消えている。向こうも余裕がなくなったのだろう。
先ほどの反応から見て、瓦礫が落下してきたのではないだろうか。
「それでも維持するか」
依然として息苦しさは残っている。
慢性的な眩暈には慣れてきたが、この状態で戦えば容体は一気に悪化するはずだ。
だからこそ、この手を止めるわけにはいかない。戦闘に持ち込まれると、負けるのはこちらなのだから。
「……根比べだ」
これが決定打になりえるかはまだ分からないが、少なくとも奴の手を止めることはできている。
この調子なら、いずれ倒すことができるかもしれない。
順調にいけば、の話だが。
「……」
この技を撃つには独特な呼吸法が求められる。
そして最悪なことに、その呼吸法を使うには大量の空気、もとい酸素が必要なのだ。
まあ全く酸素がないというわけではないので、撃とうと思えばいくらでも撃つことができる。
……ダインが耐えさえすれば。
「……ぐっ」
視界がぼやける。思考が回らない。
手足が痺れて感覚が薄まっていく。呼吸の頻度が類を見ないほどに上がっていた。
何度撃っただろう。
約二秒に一回ほどの頻度で撃っているため、仮に一分が経過したとすると……やめておこう。
思考に費やす僅かな酸素すらもったいない。
まあ、こういう作業はいつものことだ。
終わりの見えない苦痛には慣れている。
一人で戦うなら、このくらい当然で――
「まーた一人で無茶してる」
突然、背後から声を掛けられた。
「大事になってるわね。何なの、あの空」
エーレだ。いつの間に来ていたのだろう。正直驚いた。
しかし、苦痛緩和のために思考と切り離していた体は何の反応も示すことなく、一定のテンポで
「薬のことは聞いたわ。ダイン、あとでお説教よ」
「……分かりました」
背筋に冷たいものを感じながらまた一発撃ち、動揺を悟られないように地面をにらみつける。
声色から察したのだ。
彼女が今、静かにブチギレていると。
「ソレ代わる。ダインは一回退いて呼吸を整えてきて」
「いや、でも――」
「できるわよそのくらい」
すぐ横に立ったエーレは、ダインと同じように地面に手を付ける。
そして、ダインと同時に地面を押し込み、轟音を響かせた。
「いつ、のまに……?」
「へー、良い技ね。必殺技の参考にするわ」
「まさか、見ただけで?」
「もう、そんなこと良いから空気吸ってきなさい。ひどい顔色よ?」
……久しぶりに、彼女が『氷姫』と呼ばれていたことを思い出した。
氷菓の商品名のような二つ名のとおり、この何者にも反論を許さない雰囲気が、かつては彼女の平常運転だったのだ。
色々あって今は鳴りを潜めたが、たまーにスイッチが入ると再発するのである。
「ライラ。あの壁は壊せる?」
『解析してみます』
何故か保護観察対象の声が聞こえて足を止めそうになったが、こらえて時計塔に背を向け、跳躍する。
今は言われた通り下がろう。
裏震拳を撃ち続けている限りはダングルが出張ってくることはないだろうから、ここで意地を張って残ってもグチグチと怒られ続けるだけだ。
王国最高戦力の一人は、今にも噴火しそうな従騎士の圧に屈し、すごすごと低気圧空間の外へ退却するのだった。